エマニュエル駐日大使の人物像:シカゴ政治の文脈から

渡辺 将人
エマニュエル大使の自著と兄の家族回顧録
ラーム・エマニュエル駐日大使には2冊の自著がある。ブッシュ政権2期目の中間選挙年、下院議員時代に出版したThe Plan: Big Ideas for America(2006年8月)は、当時、民主党内で退潮し始めていた中道派(ニューデモクラット)の巻き返しの戦略提言だ。共著者はバイデン大統領の右腕の一人ブルース・リードである。また、シカゴ市長退任後に出版した2冊目The Nation City: Why Mayors Are Now Running the World(2020年2月)は シカゴ愛溢れる都市論にして全米や世界の市長を比較する市長論だ1。
これらの本に日本や中国は出てくるのか。1冊目The PlanではJapanは4ヶ所言及される。日本の経済や技術とりわけ自動車産業を称えている。トヨタ「プリウス」、ホンダ「インサイト」を挙げ、ハイブリットカーでの出遅れに関してデトロイト自動車産業界の経営陣の怠慢を喝破した。Chinaは7ヶ所、うち4ヶ所はインドとセットで新たな競争相手と位置付けられ、中国の高い大学進学率、技術者教育などを例に、アメリカの衰退をアジアの成功に照らして叱咤する。外交安保は対テロ論のみだ。その14年後刊行のThe Nation Cityでは残念ながらJapanやTokyoへの言及がゼロだ。Chinaは2ヶ所だが、いずれも環境汚染という不名誉な例で、北京と上海は水質汚染の街として酷評されている。シカゴの公園運営システムを学ぶため、2018年に北京から視察団が来ていたことも明かす。コペンハーゲンやロンドンなど欧州の都市が好意的に描かれる。2冊を貫く関心事は代替エネルギーや環境である。
ただ、これらは自伝や回顧録の類ではないので人物像は見えない。大使の実兄が2013年に出した家族回顧録Brothers Emanuel: A Memoir of an American Family2(2013年3月)には実は弟エマニュエルのことが詳細に記されている3。むしろこちらが事実上のエマニュエル伝である。刊行直後からシカゴ政治関係者の間で必携書化し、筆者も愛読書の1つにしていた。以下、本書を紹介してみたい。それに際し、大使を青年時代から知る複数のシカゴ政治のインサイダーにも話を聞き、筆者自身による1990年代末以降のシカゴ政治やクリントン筋・オバマ筋での内部見聞にも照らした。
「プラグマティック・リベラル」:ビジネス界とのパイプ役として
エマニュエルは、クリントン大統領補佐官から上級顧問、連邦下院議員、オバマ大統領首席補佐官、シカゴ市長を歴任している。だが、元々は裏方の政治スタッフだった。アメリカの政治スタッフは政策系と選挙運動系に分かれるが、選挙運動系の中でも専門が細かく違う。彼が実力を発揮した専門は「ファンドレイジング」すなわち政治献金集めで、ビジネス界に奥深く食い込む独特の手腕で頭角を現し、産業界の意向を政治側で受け止める受け皿になった。
彼が最初に選挙に参加したのは20歳の学生時代、1980年地元イリノイ州の連邦下院選だ。反イスラエル的だった共和党現職の追い落としを目指す民主党ユダヤ系の候補者を支援したが、レーガン旋風の強風で一歩及ばなかった。東部の大学卒業後はシカゴに戻り「イリノイ公共アクション」に職を得た。民主党戦略家でコミュニティ・オーガナイザーのロバート・クレーマーが1974年に創設した消費者団体で、当時の上司の一人にのちに連邦下院で2期先輩となるジャン・シャコウスキー(現下院議員)がいた4。
エマニュエルは1982年にディック・ダービン(現上院議員)の下院選、1984年には引き続き地元のポール・サイモンの上院選に参加した。20代は消費者団体の常勤活動家の傍ら、2年ごとに選挙で汗を流す「政治ジャンキー」だった。サイモンのキャンペーンはシカゴ政界人脈の創生地だった。選対本部長は元シカゴ・トリビューン紙記者、後のオバマ大統領顧問のデイビット・アクセルロッドで、陣営幹部にはサイモン上院議員事務所を1988年まで統括したベッティールー・サルツマンがいた。2008年大統領選でオバマをヒラリーの対抗馬に擁立したのが、他ならぬサルツマンや上記のシャコウスキーらユダヤ系シカゴ政界筋であった5。ミシガン湖畔のサルツマン邸のダービン上院議員の献金パーティで、アクセルロッドらがオバマ本人不在のまま決意の杯を交わした。「反ヒラリー候補」であれば誰でもよかったわけではないが、「反ヒラリー」である必要があった。
クリントン夫妻の側近は、ビジネス寄り穏健派(中道派)のビル派とフェミニストで人道介入など「価値」政治を重んじるヒラリー派に分裂し、腹心間の憎悪はリーク合戦にまで発展した。ヒラリー派を、ビル派と左派が共闘で挟み撃ちにするクーデターが、2016年のヒラリー敗北まで民主党政治を支配した「裏闘争」である。その周辺に常にいた人物が他ならぬエマニュエルだ。中道派民主党政治家としての彼の師は二人いる。一人はビル・クリントン。もう一人は元シカゴ市長のリチャード・M・デイリーだ(第54代シカゴ市長。父は48代市長のリチャード・J・デイリー)。1989年にデイリーの市長選の資金集めで活躍し、1992年クリントン陣営に彼の推薦で加わった。
兄のエゼキエルはデイリー市長についてこう記している。
「デイリー(息子)は銃規制、環境、公民権ではリベラルだが、自由企業体制やビッグビジネスの敵ではなかった。実際、彼は企業が求める成長や必要な雇用をシカゴに呼び込もうとしたし、正しいと思えば共和党から知恵を借りることも厭わなかった。その意味ではデイリーはラームが愛好するプラグマティック・リベラルだったのだ」
地元シカゴ市長になることがエマニュエルの政治目標となったのはデイリーの影響で、彼を手本とした。エマニュエル大使の天賦の才に、風を読んで流れに乗るセンスがある。筆者が20年強前にシカゴ政治に関わり始めた頃から、同氏の辣腕は畏れられていたが、異様な勘の鋭さも当時から折り紙付きだった。「無名のアーカンソー州のやつがどうやって大統領になれるのだ?」とエマニュエルの父がクリントン陣営への参加に強く反対したと兄のエゼキエルは家族自伝で回顧し、こう述べる。「ラームにはクリントン陣営に参加することがそんなに悪い考えだと思えなかった。世論調査は芳しくなかったが、クリントンが最もカリスマ性のある候補者だと彼は見抜いていたのだ」。実際、資金面では対抗馬のソンガス上院議員の4分の1の残高しかなかったクリントンは、人物的な魅力でみるみるうちに巻き返した。兄は次のように総括する。
「ラームは才能豊かで議員に値する人物を応援したい情熱と、選挙に勝利できる現実的な力を天秤にかけることを重要視していた。愛する候補が勝利には前途多難であることは往々にしてある。他方で、憎悪する候補が、党が議席を獲得する上で勝算がある場合もある。もし党の目的が下院多数派獲得であれば、勝てる候補なら誰でも応援しなくてはいけないし、勝ち目がない候補は切り捨てる必要がある。一切のセンチメンタルな感情を排除して(all without sentimentality)」
ここにエマニュエルイズムが完成した。感情に支配されない。勝ち馬に乗る。その予想の正しさはエマニュエルの成功がエビデンスである。「私が支援することに決めた候補ですよ」。これだけで殺し文句だ。政界の資金集めは将来への投資への呼び込みであり、候補者の得意先への営業であるが、真実味が鍵になる。戦歴と勝者を選ぶスタンスが、献金筋の信頼を獲得した。
だからこそ2008年民主党大統領予備選の彼の決断に事情通はざわめいたのだ。「ラームがヒラリーを支持しない」と筆者がシカゴから第一報を聞いた時、恩人のクリントンを裏切ってまでの決断に、オバマへの流れを実感した。エマニュエルは表ではオバマ支持も控え、あくまで中立を装った。しかし、クリントン夫妻を支持しないのはオバマ支持と同義だ。オバマにあからさまに乗り換えない手法をむしろオバマは評価したという。歯の浮くような世辞で親分をころころ変える人間よりも、党内力学を読み、静かに勝ち馬に乗る巧みさは、洗練された慎重さで表現されるからだ。
オバマ政権でも、医療保険改革では、当初、小規模案での現実的改革を主張していた。しかし、オバマやペローシの野心的な方針が揺らがないと見るや、抵抗せずに、実現に先頭で尽くした。左派は皆「ラームはよくやってくれた」と口を揃える。本人はビジネス寄りの中道派なのに、なぜ左派が揃ってエマニュエルを高く評価してきたのかは、このイデオロギーを超越した柔軟なプラグマティズムにある。
駐日大使の系譜とバイデン大統領との関係性
アメリカの駐日大使の資質は概ね4つに分けられる。一つ目は、大使の大統領へのアクセス。二つ目は議会内、党内での発言力。三つ目はビジネス界や非政界とのパイプで、四つ目は、赴任する国の知識や現地への浸透度だ。
職業外交官のアマコストを除けば、戦後の駐日大使は概ね「4」と「2」の資質が支配的だった6。「4」資質の典型はライシャワーに象徴される赴任国の言語や社会に精通する地域専門家だ。文化的に異質な国との関係の土台作りには力を発揮する。「2」の資質は、元上院院内総務のマンスフィールド、元副大統領のモンデール、元下院議長のフォーリー、元上院院内総務のベーカーなど、大統領や議会が一目おく重鎮で、日本の存在感底上げに貢献した。その後、「1」と「3」の資質のハイブリッドとして、大統領との個人的な親しさでは群を抜いていたシーファー、また献金筋のルースなどビジネス界からの参入を経て、特別な「1」資質のケネディ大使も誕生した。
重要なのは大統領に直接電話をかけられる「1」の資質だが、大統領や政界が耳を傾けるだけの「2」の資質、政界以外にアイデアを実現させる「3」の資質がなければ脆弱だ。ケネディ大使はケネディ家の威光が凄まじかったが、大統領の友人でも政治家でもない7。エマニュエルは「1」から「3」までの全資質を揃えている。欠けているのは「4」だが、日本についての余計な先入観が無いとも言え、インプットのチャンスと見ることもできる。考え方次第だろう。
バイデンはこのエマニュエルの資質を知り尽くして指名している。ビジネス界が彼を信頼して政治家に大口献金を決める思考のメカニズムを辿ると、この新種の類型の大使の潜在力が透ける。単なる「近さ」は決定打にならない(無論、深夜の電話が困難な「遠さ」では論外)。政治セレブや親友の電話には大統領も出るが、政策の採用は別だ。「この大使の進言なら」と、インナーサークルも納得させる必要がある。選挙敗北者や長老の功労就任ではなく、現役で辣腕をふるえる人物が就任したことは日本重視の証ではあろう。エマニュエルは議会幹部各派に長年の貸し借りがあり幅広く顔が利く上に、ビジネス界の膨大な名簿を抱えている。
バイデンがエマニュエルの実力を見染めたのは、クリントン政権時の1994年に上院司法委員長としてバイデンが通した犯罪法案の立法過程だった。犯罪法自体は投獄者を増加させたとしてのちに批判対象となり、2020年大統領選挙でもバイデンは部分的に誤りだったことを認めた。バイデンにとって女性を敵にしたアニタ・ヒル事件と同様、「忘れたい実績」だ。この法案のホワイトハウス側の窓口がエマニュエルだった。右派の支持を得るために法案に修正を加えるクリントン政権の策にはバイデンは激怒したが、法案協力でクリントンに頭を下げさせるなどバイデンの面子を第一に考える根回しは評価された。
2009年にオバマ政権で、副大統領と首席補佐官として両者は再会する。大統領に最も近い首席補佐官と閑職の副大統領には確執が生まれやすい。だが、バイデンはブッシュ政権でのチェイニーほどの力を持たなかったので、エマニュエルと正面から衝突することはなかった。また、オバマの側近チームで閉ざされた秘密主義を貫いていたアクセルロッド上級顧問、ギブス報道官、ジャレット上級顧問らから疎外され、ライアン・グリムの表現では「敬意をもって無視されていた」8バイデンがオバマに繋がるパイプとして依存したのが旧知のエマニュエルだった。彼がホワイトハウスを離れた後のバイデンとのパイプ役はThe Plan共著者でビル派の盟友ブルース・リードだ。リードは副大統領首席補佐官、大統領副首席補佐官を歴任し、バイデン側近4人衆9の一人である。エマニュエルはリードを介してバイデンと繋がってきた。
ビジネスと人権:対中政策に関係する指標的な要素?
今回の駐日大使承認が難航した背景には民主党左派、それもオカシオ=コルテスら「ウォーク・レフト」ら最左派と黒人の反対があった。
政治活動の礎になる経済力について極めて現実的でもあったエマニュエルは、1998年にクリントン政権を離れた後、2002年の連邦下院当選前、「経済力をつける」と宣言してビジネス界に転身した。投資銀行ワッサースタイン・ペレラで2年間に1,600万ドルを稼いだと報じられた。華麗な成功だが、社会主義的な価値観が若年層に浸透する左傾化した現在の民主党内では投資銀行歴はマイナスで、当時の主要取引が原子力発電に関するものだったことも微妙な印象を残した10。
経済的には自由貿易派で、クリントン政権ではNAFTA推進に努め、オバマ政権が取り組んだTPPにも賛成していた。対中政策では安保面でタカ派的な姿勢を予測する向きもある一方、常にビジネス界寄りの立場をとってきたことから、中国との経済的な関係を重視してバランスをとる可能性も指摘される。シカゴ市長時代は中国企業との関係を強化したことで保守派に批判を浴びたこともある。だが、政治家エマニュエルはシカゴの雇用や利益を増すためには何でもする原則を維持したに過ぎない。デイリー市長の教えだ。
2014年、米中閣僚級の通商会議の合同商業貿易委員会が、シカゴ財界の重鎮でオバマを財政的に育てたプリツカー商務長官の意向でシカゴ開催となり、中国からは汪洋副首相ら大規模な代表団が訪問した。シカゴは当時すでに60を超える中国企業を受け入れ、シカゴ経済浮揚のために一層の投資を望んでいた11。それに先立つ2013年にはシカゴ産業界の拠出でエマニュエル市長は訪中し、中国の複数の都市と経済提携を結び、北京で清華大学の学生対話も予定に組み込まれた12。今回の大使承認に絡んで、案の定、保守系メディアがこの件を蒸し返した13。
ただ、2010年代半ば以降が対中認識の変化期だったことを中山俊宏教授も指摘している14。拙稿でも言及したが15、この時期はまだ厳しい対中政策への転換前夜であった。また、雇用確保や国際提携は自治体の長の優先的任務だ。清華大学は地元シカゴ大学と大規模な学術提携を結び、共同リサーチセンターも運営している。つまり逆に言えば、米中関係の文脈が変化した現在、外交安保・サイバー・人権などに幅広く政権の立場を代弁する大使としては、シカゴ市長時代とはまた別の行動指針になる。
家族回顧録Emmanuel Brothersを読めば一目瞭然だが、エマニュエル家はシカゴのユダヤ系の一家としての強いアイデンティティを持っている。医師の父はイスラエル建国の地下活動に関与した。エマニュエルの意外な外交成果に、1993年のイスラエルとパレスチナの合意に際して、外交チャンネルとは別に根回しをした事例がある。アラファト議長とラビン首相の仲介をしたビル・クリントンのお膳立てをした。イスラエルの陸軍基地で民間人ボランティアとして働いた経験もあるパイプが存分に活かされた16。
市長時代に黒人市民の間で評判を落としたのは、警察による黒人射殺事件で警察のカメラ映像開示が迅速ではなかったことが批判されたからだ。しかし、キング牧師を尊敬して育った世代として、またシカゴのユダヤ系として、人権意識は強い。母親はかつて公民権運動家だった。デモで警察に逮捕されて留置所で一夜を明かす母の人権魂を家族の誇りとして兄は自伝に描いている。そういう家庭でエマニュエルは育った。
関連で付言すれば、今般の新疆ウイグル自治区の人権問題への米議会や米メディアの強い関心は、ウイグル人が目隠しで列車に乗せられているように見える空撮映像の拡散も無関係ではない、と米外交筋は語る。収容所的施設はそもそもホロコーストを想起させるが、同映像はその文脈での連想的含意を増強した。ルビオ的な共和党反共派と、ペローシ下院議長率いる民主党人権派の超党派で北京五輪外交ボイコットが生じる中、経済とはまた別の力学も小さくない。エマニュエル大使の中国への厳しい見解はバイデン政権の意向を忠実に反映したものだが、人権問題への対応も注視していく必要がある。
タフネゴシエーターにして舞台芸術家
「非常にエネルギーに満ちたアクティブな人物」「頭脳派で執念深く狙いを定めたら離さない粘り強さ」が政界で共通しているエマニュエル評だが、あるシカゴ民主党の重鎮は「ハードワーカーなので、おそらく日本中を駆けずり回るだろう」と予測する17。他方、合理主義者でもあり、具体的なゴールを示し、それがアメリカにも、大使自身にも、日本にも利益がある場合、ウィンウィンの提案に乗るだろうとも示唆する。タフネゴシエーターで敵に回すと厄介で、日米で立場に温度差がある問題では手強い相手になる。
「ランボー」の異名で攻撃的な言葉遣いなど口の悪さも喧伝されてきたため、シカゴ政界のインサイダーたちは、日本のような国に彼を送り込む判断が一番驚きだと口々にジョークを言う。曰く、「アメリカでの日本の印象は非常に落ち着いて礼儀を重んじる国。ラームと正反対だ」。
駐日大使指名に意外感があったのは、運輸長官が当初有力視されていたことも関係している。エマニュエルはエネルギーや交通インフラを主要政治アジェンダにしてきた18。コロナ禍で停滞中だがグローバルハブとしてのオヘア国際空港と鉄道網の近代化はシカゴの懸案で、ダービン上院議員などシカゴ政界が望む人事でもあった19。しかし、オカシオ=コルテスら左派と黒人議員団の反発の根深さを憂慮したバイデン周辺が、承認に時間稼ぎができる大使指名に切り替えたとの見方もある。いずれにせよ、エマニュエルは駐日大使の座を射止めた。62歳のエマニュエル大使には政治キャリアの「先」もある。同い年のハガティ前大使は連邦上院議員になった。駐日大使を最後のポストと考えていないならば、日本で「成果」を出したがっているはずだ。
エマニュエルは高校時代にはクラシックバレエにのめり込み、シカゴ郊外のエバンストンのスタジオに通い詰めた。「ジュリアード音楽院に進学できたのではと噂されていた」(学生時代から同氏を知るシカゴ政界の関係者)ほどで、パフォーミングアートに優れていた芸術肌の若者だった。「情熱を持って強く打ち込むことで成功を評価してもらえる。おそらくダンスはラームにとって初めて経験するそういうものだった」と、兄は自伝で回顧する。大学は兄の強い薦めで東部リベラルアーツ大学のサラ・ローレンス・カレッジを選んだが、ここは舞台芸術で著名な人材を輩出している名門校でもあった。シカゴから来たタフネゴシエーターが、東アジアでどんな「ダンス」を踊るのか注目される。
(了)
- 2冊の書誌情報は以下:Rahm Emanuel and Bruce Reed, The Plan: Big Ideas for America (New York: Public Affairs, 2006)
Rahm Emanuel, The Nation City: Why Mayors Are Now Running the World (New York: Knopf, 2020) (本文に戻る) - Ezekiel J. Emanuel, Brothers Emanuel: A Memoir of an American Family (New York: Random House, 2013)(本文に戻る)
- 3兄弟の兄エゼキエルは医師で、医療保険改革や新型コロナウイルスに関する政府の政策にも関与している。弟のアリはハリウッドで多数の番組制作に関係するメディア界の重鎮である。(本文に戻る)
- シカゴ政治と筆者の関係については、渡辺将人『アメリカ政治の現場から』(文春新書, 2001)、あるいは以下などを参考。本多カツヒロ「米大統領選挙 加速する『分裂』とオバマの『1つのアメリカ』の行方」WEDGE Infinity、2012年10月25日、<https://wedge.ismedia.jp/articles/-/2307>(2022年2月1日参照)。(本文に戻る)
- 渡辺将人『大統領の条件:アメリカの見えない人種ルールとオバマの前半生』(集英社文庫、2021年)。サルツマン、シャコウスキーらとの筆者インタビューは同書5章、6章。(本文に戻る)
- 渡辺将人「オバマ政権の対日本政策」久保文明編『オバマ政権のアジア戦略』(ウェッジ選書、 2009年)所収、68-115頁。(本文に戻る)
- ただ、ケネディ大使はその独特の威厳を用いてオバマ側近を封じ込める大胆な助言も適宜した。2016年オバマ大統領広島訪問の規模縮小を望んでいたライス補佐官らを制止し、消えかけていた広島平和記念資料館の内部見学を実現させたのはケネディである。広島に飛ぶヘリの機上でオバマへの直接説得を行使した。東京とワシントン間では進言も側近に阻まれるが、大統領に対面で接する来日中はセレブ型大使の声も直に通ることがある。(本文に戻る)
- Ryan Grim, “Rahm Emanuel is pushing for Transportation Secretary Post,” The Intercept, November 18, 2020, <https://theintercept.com/2020/11/17/rahm-emanuel-biden-transportation-secretary/> accessed on January 31, 2022. (本文に戻る)
- 4人衆はロン・クレイン首席補佐官、マイク・ドニロン上級顧問、スティーブ・リチェッティ上級顧問、ブルース・リード副首席補佐官。Michael D. Shear, Katie Rogers, and Annie Karni, ”Beneath Joe Biden’s Folksy Demeanor, a Short Fuse and an Obsession With Details,” The New York Times, Updated October 28, 2021, <https://www.nytimes.com/2021/05/14/us/politics/joe-biden-policy-decisions.html> accessed on January 31, 2022. (本文に戻る)
- Eamon Javers, “How Rahm got rich,” Politico, November 19, 2008, <https://www.politico.com/story/2008/11/how-rahm-got-rich-015760> accessed on January 31, 2022. (本文に戻る)
- World Business Chicago, “The 25th U.S.-China Joint Commission on Commerce and Trade Shines a Light on Investment Opportunities in Chicago,” December 19, 2014 <http://www.worldbusinesschicago.com/the-25th-u-s-china-joint-commission-on-commerce-and-trade-shines-a-light-on-investment-opportunities-in-chicago/> accessed on February 1, 2022. (本文に戻る)
- CBS Chicago, “Emanuel Travels To China To Promote Chicago,” December 22, 2013, <https://chicago.cbslocal.com/2013/12/22/emanuel-travels-to-china-to-promote-chicago/> accessed on January 31, 2022.(関連して以下も参照)
City of Chicago, “Mayor Emanuel Welcomes To Chicago Wang Chao, Vice Minister Of Commerce For The People's Republic Of China,” October 10, 2013, <https://www.chicago.gov/city/en/depts/mayor/press_room/press_releases/2013/october_2013/mayor_emanuel_welcomestochicagowangchaoviceministerofcommercefor.html> (本文に戻る) - Jack Beyrer, “Rahm Emanuel’s China Ties Are ‘Disqualifying’ for Japan Ambassadorship, Hawley Says,” The Washington Free Beacon, May 29, 2021, <https://freebeacon.com/biden-administration/bidens-choice-for-japan-ambassador-championed-chinese-investment-as-mayor/> accessed on January 31, 2022.(本文に戻る)
- 中山俊宏「【解説】見えてきたバイデン外交の輪郭...もう『トランプおやびん』はいない」 FNNプライムオンライン、2021年3月29日、<https://www.fnn.jp/articles/-/161717>(2022年1月31日参照)。(本文に戻る)
- 渡辺将人「オバマにとっての北朝鮮と中国 オバマ回顧録論⑥」SPFアメリカ現状モニター、2021年6月11日、<https://www.spf.org/jpus-insights/spf-america-monitor/spf-america-monitor-document-detail_97.html>(2022年1月31日参照)。(本文に戻る)
- エマニュエルは2006年の自著The Planに「25歳以下のすべてのアメリカ人の若者に3ヶ月の社会奉仕を義務付ける」提案を盛り込んでいたが自身の経験も関係しているかもしれない。(本文に戻る)
- コロナ禍にはピンぼけ発言に聞こえるが、聞き取り時には新型コロナウイルスが鎮静化しかけていた。(本文に戻る)
- Rahm Emanuel, The Nation City: Why Mayors Are Now Running the World (New York : Knopf, 2020). (本文に戻る)
- City of Chicago, “Mayor Emanuel and USDOT Secretary Chao Join Senators Durbin and Duckworth, Reps. Lipinski and Rush and other CREATE Partners to Break Ground on $474 Million Project to Improve Freight and Passenger Rail,” October 1, 2018, <https://www.chicago.gov/city/en/depts/mayor/press_room/press_releases/2018/september/CREATE.html> accessed on January 31, 2022. (本文に戻る)