山田 裕史(新潟国際情報大学国際学部講師カンボジア市民フォーラム事務局長)
2016.02.15
  • 平和構築全般

カンボジアの平和構築における市民社会の役割 ―懸念されるNGO法の影響―

1970年から政権の座をめぐる政治勢力間の対立が全面的な武力紛争に発展したカンボジアでは、1991年10月の「カンボジア紛争の包括的な政治解決に関する協定」(以下、パリ和平協定)の締結にともない結社の自由が認められるようになった。以後、政党と並んで市民社会組織の結成が相次ぐとともに、カンボジア国内で活動を開始する外国の市民社会組織も急増した。

カンボジアは国民1人あたりの市民社会組織の数がルワンダに次いで世界第2位を占め 1、 国内団体と外国団体合わせて約5,000もの団体が存在するという 2。このうちカンボジア人による国内団体の数は3,839にのぼり 3、人権NGOや選挙監視NGOといった現地社会の平和構築を担う団体も活発に活動している。その背景として、市民社会組織に対するカンボジア政府の規制が比較的緩やかなことが指摘できる。

ところが2015年8月、カンボジア政府は、野党や国内外の市民社会組織ならびに国連や欧米等の主要援助供与国・機関による反対や懸念に耳を傾けることなく、「結社(Association)および非政府組織(NGO)に関する法律」(以下、NGO法)の制定を断行した。カンボジア政府によれば、同法の目的は市民社会組織の権利と自由を保障するとともに、国際テロ組織や国際犯罪組織への資金の流入を防ぐことにあるという。しかし、野党や国内外の市民社会組織、主要援助供与国・機関は、同法は結社の自由を侵害し、市民社会組織に対する政府の管理を強化するものであるとの懸念を示し、その制定に強く反対してきた。

カンボジア政府がNGO法案の起草に着手したのは1990年代のことであるが、なぜこの時期に、しかも国内外からの反対を押し切る形でその制定を断行したのだろうか。また、平和構築の観点から考えた場合、NGO法の制定はカンボジアにおける平和の持続にどのような影響を与えるのだろうか。

こうした問題意識のもと、本稿では、NGO法制定の政治的背景の検討を通じて、同法がカンボジアの平和構築に与える影響を明らかにしたい。まず第1節では、1990年代以降の政治動向を跡付けながら平和構築の現状を概観する。次に第2節では、持続的な平和の実現には「上からの平和構築」だけでなく「下からの平和構築」も重要であるとの認識のもと、その担い手としての人権NGOと選挙監視NGOの活動、および、それらが平和構築に果たす役割について考察する。さらに第3節では、NGO法制定の経緯と同法の問題点、同法施行後の影響について検討する。そして最後に、本稿における議論を踏まえて上記の問いに対する答えを提示したい。

未完の平和構築

——消極的平和の実現

1991年10月のパリ和平協定に基づき国連の暫定統治下に置かれたカンボジアでは、1993年5月の制憲議会選挙を経て、同年10月にフンシンペック党とカンボジア人民党(以下、人民党)を中核とする「二人首相」制による連立内閣が発足した。しかしパリ和平協定締結後も武力紛争は完全には終結せず、①新政府と反政府勢力による局地的な内戦、および、②連立与党間の武力衝突、という低強度紛争(Low Intensity Conflict)が1990年代末まで続いた。以下、これらの紛争がどのように収束したのかを概観するとともに、その後のカンボジアにおける平和構築の進捗状況を確認する。

国連暫定統治後のカンボジアが抱えた一つ目の紛争は、新政府軍(人民党+フンシンペック党+仏教自由民主党)とポル・ポト派による局地的な内戦である。ポル・ポト派は国連暫定統治期に武装解除と制憲議会選挙への参加を拒否し、再び反政府武装闘争に転じた。しかし1994年7月に非合法化されて中国やタイの支援を失うと、同派は分裂と弱体化の一途をたどることとなる。

まず1996年8月にポル・ポト派No. 3のイアン・サリー元副首相兼外務大臣が同派を離脱し、1997年6月には内部対立でポル・ポト元首相が失脚した。さらに1998年4月にポル・ポトが死去し、同年12月にはNo. 2のヌオン・チア元人民代表議会議長とキュウ・ソンポーン元国家幹部会議長が投降した。そして1999年3月、最後まで抵抗を続けていたター・モック参謀総長が政府軍に拘束されたことで、ポル・ポト派による反政府武装闘争は終焉を迎えた。

二つ目の紛争は、新政府において同等の権力を分有したフンシンペック党と人民党の権力闘争である。両党は政府軍としてポル・ポト派との内戦を遂行する一方で、次期総選挙に向けた党勢拡大の一環としてポル・ポト派を自陣営へ取り込むことを画策し、同派と個別に交渉を重ねた。ポル・ポト派との連携をめぐる両党間の対立は次第に先鋭化し、ついに1997年7月、首都プノンペンとその郊外での武力衝突(以下、7月政変)にまで突き進んだ。

二日間続いた戦闘は人民党の勝利におわり、少なくとも41人のフンシンペック党幹部が拘束後に裁判外手続きで処刑された。また、武力衝突の前日に出国していたフンシンペック党のノロドム・ラナリット第一首相はその座を追われた。7月政変後、連立政権の主導権を握った人民党は自らに有利な選挙制度の構築を進め、1998年7月の第2期国民議会議員選挙において第一党の座を獲得し、フン・センが単独首相に就任した。

このようにフンシンペックと人民党の権力闘争が、軍事的には1997年の7月政変によって、政治的には1998年の総選挙によって後者が勝利する形で決着し、かつ、1999年に反政府勢力としてのポル・ポト派が壊滅したことで、武力紛争は完全に終結したのである。

——顕在化する新たな紛争の火種

カンボジアは2000年代以降、政治的安定を享受しているが、これは人民党への極端な権力集中が進んだことと深く関係している。人民党は反対勢力の政治的自由や参加を制限することで、2003年7月の第3期国民議会議員選挙と2008年7月の第4期国民議会議員選挙で圧勝し、2000年代末までに主要国家機関の長(三権の長、国軍総司令官、国家警察長官、国家選挙委員会委員長、憲法評議会議長、国立銀行総裁)や都知事・州知事ポストを独占するに至った。

人民党の一党支配下にあるカンボジアでは、武力紛争が発生していないという点において消極的平和が定着したといえる。しかしその一方で、新たな紛争と暴力を誘発しかねない問題が顕在化してきていることも事実である。

たとえば、2000年代以降に深刻化した社会問題の一例として、経済開発にともなう土地紛争を挙げたい。近年のカンボジアでは権力者による土地の収奪や、政府が民間企業に付与する「経済的土地利用権」(最長で99年間与えられる独占的な土地利用の権利)を根拠とした土地の剥奪が各地で多発している。2013年に新たに土地紛争に巻き込まれた家族数は3,475であったが、2014年には10,625(推計49,519人)にまで急増した 4。不当に土地を奪われた農民や都市住民は強制退去を余儀なくされ、その際の抵抗行動を軍や警察が発砲を含む暴力によって鎮圧するという事件も珍しくない。

また、近年では最低賃金の引き上げなど待遇改善を求める労働争議の増加も社会問題となっている。労働争議の件数は2012年に101件であったが、2013年には377件にまで急増した 5。 労働者のデモ隊と治安部隊が衝突し、多数の死傷者を出すまでに先鋭化した労働争議も起きている。

このように現在のカンボジアでは、新たな紛争と暴力を誘発しかねない問題が顕在化してきており、平和の持続にはなおも平和構築の取り組みが必要とされている。

「下からの平和構築」-人権NGOと選挙監視NGOの取り組み

持続的な平和の実現には、平和構築活動における「現地社会のオーナーシップ」、すなわち「紛争(後)社会を代表する政府などによって構成される現地社会の人々が、永続的な平和を作り上げていく際に、主導的な役割を担っていくこと」 6 が欠かせない。とくにカンボジアのような権威主義体制の国家では、選挙によって政府が選出されても、それが必ずしも国民の意思を反映しているとは限らない。したがって現地社会のオーナーシップを高めるには、政府だけでなく市民社会組織も平和構築において主導的な役割を担うことが必要である。自由で活力のある市民社会組織の活動は、現地社会のオーナーシップを強く示すものといえよう。政治指導者が主導する「上からの平和構築」のみならず、NGOや小規模な草の根レベルの住民組織等の市民社会組織が主体的に取り組む「下からの平和構築」が不可欠なのである。

そこで本節では以下、カンボジアで「下からの平和構築」の重要な担い手となっている人権NGOと選挙監視NGOの活動と、それらが平和構築に果たす役割について検討する。

Phnom Penh Slums — June 2012

——人権NGOの活動

カンボジアの人々は長年にわたり国家による暴力と破壊の可能性にさらされてきたこともあり、パリ和平協定の締結によって結社の自由が認められると、数多くの人権NGOが設立された。現在も全国規模で恒常的に活動を展開している主要団体として、1991年設立のADHOC(Cambodian Human Rights Development Association、以下、アドホック)、1992年設立のLICADHO(Cambodian League for the Promotion and Defense of Human Rights、以下、リカド)、2002年設立のCCHR(Cambodian Center for Human Rights)等が挙げられる 7

これらの団体はいずれもカリスマ性の強い指導者によって設立され 8、 欧米諸国を中心とする対カンボジア援助供与国・機関による全面的な財政支援を受けている。活動内容は各団体間での重複も見られるが、主として政策提言、人権・女性と子どもの権利に関する教育、人権侵害の調査と被害者への法的支援、土地紛争に関する調査と被害者への法的支援、カンボジア特別法廷(いわゆるポル・ポト派裁判)のモニタリング、囚人と人権侵害の被害者に対する医療支援、拷問の被害者に対するリハビリ、人権活動家・ボランティアの人材育成、ラジオ放送等を行っている。

なかでも警察官や軍人、公務員に対する人権教育活動は、低強度紛争が続いていた1990年代に盛んに実施され、国家による暴力や人権侵害を減少させる上で一定の成果を得た。また、人権侵害に関する精確な調査結果は、メディアだけでなく国際機関や各国政府からも注目され、カンボジアの人権状況を広く国内外へ伝える際の重要な情報源となっている。

とりわけ土地紛争が深刻化する近年では、人権NGOによる土地紛争に関する調査と被害者への法的支援という活動は、紛争の暴力化を防ぐという点においてきわめて重要な役割を果たしている。カンボジアでは法律に対する一般国民の理解が十分でなく、また、汚職が蔓延する司法機関への信頼性が低いため、住民は土地紛争に巻き込まれると道路を封鎖したり、行政機関の前に座り込んだりして抗議行動に出ることが少なくない。しかし人権NGOが仲介に入ることで、抗議行動の先鋭化を回避し、法律に基づく紛争の平和的解決の実現が可能となっているのである。

——選挙監視NGOの活動

市民社会組織が担う平和構築の取り組みとしてもう1つ重要なのは、選挙監視活動である。カンボジアでは選挙の度に国内外の数十もの団体が選挙監視活動を行うが、選挙監視を専門に行う非党派的なNGOとして、COMFREL(Committee for Free and Fair Elections in Cambodia、以下、コムフレル)とNICFEC(Neutral and Impartial Committee for Free and Fair Elections in Cambodia、以下、ニクフェク)という2つのNGOが存在する 9

コムフレルは、アドホックやリカドを中核とするNGO12団体によって1995年に設立されたカンボジア初の選挙監視NGOである。一方、ニクフェクは、1998年7月の第2期国民議会議員選挙の約1ヵ月前にリカドがコムフレルから離脱し、NGOや学生協会など6団体とともに設立した選挙監視NGOである。アドホックとリカドは1993年の制憲議会選挙において選挙監視活動を行った実績があり、その経験をもとに選挙監視NGOを設立したのであった。

人権NGO同様、コムフレルとニクフェクも欧米諸国を中心とする援助供与国・機関による全面的な財政支援を受けている。主な活動内容は、選挙人登録から選挙結果の確定までの長期間にわたる選挙監視、選挙人教育、メディアの中立性に関するモニタリング、政策提言、ラジオ放送、女性と若年層の政治参加を促す活動などである。また、コムフレルは選挙に関する活動だけでなく、国民議会と政府の活動や地方分権化に関するモニタリングも実施するなど、民主化にかかわる分野全体に活動の幅を次第に広げるようになった。

こうした選挙監視NGOの活動は、従来の選挙における人民党による選挙管理機関やメディアの支配、同党の選挙運動への公務員、村長、軍人、警察官などの動員、暴力的または司法的手段による反対勢力の排除、選挙人名簿の改竄、脅迫・強要や買収・賄賂といった一連の選挙操作の存在を明らかにするとともに、自由かつ公正な選挙に向けた技術面の向上に一定の貢献を果たしてきた。特に、選挙人登録や投票の方法にとどまらず、選挙や民主主義の意味そのものを伝えようとする選挙人教育は、意見の相違を暴力によって解決してきたカンボジアにおいては、平和構築という点で極めて重要な意味をもつ活動である。

以上のような人権NGOと選挙監視NGOの活動は、「下からの平和構築」の取り組みとして位置づけられる。欧米諸国を中心とする援助供与国・機関が20年以上にわたり財政支援を続けていることは、平和の持続にとってこれらのNGOの活動が不可欠であるとの認識に基づくものであろう。

NGO法制定の政治的背景と同法の問題点

人権NGOや選挙監視NGOの活動が主な援助供与国・機関によって高く評価されていることは上述のとおりであるが、人民党政府にとって、これら政治分野にかかわるNGOは政府批判勢力あるいは親野党勢力であり、常に警戒を要する対象となっている。NGO法制定の根底には、人民党政府のこうした対NGO観があるものと考えられる。本節では以下、なぜこの時期にNGO法が制定されたのか、その政治的背景と、同法の問題点を検討する。

——NGO法の制定過程とその政治的背景

NGO法案の起草作業は1990年代から進められてきたが、人民党が2003年7月の第3期国民議会議員選挙において圧勝してから再び始動した(以下、NGO法制定をめぐる動向および人民党の議席数と議席占有率については表1を参照)。これは政治分野にかかわる市民社会組織に対する抑圧の動きと軌を一にしていた。

人民党政府は2005年、対ベトナム国境画定問題に絡めて言論と集会の自由を制限し、同問題に対する政府の対応を批判したとして、CCHRのクム・ソカーら人権NGOや教員組合の指導者、ジャーナリストの逮捕に踏み切った。これはNGOを含む市民社会組織の指導者が政治的理由によって逮捕された初のケースであり、カンボジアの市民社会に大きな衝撃を与えた。さらに2006年6月、人民党政府はNGO法の草案について市民社会組織に協議を呼びかけたが実現せず、NGO法制定の動きは一時中断した。

ところが2008年7月の第4期国民議会議員選挙において人民党が議席総数の7割以上を占める大勝を果たすと、NGO法案制定の動きは一気に加速した。2010年12月から2011年12月の間、NGO法の草案が4回公開されるとともに、援助供与国・機関とのコンサルテーションも開催された。NGO法案は近く国民議会に上程されるものと思われたが、法案の内容について市民社会組織や日本を含む援助供与国・機関から問題の指摘が相次いだため、フン・セン首相は2011年12月、NGO法制定の延期を表明した。首相の真意は明らかではないが、当時の人民党は国民議会において過去最大の議席数を誇り、野党の封じ込めに成功していたため、援助供与国・機関と敵対してまでNGO法の制定を断行する必要はなかったのではないかと推察できる。

しかし、こうした人民党の圧倒的優位な状況は、2013年7月の第5期国民議会議員選挙によって一変する。同選挙において人民党が68議席(議席占有率55.28%)へと後退する一方で、野党勢力が結集して旗揚げした救国党が55議席(議席占有率44.72%)を獲得する躍進を果たしたのである。救国党の躍進によって人民党の一党支配が脅かされるなか、救国党だけでなく、人権NGOや選挙監視NGOなど、人民党が政府批判勢力ないしは親野党勢力とみなす団体の封じ込めが、人民党にとって喫緊の課題となったといえよう。このタイミングでのNGO法制定は、2017年の第4期行政区・地区評議会選挙と2018年の第6期国民議会議員選挙に向けた人民党の体制維持戦略の一環と位置づけられる 10

こうして2015年6月5日、NGO法の第5次草案は未公開のまま閣議決定された。7月2日に一般公開され、同8日には国民議会主催のコンサルテーションが開催されたが、NGO側の要請に基づく法案の修正は一切なされなかった。救国党は審議を拒否したが、NGO法案は7月13日に国民議会で可決され、同24日に上院で承認された。さらに8月12日、憲法評議会が合憲との判断を下し、国王による審署を経てNGO法が成立した。

表1 NGO法の制定過程(1996~2015年)

国民議会の会期 人民党の議席数と議席占有率 主要事項
第1期国民議会
(1993~1998年)
51/120議席
42.50%
1996年 9 月:NGO法案策定
第2期国民議会
(1998~2003年)
64/122議席
52.46%
1998年12月:NGO法案策定
第3期国民議会
(2003~2008年)
73/123議席
59.35%
2005年 5 月:NGO法案策定
2005年12月:NGO法策定に関して、NGOとの一連の協議運営のため、カンボジア政府が世界銀行から28万ドルの技術支援を獲得
2006年 6 月:NGO法案に関する協議を市民社会側に提案するも合意に至らず
第4期国民議会
(2008~2013年)
90/123議席
73.17%
2008年 9 月:第2次四辺形戦略にNGO法制定の促進を明記
2010年12月:NGO法第1次草案公開
2011年 3 月:NGO法第2次草案公開
2011年 7 月:NGO法第3次草案公開
2011年12月:NGO法第4次草案公開。首相、NGO法制定の延期を表明
第5期国民議会
(2013~2018年)
68/123議席
55.28%
2015年 6 月:NGO法第5次草案を閣議決定
2015年 7 月:ワークショップを開催。国民議会がNGO法案を可決、上院がNGO法案を承認。
2015年 8 月:憲法評議会による審査・承認と国王の審署を経て、NGO法が成立

(出所)上村未来氏作成のカンボジア市民フォーラムの資料をもとに筆者が加筆。

——NGO法の問題点と施行後の影響

野党や国内外の市民社会組織、主要援助供与国・機関はNGO法の制定に強く反対し、同法の問題点を数多く指摘しているが、具体的にどのような批判があるのだろうか。ここでは最も重要な点を3点に絞ってみていく。

第一に、NGO法は任意団体による活動を認めず、国内外のすべての団体にカンボジア政府への登録を義務づけているが 11、 これは憲法が規定する結社の自由に反する規定である。煩雑な登録作業や毎年の活動報告と会計報告の提出は、人材も資金も非常に脆弱な草の根レベルの住民組織にとって大きな負担となるほか、外国のボランティア団体を含め、カンボジアの外務・国際協力省と覚書(Memorandum of Understanding: MOU)を締結していない団体は活動が認められなくなることが危惧される。団体登録の義務化は、自由で活力のある市民社会組織の活動を大きく制約するものといえよう。

第二に、NGO法は、国内外のNGOおよび外国結社がカンボジアのすべての政党に対して中立的な立場をとることを義務づけているが、「政党に対する中立的な立場」の定義が明確でない。そのため、土地紛争や汚職、天然資源の収奪等に関する調査・提言を行う人権NGOや環境NGO、選挙や議会のモニタリングを行う選挙監視NGOなどが、恣意的・政治的な理由によって活動を停止させられることが懸念される。まさにこの規定は、政治分野にかかわる上記のNGOを標的としたものと考えられる。

第三に、NGO法は、民法が適用される非営利社団法人(公益社団法人を含む)のうち、特定の活動を行う団体を対象とした特別法として位置づけられると思われるが、どのような団体について、どのような特則を設けるのか明確でない。民法との整合性を欠くNGO法は、カンボジアの法制度全体に混乱をもたらす可能性がある。民法は日本政府が法案起草から立法化までを支援した経緯があり、この整合性欠如の問題は日本政府も懸念を表明したが、法案の修正はなされなかった。

以上のような問題点を抱えたままNGO法は施行されたが、すでに市民社会組織の活動に影響が出始めている。ここで一例を挙げたい。2015年8月、クロチェ州スヌオル郡クスム行政区において、250ヘクタールの土地をめぐる紛争に巻き込まれた71家族が住民組織を結成してその土地の権利を主張した。しかし地方当局は、この住民組織がNGO法に基づき内務省に登録していないことを理由に、集団での抗議行動を認めず、内務省への登録を強要するという問題が起きた 12。のちに副首相兼内務大臣が、NGO法は草の根レベルの住民組織には適用されないと明言したが 13、 法律を文面どおりに解釈すればあらゆる団体・組織の登録が義務づけられている。したがって、今後も人民党政府に批判的な活動するNGOや土地紛争に抗議する住民組織等の封じ込めを目的として、NGO法が恣意的・政治的に運用される可能性は否定できない。

おわりに

ここまで論じてきたように、近年のカンボジアでは新たな紛争と暴力を誘発しかねない問題が顕在化しており、持続的平和の実現には「下からの平和構築」が不可欠である。人権NGOや選挙監視NGOはその担い手として、実際に紛争の暴力化の回避に寄与している。しかし人民党にとって、これら政治分野にかかわる市民社会組織は、野党と結託して人民党を政権の座から引きずり降ろそうとする存在に映る。

人民党政府は2013年総選挙における救国党の躍進に危機感を募らせており、2017年地方選挙と2018年総選挙で勝利するためには、救国党だけでなく、人権NGOや選挙監視NGOなどの市民社会組織を封じ込めることが喫緊の課題となった。これが、2015年8月という時期に人民党政府がNGO法の制定を断行した理由であると考えられる。

NGO法によって市民社会組織に対する国家の管理が強まることで、今後は「下からの平和構築」の担い手たる市民社会組織の自由で活力のある活動がさまざまな形で規制(人民党政府に標的とされないよう自主的な活動規制も含む)されることが予想される。とりわけ、NGOにすべての政党に対して中立的な立場をとることを義務づける条項は、人権NGOや選挙監視NGOなどの活動を停止させるために、恣意的・政治的に運用されるのではないかと懸念される。

もしNGO法が人民党政府の主張どおりに市民社会組織の権利と自由を保障するのであれば、同法は市民社会の育成につながり、持続的平和の実現に資するものとなる。しかし本稿における検討から明らかなように、現行のNGO法は「下からの平和構築」の担い手たる市民社会組織の活動の規制につながるさまざまな問題を抱えており、持続的な平和の実現に向けた取り組みを阻害するものである。今後、2017年地方選挙と2018年総選挙が近づくなかで、NGO法がどのように運用されるのか注目される。

一方、カンボジア和平の実現とその後の復興・開発に尽力してきた日本を含む国際社会は、平和構築における市民社会の役割の重要性を再認識し、今後も持続的平和の実現に向けた市民社会組織の取り組みを後押しすることが望まれる。

Notes:
 

1.Helena Domashneva, “NGOs in Cambodia: It’s complicated.” The Diplomat. December 3, 2013. 

2.So Sophavy, “PM Hun Sen, H.E. Sam Rainsy Discuss NGO Draft Law.” Agence Kampuchea Presse. June 29, 2015. ただし、恒常的に活動している団体は全体の半数以下である。

3.2012年末時点で内務省に登録していた団体数。内訳はNGOが2,310、その他の結社(Association)が1,529。

4.LICADHO, “Statement: Renewed Surge in Land Disputes Must be Addressed Not Denied.” February 19, 2015.

5.Sek Odom, “Free Trade Union Reports Overall Jump in Labor Strikes in 2013.” The Cambodia Daily. January 14, 2014.

6.篠田英朗「平和構築における現地社会のオーナーシップの意義」『広島平和科学』31号, 2009年, 169頁.

7.アドホックが中心となって1994年に結成したCHRAC(Cambodian Human Rights Action Committee)という、NGO21団体からなる人権分野のネットワークNGOも存在する。

8.アドホック設立時から代表を務めるトーン・サラーイは、1980年代の人民革命党(人民党の前身)政権下で社会学研究所所長の任にあったが、新党結成の動きに荷担したとして1990年5月に逮捕された元政治犯である。また、リカド創設者のプン・チーウケークは、ノロドム・シハヌーク元国王の官房長とカンボジア初の女性国会議員を両親に持ち、1987年12月のシハヌークとフン・センによる初の和平会談を仲介した人物である。他方、CCHRを設立したクム・ソカーは、1990年代に人権NGO(Vigilance)に参加した後、仏教自由民主党の国民議会議員とフンシンペック党の上院議員を歴任した人物である。2007年に人権党を旗揚げして党首に就任し、現在は救国党副党首を務める。

9.CIHR(Cambodian Institute of Human Rights)やCSD(Center for Social Development)など125団体が1995年に設立した選挙監視NGOがあったが、組織内のさまざまな問題が原因で2003年に活動を停止した。

10.人民党政府は現在、労働組合法とサイバー犯罪法の制定を進めている。これらの法律は、野党支持者の多い労働組合の活動に対して政府の管理を強化したり、人民党政府にとって不都合な情報へのアクセスをインターネット上で規制したりすることが目的との見方が強く、NGO法同様、反対勢力の封じ込めをねらったものではないかと考えられる。

11.これまで国内の結社とNGOは内務省令に基づき内務省に登録することになっていた。一方、外国のNGOには登録義務はないが、事務所の開設、NGOビザの取得、関税の免除などを申請する場合、関係省庁とMOUを締結し、外務・国際協力省およびカンボジア開発評議会に登録することになっていた。

12.Cambodian Center for Human Rights, “CCHR Receives Clarification from MoI regarding Application of LANGO to CBOs and Informal Group.” September 21, 2015.

13.Kuch Naren, “Minister Insists Community Groups Are Exempt From NGO Law.” The Cambodia Daily, September 24, 2015.

HIROSHI YAMADA山田 裕史

(新潟国際情報大学国際学部講師 カンボジア市民フォーラム事務局長)

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