アメリカのリトレンチメント論争
— リベラル・ヘゲモニー戦略と「ブロブ」の功罪 —(後編)

森 聡
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リベラル・ヘゲモニー戦略の是非については、コップが半分満たされているところをみて肯定的に評価するか、半分空の部分をみて否定的に評価するかといった類の論争である。他方、オフショア・バランシング戦略の妥当性は、双方とも反実仮想の議論であり、それが仮に採用されていた場合に、うまくいっていたか失敗していたかは分からない。アメリカのグランド・ストラテジーをめぐる論争は、このように大雑把なものではあるが、興味深いのは、この種の論争に再び光が当たるようになったという事実と、こうした論争を通じてオフショア・バランシング戦略の前提や命題が明確化され、それが必ずしも孤立主義と同じものではないことが分かるということである。そこで以下、オフショア・バランシング戦略について注目に値する点を指摘して結びたい。
第一に、オフショア・バランシング戦略は、アメリカによる全面的・全方位的な対外関与の縮小やバランシングを主張するものではない。特に中国については、ウォルトやミアシャイマーら代表的なオフショア・バランシング論者は、いわゆるリアリズムの見地から対中バランシングの必要性を主張している。オフショア化(=駐留米軍を撤退させる)すべき対象地域は、中東、それに次いで欧州であり、東アジアでもオフショア化すべきかどうかは論者によって立場が異なる。これは、オフショア・バランシング戦略が、地域覇権国の出現阻止をアメリカの重要な戦略上の目標としているので、地域覇権国が他の地域諸国との間で紛争を起こし、もし前者が決定的な優位をつかみそうになる場合には、アメリカは当該地域に介入して、自らに有利なバランスを回復すべき、という立場をとっているからである(オフショア・バランシング論者の頭には、第二次世界大戦時の欧州介入のイメージがある)。したがって、オフショア・バランシング戦略は、自らのプレゼンスを引き、できるだけ地域諸国に互いにバランシングさせることを本旨としているので、同盟国に対して防衛努力の強化を促すが、それは同盟国の防衛の放棄や同盟の解消を主張するものではない。
第二に、オフショア・バランシング戦略の眼目は、国際システムにおけるアメリカの相対的なパワーをできるだけ優位に保とうとするものであるので、国内プログラムへの公共投資の増大と親和的なグランド・ストラテジーである。したがって、オフショア・バランシング戦略の処方箋は、内向きに見える。しかし、その場合でも、第一の点とセットで理解することが肝要であり、純粋な孤立主義と混同されるべきではない。
第三に、第二の点とも関連するが、仮にアメリカが前方展開プレゼンスを縮小する流れが鮮明になっていくとすれば、過剰反応する前に、その推進要因がどこにあるのかをよく見極める必要がある。前述の通り、オフショア・バランシング戦略は孤立主義とは一線を画しており、その背景にあるのは、保守的な国際主義である。国際主義にはバリエーションがあり、プログレッシブな国際主義は、世界の平和と繁栄がアメリカの国益と不可分であると定義し(人道的介入などを是認する)、保守的な国際主義は、同盟国の平和と繁栄がアメリカの国益と不可分と定義する考え方である(勢力均衡を重視する)。(※国際主義の2つの類型については、拙稿をご参照願いたい。1)アメリカのグランド・ストラテジーには、①アメリカが重要地域の安定化を前方展開という形で請け負う選択的関与(オンショア・バランシング)と、②平時における同盟国の防衛は自助努力に委ね、地域諸国が互いにバランシングしあうべきとするオフショア・バランシングという2つの理念型があるが、これらのグランド・ストラテジーの背景にあるのは、地域的な勢力均衡を重視する保守的国際主義の考え方であり、孤立主義ではない。端的に言えば、地域的な勢力均衡を、アメリカ自身がその地域に前方展開して担保するのが選択的関与、地域の同盟諸国に委ねるのがオフショア・バランシングであり、いずれも西半球以外の地域のパワーバランスにアメリカの利害を見出している。
ただし、選択的関与とオフショア・バランシングとの間には、実際にはグラデーション上に選択肢が広がっているとみるべきである。かつて冷戦終結直後の選択的関与論者らは、アメリカは欧州と東アジアで地域的な安全保障競争が発生しないように前方展開プレゼンスを維持して、オンショアでバランシングすべきとしていた。しかし、いまや中東と欧州への関与を縮小し、パワーという観点からインド太平洋で対中バランシングに専念すべきとする戦略論が登場しており、これをエルブリッジ・コルビーやウェス・ミッチェルらトランプ政権の元高官らが提唱している(両名は、マラソン・イニシアティヴ2なる団体を創立して、大国間競争時代の戦略を提唱している)。つまり、リソースの制約という観点から、選択的関与の対象地域が絞られるようになった結果、オフショア・バランシングが処方する対中バランシング論に接近するという現象が生じている。
ウォルトは、オフショア・バランシング戦略は「ブロブ」から拒絶され、対外政策コミュニティのなかでも少数派だと主張しているが、これはおそらく正確な理解である。しかし、新型コロナウイルスの影響で国内プログラムへの投資を重視する政権が登場すれば、外交・安保目的に費やせるリソースが制約され、またアメリカの有権者が対外関与コストの節減と国内への公共投資を求め、そうした財政事情や有権者の声を時の大統領が考慮してアメリカの対外関与を舵取りしていくとすれば、アメリカのグランド・ストラテジーは、全方位的なオフショア・バランシングの明示的な選択という形はとらずに、選択的関与の修正という形で、まずは中東と欧州でオフショア・バランシングに移行し、東アジアないしインド太平洋でオンショア・バランシングを維持する方向にスライドしていく可能性があり、それがすでに現実化し始めているとみることもできよう。アメリカが中国との戦略的競争に乗り出したことにより、こうしたグランド・ストラテジーへの移行は、ある意味で既定路線になりつつあるといえるかもしれない。これは国防省や国務省の発想と親和的なのではないかと思われる。
他方、トランプ流の「アメリカ第一」は、アメリカの国益は諸外国の国益から切り離して確保しうるとみて、同盟国の利益はアメリカの利益とは別個に切り離されて存在するとみる感覚のものなので、選択的関与やオフショア・バランシングとは区別されるべきであろう。それは文字通りの一国主義ないし重商主義に基づく対外観に根差した考え方であり、東アジアや欧州の勢力均衡に対して、本来的に無関心である。そしてこの系譜をくむリトレンチメント論は、全方位的なリトレンチメントを導く可能性があるため、同盟諸国が警戒すべき流れである。
これからアメリカが中東や欧州で駐留米軍を縮小し、東アジアでも同盟国による防衛努力の強化を要請したり、戦力態勢の調整が行われたりするだろう。重要なのはその際に、そうしたアメリカの動きが、保守的国際主義の選択的関与の修正ないしオフショア・バランシングの発想に根差しているのか、それともトランプ流の一国主義的発想に牽引されているのか、あるいはその両者に由来しているのかをよく見極めることだ。つまり、アメリカによるリトレンチメントが進行したからといって、それをもってワシントンが突如として一国主義や孤立主義に変転したと早合点すべきではない。戦略的なソルベンシーの要請(目標とリソースを釣り合わせる要請)の下における対中バランシング、ないし部分的な対中オフショア・バランシングの論理が背後にあるかどうかを冷静に見極めなければならない。
リトレンチメントという外形的な行動が重なっている場合でも、その背後にある論理と、そのボトムラインがどこにあるのかを見誤ると、不要に猜疑心を強めたり、過剰反応やパニックに陥りかねない。アメリカの対外政策過程におけるアクターの多元性が引き起こすシグナリングの錯覚に陥らないためには、丁寧な観測が不可欠となろう。
- 森聡「リベラル国際主義への挑戦―アメリカの二つの国際秩序観の起源と融合」、『レヴァイアサン』第58号、2016年4月 <http://www.bokutakusha.com/leviathan/leviathan_58.html> (2020年10月2日参照)
- マラソン・イニシアティヴのウェブサイト
The Marathon Initiative, <https://www.themarathoninitiative.org/> accessed on October 2, 2020.