海洋安全保障情報旬報 2016年6月1日~10日・6月11日~20日合併号

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6月2日「『9段線』は何を意味するか―豪専門家論評」(The Diplomat, June 2, 2016)

オーストラリア国立大学国家安全保障学院上席顧問Marina Tsirbasは、6月2日付のWeb誌The Diplomatに、"What Does the Nine-Dash Line Actually Mean?"と題する論説を掲載し、中国は南シナ海仲裁裁判所の裁定に先立って「9段線」の意味するところを明確にしておけば、段線内の海洋地勢に対する領有権に関しては、失うものはないであろうとして、要旨以下のように述べている。

(1)中国は「9段線」の定義を明確にしておらず、その不明瞭さは様々な憶測を呼んできた。その極端なものは、「9段線」を、それが包摂する範囲内の海洋地勢、陸地、海域及び海底に対する主権と管轄権と解釈するものであろう。これは多くの関係国が懸念してきた解釈である。しかしながら、こうした解釈は国連海洋法条約 (UNCLOS) では受け入れられない。この解釈は主権と管轄権を一緒くたにしているようである。大まかに言えば、主権とは国内資産に対する所有権であり、管轄権とは、ある海域における特定の産物(例えば、当該国EEZ内の漁業や鉱物資源、あるいは特定鉱区における採掘権)からの利益あるいはその利用権を得る権利とほぼ同義である。しかしながら、この管轄権は、当該海域における航行に対して制約を課したり、その海域内におけるあらゆる活動を規制したりできる権利ではない。中国は、これまでの言動から、「9段線」内におけるあらゆる活動を規制できると考えていると見られる。特に中国は、沿岸国のEEZが重複する海域が含まれる南シナ海における航行と上空飛行の自由に対して厳しい対応を示してきた。更にこの曖昧さを一層複雑にしているのが「歴史的権利」という主張である。中国は、「歴史的権利」を、南シナ海の陸地に対する主権主張だけでなく、領海を越えた海域に対する海洋権限と管轄権とも関連づけて使用してきた。「歴史的権利」に関連してUNCLOSが認める唯一例外は、伝統的漁業権のみである。

(2)もう1つの極端な解釈は、「9段線」の内側の全ての「高潮高地」とその周辺海域に対する管轄権(領海やEEZ、あるいは接続水域)を意味するというものである。この解釈では、「9段線」主張は不十分な論拠だが、中国があらゆる自然に形成された(要するに人工ではない)「高潮高地」の周辺12カイリ以内の海域における航行と上空飛行の自由を容認するなら、必ずしもUNCLOSと矛盾するものではない。

(3)南シナ海が中国の内海と主張することと、中国が「9段線」内の海洋権限を有する海洋地勢に対する領有権を主張することとは、同じではない。もし後者であれば、中国大陸と当該海洋地勢の間の海域は、軍民を問わず自由に航行できる国際水域ということになる。中国外交部広報官は2011年12月、中国は南シナ海における航行の自由を遵守するとし、中国政府は南シナ海における航行と上空飛行の自由を全ての国が国際法に基づいて享受できる権利と見なしてきたと言明している。この声明は、後者の解釈を示唆するものであろう。興味深いことは、航行の自由に対する中国の主張が、貿易あるいは商業通商上の自由に関連付けてその重要性を強調していることである。国際法では、EEZと公海における航行の自由について、軍用艦艇と商用船舶とを区別していない。しかし、中国はそれを区別しようとしているようである。中国南海研究院の呉士存院長は最近の寄稿論説で、両者を区別し、「南シナ海は中国海軍の外洋への展開にとって重要な通路である」と述べている。呉士存はまた、「9段線」の意味を明確にすることは緊張を激化させることになろうと述べた。

(4)「9段線」内の海洋地勢に対する権利主張という解釈は、台湾の最近のアプローチによっても裏付けられよう。本来、「9段線」は中華民国による1948年の「11段線」に由来する。中華民国は、「11段線」内の島嶼や環礁に対する主権とその海洋資源に対する海洋権限を宣言した。しかし、台湾は2005年12月、U字型の段線が包摂する全ての海域に対する主張を止め、段線内の島嶼とその周辺海域そして大陸棚に対する主張に修正した。南シナ海仲裁裁判所が「9段線」についてUNCLOSに矛盾すると裁定する可能性は高い。従って、中国は、それに先立って「9段線」の解釈を段線内の島嶼や環礁に対する領有権であることを明確にしておけば、これらに対する領有権主張に関しては、中国は失うものはないであろう。

記事参照:
What Does the Nine-Dash Line Actually Mean?

6月2日「アンダマン・ニコバル諸島、高まる戦略的重要性―RSIS専門家論評」(RSIS Commentaries, June 2, 2016)

シンガポールのS.ラジャラトナム国際関係学院 (RSIS) リサーチ・アナリストNazia Hussainは、6月2日付のRSIS Commentariesに"India's Andaman and Nicobar Islands: Growing Regional Significance"と題する論説を寄稿し、インド人の視点から、インドのモディ政権がようやくアンダマン・ニコバル諸島の戦略地政学的価値に気付き、同諸島の安全保障と経済的潜在力を活用するために力を入れ始めたとして、要旨以下のように述べている。

(1)中国海軍の到達範囲がインド洋にまで延びている状況下で、インドの防衛政策におけるアンダマン・ニコバル諸島の戦略的重要性が高まっている。ベンガル湾とアンダマン海を分ける同諸島は、572の島嶼(内、有人島は僅か37)からなり、450カイリに亘ってマラッカ海峡の出入り口を扼する位置にある。同諸島はインド領だが、インド本土よりも、東南アジアのミャンマー、インドネシアそしてタイの方が遥かに近い。中央政府が長年に亘って同諸島を放置してきたのはこの地理的遠隔さの故であり、これまで遠隔の哨戒拠点としてしか扱われてこず、ニューデリーは最近まで、同諸島の開発に尽力してこなかった。同諸島には、インド初の、そして唯一の統合軍であるアンダマン・ニコバル軍 (ANC) が配備されている。しかしながら、ANCは2001年に創設されて以来、縄張り争いや資金不足、更には官僚的な形式主義に悩まされてきた。

(2)インド洋地域における中国海軍のプレゼンスの増大と、アンダマン・ニコバル諸島がインドの「アクト・イースト」政策と海洋安全保障戦略の要となり得る存在との認識から、ニューデリーは、ANCを強化するとともに、重要なシーレーンを監視するために必要な軍事能力と関連インフラを整備することを決心した。インドは2016年初めに、同諸島に最新鋭の海洋哨戒/対潜哨戒機2機を配備した。インド国防当局者によれば、この配備は、中国の通常及び原子力潜水艦のインド洋地域への頻繁な進出に対する対応という。ニューデリーは既に、インド洋地域で増大する中国海軍のプレゼンスに対応すべく、インド洋地域における中国潜水艦の動向を追跡するため、対潜水艦戦における協力強化についてアメリカとの協議してきた。インドのEEZの凡そ3分の1はアンダマン・ニコバル諸島周辺海域であり、この海域は観光、漁業、森林資源そして海底鉱物資源による巨大な経済的潜在力を持っている。モディ政権は、原住民であるジャラワ族を保護しながら、同諸島の鍾乳洞や泥火山群を観光資源とするために必要なインフラ整備を促進することで、同諸島をインド初の海洋ハブとする野心的な計画を立案している。アンダマン・ニコバル州政府は、ニューデリーの政策を補完するために、東南アジア諸国との直行便の開設、本土との通信用海底ケーブルの設置、更に首府、ポートブレアの自由貿易地域宣言などを計画している。

(3)アンダマン・ニコバル諸島が重要な貿易海運ハブであるシンガポールから僅か950キロの位置にあり、またミャンマーのヤンゴンやタイのプーケットにはもっと近い距離にあるという戦略的価値を考えれば、インドは、同諸島の軍事利用以外に、その地理的位置の利点をもっと活用すべきである。例えば、

a.ミャンマーはインドと陸上国境を共有する唯一のASEAN加盟国であり、また両国は、アンダマン海とベンガル湾でも長い海洋境界線を共有している。両国海軍は2016年初め、海洋哨戒活動を調整する協定に署名した。ミャンマーは、アンダマン海における有望な鉱物資源の開発でインドとの協力を期待している。

b.インドは、「アクト・イースト」政策を展開するに当たって、アンダマン・ニコバル諸島への外国からの投資を初めて認可した。モディ政権は、同諸島における民間インフラ整備に関して日本との協力に道を拓いた。最初のプロジェクトとして検討されているのは、首府、ポートブレアがある南アンダマン島における15メガワットのディーゼル発電所建設計画である。日本は、インドによるASEAN諸国と南アジア地域連合諸国 (SAARC) との「連結」強化のためにODAによる支援の意向を示している。アンダマン・ニコバル諸島は日本と中東を結ぶ重要なシーレーンを扼する位置にあり、同諸島への投資は日本の利益でもある。日本は、インドに対する直接投資を増大させてきている。

c.インドとアメリカは2016年初めに、軍事面での兵站補給支援を共有することに大筋で合意した。これによって、将来的に、米軍がアンダマン・ニコバル諸島のインド軍基地を利用したり、また米軍艦艇が寄港したりすることが可能になる。

記事参照:
India's Andaman and Nicobar Islands: Growing Regional Significance

【関連記事】「インドの『アクト・イースト』政策における、アンダマン・ニコバル諸島の戦略的価値―RSIS専門家論評」(RSIS Commentaries, May 31, 2016)

シンガポールのS.ラジャラトナム国際関係学院 (RSIS) 准教授Anit Mukherjeeは、5 月 31日付のRSIS Commentariesに"India's Act East Policy: Embedding the Andamans"と題する論説を寄稿し、インドは「アクト・イースト」政策においてアンダマン・ニコバル諸島を活用すべきとして、要旨以下のように述べている。

(1)インドは、「アクト・イースト」政策の一環として、アンダマン・ニコバル諸島を開発する必要がある。重要なシーレーンを扼する同諸島の戦略的な位置は、長年国際的関心を集めてきた。しかしながら、同諸島の開発に対するインドのユニークな(そして恐らく賢明ともいえる)アプローチによって、経済的にはもちろん戦略的にも、同諸島の全面的な活用が阻止されてきた。同諸島は、アジアにおける恐らく最後の「孤立部族」の1つであるジャラワ族の居住地であることに加えて、豊かで繊細な生物多様性を残している。インド政府は、ジャラワ族(現在は400人前後)と自然環境保護のために、同諸島へのアクセスを規制し、開発を抑えてきた。その結果、同諸島の陸地面積のわずか7%が開発可能で、残りは森林保護地域と見なされている。こうした保護政策は称賛に値するが、多くの人々は、こうした政策によって、インドが同諸島の利点を活用できていないと主張している。例えば、同諸島周辺海域はインドのEEZの30%を占めるが、十分に活用ができていない。そのために、港湾、道路あるいは漁業開発のための冷凍倉庫などのインフラ整備を進める必要がある。更には、インドは、ASEAN諸国からの限定された国際航空便を許可すべきである。要するに、環境保護と開発は、ゼロサム・ゲームである必要はない。

(2)アンダマン・ニコバル諸島の軍事的可能性はよく知られているが、この面でも未開発である。インドは2003年、同諸島にインドの最初の統合部隊、アンダマン・ニコバル軍 (ANC)を創設した。創設当時、ANCは、今後より多くの統合部隊を創設するための実験部隊と目されていた。しかしながら、インドの各軍種がこのアイデアに抵抗してきただけでなく、戦力と支援インフラの不足によって、ANCは弱体化している。インド軍は単一軍種志向が強く、統合化に消極的である。更に、ANC創設時に、同諸島周辺に防空識別圏 (ADIZ)を設定する提案があったが、現在まで能力不足のために実現していない。現在、ベンガル湾の戦略的重要性が高まり、一部の専門家が「アジアにおける戦略的抗争の新たな焦点」と主張する状況下で、インドは、同諸島の戦略的重要性を軽視すべきではなく、ANCを強化すべきである。

(3)また、ベンガル湾は、この地域におけるインドの指導的役割を強化するための潜在的な機会を提供する。例えば、南シナ海における現在の緊張状態を考えれば、インドは、アンダマン海におけるASEAN拡大国防相会議(ADMMプラス)構成国による海軍演習を主催することもできよう。この演習の主題としては、「洋上で不慮の遭遇をした場合の行動基準 (CUES)」に関連する演習が考えられる。こうした演習は、各国の信頼醸成に役立つであろう。また、このような演習は、ASEAN諸国とインド洋地域諸国との仲立ちとしてのインドの立場を強化することにもなろう。

(4)モディ首相は、インドは新たな目的意識を提示することで、「指導的大国」になるべく努力すべきであると主張している。アンダマン・ニコバル諸島が持つ潜在力を最大限に活用することによって、インドは東南アジア諸国と一層緊密になれるであろう。このことは、全てのASEAN加盟国にとっても経済的、戦略的利益となり得る。こうした方向性は、「指導的大国」になるという首相の望みと一致するであろう。

記事参照:
India's Act East Policy: Embedding the Andamans

6月5日「中国人民解放軍孫建国副総参謀長、シャングリラ対話で演説」(国防部网责任编辑:吴昊, 2016年6月5日)

中国人民解放軍の孫建国統合参謀部副参謀長は6月5日、シンガポールで開催された第15回シャングリラ対話において演説した。以下は、南シナ海問題における中国のスタンス、フィリピンが提訴した仲裁裁判、そしてアメリカの関与に関する演説要旨である。

1)現在、南シナ海は各方面からの注目を集めているが、長年に亘る中国と南シナ海沿岸諸国の努力によって、南シナ海情勢は全体的に安定している。そして、南シナ海における航行の自由は、現在の紛争によって影響されていない。中国は、領土主権と海洋権益を堅持すると同時に、ルールとメカニズムによって意見の相違を管理し、協力のもとで相互のウィンウィン関係を実現し、南シナ海の航行と上空飛行の自由を維持し、そして南シナ海の平和と安定を維持していく。2国間対話と協商的関係によって紛争を解決するというのが、中国とASEAN諸国との間で合意した紛争解決の方法である。中国とASEAN諸国とは、協力を通して南シナ海の平和と安定を維持する能力をもっている。域外国家はこれと相反する行動を行うのではなく、建設的な役割を果たすべきである。

(2)フィリピンが提訴した南シナ海仲裁裁判は国際法という表看板を掲げているものの、その本質は、中国の南シナ海における領土主権と海洋権益を否定するものであり、中国が所有する南沙諸島の一部の島嶼をフィリピンが不法占拠した事実を隠すためのものである。私(孫建国副総参謀長)が強調しておきたいのは、仲裁裁判は中比間の係争解決に適用できないということである。中比両国は、2国間協定によって、「南シナ海における行動宣言」に従い、双方は交渉と協商によって問題を解決する方法を選んでいる。また、領土主権に関する係争は、国連海洋法条約 (UNCLOS) の適用範囲内の事項ではない。フィリピンが提訴項目は、海洋境界画定に関係するものである。これに関しては、中国政府は2006年に排除声明を宣言している。従って、フィリピンが一方的に仲裁裁判を起こしたことは中比協定に対する違反行為であり、UNCLOSと国際法全般に対する違反行為でもある。仲裁裁判は、管轄権を有していないし、仲裁裁定も中国に対して拘束力を持たない。中国政府は繰り返し、裁判を受け入れず、参加せず、認めず、裁定を履行せずと表明してきた。これは国際法に対する違反ではなく、むしろ中国の方こそ、国際法に基づき、国際法によって授権された権利を行使している。

(3)ある国は、自らの都合の良い時に国際法を援用し、都合の悪いときに国際法を無視するといった行動をとっている。南シナ海でいわゆる航行の自由作戦を実施し、公然と武力を誇示している。また、同盟国を結集し、中国に対抗し、仲裁判裁定を中国に押し付けようとしている。中国はこれに断固反対する。中国は、もめごとを起こさないが、もめごとを怖がってもいない。中国は自国の主権と安全保障利益が侵犯されることを許さない。少数の国が南シナ海を混乱させるのを座視しない。中国の南シナ海政策は変わっていないし、これからも変わらない。

記事参照:
孙建国在第十五届香格里拉对话会大会演讲全文

6月6日「台湾新国防部長、中国による南シナ海ADIZ設定認めない」(Reuters.com, June 6, 2016)

台湾の蔡英文新政権の国防部長、馮世寬は6月6日、中国による南シナ海における防空識別圏 (ADIZ) 設定を認めない、こうした動きは南シナ海の緊張を高めるだけだ、と立法院で言明した。中国は、南シナ海ADIZ設定について、設定する権利を有しており、脅威レベルに応じて検討するとしている。ケリー米国務長官も6月5日に北京で、南シナ海における中国のADIZ設定を「挑発的で、情勢を不安定化するもの」とし、「アメリカがとる唯一の立場は、一方的行動によって紛争を解決するのではなく、法に基づいて、外交を通じて交渉によって紛争を解決すべきというもので、我々は、全ての関係国に対して、国際的規範と法に基づく外交的解決を追求するよう要請する」と述べた。

記事参照:
Taiwan 'won't recognize' any Chinese air defense zone over South China Sea

6月8日「南シナ海を巡って米中新冷戦に突入するのか―台湾人専門家論評」(South China Morning Post.com, June 8, 2016)

在プラハのシンクタンク、The Association of International Affairsの台湾人研究員Michal Thimは、6月8日付の香港紙、South China Morning Post(電子版)に"Is a new cold war brewing over the South China Sea?"と題する論説を寄稿し、東シナ海をめぐる論争を背景にアメリカと中国がいわゆる「新冷戦」に突入しかねない状況にあり、状況の打破はきわめて当面難しいと主張する。

(1)毎年シンガポールにて開催されているシャングリラ対話では、近年南シナ海を巡る論議が主要な議題となってきた。就中、2016年の会議はカーター米国防長官と中国の孫建国人民解放軍統合参謀部副参謀長の発言に注目が集まった。カーター国防長官は、日本からインドまでの同盟国とパートナー諸国からなる多層的な安全保障網を指す、「原則に立脚した安全保障ネットワーク ("principled security network")」という表現を用いて、中国の行動が隣国に及ぼす不安を牽制した。カーター長官は、中国の南シナ海における行動が中国自身を孤立させていると指摘し、「不幸にも、中国のこうした行動が続くなら、中国は『孤立の長城』に自らを封じ込めることになろう」と述べた。この指摘に対して、孫建国副総参謀長は、「中国は過去も現在も、そして未来においても孤立することはないであろう。中国が問題を起こしているわけではないが、問題を恐れることもない」と主張した。

(2)では、中国は孤立しているのか。単純な答えは「イエス」だが、実際はもっと複雑である。カーター長官も孫建国副参謀長も、その主張はいずれも正しい。確かに、中国は域内において孤立しつつある。しかし同時に、中国が遠くない過去に経験したような孤立にまでは至っておらず、中国は自らの行動の代償を受け入れる用意があるように思われる。カーター長官の主張もまた正しい。何故なら、周辺諸国の不安を煽り、これら諸国が地域安全保障の主たる役割をアメリカに期待するようになっているのは、中国の行動がその要因となっているからである。域内におけるアメリカのプレゼンスを最も強く期待しているのは、ベトナムである。ベトナムに対する最近のアメリカの武器禁輸緩和は、ベトナムとの関係緊密化の好例である。しかしながら、注目すべきは、シャングリラ対話のホスト国、シンガポールである。シンガガポールは長い間重要なアメリカのパートナーであったが、その指導者はワシントンと北京との間で絶妙なバランスをとってきた。しかしながら、最近では、シンガポールは、北京の行動を声高に非難するようになり、安全保障上の役割維持をアメリカに求めている。

(3)他方で、中国は孤立しつつあるとする見方を否定する孫建国の言い分もまた正しい。なぜなら、北京の行動がもはや域内で友好国を作ろうとしているのでもなく、またそれを必要ともしていないことを示唆しているからである。カーター長官が言う中国の「孤立」とは、アメリカが主導する中国の周辺諸国によるグループ化、即ち域内における政治的再編成を目指すプロセスを意味する。しかしながら、北京は、「原則に立脚した安全保障ネットワーク」が欧州におけるNATOのような集団安全保障体制に変質することはないと確信することができよう。それ以上に、中国が孤立する可能性はどの程度あるのか。中国は今や経済大国であり、経済的利益から国際社会の中では中国を支持する国家は常に存在する。南アジアや北東アジア諸国は、北京の友好国ではないが、明白な敵対的態度をとることはないであろう。

(4)米中2国間関係について見れば、両国間には規範や規律といった諸原則を巡る不一致があり、解消されることはないであろう。北京は、ワシントンが地域的パートナーシップを放棄し、この地域を北京の影響下に委ねることを期待することはできない。ワシントンもまた、北京がアメリカや同盟国の利益を阻害しないように行動を改めることを期待できない。この地域はゆっくりと、だが確実に、解消するには困難な米中抗争の方向に向かっている。我々が新たな形の「冷戦」に向かっているかどうかは、今後注視していく必要があろう。

記事参照:
Is a new cold war brewing over the South China Sea?

6月10日「中国は徐々に南シナ海を自国領にしつつある―比専門家論評」(The National Interest, June 10, 2016)

比ラサール大学のRichard Javad Heydarian准教授は、米誌、The National Interest(電子版)に6月10日付けで、"China Is Slowly Turning the South China Sea Into Its Own Territory"と題する論説を寄稿し、中国は徐々に南シナ海を自国領にしつつあるとして、要旨以下のように述べている。

(1)4世紀前に英国の法学者John Seldenが『閉鎖海論 (The Closed Sea)』を出版し、国際水域の排他的な主権的管轄権を論じた。今や、中国は、南シナ海を事実上の中国の内海にしようとしている。南シナ海は、世界の海上貿易の3分の1、エネルギー資源の輸送量ではスエズ運河の4倍、そして世界の漁業資源の1割以上を占める、世界で最も重要な海域である。東沙諸島は北京がいずれ再統合を目指す台湾の実効支配下にあり、中国の西沙諸島支配は既成事実となっている。そして、この2年足らずの間に、中国は、南沙諸島に巨大な人工島を造成するために3,200エーカーを埋め立て、南シナ海の係争海域を網羅して拡がる民間用及び軍用施設のネットワークを構築した。間もなく、中国はこの海域を「排他的水域 (an "exclusion zone")」とすることができるかもしれない。「排他的水域」になれば、域内諸国と外部諸国の軍隊による南シナ海における上空飛行と航海の自由が危険に晒されるであろう。

(2)Seldenは『閉鎖海論』で、「自然法によってであれ、国際法によってであれ、海は全ての人の共有ではない。陸地と同じように、何者かが統治あるいは所有することが可能である」と述べている。これはオランダの法学者Hugo Grotiusの『自由海論 (Mare Liberum)』に対する直接的な反論である。『自由海論』は、近代国際法、特に国連海洋法条約 (UNCLOS) の基礎となった。Grotiusによれば、公海は人類共有の資産でなければならない。その2世紀後、アメリカは、米大陸支配を正当性するために「モンロー・ドクトリン」を導入した。これを受けて、Alfred Thayer Mahanは、カリブ海を始めとする近接海域に対するアメリカの支配を提唱した。次の数十年間で、米海軍による支配領域が拡大し、太平洋を横断して19世紀末にはスペインが支配していたフィリピンを占拠したことで、その頂点に達した。 過去70年にわたり、アメリカは寛容な大海軍国として、この地域の自由な秩序のアンカーとしての役割を果たしてきた。この自由な秩序の下、強力な自由貿易体制が栄え、中国のようなかつての敵対者も含め、アジアに繁栄をもたらしてきた。

(3)しかしながら、中国がSeldenの『閉鎖海論』の概念に加えて、近接海域を支配するというマハン・ドクトリンを取り込んだことによって、こうした自由な秩序は変わることになろう。筆者 (Heydarian) が最近の拙著で論じたように、南シナ海もそして東シナ海も海域支配を巡る「アジアの新しい戦場 ("Asia's new battlefield")」に変わってきた。習近平主席が言明するように、「南シナ海における全ての島嶼や環礁は古代からの中国の領土である」というのが中国の見解である。南シナ海における歴史的権利を主張する中国の決意は疑う余地もなく、習近平は、「中国人民は南シナ海における中国の主権、及び関連する権利と利益を侵害するものを許さない」と警告した。しかしながら、東南アジアの1国は国際法と人類共有の財産の保護を強く訴える手段をとった。歴史的な南シナ海仲裁裁判を通じて、フィリピンは、自国の主権を護るためだけではなく、疑わしい歴史的権利に基づく中国の拡大主張の正当性に異議を唱えるため、UNCLOSが効力を発揮することを望んでいる。フィリピンの新大統領となるドゥテルテの今後の動向は不確定要素だが、1つだけ確実なことがある。アメリカやその同盟国が南シナ海問題に対して一致団結することに苦労している間に、中国は徐々に南シナ海を大陸領土の延長にしつつあるということである。

記事参照:
China Is Slowly Turning the South China Sea Into Its Own Territory

6月14日「東インド洋におけるインドの『海底の壁』―インド人専門家論評」(Asia Maritime Transparency Initiative, CSIS, June 14, 2016)

インドのThe Observer Research Foundation (ORF) の上級研究員Abhijit Singhは、米戦略国際問題研究所 (CSIS) のAsia Maritime Transparency Initiativeに、"India's "Undersea Wall" in the Eastern Indian Ocean"と題する論説を寄稿し、インドが計画しているとされるベンガル湾における潜水艦監視網について、要旨以下のように述べている。

(1)インド海軍関係者の間で、ベンガル湾に水中監視センサーを設置する計画が話題になっている。インドのメディアが最近報じたところによれば、インドは、日米との共同プロジェクトとして、インド近海における水中音響監視センサー (SOSUS) 網の設置を含む、沿岸域防衛計画を進めている。インドの著名なコメンテーター、Prasun Senguptaが最近の防衛関係誌への寄稿記事で、「インド政府は日本の援助を得て、中国潜水艦がインドのEEZに侵入することを阻止するために、スマトラ沖からベンガル湾のインデラ・ポイントに至る海底にセンサーを敷設して監視網を構築することを検討している」と述べている。更にSenguptaによれば、日本政府は、アンダマン・ニコバル諸島の海軍航空基地の強化と、同諸島沿いの電子監視ステーションの新設に対する資金援助に加えて、チェンナイからアンダマン・ニコバル諸島のポートブレアまでの光ファイバーケーブルを敷設する計画にも資金援助を行うことを検討しているという。こうしたネットワークが完成し、既存の日米の"Fish Hook" SOSUSと連接されることになれば、南シナ海からインド洋沿岸域における中国潜水艦の行動をモニターできることになろう。こうした計画に関するインド政府の公式発表はないが、恐らく中国の「接近阻止/領域拒否 (A2/AD)」戦略がインドによるベンガル湾で対応措置計画の引き金になったと見られる。著名な中国問題専門家、Lyle Goldsteinの最近の論説によれば、中国は、米潜水艦探知のために南シナ海の海底に音響センサーを設置する"Great Wall"を建設中という。

(2)インドから見て興味深いのは太平洋における日米のセンサー網で、米海軍と海上自衛隊は2000年代始めから、中国潜水艦の活動が活発になったことに対応して、東シナ海と南シナ海に潜水艦探知用の固定センサー網の設置を開始した。2005年始めには、沖縄とグアムと台湾を基点に日本本土から東南アジアにまで伸びる海底センサー、"Fish Hook Undersea Defense Line"*が完成した。このシステムは、1つは沖縄から九州南部まで、もう1つは沖縄から台湾までの2つの水中聴音ネットワークで構成されているといわれる。中国は2013年7月、日米が台湾の北端と南端に海底モニターシステムを設置したと非難した。恐らくその1つは与那国島から尖閣諸島へ、もう1つはバシー海峡からフィリピンまでをカバーしていると見られる。更に、中国の軍事アナリストは、中国の潜水艦基地がある青島、大連の近くの小平島そして海南島三亜にそれぞれ近接した中国の管轄水域に多数の水中聴音装置が設置されていると非難している。もっとも、これらが全面的に稼働しているかどうかは定かではない。冷戦時代から日米が共同で運用してきた、津軽海峡沖に設置された北東太平洋SOSUSと対馬海峡沖に設置された南西太平洋SOSUSは旧式で、その効果には疑問は残る。

(3)インド政府は、外国のパートナーと機密性の高いセンサーとそこから得られる情報を共有することについて慎重に検討しなければならない。例えば、日米共同運用のSOSUSは米海軍の運用統制下にある。インド海軍にとってそのような運用は快いものではないだろう。インドの一部専門家は、インドがアンダマン・ニコバル諸島に海底センサーを設置すれば、中国は挑発的なA2/ADツールと見なすかもしれないと懸念している。音響監視システムというものは、継続的な費用と人的投資を必要とする。システム管理とデータ解析の専門家が必要となる。日米は長年にわたってシステムの運用維持に投資してきた。インドは、SOSUS設置について日本の支援を得られても、関連技術やデータ解析の専門家を養成するには長い年月を要するであろう。多くの課題があっても、インド洋に設置されたセンサー網は計り知れない効果が見込まれる。対潜能力に弱点を抱え、稼働潜水艦が少ない国にとって、海底センサーは「神の恵み」となろう。インドはこれまで、対潜能力の強化にあまり力を入れてこなかった。完成度の高い抑止システムとその運用が可能になれば、インドは引き続きインド洋における戦力的優位を維持することができるであろう。

記事参照:
"India's "Undersea Wall" in the Eastern Indian Ocean"
備考*:"Fish Hook Undersea Defense Line"については以下の記事を参照。
Japan and US enclose Chinese coast within sensor net
The Saturday Paper.com, April 18, 2015

6月15日「南シナ海仲裁裁判裁定後、中国はフィリピンと交渉すべし―米専門家論評」(South China Morning Post.com, June 15, 2016)

ニューヨーク大学法学部教授Jerome A. Cohenは6月15日付の香港紙、South China Morning Post(電子版)に、"Is there a way for Beijing to save face after the South China Sea arbitration ruling?"と題する論説を掲載し、南シナ海仲裁裁判裁定後、中国はフィリピンと交渉すべしとして、要旨以下のように述べている。

(1)南シナ海仲裁裁判の裁定を控えて、中国は益々宣伝戦に力を入れており、裁判への不参加の正当性を訴え、裁定を拒否する構えを見せている。当然ながら、中国国際法学会と中華全国律師協会は共に、政府を支持する主張を発表した。中国は、国連総会やその他の国際会議において裁定受け入れを迫られる事態に備えて、南シナ海問題とは関係のない多くの内陸部の独裁国や小国に対して中国の立場を支持するように圧力をかけているとの噂さえある。対照的にフィリピンは、国連海洋法条約 (UNCLOS) に基づいて開廷された南シナ海仲裁裁判で自国の主張を展開する以外に、特に国際社会に対してロビー活動をあまりしてこなかった。フィリピン大統領に選出されたドゥテルテは、7月1日に就任する。最近の兆候から、ドゥテルテが大統領就任後、中国からの大規模な経済支援と引き替えに海洋問題に対するフィリピンの立ち位置を軟化させる可能性がある。

(2)台湾は、自らを第3者的な立場にあると考えている。最近退陣した馬英九前総統は、世界と南シナ海仲裁裁判所に対して、南沙諸島最大で台湾が占拠している唯一の島、太平島 (Itu Aba) が200カイリのEEZを有する「島」としての法的地位を有し得ると説得することに全力を挙げてきた。台北と北京は、共に中国を代表していると主張していることから、南シナ海仲裁裁判では多くの訴因に対して似たような立ち位置にある。しかしながら、台北は、北京との違いを強調して、仲裁手続きや裁定を無視するという態度はとっていない。台北は、UNCLOSに基づく仲裁裁判の裁定の正当性には異議を差し挟んでこなかった。反対に、台北は、国連から排除されていることを理由に、審議過程に参加する機会を拒否されたことを不満に感じている。それでも、台北は、法廷には招請されなかったが、法廷に対する「助言者」として、中華民國國際法學会が作成した意見書*の提出を通じて仲裁裁判の裁定に影響を及ぼそうとしてきた。自身も有能な法律家である蔡英文に率いられた台湾新政権が、南シナ海に関して馬英九前政権の法的立場をどの程度まで変更するかは分からない。蔡英文政権の馮世寬国防部長は、中国に南シナ海における防空識別圏ADIZ) を拒否すると言明している。

(3)アメリカは、南シナ海仲裁裁判の裁定の重要性を認識し、G7などの機会を捉えて、北京がUNCLOSの加盟国としてその義務の履行を拒否することがないよう要請してきた。更に、オバマ大統領は、遅まきながら米上院に対しUNCLOS加盟を承認するよう要請した。恥ずべきことに上院はこの問題を30年間も保留し、アメリカがUNCLOSを側面から支援せざるを得ない気まずい立場に置き続けてきた。また、アメリカの国際法や政治専門家は、中国の対外政策、南シナ海の平和そして法の支配する国際社会にとっての南シナ海仲裁所裁定の重要性を強調してきた。米国際法学会は4月の年次総会で、2名の中国の専門家を加えて南シナ海問題について討議した。更に外交問題評議会や戦略国際問題研究所、及びその他の著名なシンクタンクも南シナ海問題の研究会を実施し、かなりの数の社説、論説、長文の記事が主要な新聞、雑誌に掲載された。

(4)中国は今、明らかに国際社会から非難されることを懸念し、やむを得ずモザンビーク、スロベニア、ブルンジやその他多くの弱小で遠隔の国々からの支援を取り付けようとしている。当然ながら、このことは、南シナ海問題で中国と対立するアメリカ、日本そしてインドのような大国が南シナ海問題の当事国ではなく、従って中国が南シナ海問題に関与する権利はないと主張していることを考えれば、皮肉なことである。

(5)2013年のロシアの北極海ガス田を巡るオランダ籍船の拿捕事件で、UNCLOSに基づく仲裁裁判所の管轄権とオランダ寄りの裁定を拒否して評判を落としたロシアは、南シナ海問題には中立の立場を表明した。他方、2014年にベンガル湾の海洋境界確定問題でバングラデシュに敗れた時、インドはいかなる大国といえども仲裁裁判所の裁定を受け入れ、裁定を基礎に新たな交渉を行うべきであるとの声明を出した。裁定が出れば、中国とフィリピンは、新たな交渉を開始し、公には裁定に言及することなく、しかし裁定を考慮に入れて問題を解決することができよう。もちろん、大国の「メンツ」は重要である。しかしながら、北京の過剰な宣伝戦は、「メンツ」を立てることをかえって難しくするであろう。

記事参照:
Is there a way for Beijing to save face after the South China Sea arbitration ruling?
備考*:台湾意見書

6月17日「仲裁裁判を無視する中国の論理―在台北専門家論評」(The National Interest, June 17, 2016)

英The University of Nottingham's China Policy Instituteの在台北上席研究員J. Michael Coleは、The National Interest(電子版)に6月17日付で、"China vs. Philippines in South China Sea: The Only Thing You Need to Know"と題する論説を寄稿し、中国が南シナ海仲裁裁判を無視する理由について、要旨以下のように述べている。

(1)フィリピンは国連海洋法条約 (UNCLOS) に基づいて仲裁裁判所に中国を提訴したが、この提訴は、南シナ海問題を国際化して国際的な関心を集めるとともに、中国による国際法や国際機関を軽視する姿勢を国際的に知らしめる、南シナ海問題の弱者による最後の手段といえる。他方で、南シナ海仲裁裁判所による裁定には拘束力がないことから、北京にとって、この裁定に従ったり、裁定に基づいて多国間交渉を始めたりする道義的な理由はほとんどない。しかしながら、この問題に対する北京の胸中を理解する上でより重要なことは、例え裁定に拘束力があったとしても、北京が裁定に従う可能性はほとんどないであろうということである。

(2)その背景にある理由は、歴史的な「国恥 ("national humiliation")」に直接繋がるものであり、また国際機関や国際法の法的効力を西欧帝国主義の産物として、パワーの不公平な配分を維持する機構以外の何物でもないという信念にある。言い換えれば、北京に対する国際法廷による裁定は、西欧が東アジアにおける同盟国とともに中国を服従させるようとする陰謀の「証拠」に他ならないと見なしているのである。米Seton Hall UniversityのZheng Wang准教授がその著書、Never Forget National Humiliationで述べているように、中国は官民ともに「国恥」感情を持ち続けおり、それが外交政策に強く反映されているのである。2013年に実施されたある調査によれば、中国の回答者の83%が南シナ海問題をいわゆる「屈辱の世紀」の延長と見なしている。中国共産党政権は、「国恥」感情を強調するするとともに、中国を国際社会の頂点に近い正当な地位に戻すことができる唯一の政権として共産党政権を位置付けることによって、国内的な政権の正当性を維持してきた。それ故、共産党政権は、その信頼性を僅かでも損なうことができないのである。自国領土の不可分の一部と見なすものを失うようなことになれば、共産党政権の国内的信頼性が失墜することになろう。更に、北京は、人工島造成に多大の経済的、物理的投資を行ってきており、これらが頓挫することは共産党政権のイメージを大きく損なう屈辱的な打撃となろう。南シナ海問題に対する益々好戦的になってきている北京の主張は紛争相手を抑止する単なる宣伝外交かもしれないが、こうした主張は、紛争が激化した場合、それを鎮静化させる上で北京の足枷になるかもしれない。言い換えれば、北京がエスカレーションの危険性を認識していたとしても、政権の支持基盤を失わないために、好戦的な主張を続けざるを得ない、後戻りできない状況に自らを追い込んでいるといえよう。

(3)中国は、超大国への野心を持つ地域的な大国として、中国自身の国益が損なわれると見なせば、国際法による制約を無視する「権利」を得たと考えているようであり、従って、中国は、過去にアメリカなどの大国が裁定を無視した多くの先例を挙げて、自らの行動を正当化することに躊躇することはないであろう。また、中国共産党政権は、中国の安全保障は自国の沖合に緩衝地帯を設けることによって担保されるとの認識を強めているおり、従って、この認識は最終的には、安全保障が脅かされた場合に設定する権利を有すると主張する、南シナ海上空の防空識別圏 (ADIZ) の設定に具体化されることになろう。中国共産党政権にとって、領域の拡大は戦略的要請と名誉や威信に関わるものであり、如何なる後退も致命的な打撃になりかねない。

(4)南シナ海に対する中国の主張が高い代償を強いられることになるまで、即ち地域大国やアメリカとの紛争の危機が高まるまで、領土的野心を中国に放棄させるのは難しいであろう。南シナ海に対する主権の帰属先を学術的な観点からいくら説明したところで、中国共産党政権に政策変換を強いる力にはなり得ない。北京は、国際関係において一定の力を持っており、最早「現状維持」パワーではない。従って、中国は、文明化された大国としての中国の再興に見合う、「世界の再編」を求めることに何らの疚しさを感じることはないであろう。南シナ海問題を国際法廷に訴えることは理論的にはグッドアイディアだが、その裁定によって、現実の問題に影響を与える可能性は全くないといえる。

記事参照:
China vs. Philippines in South China Sea: The Only Thing You Need to Know

【補遺】旬報で抄訳紹介しなかった、主な論調、シンクタンク報告書

1. New FAS Nuclear Notebook: Chinese Nuclear Forces, 2016
Federation Of American Scientists, July 1, 2016
By Hans M. Kristensen and Robert S. Norris

2. Full Text
The Tribunal's Award in the "South China Sea Arbitration" Initiated by the Philippines Is Null and Void
Chinese Society of International Law, June 10, 2016

3. Chinese nuclear forces, 2016
Bulletin Of Atomic Scientists, June 13, 2016
Hans M. Kristensen & Robert S. Norris

4. China Naval Modernization: Implications for U.S. Navy Capabilities--Background and Issues for Congress
Congressional Research Services, June 17, 2016
Ronald O'Rourke, Specialist in Naval Affairs

5. The Rise of Admiral Sun Jianguo and the Future of U.S.-China Naval Relations
China Brief, The Jamestown Foundation, June 20, 2016
By Jeffrey Becker, a research scientist in the CNA Corporation's China Studies Division

6. Approaching critical mass: Asia's Multipolar Nuclear Future
The National Bureau of Asian Research, June 2016
By Matthew Kroenig, an Associate Professor in the Department of Government and School of Foreign Service at Georgetown University and a Senior Fellow in the Brent Scowcroft Center on International Security at the Atlantic Council.

7. Becoming a Great "Maritime Power": A Chinese Dream
CNA, June 2016
Rear Admiral Michael McDevitt, USN (retired)

8. China's "New Silk Road" and US-Japan Alliance Geostrategy: Challenges and Opportunities
Issues & Insights, Vol. 16-No. 10, Pacific Forum CSIS, June 2016
By Peter G. Cornett, a former SPF (Non-resident) Fellow with CSIS and a Postgraduate Fellow with the Royal Geographical Society. His research interests range from geopolitics and grand strategy to propaganda and space security. Cornett holds an MA in War Studies from King's College London and an MSc in International Relations from the London School of Economics and Political Science.


編集・抄訳:上野英詞
抄訳:秋元一峰・倉持一・高翔・関根大助・向和歌奈・山内敏秀・吉川祐子
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