海洋情報旬報 2014年8月21日~31日

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821日「中国、無人機で南シナ海哨戒」(Philstar.com, August 21, 2014)

フィリピンが占拠する南シナ海のAyungin Shoal(Second Thomas Shoal、仁愛礁)に着底させたフィリピン海軍揚陸艦、BRP Sierra Madreに駐留する海兵隊によれば、中国のものと見られる無人機 (UAV) がAyungin Shoal上空を哨戒するのが視認された。海兵隊員は、「7月下旬頃から8月初めにかけて、少なくとも3回、UAVが上空を通過するのを視認した」と語った。更に海兵隊員は、Ayungin Shoalにおける中国軍のプレゼンスを見慣れてきたとして、「今のところ何もないが、ここで起こっていることを常時、上級司令部に報告している」と述べた。海兵隊は、監視用に双眼鏡しか所持していない。フィリピン軍は、Ayungin Shoal周辺海域とその他のフィリピン管轄海域における中国艦船のプレゼンスが増大している、と見ている。

記事参照:
Chinese drones fly over Phl ship in Ayungin

8月21日「アジアにおける二者択一、日中いずれに味方するか―キャンベル前米国務次官補論評」(Financial Times, August 21, 2014)

2009年から2013年まで米国務次官補(東アジア・太平洋担当)を務めたKurt Campbellは、8月21 日付の英紙、Financial Timesに、“Asia’s strategic choices: subtle or stark?”と題する論説を寄稿し、アジア諸国が迫られる二者択一は米中いずれかではなく、日中いずれに味方するかであるとして、要旨以下のように論じている。

(1) アジアにおける現代の繁栄の底流には歴史的緊張感や不信感があるのにもかかわらず、各国の政治エリートや政府は、戦略的な相互関係を構築するに当たって、過去のしがらみに縛られることなく、驚くほど自由な選択を行使してきた。実際、最も印象的なのは、一部のアジア太平洋諸国はアメリカとの間に安全保障上の強い協力関係があるにも関わらず、これら諸国は同時に中国との間でも商業的、経済的な関係を平穏に維持していることである。こうした関係の枠組を成り立たせているものは、ここ数十年間の米中関係を駆り立ててきた一種の戦略的な理解である。即ち、中国の輸出を著しく拡大させてきたアメリカ市場の開放性と、アジアの平和と安定を促進するアメリカの継続的な役割とを通じて、アメリカは、一貫して中国の台頭を支援する世界で唯一の国となってきた。これに応えて、北京も、この数十年間、アジアにおけるアメリカの軍事プレゼンスと指導的立場を支持してきた(あるいは反対しなかった)。こうした米中間のグランドバーゲンは、基本的にこの40年以上に及ぶ、アジア全域の前例のない発展を支えてきたのである。

(2) しかし今日、このような戦略的協商関係は、米中両国で、そしてアジア全域で、疑念が持たれ始めている。ワシントンには、アメリカが「トゥキディデスの罠」*に陥りつつあり、中国が明らかにアメリカに代わって世界の指導的役割を求めているのではないかとの疑念を持つ者がいる。他方、北京では、アメリカの同盟関係や軍事力の前方展開は、もはや中国が世界の表舞台に立つことを促進するものではなく、抑圧するためのものになっているとの警戒感が広がっている。また、アジア地域には、長年維持されてきた戦略的提携関係の再評価を求める声が聞こえるようになっている。例えば、オーストラリアでは、首相経験者を含む著名な戦略家や評論家が、今こそオーストラリアは新しい方向性を打ち出し、ワシントンとの政治的関係や結びつきを抑え、その代わりに北京との友好的な関係を重視すべき時であると主張している。著名なシンガポール人も、小さな島国として、戦略地政学的関係より地理的近接性を重視し、アメリカとの関係を犠牲にして中国に擦り寄るべきとの見解を示している。

(3) 皮肉なことに、アジアにおいて政治的、経済的に間違いなく成功している国―オーストラリア、シンガポール、インドネシア及び韓国などは、アメリカとの間に政治的かつ安全保障上の緊密な関係を維持している一方で、中国との間では強い経済的な結びつきを維持しているのである。現代のアジアにおける緊張関係にもかかわらず、中国の政治指導層も、アメリカの政府高官も、アジア諸国に対して、戦略的選択を求めていないことも事実である。もしアジア諸国が公式に、そして本格的にどちら側につくかを選択し始めるようなことになれば、アジアは急速に新たな冷戦状態に突入するであろう。米中関係を取り巻く危険な側面であるが、実際には、アジアの中級国家の多くは、米中間でバランスを取り、ワシントンとも北京とも良好な関係を維持するという、地域を安定させるような外交を展開しているのである。

(4) アジア諸国が直面する「戦略的分岐点 (the strategic fork)」は、米中いずれかという微妙な選択ではなく、むしろ日中いずれかという明確な選択を迫られることであろう。日本が戦後の自制的姿勢を捨て、中国に対する懐疑的態度を強め、そして中国の高圧的な行動に苦しめられている国々との連携を強めて行くにつれ、北京は、日本の政治的な積極的政策を阻止しようとするであろう。今のところ、アジア諸国は、中国とアメリカかという選択に迫られているわけではない。しかしながら、日中間の益々激しくなる対立は、アジア諸国をして、いずれに味方するかという、長期の抗争に巻き込むことになろう。

記事参照:
Asia’s strategic choices: subtle or stark?

備考*:「トゥキディデスの罠」とは、古代ギリシャの歴史家、トゥキディデスがその著書『戦史』で、アテネの台頭とそれに対するスパルタの警戒がペロポネス戦争を不可避にしたと記述したことに関連して、急速に台頭する大国が既成の支配的大国を脅かす場合、戦争を引き起す要因になりかねないことを示唆する。

821日「ロシア、北方航路開通」(MarineLink.com, August 27, 2014)

東京のWeathernews社のThe Global Ice Center (GIC) は、北方航路 (NSR) が8月21日に商業船舶の通行が可能になったことを確認した。GICは、通航可能期間が6週間続くと見ている。2013年より2週間早かった。2013年は、北極海の海氷の融解ペースが遅く、気温が平均を下回り、NSRの開通は9月初めであった。他方、カナダの北西航路では、多くの海域で海氷が残っている。GICは、衛星画像から、北西航路も9月初めまでには通航が可能になると見ている。

記事参照:
Northern Sea Route Opens Earlier than Last Year

823日「カナダ、北極圏に研究施設建設へ」(The Arctic Journal, August 23, 2014)

カナダ首相府の8月23日付けプレスリリースによれば、ハーパー首相は23日、ビクトリア島ケンブリッジ湾でのThe Canadian High Arctic Research Station (CHARS) の起工式に出席した。この施設建設は、カナダ北極圏の生活の質的向上を目指すという政府目標を実現するための重要な措置である。起工式は、ハーパー首相の8月21日~26日までの就任以来9回目の北極圏視察に併せて、実施された。CHARSはカナダ北極圏の通年ベースの研究施設で、参加する科学者は、救難態勢、主権の行使、環境保護と気候変化、及び北極圏の健全な共同体の建設といった、4つの分野を優先的に研究する。CHARは、カナダ北極戦略の主要な柱で、2017年7月1日に開設されることになっている。

記事参照:
PM launches construction of the new Canadian High Arctic Research Station

825日「南シナ海のジェームズ礁、中国領土の最南端―中国の地理教育」 (The Diplomat, August 25, 2014)

米ニュージャージー州のSeton Hall UniversityのThe Center for Peace and Conflict Studies (CPCS) のZheng Wang所長は、8月25日付のWeb誌、The Diplomatに、“The Nine-Dashed Line: ‘Engraved in Our Hearts’”と題する論説を寄稿し、中国の学校では、ジェームズ礁(James Shoal、中国名:曾母暗礁)が中国領土の最南端であると教えているとして、要旨以下のように述べている。(抄訳者注:中国海軍の艦艇が2014年1月26日、ジェームズ礁の周辺海域で領有権を確認する式典を挙行した。これに対して、マレーシアは、ジェームズ礁がマレーシアの大陸棚にあり、マレーシアが議論の余地なき主権者である、と主張している。海洋情報旬報2014年7月1日-10日号参照。)

(1) 1940年代以降、「ジェームズ礁(James Shoal、中国名:曾母暗礁)」を含む、中国の「9段線」地図は中国の学校ではどのように教えられているか。貴方は「ジェームズ礁」という地名を聞いたことがありますか。何処にあるか知っていますか。中国で学校教育を受けた者にとっては、この地名はなじみ深いものである。例えば、中国の8年生の地図教科書の4頁に、「9段線」地図が掲載されており、「ジェームズ礁」に矢印が付けられており、「中国領土の最南端は南沙諸島の『曾母暗礁』である。」との注釈が付されている。生徒は中国領土の最北端と「曾母暗礁」までの距離を問われる。正答は5,500キロである。

(2) 「ジェームズ礁」は、南シナ海の水面下、22メートルにある暗礁で、マレーシアのサバ州沖合約80キロにあり、中国本土からは約1,800キロも離れている。中国も台湾も、この暗礁を中国領土の最南端としている。マレーシアは、この暗礁を自国領と主張している。この暗礁は、水面下にあり、法的には如何なる主権的権限も有しない。しかしながら、2010年4月20日には、中国の巡視船、「海監83」が周辺海域まで航行し、中国領を示す石碑を海中に投げ入れた。

(3) 「曾母暗礁」が中国領土の最南端とする主張は、中国共産党の最近の宣伝攻勢ではない。「段線」で囲む中国の最初の公式地図は、当時の国民党政府が(1947年に制作し)1948年に発行した地図である。地図制作者、Bai Meichuが1936年に制作した地図では、西沙諸島、中沙諸島及び南沙諸島が線で取り囲まれていることを示した文書が存在する。それによれば、この1936年製地図は、南沙諸島の「曾母暗礁」を中国領土の最南端としている。1940年代以降、中国の各世代は、地理教科書で、「曾母暗礁」を中国領土の最南端と教えられてきた。中等学校の地理演習では、定規を使って、中国領土の最北端、漠河(黒竜江河畔、北緯53度29分)から「曾母暗礁」(北緯4度15分)までの距離を測り、国土の広大さに誇りを持つという。

記事参照:
The Nine-Dashed Line: ‘Engraved in Our Hearts’
Map: Map of China from People’s Education Press eighth grade geography textbook. The text box on the bottom right points to Zhengmu Ansha.
See also: In an article in the June 2013 issue of China National Geography, Shan Zhiqiang, the executive chief editor of the magazine, wrote the following statement;(中国語)
http://cng.dili360.com/cng/jsy/2013/06144586.shtml

826日「南シナ海における中国の領有権を証拠立てる資料なし―米人ジャーナリスト再反論」(RSIS Commentaries, August 26, 2014)

中国の厦門大学の李徳霞 (Li Dexia) 准教授とシンガポール在住の海洋問題研究家、Tan Keng Tatは、シンガポールのS.ラジャラトナム国際関係学院 (RSIS) の8月15 日付の RSIS Commentaries に、“South China Sea Disputes: China Has Evidence of Historical Claims”と題する論説を寄稿し、米人ジャーナリスト、Bill Haytonの7月3日付のRSIS Commentariesの、“The Paracels: Historical Evidence Must be Examined”と題する論説に反論した。(抄訳者注:Haytonの論説は海洋情報旬報2014年7月1日-10日号参照。この論説は、李徳霞准教授が6 月20 日付のRSIS Commentaries に寄稿した、“Xisha (Paracel) Islands: Why China’s Sovereignty is ‘Indisputable’”と題する論説(海洋情報季報第6号3.外交・国際関係「トピック」参照)について反論したものである。)そして、今回、Bill Haytonは、8月26日付のRSIS Commentaries に、“South China Sea Disputes: Still No Evidence of Historical Chinese Claims”と題する論説を寄稿し、李徳霞准教授の論説に対して、要旨以下のように再反論している。

(1) 李徳霞准教授とTan Keng Tatは、7月3日付のRSIS Commentariesに発表した筆者(Hayton) の論説に対して反論を提起した。しかしながら、彼ら(李准教授とTan Keng Tat)の反論は、1909年以前から南シナ海の特定の島嶼を中国が領有していたことを証拠立てることができていない。彼らが挙げた一部の資料は、明らかに誤りである。近代以前の中国政府が南シナ海の特定の島嶼を領有していたとする証拠は見当たらない。もし彼らが領有を裏付ける文書や証拠を知っているのであれば、今こそ検証に供すべきである。

(2) 確かに、「島嶼」に言及した中国語の古い文献はあるが、それらは、特定の島嶼に関連づけられない極めて曖昧な記述であり、また先取や領有を証明するものではない。彼らは、西沙諸島を指す、「西沙 (‘Xisha’)」という名前が、西欧の地図に ‘West Sand’ という地名が記載される以前から、中国の文献に存在したと主張するが、筆者を納得させるに至らなかった。筆者は、証拠があれば、誤りを認めるに吝かではない。フランスと中国の間の1887年の協定が西沙諸島と南沙諸島の中国への帰属を認めているとの主張は、明らかに誤りである。1887年6月26日に北京で調印された同協定は、インドシナの一部地域、即ちフランス植民地政府が「トンキン (‘Tonkin’)」と呼んでいた、現在のベトナムの最北端地域のみに言及したものである。1902年に中国政府によって西沙諸島に設置された「石碑」と、1907年の中国海軍の遠征を記念した晋卿島 (Drummond Island) の石碑については興味深いが、筆者の調査では、このようなことが実際に行われたことを示す証拠を発見できなかった。彼らの記述の原典は何か。

(3) 中国の主張を研究すればする程、筆者は、彼らの主張が批判的な検証を受けないまま何十年も繰り返されてきた、典拠不明な主張であることに気付いた。その多くは、南シナ海に関する国際的な「通念 (‘conventional wisdom’)」に基づいたものである。これらには、彼らが引用している、Hungdah ChiuとChoon-ho Parkの論文、Dieter Heinzigの1976年の論文、‘Disputed Islands in the South China Sea’、更には、Marwyn Samuelの1982年の著作、Contest for the South China Seaがあり、国際関係の多くの学者が依拠してきた文献資料である。 HeinzigとSamuelsの研究は、南シナ海問題の先駆的な努力である。しかし、両者とも、その記述の多くを、1974年1月に西沙諸島の西半分を中国が占拠した後に、中国共産党系の紙誌に発表された記事に依拠している。これらは、明らかに中国の侵略を正当化するためのもので、学問的な中立性に欠けたものである。

(4) 彼らは、その論説で挙げた少なくとも2つの事例では、歴史的文書を恣意的に引用している。1つは、1958年9月に当時のベトナム民主共和国のファン・バン・ドン首相が北京の「中国の領海に関する宣言」に対して周恩来総理に送付した口上書である。この宣言は、中国の領海を12カイリに延長するとしたものである。これは、当時中国軍に砲撃されていた、金門島と馬祖島に駐留する台湾軍への支援のために、アメリカの艦艇が介入するのを阻止することに狙いがあった。北京の1958年宣言の第2項では、南シナ海の島嶼に対する中国の領有権に言及している。周恩来総理に送ったファン・バン・ドン首相の口上書の全文は、最初の部分における中国の立場を支持しているが、この第2項を無視している。その全文言は、「ベトナム民主共和国政府は、中華人民共和国政府が1958年9月4日に発出した領海に関する宣言の内容を認識し、承認する」である。ベトナムが中国の主張を拒絶しないことは明らかだが、中国の主張を受け入れたものでもない。彼らはまた、1943年11月27日のカイロ宣言が「日本が暴力と強欲によって獲得した全ての地域から駆逐されよう」と記述していると、誤って引用している。実際の文言は、「(連合国の目的は)1914年の第1次世界戦争の開始以後に日本国が奪取し又は占領した太平洋における全ての島を日本国から剥奪すること、並びに満州、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取した全ての地域を中華民国に返還することにある。日本国はまた、暴力及び強慾により日本国が略取した他の全ての地域から駆逐される。」というものである。ここでは、台湾と澎湖諸島を除いて、日本が駆逐された他の地域に関する「領有権」に関する言及はない。

(5) 「中国、ベトナムそしてフィリピンはいずれも、あたかも西沙諸島や南沙諸島を1つのグループであるかのように、それら諸島の島嶼群に対する領有権を主張している」との筆者の記述は、正しい。筆者は、フィリピンが西沙諸島を、ベトナムが東沙諸島の領有権を主張していると言っているのではない。しかしながら、フィリピンもベトナムも、中国と同様に、あたかも西沙諸島や南沙諸島を1つのグループであるかのように、それら諸島の島嶼群に対する領有権を主張しているのである。フィリピンはThe Kalayaan Island Groupと呼ぶ南沙諸島のかなりの部分に、そしてベトナムはHoang Saと呼ぶ西沙諸島とTruong Saと呼ぶ南沙諸島に、それぞれ領有権を主張している。もしこうした大まかな領有権主張が個々の島嶼に対する領有権を示す具体的な証拠によって特定化されるなら、南シナ海における領有権紛争の解決は、容易なものとなろう。筆者は、ベトナム、フィリピン、あるいはフランスやイギリスまでが南シナ海における島嶼に対する領有権を主張することを支持しているわけではない。筆者は単に、中国が自国の主張を支える、信頼できる歴史的な証拠を提示できていないことを指摘しただけである。西沙諸島では1909年6月6日以前、そして南沙諸島では1946年12月12日以前に遡って、中国の領有権を証拠立てる中国側の資料がない、というのが筆者の主張である。

記事参照:
South China Sea Disputes: Still No Evidence of Historical Chinese Claims
RSIS Commentaries, August 26, 2014

8月27日「南シナ海の領有権に関する中国の歴史的証拠、国際法では無効―ベトナム人反論」(RSIS Commentaries, August 27, 2014)

シンガポールのS.ラジャラトナム国際関係学院 (RSIS) のベトナム人研究者、Nguyen Huu Tuc は、8月27 日付の RSIS Commentaries に、“China’s “Historical Evidence”: Vietnam’s Position on South China Sea”と題する論説を寄稿し、中国厦門大学の李徳霞 (Li Dexia) 准教授とシンガポール在住の海洋問題研究家、Tan Keng Tatが8月15 日付の RSIS Commentaries に寄稿した、“South China Sea Disputes: China Has Evidence of Historical Claims”と題する論説に対して(旬報2014年8月11日-20日号参照)、ベトナム人の立場から要旨以下のように反論している。

(1) 李徳霞准教授とTan Keng Tatは、8月15 日付の RSIS Commentariesの論説で、中国の歴史的証拠を提示しているが、これらの証拠は国際法の規範から認められるようなものではない。中国は、南シナ海における覇権的野望を推し進める過程で、9段線内の海域における主権、主権的権利及び管轄権の主張の根拠として、常に国際法を利用してきた。楊潔篪前中国外交部長は、かつて当時のクリントン米国務長官に、「中国は南シナ海の島嶼とその周辺海域における主権を保持していたことを示す、歴史的及び法的証拠を多く持っている」と語ったことがある。しかし、ホノルルのThe Centre for Security StudiesのMohan Malik教授は、The World Affairs Journalへの寄稿論文で、国際法専門家の大半は中国が提示する歴史的な証拠が南シナ海における中国の完全な主権を認めるものではないと見ている、と指摘している。

(2) 2014年3月にドイツを訪問した習近平中国主席は、ドイツのメルケル首相にお土産として古地図を手渡した。この地図は、フランスの地図製作者が制作し、ドイツの出版社で印刷された1735年の中国地図である。この地図は、中国に派遣されたイエズス会修道士が行った地誌調査に基づくもので、「18世紀の中国に関するヨーロッパの知見」を代表するものとされる。この地図のオリジナルのラテン語の説明によれば、モンゴル族や満州族などの少数民族を除き、ほぼ漢民族のみによって構成される中国の中心地を、“China Proper” としている。この地図では海南島は異なる色の境界線で示されており、もちろん西沙諸島や南沙諸島も記載されていない。前出のMalik教授は、中国の現在の国境線はほぼ18世紀の清朝(満州族)時代の拡張主義によって画定された辺境を反映している、と指摘している。

(3) 李徳霞准教授とTan Keng Tatは、「中国の記録では、西沙諸島の西側にある9つの島嶼に言及して、西沙諸島を『Chi-chou yang shan』と命名している。清朝時代では、西沙諸島という名称が一般的になった」、そして「現在の西沙諸島に関する最古の中国の文献の1つは13世紀のChu Fan Chi(『諸蕃志』)である」と主張している。しかしながら、実際には、満州族の清朝時代の地図では、中国の最南端の国境として描かれているは海南島であり、西沙諸島や南沙諸島ではなかった。更に、南シナ海に対する中国のいわゆる「歴史的主張」なるものは、実際には「何世紀も古い」ものではない。確認できる最古の歴史的文献はつい最近の1947年のもので、蒋介石の国民党政府が作成した、南シナ海を中国地図に取り込んだ、いわゆる「11段線」地図である。この「11段線」地図は、国民党政権が中国の主権下にあると宣言した、南沙諸島とその他の島嶼を取り込んでいる。1949年の内戦で中国共産党が勝利した後、中華人民共和国は、1953年にトンキン湾における2つの「段線」を消去し、「9段線」地図に修正した。最近、中国は、ベトナム、マレーシア、ブルネイ及びフィリピンのルソン島周辺海域を取り込み、(台湾の東側に)1つの「段線」を加えた「10段線」の新地図を公表した。南シナ海における領有権主張の法的根拠や領有権紛争における国際法の遵守といった中国の声明は、法的側面から見れば、言葉だけのものである。(「11段線」から「9段線」そして「10段線」に至る)中国の主張は、曖昧であり、しかも法的根拠を欠いている。

(4) これに対して、ベトナムは、過去の歴代ベトナム国家によるHoang Sa(西沙諸島)とTruong Sa(南沙諸島)に対する主権主張を裏付ける十分な歴史的かつ法的証拠を持っている。ベトナムは、公式文書、地図及び書籍、そして主権を示す石碑などの古い記録を収集し、展示している。これらは、西沙諸島と南沙諸島がベトナムに属していることを明確に示している。これらの資料の多くは、1947年に中国と日本で発行された地図を含む、中国の古地図であり、中国の最南端が海南島であったことを示している。長い間、西沙諸島と南沙諸島の小さな島嶼群は、この海域を航行する船舶にとって危険な場所であり、また漁民の避難所として知られていたに過ぎない。17世紀初めに、当時のベトナム王朝 (広南朝と西山朝)は、 これらの無人島や遠隔の島嶼に対して初めて国家行政機能を行使した。1920年代から1930年代において、フランスは、1884年以降からベトナム王国の外交権を代行し、西沙諸島と南沙諸島に軍隊を常駐させた。ベトナムは、中国が1974年と1988年に西沙諸島と南沙諸島を武力によって占拠するまで、如何なる国からも異議を申し立てられることなく、これらの諸島に対する行政管理を行使してきたのである。

記事参照:
China’s “Historical Evidence”: Vietnam’s Position on South China Sea
RSIS Commentaries, August 27, 2014

8 月27 日「ナトゥナ諸島を巡るインドネシアの警戒感―米専門家論評」(The Diplomat, August 27, 2014)

Web 誌、The Diplomatの共同編集長、Ankit Pandaは、8 月27 日付の同誌に、“Indonesia Keeps an Eye on the Natuna Archipelago”と題する論説を寄稿し、インドネシアは中国との領有権紛争の直接的な当事国ではないが、中国の「9段線」内に自国領のナトゥナ諸島が含まれていることに警戒感を強めているとして、要旨以下のように論じている。

(1) ASEAN加盟国の内、ベトナム、フィリピン、ブルネイ及びマレーシアの4カ国は、中国の南シナ海における「9段線」(現在は「10段線」)の領有権主張に対抗している。この4カ国にインドネシアが含まれていないことから、インドネシアは、ある程度信頼できる仲介者として動くことができた。しかしながら、ボルネオ島の北西沖に位置するナトゥナ諸島は、インドネシアを、中国と南シナ海の領有権を巡って紛争関係にあるASEAN4カ国と同様の立場に引き摺り込むことになるかもしれない。

(2) ナトゥナ諸島を巡る問題は、主に南シナ海における中国の「段線」による領有権主張の曖昧さに起因している。「段線」による領有権主張は、中国本土を国民党が支配していた1947年に、同党政府が南シナ海における中国の権益の最大範囲を示したことが発端である。インドネシア外務省は、中国との間にはナトゥナ諸島を巡る領有権紛争は存在しないとの立場を変えていないが、中国が発行している公式地図にはナトゥナ諸島周辺海域を囲むように「段線」が描かれていることに注目している。2014年初めのインドネシア高官の発言によれば、ナトゥナ諸島が「9段線」の範囲内に含まれると見えるとしても、北京は、このことについてその意図を明確にしてこなかった。インドネシアは、国連に対して、「9段線」が国際法上の観点からどのように扱われるのかを明確にするよう要求している。

(3) ナトゥナ諸島の首長、Ilyas Sabliは、「我々は、中国がこの島を乗っ取るのではないかと心配している」と語っているが、島民の間にも、中国が将来的にこの島をインドネシアから奪うのではないかとの懸念が生じている。中国は、無人の環礁、スカボロー礁を2012年にフィリピンから奪取している。また、2014年初めには、ベトナムが自国のEEZと主張する海域に石油掘削リグを設置することで、危機を生じさせた。但し、中国はこれまでに南シナ海で人が住む島を奪ったことはない。ナトゥナ諸島には、27の島全体で8万人が居住している。

(4) インドネシア当局は、中国の意図を懸念するだけでなく、こうした疑惑を抱くことによってASEAN内で認められた指導的立場さえも失うことを懸念している。一方、北京は、これまで通り、ナトゥナ諸島を巡る問題を曖昧なままにしておき、むしろベトナムやフィリピンとの間で高まっている領有権紛争を重視する作戦をとっているように思える。しかしながら、最近の南シナ海における中国の高圧的行動は、インドネシアがナトゥナ諸島に対する中国の意図を警戒する十分な理由となっている。

記事参照:
Indonesia Keeps an Eye on the Natuna Archipelago

8月27日「中国の造船業界、ハイエンド船舶に注力」(China Daily, August 27, 2014)

中国紙、China Daily(電子版)は、8月27日付の記事で、中国の造船業界が、この10年の間、安価なばら積船やタグボートを建造してきたが、海運業界の新たな顧客獲得のために、タンカーなどのハイエンド船舶の建造に注力し始めたとして、要旨以下のように報じている。

(1) 中国船舶工業協会 (CANSI) の王金莲事務局長によれば、中国は現在、漁船、海警局巡視船及び大型砕氷船やケミカル・タンカーに加えて、より高価値のLNGタンカーやLPGタンカーの建造に力を入れている。中国の造船業界は、2010年に韓国を抜いて世界一になった。しかしながら、技術的に優位にある韓国の造船業界は依然、ハイエンド船舶では市場の上位を占めている。

(2) 中国遠洋運輸公司 (COSCO) と日本の川崎重工との合弁造船会社として1995年に設立された、南通中遠川崎船舶工程有限公司 (NACKS) は、2015年に最初のLNGタンカーを建造する。同社は、2014年までに各種タイプの船舶を137隻建造しており、現在43隻受注しており、今後2年以内に建造される。NACKSの韓成民会長は、西ヨーロッパの工業国と同様に、中国も海外からの天然ガス購入に熱心であり、LNGタンカーはそのための必需船舶である、と語っている。アメリカ船級協会によれば、2017~2020年の間、世界各国の船社は100隻前後のLNGタンカーを調達すると見られる。韓成民会長は、「我々のLNGタンカー建造能力は、天然ガスの需要と輸入量の増大とともに成長してきた」と語った。NACKSは、2018年までに年間2隻のLNGタンカー建造能力を持とうとしている。

(3) 世界のLNGタンカー市場は、韓国、日本及び中国によって支配されている。世界最大のLNGタンカー建造国は韓国で、2013年の全世界の発注隻数の68%を受注した。しかし、韓国の建造能力は飽和状態に達しているといわれる。上海の滬東中華造船集団有限公司は、中国初のLNGタンカー建造業者で、2010年まではわずか6隻のLNGタンカーを建造しただけだったが、現在中国国内と海外から14隻のLNGタンカーの建造を受注している。一方、従業員4,000人の民間造船所、南通銘徳グループの戟奉化議長は、「このほぼ10年間、新興市場の成長を見越して、大型のケミカル・タンカーや車両運搬船の建造に力を入れてきた。我々の発注元は、主にノルウェー、デンマーク、ドイツ及び中国国内の船社で、ヨーロッパの船社から受注した7隻の2万4,600トンのステンレス鋼製のケミカル・タンカーを8月中旬から建造しており、現在合計14隻のステンレス鋼製のケミカル・タンカーの受注を抱えている」と語った。また、戟奉化議長は、成長が期待されるクルーズ船市場にも目を向けている。

記事参照:
China: Shipyards change course to high-end vessels

828日「南シナ海における天然資源の共同開発、その現状と課題」(Maritime Executive, Reuters, August 28, 2014)

南シナ海における天然資源の共同開発の現状と課題について、Reutersは8月28日付で要旨以下のように報じている。

(1) 石油、天然ガスなどの天然資源の共同開発は、南シナ海における緊張緩和のための最も有望な選択肢である。共同開発協定 (JDA) は、アジア全域で既に一般的である。JDAの基本原則は、参加国間の利益の共有を含む、資源探査、開発及び生産に関する法的枠組みに合意することである。その一方で、当該海域の島嶼や岩礁あるいは環礁、そして海底資源の採掘権がどの国の主権に属するかという問題は、棚上げされなければならない。全ての南シナ海沿岸国が加盟している、国連海洋法条約 (UNCLOS) は、関係各国に対して、海洋における「最終的な境界画定に影響を及ぼすことなく」、「理解及び協力の精神」により、「実際的な性質を有する暫定的な取極め」(第74条及び第83条)を締結することによって海洋境界画定問題を管理するよう、強く慫慂している。これらの条項の狙いは、関係当事国間の関係改善を進めながら、経済発展を促進するとともに、係争海域が不安定な状態に陥ることを回避することにある。アジア太平洋の係争海域では、既に幾つかのJDAが実現している。即ち、マレーシアとタイ(1979年)、カンボジアとベトナム(1982年)、マレーシアとベトナム(1992年)、 カンボジアとタイ(2001年)、マレーシアとブルネイ(2009年)、中国とベトナム(2000年)、日本と韓国(1974年)、日本と中国(2008年)、オーストラリアとインドネシア(1989年)、そしてオーストラリアと東ティモール(2002年)の各JDAである。もっとも、これらのJDAの多くは、当事国間の関係が改善される過程で締結されているのが現実である。

(2) 2011年6月にシンガポールで開催された会議、”Conference on Joint Development and the South China Sea” では、参加した各国の政府、国際機関、NGOそして石油・天然ガス業界の代表は、「領有権紛争と主権に関わる天然資源へのアクセス問題に対する関係各国の国民感情を考えれば、主権を巡る紛争は、(交渉、あるいは国際法廷や仲裁裁判所への提訴のいずれによっても)、直ぐにはもちろん、近い将来においても解決されそうにない」ことから、主権を巡る紛争を棚上げし、天然資源の共同開発を重視することが「最も現実的な暫定的解決策である」ということで、認識が一致した。共同開発は、南シナ海沿岸各国の外交関係の悪化、あるいは軍事対決のリスクを軽減することができよう。

(3) 問題は、共同開発をどのように実現するかである。前出のシンガポールでの会議では、共同開発を実現するための9つの実際的な措置が論議された。これらの内で最も重要な措置は、中国、ベトナム、マレーシア、ブルネイ、フィリピン及び台湾の紛争当事国に対して、これら各国の領有権主張の正確な範囲を明確化するよう慫慂することであった。現在、数カ国、特に中国が南シナ海で要求している領有権は明確でなく、これが紛争管理をより困難にしている。領有権主張の正確な範囲を明確化することは、係争海域を特定するとともに、非係争海域における妨害のない開発を促進するために重要な措置である。会議ではまた、係争海域の全ての島嶼や岩礁あるいは環礁の地質的な特徴について、全ての当事国の同意と最終的な境界画定に影響を及ぼさないことについての了解の下、独立した機関による調査も提言された。現時点では、UNCLOSにおける島嶼等の法的性格に影響する、海面上に露出した岩礁、あるいは低潮高地の正確な数については、依然不明である。会議では、潜在的な炭化水素資源の共同の地震探査も提唱された。海底の石油・天然ガスの潜在的な埋蔵量を知ることは、かえって係争を煽る「両刃の剣」になりかねないが、これまでの事例では、むしろ共同開発を促す重要な要因となっていることを示唆している。これまでのオーストラリアとインドネシア、そしてマレーシアとベトナムを含む、幾つかのJDAは、それぞれの係争海域での炭化水素資源の探査によって促進された。南シナ海の南沙諸島、西沙諸島あるいはその他の島嶼群における石油・天然ガス資源の埋蔵量が控え目なものであることが判明しても、共同地震探査作業は、共同開発が可能な海域を決める上で役立とう。これには先例がある。2005年に中国、ベトナム及びフィリピンの3国間で、”Joint Seismic Marine Undertaking” を含む、共同事業が合意された。もっとも、この合意は、フィリピンの政治情勢で頓挫し、復活できていない。

(4) JDA実現のための最大の課題は、それを実現するに十分な程度まで、関係当事国間の政治的、外交的関係を改善できるかである。そのためには、信頼醸成措置 (CBM) が不可欠である。2002年の「行動宣言 (DOC) 」の履行がJDAに向けた踏み石となろう。その他のCBMとしては、海賊対処や海洋汚染管理に加えて、捜索救難、及び航行の自由に関する各国間の協力などがあろう。また、アメリカを含む域外国も、南シナ海沿岸国に対して、協調による紛争解決を求めるよう慫慂する上で、重要な役割を果たすことができよう。南シナ海におけるJDAを実現することは、この数十年に及ぶ不信と何度かの軍事対決を考えれば、簡単ではないであろう。しかしながら、JDAは、世界で最も不安定な発火点の1つを管理する最良の方法なのである。

記事参照:
Joint Petroleum Development in South China Sea

8月28日「中国機の近接飛行、海南島の潜水艦基地秘匿のため」(Reuters, August 28, 2014)

米国防省は8月21日、中国の戦闘機、J-11が8月19日に中国沖合の国際空域を飛行中の米海軍哨戒機、P-8 Poseidonから30フィート以内の「極めて近接した、極めて危険な」飛行を行ったことを公表した。8月28日付のReutersは、その背景について要旨以下のように報じている。

(1) 中国国防大学の張召忠少将が中国国営メディアに語ったところによれば、近接飛行の背景には、拡充されつつある中国の戦略潜水艦 (SSBN) 戦力を米軍偵察機から隠す意図があったという。軍事専門家は、米軍偵察機の目標は恐らく海南島南部の基地を拠点とするSSBNであろうと見、従って中国沿岸沖上空での危険な阻止行動は今後も続くであろうし、むしろ強化されるであろう、と語っている。海南島の基地を拠点とする潜水艦の1つが核弾道ミサイル搭載可能な「晋」級SSBNである。「晋」級SSBNは、中国の核抑止戦略の中核となるもので、軍事専門家によれば、現有の3~4隻の「晋」級SSBNの正確な即応態勢については、ミサイルの発射能力を含め不明である。

(2) 中国の核抑止戦略において、SSBNは他の核大国よりも重要な存在となっている。香港の嶺南大学の中国安全保障問題専門家、張宝輝は、北京は1960年代から、核攻撃を受けなければ核兵器を使用しないという核先制不使用政策を宣言しており、従って、SSBNによる残存能力の高い第2撃能力の確保は核抑止戦略の信頼性を維持するために不可欠である、と指摘している。張宝輝は、「SSBNの展開は、アメリカの戦略計算を複雑にする。そして(米軍偵察機の飛行から)我々は既に、そのインパクトを眼前にしているのかもしれない」と語った。P-8 Poseidonは海南島南部の国際空域を飛行中に、中国戦闘機に接近された。米軍当局者によれば、3月、4月そして5月の接近飛行事案も、8月の事案と同じ海南島基地の中国戦闘機のパイロットによるものと見られ、2013年末以来、米軍偵察機に対する「異常な、未熟で、危険な」接近飛行が増える傾向にあるという。中国の雑誌、『航空知識』の上席編集者で軍事アナリストの王亜男は、米軍偵察機を「追い返す」ために戦闘機を接近させるのは有効な戦術で、これを繰り返せば、米軍は次第に監視任務の頻度を減らしていくであろう、と述べている。ワシントンの高官によれば、中国軍の指揮系統のどの段階までこうした攻撃的な飛行の権限が与えられているのか、あるいは現地の指揮官や戦闘機パイロットが独自の判断でこうした飛行を行っているのか、オバマ政権には分かっていないという。国営メディアの『環球時報』の報道によれば、米軍のP-8 Poseidonが機体下部からソナーブイを投下したことが、近接飛行の引き金になったという。

(3) 中国メディアや西側の軍事関係のブログでは最近数カ月、海南島の海軍基地から行動する「晋」級SSBNの画像が掲載されている。これらの画像には、山側に向かって秘匿された潜水艦用岸壁の画像も含まれている。海南島の基地は、西太平洋に繋がる水深の深い水道に近接しており、いずれSSBNはこの基地に恒久的に配備されると見られる。米太平洋軍のロックリア司令官は3月、中国は射程4,000カイリ以上の新型ミサイルを搭載した潜水艦の建造を継続しており、「恐らく2014年末以前に、中国は最初の信頼性のある海上核抑止力を持つことになろう」と語っている。The Military Balance 2014によれば、中国は70隻の潜水艦を保有しており、これに対してアメリカは72隻、日本は18隻である。ロックリア司令官の発言は、軍事専門家の間に、雑音が大きく探知され易い「晋」級SSBNの有用性についての論議を高めることになった。「晋」級SSBNはいずれ新世代の潜水艦に代替されると見られる。P-8 Poseidonは、アメリカが東アジアに張り巡らせた広範な監視網の一部として、日常的に海上における情報収集活動を行っている。これらの監視網には、衛星、海底センサー、水上艦艇及びグアムの原子力潜水艦が含まれる。比較的水深が浅い南シナ海は、米海軍の潜水艦が相手の艦艇を追尾するのには難しい作戦環境であり、従って、P-8 Poseidonによる哨戒活動には格別の重要性をもっている。

記事参照:
Chinese interceptions of U.S. military planes could intensify due to submarine base

8月28日「タンカー積荷抜き取り事案―マレーシア東岸沖」(ReCAAP ISC, Incident Report, August 28, 2014)

ReCAAP ISCのIncident Reportによれば、8月28日夜、マレーシア東岸沖のティオマン島北方約30カイリの南シナ海において、タイ籍船の精製品タンカー、MT V.L. 14が6人の銃で武装した海賊に乗り込まれた。該船は、1,296トンの潤滑油を積んで、シンガポールからバンコックに向け航行中であった。海賊は、該船の左舷に木製の高速ボートで接近し、船尾から乗り込んだ。海賊は、ブリッジのガラスを割って船内に入り、乗組員を機関室に集めた。海賊は、該船を制圧した後、該船を乗り込んだ海域から約10カイリ移動させ、乗組員にタンクのバルブを開くよう命じ、横付けした別の2隻のタンカーに該船のポンプを使って積荷の潤滑油を抜き取った。海賊はまた、乗組員の所持品を盗み、航法・通信設備を破壊して、翌29日の午前4時頃該船を去った。該船はその後、ティオマン島に向かった。乗組員に怪我はなかった。この種の積荷油の抜き取り (siphoning) 事案は2014年になって8件目である。

記事参照:
ReCAAP ISC, Incident Report, August 28, 2014

829日「中国、南シナ海の環礁埋め立て加速」(PhilStar.com, August 29, 2014)

比紙、Philippine Star(電子版)は8月29日付の記事で、中国が南シナ海の南沙諸島のMabini (Johnson South) Reef(赤瓜礁)における埋め立て工事に加えて、更に3カ所の環礁で埋め立て工事を行っているとして、要旨以下のように報じている。

(1) フィリピンが実施した最近の空中偵察によれば、中国は、南シナ海で新たに3カ所、Burgos (Gaven) Reef(南薫礁)、Kennan (Chigua) Reef(西門礁)、そしてCalderon (Cuarteron) Reef(華陽礁)で埋め立て工事を実施している。フィリピンの安全保障専門家は、「我々は、中国の漸進的な侵略によって、我々の領域支配が侵食されつつある」と警鐘を鳴らしている。

(2) Burgos (Gaven) Reef(南薫礁):2014年5月に、Burgos Reefにおいて小さな建造物が最初に視認された。その1カ月後、中国は、人口島を構築するために数隻の船舶とバージを投入して全域で埋め立てを始めた。7月には、カイト型の環礁はその外側をコンクリートブロックで補強されていた。

(3) Kennan (Chigua) Reef(西門礁):ベトナムが占拠しているSin Cowe Islet(景宏島)とSin Cow East Reef(景宏東礁)の間にあるKennan Reefでは、中国は4月に、Kennan Reefまでのアプローチを掘り下げるために周辺を浚渫し、掘り出された珊瑚、砂そして岩などを埋め立てに使用した。3カ月後、中国は、ヘリパッドを含む幾つかの建造物を備えた、ゴルフ・クラブ型の人口島を完成させた。ここでは、ブルドーザー、掘削機、クレーンなどの重機や補給船が視認され、近くにコンクリート舗装の滑走路を建設していると見られる。6月29日に実施された空中からの観測では、工事が活発化しており、多数の重機や建設資材、そして作業員の住居に使用していると見られるコンテナが視認された。(画像参照)

(4) Calderon (Cuarteron) Reef(華陽礁):5月の空中哨戒によって、Calderon Reef周辺海域に多数の中国船舶が視認された。Calderon Reefは、マレーシアの領海に近いフィリピンのEEZの南端にある。6月29日に空中から撮影された画像では、Calderon Reefでも埋め立て作業が進行しており、既に陸地が増えていた。

(5) Mabini (Johnson South) Reef(赤瓜礁):Mabini Reefはほぼ完全に埋め立てられ、ここでの作業は、前庭にパームツリーを新たに植栽したブルーの建物を含む、幾棟かの建物の建設作業に移っている。ここでは、重機や足場組み立て用のスチールパイプなどに加えて、埠頭建設用のクレーンやブームを備えた大型船も見られる。

(6) アキノ大統領は8月28日、西フィリピン海(南シナ海)における中国の埋め立て活動が続いていることを認め、係争海域における緊張を緩和するよう北京に呼び掛けた。

記事参照:
China’s reef reclamation in full swing
Photo: Aerial photo taken last month shows an increase in Chinese construction equipment and shipping containers used as shelter for workers on Kennan (Chigua) Reef within the Philippines’ Kalayaan Island Group.

829日「中国、南シナ海の永興島の滑走路・港湾改修」(Want China Times, September 2, 2014)

英誌、HIS Jane’s International Defence Reviewが8月29日付で報じるところによれば、中国は、西沙諸島最大の島、永興島 (Woody Island) の滑走路を拡張し、港湾を再開発している。永興島は、1946年~50年の間、中華民国によって占拠されていたが、6年間の空白を経て、1956年に中国軍によって占拠された。永興島には、西沙諸島、南沙諸島及び中沙諸島を管轄する、2012年6月に制定された三沙市の市役所が置かれている。更に、同島には、軍駐屯地、沿岸防衛哨戒所、滑走路、4カ所の大型機ハンガー、通信施設などが置かれている。

2005年と2011年に撮影された衛星画像では、同島の西側に新たな港湾が建設中であった。新たに撮影された衛星画像では、中国は、2013年10月から同島で、空軍や海軍のH-6戦略爆撃機やIl-76輸送機などの大型機の運用が可能になるように、滑走路を現在の2,400メートルから2,800メートルに拡張することを含め、大規模な埋め立て、港湾の再開発及びその他のインフラ工事を進めている。こうしたインフラ工事は、中国軍が南シナ海への戦力投射ための軍事拠点として永興島を活用しようとしていることを示している。中国はまた、同島を、海洋法令執行活動の拠点としても活用できよう。

記事参照:
Expansion boosts Woody Island’s strategic use for China

編集責任者:秋元一峰
編集・抄訳:上野英詞
抄訳:飯田俊明・倉持一・黄洗姫・山内敏秀・吉川祐子