米国におけるアイデンティティ政治
―分極化と混迷の根底にあるもの―

西山 隆行
2024年大統領選挙の共和党候補で、フロリダ州知事であるロン・デサンティスは、批判的人種理論(Critical Race Theory: CRT)批判で注目された。批判的人種理論とは、もともとは1970年代に法学者によって提起されたもので、米国社会の根幹をなす法律や社会制度に人種差別が依然として組み込まれているという考え方である。だが、批判的人種理論が何故米国でこれほど大きな論争を巻き起こしているのかを理解している人は、必ずしも多くないのではないだろうか。実際、批判的人種理論と呼ばれるものには様々なものがある。デサンティスらの批判に対応する形で批判的人種理論を主張する(と称する)論者の中には、大衆受けを狙った政治的主張をしている人もいる。このため、論者や理論そのものに対して疑念の眼差しを向ける人がいるのも不思議ではない。
だが、批判的人種理論に代表される批判理論は、本来は知識人によって提起されたものであり、学術的にも、現実的にも、重要な意味を持っている。批判理論を主張する人と批判する人が、全く位相の違う議論を展開していることも多いのである。
ここで問わなければならないのは、批判理論をめぐる議論が何故かくも感情的な反応を引き起こすかであろう。それは一つには、批判理論がマイノリティのアイデンティティ政治と深く関わっているからである。それと同時に、批判理論は米国のナショナル・アイデンティティをめぐる議論と密接に関わっており、それが共和党の岩盤支持層となりつつある白人労働者層のアイデンティティとも深く関わっているからである。本稿は、批判理論をめぐる論争が激化する理由を、様々なアイデンティティ政治と関連させつつ検討することにしたい。
「契約国家」米国のナショナル・アイデンティティ
カナダの政治学者であり政治家でもあるマイケル・イグナティエフは、ナショナリズムをシヴィック・ナショナリズム(civic nationalism)とエスニック・ナショナリズム(ethnic nationalism)に区別している。エスニック・ナショナリズムとは、言語、宗教、慣習、伝統など歴史に根差す民族性によってネイション(nation)を一つにまとめるものである。他方、シヴィック・ナショナリズムとは、人種、肌の色、言語、民族性などにかかわらず、国家の政治理念を共有する者は全て社会の成員とみなす考え方である1。
米国は建国期以前から一貫して多くの移民を受け入れており、多民族、多宗教であることを特徴としてきた。米国は政治制度や政治理念の共有を基礎とするシヴィック・ナショナリズムの国と位置づけられるのが一般的だ。そこで共有されてきた理念としては、自由、平等、個人主義、民主主義、法の支配などが挙げられ、それらは「アメリカ的信条」と称されてきた。これらの理念の意味を確定するのは容易でなく、相互に矛盾することもあるが、アメリカ的信条を構成する理念はシンボルとして政治的な機能を持ってきた。このような価値観にナショナル・アイデンティティの核を求めなければ、多民族社会である米国は国家としての存立が怪しくなる。米国は、これらの理念をまとめた文章である独立宣言と合衆国憲法をいわば契約文書とした上で成立した契約国家だと考えられてきたのである2。
ナショナリズム研究で知られるベネディクト・アンダーソンも述べるように、国民というのは「想像の共同体」であり、そのアイデンティティは構築されたものである3。そのため、ナショナル・アイデンティティを維持するには、様々な工夫が必要になる。新たに米国民になろうとする人々にナショナル・アイデンティティの基礎となる規範を受け入れてもらうことは非常に重要である。米国において、初等中等教育における公民(シヴィックス)教育の内容について、また、移民の受け入れについて論争が起こるのはそのためである。
米国では、これらの理念を普遍的で、世界の多くの地域で受け入れ可能なものとみなしているため、世界に広めるのが米国の義務だと考える人々がいる。圧政に苦しむ人々のいる地域に自由と民主主義を広めるのは米国の責務であるという信念が、大統領などの有力政治家によって表明され、時に行動に移されてきた。このような他国に対する内政干渉が米国のみに認められるという考え方は「アメリカ例外主義論」と呼ばれ、諸外国に対して米国の卓越性を表明する際に用いられてきた。
アメリカ的信条に基づくナショナル・アイデンティティ理解は、米国政治を理解するための前提とされてきたのである。
契約国家観に抗する批判理論
社会契約に基づく考え方に対しては、様々な批判がありうる。例えば、そもそも社会契約を結んでいない人がいることに留意すべきだという指摘があるだろう。社会契約論は、個人が国家など様々な集団に自発的に参加することを前提としてきた。だが、人間は所属したいか否かにかかわらず集団に所属せざるを得ない場合もある(家族を想起すればわかりやすい)。他の集団によって支配され、吸収された結果として、集団に属さざるを得ない場合もあるだろう(ネイティヴ・アメリカンはこの事例に当たるだろう)。
社会契約を結んだ場合であっても、それが十分に自発的なものではない場合もある。構成員の自発性に基づく契約という社会契約論の基本的前提について、フェミニズム政治学者のキャロル・ぺイトマンは強い批判を行っている4。彼女によれば、弱い個人が奴隷として生きるか、殺されて死ぬかの選択を迫られる場合、奴隷になることを選択せざるを得なくなる。個々人の持つ力に大きな差がある場合、そのような個人間で結ばれた契約は、たとえ自発的に見えたとしても公正ではない。ぺイトマンは同様のことが性的関係にも適用されると指摘している。女性は長らく契約から除外され、市民社会に組み込まれることもなかった。これは、女性に投票権が認められたのが遅かったことからも明らかである。
チャールズ・ウェイド・ミルズは同様の議論を人種に関して展開している5。新たな国家を設立するための契約文書だった合衆国憲法では、当初、黒人には市民権が与えられていなかった。連邦議会下院の議席配分について定める部分で、米国民は「自由人」と「その他の人間」に区別され、「その他の人間」すなわち黒人は5分の3人と数えられてきた。
性差別や人種差別が時間をかけて是正されてきたのは事実だろう。また、あらゆる差別を完全に是正した社会はそもそも存在せず、差別克服を目指して努力してきたのが米国の優れた点だという指摘ももっともである。合衆国憲法のいわゆる「5分の3条項」は、奴隷制維持を主張する勢力と、その廃止あるいは拡大阻止を主張する勢力の間の妥協の産物だったが、南北戦争後に修正された。だが、憲法の規定が修正されたとしても多くの州では差別的慣行が残り、1960年代の権利革命を経ても完全な平等は達成されていない。例えば、タナハシ・コーツのような理論家は、現行制度は依然として白人至上主義を前提としていると主張する6。このような不満は、BLM運動などにおいて頻繁に表明された考え方であり、今日のマイノリティによるアイデンティティ政治の中核にある。
批判理論はリベラリズムの本質的な部分に対する批判を行い、国家というものが白人の男性という支配エリートにとって都合の良いように構築されていると指摘する。このような批判は契約国家として位置付けられてきた米国の基礎を根底から揺さぶる可能性を秘めている。
今日の米国では、建国者たちが奴隷を所有していたことなどを根拠に彼らの銅像を引き倒そうとする動きがあり、それらはキャンセル・カルチャーと呼ばれている。また、米国の一貫した特徴をその人種差別性にあるとみなす観点から、米大陸に初めて黒人奴隷が連れてこられた1619年を米国の起源と見なそうとする1619プロジェクトも、米国における独立宣言と合衆国憲法の重要性を相対化しようとする試みである。
デサンティスら保守派が批判理論に基づいて基礎教育を行うのを批判する背景には、このような事情がある。
白人によるアイデンティティ政治
批判理論に対抗する立場は、今日では「保守」と評されることが多い。だが、「アメリカ的信条」と呼ばれるものは、本来米国民に広く受け入れられていたのであり、保守派のみがその立場を主張していたわけではなかった。リベラル派・左派も社会契約に基づく個人主義的な国家間を当然視していたのであり、批判理論のように人種やジェンダーのような集団を基本単位とする社会理論には否定的だったのである。だが、今日ではアメリカ的信条について言及すれば、批判理論の支持者から保守と呼ばれ、時に糾弾される事態となっている。
ただし、いわゆる保守派と目される人々が、アメリカ的信条をめぐる議論を微妙に変更している場合もある。例えば、文明の衝突論で知られるサミュエル・ハンチントンは、初期の著作『アメリカの政治』で、米国政治はアメリカ的信条という普遍的理念に基づいて構築されており、その理想と現実の制度の間のギャップが米国政府の変動をもたらすという有名な議論を展開していた。そして、アメリカ的信条の構成要素はどのような国にも適用可能であることが当然の前提とされていた7。
だがハンチントンは『アメリカの政治』を刊行してから20年近く経った時点で『分断されるアメリカ』と題する著作を発表し、『アメリカの政治』の議論をいくつか修正している。米国で人口が増大しつつある中南米系がアメリカ的信条を構成する理念を受け入れる意志がないと批判したり、多文化主義理論が米国社会の前提となる規範を否定していると主張したりしたことは、広く知られているかもしれない。それに加えて興味深いのは、ハンチントンがアメリカ的信条の基礎が建国期にピューリタンによって作られたことを強調するようになっていることである8。
ナショナリズム論で知られるアンソニー・スミスは、ネイションにはその元となる共同体であるエトニが存在するということを強調している。スミスがエトニの特徴としてあげるのは、集団の名前、共通の血統神話、歴史の共有、独自の文化の共有、特定の領域との結びつき、エリート間の連帯感の6つである9。『分断されるアメリカ』におけるハンチントンの認識をスミスの用語を用いて説明するならば、米国社会におけるエトニの構成体であり、アメリカ的信条を作り出したピューリタンこそが、米国のナショナル・アイデンティティの根本にあるということになるのかもしれない。
近年、このような考え方を前面に出しているのが、ロンドン大学教授のエリック・カウフマンである。カウフマンは『ホワイトシフト―白人がマイノリティになる日』と題する著作で、西洋諸国において白人の割合が縮小しているという人口動態の変化を踏まえて、近年のポピュリズムと呼ばれる現象は経済とはほとんど関係なく、民族変化に対する白人の不安の高まりから生じたと主張する。白人保守層は生き残りへの不安を感じ、自信を喪失しているため、移民に対する非難を展開するようになっている。これに対して反白人イデオロギーを展開する文化左翼が対峙する形で文化戦争が発生しているという。多様性尊重のイデオロギーを掲げる世界主義者は、リベラリズムの基礎と考えられていた多様性、とりわけ人種、民族、性的指向などの価値を絶対視するようになり、エスニック・マイノリティが自集団の文化を重視することを正当化する。その一方で、白人マジョリティがその民族性やナショナル・アイデンティティに愛着を示すと、人種差別だと糾弾するという。このような状態をカウフマンは「不均衡な多文化主義」と呼んでいる10。
そのような動きに対する反発が、とりわけ保守派の間で強まっているのは不思議ではないといえるだろう。今日の米国を、マイノリティとマジョリティの間で対立が存在するという単純な図式で理解することはできなくなっており、白人の中に大きな亀裂が存在するようになっている。やや単純化して述べれば、民主党を支持する高学歴でリベラル派の白人は米国社会の多様性を称賛し、批判理論にも理解を示す。他方、共和党(とりわけトランプ)を支持する保守的な白人は、白人を中心とする米国像を保持し、批判理論に反発しているのである。
以上、簡単に見てきたように、批判的人種理論が米国で大きな論争を巻き起こしているのは、それがマイノリティや白人のアイデンティティ、そしてナショナル・アイデンティティとも密接に関わっているからである。多民族、多文化社会である米国にとって、このような問題は避けて通ることができない状態となっている。先に紹介したカウフマンは、米国は今後、中南米系やアジア系の一部が白人との混血を通して白人集団に吸収されてマジョリティ集団の一部を構成するようになると予測している。そのようなビジョンが実現するためには、中南米系やアジア系がアメリカ的信条に対評されるマジョリティの価値観を身につけていく必要がある。それと同時に、白人の側も、人口構成の変化に適合して開放的にならなければならない。米国におけるアイデンティティをめぐる分断はずっと続くのか、それとも、時間はかかってもカウフマンが提示するような方向に進むのか。今後の展開に注目する必要があるだろう。
(了)
- マイケル・イグナティエフ(幸田敦子訳)『民族はなぜ殺し合うのか―新ナショナリズム6つの旅』(河出書房新社、1996年)(本文に戻る)
- 西山隆行「アイデンティティ政治がもたらす分断―〈契約国家アメリカ〉のゆくえ」新井誠、友次晋介、横大道聡編『〈分断〉と憲法―法・政治・社会から考える』(弘文堂、2022年)(本文に戻る)
- ベネディクト・アンダーソン(白石隆、白石さや訳)『定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』(書籍工房早山、2007年)(本文に戻る)
- キャロル・ぺイトマン(中村敏子訳)『社会契約と性契約―近代国家はいかに成立したのか』(岩波書店、2017年)(本文に戻る)
- チャールズ・W・ミルズ(杉村昌昭、松田正貴訳)『人種契約』(法政大学出版局、2022年)(本文に戻る)
- タナハシ・コーツ(池田年穂訳)『世界と僕のあいだに』(慶應義塾大学出版会、2017年)(本文に戻る)
- Samuel P. Huntington, American Politics: The Promise of Disharmony, (Cambridge, Mass., and London: Belknap Press of Harvard University Press, 1981).(本文に戻る)
- サミュエル・ハンチントン(鈴木主税訳)『分断されるアメリカ』(集英社、2004年)(本文に戻る)
- アンソニー・スミス(巣山靖司、高城和義他訳)『ネイションとエスニシティ―歴史社会学的考察』(名古屋大学出版会、1999年)(本文に戻る)
- エリック・カウフマン(臼井美子訳)『WHITESHIFT [ホワイトシフト] 白人がマイノリティになる日』(亜紀書房、2023年)(本文に戻る)