プラティッポーンクン・ルアンリン
2023.04.27
  • プラティッポーンクン・ルアンリン
  • タイ深南部

特別法は本当に必要なのか?
タイ深南部における特別法の被害を受けた女性たちの声

2022年11月14日撮影。レッドゾーンではないナータム郡でも銃を持ち歩く風景は珍しくない。

※本記事における見解は筆者個人のものであり、Asia Peacebuilding Initiatives:APBIの公式見解ではありません。

1. 消えないトラウマ

ヤラー県ムアン市ナータム郡には仏教徒の村とムスリムの村の両方がある。治安事件がほとんど起きておらず、ムスリム住民はどの世代の人もタイ語が堪能で、仏教徒の住民も(若者を除き)現地のマレー語パタニ方言で会話できる。ある日、私はムスリムの村へ行き、ジュース屋でアンケート調査の対象者を待っていた。

ドン!

すごく近くで爆発音が聞こえた。
電柱の変圧器が爆発したのだろうか?私の故郷、バンコクでも停電の原因は変圧器の爆発が多い。ジュース屋を営む女性も何事もないかのようにスマホをいじっているし、私にとってもそれは日常の出来事にすぎなかった。

私はジュース屋の椅子に腰をおろそうとして、目の前にいる友人のヤーさんを見た。ヤーさんはさっき立っていたところから動かずに、目を大きく開いたまま、両手を上げていた。フリーズしていたのだ。
あれは普通の音じゃなかったのだろうか?ヤーさんの様子を見て、私も不安になってきた。私は聞いた。
「どうしたの?ここはナータム郡で長いこと事件が起きていないと言われているけど。」
彼女は固まったままだった。

「変圧器が爆発しただけでしょう?先週ヤハー市でも起きていたし。デ(マレー語で弟・妹の意味、年下をこう呼ぶ)の家ではあまり起きないの?」

私は怖くなってきた自分を落ち着かせようとして、そう言った。でも、彼女はまったく動かなかった。

「じゃあ、あの人に確かめてみようよ。」

私はスマホを見ているジュース屋のムスリムの女性を指して言った。ヤーさんは頷いて、言った。

「カ(マレー語で姉の意味、年上の女性をこう呼ぶ)、さっきは銃の音だったよね。」

「え?変圧器が爆発しただけよ。あはは。ここではおきないよ、事件は。」

女性は大笑いしながら返事した。

「でも、おたくのミキサーは動いてるでしょ。変圧器の爆発なら停電になっているはずじゃない。」
ヤーさんは納得しないようだった。

「うちで使ってる電気はこの電柱。爆発したのはあなたたちの後ろにあるあの電柱。線が違うから大丈夫よ。」
そう言われて、私たちは後ろの電柱をみた。焼けた変圧器から煙が出ている。

「でも、さっきの音はこの変圧器じゃなく、近くで何かが起きたって可能性もあるわよね。」
 ヤーさんはまだ安心していなかった。

「デ、考えすぎよ。そのうち電力会社の人がやってくるわ。来なかったらあなたのいう通りかもしれないけど、大丈夫よ。ここでは何も起きないし、みんな普通に暮らしている。」

そう言われ、ヤーさんはやっと手を下げて、ジュース屋の席に腰を下ろした。ヤーさんは、さっきの音は軍による発砲音だと思ったらしい。私にとっては、彼女がそれを武装組織によるものと思わなかったことが、不思議だった。彼女の村では軍や警察による超法規的殺人が今でもよく起きているのだ。

それからしばらくたったある日、ヤーさんは私の部屋に来ていて、日が沈む前に帰ろうとしていた。

「マグリブ (日沈後の礼拝)の時間に間に合うかな」
 と、ヤーさんはスマートウォッチを覗いた。

深南部では約束するときは「何時に?」と言わずに「〇〇礼拝」の前か後かを述べて、時間は大体でいい。女性が家に帰る門限は「マグリブまでに」というのが暗黙の了解のようで、それより遅い場合は必ず家族に事前に伝える。時間に緩い深南部でもこれだけは守っている。ヤーさんはお母さんにギリギリマグリブまでに着くと電話し、靴を履き始めた。私は見送らずに、他のことをし始めていた。気が付くと、彼女はまだ靴を履き終わっておらず、ぼーっとしている。いや、固まっている。またフリーズ?え?

「デ、どうしたの?」
声をかけたが、彼女は無言。

「アデ?」
「おーい。デ!」
「ヤーさん!どうしたの!」

私は座り込んだ彼女の両肩を揺らした。すると、彼女は立ち上がり、何かを探すかのように空を見た。

「ヘリの音、だよね」
 と、彼女は私に向かって言った。私は耳を澄ませてみたが、小鳥の鳴き声と子供が遊んでいるような音しか聞こえなかった。

「ヘリ?飛行機?聞こえないけど?」

田舎では、飛行機が見えたら近所の人も呼び集めて歓喜して空を見上げる。ヤーさんもそんな感じかと私は思った。

「ヘリの音が聞こえるとね、私の村の人は怖がるの」

2.ピッドローム(包囲攻撃)の恐怖

ヤーさんは27歳のマレー系ムスリムで、パッタニ県T郡出身。ヤラー県の有名な中学・高校、大学を卒業し、インドネシアで修士号も取得した。小卒・中卒が標準的なT郡ではかなりな高学歴だ。T郡は紛争が再燃した2004年以来、タイ政府が設定した危険レベルでレッドゾーンの地域である。同じレッドゾーンでも、村によって状況は随分異なり、〇〇ゾーンという言い方は偏見を生むとして住民は嫌がっている。

ヤーさんの村は全員が ジュウェー(Juwae)と呼ばれる「闘士」、つまり武装組織のメンバーないしは支援者で、武装組織のリーダー格の人もいる。彼女の村では、夜中に軍がやってきて、治安問題に関わったと疑われる人の家とその周辺をピッドローム(包囲攻撃)する。深南部3県とソンクラー県の4郡では2004年以来治安関連特別法3法(以下、特別法)[1]が適用されており、令状なしで逮捕、取り調べ、家宅捜索ができる。包囲攻撃中住民が死亡しても軍は責任を問われず、告発しても兵士が起訴されることはほとんどない。

ヤーさんは村の小学校が燃やされた時、ガソリンスタンドが放火された時、警察署が爆破された時など、事件を目撃したわけではないが、事件の生々しい跡をみてきた。昨夜会ったばかりの親戚が今日軍に連れて行かれ、その後戻ることなく基地で死亡していたというようなことが何度もあっただそうだ。ヘリの音がトラウマになったのは、軍が包囲攻撃する時、いつもヘリで来たからだ。

今度はどの家を狙っているんだろう。私の家の近くには来ないで。逃げないと逮捕されて尋問中に死んでしまう。でも逃げると容疑者だと思われちゃう。ヘリの音が聞こえる度に、彼女胸にはそのような不安がどうしようもなく押し寄せるという。私にとっては何でもない音が、彼女にとってはトラウマ、あるいは警戒心を呼び起こすものなのだ。

ヤーさんが高校生だった時、傷を負った二十歳くらいの見知らぬ二人の青年がリュックを背負ってヤーさんの家にやってきて、しばらくの間いさせて欲しいとお願いしたそうだ。ヤーさんのお母さんは、可哀想に思って二人を受け入れた。二人とも布団を使わず、家の一階の柱にハンモックを吊って寝た。二、三日して、お母さんがその内の一人がカサカサした声で喋っていることに気がついた。異常を感じたお母さんは彼に原因を聞いた。するとその青年は辛い経験を語った。
「以前、尋問中に、氷を入れた桶に全身入れられたんです。繰り返し水に入れられたり吊り上げられたりしました。結局証拠がなく解放されたけど、そのせいで声がおかしくなってしまったのです。」

軍に捕まったら拷問されると思って逃げてきたのだろうと推測できたが、ヤーさんのお母さんは二人が逃げてきた理由をあえて聞くことはしなかった。

それから約2週間。ヤーさんが高校に行っている時間帯、お母さんがゴム農園から帰って来ると、軍が村全体をピッドロームしていた。大勢の兵士が道路に車を停めて銃を構えて近くの家に突入していた。ドアを開けなかった家に向かっては機銃掃射していた。お母さんは撃たれるのが怖くて、一度は家に入ってドアを閉めようと思ったが、閉めて撃たれるのであれば堂々と開けた方がいいと判断した。お母さんはタイ語が全く話せないが、手を上げながら扉を出て、家の前の道路で銃を構えている兵士たちを「どうぞ、どうぞ、お入りください」と余裕があるかのような表情を見せながら中へ招いた。兵士たちは銃を構えたまま入ったが、その二人の青年はハンモックそのままにして出ていっていた。軍も帰って行った。
 
その時のピッドロームの銃撃では死傷者が出たが、ヤーさんのお母さんは無事だった。しかし、それ以来、ヤーさんたちは助けを求めてくる人を決して受け入れず、ジュウェーの活動に関わる話をしにきた人たちも追い返した。ジュウェーがみな人を殺したり事件を起こしたりするわけではなく、武器を使わず、人権や差別解消のために活動家になった人もいる。しかし、特別法の下では軍に疑われたら命の危険にさらされるため、ヤーさんのお母さんはジュウェーへの協力は絶対にしないと決めたのだ。近所付き合いも避けた。

たとえば、男性はテーオー(茶屋)で、女性は近所の家で世間話や噂話をするのが一般的だったが、お母さんとヤーさんはそれをしなくなった。モスクで行われるモーロ(預言者ムハンマド生誕祭)にも行かなくなった。そのため、不正義に対して一緒に戦わない「非愛国者」だとか、「ワハビー(サラフィー主義者)に洗脳された」等と村の人たちから陰口をたたかれ、毎日のように泣いていた。「私は、ただ普通に朝起きて、牛を飼って、トウモロコシ農園とゴム農園で仕事をして、家に帰ってご飯を食べ、コーランを読んで、一日を終える、そんな日常生活を送りたいの。軍に疑われるのは怖い。村の人たちに嫌われてしまいとても辛いけど、みんなと関わらない方が安全なら、それでもいい」とお母さんは現状を受け入れていた。

 

3.執拗なDNA強制採取

しかし、武装組織に関わっていない、協力していないといっても、安全に暮らせる保証はない。軍が誰かを「容疑者」とみなすといっても、何か明確な証拠があるとは限らない。これから述べる3人の女性は、ヤーさんのお母さんのようにちょっとした手助けをもしたことがないにも関わらず、軍にDNAを強制的に採取させられた人たちだ。

2022年9月と12月、マレー系ムスリムが抱えている問題を把握するための会議がヤラー県で行われた。会議を開いたのは深南部の女性の研究をしているイスラム教徒の大学教員・研究員のFareeda Panjor先生とAmporn Marddent先生で、今回はとくに女性の人権状況を知ることが目的だった。

私はグループ討論のファシリテーター兼議事録係として参加した。参加者は深南部における人権侵害の被害者になった女性や孤児を支援しているNGO団体[2]やその被害者本人だった。がこれまでそこで私はソンクラー県テーパー郡出身のミーさんに出会った。年齢は30代で、ピンク色のニコーブを着て、体がとても小さい女性だった。ゴム農園をもっているミーさんは、雨が降らなければ毎朝ゴムの樹液を採りに行っていた。タイ南部ではゴム農園で樹液を採るために木の幹を削る作業を日常的に行う。樹液は気温が低い時によくでるため、ゴム農園には早朝に出て、終わったら他の仕事をする。ある朝の3時か4時頃、いつものようにゴムの木を削っていたら、兵士が大勢やってきて、ミーさんに対して「DNA採取に協力しろ」と命令した。ミーさんは家に戻らされ、家にいた彼女の妹、子ども、そして両親、つまり家族全員が同じ要求をされた。DNA採取を命じられた時ミーさんは断ったが、兵士に協力しなければ自分たちは帰らないと脅迫され、要求に応じざるを得なかった。兵士に署名するよう言われた採取の同意書はマレー語でもタイ語でもなく、英語だった。家族に英語がわかる者は誰もいなかった。DNA採取から何ヶ月か経った頃、武装した軍が再び家にきて、家宅捜索された。何の根拠もなく無実の住民が容疑者扱いされる。ミーさんは、以前経験したような脅迫をまたいつされるかわからない、いつされてもおかしくない、そんな不安を抱きながら日常を送っている。

不安だという心理的な問題だけではない。ミーさんの家族には心臓に持病を持つ人がいて、武装した兵士が家にやってきた時、びっくりして倒れてしまった。その後ショック状態から持病が悪化し、病院に搬送され、ついには寝たきりとなった。兵士の行動によって重篤な状態になったため、紛争被害者補償制度の見舞金を請求したが、補償金はもらえず、兵士も処罰されなかった。

次に紹介するのは 40歳後半のナーさんだ。女性たちに集まってもらい、グループで話し合いをしていた時に聞いた話だ。その時私は記録する筆を止め、ファシリテーターとしてナーさんがいたグループに入った。話ながらナーさんの声は震えていた。「とりあえず自分が言えること、みんなに知ってもらいたい大変だったことを何でも言ってみて。正しいとか間違っているとか、そういうことはないから」と促した。不安そうな表情は無くならなかったが、私たちの前で彼女は次のように語ってくれた。

2016年、彼女の夫が容疑者として軍に逮捕された。その後、武装した兵士が彼女と小学生の息子のDNAを採取しにきた。抵抗せずに応じたにもかかわらず、別の日に兵士がやってきて、再び採取すると脅迫し、小学生の息子に向かって「おまえの学校に行ってみんなの前でDNAを採取しようか」とまで言った。ナーさんは懇願した。
「目立つようなことはやめてください。容疑者の子どもだと疑いの目を持ってみられ、友達がいなくなっていじめられて不登校になった子どもたちがどれだけ悲しんでいるか、あなたたちには分かりますか?何でも要求には応じるのでどうか息子だけにはこれ以上手を出さないでください。」

事件に直接関わっていない女性や小学生のDNAを採取するのはどう考えても人権侵害だ。兵士たちはただナーさんに精神的な嫌がらせをするためにそれをやっているのかもしれない。

約一年後、ナーさんの夫は釈放された。しかし、穏やかな日常が帰ってくることはなかった。ナーさんは言った。
「私たちはジュウェーじゃないのに、逮捕されてから過激派のジュウェーだと近所の人たちにみなされて、近所付き合いがなくなり、商売もできなくなったの。誰も私の夫に仕事をくれなくなった。私たちと関わってしまうと、軍に疑われてしまうのではないかという恐れから、私たちはみんなに縁を切られたの。」

また、ナーさんの夫が受け取っていた政府による貧困家庭へのひよこ、稚魚、子牛といった生業支援も、逮捕後受け取れなくなった。無実の被害者であったはずなのに、疑われて仕事がなくなり、家計が悪化して、夫婦関係も悪くなった。軍による家宅捜索やDNA採取はその後何年も続いた。2021年、兵士が再びDNA採取にきた。小学生だった息子は武装した兵士を見て、体が震え、固まってしまったという。それ以来、制服のような格好で家を訪れた男性客に対して、息子は兵士だと思い込んで、家の奥に隠れるようになってしまった。 

ナーさんは涙を流しながら語ってくれた。友達にも縁を切られたため、こうした話を人にしたのは初めてだったという。おそらく、ナーさんのようにトラウマになるような経験があっても表に出す機会がない女性は少なからずいるのではないだろうか。

 

4.DNA採取を拒否した報復

ミーさんとナーさんはDNA採取に応じた人たちだが、最後の話はそれに応じなかった30代のハーさんについてである。ハーさんはソンクラー県チャナ郡に住んでいる。家に男性がいないとき、兵士が頻繁に訪れてくるという。初めての時は、彼女一人と赤ちゃんに対して武装した兵士が3人もきて、DNA採取を命じた。彼女は「犯人でもないのにDNA採取に応じる必要はない。絶対嫌だ」としつこく言い返した。そうすると、一人の兵士が名前のリストが書いてあるような紙を取り出して、自分達の間で小さな声でこう呟いた。

「目標まで後どれくらいかな。達成できなかったらどうしよう。」

それを聞いて彼女は、疑わしいかどうかに関係なく、適当にやっているのかと思い、ますます怖くなった。実際それを裏付けるかのように、兵士たちはハーさんが嫌なら代わりに赤ちゃんのDNAでもいいと提案してきた。何に使うのだろう?目標を達成できなければ軍への予算が充分に獲得できなくなるのかしら?と心の中で疑いながらもハーさんは断固拒否した。意志の強い彼女に軍も勝てず、「協力しないほど疑わしい。旦那に何が起きるかわからんぞ」と、脅し文句を吐いた。

「あなたたちがいるから安全な暮らしができているなんて感じたことはないわ。軍のいうことに応じたところで私たちの生活がよりよくなるなんて、誰も保証してくれない。」

精神的に疲れ切った彼女は涙ながらそう言い返した。

それから数日後、ハーさんが赤ちゃんに授乳していた最中、彼女のお父さんが家の近くで誰かと揉めている声が聞こえた。お父さんは仕事から家に帰ってきた時、身を潜めて銃を家の方に向けている男に遭遇した。男はすぐに走って逃げた。お父さんはその男を追いかけずに、ハーさんの無事を確認することを優先させた。ハーさんはお父さんから話を聞いて、自分や家族に恨みを持っている人はいないのにと思った。

というのも、普段のハーさんは家族とも近所とも言い合いをしたことがないような温和な人だったからだ。揉めたのはこの前の軍ぐらいしかおらず、まさかその時の恨みからなのか。ハーさんはDNA強制採取を拒否する権利があることを以前参加していたセミナーで教わったことがあるので、銃を持った兵士たちにでも、勇気を出して拒否し自分自身の人権を守ろうとした。ところが、人権を守ったことが返って自分の身を危うくしたのかもしれない。そう思うと、ハーさんは一人になるのが不安で、外出も一人ではできなくなった。

 

5.マスクをはずさない理由 

その会議に参加した女性は目しか見えないニコーブをきていた人がほとんどで、それ以外の人はマスクをつけていた。ヤーさんも外に出る時必ずマスクをつけた。深南部のムスリムコミュニティではバンコクのような都会と違って約一年前からコロナに対する警戒心が薄れ、大半の人はマスクなしで生活していた。

コロナが蔓延し始めた当初は「治安事件の容疑者が亡命できないようにマレーシアとの国境を封鎖するためにタイ政府がでっち上げただけで、コロナというものは存在しない」、「コロナはモスクでの礼拝をやめさせるためにユダヤ人が作ったものだ」などのデマが流れていた。そのためか深南部では、仏教徒と違って、ムスリム住民のコロナに対する恐怖感は比較的早くになくなっていたようだった。

しかし、ヤーさんやこの会議の参加者は何か意図があって顔を見せないようにしていると私は感じた。ヤーさんに聞いてみたら、「軍にいつ盗撮されるかわからないから」だそうだ。彼女の親戚はチェックポイントで軍にIDカードや顔の写真の撮影に協力するように言われ、協力したのでその時は解放されたが、翌日その写真が重要指名手配の看板に大きく挙げられたことがあった。何の罪も犯していないと無実を訴え、逮捕はされなかったが、その看板を下ろされることはなかった。そして一旦そうなった以上元の日常生活ができなくなってしまうという恐れから、ニコーブをつけるようになり、ポストコロナもマスクをつけ続けることにした。

マスクに変えた理由は、チェックポイントでニコーブの人に対して兵士がニコーブを外すよう命令することが多いからだ。ニコーブに対する偏見は強く、マスクにしてからはチェックポイントで止められることが減ったと女性たちは感じている。でも、そうやって自分の身を守ろうとしても、最新技術にはかなわないかもしれない。最近、家の窓を開けているときにカメラのついたドローンが飛んでくるという証言が増えている。いつ盗撮されるかわからない。彼女たちのマスクはその不安を和らげる策なのだ。

 

6.無実の人を犯罪者扱いする特別法

武装組織による事件や独立運動のことはこれまでよくタイのテレビで報道されてきた。しかし、マレー系ムスリムの住民をまるごと犯人扱いすることがどれだけ無実の人に不幸をもたらしているのかを、私は現地に来るまで知ることはなかった。偏った情報ばかり信じることによって、深南部の人たちに対する嫌悪感情がますますひどくなっていく。

政府は特別法は混乱を収拾するために必要だと言う。深南部のマイノリティである仏教徒の住民も、特別法があるからこそ軍が簡単に事件の犯人を見つけ出すことができると信じており、軍を支持している傾向にある(Marddent, Buranajaroenkij & Panjor, 2022:36)[3]。一方、マレー系ムスリムの住民にとって、特別法は軍に過剰な権限を与えるものであり、民族差別、人権侵害を深刻化させ、タイ政府に対する怒りを増幅させるものとなっている。平和のためには、特別法を廃止して、軍が無実の住民に対して行った侵害を認める必要があるだろう。

[1] 治安関連特別法3法とは、戒厳令法(1914)、非常事態政令(2005年)、国内治安法(2008年)である。
[2] Patani Women Organization (Persatuan Perempuan Patani, PERWANI), NUSANTARA
[3] Marddent, A., Buranajaroenkij, D., Panjor, F. (2022). วาระผู้หญิง สันติภาพและความมั่นคง: ข้อเสนอเพื่อการพัฒนาแผนปฏิบัติการระดับชาติ (Women, Peace and Security Agenda: Recommendations for the Development of National Action Plan), Songkla, Institute for Peace Studies, Prince of Songkla University, Hat Yai Campus.

RUENGRIN PRATIPPORNKUL プラティッポーンクン・ルアンリン
大阪大学大学院国際公共政策研究科比較公共政策専攻 博士後期課程

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