2025.6.20
- 佐々木 葉月
- 平和構築全般
紛争後スリランカで進むPVE(暴力的過激主義予防)活動
表紙画像:カルタラでのPVE活動の様子
※本記事における見解は筆者個人のものであり、Asia Peacebuilding Initiatives:APBIの公式見解ではありません。
はじめに
ポーク海峡を挟んでインドの南東に位置するスリランカは、北海道の約8割の面積を持つ、豊かな自然に恵まれた島国である。この国は、インド洋のシーレーンの戦略的要衝に位置する地政学的重要性から、国際的な注目を集めている。一方で、大国間の駆け引きのような派手さはないものの、スリランカ国内で市民社会や政府が関与する形で広がりつつあるのが、若者を対象としたPVE(Preventing Violent ExtremismまたはPrevention of Violent Extremism、暴力的過激主義予防)活動である。PVEはテロの早期予防の取り組みで、2010年代半ばから国連が中心になって推進してきた(佐々木 2018)。加えて、スリランカのPVE活動には、2009年の内戦終結後の同国の政治・国内安全保障状況も深く関わっている。本稿では、まずスリランカ内戦終結に至る過程とその後の政治・国内安全保障の動向を確認し、PVEとの関連を明らかにする。その後、現地調査に基づいた同国のPVE活動の現状を記す。
1. スリランカ内戦の軍事的解決
2009年に政府軍による武力制圧という形で終結するまで、この国が抱えていた最大の問題は1983年から続いていたタミル人の反政府勢力「タミル・イーラム解放の虎(The Liberation Tigers of Tamil Eelam: LTTE)」との内戦であった。タミル人の多いスリランカ北部・東部を拠点としたLTTEは、長期にわたるプラバカラン(Velupillai Prabhakaran)の指導の下、スリランカ全体では少数派であるタミル人が多く住む北部・東部の分離独立を掲げ、多数派であるシンハラ人を中心とした政府へのテロを含めた武装闘争を継続した。
LTTEは1980年代後半以降、スリランカ北部を実効支配し、行政サービスなどの統治行為も行っていた。海外に居住するタミル人ディアスポラからの支援を受けながら、新型兵器の購入や西欧諸国でのロビー活動など、巧みな戦略で闘争の長期化と国際化に成功した (Bandarage 2009)。スリランカ軍は1995年に北部ジャフナを奪還したものの、軍事力で北部全域を回復することは困難であった。スリランカ政府は軍事作戦と和平交渉を繰り返し、政府内では、タミル人の多い北・東部の自治を認める連邦制に近い案が検討されるほどであった。一方で、人民解放戦線(JVP)のようなシンハラ民族主義政党や仏教教団の一部のシンハラ至上主義勢力は、「テロリスト」への抵抗と紛争の軍事的解決を訴え、政治的解決に反発した (川島 2006: 236-241)。2002年からの和平交渉はノルウェー政府が仲介し、政治的解決への国際的な期待が高まったが、結局合意に至ることはなかった。
対LTTE政策を根本的に転換し、軍事的制圧に乗り出したのが2005年に大統領に就任したマヒンダ・ラージャパクサ(Mahinda Rajapaksa)である。中国などの外国の支援を受けながら新兵器の調達や戦術の見直しなどの軍事改革を推進し、2006年からLTTE制圧のための軍事作戦を開始した(Hashim 2013)。シンハラ世論の支持を背景に、政府軍はLTTE内部の分裂なども利用して東部地域を奪還し、北部へと攻勢を進めた。2009年1月にはLTTEの本拠地キリノッチを陥落させ、5月には北東沿岸部のムライティブにLTTE勢力を追い詰め、指導者のプラバカランを殺害した。この戦闘では多くの民間人が巻き添えとなり、政府軍が安全地帯や病院への無差別な砲撃を行ったとして、スリランカ政府は国際社会から強い非難を受けることとなった。
スリランカ国内では、長期にわたる内戦を終結させたことで、ラージャパクサ大統領はシンハラ世論から圧倒的な支持を得た。2010年1月の大統領選挙では、対立候補となったフォンセカ(Sarath Fonseka)元陸軍司令官に180万票近い差をつけて再選された。同年4月の国会議員選挙でも、与党の統一人民自由連合(United People’s Freedom Alliance: UPFA)が大勝した。また、与党勢力を背景に、ラージャパクサ大統領は9月に憲法改正によって大統領の三選禁止規定を廃止し、権勢を強めた(荒井 2016: 7-12)。
LTTEは1980年代後半以降、スリランカ北部を実効支配し、行政サービスなどの統治行為も行っていた。海外に居住するタミル人ディアスポラからの支援を受けながら、新型兵器の購入や西欧諸国でのロビー活動など、巧みな戦略で闘争の長期化と国際化に成功した (Bandarage 2009)。スリランカ軍は1995年に北部ジャフナを奪還したものの、軍事力で北部全域を回復することは困難であった。スリランカ政府は軍事作戦と和平交渉を繰り返し、政府内では、タミル人の多い北・東部の自治を認める連邦制に近い案が検討されるほどであった。一方で、人民解放戦線(JVP)のようなシンハラ民族主義政党や仏教教団の一部のシンハラ至上主義勢力は、「テロリスト」への抵抗と紛争の軍事的解決を訴え、政治的解決に反発した (川島 2006: 236-241)。2002年からの和平交渉はノルウェー政府が仲介し、政治的解決への国際的な期待が高まったが、結局合意に至ることはなかった。
対LTTE政策を根本的に転換し、軍事的制圧に乗り出したのが2005年に大統領に就任したマヒンダ・ラージャパクサ(Mahinda Rajapaksa)である。中国などの外国の支援を受けながら新兵器の調達や戦術の見直しなどの軍事改革を推進し、2006年からLTTE制圧のための軍事作戦を開始した(Hashim 2013)。シンハラ世論の支持を背景に、政府軍はLTTE内部の分裂なども利用して東部地域を奪還し、北部へと攻勢を進めた。2009年1月にはLTTEの本拠地キリノッチを陥落させ、5月には北東沿岸部のムライティブにLTTE勢力を追い詰め、指導者のプラバカランを殺害した。この戦闘では多くの民間人が巻き添えとなり、政府軍が安全地帯や病院への無差別な砲撃を行ったとして、スリランカ政府は国際社会から強い非難を受けることとなった。
スリランカ国内では、長期にわたる内戦を終結させたことで、ラージャパクサ大統領はシンハラ世論から圧倒的な支持を得た。2010年1月の大統領選挙では、対立候補となったフォンセカ(Sarath Fonseka)元陸軍司令官に180万票近い差をつけて再選された。同年4月の国会議員選挙でも、与党の統一人民自由連合(United People’s Freedom Alliance: UPFA)が大勝した。また、与党勢力を背景に、ラージャパクサ大統領は9月に憲法改正によって大統領の三選禁止規定を廃止し、権勢を強めた(荒井 2016: 7-12)。
2. 紛争後スリランカ社会の新たな対立軸
スリランカ政府によるLTTEの武力制圧は、国家統一と平和の実現と同時に、シンハラ・ナショナリズムの高まりをもたらした。それに伴い、紛争終結後のスリランカ社会の新たな対立軸となったのは宗教である(荒井 2016: 20-24)。LTTEという明確な「脅威」が消滅した後、多数派のシンハラ仏教徒は、国内における新たな異質性を少数派の宗教の中に見出したと言える。
直近の2012年の国勢調査によると、当時のスリランカの人口約2035万人(2021年時点では約2215万人)における宗教人口の割合は多い順に、仏教徒が70.1%、ヒンドゥー教徒が12.6%、イスラーム教徒が9.7%、キリスト教徒が7.6%と続き、仏教徒が多数派を形成している(Department of Census and Statistics 2012a)。少数派の中では、ヒンドゥー教徒の多くがタミル人である。また、イスラーム教徒は民族集団として独自のアイデンティティを保有していると言われ、多くが東部州に居住している。宗派はスンニ派が多数を占める。キリスト教徒はスリランカ全土に居住しており、宗派はカトリック教徒が約8割を占めている(Bureau of Democracy, Human Rights, and Labor 2023: 2-3)。
スリランカ国内における宗教対立は、特にムスリムやキリスト教徒に対する差別や脅迫、襲撃などの形で2010年代前半から顕著にみられるようになった。標的となったのは、コロンボやキャンディを含めたスリランカ全土のイスラーム教のモスクやマドラサ、キリスト教の教会などである。宗教団体の記録によると、このような脅迫や襲撃は2013年だけで、ムスリムに対するものが280件以上、キリスト教徒に対するものが100件を超える(Zuhair 2016: 20)。2014年6月のアルトゥガマ(Aluthgama)などでのシンハラ仏教徒による反イスラーム暴動では、ムスリムの家や商店が襲撃され、3人の死者が出た。これらの襲撃の背景には、「ボドゥ・バラ・セーナ(Bodu Bala Sena: BBS)」に代表されるシンハラ至上主義を掲げる過激な仏教僧による民衆の扇動がある。これらの団体はイスラームの脅威を強調し、シンハラ仏教徒の国としてのスリランカの防衛を主張した。そのため、ムスリムによる食品のハラル認証や女性が顔を覆うニカーブ着用への反対キャンペーンだけでなく、ムスリムへの不寛容や暴力を容認する言説をソーシャルメディアでも積極的に展開し、シンハラ住民が暴徒化する事件が相次いだ。これらの過激な団体の動きに対し、シンハラ世論を政治基盤とし、権威主義化が進むラージャパクサ政権は対策に消極的であった(Zuhair 2016)。
2015年1月にシリセーナ(Maithripala Sirisena)政権に代わった後も宗教対立は緩和しなかった。2018年3月にキャンディで大規模な反イスラーム暴動が発生し、ムスリムの住居や店舗、モスクが破壊され、2人が死亡し、28人が負傷した。同4月にはコロンボの教会で、仏教徒とヒンドゥー教徒によるキリスト教徒の礼拝の妨害も発生した(Bureau of Democracy, Human Rights, and Labor 2018: 1)。
直近の2012年の国勢調査によると、当時のスリランカの人口約2035万人(2021年時点では約2215万人)における宗教人口の割合は多い順に、仏教徒が70.1%、ヒンドゥー教徒が12.6%、イスラーム教徒が9.7%、キリスト教徒が7.6%と続き、仏教徒が多数派を形成している(Department of Census and Statistics 2012a)。少数派の中では、ヒンドゥー教徒の多くがタミル人である。また、イスラーム教徒は民族集団として独自のアイデンティティを保有していると言われ、多くが東部州に居住している。宗派はスンニ派が多数を占める。キリスト教徒はスリランカ全土に居住しており、宗派はカトリック教徒が約8割を占めている(Bureau of Democracy, Human Rights, and Labor 2023: 2-3)。
スリランカ国内における宗教対立は、特にムスリムやキリスト教徒に対する差別や脅迫、襲撃などの形で2010年代前半から顕著にみられるようになった。標的となったのは、コロンボやキャンディを含めたスリランカ全土のイスラーム教のモスクやマドラサ、キリスト教の教会などである。宗教団体の記録によると、このような脅迫や襲撃は2013年だけで、ムスリムに対するものが280件以上、キリスト教徒に対するものが100件を超える(Zuhair 2016: 20)。2014年6月のアルトゥガマ(Aluthgama)などでのシンハラ仏教徒による反イスラーム暴動では、ムスリムの家や商店が襲撃され、3人の死者が出た。これらの襲撃の背景には、「ボドゥ・バラ・セーナ(Bodu Bala Sena: BBS)」に代表されるシンハラ至上主義を掲げる過激な仏教僧による民衆の扇動がある。これらの団体はイスラームの脅威を強調し、シンハラ仏教徒の国としてのスリランカの防衛を主張した。そのため、ムスリムによる食品のハラル認証や女性が顔を覆うニカーブ着用への反対キャンペーンだけでなく、ムスリムへの不寛容や暴力を容認する言説をソーシャルメディアでも積極的に展開し、シンハラ住民が暴徒化する事件が相次いだ。これらの過激な団体の動きに対し、シンハラ世論を政治基盤とし、権威主義化が進むラージャパクサ政権は対策に消極的であった(Zuhair 2016)。
2015年1月にシリセーナ(Maithripala Sirisena)政権に代わった後も宗教対立は緩和しなかった。2018年3月にキャンディで大規模な反イスラーム暴動が発生し、ムスリムの住居や店舗、モスクが破壊され、2人が死亡し、28人が負傷した。同4月にはコロンボの教会で、仏教徒とヒンドゥー教徒によるキリスト教徒の礼拝の妨害も発生した(Bureau of Democracy, Human Rights, and Labor 2018: 1)。
3. 2019年4月の連続爆破テロ事件の衝撃
2019年4月21日、国内三つの都市(コロンボ、ニゴンボ、バティカロア)にあるキリスト教教会と、コロンボの三つの高級ホテルなどの計8か所が自爆テロ犯によって次々と爆破される事件が発生した。この日は日曜日でキリスト教の復活祭にあたるため、教会への攻撃はミサを狙った自爆テロだと考えられた。一連のテロにより、外国人を含めた約270人が死亡し、500人以上が負傷する大惨事となった。のちのスリランカ政府の捜査により、特定された自爆テロの実行犯9人はいずれもスリランカ国民で、地元のイスラーム過激派組織「ナショナル・タウヒード・ジャマア(NTJ)」に属していたことがわかった。
テロ事件直後、「イスラーム国(Islamic State)」が攻撃を賞賛したことから、事件との関連があることが疑われたが、現在まではっきりとしたつながりはわかっていない。事件そのものは、ムスリムによるキリスト教徒への攻撃というこれまでの文脈からは珍しい構図であった。首謀者を含む数人は「イスラーム国」に忠誠を誓っており、自爆テロ犯の背景も海外で教育を受けた者や裕福な家庭の出身者が含まれるなど多様であるが、国内で過激化したとみられている。のちに容疑者の捜索先から千個を超える起爆装置や、ダイナマイトが見つかるなど、被害を極大化しようとする意図は明白であった。シリセーナ政権の閣僚は民族・宗教間の対立深化を狙った攻撃だと説明した。テロ事件後、国内のモスクが破壊される事件が相次ぎ、イスラーム教の指導者は政府の無策を批判するなど、混乱が深まった(Shaffer 2024: 193-195)。同年11月の大統領選挙では治安回復が大きな争点となり、内戦終結を実現したマヒンダ・ラージャパクサ元大統領の弟で、当時の国防次官であったゴタバヤ・ラージャパクサ(Gotabaya Rajapaksa)が当選した。
この連続爆破テロ事件は、スリランカ経済がのちに低迷する一因となった。主要産業の観光は、事件直後の2020年には観光客が前年比73.5%減の約50万人まで激減した (Sri Lanka Tourism Development Authority 2020: 35)。追い打ちをかけるように、2020年から新型コロナウイルスのパンデミックが起こり、経済状況は更に悪化し、外貨不足からガソリンなどの輸入品価格が高騰した。2022年3月の変動相場制移行後のスリランカ・ルピー安もインフレに拍車をかけた。既に中国などからの借款で対外債務が逼迫していたスリランカは同年4月にデフォルトに陥り、ゴタバヤ・ラージャパクサ大統領は国民の大規模な反政府デモによって7月に辞職した。
連続爆破テロ事件後、経済と政治の混乱が深まる中で、暴力的な民族・宗教対立への対策として、市民社会と政府が協力して始まったのがPVE(暴力的過激主義予防)である。元々、PVEの発想は2006年に国連で採択された「国連グローバル・テロ対策戦略(UN Global Counter-Terrorism Strategy)」の中にみられた。“PVE”という概念を用いて、本格的に政策拡散が図られた契機は、2015年12月に当時の潘基文事務総長が発表した「暴力的過激主義予防のための行動計画(Plan of Action to Prevent Violent Extremism)」である。形成に至る経緯は拙稿(佐々木 2018)で詳述しているが、同計画がPVEの取り組みとして提示した内容は、社会・経済的機会の欠如、差別や疎外、低ガバナンスなどへの対策という開発課題も含めた包括的なものであった。次節では、スリランカにおいては具体的にどのようなPVE活動が進められているのか、現地調査をもとに明らかにする。
テロ事件直後、「イスラーム国(Islamic State)」が攻撃を賞賛したことから、事件との関連があることが疑われたが、現在まではっきりとしたつながりはわかっていない。事件そのものは、ムスリムによるキリスト教徒への攻撃というこれまでの文脈からは珍しい構図であった。首謀者を含む数人は「イスラーム国」に忠誠を誓っており、自爆テロ犯の背景も海外で教育を受けた者や裕福な家庭の出身者が含まれるなど多様であるが、国内で過激化したとみられている。のちに容疑者の捜索先から千個を超える起爆装置や、ダイナマイトが見つかるなど、被害を極大化しようとする意図は明白であった。シリセーナ政権の閣僚は民族・宗教間の対立深化を狙った攻撃だと説明した。テロ事件後、国内のモスクが破壊される事件が相次ぎ、イスラーム教の指導者は政府の無策を批判するなど、混乱が深まった(Shaffer 2024: 193-195)。同年11月の大統領選挙では治安回復が大きな争点となり、内戦終結を実現したマヒンダ・ラージャパクサ元大統領の弟で、当時の国防次官であったゴタバヤ・ラージャパクサ(Gotabaya Rajapaksa)が当選した。
この連続爆破テロ事件は、スリランカ経済がのちに低迷する一因となった。主要産業の観光は、事件直後の2020年には観光客が前年比73.5%減の約50万人まで激減した (Sri Lanka Tourism Development Authority 2020: 35)。追い打ちをかけるように、2020年から新型コロナウイルスのパンデミックが起こり、経済状況は更に悪化し、外貨不足からガソリンなどの輸入品価格が高騰した。2022年3月の変動相場制移行後のスリランカ・ルピー安もインフレに拍車をかけた。既に中国などからの借款で対外債務が逼迫していたスリランカは同年4月にデフォルトに陥り、ゴタバヤ・ラージャパクサ大統領は国民の大規模な反政府デモによって7月に辞職した。
連続爆破テロ事件後、経済と政治の混乱が深まる中で、暴力的な民族・宗教対立への対策として、市民社会と政府が協力して始まったのがPVE(暴力的過激主義予防)である。元々、PVEの発想は2006年に国連で採択された「国連グローバル・テロ対策戦略(UN Global Counter-Terrorism Strategy)」の中にみられた。“PVE”という概念を用いて、本格的に政策拡散が図られた契機は、2015年12月に当時の潘基文事務総長が発表した「暴力的過激主義予防のための行動計画(Plan of Action to Prevent Violent Extremism)」である。形成に至る経緯は拙稿(佐々木 2018)で詳述しているが、同計画がPVEの取り組みとして提示した内容は、社会・経済的機会の欠如、差別や疎外、低ガバナンスなどへの対策という開発課題も含めた包括的なものであった。次節では、スリランカにおいては具体的にどのようなPVE活動が進められているのか、現地調査をもとに明らかにする。
4. スリランカにおけるPVE活動
‘PVE’という言葉がスリランカの政府やNGO関係者などから少しずつ聞かれるようになったのは、2018年前後だという。現在、政府レベルのPVE活動として、スリランカはバングラデシュやモルディブなどの他の南アジア諸国と共に、SAN-PVEと呼ばれる南アジア地域協力の枠組みを形成している。その中で、オンライン上の扇動対策や教育などの分野に分かれてテロ予防に関する実務家ワーキング・グループを作り、グッド・プラクティス共有などの協力を進めている。
本節で注目するのは、スリランカ国内における市民社会を中心としたPVE活動である。同国内でのPVEは複数のNGOの連携によって実施されている。活動の主体は、スイスを拠点とする国際NGOのヘルベタス(HELVETAS Swiss Intercooperation)のスリランカ事務所である。同事務所が「EMPOWERプロジェクト」と名付けられたPVE活動全体を管理・調整し、スリランカ各地の事情に詳しいローカルNGOが実施を担っている。これまで、西部(コロンボ、カルタラ)、中部(キャンディ、クルネガラ)、東部(アンパラ、バティカロア)といった地理的条件や民族構成、治安、経済状況などが異なる場所でPVEプログラムが行われてきた。
これらのPVEプログラム実施のための資金は、草の根のテロ予防活動のためのグローバル基金であるGCERF(Global Community Engagement and Resilience Fund)が拠出している。GCERFは先進国・途上国の双方が参加するグローバル・テロ対策フォーラム(Global Counterterrorism Forum: GCTF)の議論により、2014年に設立された。スリランカ政府は2019年の連続爆破テロ事件の後、GCERFにPVE活動のための支援を求めた。GCERFは2021年のスリランカのEMPOWERプロジェクト開始以来、約180万ドルを投じてきたほか(GCERF 2025)、PVEの技術支援や定期視察、アドバイスなども行っている。また、プロジェクトのPVE戦略の検討や見直しにはGCERFやスリランカ政府機関も参加していることから、実施は国内NGOが担っているものの、活動全体としては、グローバル、ナショナル、ローカルの異なるレベルのアクターが関与する取り組みとして理解できる。
筆者は2024年9月、シンハラ人の共同研究者と共に、西部のカルタラ(Kalutara)県で実施されているPVEプログラムの現地視察と、プログラム責任者や参加者へのインタビューを行った。カルタラ県はコロンボと同じくスリランカ西部州に含まれる。中心都市はインド洋に面した港町カルタラ市で、コロンボから南へ車で1時間弱の距離にある。直近の国勢調査によると、カルタラ県の人口約122万人のうち、民族構成は多い順に、シンハラ人(約86.8%)、ムーア人(約9.3%)、タミル人(約3.8%)である。宗教は同じく、仏教徒(約83.4%)、イスラーム教徒(約9.4%)、カトリック教徒(約3.3%)、ヒンドゥー教徒(約3.2%)である。15歳未満人口の比率の約24.3%は、スリランカ全土における割合に近く、若年層人口が多いことがわかる(Department of Census and Statistics 2012b)。
ヘルベタス・スリランカと連携してカルタラ県でPVEプログラムを実施しているのは、ローカルNGOのALSDC(Asia Lanka Social Development Cooperation)である。ALSDCがEMPOWERプロジェクトに初めて参加したのは、2021年である。プロジェクトの第1期には、地元の15歳から35歳までの120人が参加したという。2023年から始まった第2期も担当しており、第1期から継続参加している40人を含めた若者計80人が参加している。活動内容は、地元政府や法執行機関と協力した、暴力的過激主義に対する意識の向上や、ソーシャルメディア上のヘイトスピーチ/偽情報対策、違法薬物に対する啓発など多岐にわたる。開催にあたってはALSDCとヘルベタス・スリランカ、地元行政機関などが相談しながら、月1回程度の頻度で実施している。カルタラ県のプロジェクトの具体的な行動計画は、各地域で組織された計八つの若者の団体が中心になって策定している。策定の際には、行政機関や宗教指導者などの多様なアクターにも参加してもらい、県内各地域における社会課題の原因を特定し、対応するアプローチをとっている。開始当初は若者の自発的な参加がほとんどだったが、最近は行政機関から頼まれた特定の若者の参加を受け入れることもあるという。
筆者が参加した回は、プログラムの初参加者がPVEの視点から多様性と社会統合の重要性を学ぶことがテーマであった。午前10時に、この日初めてプログラムに参加するというタミル人とムスリムの若い男性9人に加え、第1期に参加した女性2人が活動の補助役として加わっていた。この日は、初対面の参加者同士がシンハラ語でパートナーを紹介するアクティビティから始まり、ビンゴゲームをしたり歌を聴いたりと、参加者が気軽に楽しめる内容となっていた。歴史教育や社会における多様性の重要さに関する議論など、啓発的な内容も多く含まれており、午後4時までと一日がかりであった。
この日の講師役を務めたALSDCのサンダルワン氏によると、PVEという名前は冠していなかったものの、2017年前後から類似のプログラムを実施していたという。カルタラには仏教徒が多く住む地域の中に少数派のムスリムが集住する地域があり、互いに交流がないことから、騒音やハラルをめぐる問題などで軋轢が生じていた。2014年には県内で衝突による暴力事件も発生した。さらに、プログラム強化の契機になったのは、2019年4月の連続爆破テロ事件である。ALSDCも同事件後、若者を対象としたプログラムの内容を見直した。サンダルワン氏は、若者に関与する理由として、活動性が高く、扇動などに脆弱であり、SNSなどでの情報拡散で簡単に動員されてしまうリスクを指摘する。プログラムを通じて社会共生に対する若者の意識を高めることが重要だという。
活動の効果について、第1期プログラムの参加者はその有効性を強調する。第1期のプログラムに参加した仏教徒のシンハラ人女性(26)は、母親の勧めをきっかけに参加を決めた。自身は社会科学を学ぶ大学生だが、それまでは国内の他民族の文化に関心が薄かった。近所にムスリムが住んでいるが、ムスリムは領土を広げようとしている、という噂を耳にし、関わりをほとんど持っていなかったという。プログラムに参加し、他民族や他宗教の同年代の若者と議論し、友人もできたことで、多様性を尊重するようになり、自分自身も理性的になったと感じている。
日曜学校で宗教を教えているムスリムの女性(26)が参加した理由は、2019年の連続爆破テロ事件であった。それまでにも類似のプログラムに関心を抱いていたが、仏教徒のシンハラ人に囲まれて暮らす環境の中で、テロ事件によってムスリムがテロリストと見られてしまうという危機感から参加を決めた。プログラムの中でリーダーシップ・スキルを学んだことで、積極的に他の民族や宗教コミュニティと関わるようになったという。それまで他の宗教と関わりを持っていなかったが、仏教寺院を訪問するなど、仏教徒やカトリック教徒と交流することで、互いの違いを理解するようになった。自身が教える学校にも、現在は他民族から参加する人が出てくるようになった。何よりも、それらの人たちを実際に知ったことで、「ムスリムは敵視されている」という自身の認知が変化したことが大きかったという。彼女は「この認識の変化はプログラムのお蔭です」と語る。
ヘルベタス・スリランカ事務所のプロジェクト責任者は、ローカルNGOと連携した現在のPVEプログラムについて、若者の意識の向上や能力開発面では現在のところ、うまくいっていると評価している。一方で、エンパワーされた若者たちが得た知識や能力を用いて、今後もPVE活動に関与し続けていく仕組みづくりを喫緊の課題として指摘した。そのためには、国民統合・和解事務局(Office of National Unity and Reconciliation)のような政府機関との更なる連携や、PVE専門家と連携してのローカルNGOの訓練やPVE対応マニュアル作りなど、様々なアプローチが必要になるという。同責任者は「PVEはほとんどのスリランカ人にとって新しいトピックであり、それは市民社会組織にとっても変わらない」と述べる。言葉からは、和解とテロ予防という課題に対し、スリランカ社会全体で対応する体制作りの難しさがうかがえる。
本節で注目するのは、スリランカ国内における市民社会を中心としたPVE活動である。同国内でのPVEは複数のNGOの連携によって実施されている。活動の主体は、スイスを拠点とする国際NGOのヘルベタス(HELVETAS Swiss Intercooperation)のスリランカ事務所である。同事務所が「EMPOWERプロジェクト」と名付けられたPVE活動全体を管理・調整し、スリランカ各地の事情に詳しいローカルNGOが実施を担っている。これまで、西部(コロンボ、カルタラ)、中部(キャンディ、クルネガラ)、東部(アンパラ、バティカロア)といった地理的条件や民族構成、治安、経済状況などが異なる場所でPVEプログラムが行われてきた。
これらのPVEプログラム実施のための資金は、草の根のテロ予防活動のためのグローバル基金であるGCERF(Global Community Engagement and Resilience Fund)が拠出している。GCERFは先進国・途上国の双方が参加するグローバル・テロ対策フォーラム(Global Counterterrorism Forum: GCTF)の議論により、2014年に設立された。スリランカ政府は2019年の連続爆破テロ事件の後、GCERFにPVE活動のための支援を求めた。GCERFは2021年のスリランカのEMPOWERプロジェクト開始以来、約180万ドルを投じてきたほか(GCERF 2025)、PVEの技術支援や定期視察、アドバイスなども行っている。また、プロジェクトのPVE戦略の検討や見直しにはGCERFやスリランカ政府機関も参加していることから、実施は国内NGOが担っているものの、活動全体としては、グローバル、ナショナル、ローカルの異なるレベルのアクターが関与する取り組みとして理解できる。
筆者は2024年9月、シンハラ人の共同研究者と共に、西部のカルタラ(Kalutara)県で実施されているPVEプログラムの現地視察と、プログラム責任者や参加者へのインタビューを行った。カルタラ県はコロンボと同じくスリランカ西部州に含まれる。中心都市はインド洋に面した港町カルタラ市で、コロンボから南へ車で1時間弱の距離にある。直近の国勢調査によると、カルタラ県の人口約122万人のうち、民族構成は多い順に、シンハラ人(約86.8%)、ムーア人(約9.3%)、タミル人(約3.8%)である。宗教は同じく、仏教徒(約83.4%)、イスラーム教徒(約9.4%)、カトリック教徒(約3.3%)、ヒンドゥー教徒(約3.2%)である。15歳未満人口の比率の約24.3%は、スリランカ全土における割合に近く、若年層人口が多いことがわかる(Department of Census and Statistics 2012b)。
ヘルベタス・スリランカと連携してカルタラ県でPVEプログラムを実施しているのは、ローカルNGOのALSDC(Asia Lanka Social Development Cooperation)である。ALSDCがEMPOWERプロジェクトに初めて参加したのは、2021年である。プロジェクトの第1期には、地元の15歳から35歳までの120人が参加したという。2023年から始まった第2期も担当しており、第1期から継続参加している40人を含めた若者計80人が参加している。活動内容は、地元政府や法執行機関と協力した、暴力的過激主義に対する意識の向上や、ソーシャルメディア上のヘイトスピーチ/偽情報対策、違法薬物に対する啓発など多岐にわたる。開催にあたってはALSDCとヘルベタス・スリランカ、地元行政機関などが相談しながら、月1回程度の頻度で実施している。カルタラ県のプロジェクトの具体的な行動計画は、各地域で組織された計八つの若者の団体が中心になって策定している。策定の際には、行政機関や宗教指導者などの多様なアクターにも参加してもらい、県内各地域における社会課題の原因を特定し、対応するアプローチをとっている。開始当初は若者の自発的な参加がほとんどだったが、最近は行政機関から頼まれた特定の若者の参加を受け入れることもあるという。
筆者が参加した回は、プログラムの初参加者がPVEの視点から多様性と社会統合の重要性を学ぶことがテーマであった。午前10時に、この日初めてプログラムに参加するというタミル人とムスリムの若い男性9人に加え、第1期に参加した女性2人が活動の補助役として加わっていた。この日は、初対面の参加者同士がシンハラ語でパートナーを紹介するアクティビティから始まり、ビンゴゲームをしたり歌を聴いたりと、参加者が気軽に楽しめる内容となっていた。歴史教育や社会における多様性の重要さに関する議論など、啓発的な内容も多く含まれており、午後4時までと一日がかりであった。
この日の講師役を務めたALSDCのサンダルワン氏によると、PVEという名前は冠していなかったものの、2017年前後から類似のプログラムを実施していたという。カルタラには仏教徒が多く住む地域の中に少数派のムスリムが集住する地域があり、互いに交流がないことから、騒音やハラルをめぐる問題などで軋轢が生じていた。2014年には県内で衝突による暴力事件も発生した。さらに、プログラム強化の契機になったのは、2019年4月の連続爆破テロ事件である。ALSDCも同事件後、若者を対象としたプログラムの内容を見直した。サンダルワン氏は、若者に関与する理由として、活動性が高く、扇動などに脆弱であり、SNSなどでの情報拡散で簡単に動員されてしまうリスクを指摘する。プログラムを通じて社会共生に対する若者の意識を高めることが重要だという。
活動の効果について、第1期プログラムの参加者はその有効性を強調する。第1期のプログラムに参加した仏教徒のシンハラ人女性(26)は、母親の勧めをきっかけに参加を決めた。自身は社会科学を学ぶ大学生だが、それまでは国内の他民族の文化に関心が薄かった。近所にムスリムが住んでいるが、ムスリムは領土を広げようとしている、という噂を耳にし、関わりをほとんど持っていなかったという。プログラムに参加し、他民族や他宗教の同年代の若者と議論し、友人もできたことで、多様性を尊重するようになり、自分自身も理性的になったと感じている。
日曜学校で宗教を教えているムスリムの女性(26)が参加した理由は、2019年の連続爆破テロ事件であった。それまでにも類似のプログラムに関心を抱いていたが、仏教徒のシンハラ人に囲まれて暮らす環境の中で、テロ事件によってムスリムがテロリストと見られてしまうという危機感から参加を決めた。プログラムの中でリーダーシップ・スキルを学んだことで、積極的に他の民族や宗教コミュニティと関わるようになったという。それまで他の宗教と関わりを持っていなかったが、仏教寺院を訪問するなど、仏教徒やカトリック教徒と交流することで、互いの違いを理解するようになった。自身が教える学校にも、現在は他民族から参加する人が出てくるようになった。何よりも、それらの人たちを実際に知ったことで、「ムスリムは敵視されている」という自身の認知が変化したことが大きかったという。彼女は「この認識の変化はプログラムのお蔭です」と語る。
ヘルベタス・スリランカ事務所のプロジェクト責任者は、ローカルNGOと連携した現在のPVEプログラムについて、若者の意識の向上や能力開発面では現在のところ、うまくいっていると評価している。一方で、エンパワーされた若者たちが得た知識や能力を用いて、今後もPVE活動に関与し続けていく仕組みづくりを喫緊の課題として指摘した。そのためには、国民統合・和解事務局(Office of National Unity and Reconciliation)のような政府機関との更なる連携や、PVE専門家と連携してのローカルNGOの訓練やPVE対応マニュアル作りなど、様々なアプローチが必要になるという。同責任者は「PVEはほとんどのスリランカ人にとって新しいトピックであり、それは市民社会組織にとっても変わらない」と述べる。言葉からは、和解とテロ予防という課題に対し、スリランカ社会全体で対応する体制作りの難しさがうかがえる。
おわりに
本稿では、紛争後のスリランカで宗教対立が先鋭化し、2019年の連続爆破テロ事件によって更に分断が進んだことを指摘した。その上で、関係者へのインタビューなどに基づき、現在のスリランカで官民及び国際アクターが協働する形で、多民族・宗教の共存や理解を目指した根本的なテロ対策であるPVE活動が進んでいることを明らかにした。
PVEは欧州やアフリカ、アジアなどを含め、2010年代半ばからグローバルに進められている長期的な視野のテロ対策である。一方で、スリランカの事例でみられたように、PVEを実践するためには、国家の民族・宗教事情、紛争の歴史、国内政治・経済状況など、独自の文脈を踏まえる必要があり、現地調査からもPVEの理念をローカルに適用する難しさが感じられた。グローバル/ナショナル/ローカルにわたる多層的な協働が、スリランカ社会に持続的な平和と安定をもたらすことを願ってやまない。
*本研究はJSPS科研費23K12426の助成を受けたものです。
PVEは欧州やアフリカ、アジアなどを含め、2010年代半ばからグローバルに進められている長期的な視野のテロ対策である。一方で、スリランカの事例でみられたように、PVEを実践するためには、国家の民族・宗教事情、紛争の歴史、国内政治・経済状況など、独自の文脈を踏まえる必要があり、現地調査からもPVEの理念をローカルに適用する難しさが感じられた。グローバル/ナショナル/ローカルにわたる多層的な協働が、スリランカ社会に持続的な平和と安定をもたらすことを願ってやまない。
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参考文献
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HAZUKI SASAKI
佐々木 葉月
日本大学危機管理部 准教授