田中 聡(大阪大学大学院国際公共政策研究科博士前期課程)
2018.02.14
  • 平和構築全般

連邦制による紛争解決の取り組みとその課題:ボスニア・デイトン体制を事例に

問題の背景

 分離主義(secessionism)-ある集団が既存の国家から分離し、新たな国家の樹立を図る動き-は、近年、国際社会が直面する重要な問題の一つである。現在の国際社会は、理念上は「国民国家」から構成されるが、実際はほぼ全ての国家が複数の民族から成っており、中には、激しい民族間の対立から一つの国家の形成には至っていない国も数多く存在する。1990年代以降、冷戦の終結に伴い民族的少数派による分離主義が多発する中、世界各地において熾烈な紛争が引き起こされた。この時、全ての民族集団に対し分離を認めることは際限の無い国境変更を生みかねない。そこで、これら分離を唱える民族集団の要求にも応えつつ、いかに複数民族の間で一つの国民国家を築くことができるかが国際社会の重要な課題として浮上したのである。

 本稿では、この分離主義に直面した国家にて、その対処策としてこれまで多く用いられてきた「連邦制(federalism)」へと焦点を当て、その効果に関して従来行われてきた議論を概観する。その上で、連邦制による紛争解決の取り組みとしての典型例とも言えるボスニア・ヘルツェゴヴィナ(以下、ボスニア)を取り上げ、その具体的な効果を検証していく。

連邦制にまつわる議論

 連邦制とは、中央政府が権力を集中的に保持するのではなく、領域的に分割された地方へとそれが一定程度分配されている政治体制を指す。これまで数多くの事例で、この連邦制の導入により分離主義の抑制が図られてきた。フランデレン民族とワロン民族間での激しい対立を抱えるベルギーでは1993年に連邦制が導入されている。スコットランドやカタルーニャの独立問題を抱えるイギリス、スペインでも、各地方へと一定の自治権を付与する形で分離主義の抑制が図られてきた。また、分離主義が引き金となって武力紛争へと発展したコソヴォやフィリピンのミンダナオなどにおいても、領域的な自治の承認を通して紛争の解決が取り組まれている。

 長年、政治学では、この連邦制の導入は分離主義を抑制する効果を持つと考えられてきた。古典的にはレイプハルトの議論が挙げられ、連邦制の導入が、各政治単位における民族的な多元性を減らすことで、政治的安定をもたらすと言われている(レイプハルト 1979; 2005)。また、分離主義が引き金となって武力紛争へと陥った国においても、民族的少数派への自治権の付与が、紛争後に抑圧される恐怖を低減させることで、紛争の解決へとつながると言われており(Lake and Rothchild 1996)、計量分析によってその効果も実証されている(Hartzell and Hoddie 2003)。

 しかし、実際、連邦制の導入によって一度は分離主義が抑制されるも、その後に再燃する状況に陥った事例も多い。例えば、ベルギーでは2007年と2010年に民族間の対立から政権が樹立されない「分裂危機」が発生しており、スコットランドやカタルーニャでも、分権化後も独立を問う住民投票が実施されている。これらを受けて、連邦制がむしろ分離主義を促進する効果をもたらすと述べる論者もいる。ホロウィッツは、「競り上げ」という議論を用いて、そのメカニズムを説明する。連邦制が導入されれば、各民族内で代表の政治家が選出されることとなる。その結果、市民からの支持獲得を巡って民族内で急進的な民族主義が競われる状況が発生し、分離主義の促進を引き起こすと考えられる(Horrowitz 2000)。また、その他にも、連邦制の導入が、民族独自のメディアの発達(Roeder 1991)、地域政党の強化(Brancati 2006)、全ての政治課題の「民族化」(Roeder 2005)を引き起こすことで分離主義を促進する効果を持つと言われており、近年では、その逆説性が説かれている(Erk and Anderson 2010)。

 以上のように、連邦制は、分離主義を抑制する効果、促進する効果の両面が指摘されおり、現在まで論争が継続している 。[1]そこで、以下、連邦制による紛争の解決が図られたボスニアを事例として、その具体的な効果を検証する。

事例:ボスニア・デイトン体制

 ボスニアは、ボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人の三つの主要民族が暮らす多民族国家であり、1992年から三年半、分離主義の過熱化により熾烈な紛争を経験した。紛争は、1995 年に国際社会仲介の下で締結されたデイトン合意をもって終結へと至る。これにより紛争後のボスニアでは、三民族間での連邦制の導入を通して紛争からの国家の再建が図られていくこととなった。
 デイトン体制は、非常に分権化の度合いが高い連邦制である。まず国家は、ボシュニャク人とクロアチア人から成るボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦と、セルビア人のスルプスカ共和国という二つの構成体から構成され、さらに前者は10のカントンへと分割された、二重の連邦制となっている。国家の権限は、外交や貿易、通貨政策などに限定され、警察、司法、教育などを含めた実質的な権限はほぼ全て構成体、カントン・レベルに分配された。また政治体制としては、最高意思決定機関である大統領評議会にて、各民族から選ばれた代表が八ヶ月ごとの輪番制で大統領を務めており、閣僚や議員などのポストも民族ごとに均等に配分されるといった権力分有制(power-sharing)が取られている。これらの結果、紛争後のボスニアでは、各民族が大幅な自治権を持つ体制となっている。現在まで紛争の再発は防がれており、一定程度、このデイトン体制は分離主義を抑制する役割を果たしていると言える。
 一方で、紛争後も民族間の対立は継続し、いまだ「一つの国家」の再建には至っていない。2001年にはクロアチア人が自治政府の樹立を図る事件が発生し、2006年以降はセルビア人の分離を問う住民投票の実施が何度も呼びかけられるなど、分離主義再燃の兆しも見られる。これらを受け、デイトン体制が「競り上げ」を引き起こしたことで、分離主義を促進させる要因として働いていると指摘されている(Jenne 2010; 久保 2010; 中村 2016)。これに加えて、紛争後のボスニアで民族間の対立が継続する要因として、紛争を率いた三つの民族主義政党(SDA、HDZ、SDS)が持つ利権構造の存在が指摘できる。これらの政党は、紛争時に組織犯罪者集団と結託して、各町における議会から企業、警察署、裁判所、学校、病院など、あらゆる資産を占拠した。この時、デイトン体制が「民族」に対して自治権を付与したことによって、これらの政党が紛争時に得た資産を維持することが制度的に固定化されてしまい、民族主義政党が紛争後においても各町を支配する存在としてあり続けることとなった。そのため、紛争後のボスニアでは、就職や進学、社会保障の受給などを得るには各町で支配的な民族主義政党との「コネ」が必要とされ、市民らが生活を維持するためにはこれらの政党へと依存せざるをえない状況が生まれている。その結果、紛争後のボスニアでは、民族主義政党が政治の場を席巻し続け、現在まで民族間での対立が継続する状況に陥っている。

サラエボ市内:戦争による被害を受けた建物が残る一方で、その背後に近代的なビルが建てられている(撮影者:田中聡、撮影日:2017年9月14日)

おわりに

 以上、本稿では、現在の国際社会において重要な課題となっている分離主義への対処策として注目を集める連邦制に焦点を当て、これまで政治学で行われてきた議論の概観を行った。その上で、その典型例とも言えるボスニア・デイトン体制を事例に、その効果についての検証を行った。ボスニアでは、連邦制の導入により、紛争は終結し、現在に至るまでその再発は防がれている。一方で、自民族の利益へと執拗に固執する民族主義政党が紛争後の政治を席巻し、「一つの国家」への再建を妨げる状況が継続している。その背景には、「競り上げ」による民族主義の急進化のみならず、連邦制の導入によって各政党が持つ利権構造が紛争後にも制度的に固定化されたことが挙げられる。以上のことから、連邦制は、急進的な分離主義を抑制し、形式上は既存の国家を維持する効果を持つ一方で、民族間の対立を構造化させることにより「一つの国家」への再建へとはつながらない逆説的な状況を生む可能性があると指摘できる。

注:

[1] 本稿では紹介しきれなかったが、近年では連邦制の効果を巡る議論は多角的に展開されており、例えば、導入される連邦制の下位類型や、連邦制が導入される国の民族構成などによって、その効果を細分化して捉える取り組みがなされている。これらについて詳しくは、松尾、近藤、溝口、柳原編(2016)を参照されたい。

参考文献
久保慶一. 2010. 「デイトン合意後のボスニア・ヘルツェゴヴィナ-紛争後の多民族国家における持続可能な制度の模索」『早稲田政治経済学雑誌』377: pp. 21-40.
中村健史. 2016. 「ボスニア・ヘルツェゴヴィナにおける民族対立と連邦制-固定化された対立と国際社会の対応」松尾他編『連邦制の逆説?』pp. 191-207.
松尾秀哉、近藤康史、溝口修平、柳原克行編. 2016. 『連邦制の逆説?-効果的な統治制か』ナカニシヤ書房.
レイプハルト、アーレンド [内山秀夫訳]. 1979. 『多元社会のデモクラシー』三一書房.
レイプハルト、アーレンド [粕谷裕子訳]. 2005. 『民族主義対民族主義-多数決型とコンセンサス型の36カ国比較研究』勁草書房.
Brancati, Dawn. 2006. “Decentralization: Fueling the Fire or Dampening the Flames of Ethnic Conflict and Secessionism?, “ International Organization 60 (3): pp. 651-685.
Erk, Jan and Lawrence Anderson. eds. 2010. The Paradox of Federalism: Does Self-Rule Accommodate or Exacerbate Ethnic Division?. Oxon and New York: Routledge.
Hartzell, Caroline A. and Matthew Hoddie. 2003. “Institutionalizing Peace: Power-Sharing and Post-Civil War Conflict Management,” American Journal of Political Science 47 (2): pp. 312-332.
Horrowitz, Donald L.. 2000. Ethnic Group in Conflict, the Second Edition. Berkley, Los Angeles, and London: University of California Press.
Jenne, Erin. 2010. “The Paradox of Ethnic Partition: Lessons from de facto Partition in Bosnia and Kosovo,” in Erk et al. eds. The Paradox of Federalism. pp. 80-96.
Lake, David A. and Donald Rothchild. 1996. “Containing Fear: The Origin and Management of Ethnic Conflict,” International Security 21 (2): pp. 41-75.
Roeder, Phillip G.. 1991. “Soviet Federalism and Ethnic Mobilization, “ World Politics 43 (2): pp. 196-232,
————. 2005. “Power Dividing as an Alternative to Ethnic Power Sharing,” in Philip G. Roeder and Donald Rothchild. eds. Sustainable Peace: Power and Democracy after Civil War. Ithaca and London: Cornell University Press: pp. 51-82.

SATOSHI TANAKA田中 聡

(大阪大学大学院国際公共政策研究科博士前期課程)

関連記事