米中協議とファーウェイ、そしてトランプ
―大阪G20前に―

森 聡
合意間近と言われた米中協議は、5月初めに行き詰まりを露呈した。150ページあまりにわたる合意案の文書を、中国側が修正し、105ページにまで削って米側に送り返したとも伝えられている。事態打開の途が見えない中、中国の劉鶴副首相はワシントンを訪問したが、米国政府は5月10日に2,000億ドル(約22兆円)相当の中国製品の関税率25%に引き上げた。これに対して中国は、米国からの輸入品600億ドル(約6兆5000億円)分について、6月1日から関税を引き上げると発表した(その後予告通り発動)。
また、5月15日にトランプ大統領は、国際緊急経済権限法(IEEPA)に基づいて、「情報通信技術・サービスのサプライチェーンの安全確保に関する大統領令」を発布し、米国政府管轄下の個人・企業等が、外敵(foreign adversary)に関連する個人・企業等と、米国の情報通信ネットワークや重要インフラ、デジタル経済などにリスクをもたらす取引や、国家安全保障の観点から甘受しがたいリスクをもたらす取引に入ることを禁じ、これに関連する権限を商務長官に付与した。また、米商務省産業安全保障局(BIS)は5月16日に、華為技術(ファーウェイ)と26ヵ国に展開する関連68社をいわゆるエンティティ・リストに追加し、輸出許可を原則として却下する方針を発表した(同20日に、既存の通信ネットワークや携帯端末の保守やソフト更新にかかわる一部取引は3ヵ月の猶予期間を設けると発表)。これにより、ファーウェイは、米企業などから半導体等構成品を調達することができなくなる。すでにファーウェイは、新型のノートパソコンやスマートフォンの発売中止に追い込まれるなど、影響が出始めている。
これまでファーウェイについては、米国政府が各国政府に対して、5Gネットワークに同社製の機器を導入しないように働きかけていることが取り沙汰されてきたほか、2019年度国防授権法(NDAA2019)の第889条が、本年8月からファーウェイやZTEなど中国5社の監視カメラ・通信機器・サービスを米政府調達対象から締め出し、さらに来年8月からは同じ5社の製品を実質的・本質的に利用する企業との取引を禁じる措置を定めたことで、注目を集めてきた。トランプ政権は、中国を「現状変革国家(revisionist power)」と断定して敵対国と位置付けたことから、米国政府のネットワークに中国製の機器・部品が入り込むと、そこには「サプライチェーン・リスク」が発生するという理解が形成されてきたという経緯がある。
また、5Gのシステムに不可欠な半導体で米国は依然としてリードしているものの、5Gの無線基地局などで構成される無線アクセス・ネットワーク(RAN)のシェアや、5Gの標準必須特許(SEP)の出願シェアなどではファーウェイがリードしている。このことから、企業・産業競争という面からも、米国にとってファーウェイは大いなる挑戦相手となっている。そして5GやIoTは、次世代の安全保障と密接に絡み合うことから、ファーウェイの躍進と世界進出は、産業面のみならず安全保障面からも米国にとって深刻な問題となっている。
他方、トランプ氏は5月23日に、米中協議で合意に至ることができれば、何らかの形で取引に含めることもできるかもしれないと述べ、昨年のZTE制裁への対応を彷彿させる態度をにじませた。
以上をみるに、米国政府にとってファーウェイとは、抑えられるべき安全保障上のリスクであるとともに、打ち負かすべき産業競争上の挑戦相手でもあり、またトランプ氏にとっては、中国政府に譲歩を迫るための圧力行使のコマになっている。中国に「最大限の圧力」をかけている目下の局面では、この3つの要請が同時に追求されている。
しかし、もし仮にトランプ氏が将来いずれかの時点で中国との交渉を妥結させることになれば、ZTEの時と同様に、ファーウェイに対する措置を解除することもありうる。もしそうなれば、前二者の要請が満たされなくなる状況が生起すると考えられる。したがって、米中協議が今後どこかで決裂する可能性もある一方で、トランプ氏が目指す米中協議の「決着点」がどこになるかという問題は、ファーウェイに対する米国政府の対応に大きな影響をもたらす。
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米中協議の詳細は明らかにされていないが、米側の要求には、輸入拡大策や為替に加え、中国政府による産業政策の転換が含まれている。2018年3月に米通商代表部(USTR)は、1974年通商法第301条調査報告書を公表し、米国政府として問題視する中国の産業政策を指摘している。
USTRによれば、国家中長期科学技術発展計画(二〇〇六―二〇二〇)や、いわゆる中国製造二〇二五にみられる中国政府の産業政策は、まず外国製技術を入手し(Introduce)、それを官民で解析し(Digest)、政府の補助金や融資により中国企業を支援する形で技術を再製品化して(Absorb)、それをさらに改良する(Re-innovate)という「IDARアプローチ」を追求するものであり、こうした中国企業を不当に利するシステムが市場での競争を歪め、米国企業の利益を不当に侵害している。中国政府は、技術の強制移転、米国への投資を通じた技術の取得、ハッキングによる技術の窃取、技術者・研究者等の引き抜きなどの慣行・政策によって、まず外国製技術を取得・窃取する(Introduceという局面の取り組み)。そして産業補助金などの政府の支援によって中国企業にいわばゲタを履かせる(Absorbという局面の取り組み)。これらの取り組みと並行して、中国内で外国企業を差別的に取り扱う形で許認可制度を運用することにより、中国企業に国内市場での優位、そして国際市場での指導的地位を獲得させ、外国製技術に対する中国の依存度を全般的に低下させることを目指しているとUSTRはみる。USTRは、これらの取り組みが市場を歪める形で外国企業の事実上の締め出しへと帰結すると判断し、これらの慣行・政策から生じる損害に見合った追加関税を課している。
ライトハイザー氏は、米中協議の米側交渉団を率いる立場にあるが、基本的には、301条報告で挙げられている諸政策の是正を中国側に迫っているものとみて間違いないであろう。したがって、産業政策面での争点には、技術の強制的移転の廃止、サイバー手段による情報窃取、知的財産の保護、政府による産業補助金の廃止、中国当局による差別的な許認可、そして合意の執行メカニズムなどが含まれているとみられる。
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米中協議が5月に行き詰まったのは、中国側がそれまで積み上げてきた合意案を大幅に修正ないし一部撤回したからだと報じられている。また、まとまりかけていた合意案には、真偽は定かではないが、ライトハイザーやムニューシンら米側交渉責任者が「残りの10パーセント」と言及していた、中国にとって譲りえない最重要の「本丸」の部分(おそらく中国政府による産業補助金等の企業支援の廃止など)は含まれていなかったともいわれる。
この「本丸」以外の部分で中国が態度を変えた理由には、諸説あるようだ。トランプ氏が米国経済の先行きを不安視して早期の交渉妥結を望んでいるので、中国側は足元をみて譲歩した内容を撤回したという説もあれば、いったんまとまりかけた合意案を中国指導部が受け入れられないと判断して大幅な修正を要求したという、中国指導部内における合意が不形成だったという説など、様々な憶測が飛び交った。
中国の交渉責任者である劉鶴氏は、中国が合意を反故にした事実はないとしつつ、①追加関税は全面的に解除されなければならない、②米国の設定する中国の輸入目標額は、現実の需要を反映したものでなければならない、③米中両国の尊厳が保たれるように、合意の文面はバランスのとれたものでなければならない、と述べたと伝えられている。
追加関税の解除については、かねてから米中の不一致が伝えられてきた。中国が一括全面解除を求めているのに対し、米側は合意の履行に応じた段階的な解除と、違反が発覚した際の追加関税の再発動に中国が報復しないという確約を求めているといわれる。また、輸入の拡大については、劉鶴氏の発言をみる限り、アルゼンチンで米中両首脳が原則的に合意したとされる輸入の拡大について、米側が中国側の許容額を超える金額を求めた可能性も排除できないが、中国がいったん合意した輸入拡大策を翻した可能性もある。さらに、合意文書を公表するかしないかをめぐっても、非公表としたい中国と、公表したい米国との間で意見が一致していないともいわれてきた。
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中国側の意図や動向の分析は本稿の射程外であり、真相は知りえないが、少しだけ仮説を使って頭の体操をしてみたい。もし中国側が「本丸」に斬り込まれないところで合意をまとめようとすれば、「本丸」以外の部分を米側にできるだけ高く売ることが必要になる。「本丸」以外の部分に関する暫定的な合意を撤回し、いったん「本丸」から遠ざかり、緊張を高めて立場の硬さを示した上で、再び「本丸の手前」まで戻る過程を作り出すことによって、米国政府の目標を「本丸」から「本丸の手前」にまで下げさせる交渉戦術をとったとしても不思議ではない。(劉鶴氏は、合意をまとめる局面において変更が生じるのは自然だと述べている。)
事実、中国は、圧力をかけられても長期的に耐えて屈しないという姿勢をアピールし、報復関税以外の手段を発動する可能性を盛んに示唆している。5月20日に習近平氏は劉鶴副首相を伴って江西省贛州市にあるレアアースの企業を訪れて、米政府が追加関税の対象から外しているレアアースについて中国が報復措置を講じうることを暗に示唆し、同省于都県にある長征記念公園を訪れた際には、習氏は「我々はかつての長征の出発点にやってきた。今また新たな長い道のりが始まった」と述べ、さらに独自の輸出規制制度を検討中とも伝えられている。
米国が交渉の目標を「本丸の手前」にまで下げる、つまり中国共産党が受け入れられない要求を米側に断念させ、また中国の要求を米側が受け入れるまで、中国は米国と経済的な圧力行使の応酬を続けることとし、それに備えるための世論を形成し、国内の対米強硬派を満足させつつ、米側に対しては、中国の要求をのまないと交渉を進展させられないというシグナルを送ろうとしているようにみえる。
しかしその一方で、習氏は6月7日のサンクトペテルブルグの国際経済フォーラムで、トランプ氏を「我が友人」と呼び、自身もトランプ氏も米中経済の分離を望んでいないと述べて、交渉の継続に含みを残した。(なお中国は、米国がWTOで中国を提訴した事案の裁定を受けて、2020年3月末までに中国政府が農業補助金を見直すことに合意したとも伝えられている。)
米側も、米中首脳会談の実現を意識し、中国側を刺激するのを控える動きを見せている。ペンス副大統領が天安門事件30周年の機会を捉えて6月4日に演説を行い、その中で中国の監視カメラ会社であるハイクヴィジョン社の輸出規制リスト掲載を予告することになっていたが、トランプ氏がこの演説とハイクヴィジョンのリスト追加措置を延期させたといわれる(その後24日に予定されていたペンス演説もG20後に延期されたと伝えられている)。また、トランプ氏は6月11日には、習近平が米中首脳会談に応じなければ、直ちに第4弾の追加関税(3,250億ドル分につき25パーセントあるいはそれ以上)を発動すると述べたが、その翌日には、中国に対する追加関税について特定の期限は設けないと述べた。トランプ氏は、習氏との首脳会談実現に向けた環境整備に腐心しているようにすら見える。(その一方で米商務省は6月18日に、中国のスパコンメーカーなど5社をエンティティ・リストに追加すると発表した。)
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大阪での米中首脳会談に向けて事務レベルで調整が開始されたと伝えられているが、どのような結果になるのかは分からない。今のところ表向きには、現状のまま協議を継続し、これから合意をまとめていく意思を両首脳が確認し合うのが精いっぱいかもしれない。その場合、トランプ氏が再び交渉期限を設けるかどうかも定かではないが、これまでの経過に照らせば、何らかの期限を設ける可能性はある。その際には、中国が合意に応じなければ、追加関税第4弾に加えて、ファーウェイのみならず、他の中国企業も輸出規制の対象にするなどとして、交渉の梃子を得ようとする可能性もあろう。
トランプ氏は、米中協議を続行させたいようだが、当面の決着点をどこに見出しているかは分からない。「我々の間では取引が成立していたので、中国側がその取引に復帰しない限り、関心はない」と、トランプ氏は述べている。ここでトランプ氏が言及している「取引」は、「本丸」を含まない150ページ分の合意である可能性が高いが、もしトランプ氏がこれを「決着点」と位置付けているとすれば、当初の協議でライトハイザー氏とムニューシン氏らが言及していた「残りの10パーセント」は棚上げされたことになる。
習氏としては、中国側の要求が受け入れられなければ、150ページ分の合意に復帰するわけにはいかないという立場かもしれない。中国側の要求の全容は不明だが、米国がファーウェイへの締め付けを強めたので、その撤回・解除も含まれることになるとみられる。
トランプ大統領が、もしファーウェイを対中圧力のコマと考えているとすれば、米中合意をまとめる際に、中国から必要な譲歩を引き出すために、ファーウェイへの輸出規制の解除ないし実施凍結を取引材料として差し出すこともありうるかもしれない。ただし、その時には、ワシントンの対中強硬路線との軋轢が何らかの形で表面化することになろう。トランプ氏は、弱腰と批判されないように、「全体的な成果」を有権者にどうプレイアップするかということも当然計算するだろう。(それでもディールへの批判が強い場合には、態度を再び硬化させるかもしれない。)
NDAA2019第889条の政府調達からの中国製監視カメラ・通信機器等の締め出しについては、超党派で対中強硬路線が形成されている連邦議会の法律で定められているため、トランプ氏の一存で棚上げできるわけではないだろう。この点、行政予算管理局(OMB)局長代行が、中国の指定5社の機器・サービスを使用する米業者を、政府調達の取引相手から排除するとした規定の適用開始時期について、それらの業者がファーウェイとの関係を確実に清算できるようにすべく、当初法律で指定された2020年から先延ばしして欲しいと要請する書簡をペンス副大統領と9名の連邦議会議員に送付したと伝えられた。しかし、連邦議会では、マルコ・ルビオ共和党上院議員とマーク・ウォーナー民主党上院議員が、ファーウェイ問題と米中協議は切り離して対応すべきとかねてから主張していたこともあってか、ホワイトハウスはすぐに、当初定められた期限内に施行に必要な措置を講じるとして、延期要請を撤回した。
トランプ氏は、大阪に習氏が来ればそれで良いし、来なければ、追加関税で米国の収入が増すので、それでも構わないとしたうえで、中国企業は関税を支払い、中国政府は中国企業を補助金で支えることになるので、遅かれ早かれ中国は米国との合意に至るよりほかないと、交渉の妥結に楽観的であるといわれる。しかし、中国側も「長征」に出る構えのため、合意が可能だとしても、具体的な決着点に双方の立場が収斂するまで「力比べ」あるいは「我慢比べ」は続くかもしれない。
また、米中協議で取り扱われている争点は貿易・為替・産業政策に絞られているようであり、より広範な米中の軍事・安全保障や情報通信の分野における競争の力学とも複雑に絡み合う1。このため、米中協議で何らかの合意が達成されるとしても、それが持続可能かどうかは別問題であることも見落としてはならない。経済分野に限定されたディールをいつかトランプ氏が結んだ時に、「撃ち方やめ」という号令をかけて、ワシントンの対中競争路線を抑え込めるのかどうかは、当のワシントンでも議論されており、今後の注目点となろう。(2019年6月25日脱稿)
(了)
- 米中技術覇権競争の諸相については、『中央公論』2019年7月号の拙稿をご参照願いたい。