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オーシャンニューズレター

第171号(2007.09.20発行)

第171号(2007.09.20 発行)

閉鎖性内湾の環境修復について思うこと

東海大学海洋学部教授◆中田喜三郎

わが国の代表的な閉鎖性内湾では、これまで再生のための行動計画が実行されてきたものの、
その環境がうまく修復されてきたとは言いがたい。
水質改善のために総量規制を実施してきたにもかかわらず、水質改善の効果がほとんど見られない例もある。
これまでの環境改善の対策が本当に有効だったのかどうか見直し、
何が問題なのかをもう一度整理し直すべきと考える。

閉鎖性水域の環境は改善されているのか?

昨今の環境問題に関する話題は地球温暖化やそれに関連したサンゴ礁の話題や森林破壊の話題がメディアを賑わしている。これに対して富栄養化に伴う閉鎖性水域の環境問題はローカルな話題にはなるが、全国版ではなかなか取り上げられなくなってきている。一見すると、色々な対策によって解決されているかのようにも見えてしまう。しかし、東京湾に代表される閉鎖性水域の水質は過去5回にわたる総量規制を実施してきたにもかかわらず、その効果はほとんど見られていないのが現状である。

このような中で最近、東京湾や大阪湾、伊勢湾などのわが国の代表的な閉鎖性内湾については、行政機関によって再生推進会議が作られ、それぞれの海域で再生のための行動計画が作成されてきた。その骨子は陸域負荷の削減、海域における環境改善対策の推進[浚渫や覆砂]、そしてモニタリングとなっており、これについてはほとんどの海域と同様で、これまでに行ってきた対策の追認としか思えない内容となっており、効果は期待できないのではないかと思える。

最近、環境省から「21世紀環境立国戦略の策定に向けた提言」(H19.5.29)※1が発表された。その中には豊饒の里海の創生、豊かな湖沼環境の再生というくだりがあり、「藻場、干潟、サンゴ礁等の保全・再生・創出、閉鎖性海域等の水質汚濁対策、持続的な資源管理などの総合的な取り組みを推進することにより、多様な魚介類等が生息し、人々がその恵沢を将来にわたり享受できる自然の恵みが豊かな豊饒の里海の創生を図る」という文言が示されている。閉鎖性海域については水質汚濁対策という説明が入っているのは、おそらく総量規制をこれからも続けるという意思表示なのかもしれない。

陸域負荷の削減で環境が改善されなかった例

■図1 播磨灘北部におけるTN,DIN濃度の推移
(兵庫県ノリ漁場環境予測モデル検討委員会より)

一方、漁業者からみた環境再生に関する提言にはどのようなものがあるか。例として「兵庫県における養殖ノリの色落ち被害を防ぐために」※2と題した提言を参照してみる。ここではノリの色落ち被害の特徴を無機態窒素濃度の減少、とくに色落ち被害が発生するとされる濃度3μM以下となる時期が早まっていること、無機態窒素が低濃度でも増殖可能な植物プランクトン種、Eucampia zodiacusの大量発生によってノリ漁場で栄養塩が枯渇しやすく、とくに1990年代後半以降、ほぼ毎年ノリ漁場に発生し、被害が長期化、広域化しているとされている。注目すべきことは図1に示したように、窒素やリンの総量規制を実施しているにもかかわらず、ノリ漁場付近では全窒素、全リンは次第に上昇傾向にあるが、ノリが必要な無機態の窒素やリンはむしろ減少気味であるということである。このような現象は他の海域でも同様な傾向がみられているので、播磨灘だけの特徴ではない。

この意味するところは、これまで行ってきた総量規制、とくに陸域負荷の削減によって流入負荷は削減されてきたが、海域ではその効果がみられず、ノリ養殖業にとってはかえってマイナスの効果をもたらしている可能性があることである。ノリの色落ちに至るシナリオの詳細は提言を参照して頂きたいが、埋め立てなどによってウチムラサキのようなろ過食性二枚貝の生息域が消失し、資源量が減少したことによって、珪藻への摂食圧が低下し、ノリ養殖時に栄養塩を競合する大型珪藻が長期にわたって出現可能となったことも無機態栄養塩減少の一因となっているとしている。つまり浅場域の消失が漁場悪化と関係しているということである。

結局、陸域から今以上の負荷を増加させて無機態窒素濃度を高めることは社会通念上難しい。また、全窒素は横這いもしくは増加傾向にあることから、懸濁態有機窒素から無機態窒素への転換が海域でうまく行われていないことが問題であることを念頭に置くと、当面は負荷量については現状維持をしたうえで、干潟・浅場の造成で二枚貝などのろ過食性底生生物を積極的に増やす努力をすることで、無機態窒素濃度を上昇させていくことが望ましいと提言されている。

総量規制だけで海を管理することには問題がある

昨今、漁業資源の世界的な減少が話題となっており、漁獲圧が強くなりすぎたことが原因という立場で、いろいろな管理手法について議論が行われている。しかしこれは外洋性の漁業資源の場合であり、閉鎖性水域の場合には魚が棲める環境ではないことが問題なのである。とくに夏場に発生する貧酸素水塊は漁業から見ると大問題である。これまでの総量規制については、貧酸素水塊の形成をいかに抑制するかという立場での議論がほとんどされてこなかった。

漁業者の立場からすれば、環境基準が満たされているかどうかではなく、漁業ができるかどうかが最大の関心事である。溶存酸素についての環境基準は存在するが、海域底層に着目しているわけではない。環境基準であるCOD(化学的酸素要求量)や全窒素、全リンなどの水質濃度を物差しにしてこれまで総量規制を行ってきたにもかかわらず、漁業が成り立ちにくい海へと変ってきてしまっているのが現実である。21世紀環境立国戦略にある豊饒の里海の創生を行うためには、これまで通りの総量規制の方法でよいのかについて根本的に見直す必要があるのではないか。里海とは、漁業者が適切に環境を管理することが前提である。しかし、現実に漁業が立ちいかないような環境に徐々になっている状況で里海の創生といっても空しく聞こえてしまうのは私だけではないだろう。

海洋政策研究財団では海の健康診断※3という手法を提示してきた。これまでの海水の水質の濃度をベースにした環境基準ではなく、生態系の安定性と物質循環の円滑さの2つの視点で海を監視していくべきだという考え方である。

三河湾における貧酸素水塊の形成について色々調査を行ってきたが、アサリの資源量と貧酸素水塊の面積は有意に逆相関を示していること、陸域からの負荷の減少は貧酸素水塊の抑制にはあまり効いていないことなどがわかってきている。閉鎖性内湾の環境再生に関して、処方箋にいつも出てくる、陸域負荷の削減、浚渫や覆砂などが本当に有効なのかをもう一度問直し、海の健康診断で示された視点を取り入れて、何が問題なのかをもう一度整理し直すことが必要なのではないだろうか。

三河湾の例や兵庫県の提言などは、どうしたら豊饒の里海の創生が行えるかについて一つの方向性を示しているように思える。(了)


※1 http://www.env.go.jp/press/file_view.html?serial=9685&hou_id=8426
※2 提言「兵庫県における養殖ノリの色落ち被害を防ぐために」、兵庫県ノリ漁場環境予測モデル検討委員会、2007年3月。
※3 海の健康診断については、本誌第48号(2002年8月5日発行)「海にも「健康診断」の導入を」および「「海の健康診断」調査の結果について」(当財団HP、トピックス)を参照ください。

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