ギンズバーグ連邦最高裁判所判事死去がアメリカ政治に及ぼす影響
西山 隆行
リベラルや進歩派にとって文化的・政治的アイコンであるルース・ベイダー・ギンズバーグ連邦最高裁判所判事が2020年9月18日に死亡し、ドナルド・トランプ大統領がその後任として保守派のエイミー・コニー・バレットを指名した事は、2020年の選挙の様相を一変させた。
日本では、裁判所は中立の立場から正義を実現する場という認識が強い。だが、アメリカの裁判所は政治的な役割を果たすことが多い。そして、判事は自らを任命した大統領の所属政党の立場と近い判決を下すことが多い。連邦裁判所判事が就任するには、大統領の指名後、議会上院の承認を得る必要があるが、もしバレットが就任することになれば、9名からなる連邦最高裁の構成は、保守派が6名、リベラル派が3名となり、保守派の優位が確立する1。
ギンズバーグは、大統領選挙と連邦議会選挙が実施される日の46日前で、4州で期日前投票が開始された日に亡くなった。アメリカ史上、それよりも選挙に近い日に連邦最高裁判事が死亡したのは2例しかない2。それらの承認手続きは12月と3月に実施されたものの、ともに現職大統領が再選を果たしたこともあり、結果的に大問題にはならなかった。だが、2020年大統領選挙はどちらが勝つか予断を許さない状況にある。そして、ハリー・トルーマン政権以後、連邦最高裁判所判事の承認にかかる日数は平均して50日を要している。連邦議会上院の共和党院内総務であるミッチ・マコーネルは、バレットの承認手続きを速やかに行うと宣言しているが、物議をかもすことは間違いないだろう。
今回の承認手続きが民主党からの反発を招く一つの理由は、マコーネルが4年前とは異なる判断をしていることによる。前回の大統領選挙年である2016年は、2月に保守派のアントニン・スカリア連邦最高裁判事が死亡した。それを受けて、当時のバラク・オバマ大統領は3月にメリック・ガーランドを後任に指名したが、マコーネルは選挙年に死亡した判事の後任指名は大統領選挙で勝利した人物が行うべきだとして、上院で審議すら行わなかった。その結果、多くの予想に反して勝利したトランプ大統領が2017年2月にニール・ゴーサッチを指名し議会上院が承認するまで、長期にわたり連邦最高裁に欠員が生じる事態となった。この前例を考えれば、今回も新大統領が後任指名をするべきだというのが民主党の立場であり、世論調査でも6割近くがその主張に賛同している3。
アメリカでは人工妊娠中絶や同性婚、銃規制など、様々な社会的争点が連邦裁判所によって判断されている。保守派の優位が固まれば、人工妊娠中絶を行う権利を認めた1973年の判例が覆されたり、銃規制が大幅に緩和されたりするなど、社会の在り方を大きく変える判決が出される可能性がある。連邦裁判所の判事の任期は終身であることもあり、今回48歳のバレットが承認されれば、トランプ政権期に指名された残り二人(就任当時49歳と53歳)と併せて、30年近く連邦最高裁判事であり続ける可能性が高い。保守派の中には、70代に入った他の保守派判事にもトランプ政権下で自ら引退表明させて、若手の保守派判事を大統領に任命させれば、連邦最高裁判所を長期にわたって保守派が支配できると主張する者もいる。今年7月から8月にかけてピュー・リサーチ・センターが行った世論調査によれば、大統領選挙の投票先を決めるうえで最高裁人事が重要と回答した割合は、民主党支持者の61%、共和党支持者の66%に及んでいる(全体では64%)4。
実は、2016年大統領選挙でトランプに勝利をもたらした一つの大きな要因は、連邦最高裁判事任命問題だった。共和党の岩盤支持層である宗教右派は、様々なスキャンダルを抱えるトランプに当初は好意的ではなかった。だが、16年7月にトランプが、大統領就任時に連邦裁判所判事として任命する人物として中絶問題などを重視する保守派の人物から成るリストを公開すると、宗教右派はトランプ支持で結束した5。
他方、リベラル派は保守派と比べるとこの問題についての関心が高くなく、2016年はヒラリー・クリントンの下に結束することはなかった。だが、ギンズバーグ死去の結果、今回の選挙に関しては、保守派、リベラル派共に、連邦最高裁判事任命問題を意識して投票する人が増えるだろう。民主党への献金を集めているアクトブルーに、ギンズバーグ死去が報じられた4時間の間に、2,000万ドルもの献金が集まったことは、リベラル派の中でもこの問題についての関心が急速に高まったことを示唆している。
このように、二大政党ともに支持基盤が連邦最高裁判事任命問題と関連して活気づくため、有権者の動員という点では効果が相殺され、二大政党のいずれに優位に働くということはないかもしれない。だが、連邦最高裁判事任命問題が一大争点となった結果として、コロナ対策や経済問題、人種正義の問題など、トランプにとって不利になる可能性のある争点への注目度は顕著に低下した(ただし、トランプ大統領が新型コロナウイルスに感染して入院したことは、再度人々の目をコロナ問題に向けさせた)。長らく劣勢が伝えられてきたトランプと共和党は、10月中旬に上院司法委員会で公聴会を開き、選挙日(11月3日)の数日前に本会議で承認する案を検討しているとも言われている。トランプと共和党に不利な問題への注目を下げ、保守派有権者の投票率向上につなげたい意向だろう。
また、判事に保守派でカトリックの女性を起用したことは、人口比率が高くなり重要性を増しているカトリック、そして、女性票の獲得にも寄与すると期待しているであろう。今回の選挙の帰趨に影響するといわれる郊外地域に居住する、治安問題に強い関心を示す、保守的傾向の強い女性の支持を期待することができるからである。もともと民主党支持の傾向が強かった若い女性はバイデンへの支持を強める可能性もあるが、それはもともとリベラルな州でのバイデンとトランプの各得票差を拡大させるだけで、選挙結果には直接影響しない可能性もある(ただし後述するように、選挙の正統性の問題には大きな影響を及ぼすだろう)。
なお、民主党の副大統領候補であるカマラ・ハリスは議会上院の司法委員である。選挙日直前まで司法委員会や上院本会議でこの問題について議論することは、ハリスのメディアへの露出が大幅に増える可能性があることを意味する一方で、ハリスが選挙戦に傾注できる資源が減少することも意味する。これが選挙結果にどのような影響を及ぼすかも注目すべき点である。
民主党にしてみれば、ギンズバーグ後任人事を阻止したいのは当然だろう。今回の大統領選挙については、期日前投票や郵便投票をめぐって開票時に混乱が発生し訴訟合戦が展開される可能性がある。バレットが選挙前に承認されると、連邦最高裁の構成が保守派に明らかに優利となってしまうため、承認手続きを選挙後にまで遅らせたいと考えるのは当然だろう。仮にバレットの承認を阻止することができなかったとしても、大統領選挙でバイデンが勝利し、連邦議会選挙でも民主党が勝利して大統領と上院の双方がレイムダックの期間に承認手続きが行われることになれば、今回の最高裁人事の正統性が低いと主張し、以後の対策をとりやすくなる可能性もある。
だが、民主党にバレットの承認手続きを阻止する方法があるかというと、実は難しい。通例、上院での承認プロセスを遅らせる方法として採用されることが多いのはフィリバスター(議事妨害)である。これは、上院議員が発言を始めれば、自ら発言をやめるか議場から退出しない限りは発言を妨げられることがないという上院規則を逆手にとって、長時間演説を続けるというものである。フィリバスターをやめさせるには上院議員100名の中から60名以上の賛成を得る必要があるというのが従来の規則だった。だが、2013年に当時議会上院で多数党であった民主党のハリー・リード院内総務は巡回控訴裁判所判事と連邦地方裁判事の審議について、フィリバスターが行われた際に討論終結動議を単純過半数で出せるように変更した。そして、2016年には、上院で多数派を占めた共和党のマコーネル院内総務は最高裁判事の審議においても討論終結動議を単純過半数で出せるようにした。これらの結果、2016年以降、連邦裁判官人事は多数党が団結すれば成立することになり、フィリバスターは有効性を低下させたのである。
その他の方法としては、予算審議と絡めて政府の一時閉鎖という脅しをかけることで審議を阻止しようという案もあった。だが、ナンシー・ペロシ下院議長ら党指導部はそれに難色を示し、暫定予算は過日成立した。また、アレクサンドリア・オカシオ=コルテス下院議員などは、ウィリアム・バー司法長官の解任動議を提出すれば、上院司法委員会はそちらを優先せざるを得ないので最高裁判事任命を阻止することができるとして、解任動議提出を主張している。民主党指導部はそれを表立っては拒否していないものの、この手法も世論の支持を得られるとは考えにくく、実際に取られることはないだろう。共和党の上院議員の中にも今回の承認に反対する人はいるとはいえ、50名を超える上院議員が賛同している以上、民主党がこの人事を阻止するのは極めて困難である。
そこで、民主党側が検討しているのは、今回の選挙でバイデン大統領を誕生させるのみならず、連邦議会上下両院で多数を握り、民主党による統一政府を確立したうえで、連邦最高裁判所改革を立法的に行うことである。例えば、連邦最高裁判所判事の任期を終身ではなくする提案が検討されている。もっとも、連邦裁判所判事の任期は終身と憲法で定められているため、所定の年数を超えた場合には下級審の判事に移動させることを想定しているとされる。とはいえ、この法律によっても短期的に保守派優位の構図を覆すことは不可能である。
そこで、検討されているのが、いわゆるコート・パッキング案である。端的に言えば、連邦最高裁判事の人数を増大させる試みである。連邦最高裁判事の定員は憲法によって定められているわけではなく、法律として決定される。連邦最高裁判所は憲法制定当初は6人の判事で始まったが、それがやがて7名に拡大された。そして、1863年に共和党議会は、エイブラハム・リンカーン大統領が指名できるように判事数を10名に増やしたものの、その数年後にはリンカーン暗殺後に副大統領から昇格したアンドリュー・ジョンソンが指名できないように7名に減らした7。そして、1869年にはユリシーズ・グラント大統領が指名できるように9名に増やした。それ以降、連邦議会も大統領も、連邦最高裁判所判事の人数を変更することなく固定されている。
もっとも、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領は、連邦最高裁がニューディールに違憲判決を出し続けたのを受けて、70歳を超える判事の数と同じ人数を新たに指名できるようにしようとした。その案は議会の支持を得ることもできなかったものの、その過程の中でニューディール容認に立場を変えた判事がいたことにより、コート・パッキングは行われずに終わった8。民主党は、次の議会で、このコート・パッキングを行おうとしているのではないかと噂されているのである。もっともバイデンは、穏健派の有権者の支持獲得を目指して、昨年10月の討論会ではコート・パッキングに消極的な姿勢を示していた。今日でも、彼はコート・パッキングには言及していないものの、民主党の統一政府が確立されればコート・パッキングが現実味を帯びる可能性もある。もっとも、仮にコート・パッキングが実現した場合は大統領が交代するたびに同様の動きが発生する可能性もあり、注意が必要である。
今後、この問題についてどのような動きが起こった場合でも、裁判所を含む統治機構の正統性の問題が争点化されるだろう。
まず、今回の人事が成功した場合、11月に審議されるオバマケアについて違憲判決が出されるかもしれない9。また、人工妊娠中絶を禁止したり大幅に制限することを可能にする判決が出されたり、銃規制が著しく弱められる可能性も高くなるだろう10。このように、連邦最高裁の構成員が変われば判決が顕著に変わってしまうという認識が強まれば、連邦最高裁に対する風当たりも強くなる可能性があるだろう。民主党がコート・パッキングを行った場合には、連邦最高裁の威信はさらに低下するだろう。現在、連邦最高裁判所主席判事のジョン・ロバーツは連邦最高裁判所の威信を確立しようと尽力しているが、このような動きは党派対立を超えた超越した機構と言うイメージを持つ裁判所の正当性を大きく揺るがす可能性がある。
また、今回の人事が成功したら、以後の最高裁の判事は、ジョージ・W・ブッシュとトランプという、ともに当選時に選挙人票では多数を握ったものの一般投票数では敗北した大統領が任命した判事が多数を占めることになる。このような事態になれば、ひょっとすると選挙人団方式という大統領選挙の在り方の正統性についての議論も噴出する可能性があるだろう。
今回のギンズバーグ後任問題は、このような広がりを持つ問題なのである。
(了)
- アメリカの裁判所の政治的性格については、西山隆行『アメリカ政治入門』(東京大学出版会、2018年)、第2章第3節を参照のこと。
- 1864年10月12日にロジャー・トーニーが、1956年10月15日にシャーマン・ミントンが亡くなったのがその二例である。
- マコーネルは、2016年は大統領の所属政党が民主党で、連邦議会上院の多数党が共和党という分割政府の状態だったのに対し、今回はいずれも共和党であることから、この決定を正当化することができると主張している。
- “4. Important issues in the 2020 election,” in the “Election 2020: Voters Are Highly Engaged, but Nearly Half Expect To Have Difficulties Voting,” Pew Research Center, August 13, 2020,
<https://www.pewresearch.org/politics/2020/08/13/important-issues-in-the-2020-election/> accessed on October 5, 2020. - リベラル派でフェミニストのアイコンとなっている人物を保守派判事に変更する機会以上に、共和党支持者や保守派にとって、トランプの下に結集することを正当化する争点はないだろう。トランプと福音派を結びつけたのは司法人事の問題なのであった。実際にトランプは、下級審も含め、多くの連邦裁判所判事をすでに任命している。なお、今回の選挙でもトランプは第二弾の候補者リストを発表しており、その中にはテッド・クルーズ上院議員なども含まれている。社会的に保守であることに加えて、ティーパーティ派でもあるクルーズを入れることにより、リバタリアン系の有権者の支持獲得をも目指しているのかもしれない。2016年大統領選挙については、西山隆行「2016年アメリカ大統領選挙―何故クリントンが敗北し、トランプが勝利したのか」日本選挙学会年報『選挙研究』33-1(2017年)。
- 2020年大統領選挙の関係で、開票状況が争点になった場合、連邦最高裁判所裁判官の構成が、5対3か6対3かにより、結果は大きく変わってくる。ジョン・ロバーツ主席判事は一般には保守と分類されるものの、今年の判決についてはリベラル派と歩みを共にしており、保守派の中には不審に思っている人々もいる。もしロバーツがリベラル側につくと、下級審の判決が有効になるため、下級審の判決が重要な意味を持つ。
- ジョンソンは、奴隷制に批判的とされたリンカーンが1860年大統領選挙で奴隷州からも一定の支持を獲得できるようにするために副大統領にえらばれた人物で、人種問題をめぐってリンカーンと意見を異にしていた。
- 立場を変えた判事がいたことは、コート・パッキングが機能したためだといわれることが多い。だが、近年では、ニューディールを正当化するために政権が用いた根拠が、州際通商条項から支出条項に変更されたことが、重要な意味を持っていたのだという研究も発表されている。その研究については、西山隆行「災害給付とアメリカの福祉国家 MICHELE LANDIS DAUBER, THE SYMPATHETIC STATE: DISASTER RELIEF AND THE ORIGINS OF THE AMERICAN WELFARE STATE, The University of Chicago Press, 2013, pp. xvi + 353」『アメリカ法』2014年2号(2015年)で詳細に検討している。
- その場合にも民主党による統一政府が樹立していれば、民主党はオバマケアよりもさらに急進的な医療保険制度案を通過させようとするだろう。
- 銃規制については、西山隆行「フロリダ銃乱射事件を機に、銃規制は進むのか?」笹川平和財団(SPF)アメリカ現状モニター論考シリーズ(2018年5月15日)、
<https://www.spf.org/jpus-insights/spf-america-monitor/spf-a-m-d-detailpost_1.html>(2020年10月5日 参照)、西山隆行「アメリカの銃規制をめぐる政治」高野清弘・土佐和生・西山隆行編『知的公共圏の復権の試み』(行路社、2016年)。
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