海洋情報旬報 2015年9月21日~30日

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9月21日「中国が望む世界秩序と米中関係―米シンクタンク研究員論評」(PacNet, Pacific Forum, CSIS, September 21, 2015)

米シンクタンク、The Stimson Centerの上席研究員、Yun Sunは、Pacific Forum (CSIS) の9月21日付のPacNet に、"China's Preferred World Order: What Does China Want?"と題する論説を寄稿し、中国の新しい世界秩序のビジョンは、アメリカやアジア太平洋諸国と共有されておらず、その認識の差異は最も大きな不安定要因となり得るとして、要旨以下のように述べている。

(1) 中国は、その経済力、政治力そして軍事力が増大するにつれて、この地域においてより大きな場を占めるに値すると考えている。この意味で、中国の政策路線には修正主義的性質が目立つ。習近平政権下において、この修正主義的傾向が一層加速されてきた。「中華民族の偉大なる復興」という旗印の下、鄧小平の有名な政策である「韜光養晦」は、習近平の外交政策からほぼ完全に消えた。中国の外交官や学者は、中国が新しい高圧的なスタイルの政策を展開するにつれ、近隣諸国や世界のその他の地域は「新しい常態」として受け入れるであろうと確信している。中国の外交政策コミュニティでは、覇権国家への中国の台頭は、最早議論の対象ではない。アメリカが依然唯一の世界的超大国であることを疑問視する者はあまりいないが、中国がいずれアメリカを凌駕する運命にあることを疑う者は更に少ない。唯一の疑問は何時かということである。従って、「新型の大国関係」を構築するという提案と、「ツキディデスの罠」(米中覇権戦争不可避論)を如何に回避するかを巡る過熱した論議は、中国の見方では、力の移行の結果とはほとんど無関係である。むしろ、中国人は、力の移行のプロセスを如何に管理するか、言い換えれば、平和裏に、そして最小限の混乱で如何にアメリカに取って代わるかを重視している。

(2) 習近平の治世下(2012年から2022年)では、中国はアメリカに取って代わるという目標を恐らく達成できないであろうことは広く認識されているが、多くの者は、現実的な可能性として、中国はまずアジアにおける優越を達成するであろう、と見ている。このため、中国の学者は、アジアにおけるアメリカの役割を無視する独創的な論議を展開してきた。例えば、一部の学者は、「アジアのパワー」というアメリカのアイデンティティに異議を唱え、アメリカはアジア太平洋パワーであるが、アジアの国ではなく、従ってアジアにおいて果たすべき固有の役割を持たない、と主張している。他の学者は、太平洋は「アメリカと中国をともに受け入れるだけの十分な広さ」があり、従って、アメリカは太平洋の東半分で満足し、西半分において中国に干渉することは止めるべきである、と主張する。中国の学者たちは、アメリカの同盟システムを、アジアにおける新しい力の平衡関係にとって「時代遅れ」で、「不安定」なものと決め付け、アメリカは、その同盟システムを解消するか、あるいは少なくとも中国に優越の座を空けるために、それを調整するべきである、と主張する。

(3) 本質的に、中国が望む最終目標は、短期的にはアジアにおける中国支配の安全保障構造の構築であり、長期的には中国主導の世界の権力構造の実現である。中国は、協調的な国に対しては、経済繁栄、公共財の提供そして実利的な利益を以て報いる意志があるが、その見返りとして、敬意、協力、あるいは中国が重要だと考える問題に対して少なくとも黙認することを要求する。このビジョンは、域内諸国に敬意と特別待遇を求める「繁栄し寛容な」覇権国としての中国による、東アジアにおける中国の古代朝貢システムを彷彿とさせる。中国への敬意と引き替えに、これら諸国は、高度な文化と技術とともに、経済的報酬を受け取る。このような枠組みにおいては、これら諸国を従わせる上で、中国の圧倒的な強さとその寛容な姿勢が、必要かつ十分条件である。「一帯一路」構想は、中国中心の階層秩序に組み込まれたものである。

(4) 習近平の世界観は、中国の新しい野望を育み、実現していく上で、不可欠の役割を果たしている。習近平は、パワー・ポリティクスと世界のリーダーとしての中国の運命を信じる、リアリストといわれる。更に、国内政治基盤の確立によって、習近平は、指導体制内からの重大な抵抗を受けることなく、自らの外交政策を追求できるようになった。一部の学者は、「一帯一路」構想などの経済的実行可能性と政治的リスクを不安視しており、依然唯一の超大国であるアメリカに対する挑戦を時期尚早と見ている。それにもかかわらず、全てのプロパガンダは、習近平を支持するたった1つの意見を喧伝するために動員されており、中国政府は、批判を拒否するが、習近平の計画における問題点を解決するための「建設的」アドバイスはこれを歓迎している。従って、中国のアナリストや学者にとって、習近平の「高圧的な姿勢」を支持することが、政治的にも、経済的にも自己利益に繋がるのである。

(5) しかしながら、力、尊敬そして覇権を目指すという本能的な野望を超えて、中国はまず、より基本的な問題を自らに問わなければならない。要するに、中国の指導部は、賄賂や強制なしで如何にすれば他者に受け入れてもらえるかということである。彼らは、尊敬を要求することはできず、また畏怖は尊敬と同じではないということ理解しなければならない。今までのところ、中国は、リーダーになるということは、狭い国益を超えた、そして時には短期的な利益を犠牲にしてでも、地域や世界から正しいと見られる行動をとるというビジョンが必要であるということを、理解できていない。リーダーシップを発揮するためには、中国は、政治的な勇気を示すとともに、共通の価値観と国際的規範を完全に受け入れなければならない。この点に関して、中国はまだまだ前途遼遠である。中国の自信過剰は、多くの理由から懸念される。新しい世界秩序を目指す中国のビジョンは、アメリカやアジア太平洋地域の多くの国と共有されていない。アメリカと中国の双方の理想的な世界秩序へのビジョンはそれぞれ長所もあれば、弱点もあるが、双方の世界秩序に対するビジョンが大きく異なっていることは、イデオロギー的、実際的な抗争を生起させることになろう。この意味で、自らの誤算や相手に対する誤解は、今後数年間の米中関係において、最も大きな不安定要因となるであろう。

記事参照:
China's Preferred World Order: What Does China Want?

9月23日「米中関係に新たなリアリズムを―米専門家論説」(The National Interest, September 23, 2015)

米シンクタンク、American Enterprise Institute (AEI) のMichael Auslin研究員は、9月23日付けの米誌、The National Interest(電子版)に、"Time For Realism In U.S.-China Relations"と題する論説を発表し、アメリカは中国との経済関係に拘泥して彼らの平和を乱すような振る舞いを見逃すようなことをしてはならず、今こそ、中国との間に新たなリアリズムに基づいた関係を構築するべきであるとして、要旨以下のように論じている。

(1) アジア・ウォッチャーの誰もが、米中間の衝突を予測したり望んだりはしていない。しかしながら、現在の中国は、アメリカとの関係の未来に深刻な疑念を生じさせている。第1に、中国の近隣諸国で、今日の北京が極めて平和的であると感じている国はほとんどない。東シナ海と南シナ海における海洋領土を巡る紛争に対する中国の高圧的態度は依然続いており、加えて、中国は紛争海域に人工島を造成し、その軍事化を進めている。9月初めの軍事パレードで誇示したように、中国の軍事力は自らの強さを示す明確なメッセージであり、中国に対抗する勢力に対する警告なのである。そして第2に、長年中国を観察してきた専門家は最近、中国の政権の安定性に対して益々懸念を強めていることである。習近平国家主席は、社会の安全性に対する懸念を払拭するために、社会的な弾圧を強化している。米ジョージワシントン大学のDavid Shambaugh教授のような高名な学者も、中国共産党政権は終盤を迎えつつあると言い始めている。アメリカは、できるだけ長い間、中国が金の卵を抱いたガチョウでいることを願い、こうした中国の破綻という見方を見過ごそうとしている。しかし、最近の経済の停滞は、中国の繁栄を当然視できないことを示した。幾つかの経済指標は、工業生産が低下し、輸入も縮小していることを示している。そのような景気減退は、中国の新興ミドル層にダメージを与え、社会の安定性がより危険に晒されることになろう。経済の停滞と国内問題を抱える中国が、「国際社会における責任あるプレーヤー」には成り得ない。実際、それは既に不可能である。

(2) 問題は、アメリカは何ができるかということである。アメリカは、どのようにして最大の貿易相手国であり、世界第2位の経済大国に対して効果的な圧力を加えることができるか。今こそ、米中関係に新たなリアリズムが必要な秋である。このリアリズムは、北京が選択しつつある、中国との抗争にアメリカが拘束されるということを、まず公式に受け入れることからスタートする。アメリカの経済は中国との相互依存を益々高めていくかもしれないが、最早、米政府当局は、貿易関係への悪影響を恐れて中国の挑発を見逃すことはできないのである。今や、かつてオバマ政権が好意的に捉えていた、米中ハイレベル対話をリセットすべき時である。グローバルな行動規範に反し続ける国家は、アメリカの指導者に丁重に迎えられるべきではない。更に、中国が領有権を主張する地域の安定のために、アメリカが保証人として振る舞うことは既に過去のものとなった。中国の領有権主張という挑戦に対して何もしないということは、アメリカが基本的にその挑戦を黙認することになるし、アジアの同盟国に対して政治的な弱腰姿勢という誤ったメッセージを送ることになってしまう。アメリカが南シナ海において強力な軍事力を行使してくるかもしれないということを中国が理解すれば、中国は国際的な行動規範を今以上に弱体化させようという企みに対して慎重になるであろう。

記事参照:
Time For Realism In U.S.-China Relations

9月24日「東シナ海と南シナ海で異なる中国のナショナリズム―米専門家論評」(The National Interest, September 24, 2015)

米コーネル大学准教授、Allen R. Carlsonは、9月24日付の米誌、The National Interest(電子版)に、"Why Chinese Nationalism Could Impact the East and South China Seas VERY Differently"と題する論説を寄稿し、中国のナショナリズムの作用は、東シナ海と南シナ海では異なるとして、要旨以下のように述べている。

(1) 東シナ海と南シナ海のいずれにおいても、紛争の主たる推進力がナショナリズムの高揚、特に中国のそれであることは広く認識されている。しかしながら、このような見方は不完全なものであり、誤解を招く結果となる。中国のナショナリズムは特異な存在ではない。アジアの近隣諸国に対して、中国のナショナリズムが噴出する形態は著しく異なっている。このような差異は重要だが、北京が海洋紛争に対処する上でそれがどのような意味を持つか、そして海洋紛争の激しさにそれがどの程度影響を及ぼしているかについては、ほとんど見落とされている。日本に対する中国のナショナリズムは、東シナ海に対する中国のアプローチを強固なものにする程激しい。対照的に、南シナ海においては、中国のナショナリストにとってはそれ程熱狂的ではないが、状況はより流動的で、潜在的に危険である。

(2) 東シナ海では、ナショナリズムは紛争の抑止力になり得るか。

a.日本に反対することは、現代中国のナショナリズムにとって基礎的な支えであり、中国における日本に対する敵愾心の深さを過小に評価できない。このような日本に対する態度は、東シナ海の釣魚/尖閣諸島を巡る紛争を益々揮発性に高いものにすると思われるかもしれない。こうした態度は2012年の日中対立を煽ったが、当時、中国の指導者は、日本との直接的な軍事衝突に至らない段階で情勢を沈静化させた。何故なら、戦場での死がもたらす国内への波及的影響は計り知れず、制御不能になったかもしれないからである。言い換えれば、日本に対する中国のナショナリストの感情は、東京との紛争を無限に煽ることは余りに危険過ぎると、北京が理解している程度の毒薬であるということである。

b.以後の冷ややかな関係ながら、東アジアの2国間の緊張緩和は、このような動きの自然な流れである。東シナ海においては、北京は、中国における深い反日感情によってかえって抑制されている。このような反日感情は、釣魚/尖閣諸島を巡る平和の見通しを非常に遠いものにしてしまうが、紛争それ自体を凍結させる効果を持つ。現状で凍結されれば、解決の見込みもないが、武力衝突に至る可能性もない。従って、図らずも、中国のナショナリズムは、少なくとも東シナ海の場合は、この地域における安定要因に似たものであると言える。

(3) 南シナ海ではどうか。中国のナショナリストは、南シナ海にも狙いを定め、係争領域を取り戻そうとしている。しかしながら、中国のここでのナショナリズムは、東シナ海における程爆発的なものでなく、目立っていない。ここでもベトナムとフィリピンによる中国主権の侵害に対して、中国には恨みがあるが、日本と比較すれば、中国のナショナリズムの高揚の中では、ベトナムとフィリピンは小さなプレーヤーである。ベトナムあるいはフィリピンのいずれによっても、南シナ海における中国人の死は中国のナショナリストの憤怒を高めるであろう。しかしながら、日本との間でのそれと同じ程、中国のナショナリストの感情は燃え上がらないであろう。結果として、中国の指導者は、国内的に大きなリスクを冒すことなく、より大きな圧力をハノイとマニラにかけることで、国内のナショナリストの信用を得ることができよう。

(4) 南シナ海における軍事衝突の危険性は大きい。何故なら、中国の指導者は、この海域における他の領有権主張国に対する中国の国内感情にそれ程囚われなくてもよいからである。従って、東シナ海の場合に予想される国内の反響と違って、北京は、ベトナムやフィリピンに対する高圧的な政策を展開できる。このことは、習近平が、中国の南方海洋においてはより冒険的な政策を展開できる余地があることを意味する。アメリカは、日中の領土紛争から身を引くべきではなく、また、南シナ海におけるこうした微妙な状況にも関心を向けるべきである。アメリカは依然、戦争の瀬戸際からこの地域を引き戻す役割を演じることができるからである。

記事参照:
Why Chinese Nationalism Could Impact the East and South China Seas VERY Differently

9月29日「南シナ海を巡る5つの『神話』」(The National Interest, September 29, 2015)

米海軍大学准教授、Lyle J. Goldsteinは、9月29日付の米誌、The National Interest(電子版)に、"The South China Sea Showdown: 5 Dangerous Myths"と題する論説を寄稿し、ワシントンでは、南シナ海とそれに関連する米中間の戦略的相互作用に関する幾つかの「神話 (Myth)」が囁かれてきたとして、要旨以下のように述べている。

(1) 「神話1」:オバマ政権は2012年春のスカボロー礁(黄岩島)事案において重大な過ちを犯し、中国の更なる「侵略」を促すことになった。

政府批判者によれば、このスカボロー礁事案は、北京にフィリピンなどの海洋権限主張国に強く圧力をかけても良いとの「青信号」を与えた、米政権の最も重大な誤りの1つである。実際、中国の戦略家達は、この事案を研究し、いわゆる「黄岩模式(スカボロー礁モデル)」として、中国の海洋戦略に対する包括的な結論を導き出そうと試みてきたことは事実である。これは、アメリカの安全保障政策にとって打撃となるであろうか。アイゼンハワー大統領は、ベルリン危機の際にアメリカを戦争に導かないと言明した。アメリカの指導者はそのような重大な決心をしなければならない。オバマ大統領は、2012年のスカボロー礁危機の間、あるいはその他の危機の場合にも、アイゼンハワーと同じようなジレンマに直面したに違いない。アイゼンハワーと同様に、オバマも、漁業や採掘権といった些細な問題で他の大国との戦争にアメリカを巻き込んではならないと結論づけたに違いない。この賢明な決断は、南シナ海の冒険主義者、就中マニラの冒険主義者に対して、アメリカには関与しなければならないはるかに多くの緊急事案をあることを伝えるメッセージであった。

(2) 「神話2」:南沙諸島における中国の埋め立て活動は、「基地」に等しいものであり、地域の勢力均衡を変えるに十分なものである。

賢明な軍事戦略家は、こうした想定を非常に馬鹿げたものと見なすであろう。精密攻撃の時代に、ほとんど全ての固定目標は、例え二流の軍事力でも容易に破壊できる。埋め立て活動によって、北京は、新しく建設した滑走路から哨戒機、対潜機、あるいは戦闘機までも運用する新たな機会を得ることができた。そして恐らく、中国は、小型フリゲート、高速攻撃艇、あるいは潜水艦さえもこれらの新しい基地施設に展開するかもしれない。しかし、この推測には無理がある。サンゴ礁の上に戦略的に十分な燃料、弾薬を貯蔵することはほとんど不可能であることはもちろんだが、これら艦艇は敵の砲火に晒されるので、戦闘時における戦力的価値はほとんどないか、役に立たないであろう。言い換えれば、ファイアリークロス礁(永暑礁)の「基地」を発進した、Su-27戦闘機は、南シナ海での紛争が始まって数時間の内に撃墜されているであろう。武力紛争において有用な作戦上の役割を果たすことが期待できる場合に、これら施設は「基地」と呼ばれる。この定義に従えば、これら施設は基地ではない。むしろ単なる象徴的な前哨拠点に過ぎない。

(3) 「神話3」:アメリカは、南シナ海問題で、同盟国とパートナー諸国と協調しなければならない。

アメリカの国益は帰するところ同盟国とパートナー諸国の利益を合わせたものである、との考えがある。北京がしばしば非難するように、全ての懸案を満足させ、鎮静化させるというワシントンの熱意は、様々な対立において、同盟国やパートナー諸国にアンクルサムが背後にいてくれるという望みを抱かせ、これら諸国を過激な対応に押しやる誤った誘因を生み出してきた。リスクと報償とのマトリックスの中で、一部のフィリピンのナショナリストは、リード・バンク(礼楽灘)の掘削権を護るためには、マニラは第3次世界大戦の危険を冒しても価値があるとの無理な結論を導き出す可能性がある。フィリピンは、そのような紛争になれば甚大な危害を被るであろう。そして、同じような結論を導き出すアメリカ人はほとんどいないであろう。実際、この事例が示すように、フィリピンとアメリカの利益は論理的には全く異なる方に向いている。アメリカの同盟国、フィリピンに対する防衛上のコミットメントは、防衛的なものでなければならず、ルソン、パラワンなど主要な島を対象としたものでなければならない。「グレーゾーン」におけるフィリピンの主張を対象にしてはならない。

(4) 「神話4」:ダイナミックな東アジアの経済は、南シナ海をアメリカの安全保障利益の「核心」としている。

南シナ海に関して、最も一般的で、しかし最も馬鹿げた考えの1つは、この地域の経済的活力は、この海域においてアメリカが他からの挑戦を受けることのない卓越した軍事力を維持しなければならないことを必要とする、ということである。極端な立場を取れば、この論法は、世界の貿易体系全体が南シナ海における中国の行動によって大きな脅威を受けているという主張に繋がる。この見解に同意する信用できるエコノミストあるいはウォールストリートの分析者を発見できれば幸運である。もし中国が南シナ海において更なる影響力を獲得すれば、海上経由の貿易(引いては世界経済)が崩壊するという論議は、19世紀的な時代錯誤である。

(5) 「神話5」:最終的に戦うことになれば、アメリカは「中国を打ちのめすであろう」。これは最も危険な「神話」である。

この「神話」を疑う理由は多くある。中国は、アメリカの軍事力に対抗し得る、対艦弾道ミサイル、大量の新型超音速巡航ミサイル、多くの攻撃航空機、水上艦艇、潜水艦、機雷、そして抗堪化された基地などを保有している。しかし、軍事戦略における最も基本的な現実は、「敵地での戦い」よりも「自陣での戦い」の方が非常に簡単であるということである。中国海軍の非公式なスポークスマンである尹卓元少将は、この点について「将来、もし米中の間で戦争が起これば、それは中国の門前で戦われるであろう。はっきりと言えば、門前で戦うのであれば何も恐れることはない」と述べている。仮に米中戦争があったとしても、その中核となる極めて濃密な海空作戦では、例えば対テロ作戦の戦闘経験などにおけるアメリカの優位は役立たない。これは敗北主義ではない。むしろ、米中戦争は全く容易なことではなく、その紛争がどのようにして終わるか、確かなことは誰も知らないということを明確に理解しておかなければならない。

記事参照:
The South China Sea Showdown: 5 Dangerous Myths

9月29日「アメリカ海軍の規模は適正か―米専門家論評」(The Center for Strategic and International Studies, September 29,2015)

米シンクタンク、The Center for Strategic and International Studies (CSIS)の上席顧問、Mark Cancianは、9月29日付けのCSISのWeb上で、米海軍について、海軍の規模がどうあるべきか、歴史的経験と他の海軍に比較して現在の規模が妥当なのかなどについて、要旨以下のように述べている。

(1) 現在の海軍の規模はどの程度か。

2015年9月23日現在、272隻(技術的に展開可能な戦闘艦艇数)である。海軍は、10隻の空母(USS Fordが2016年就役すれば、11隻)を保有しており、各最大90機の航空機を搭載する。空母を中核とする戦力構成は、その高いコストのため論争の的となってきた。1隻の建造費は約120億ドルで、これには護衛戦闘艦と航空機のコストが含まれていない。海軍は、空母の護衛と独立した任務遂行のための100隻の水上戦闘艦艇、54隻の攻撃型原潜、核抑止力のための14隻の弾道ミサイル原潜、対地攻撃用の4隻の巡航ミサイル原潜、海兵隊を戦闘展開させる30隻の両用揚陸艦、及び支援と補給用の約60隻の艦船を保有している。

(2) アメリカの歴史的な標準戦力から見て、現在の海軍は小規模か

答えはYesであり、Noでもある。艦艇数を数える通常の基準から見て、現在の海軍は歴史的にみて最小規模である。272隻という現在の隻数は、レーガン政権時の550余隻、クリントン政権時の300隻に比べて少なく、冷戦終結時のレベルより減少してきた。一方、トン数について見れば、現在の海軍は合計510万トンで、272隻の艦艇を保有している。1975年には、海軍は570万トンで559隻の艦艇を保有していた。1975年の海軍は、現在よりトン数にしてわずか10%上回るだけだが、隻数は2倍であった。これは、海軍艦艇が時代とともに大型化してきたからである。例えば、現在のArleigh Burk級駆逐艦 (DDG-51)の排水量は9,000トンで、1970年代の駆逐艦の排水量はその半分であった。第2次世界大戦当時では、9,000トンの艦は巡洋艦で、戦艦に次いで2番目に大きな艦であった。同様に、第2次世界大戦の艦隊航空母艦は約4万トンだったが、今日の空母は9万トンである。海軍は、最新の艦艇を建造するためにより早めに艦艇を除籍する傾向にある。隻数は減少する傾向にあるが、能力(そして、しばしば排水量)はより大きくなっている。

(3) 海軍は、アメリカの軍事所要から見て小規模か

これは、大統領が実行したい戦略次第である。かつては、海軍は2つの所要からその規模が決まった。即ち、戦時の戦闘作戦と、日々の前方展開である。オバマ政権の目標は、1つの地域で敵を打ち破るとともに、他の地域では別の侵略者の目的達成を拒否し、あるいは受け入れ難いリスクを強いることである。要するに、アメリカは、1つの敵に対しては、彼らの体制変更を含め、決定的に打破するが、もう1つの敵に対しては、アメリカは多くを求めず、紛争前の原状回復を目標とするということである。海軍力の日々の前方展開は、パートナー諸国と同盟国への関与、潜在的な紛争の抑止、危機の場合における迅速な対応などを目的とするものである。歴史的に、アメリカは、3つの戦域に前方展開部隊を維持してきた。太平洋、地中海とヨーロッパ、そしてインド洋/中東である。継続的にこれらの3つの戦域に空母打撃群(空母とその護衛艦隊で編成)を前方展開させるためには、今日の海軍軍事施設の下では14~15隻の空母を必要とする。オバマ政権は、3つの戦域全てにおいて同時に空母を運用せず、特に地中海とヨーロッパへの展開には間隔を開けることで、若干のリスクはあるにしても、現在規模の海軍でその戦略を実行することができる。しかし、海軍は、予想外の事態に対応するためにも、規模の拡大を望んでいる。その目標は、308隻態勢で、現在の隻数より更に36隻が必要である。海軍は、2019年にそのレベルに達し、次の20年間その艦隊規模を維持する計画である。しかしこれには、追加の建造予算が必要になる。

(4) 米海軍は次に続く7カ国の海軍、あるいは他の海軍より大きいか、それは過剰ではないのか

この答えも、Yesであり、Noでもある。Yesについて、米海軍は次に続く7カ国または他の海軍より大きい(どのように数えるかにもよるが)、そしてこれらの国はほとんどがアメリカの同盟国である。特に、アメリカの空母は世界で最も大きく、その隻数も残りの世界の全空母を合わせたよりも多い。アメリカは10隻の空母を運用していて、間もなく9万トンの新型空母が追加され、11隻となる(加えて、10隻の4万トン級両用揚陸艦を保有している)。対照的に、中国は、1隻の6万トン空母(旧ソ連の「リガ」、現在の「遼寧」、技術的には訓練艦)を保有しており、ロシアは「遼寧」の姉妹艦、Admiral Kuznetsovを保有している。

Noについては、米海軍には他の海軍にはないグローバルな責任があり、必ずしも過剰な戦力というわけではない。米海軍は、地中海、中東そして太平洋で軍事行動を行ない、常時前方展開しているので、危機の場合、アメリカは迅速な対応が可能である。そのためには、大きな海軍力を必要とする。米海軍は、敵の領海でも軍事行動を行なう。世界各地域でアメリカが責任のある進行中の事案のため、兵力の一部のみしか投入できないのに対して、敵は保有する海軍力全てを投入できる。中国との紛争が生起すれば、アメリカは少なくとも一部の軍事力を大西洋と中東に残さなければならないが、中国は彼らの全海軍力を使用することができるのである。

(5) 現在の米海軍は、過去の海軍よりも大きな能力を保有しているのか

Yes、はるかに大きい能力を持っている。現在艦隊に配備されつつあるF-35戦闘機は、前世代の航空機よりステルス性に優れている。今日の潜水艦はより静粛性が高い。巡洋艦と駆逐艦の搭載兵装はより長射程で、より精確である。しかしながら、アメリカの敵もより能力を保有している。実際、中国はこの20年間、艦隊能力を大幅に増強し、ロシアは冷戦後の戦力を更新しようとしている。我々は、高性能が量の減少を相殺すると仮定することはできない。更に、どんなに能力があっても、艦は一度に1つの場所にしか存在できない。スターリンが言ったように、「量は質を兼ねる」のである。

記事参照:
Is the Navy Too Small?

【補遺】旬報で抄訳紹介しなかった主な論調、シンクタンク報告書

1. The New Great Game: A Battle for Access and Influence in the Indo-Pacific
Foreign Affairs.com, September 29, 2015
Rani D. Mullen and Cody Poplin
RANI D. MULLEN is Associate Professor in the Government Department at the College of William & Mary, Virginia and Director of the Indian Development Cooperation Research (IDCR) at the Centre for Policy Research, New Delhi, India.
CODY POPLIN is a Research Assistant at the Brookings Institution in Washington, D.C. and an Associated Editor of Lawfare. He is a former Henry Luce Scholar at the Centre for Policy Research in New Delhi, India, and a Research Associate in Indian Development Cooperation Research.

編集責任者:秋元一峰
編集・抄訳:上野英詞
抄訳:飯田俊明・倉持一・黄洗姫・関根大助・山内敏秀・吉川祐子