ギンズバーグ判事急逝の余波から
党内反乱分子問題まで

渡辺 将人
今回の選挙戦を通じてトランプ大統領とバイデン元副大統領には、興味深い共通点と相違点がある。
共通点は両者の強運だ。新型コロナウイルス感染で危機管理能力が問われるトランプ大統領だが、1期目にして3回も連邦最高裁判事を指名するチャンスを得たことは特筆に値する。終身職の最高裁判事の補充人事は現職大統領には操作不能で運の要素が強い。カーターのように任期中一度も指名のチャンスが巡ってこなかった大統領もいる。トランプは1期目に3人、しかも有言実行で確実に保守派を指名する。これがキリスト教保守派のトランプに対する揺らぐことがない支持と連動している。ギンズバーグ判事は「トランプ政権の間には自分は死なない」と「不死身宣言」を掲げていただけに、判事の急逝は思いがけない「9月サプライズ」となった。無論、ギンズバーグ判事の「Xデー」が遠くないことは、政治関係者の間では暗黙の了解だった。最高裁判事の保守比率を決定付ける点で、この大統領選挙は通常以上に最高裁判事の間接選挙の色彩を伴い、人工妊娠中絶は「隠れイシュー」だった。
バイデン陣営にはギンズバーグ判事に投票日前に亡くなられると困る事情があった。人工妊娠中絶が「表のイシュー」になると、女性団体の左派内での声量が増し、「コロナ対策選挙」「反人種差別選挙」が、「ロー対ウェード1選挙」になってしまう問題を懸念していたからだ。前回の論考2でも検討したように、バイデンは「プロチョイス・カトリック」を標榜しており、過度に人工妊娠中絶がクローズアップされれば、2004年のジョン・ケリーのようにカトリックであることがマイナスになりかねない。
トランプにとっては、ギンズバーグの逝去は最高裁判事指名3人目の実績売りと、上院多数派維持の重要性をアピールする2点で追い風である。ただ、これでしばらくは最高裁も保守化し、人工妊娠中絶非合法化への道筋もつくとの印象を与えれば、中長期的にはシングルイシュー集団である宗教保守が、政治への参加意欲を減退させるだろう。トランプが指名するバレット判事は48歳でまだ若い。長期間、判事の椅子に座ることができる。もし、選挙の半年以上も前に指名・上院承認となっていれば、福音派がトランプへの感謝の気持ちを忘却し、保守化した最高裁に満足して投票に行かないこともありえた。だが、ここまで直前期であれば、歓喜の余韻に満ちた「感謝票」になり、承認が投票前に間に合わなくても、上院多数派死守という動員理由になる。強引でアンフェアとの民主党の批判は織り込み済みで、電光石火のように手続きを進める姿をアピールすること自体が、トランプ政権のキャンペーンとなっている。コートパッキングなど民主党政権になるとどんな巻き返しがあるかわからないとして、確実に「トランプ再選と上院多数派死守」を訴えることで、緊張感維持を目指している。
しかし、一連の事態は左派の女性票を奮い立たせている側面もある。カトリック信徒内の左派がバイデンの「プロチョイス・カトリック」を是認する姿勢を打ち出している点で、カトリック対策から目を背け続けた2004年民主党陣営とは違う。むしろ最高裁の保守化をトランプ政権下の危機の象徴に掲げ、左派の動員熱が強まる面も見える。ギンズバーグ急逝後、民主党全国委員会とリベラル系の活動家団体は緊急のオンライン会議を多数開催し、最高裁保守化への反発をトランプ打倒のエネルギーに転換させている。
他方、トランプとは別の意味で、今年のバイデンには独特の運の良さがある。トランプ大統領の不支持率は一貫して高く、「反トランプ」は結束を強めるのに十分な旗印だ。サンダース支持者ら左派の党内分裂運動に抑止効果となっている。バイデンは2008年の出馬では得意分野と自認する外交ばかりを語りアイオワで敗退した。コソボ紛争調停の自慢話や「イラク3分割案」など専門的にすぎる外交論は農村の有権者から遊離していた。しかし、2020年のバイデンを現地で観察して痛感したのは、原稿棒読み演説など、切れのない「初速の鈍さ」が、逆に得意分野に拘泥したり、激昂して失言をしたりするバイデンの欠点を適度に抑制したという、思いがけない効果だ。「スリーピー」にもご利益があったとの見方である。
しかも、ウォーレンとの暗黙の約束を破る形でサンダースが出馬し、リベラル票分断とウォーレン失速を招いた。初戦アイオワにも幸運の女神が舞い降りた。通常下位候補はアイオワで撤退する。過去のバイデン出馬も同様だ。だが、今年の党員集会の夜、新制度導入で現場が混乱して票数がメディアで即日報じられず、結果不明のまま全候補が次州になだれ込んだ。2020年、事実上アイオワは「淘汰効果」としては「無」となり、4位のバイデンは奇跡的に生き延びた。また、ブッカー、ハリスらの黒人候補が早々に撤退し、サウスカロライナ州では下院幹部のクライバーン議員の支持で黒人票を固めた。さらに幸運だったのはサンダースがかなり善戦してくれたことだ。「民主的社会主義」の民主党乗っ取りに危機感を抱いた党派的リベラル派が、渋々バイデン一本化に雪崩のように合流した。本選での「当選可能性」での消去法からも自明の選択だった。そして新型コロナウイルスが蔓延し、サンダース陣営の力の源泉、集会と個別訪問の活動家集団の息の根を止めた。
2016年選挙にも「反トランプ」感情は存在した。しかし、現職大統領の再選危機感とは比較にならない。2016年選挙当時、サンダース支持者ら左派勢力は、本来は結束の場であるはずの民主党大会に「反ヒラリー」運動を持ち込み、ヒラリー陣営はサンダースの第三候補化の封じ込めに翻弄された。トランプの当選可能性はサンダース派にも軽視されていたからだ。彼らはヒラリーが相当なリードで当選すると予測していたため、トランプ対策を完全に放置し、民主党をぶっ壊すことを主眼に反ヒラリー運動に邁進し、本選では第三候補支持や棄権運動までした。これがトランプを間接的に利したのは言うまでもない。
2020年は一転、トランプ再選阻止を確実にするためには民主党分裂を誘発している場合ではない、という現実論が濃厚だ。2016年におけるTPPのような党内分裂争点の不在も大きい。筆者がオンラインでオブザーバー参加中のバイデン陣営関連の各種会議でも、左派系活動家団体から陣営幹部や全国委員会への不満が噴き出す場面が極めて少ない(穏健派候補への不満として通常はしばしば発生する)。これは2016年に反TPP・反ヒラリーで民主党候補を潰し、トランプを当選させてしまった左派の深い反省とも関係している。共和党ではトランプ再選阻止を掲げて大規模な広告戦を展開している「リンカン・プロジェクト3」のような動きがあることと実に対照的だ。
こうした党内の大規模な不満分子の動きをめぐる有無が、トランプとバイデンの相違点とも言えよう。「リンカン・プロジェクト」賛同者には、共和党全国委員会の元委員長をはじめ、有力な元連邦議員が名を連ねる。彼らは民主党大会でバイデン支持を表明した。民主党に加勢しているかにも見えるが、効果への過大評価はできない。共和党内の反トランプ言説は、公職を既に離れた者が中心だ。議会共和党や現職公職者のトランプ支持は強固である。いわば共和党内には選挙区の圧力を受ける現職議員と、有権者に縛られない元議員の間にトランプ支持をめぐる亀裂が存在する。
他方民主党では、サンダースに配慮したバイデン陣営の左傾化の「本気度」への評価は微妙だ。選挙キャンペーンでの左傾化と、政権の政策上の左傾化は違う。民主党穏健派は、バイデン陣営が本格的左傾化を避けるため、戦略的に目玉を気候変動に限定したとの見方を示す。「2035年までに温室効果ガス排出ゼロ(電力部門)」という目標は野心的であるが故に時間も稼げる。しかも、USMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)に反対していた環境保護団体の民主党への怒りも回収できる。それに対して、経済、福祉争点での左傾化には相当な寸止め感がある。低所得者への公的医療の拡充では、メディケア・フォー・オールには及ばず、保育・公立大学無償化案も年収制限を設けた。選挙に勝つための左傾化と政権の左傾化を区別したい本音がここに透けている。
だが、リベラル派の実力者は、新大統領がTPPと同様の貿易協定を再び推進すれば労組をはじめプログレッシブ連合が政権に圧力をかける、としている。大統領選挙の結果にかかわらず、サンダースの民主党エスタブリッシュメントへの「貸し」の影響も軽視はできないだろう。
(了)
1 1970年にテキサスの州地方裁判所でおきた人工妊娠中絶をめぐる訴訟・裁判。米国内での大きな議論を生んだ。それまで人工妊娠中絶については極めて厳しい法規制が存在した米国で、条件付きではあるが人工妊娠中絶を初めて容認する判決が下され、1973年に連邦最高裁判所もこの判決を支持した。
2 渡辺将人「『プロチョイス・カトリック』のバイデン」(SPFアメリカ現状モニター、2020年6月19日)
<https://www.spf.org/jpus-insights/spf-america-monitor/spf-america-monitor-document-detail_66.html>(2020年10月13日参照)
3 「リンカン・プロジェクト」ウェブサイト: <https://lincolnproject.us>(2020年10月13日参照)
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