海洋安全保障情報旬報 2016年8月1日~10日
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8月1日「中国、海南島に大規模漁港開港」(The NewsLens.com, August 2, 2016)
中国は8月1日、海南島三亜近郊の崖州湾に大規模漁港を正式に開港した。この崖州湾中央漁港は、三亜西方約50キロに位置し、海南島で最大の漁港であり、南沙諸島に最も近く、2015年4月から部分的に開港されていた。同港は、長さ1,063メートルの11本の埠頭を有し、800隻の漁船団の停泊が可能である。海南省当局は、将来的には最大2,000隻が利用可能な規模に拡張されることを望んでいる。5月15日に、三亜港を根拠地にしていた漁船に対して、同港への移転が命じられた。省当局の計画によれば、三亜港を拠点とする468隻の漁船と、それ以外の約1,000隻の漁船、66隻の冷凍船と母船が同港に移転することになっている。同港は西沙諸島から約260キロの位置にあり、三亜市の章華忠遠洋漁業局長は、「南シナ海における中国の漁業権を護る上で極めて重要な存在である」と強調した。
記事参照:
China Opens Large Fishing Port to 'Safeguard' South China Sea Claims
8月2日「南シナ海仲裁裁判所裁定、挑戦と機会―豪専門家論評」(The Strategist, August 2, 2016)
The Australian National Centre for Ocean Resources and Security (ANCORS) 専門研究員兼S.ラジャラタナム国際関係学院 (RSIS) 顧問Sam Batemanは、The Australia Strategic Policy InstituteのWeb誌、The Strategistに8月2日付で、 "The South China Sea arbitration: challenges and opportunities"と題する論説を掲載し、今回の南シナ海仲裁裁判所の裁定を中国とASEANの対話促進の機会にすべきであるとして、要旨以下のように述べている。
(1)南シナ海仲裁裁判所の裁定は「ゲームチェンジャー」あるいは「中国に対する痛烈な一撃」などと評されるが、この裁定は新たな挑戦と機会を提示した。裁定について先ず指摘したいのは、その重要性が過大評価されていることである。この裁定は、常設仲裁裁判所 (The Permanent Court of Arbitration: PCA) によるものではなく、国連海洋法条約 (UNCLOS) 加盟国間の紛争解決について規定した、UNCLOS付属書VIIに基づいて設置された仲裁裁判所によるものである。PCAは、仲裁裁判のための事務局的支援を提供しただけである。裁定は関係当事国のみに対して拘束力を持つ。この裁定は、国際司法裁判所 (ICJ) や国際海洋法裁判所 (ITLOS) などの国連による国際法廷の判決と同じ位置づけではない。より上位の国際法廷はより多くの判事が関わり、その判決の政治的重要性に非常に鋭敏であり、従って、特に「島」と「岩」に関してもっと微妙な判決を下したかもしれない。中国がこの裁定を受け入れるとは、誰も期待していない。判決に敗れた大国が、それを無視するのは大国の伝統的な慣行である。
(2)驚かされたのは、南沙諸島にはEEZや大陸棚を設定できる「全ての海洋権限を有する」島はないとする裁定であった。この裁定は重要な意味を持つ。オーストラリア、フランス、日本及びアメリカなど、遠隔の海洋に小さな海洋地勢を領有する他の諸国にとって、この裁定は挑戦となる。日本は既に、沖ノ鳥島についてEEZと大陸棚の延伸を主張しており、岩ではなく真の島であることを再確認した。その際、日本は、今回の裁定が中国とフィリピンだけに適用されるものであると強調した。EEZに関する裁定の重要性が提起する挑戦は、南シナ海沿岸国の自国のEEZに対する国民感情を刺激するであろうということである。これら沿岸国は、南シナ海とそこにおける活動の共同管理の義務に従うよりも、むしろ自国の管轄海域に対する主権的権利を一方的に主張することに力を入れるようになるかもしれない。UNCLOS第9部の規定の下、協力は半閉鎖海沿岸諸国の義務である。今回の裁定によって、EEZにおける主権的権利の主張は執拗なものになるかもしれず、このことは効果的な協力を阻害することになろう。
(3)現時点では、南シナ海で海洋境界について合意に至った海域は少ない。大陸棚の境界画定については確定している海域もあるが、EEZの境界画定についてはほとんどない。南沙諸島には「岩」のみが存在するとの裁定は、論理的には南シナ海の海洋境界画定システムの基礎となり、従って、南シナ海には領海を有する多数の点在する岩と、中央部に一部はベトナムとフィリピンが主張する大陸棚外縁と重複するものの公海が出現することになる。南シナ海における将来の海洋境界画定協定は、この地域の地理と、2国間の境界画定協定が重複する海域では3国間協議が必要なことから、極めて複雑なものになろう。更に、西沙諸島と東沙諸島にある島嶼は南沙諸島の海洋地勢より大きく、「全ての海洋権限を有する」島と見なされる基準を満たしている。
(4)裁定の肯定的な面としては、特に関係当事国間の交渉の基礎を提示したことである。建設的な対話が求められるが、交渉の重点は、科学調査、漁業管理、海洋環境の保護、海洋法令の執行、捜索・救難といった、諸活動における協力に置かれるべきであろう。こうした協力については、南シナ海に関する最近の論議では忘れられていた。この裁定は、中国とASEANに対して、こうした協力について対話する舞台を与えたといえよう。
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"The South China Sea arbitration: challenges and opportunities"
8月2日「中国最高人民法院、中国の管轄海域における司法権行使規則を公布」(Shanghai Daily.com, August 2, 2016)
(1)中国最高人民法院は8月2日、領海等に対する中国の管轄権を明確にするための法的解釈に関する規則を公布した。人民法院の声明によれば、この規則は中国が海洋秩序、海洋の安全及び利益を護るとともに、自国の管轄海域に対する統合管理を実施するための明確な法的基盤となるものである。この規則は、中国の管轄海域において中国人民あるいは外国人が違法操業をしたり、絶滅危惧種生物を捕獲したりすれば、刑事責任を追及されるとしている。人民法院のある当局者は、「司法権は、国家主権の重要な構成要素である」、「人民法院は、中国の領海等に対する管轄権を積極的に行使し、合法的な海洋管理任務を遂行する行政諸機関を支援し、関係する中国人と外国人の法的権利を等しく保護し、そして中国の領土主権と海洋利益を保護する」と述べた。
(2)この規則によれば、中国の管轄海域には、内水と領海に加えて、接続水域、EEZ及び大陸棚が含まれる。この規則はまた、調印された協定に従って中国と他国の共同管理下にある操業海域あるいは公海において操業する、中国人や組織に対しても適用される。この規則は、不法操業に対する罰則についても規定している。それによれば、中国の領海等に不法に侵入し、退去を拒否する者、あるいは過去1年の間に退去させられたり、罰金を科されたりした者が再び不法侵入すれば、「重大な」犯罪行為と見なされ、罰金と1年未満の禁固や拘留などに処されるとしている。
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China's supreme court clarifies maritime jurisdiction
8月4日「米中戦争に関するRAND報告書、著者Q&A」(RAND, Blog, August 4, 2016)
RANDが7月28日に公表した米中戦争に関する報告書、"War with China: Thinking Through the Unthinkable" *について、同報告書の著者、David C. Gompertは、8月4日付けのRANDのBlogでのQ&Aで、要旨以下のように述べている。
Q. 米中はいずれ戦争に至ると予測しているか。
A. 我々は、米中間の戦争を予測しているわけではない。むしろ、このような戦争は、危機対処の失敗から生起し、しかも米中両国の攻撃能力が強化されていることを考えれば、激烈で、破壊的で、そして長引く可能性があろう。
Q. 如何なる要因が米中戦争の引き金となり得るか。
A. 米中間には多くの問題を巡って対立があり、1つの危機が米中間の敵対行為を招来する事件や誤算を引き起こしかねない。例えば、中国は、アメリカに介入の敷居を跨がせないレベルで、またアメリカが介入に踏み切る敷居を誤判断して、隣国を威嚇する挙に出るかもしれないし、あるいは、東シナ海における領有権紛争を巡る危機において、日本を軍事的に支援するアメリカの意志を過小評価する可能性もある。
Q. 戦争シナリオはどのように展開するか。
A. 現時点では、戦争継続中における中国軍の損失は、アメリカの損失をかなり上回るであろう。しかしながら、中国の「接近阻止」能力の継続的な強化によってアメリカの損失は増えると見られ、一方、アメリカの攻撃力が減耗するにつれ、中国の損失は減少するであろう。しかし、中国が軍事能力を強化しても、中国は、軍事的優位の確保に確信を持てないであろう。このことは、戦争が長引き、その帰趨が不明確になる可能性を強めている。
Q. 米中戦争は核戦争になるか。
A. 核戦争の可能性は極めて低い。激烈な通常戦闘においてさえ、いずれの側も、その損失を深刻とは見なさず、悲観的な見通しを持つこともないであろうし、あるいは、核兵器の先行使用によって壊滅的な核報復を受けるリスクを冒す程、死活的な賭けに及ぶこともないであろう。
Q. 米中戦争が生起した場合、日本は如何なる対応をするか。
A. 我々は、日本が参戦するとは予測していない。むしろ、もし日本が参戦しようとするならば、それは軍事的に重大なものになり得るであろう。日本が威嚇されたり、攻撃されたりすれば、日本が米中間の戦闘に参加する可能性が考えられる。アメリカによる在日基地の使用は、日本に対する中国の威嚇や攻撃に繋がる可能性がある。同様に、もし中国が日本の部隊を攻撃すれば、日本は恐らく抵抗するであろう。こうした状況下で日本が如何なる対応をとるかは予測していないが、日本がアメリカ側に立って参戦する可能性が極めて高いことは、中国の戦争遂行政策の決定にとって重荷となろう。従って、強固な日米同盟と高い能力をもつ日本の部隊とは、米中戦争に対する大きな抑止力となり得る。
Q. 域内の他のアメリカの同盟国はどうか。
A. 日本に加えて、アメリカは東アジアで、フィリピン、オーストラリアそしてニュージーランドを含む、重要な同盟国を持っている。この地域における如何なる紛争においても、これら同盟国と協議したり、あるいは共同行動の可能性を検討したりすることになろう。そのためには多様な紛争事態に対する軍事計画が必要だが、我々は、こうした軍事計画が特定の同盟国の参戦を招くことになるとは想定していない。
Q. ロシアとNATOは参戦するか。
A. 国際的に見て、ロシアは中国を支持し、一方、NATOはアメリカを支持するかもしれないが、いずれも戦闘に参加する程の重大な利害がありそうにもない。
Q. 北朝鮮の対応はどうか。
A. 米中戦争における北朝鮮の動向を予測することは、不確実性に満ちている。しかしながら、北朝鮮の参戦が日本に対する攻撃を含むものであれば、現在開発、建設中の弾道ミサイル防衛網は相当程度の防護を提供できるであろう。
Q. なぜ考えられないことを考えるか。
A. 米中戦争は考えられないものであるかもしれないが、その過程と帰趨は米中両国に真剣な検討を促している。歴史の示すところによれば、いずれの側にとっても極めて破壊的な戦争は、いずれの側も完全な敗北に直面しない限り、長引くことになる。米中戦争は、いずれの側もその回避を何よりも優先しなければならない程、破滅的なものになろう。
記事参照:
Q&A: An Unthinkable War Between the U.S. and China
備考*:RAND Report: War with China: Thinking Through the Unthinkable
RAND, July 28, 2016
David C. Gompert, Astrid Stuth Cevallos, Cristina L. Garafola
【関連記事】「米中戦争に関するRAND報告書、論評」(The National Interest, Blog, August 1, 2016)
米誌The National Interest防衛問題担当編集長Dave Majumdarは、8月1日付の同誌Blogに、"New Report Details Why a War between China and America Would be Catastrophic"と題する論説を寄稿し、RANDが7月に公表した米中戦争に関する報告書について、要旨以下のように述べている。
(1)RANDが7月28日に公表した報告書によれば、米中間の戦争は両国間に多大の損害を強いるが、少なくとも現時点では、北京の方がより多くの損害を強いられよう。しかし、中国の接近阻止/領域拒否 (A2/AD) 能力が強化されるにつれ、両国の損害のバランスは、2025年までには北京の方が有利になるであろう。それにもかかわらず、2025年の時点でも、中国の方がワシントンより多くの損害を被るであろうとしている。戦闘が決着のつかない流血の事態になりかねないことから、いずれが勝利したとも判定し難い状況になるかもしれないという。報告書は、「アメリカは、軍事的優位が減少するにつれ、中国との戦争が計画通りに進行することに、次第に確信が持てなくなろう」、「中国の軍事能力、特にA2/AD能力の強化は、もし米中戦争が生起するならば、アメリカが作戦の主導権を握り、中国の防衛網を破壊し、そして決定的勝利を達成することを計算できなくなる、ことを意味する」と指摘している。
(2)中国との戦争は、現時点でも、また将来時点でも、恐らく海空が主戦場となるであろうが、報告書によれば、サイバー能力と宇宙能力も重要な役割を果たすであろう。しかし、報告書の著者達は、戦争が生起しても、通常戦争に終始するであろうと予測して、「米中双方の益々強化される戦力の広範な投射能力と、相手部隊に対する追跡攻撃能力の増大は、西太平洋の相当部分を『戦域』に変えることになり、経済的に重大な結果をもたらそう」、「核兵器が使われることはありそうにもない。激烈な通常戦争においてさえも、いずれの側も、核兵器の先行使用によって破壊的な核報復を受けるリスクを冒さなければならない程、戦争の帰趨を深刻には考えないであろう」と述べている。更に、報告書は、中国はサイバー攻撃以外に米本土に攻撃を指向することはないが、対照的に、中国本土の軍事目標に対するアメリカの非核攻撃は広範なものになる可能性がある」と想定している。
(3)米中戦争は、短期で激烈、あるいは長期で激烈といった幾つかのパターンで進展する可能性がある。現時点での短期で激烈な戦争の場合、アメリカの損害も重大なものになるが、中国の損失は破滅的なものになるかもしれない。報告書は、「米中いずれかの政治指導者が自国の軍司令官に敵部隊に対する迅速な攻撃計画の実行を許可すれば、激烈な戦争が勃発するであろう」、「2015年の時点で、空母と域内の空軍基地の無力化を含む、アメリカの海軍水上戦闘艦と空軍戦闘力の損害は重大だが、本土基地のA2/ADシステムを含む中国の損害の方がはるかに大きいであろう。このまま戦闘が継続すれば、数日以内に、緒戦のアメリカ優位の米中間の損害のギャップが一層拡大するであろうことが、米中双方にとって自明のこととなろう」と見ている。しかしながら、報告書によれば、「2025年までには、中国のA2/AD能力の強化によって、アメリカの損害は増大するであろう。一方で、中国のA2/AD能力の強化によって、アメリカの損害よりも依然大きいが、中国自身の損害も限定し得る」、「このことは、継続する戦闘がいずれの側の勝利に終わるかどうかを、不明確なものにすることになろう」と指摘している。戦争が長期になれば、はるかに破滅的なものになるであろうし、米中双方の軍隊も壊滅状態になる可能性がある。報告書は、「2015年の時点では、激烈な戦争が長期化すれば、その結果と見通しは中国にとって良くないであろう」、「しかしながら、2025年までには、緒戦における不明確な戦闘の帰趨は、重大な損害が予想されるにもかかわらず、双方にとって戦闘を継続する動機付けとなり得る。2025年時点でのアメリカの軍事的勝利の見通しは現在時点よりも悪いが、このことは、中国の勝利を必ずしも意味するというわけではない」と述べている。いずれの場合も、米中戦争は、重大な損害と巨大な経済的損失をもたらすであろう。また、戦争は、双方の軍隊に前例のない損耗を強いることになろう。報告書は、「米中双方の相手の目標を捕捉し、破壊する前例のない軍事力能力―通常相殺能力 (conventional counterforce) は、数カ月で双方の軍事能力を大きく損耗させるであろう」と指摘している。
(4)報告書は、米中戦争の可能性を減少させるために、幾つかの提言を示している。
a.米中の政治指導者はともに、相手部隊に対する迅速な攻撃以外の軍事的選択肢を持つべきである。
b.アメリカの指導者は、中国の指導者と協議し、事態が手に負えなくなる前に、紛争を封じ込める手段を持つべきである。
c.アメリカは、中国のA2/AD能力に対する自動的な即時攻撃の実施を阻止するセーフガードを備え、深刻な事態になる前に、敵対行為を阻止する計画と手段を持つべきである。「フェール・セーフ」態勢を整備することは、軍事作戦に対する明確で情報に基づいた政治的承認を保証することになろう。
d.アメリカは、より残存能力の高いプラットフォーム(例えば、潜水艦)と、中国のA2/ADへの対処能力(例えば、戦域ミサイル)に投資することによって、中国のA2/AD能力の効果を減殺すべきである。
e.アメリカは、重要な同盟国、特に日本との間で有事計画立案を推進すべきである。
f.アメリカは、例え戦争が軍事的敗北に終わらないとしても、破滅的な結果をもたらす可能性があることを中国に対して認識させておくべきである。
g.アメリカは、激烈な作戦を継続する能力を強化すべきである。
h.アメリカの指導者は、戦時において、重要な戦争必需品やテクノロジーに対する中国のアクセスを拒否する選択肢を開発すべきである。
i.アメリカは、中国からの重要な製品の中断を補う処置を講じるべきである。
j.加えて、米陸軍は、地上配備A2/AD能力に投資し、東アジアのパートナー諸国の防衛力強化を慫慂し、支援し、パートナー諸国、特に日本とのインターオペラビリティを強化し、そして、誤認と誤算のリスクを軽減するために、米中軍事交流を拡大し、軍同士の理解と協調を深化させるべきである。
記事参照:
New Report Details Why a War between China and America Would be Catastrophic
8月5日「ASEAN、コンセンサス方式を再検討すべき―シンガポール専門家論評」(RSIS Commentaries, August 5, 2016)
シンガポールのS.ラジャラトナム国際関係学院 (RSIS) 前研究員で南洋理工大教員 Dylan Lohは、8月5日付のRSIS Commentariesに"What Price ASEAN Unity?"と題する論説を寄稿し、南シナ海問題を巡ってASEAN内に不協和音が目立ってきており、更なる分裂を阻止するために、意志決定におけるコンセンサス方式を再検討すべきであるとして、要旨以下のように述べている。
(1)7月24日にラオスで開催されたASEAN外相会議の共同コミュニケでは、カンボジアの強い反対によって、南シナ海仲裁裁判所の裁定への言及がなかった。中国はこれを外交的勝利と捉えた。確かに、カンボジアは伝統的に中国との緊密な関係を維持してきた。中国は7月に、カンボジアに対して36億元(約5億5,000万ドル)の経済援助の供与に同意した。ASEANの懸念は、中国が一部の加盟国に対する経済援助と交換に、ASEANの意志決定過程に対して間接的な影響力を行使し得ると見られることである。もう1つの懸念は、一部のASEAN加盟国がASEAN内部からの圧力や批判に比較的無関心であると見られることである。ラオスやカンボジアのように、ASEAN中心主義を捨てても、またASEAN内での自国の評価を落としてでも、中国との協調を重視する加盟国がある。要するに、こうした国が存在するために、ASEANの団結と中心主義そしてその国際的な評価は危機に瀕しており、しかもASEANが回避してきた大国間抗争に飲み込まれる可能性も出てきた。
(2)カンボジアのような国に対して、ASEAN内では除名を求める声も台頭してきた。ASEAN憲章第20条は、ASEANの意志決定におけるコンセンサス方式を確認した上で、「重大な憲章違反や不服従が生じた場合、当該問題はASEAN首脳会議の決定に委ねられる」と規定している。この規定によれば、如何なるASEAN加盟国の除名も当該国自身の同意を必要とするということになる。他方、ASEAN自体がカンボジアの「自発的な」脱退を容認するかどうかという問題もある。ASEAN憲章には「脱退」規定はないが、それでも理論的には、カンボジアは、如何なるASEAN会議にも出席しない、あるいはジャカルタのASEAN事務局に分担金を支払わないということもできよう。
(3)ASEANは、その運用方法について再検討を行う時期にあるといえよう。ASEAN憲章の「全会一致の意志決定方式」規定は、ASEANの手を縛るロープになってきているようである。実際問題として、ASEANの加盟10カ国は全て拒否権を持っている。従って、一部の加盟国は、ASEAN全体の長期的利益に配慮することなく、自国の利益を優先することもできる。ASEANは、その意志決定方式の漸進的な改正を検討すべきであろう。例えば投票方式を変更(10カ国中、9カ国の同意で十分)することによって、あるいは不同意や棄権を共同声明に記録として残すことで、改正が可能であろう。個々の加盟国をASEANの意志に従わせるのは不公平といえるが、他方で1~2カ国によってASEAN全体の意志が人質に取られるのも同様に不公正といえる。南シナ海問題への対応如何によってASEAN全体の価値が決まるわけではないが、この問題がASEANに対する主たる評価軸となっていることも事実である。ASEANは、その評価を再び取り戻すために、今こそ行動すべき時である。
8月10日「中国とASEAN、南シナ海問題を巡るコンセンサス―マレーシア専門家論評」(East Asia Forum, August 10, 2016)
マレーシアのマラヤ大学中国研究所 (The Institute of China Studies) 副所長Ngeow Chow Bingは、Webサイト、East Asia Forumに8月5日付で"Is Consensus Emerging on the South China Sea?"と題する論説を寄稿し、南シナ海仲裁裁判所の裁定は状況を不安定化したのではなく、むしろ中国とASEANとの間に一定のコンセンサスを形成するのに寄与したとして、要旨以下のように述べている。
(1)南シナ海仲裁裁判所が7月に公表した裁定によって、域内が不安定化するのではないかとの一部の専門家の懸念とは裏腹に、現在のところ情勢は極めて平穏である。裁定後、我々が目にしているのは、中国とASEANとの間に南シナ海問題を巡ってコンセンサスが生まれつつあるとの期待できる兆候かもしれない。この生まれつつあるコンセンサスとはどのようなものか。
a.第1に、挑発的な行動や声明は何の成果も生まなかったということである。中国とASEANにとって、最近数年間の南シナ海を巡る緊張の激化は、いずれにも益するところがなかった。中国のナショナリステッィクなタカ派は別の見方をするかもしれないが、南シナ海問題が中国のイメージと外交に及ぼしたダメージは深刻で、21世紀の最初の10年間において中国が積み上げてきた友好関係の多くを無駄にした。同様に、ASEAN加盟国にとっても、中国に対する対決姿勢からは、名実ともに益するところはほとんどなかった。双方とも、挑発的な行動が相手側のより高圧的な姿勢を抑止しないということを認識すべき時である。むしろ、こうした挑発的な行動は、相手側の「タカ派」を勇気づけ、彼らの自身のよりナショナリステッィクな言動を誘発するだけである。
b.第2に、より実行可能な選択肢として、2国間交渉が益々有望になるかもしれないということである。2国間交渉によって領有権紛争を解決しようとする中国の立場は、(2国間交渉で)ASEANの領有権主張国に対して中国が圧倒的な力の立場から臨もうとしているとの疑念を生んだ。しかし、こうした疑念は、近年の歴史に照らして根拠がない。中国は、例えばベトナムとのトンキン湾の海洋境界画定協定など、多くの隣接諸国との国境画定問題を2国間で交渉し、解決してきた。
c.そして第3に、「行動宣言 (DOC)」と現在交渉中の「行動規範 (COC)」で言及される、南シナ海問題を管理する多国間アプローチが、依然、南シナ海問題のエスカレートを回避するための最も有望な中期的な措置であるということである。このことは、現在でも中国とASEANの間の共通認識である。
(2)中国の見解では、2006年に国連海洋法条約に従って領有権主張に関する問題については強制的紛争解決手続きを受け入れないと宣言していることから、仲裁裁判所の裁定の受け入れ拒否は、国際法に反するものではなく、また法律遵守国としての中国のイメージも傷つけない。しかしながら、中国が南シナ海問題の多国間管理とDOCに関するレトリックを明確にし、DOC遵守をコミットすれば、ASEANにとって南シナ海問題についての中国との交渉に当たって、より効果的なものとなり得るであろう。
記事参照:
Is consensus emerging on the South China Sea?
8月10日「米中間の戦略的抗争を如何に管理するか―中国人の視点から」(China US Focus.com, August 10, 2016)
中国現代国際関係研究院前院長で武漢大学国際問題研究院学術委員会副主任の崔立如は、8月10日付のWeb誌、China US Focusに"Managing Strategic Competition Between China and the U.S."と題する長文の論説を寄稿し、中国と米国は中米関係の構造的矛盾による相違を乗り越え、平和共存を目指す新しいタイプの関係構築のために協働すべきであるとして、要旨以下のように述べている。
(1)南シナ海における中米抗争は、中国とフィリピンやベトナムとの領有権紛争よりも注目を集めている。中米両国の戦略研究や政策決定に関わる人々にとって、真に重要な関心事項は中米関係の将来動向である。中米関係は、相互関係を深化させてはいるが、両国は著しく異なる2つの巨大国家であるということに、その特異な複雑さがある。中米関係は、この特異な関係における変化と、そして同時により広範な国際秩序体系における変化を含めた、いわゆる歴史的変化が進行している。これらの変化は二層の重要性をもっている。即ち、一方で、中国の台頭は、中国とアメリカとの相対的な強さにおける変化の結果である。他方で、中国の台頭は、世界のその他の地域との統合化を促し、グローバル化の過程への積極的な参加によって実現してきた。この統合化による最も重要な結果の1つは、中米両国が相互に最も重要な利害関係国になったことである。この新たな中米関係の下で、抗争と協調の両方の側面が同時に進行している。中米両国は、一方では相互に主要な戦略的抗争相手であり、他方では、相互に互いを必要とする重要なパートナーでもある。このような2つの大国間の国家関係は歴史に前例がない。この新たな中米関係において、抗争的側面が強まってきている。アジア・太平洋において中米の戦略的抗争が激しくなってきている主たる理由は、アメリカは自らをこの地域の国際秩序の守護者と見、中国の台頭を、まず阻止し、封じ込める必要がある不可避の挑戦と見なす考えを次第に強めていることにある。アメリカのアジア・太平洋への軸足移動がこうした方向に進めば、中米関係の構造的矛盾が強まり、中米関係は最終的には「トゥキュディデスの罠」(覇権戦争不可避論)に陥ることになるかもしれない。
(2)中米関係の構造的矛盾は、2つのレベルにおける問題を含んでいる。1つ目のレベルは、政治システムとイデオロギーにおける相違である。もう1つのレベルでは、主要な戦略的ライバル間の矛盾した関係は、近年徐々に明確になってきていることである。現実主義的視点から中米関係の構造的矛盾を理論的に説明すれば、台頭する大国と既存の大国間のパワー構造は、必然的に2つの大国をライバル関係に導くというものである。しかしながら、この分析は、国家間の経済的相互依存という重要な発展を評価しておらず、新しい関係において明らかに増大している国内的要因の効用を無視しており、従って中米関係におけるダイナミックな新しい変化を読み切れていない。特に構造的矛盾の過度な強調は、不一致を増大させ、負の感情を悪化させ、対立への傾斜を引き起こし、中米関係の改善にとってより大きな困難を作り出す可能性がある。ジョン・ミアシャイマーの著名な著作、The Tragedy of Great Power Politics(邦題 『大国政治の悲劇』)における中心的な議論は、「安全保障のジレンマ」は大国間の不可避な構造的問題であるということである。ミアシャイマーは、大国にとって、安全保障を追求する上で覇権を争うことが最良の選択であるとする。ミアシャイマーによれば、覇権が中国の台頭の必然的な目標であり、従って中米間の対立は不可避となる。その上で、彼は、アメリカは冷戦期のやり方で中国を包括的に封じ込める必要があると主張する。国際問題研究におけるミアシャイマーの権威のある学術的影響力を考えれば、ミアシャイマー理論は、中米両国の専門家と外交部門に相当に悪い影響を及ぼしてきた。彼自身の意図とは別に、ミアシャイマーの理論と提言は、実際には、アメリカにとって権力政治の追求とその覇権維持のための論拠となっており、それ故に、アメリカのタカ派によって支持されてきた。
(3)中米両国の多くの専門家は、中米間の相違と緊張を、国力の相対的変化に起因する構造的矛盾の増大と解釈した。このことは、付随して中米両国における「脅威」論の相互検証を引き起こした。アメリカでは、「中国の台頭」に対する言及は、通常、「アメリカのリーダーシップに対する挑戦である」、「アメリカの安全保障を脅かす」あるいは「アメリカ人の仕事を奪う」といった、漫然とした「中国脅威論」と結び付けられた。その一方で、専門家やシンクタンクの報告書などは、アメリカは衰退しておらず、アジアにおける優越とともにナンバーワンの世界大国としての地位を維持していくべきであると主張する。他方、中国では、アメリカの衰退は事実であり、アメリカは国内的にも国際的にも困難に逢着して行き詰っており、従って、その地位を中国に取って代わられるのを阻止するために、アメリカは「中国脅威」論を振り回し、全方位に亘って中国の発展を封じ込め始めている、というのが一般的な受け止め方である。このようにして中国に対する「新冷戦」は始まった、と結論付けることは合理的である。中国に対する封じ込めの提唱は、主として比類なき米軍事力の優位に依拠している。かくして、中米関係には、常に冷戦の亡霊が付きまとい続ける。国家の安全保障を護るという名目で中国に対する全面的な封じ込めを説くことは、当然ながらアメリカ国内での政治的支持なしにはあり得ない。
(4)国際関係の動向におけるメガトレンドは、アメリカが能動的あるいは受動的に、その覇権政策を最終的には変更するであろうことを示唆している。アメリカが長期的に覇権を維持できるかどうかは、2つの側面における諸要素の成り行き如何にかかっている。即ち、1つは覇権を維持するコストであり、もう1つはそれを諦めることによる利益である。世界の多極化時代が進むにつれ、アメリカの覇権は多様な側面からの挑戦に直面しており、中米関係はその中の1つの重要な要素にすぎない。しかしながら、覇権を維持する利点がそれに必要なコストを上回る限り、アメリカは、自発的に覇権を諦めることはないであろう。中国にとって、平和的台頭への道を堅持することは、一定の条件下でアメリカの覇権と平和的に共存することを意味する。故に、「対立のない ("no confrontation")」関係は、中米両国間の基本的なコンセンサスとなってきた。同様に、もう1つの原則的な考え、「ウィン・ウィンの協力 ("win-win cooperation")」は、中米関係の理想的な目標、即ち、平和共存の実現への道を漸進的に追求していくことを中米両国に求めている。「トゥキュディデスの罠」という特定の概念が不可避となる国際関係は、現在の中米関係には存在しない。中国は、アメリカに取って代わって世界の超大国になる意図を持っていない。中米の協力関係は、国際政治秩序を維持する上で不可欠の要素である。中国の台頭による挑戦の結果として中米関係が「トゥキュディデスの罠」に直面するという見方に対する対応として、中国が提案する「新しいタイプの大国関係」という概念は、平和的な発展への道を堅持し、それが中米関係を長期的な平和共存に導くことができるとの中国の考えを示すものである。
(5)中国とアメリカの利益は時を経て益々深くかつ広範に結びついてきており、従って対立は中米関係の根本的な利益と一致しない。中米協力関係は、21世紀のアジア太平洋地域の平和と安定を維持する上で不可欠である。中国と米国は、2つの大国として構造的矛盾による相違を乗り越え、新しい歴史的環境の下で、平和共存を目指した新しいタイプの関係の構築のために協働すべきである。中米両国は、新しい時代における戦略的抗争に対する「ある種のマクロ的な管理 (a certain kind of "macro management")」を適用する必要がある。軍事分野でのリスク管理とコントロールを強化することに加えて、2国間関係の将来の発展に向けた安定した枠組みの構築が喫緊の課題である。同時に、中米間の戦略的抗争は、アジア太平洋地域における地域秩序にとって重要な挑戦となっている。中米間の将来の枠組みは、この地域における地域秩序の構築に向けての両国の協働に結び付けられなければならない。政治的には、これは、この地域における平和共存の追求を、新しいタイプの関係の構築における1つの重要とすることを意味する。
記事参照:
Managing Strategic Competition Between China and the U.S.
【補遺】旬報で抄訳紹介しなかった主な論調、シンクタンク報告書
1. Chinese Military Organization and Reform
CSIS, August 1, 2016
By Anthony H. Cordesman, CSIS
2. A New Phase for Japan-China Ties After the South China Sea Ruling
CSIS, August 1, 2016
Nozomu Hayashi, CSIS Japan Chair visiting fellow from Asahi Shimbun. He served as Beijing correspondent for Asahi from January 2012 to May 2016.
3. Japan Self Defense Force can do the balancing act in East Asia
Asia Times.com, August 2, 2016
By Grant Newsham, a senior research fellow at the Japan Forum for Strategic Studies in Tokyo with 20 years of experience in Japan as a US diplomat, business executive, and as a US Marine Officer.
4. BUILD IT AND THEY WILL COME
Asia Maritime Transparency Initiative, CSIS, August 9, 2016
5. Taiping Island's Legal Status: Questions Remain in the Aftermath of the Award
Issue Briefings 16, South China Sea Think Tank(南海智庫)、2016
編集・抄訳:上野英詞
抄訳:秋元一峰・倉持一・高翔・関根大助・向和歌奈・山内敏秀・吉川祐子
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