アメリカのリトレンチメント論争
— リベラル・ヘゲモニー戦略と「ブロブ」の功罪 —(前編)

森 聡
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トランプが大統領選でアピールしようとしている材料のなかに、外国に展開している米軍部隊を撤収させるというものがある。アメリカが海外に展開している米軍を撤退させるべき、とするリトレンチメント論には、戦争を終わらせて介入先から撤兵すべきという議論もあれば、同盟国に駐留している米軍部隊を引き揚げるべきとの議論もあり、これまでしばしば一緒くたにされて議論されてきたきらいがある。また、こうしたリトレンチメント論が出てくると、その原因が、国際秩序を支えるアメリカの意思の衰微にあるのではないかとみられて、アメリカが同盟国を防衛するとのコミットメントも減じるのではないか、といった懸念が強まる。
アメリカのグランド・ストラテジーは時代の節目に盛んに論じられるが、冷戦終結直後にも、リトレンチメント論——抑制(restraint)あるいはオフショア・バランシング(offshore balancing)と呼ばれることもある——が注目を集めたことがある。そして昨年頃からリトレンチメント論が再び脚光を浴びるようになり、今年に入ってからアメリカの外交論壇誌でも議論が活発になっている。新型コロナウイルス感染症が拡大する直前、『フォーリン・アフェアーズ(FA)』誌の2020年3・4月号が“Come Home America?” と題したアメリカのグランド・ストラテジー論の特集を組み1、アメリカによるリトレンチメントの是非を争点とした論集は、ワシントンDCでも注目を集めた。また、コーク兄弟やジョージ・ソロスが出資して設立されたクインシー研究所は、「外交的な関与と軍事的抑制に立脚した新たな対外政策の提唱」を掲げて発足し、政策アドヴォカシーの動きも活発化した。クインシー研究所副代表のスティーヴン・ワートハイムは前述のFA誌の特集に、「優越の価格—アメリカが世界を圧倒すべきではない理由」という論考2を寄稿し、在外米軍の撤退と中国、ロシア、イラン、北朝鮮との対話を提唱している。民主党左派の見方に親和的なワートハイムの議論を、ブルッキングス研究所のトーマス・ライトは、「プログレッシブなリトレンチメント論」と呼んでいる3。
その後しばらく新型コロナウイルスが世界を駆けめぐり、歴史が加速するといった議論がひとしきり起こったが、アメリカのグランド・ストラテジー論をめぐる論壇での議論は続いている。直近では、ハーバード大学ケネディ公共政策大学院教授で、オフショア・バランシング論の提唱者として知られるスティーヴン・ウォルトの著作The Hell of Good Intentions: America’s Foreign Policy Elite and the Decline of U.S. Primacy (Farrar, Straus and Giroux, 2018) について、ジョンズホプキンズ大学高等国際関係大学院(SAIS)教授でヘンリー・キッシンジャー世界問題研究所の所長のフランシス・ギャヴィンが、オンラインプラットフォームWar on the Rocks上で書評”Blame it on the Blob?: How to Evaluate American Grand Strategy,”4を出し、それにウォルトが反論記事”Is the Blob Really Blameless?: How not to evaluate American grand strategy”5を出して、少しばかり話題を呼んでいる。
アメリカのグランド・ストラテジー論は、しばしば大雑把な議論になるが、政権入りする政治任用者らは、研究者による議論も参考にして大きな絵を描くこともある。その意味で、アメリカのグランド・ストラテジー論は、アメリカの対外関与の基本的なアプローチを方向付ける一般的な思考類型をあぶり出すものなので、机上の空論だとにべもなく切り捨てるのも適切ではない。そこで本稿では、ウォルトとギャヴィンの小論争から見えてくるアメリカの対外観に少しばかり光を照らしてみたい。
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ウォルトの基本的な主張は、①アメリカのグランド・ストラテジーのあり方と、②アメリカのグランド・ストラテジーの政治過程、という二本の柱から成り立っている。
ウォルトによれば、まず冷戦終結以来アメリカが追求してきたグランド・ストラテジーは、「アメリカの選好と政治的価値に沿って世界を造り変えるためにアメリカのパワーを行使する野心的な取り組み」と定義されるリベラル・ヘゲモニー戦略である。それは現在の世界をみれば破綻したと言わざるを得ず、アメリカはオフショア・バランシング戦略、すなわち前方展開軍を引き揚げ、地域諸国間の勢力均衡を促進し、アメリカにとって決定的に不利な地域情勢が出現するまでは軍事介入を控える戦略をとるべきであった、というものである(「抑制」(restraint)のグランド・ストラテジーともしばしば呼ばれる)。
また、ウォルトは、ワシントンの外交・国防エスタブリッシュメント(Blobという、「ぼんやりとした小さな塊」という意味合いを持つ呼称が使われる)は、リベラル・ヘゲモニーがアメリカと世界によって真に良いことを信じて疑わず、それを追求することによって自尊心、権力そして地位を高められる一方、そのコンセンサスから逸脱すると罰せられるようなシステムの中で活動している、と論じている。ウォルトは、こうした自らの見方は、陰謀論ではなく、むしろC・ライト・ミルズの『パワー・エリート』の系譜に連なる利益団体政治、官僚政治、軍産複合体に関する政治学の研究や、脅威を誇張する外交エリートの慢性的な性向に関する歴史研究の系譜をくむものだと位置づけている。
ウォルトは、アメリカがいわゆるリアリズムの原則に沿って行動しないのはなぜか、という問題意識に立って、アメリカはリアリズムに拠って立つオフショア・バランシング戦略をとるべきだという規範論と、リベラル国際主義を希求する外交エリートの政治・文化・制度こそがオフショア・バランシング戦略を退けているという実証論を展開している(ミアシャイマーとの共著『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』もそうであった)。
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一方のギャヴィンは歴史家で、もともとドルを基軸通貨とする金融システムという視点からアメリカの覇権について研究し6、その後アメリカの核戦略の歴史7を研究してきており、冷戦期以来のアメリカのディープ・エンゲージメントを唱道している。ウォルトとギャヴィンの論争は、大雑把な議論なので、やや興ざめするところもあるが、大要以下のような諸点について論争している。
1.リベラル・ヘゲモニー戦略の評価
- アメリカが、依然として国際政治における最も重要なプレイヤーであるという事実は、リベラル・ヘゲモニー戦略がおおむね妥当だったということの証左である。
- 他国と比べてアメリカがその地位を低下させたとはいえない。日本や欧州のような主要国や、トルコ、南アフリカ、ブラジルといった中進国も地位を向上させているわけではない。台頭した中国は、国内に多くの難題を抱え、その国際環境は好ましいわけではない。アメリカだけがグランド・ストラテジーで失敗したとはいえない。
- アメリカは、中東で大きな失敗を犯したが、欧州とアジアという、地政学的にみて世界で最も重要な地域において、大国間戦争は勃発せず、各国が核兵器の取得に走ることもなく、アメリカは同盟を維持している。
- 問うべきなのは、アメリカが最も重要なプレイヤーかどうかではなく、自らのパワーを賢明な形で行使し、アメリカに安全と繁栄をもたらしたかどうかである。中露、イラン、北朝鮮と敵対するようになり、アメリカの戦略的地位が劣化しつつあるというのが共和・民主両党の主流の見方であり、リベラル・ヘゲモニー戦略が成功していたならば、このような事態は生じていないはず。
- 他国との比較は、グランド・ストラテジーの評価基準として有効ではない。あえて比較をするのであれば、中国はアメリカよりもはるかに力を増し、人々の生活を向上させ、アメリカのような泥沼の武力介入にはまるのを避けてきた。ロシアですら、高齢化する人口と弱い経済を抱えるなか、一部の地域で影響力を拡大させた。アメリカは有利な立場にあったにもかかわらず、打つ手が悪かった。クリントン政権、G・W・ブッシュ政権、オバマ政権は、民主主義、人権、開放された市場、自由主義的価値の普及、アメリカの卓越の保全を追求したが結局、民主主義は後退し、グローバル化は世界的な不況を引き起こし、欧米で反動を招いた。ペルシャ湾での二重の封じ込め(対イラク・対イラン)は、域内での米軍駐留を長引かせ、ウサマ・ビン・ラディンを9・11同時多発テロへと駆り立てた。北朝鮮は核兵器を保有し、イランは遠心分離機を大幅に増やした。
- もし欧州とアジアがそれほど重要なのであれば、なぜ中東に時間と労力と資金と軍事力を投入する必要があったのか。欧州ではNATOを東方に拡大したが、バルカン半島やグルジア、ウクライナで紛争が起こり、欧州が安全になったとは言い難い。アジアでは北朝鮮が核実験を成功させ、中国の台頭をアメリカは支援してしまい、対抗連合の形成を余儀なくされている。欧州やアジアで失策がなかったとは言い難い。
2.オフショア・バランシング戦略の妥当性
- オフショア・バランシング戦略が実行され、冷戦終結後の欧州からアメリカの軍事プレゼンスが消え去っていれば、ロシアは中央ヨーロッパの情勢を利用して、武力行使または威嚇によって領土を拡張しえたかもしれないし、統一ドイツは核兵器を追求したかもしれない。ポーランド、チェコ、ハンガリーはドイツとロシアという二大国の間で板挟みにあっていたかもしれない。東アジアでオフショア・バランシング戦略が実行されていれば、中国が台湾を武力で統一しようとしたかもしれないし、中国の台頭を怖れる日本が核兵器を追い求めたかもしれない。朝鮮半島でも戦争も高まっていたかもしれないし、韓国も核兵器を追求した可能性がある。東アジアの経済成長を支えた諸条件は、損なわれていた可能性がある。中東に関しては、他の戦略が採用されていれば、今よりもましな状況に帰結していたとは断言できない。
- アメリカは戦間期にオフショア・バランシング戦略を採用したが、その時には、欧州でもアジアでも混乱が起こった。やがて国際経済は崩壊し、経済再建のためのキャパシティも失われ、民主主義国家が弱体化し、権威主義政権が大胆な行動に出るようになった。
- 結局のところ、オフショア・バランシング戦略は、アメリカが優越的な地位にあるよりも、他の大国によってバランシングされている状況の方が良いと論じるものであるが、アメリカの政策担当者や一般市民にそのような戦略の採用を期待すること自体、無理がある。
- 1990年代にアメリカがオフショア・バランシング戦略を採用していれば、①ロシアとより良い関係を築き、②(中東への関与を後退させることにより)9・11同時多発テロ攻撃が発生した確率を低下させ、③大量破壊兵器拡散のリスクを抑え、④アメリカのアフガニスタンとイラクへの軍事介入を控え、⑤アメリカは一層強い立場から中国に向き合うことができた。
- オフショア・バランシング戦略は、1920年代や1930年代と同じアプローチをとるべきと論じるものではなく、国連から脱退すべきであるとか、国防予算を1920年代の水準にまで削減すべき、と主張するものでもない。ほとんどのオフショア・バランシング論者らは、欧州、アジア、ペルシャ湾地域で覇権国の出現を阻止する必要が生じれば、同盟国とともに対抗すべきである、と主張している。
- オフショア・バランシング戦略は、次のような取り組みを控えるべきだと論じている。第一に、民主主義や自由主義的価値を世界に普及させるために、時間とカネ、兵力、政治的正統性を費やすべきではない。第二に、裕福な国の防衛を肩代わりすべきではない。第三に、アメリカ国内への打撃や諸外国の勢力均衡への影響を度外視してグローバル化を推進すべきではない。オフショア・バランシング論者たちは、これらの不要な取り組みを控えることによって、台頭する中国や国内問題に向き合うためのリソースを確保できると考えている。
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リベラル・ヘゲモニー戦略を推進した「ブロブ」をめぐってギャヴィンは、オフショア・バランシング戦略は絶えず「ブロブ」によって排除されていると主張するウォルトを批判する。ギャヴィンによれば、ウォルトをはじめとするオフショア・バランシング戦略論者らは、MIT(バリー・ポーゼン)やシカゴ大学(ジョン・ミアシャイマー)、ノートルダム大学(ユージーン・ゴルツ)、テキサスA&M大学(クリストファー・レイン)をはじめとする全米有数の大学に在籍しており、その影響力は大きいと主張する。オフショア・バランシング戦略を支持するコーク兄弟がこれらの大学に資金援助を行い、ソロスと協力してクインシー研究所の設立に動いているほか、ブルッキングス研究所や『ポリティコ』、さらには『アトランティック』誌の支援にも乗り出しており、オフショア・バランシング戦略が論壇から排除されているとは言い難いとギャヴィンは言う。それにもかかわらず、オフショア・バランシング戦略の考え方がワシントンやアメリカの一般市民に受け入れられていないのは、オフショア・バランシング戦略が受け入れ難い問題を孕んでいるからであるとギャヴィンは主張している。
これに対してウォルトは、そもそも対外政策コミュニティにおけるオフショア・バランシング論者の影響力は大きくないと反駁している。ウォルトは、経済学者ポール・クルーグマンを引き合いに出して、社会的地位や専門分野での地位と政策への影響力は比例するわけではないと指摘するほか、そもそもアメリカのグローバルなリーダーシップの推進を唱道する団体や個人の方が、その規模と広がりは格段に大きいし、コーク兄弟が提供している資金よりもはるかに多額の資金援助を受けていると言う。むしろウォルトが問題にしているのは、自らの無謬性を信じる「ブロブ」の文化と、説明責任の低さである。ウォルトは、リベラル・ヘゲモニーという戦略的コンセンサスがワシントンに存在していることによって、失策が何度も繰り返されるような状況が生まれていたのではないかという疑念と、失敗した政策の責任者が何の責任も追及されずに野放しにされているという不満を持っている。そして、これらの問題に対してギャヴィンは反論していない、とウォルトは指摘している。そのうえでウォルトは、人間は誰しも過ちを犯すものであるので、一定の寛大さが必要であることを認めつつ、真に必要なのは、「ブロブ」という外交エスタブリッシュメントの全面的な解体などではなく、多様な視点に寛容で、より高い水準のアカウンタビリティを果たそうとする外交エリートであると説く。
- “Come Home, America?,” Foreign Affairs, March/April, 2020,
<https://www.foreignaffairs.com/issue-packages/come-home-america> accessed on October 2, 2020. - Stephen Wertheim, “The Price of Primacy: Why America Shouldn’t Dominate the World,” Foreign Affairs, March/April 2020,
<https://www.foreignaffairs.com/articles/afghanistan/2020-02-10/price-primacy> accessed on October 2, 2020. - Thomas Wright, “The Folly of Retrenchment: Why America Can’t Withdraw From the World,” Foreign Affairs, March/April 2020,
<https://www.foreignaffairs.com/articles/2020-02-10/folly-retrenchment> accessed on October 2, 2020. - Francis J. Gavin, “Blame it on the blob? How to evaluate American grand strategy,” War on the Rocks, August 21, 2020,
<https://warontherocks.com/2020/08/blame-it-on-the-blob-how-to-evaluate-american-grand-strategy/> accessed on October 2, 2020. - Stephen M. Walt, “Is the Blob Really Blameless?: How not to evaluate American grand strategy,” Foreign Policy, September 22, 2020,
<https://foreignpolicy.com/2020/09/22/walt-gavin-liberalism-foreign-policy-blob-really-blameless/> accessed on October 2, 2020. - Francis J. Gavin, Gold, Dollars, and Power: The Politics of International Monetary Relations, 1958-1971, 2007, The University of North Carolina Press,
<https://uncpress.org/book/9780807859001/gold-dollars-and-power/> accessed on October 2, 2020. - Francis J. Gavin, Nuclear Statecraft: History and Strategy in America's Atomic Age, 2012, Cornell University Press,
<https://www.cornellpress.cornell.edu/book/9780801456756/nuclear-statecraft/#bookTabs=1> accessed on October 2, 2020.