最強の候補、ジョー・バイデン?

中山 俊宏
民主党は2020年の大統領候補として30人近くいた候補の中から、ジョー・バイデン前副大統領を大統領候補として選んだ。その30人の中には、女性候補、アフリカ系候補、ヒスパニック系候補、ゲイで同性婚をしている候補、アジア系候補、そして複数の30代の候補、そして社会主義者を自称する候補さえいたことは周知の通りだ。最終的に、よりによって80歳に手が届こうとする職業政治家の白人男性を民主党は選出した。民主党が、ますます多文化主義を内に取り込み、アメリカの明日の姿を象徴しようとする政党に変容しようとしているなか、バイデンは、そうした方向性との関連では、なにものも象徴していない政治家だといっても過言ではない。それは、純粋型の反トランプというアバターであり、やや極端なことをいえば、バイデンの役割は11月3日にトランプをホワイトハウスから追い出した時点で終わり、レイムダックが始まるという厳しい見方もできる。
では、よりによってなぜ民主党はバイデンを選んだのか。バイデンを選ばなければ、民主的社会主義者を名乗るサンダースの躍進を止めることが難しくなっていたことが、もちろん、最大の理由だ。しかし、その結果、支持率ではトランプを安定的に引き離しつつも、候補に対する熱狂度(enthusiasm)でいえば、トランプに大きく水をあけられている。トランプは、すでに数々のニックネームを考案し、バイデンに対する果敢な攻撃を始めている。
ジョー・バイデンは1973年に齢30で上院議員に当選、以来、ずっとワシントンのインサイダーだ。しかし、36年にもおよぶ上院議員としての活動にもかかわらず、強く印象に残る成果があるかといえば、はなはだあやしい。たしかに上院司法委員会の委員長や外交委員会の委員長として、公聴会で派手に太刀振る舞ったことはあるが、地道に粘り強く法案を通していくタイプではない。50年近く上院議員を務めたテッド・ケネディなどに比べると、その上院議員として成果は限定的である。ケネディ上院議員は、知名度こそ兄のJFKには及ばないが、アメリカに及ぼした影響という点でいうと、兄を遥かに超えるともいわれる。バイデンにはそうした実績はない。副大統領としても、特段記憶に残る仕事はない。20歳近く歳が離れた「セレブ大統領」の前で存在が霞んでしまっても、それはバイデンの責任ではないだろう。
バイデンといえば、真っ先に思い浮かぶのが、失言である。ウィキペディアのエントリーには、「gaffes(へま、失言)」という項目があるほどである。印象としては、「いつも一言多い困った親戚のおじさん」といったイメージだ。そのため、「弄(いじ)られキャラ」でもあり、パロディー・ニュースのサイト、Onion.comでも頻繁に取り上げられている。少し前になるが、70年代の典型的なやりすぎのスポーツカーであるポンティアック・トランザムの横で、上半身裸の姿で洗車をするバイデンの加工画像が話題になったりした。ただ、こうして弄られてしまうのも、嫌われているからというよりも、馬鹿にされつつも、愛されているからという感じだ。ポニーテール姿のバイデンの加工画像も同様に話題になった。これらの画像を是非ご覧いただきたい。「やりすぎの困ったおじさん」感がよく伝わってくる。
つまり、バイデンの特徴は、政治家として際立った実績があるというよりも、とにかく誰からも嫌われない、敵をつくらないということがあげられる。それは、ある意味、バイデンが上院議員として育った時期がまだ党派を超えた「collegiality (仲間意識)」が存在していた時期であり、こうした特徴がバイデンの政治家としての「体質」だともいえよう。そうだとすると、実はバイデンは、対トランプということに限っていえば極めて有効な候補かもしれない、ということが言えるかもしれない。どういうことか。
いまアメリカは二極分化しているといわれるが、現在の二極分化の特徴はそれが「否定的党派性(negative partisanship)」によって規定されている点だとしばしば指摘される。否定的党派性は、「Aをいいと思うからAを支持する」のではなく、「Bが嫌いだからAを支持する」という政治的心性のことを指す。トランプは、こうした政治環境の中では、水を得た魚のように威力を発揮する。2016年の共和党予備選挙を振り返ると、ジェブ・ブッシュ、マルコ・ルビオ上院議員、テッド・クルーズ上院議員に、それぞれの特徴を見事に「小バカ」にしたあだ名をつけ、文字通り潰して行った。自分への支持を取りつけるよりも相手を潰すことがトランプのやり方だ。ブッシュは「低エネルギー(low energy)」と形容され、ルビオは「チビ(little Marco)」、クルーズは「嘘つき(lyin’Ted)」呼ばわりされた。ヒラリーも「ひん曲がったヒラリー(crooked Hillary)」と呼ばれ、そのイメージを大分傷つけられた。ヒラリーは、アメリカの政治家の中でも最も好き嫌いがはっきりと分かれる人物だ。そんなヒラリーは、トランプからしてみると非常に戦いやすい相手だっただろう。とにかくヒラリーに対する負の感情を煽る。それがトランプの戦い方だった。
しかし、バイデンに対して、それができるだろうか。いまは選挙も近づき、バイデンがいかに「極左(radical left)」に振り回される問題ある人物か、ということを共和党はとにかくしきりに打ち出そうとしている。たしかにトランプ支持者のあいだでバイデンの評価は低いが、そんな彼らでもバイデンに対して嫌悪感を抱いているかといえば、そういうことはないだろう。「バイデンを憎む」という文章は形容矛盾のようで、意味をなさないといっても過言ではない。オバマ政権の国防長官でもあったボブ・ゲーツが自身のメモワールの中で、バイデンは過去40年間、重要な外交安全保障問題についてほぼ一貫して間違った判断を下してきた、と厳しい評価をしている。しかし、そのゲーツは、同じページで、バイデンは人として極めてまともで、自分に何かあれば、真っ先に駆けつけてくれるタイプの人だと称賛している。バイデンの強みはこういうところにあるのだろう。
つい先日、トランプのキャンペーン・ラリーで、バイデンのあだ名について二つ提案するからどちらがいいか歓声で答えてくれ、という場面があった。トランプが、「スロー・ジョー」と定番の「スロッピー・ジョー」の二つを発言すると、後者に対しての歓声の方がやや大きかった。本選挙のこの段階で、こうしたことをやっているのは、バイデン相手には、どうもトランプお得意のパターンに持ち込めていないという感覚があるからではないか。
冒頭で述べたとおり、民主党はサンダースの躍進をなんとしても防がなければならないという状況の中で、かろうじてバイデンを選んだに過ぎない。そこには明確な対トランプ戦略があったわけではないだろう。しかし、民主党は期せずして、対トランプという点に関しては、「最強の候補」を選んだということになるのかもしれない。だた、そうしたバイデンの特徴が、大統領としての資質として優れているのかといえば、それはまた別の話である。
(了)