米国連邦最高裁判決と党派性
西山 隆行
米国は現在、民主党が大統領職と上下両院の多数派を占める統一政府の状態に事実上あるため1、民主党が望む政策を展開して、共和党に対し有利な状況を作り出していてもおかしくない。だが民主党はコロナ対策や銃規制法案などの立法上の成果は出しているものの、むしろ共和党と保守派が求めるアジェンダの方がより実現している、という印象が持たれている。米国史上最多の得票を得て大統領選挙に勝利し、実質的に上下両院を抑えた状態で就任したジョー・バイデン大統領は、ニューディール規模の成果を出すとの意気込みを示していた。だが実際は、ニューディール以後、民主党とリベラル派が築き上げてきた大きな成果のいくつかが、バイデン政権期に否定されてしまっている。
民主党が大きな成果を出すことができない理由としては、党内に多様な立場の議員を抱えて主導権争いが展開されており、団結できていないことがある。米国では政党本部が候補者決定権を持っておらず、候補は選挙区ごとに行われる予備選挙で決定される。その結果、党主流派とは異なる政策的立場をとる人々が当選することがあり、選挙後にも一枚岩となって団結するとは限らない。民主党も2020年大統領選挙の前には打倒トランプを掲げて団結することができたが、大統領職のみならず連邦議会の上下両院を抑えると、主導権争いが先鋭化した。とりわけ、穏健派と左派(経済左派とアイデンティティ重視派に分かれる)が対峙する構図が存在し、それがバイデン政権の足かせとなっている2。
他方、共和党と保守派のアジェンダが実現している最大の理由は、連邦最高裁判所が重要な判決を下しているからである。具体的には、①ニューヨーク州の銃規制法に違憲判決を出したこと、②人工妊娠中絶の権利を保障してきた1973年のロー対ウェイド判決を覆したこと、③環境保護局(EPA)が石炭火力発電所からの温室効果ガス排出量について規制する法的権限を持たない、と判示したことが、とりわけ大きな意味を持っているといえるだろう3。
第一の銃規制については、ニューヨーク州で自己防衛のために公の場で銃を(隠して他人に見えない状態で)携帯するconcealed carryの許可を得るには、実際の必要性かもっともな理由がなければならないと定めた、108年もの歴史を持つ法律が覆された。連邦最高裁判所は、同法が銃の個人的所有権を定める合衆国憲法修正第二条に反するとし、自衛のために人々が銃を携帯することが権利として認められている、と判示している。カリフォルニア、ハワイ、メリーランド、マサチューセッツ、ニュージャージーの5州とコロンビア特別区(ワシントンD.C.)はニューヨークと同様の法律を施行しているため、本判決から直接的な影響を受けると予想されている。
ニューヨーク州では6月に銃規制強化法が成立し、連邦レベルでも共和党から14名の賛同者を得て超党派で銃規制強化法案が可決されようとしていた時に、この判決は下された(実際に同規制強化法案の判決直後に連邦の法案は可決され、バイデン大統領の署名を得て成立した4)。立法部門が銃規制を強化したのは民主党とリベラル派の勝利だが、その方向性に反する判断を連邦最高裁判所が下したことは、明らかに共和党と保守派の勝利だといえよう。
第二の中絶に関しては、望まぬ妊娠をした女性が人工妊娠中絶を行うことをプライバシー権の一環として認めた1973年のロー対ウェイド判決が覆された。ニューディール以後、米国の進歩を体現すると自己規定してきた民主党とリベラル派が中絶の権利を擁護し、共和党と保守派がそれに反対する構図が見られた。人工妊娠中絶については米国民の多くが支持している5。このような中で、共和党と保守派は中絶禁止を重要課題と位置付け、ロー対ウェイド判決破棄を宣言する人物を判事に任命させようと積極的に活動してきた。共和党と保守派が優位に立つ州の政府も、あえてロー対ウェイド判決に反する法律を通過させて争点化するなどしてロー対ウェイド判決破棄を目指してきた。
なお、ロー対ウェイド判決が破棄されたというのは、中絶が完全に禁止されたことを意味するのではない。中絶を容認するか否かの判断を州政府が行うことを可能にしたため、中絶を禁止する州政府が登場するということである。このドブス対ジャクソン判決の結果、26の州で中絶が禁止される可能性がある。本判決を受けてバイデン大統領は、中絶を行った人々の権利を守るための大統領令を出してはいるものの、州政府が基本的な決定権を持つ以上はその効果は限定的である6。今後、中絶をめぐる政治の主戦場は州政府に移ることになる。本判決は、中絶の権利が否定されたという面だけでなく、州政府の権限を拡大しようとする意味でも、保守派に勝利をもたらしたといえよう7。
第三のEPAに関する判決は、行政部門であるEPAは石炭火力発電所からの温室効果ガス排出量について規制する法的権限を持たない、と判断したものである。行政部門が規制をかけるためには、立法部門(議会)による決定か授権が必要というのが判決の趣旨である8。産炭州出身議員の動向などを考えると、議会が立法化や授権に向けて動くとは考えにくく、気候変動対策に取り組むバイデン政権にとって痛手となったといえるだろう。
だが、それ以上にこの判決が重要な意味を持つのは、連邦政府の権限拡大を阻止する意味があったということである。連邦制を採用する米国では連邦政府と州政府の関係が大きな問題となる。建国期以来伝統的には州政府が中心となって諸々の決定を行うべきであり、連邦政府は限定的な役割しか果たすべきでないと考えられてきた。その考え方を大きく変えたのがニューディールだった。連邦政府によるニューディールの社会経済的立法を容認する判決が1930年代に出されて以降、民主党とリベラル派は連邦政府主導で社会変革を行おうとしてきた9。連邦政府の活動に歯止めをかける本判決は、民主党とリベラル派のプロジェクトに大きな制約が課されたことを意味しており、長期的には最も大きな影響を及ぼす可能性がある判決だといえよう。
これら三つの判決はそれぞれ異なる争点を扱っているが、いずれも長い歴史を持つ法律・判例・原則を覆そうと保守派が重視してきたものである。また、政府が活動をするに際しては、憲法や法律に明文化された規定があるかを重視する点でも保守派の意向に合致している10。そして、いずれの判決についても賛成した判事と反対した判事が一致していて、9名から構成されている連邦最高裁の判事のうち、共和党大統領によって指名された保守派判事6名が判決を支持し、民主党大統領によって指名されたリベラル派判事3名が判決に反対している。共和党と保守派は行政部門と立法部門のいずれも抑えてはいない状況下で、司法政治の部門で大きな成果を出したといえるだろう11。
日本では裁判所は不偏不党、公正中立の立場から正義を実現するところという認識が一般的である。もちろん、米国でも司法部門は党派対立から距離を置いて正義を実現するべきだとの認識は強い。だが、判事に欠員が生じた際に、大統領が指名し、連邦議会上院が承認した人物が後任となる、という人事制度が導入されている以上、連邦裁判所がある程度の政治的性格を持っていても不思議ではない。ただし、単に政治的イデオロギーに基づいて裁判官が行動していると考えるのは安直に過ぎ、彼らの依拠する法理論的立場の相違によって異なる結論が導かれていることにも注目する必要がある。法律という社会の安定性を保つ上での基礎となるものについての認識も分かれているというのは、興味深いところだろう。実際、米国の裁判所は現在、文化戦争の主戦場となっていると言っても過言ではない。
司法政治で共和党と保守派が勝利した背景には、数十年に及ぶ保守派の努力がある。ニューディール以後優位を保ってきた民主党とリベラル派に対し、劣勢を自覚していた保守派は大同団結してきた。2016年大統領選挙の際にサンダース派の一部がヒラリー・クリントンを支持するのを拒否したのとは対照的に、保守派は思想的に相容れない場合であってもトランプを支持した。また、共和党と保守派は連邦最高裁での判例変更を導くべく、州レベルの裁判での勝利を着実に積み重ねていった(連邦制を採用する米国では連邦レベルだけでなく州レベルでも裁判所が存在するが、州裁判所の判事については州知事による指名制だけでなく、判事を裁判で選ぶ州も多いため、その政治性はより強い)。この意味で、今年の連邦最高裁判所の判決については、民主党とリベラル派が敗北したという印象が強い。
このような中で、米国内での裁判所に対する支持率が低下している。ロイター/イプソスが6月27日と28日に実施した調査では、最高裁に肯定的な見解を持つ人が43%、否定的な見解を持つ人が57%、うち非常に否定的と回答した人が27%だったが(ちなみに6月6日と7日に行った調査では肯定的な見解が52%、否定的な見解が48%、非常に否定的は14%)、半年前と比べて最高裁に対する認識が悪化したと回答した割合が民主党支持層で60%に上ったことに注目する必要があるだろう(共和党支持層では23%)12。今日の米国では、社会の分断が進んだ結果、自らが支持する政党の大統領が指名した判事の判断は公正なのに対し、他党の大統領が指名した判事の判断は極めて政治的で好ましくない、という認識が国民の間で一般化している。民主政治の基礎を守るとされる公式の制度に対する疑念が強まっている状況は問題だと言わざるをえないだろう。
(了)
- 正確に記せば、100名で構成される連邦議会上院は民主党系と共和党系が半数ずつで分け合っているものの、評決が同数に分かれた場合は上院議長を兼ねている副大統領(民主党のカマラ・ハリス)が票を投じることになっているため、実質的には民主党が優位にあるといえる。(本文に戻る)
- 同様の指摘を2018年に笹川平和財団の論稿で筆者も指摘したが、基本的な構造は変わっていない。西山隆行「2020年大統領選挙に向けて民主党はどうなるのか?」SPFアメリカ現状モニター No. 23、2018年11月12日、<https://www.spf.org/jpus-insights/spf-america-monitor/spf-america-monitor-document-detail_12.html>(2022年7月13日参照)(本文に戻る)
- 2022年に連邦最高裁が出した判決については、①と②が出た段階で筆者も解説文を出している。西山隆行「大胆な判例変更、党派性、民意に反する判決。米国の司法政治の特徴とは?」Yahoo Japan News、2022年6月26日、<https://news.yahoo.co.jp/byline/nishiyamatakayuki/20220626-00302613>(2022年7月13日参照)(本文に戻る)
- 米国で有名な銃規制法としては、1994年に発効したブレイディ法以来のものである。銃の販売に際し若年購入者の身元調査を強化したり、ドメスティック・バイオレンスの前科がある人物への銃販売を制限したりしている。また、自身や他人に危害を加える恐れのある人物から銃を一時的に没収する法律(レッドフラッグ法)を州政府が成立させた場合、その州政府に財政支援する仕組みを整えている。銃の購入許可のない人物に代わっての代理購入の取り締まりや、密売抑制のためにも多額の予算が割り当てられた。学校における治安対策も強化されている。殺傷力が高い銃の購入可能年齢の引き上げや大容量弾倉の禁止は共和党の反発が強く見送られたとはいえ、勢力が拮抗する上院で共和党から14名の賛成者を得て超党派で法案を可決したのは、分極化と二大政党の対立激化を特徴とする近年にあっては画期的である。アメリカの銃規制の難しさについては、西山隆行「フロリダ銃乱射事件を機に、銃規制は進むのか?」SPFアメリカ現状モニター No. 12、2018年5月15日、<https://www.spf.org/jpus-insights/spf-america-monitor/spf-a-m-d-detailpost_1.html>(2022年7月13日参照)、
西山隆行「相次ぐ銃撃事件、なぜ米国では銃規制が進まないのか?」Yahoo Japan News、2022年6月4日、<https://news.yahoo.co.jp/byline/nishiyamatakayuki/20220604-00299229>(2022年7月13日参照)、西山隆行『〈犯罪大国アメリカ〉のいま―分断する社会と銃・薬物・移民』(弘文堂、2021年)(本文に戻る) - ピュー・リサーチ・センターが3月に行った調査でも、61%の人が全て、あるいは大半の事例で中絶を認めるべきだと回答している。Hannah Hartig, “About six-in-ten Americans say abortion should be legal in all or most cases,” Pew Research Center, June 13, 2022, <https://www.pewresearch.org/fact-tank/2022/06/13/about-six-in-ten-americans-say-abortion-should-be-legal-in-all-or-most-cases-2/>, accessed on July 13, 2022.(本文に戻る)
- バイデンは連邦最高裁の判決を「むき出しの政治権力の行使」と批判し、「共和党の過激派と連携する制御不能な最高裁判所が、自由と個人の自律性を奪うのを許してはならない」と述べ、中絶に関連する緊急医療へのアクセスを確実にし、中絶薬や避妊薬、避妊用具の入手を容易にするよう保健福祉省に指示している。また、中絶を受ける患者のプライバシー保護や中絶クリニックなどの安全強化を目指す他、政権の対応を調整するタスクフォースを設立するとしている。民主党左派はバイデン大統領に対し、中絶を禁止する州であっても連邦政府が管理する土地のなかでは中絶手術を行うことを可能にするという大統領令を出すよう求めていたが、バイデンはその要請は拒否した。そもそも大統領令は、大統領が変われば変更される可能性が高いものであることを考えても、この大統領令の効果は限定的だと言わざるを得ないだろう。(本文に戻る)
- トーマス判事は、中絶問題に限らず同性婚などについてもその権利性を否定するべきだとの意見を記している。また、LGBTQなど他のマイノリティ集団は、自分たちに認められてきた権利も続いて否定されるのではないかと懸念している。だが、同じくマイノリティの権利に関する争点でも、それを認める法的な構成が異なれば裁判所の対応は変わってくる。中絶問題はプライバシー権の問題だとされているが、同性婚は平等権の問題として位置付けられている。プライバシー権を問題にしたドブス対ジャクソン判決の構図を同性婚に当てはめるのは困難だろう。実際、法廷意見を書いたアリートらも、他の社会的な権利に安直に適用することは想定していないとしている。なお、法的議論とは別に、同性婚については家族という伝統的な家族形態を重視しようとする試みだという議論もあり、保守派の中には容認する立場を示す人もいる。同性婚については、西山隆行「アメリカ合衆国における同性婚をめぐる政治」(『立教アメリカン・スタディーズ』No. 38、2016年3月)。(本文に戻る)
- 判決文中で、保守派判事が二酸化炭素排出量に上限を設けること自体は賢明かもしれないと指摘していることからもわかるように、連邦最高裁が温暖化問題自体について判断を行ったわけではない。科学的に正しいとされる内容を実現するにも、法的な手続きを経なければならないということである。(本文に戻る)
- 米国政治の基本的特徴については、西山隆行『アメリカ政治入門』(東京大学出版会、2018年)。(本文に戻る)
- 社会は常に変動するため、憲法や法律が制定された時期に想定されていなかった問題に対応するためにも、それらに明確な根拠を持たない活動でもある程度は許容されるべきという考え方を民主党とリベラル派はとってきており、世論もその方針を支持してきたと考えられる。(本文に戻る)
- 米国の司法政治に関しては、西山隆行「ギンズバーグ連邦最高裁判所判事死去がアメリカ政治に及ぼす影響」SPFアメリカ現状モニター No. 75、2020年10月7日、<https://www.spf.org/jpus-insights/spf-america-monitor/spf-america-monitor-document-detail_75.html>(2022年7月13日参照)、西山隆行「米国で黒人女性初の連邦最高裁判事誕生、その意味は?」Yahoo Japan News、2022年4月9日、<https://news.yahoo.co.jp/byline/nishiyamatakayuki/20220409-00290613>(2022年7月13日参照)(本文に戻る)
- Jason Lange, “Americans' approval of Supreme Court drops after abortion decision-Reuters/Ipsos,” Reuters, June 29, 2022, <https://www.reuters.com/world/us/americans-approval-supreme-court-drops-after-abortion-decision-reutersipsos-2022-06-28/>, accessed on July 13, 2022.(本文に戻る)