稲川 望
2023.12.19
  • 稲川 望
  • バングラデシュ

チッタゴン丘陵地帯の内紛─若者世代は平和を生み出す希望か

※本記事における見解は筆者個人のものであり、Asia Peacebuilding Initiatives:APBIの公式見解ではありません。

1. 和平協定から25年、内紛の負の連鎖

バングラデシュ南東部に位置するチッタゴン丘陵地帯では、多数派のベンガル人とモンゴロイド系の少数民族の間で長らく対立が続いてきた。統計によれば、バングラデシュ全土ではベンガル人が98.9%[1]、イスラム教徒が90.4%を占める(Bangladesh Bureau of Statistics 2015)。チッタゴン丘陵地帯の少数民族の多くはモンゴロイド系の仏教徒、ヒンドゥ教徒、キリスト教徒、またはアニミズム信仰あり、国家においては民族的・宗教的な二重のマイノリティである。
チッタゴン丘陵地帯では、1977年から長期間にわたる低強度紛争へと突入した(Washima 2021 p.13)。

主に少数民族政党のチッタゴン丘陵人民連帯協会(Parbattya Chattagram Jana Samhati Samiti、以下PCJSS)の軍事部門であるシャンティ・バヒニ(平和軍)がバングラデシュ政府と敵対する構図となった。当地の紛争問題は、統治側のエリートたちによって機密性の高い安全保障事項として考えられ、バングラデシュ国内の出版物やニュースメディアではほとんど報道や議論がされてこなかった(Panday and Ishtiaq 2009 p.1061)。その後、両者の間で1997年に和平協定が結ばれ、公的には紛争が終結した。しかし、和平協定で締結された内容は履行されないままのものも多い。和平協定72項目に関して、25項目が完全実施、18項目は部分的実施、29項目は全く実施されていないと、PCJSSは政府の時間稼ぎを今も批判している(下澤 2023/03/03)。

さらに、和平協定締結後には新たな問題が発生している。少数民族の分裂と内紛である。1998年には、和平協定の内容に不満を持った派閥がPCJSSから分派し、人民民主統一戦線(United People’s Democratic Front、以下UPDF)が結成された。さらに2000年代以降は、PCJSS、UPDF両者から分裂が生じた。その結果、PCJSSを含め4つの組織へと分裂している。また、2021年ごろから活動を活発化させている一部の少数民族の武装グループを合わせると合計で5つに分裂する事態となっている。

 

1997年の和平協定締結から25年以上が経過する中で、平和へのプロセスは停滞と硬直化を迎えている。特に内紛は少数民族同士の戦闘や憎悪を引き起こし、自らで社会の弱体化を招く原因となっている。1997年の和平協定締結以降から2022年8月までの間に、PCJSSは204名、UPDFは321名が内紛の抗争によって殺害され、その他の派閥も含めた全体では627名が犠牲となっている(Bhattacharjee 2022/08/28)。

その暴力的抗争はいわば「兄弟殺し」である(渡部 2017/03/24)。しかし、こうした事態は必ずしも自然発生したわけではないとの指摘もある。チッタゴン丘陵地帯の少数民族の人々の多くは、軍が複数の少数民族政党を扇動、後押しすることで「分割統治」を狙っていたと信じているという(Washima 2021 pp.18-19)。

結果的に、内紛の深刻化は地域の不安定化の原因を少数民族のみに押し付ける政治的主張の格好の材料となり、バングラデシュ軍の過剰な駐屯を正当化する理由にもなり得ている[2]

 
[1] 2011年センサスにおいて、ベンガル人以外の民族(部族)は141万人で全体の1.1%を占めることから推計した。
[2] チッタゴン丘陵地帯における陸軍の駐屯の実態に関しては(IWGIA,  Organising Committee CHT Campaign and Shimin Gaikou Centre 2012)を参照されたい。
 

2. ジュマ政党に属する若者世代

1997年に和平協定が締結されてから25年以上の間、チッタゴン丘陵地帯をめぐる政治の駆け引きは、主にPCJSSとUPDFの2大少数民族政党が大きな影響力を持ってきた。そして、両者はともに依然として「第一世代」が政治の最前線に立ってきた[3]。PCJSS党首のショントゥ・ラルマ氏(Shantu Larma)は、PCJSS創設者M.N.ラルマ(Larma)の弟で、同氏が1983年に暗殺された後に党首となった。彼は、1997年に和平協定に調印した人物である。一方、UPDF党首のプロシット・キシャ氏(Prasit Bikash Khisa)も1998年の設立当時からその座を占めている。両者ともいわば、闘争を直接経験した世代なのである。

一方で、第一世代の高齢化が進む中で新たな世代も政治に参画しつつある。PCJSS、UPDF両政党には、それぞれ学生丘陵組織(Pahari Chattra Parishad、以下PCP)が傘下に存在している。これら政党の学生組織は、政党本体とともに政治的活動を行ったり、バングラデシュ軍による土地収奪などが発生した際には抗議活動も展開している(Dhaka Tribune 2015/02/11)。例えばUPDFのPCPは、合計で2,000名以上もが所属しているという[4]

本記事では、政党に所属する若者世代[5]がチッタゴン丘陵地帯の平和をどう捉えていのかに着目する。彼らは闘争を直接経験していない世代であり、また同時に和平協定後の硬直化した時代に政党へと参画している。さらに、幼い頃から既にベンガル人入植者が存在していた点にも相違がある。実際、1947年にチッタゴン丘陵地帯におけるベンガル人ムスリム人口は2%だったが、2003年時点で49%まで上昇している(Jamil and Panday 2008 p.477)。

こうした社会状況の変化も大きいことから、従来の政党の主張とは異なる選択肢や柔軟な考えを持っている可能性があると考えた。そこで、今回はPCJSSおよびUPDF双方のPCP主要メンバーとの接触を試み、インタビューを実施した。

 
[3] 本記事では、和平協定の締結から現在まで主要な政治的影響力を及ぼし続けている少数民族政党リーダー、少数民族市民リーダー達のことを指す。
[4] UPDF PCPへのインタビューより。
[5] 本記事においては、戦闘を直接経験していない20代〜30代の少数民族を範囲とする。そのうち特にPCPに所属する者を指す。
 

3. ジュマ若者世代の関係性、平和への視点

2023年9月にバングラデシュ、ダッカにおいてPCJSS PCP、そして分派として生まれたUPDF PCPそれぞれのリーダー層と面会を行った。PCJSS PCPからは2人が面会を承諾してくれた。どちらも20代の男性であった。一方のUPDF PCPからは3名が面会に応じてくれた。彼らもまた20代で、男性が2名、女性が1名であった。本節では、面会を通して把握した語りの特徴を述べることとする。

最初の特徴は、両者とも政党本体がもつ主張に沿う形で語られたことである。これは両者に共通した事柄であった。PCJSS PCPはあくまで和平協定の実施、そしてUPDF PCPは完全自治の主張を崩すことはなかった。PCJSS PCPは、様々な問題を列挙すると同時に、その解決策は和平協定に既に盛り込まれていることを繰り返し主張した。一方のUPDF PCPは、和平協定の内容が不十分であるとして、完全自治の実現を繰り返し語った。和平協定の内容は私たちが望んだものではないという語りは、1998年の分裂時の経緯と重なり合う。また完全自治の一例として、インド・ミゾラム州におけるチャクマ自治県も挙げられた[6]

加えて、もう一点の特徴は、少数民族として各自が経験した被害が語られたことである。これもまた両者に共通する語りであった。身辺の安全を恐れて地元に帰省できないことを語る者、他にも移動時に検問で止められ、外国人だと疑われて執拗な尋問を受けたことを語る者もいた。政党で活動する若者は、内紛の渦の中で抗争や敵対的な関係に加担する面が表象化されやすい一方で、同時にそれぞれがマイノリティとしての「痛み」を抱えている一人の人間であることを痛感させられた。

最後に、UPDF PCPは、PCJSS PCPとの関係性において被害者的な語りを見せたことも特徴として挙げられる。その一例として、少数民族女性がレイプされた事件に対して政党を横断した抵抗運動を提案したが、PCJSS側に拒否されたという話が挙げられた。私たちが歩み寄ったとしても、手を取り合ってはもらえないという嘆きが語られた。また、PCJSSが丘陵における政治的影響力を排他的に独占することに対する不満も語られた。PCJSSのWebサイトに「丘陵で唯一の政党」と書いてあることを例に挙げ、UPDFをはじめとした少数民族政党の存在を否定しているという批判が語られた。 一方でPCJSS PCPは、UPDF PCPが掲げる完全自治の非現実性を批判する場面もあった。より厳密にすれば、完全自治の大義を掲げるものの、実現のための具体的な方策を持ち合わせていないことに対する批判である。

しかし、若者世代はただ単純に互いを敵視しているわけではない。一個人としての関係においては、政党を超えた交友関係が広がっていることも明らかとなった。筆者は当初、組織ごとに人間関係が断絶している様相を想定していたが、実際にはSNS等も介することで顔の見える関係で繋がっていた。しかし、組織としては柔軟な対話や再び手を取り合うような関係が直ちに訪れる可能性は高くないというのが実態である。

 
[6] チャクマ自治権とチッタゴン丘陵地帯の自治権の比較に関しては(下澤 2021)を参照されたい。
 

4. 結語:政党、世代を超えた平和へ

ここまで、少数民族政党の学生組織に所属するリーダー層の語りを中心に、若者世代の特徴を述べてきた。これらの語りから、現状をまとめると以下のように言えるだろう。

まず、学生組織の若者とはいえども政党に関わっている限りは、政党本体の意見を伺いながらでなければ大胆な動きは難しいだろう。両者の語りが政党本体の主張を忠実に再現していることは、その一つの根拠である。 PCJSS PCPはあくまで和平協定の不履行に問題の所在があるとして、その実施を主張する。一方のUPDF PCPは和平協定に不満を抱き、完全自治を標榜。その結果、PCJSS PCPは現実味を欠いたUPDF PCPの大義を批判し、対するUPDF PCPはPCJSS PCPが政治の主導権を独占していることを批判する。それぞれを主張する若者たちの真剣な眼差しを見る限り、各政党の思想を一定程度信じているだろうと想像するが、同時に政党の語りから外れてはならないという配慮も存在しているだろう。ただ、こうした批判の応酬が存在する一方で、個人間ではしなやかな交友関係が存在しており、組織間における完全な断絶が生じているわけではないことは重要な点である。

最後に、インタビューにおいて特に印象的だった瞬間を述べたい。それは、政党や立場を超えて一人の人間としてチッタゴン丘陵地帯の平和を話し合うようなことはできるのだろうかと筆者が質問した時のことである。主な回答としては、やはり純粋に一人の人間として膝を突き合わせることの難しさが語られた。ただ同時に、個人として自由な言動をとった際の「恐れ」もわずかながらに語られた。個人としての自由な振る舞いと政党本体の意向が一致しない時には、政党本体に対する恐れゆえに自身の言動を政党のそれに合わせていく。それは政党本体の意向に沿う語りの裏側を垣間見た瞬間であった。あくまで私見ではあるものの、若者の心の内にはまだ語られていない叫びがあるのではないかと思う出来事であった。

今回、政党に所属する若者世代の語りを中心に特徴を述べてきたが、本記事では言及できていない点も複数存在する。例えば、政党に所属する者が必ずしも積極的に参加を続けているわけではないという話も聞かれるが、今回インタビューに応じてくれた若者たちと政党の関係には踏み込めていない。また、入党する若者の心理や政党の求心力にも言及はできていない。

しかし、これまで少数民族をめぐる政治を担う第一世代の主張が注目される中で、近い将来政治を担う若者世代の声にフォーカスしていくことは重要な試みであると考える。硬直化したチッタゴン丘陵地帯の現状において、やがてくる世代交代を前に若者世代はますます影響力を持ってくるだろう。

 


 

引用文献


下澤嶽 (2023/03/03)「バングラデシュ、チッタゴン丘陵──『内紛』という形の暴力の悪循環へ」笹川平和財団、Asia Peace Building Initiatives)
https://www.spf.org/apbi/news/m_2303032.html (最終閲覧日 2023年11月23日)

渡部清花 (2017/03/24)「ジュマの内部組織」(笹川平和財団、Asia Peace Building Initiatives)https://www.spf.org/apbi/news/b_170324_2.html 最終閲覧日 2023年11月23日)

Bangladesh Bureau of Statistics (2015), Population & Housing Census 2011: National Report Vol. 1 Analytical Report,  n.p., Bangladesh Bureau of Statistics. 

Bhattacharjee Giriraj, South Asia Intelligence Review (SAIR): Weekly Assessments & Briefings, Volume 21, No.10, August 28, 2022, The Institute for Conflict Management, (2022/08/28).
https://www.satp.org/south-asia-intelligence-review-Volume-21-No-10 (最終閲覧日 2023年11月25日).

Jamil Ishtiaq and Panday, Pranab Kumar (2008), “The elusive peace accord in the Chittagong Hill Tracts of Bangladesh and the plight of the indigenous people”, Commonwealth and Comparative Politics, Vol.46, No.4, pp.464–489.

Panday, Pranab Kumar and Ishtiaq Jamil (2009), “Conflict in the Chittagong Hill Tracts of Bangladesh: An unimplemented accord and continued violence”, Asian Survey, Vol.49, No.6, pp.1052-1070.

Washima Saraf (2021), “The Chittagong Hill Tracts Peace Process: A review and Future Research Agenda'', IOSR Journal of Humanities and Social Science, Vol.26, Issue.10, Series.11, pp. 13-22.

 
[新聞記事]
Dhaka Tribune, UPDF-backed PCP slams government, (2015/02/11). https://www.dhakatribune.com/bangladesh/bangladesh-others/94053/updf-backed-pcp-slams-government(最終閲覧日 2023年11月22日)
 
 

参考文献


下澤嶽(2021)「エスニック・マイノリティと民族自治制度──バングラデシュのチッタゴン丘陵とインドのミゾラム州の民族自治制度を例として」『国研紀要』158 pp.21-47。

下澤嶽、トム・エルキルセン、日下部尚徳、木村真希子(2014)『チッタゴン丘陵白書──バングラデシュ、チッタゴン丘陵地帯の先住民族 紛争・人権・開発・土地問題2007~2013』ジュマ・ネット、p.74。

IWGIA, Organising Committee CHT Campaign and Shimin Gaikou Centre (2012), Militarization in the Chittagong Hill Tracts, Bangladesh: The slow demise of the region's indigenous peoples, n.p.

NOZOMI INAGAWA 稲川 望

ジュマ・ネット事務局長。
 
静岡文化芸術大学文化政策研究科修士課程修了。学部在籍時にロヒンギャ難民支援活動やバングラデシュでの現地NGOインターンを経て、2021年よりジュマ・ネット事務局長。

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