石井正子(立教大学教授)
2017.06.06
  • フィリピン南部

ドゥテルテ大統領、戒厳令布告の背景

 2017年5月23日午後11時30分(フィリピン時間)、ロシア滞在中のドゥテルテ大統領はミンダナオ島とスル諸島に戒厳令を布告した。大統領はプーチン大統領との会談予定を前倒しして滞在期間を短縮し、帰国した。6月に予定していた日本訪問も中止した。

 何が起こったのか。

マラウィ市での交戦―イスニロン・ハピロンを追って[1]

 5月23日からさかのぼること2,3週間前、フィリピン国軍は、テロ集団が南ラナオ州マラウィ市を占拠するという情報を入手した[2]。マラウィ市は、ラナオ湖の北側に位置する人口約20万人の地方都市である。フィリピン・ムスリムのマラナオ人にとっての中心都市でもある。

 マラウィ市占拠の情報には信ぴょう性があった。湖の南側にブティグ町がある。ISに忠誠を誓う「マウテ・グループ」創設者のマウテ兄弟の出身町だ。一般には「マウテ・グループ」と呼ばれるが、本人たちはDaulatul Islamiyah(=イスラム国)と名乗っている。

 町やその周囲は過去に数回「マウテ・グループ」に占拠され、国軍はその都度、奪還してきた。それゆえに、マラウィ市もマウテ・グループによって占拠される可能性があった。国軍は警戒を高め、市内で取り調べを行っていた。しかし、そこに現れたのがイスニロン・ハピロン(Isnilon Hapilon)であった。ハピロンはアブサヤフ(Abu Sayyaf Group)の一派を率い、「マウテ・グループ」を含め、フィリピンでISに忠誠を誓う諸グループのリーダーであるといわれる。国軍はこれまで何度もハピロンをターゲットにしてきたが、失敗を重ねてきた。

 23日午後、国軍はハピロンの確保を決定した。しかし、スナイパーの応戦にあい、交戦に発展し、国軍兵士5名が負傷し、警察官1名が死亡した[3]。これを受けて同日夜、ドゥテルテ大統領は戒厳令を布告した。同時に、人身保護令状の権利を停止し、令状なしで身柄 を拘束できるようにした。フィリピン憲法は、侵略や反乱が発生した場合、公共の安全を確保するために、60日間を超えない期間で戒厳令を発令する権限を大統領に認めている。

「ジハード主義」のグローバルな展開に見え隠れする大国の影

 なぜ、このようなことが起きたのか。

 「テロ」や「戒厳令」といったことばは衝撃的であり、事件を点として見がちだが、その背景を理解するために、グローバルなコンテキストから俯瞰してみよう。そのために、1970~1980年代のアフガニスタンにまでさかのぼってみよう。

 1979年、ソ連がアフガニスタンに侵攻した。対抗するために、世界中からムジャヒデーンがアフガニスタンに集まった。フィリピンのムスリムも馳せ参じた。例えば、現在のモロイスラム解放戦線(Moro Islamic Liberation Front: MILF)[4]のトップであるムラド・イブラヒム(Murad Ebrahim)議長、ガザリ・ジャアファ(Ghazali Jaafar)第一副議長、のちにアブサヤフを創設するアブドゥラジャク・ジャンジャラニの姿もあった。

 当時、1988年にアルカーイダを創設するオサマ・ビン・ラーディンが米CIAから資金提供を受けて共通の敵、ソ連と戦っていたことは周知の事実である。のちにMILFの幹部やアブサヤフの創設者となる彼らが、オサマ・ビン・ラーディンとどれほど接点があったかについては、様ざまな情報が伝えられている。が、それらがどの程度信用に値するのかは分からない。少なくともアブドゥラジャク・ジャンジャラニについては、アフガニスタンにおいて、その後アルカーイダを形成する団体や人物と接点があったことが定説となっている。その後、モロ民族解放戦線(Moro National Liberation Front: MNLF)[5]から分派してアブサヤフを設立するに当たっては、サウジアラビア系の民間団体からフィリピン人と結婚したオサマ・ビン・ラーティンの義理の兄弟を通じて資金が提供されたとの報道もあった。

 そして1990年代以降、アメリカを震撼するテロが発生する。例えば、1993年2月に発生したニューヨークの世界貿易センタービル地下駐車場爆破事件、1995年1月に未遂に終わったボジンカ計画をあげることができよう[6]。事件の首謀者はクウェート生まれのパキスタン人のラムジ・ユセフ(Ramzi Yousef)であった。つづく2001年9月11日、アメリカで同時多発テロ事件が発生する。事件の筋書きを描いた主犯格のハリド・シェイク・ムハンマド(Khalid Shaikh Mohammed)は、歳の差わずかなユセフの叔父であった。二人は、1990年代半ば、フィリピンで活動していた[7]

 当時のフィリピンの大統領は、グロリア・マカパガル・アロヨ大統領であった。2001年1月にピープルパワー2(エドサ2)と呼ばれる抗議運動によって辞任に追い込まれたエストラダ大統領に代わって大統領の座に就いていた。アロヨ大統領は9.11事件から早2か月後にホワイトハウスを訪問し、ブッシュ大統領と会見した。2001年は折しもフィリピンとアメリカが1951年に相互防衛協定(Mutual Defense Treaty)を締結してから50周年目にあたる年であった。両者は、9.11事件とアブサヤフのテロ活動に触れ、21世紀に向けて両者が強固に防衛協力関係を維持することを宣言した。

 翌2002年の米比軍事合同演習「バリカタン」は、サンボアンガ市とアブサヤフの拠点があるバシラン島で展開された。その後、毎年実施される「バリカタン」はフィリピン南部で展開されることが多くなった。アメリカは、フィリピンを「対テロ戦争の第二のフロント」と位置づけた。2002年11月には軍事後方支援合意(Military Logistics and Support Agreement)、2014年4月には防衛協力強化合意(Enhanced Defense Cooperation Agreement)が署名された。これにより、フィリピンにおけるアメリカ軍の活動範囲を広げてきた。

 ちなみに、バリカタンには、沖縄駐留の海兵隊などが参加した。輸送ヘリや給油機への給油のために沖縄県の民間空港も使用された。2012年のバリカタンには自衛隊が初参加した。

 このような米軍との連携のなかで、2010年、アメリカからフィリピンに誘導爆弾が提供されることとなった。翌2011年、米軍による誘導爆弾運用訓練が開始された。そして、2012年2月2日、バシラン島にいたジェマ・イスラミーヤのズルキフリ・ビン・ヒル(Zulkifli bin Hir、別名マルワン/Marwan, マレーシア国籍)とムハンマド・アリ(Mohammed Ali, シンガポール国籍)をターゲットとして、フィリピンで初めて誘導爆弾が使用されることとなった[8]。マルワン確保にいたる情報には、FBI(米連邦捜査局)から500万ドルの報奨金がかけられていた。フィリピン政府は二人が死亡したと発表した。しかし、二人は生存していた。そしてこの後、ミンダナオ島に移動した[9]

 一方、二人が逃れたということはすなわち、身代わりになって殺された民間人がいるということだ。このような付随的損害(collateral damage)により、多くの民間人が被害にあっているが、注目されない。こうした不当な扱いが南部のムスリム社会に大きな不満を形成してきたことも忘れてはならない。

 そして2011年、シリア内戦に乗じてアルカーイダ系の勢力が拡大していくころから、下記のようにフィリピンにもグローバルに展開する「ジハード主義」の影響が見られるようになった。シリアやイラクには、アフガニスタンに集まったムジャヒデーンの数を上回る「ムスリム」が世界中から集まっている。なかにはフィリピン人も含まれる。

  • 2011年11月、ラジャ・スレイマン運動[10]のリーダーがYou Tubeおいて黒い旗を背景に世界中のムスリムに対してフィリピンのジハードを支援するようにと呼びかける[11]
  • 2012年9月、アブサヤフの基地で黒い旗が押収される[12]
  • 2014年8月、バンサモロイスラム自由戦士(Bangsamoro Islamic Freedom Fighters: BIFF)[13]がISとのつながりを認める[14]
  • 2014年7月、ハピロンがアンサールと名のつく複数のグループを率いてISに忠誠を誓う動画がYou Tubeに配信される[15]

 そして2016年、とりわけ5月にドゥテルテ候補が大統領に当選したころから、フィリピンにおいて「ジハード主義」を象徴するような活動が活発になった[16]

  • 2016年1月、ハピロンが アンサール・アルカリーファ・フィリピン(Ansar al-Khalifa Philippines: AKP)[17]のリーダーなどとともにISのバグダーディーに忠誠を誓う動画が配信される[18]
  • 2016年2~3月、「マウテ・グループ」が南ラナオ州の3か所を占拠。
  • 2016年4月、「マウテ・グループ」がブティグ町で誘拐者6人のうち2人にオレンジの服を着せ、斬首。
  • 2016年6月、ISの動画にインドネシア人、フィリピン人、マレーシア人が、オレンジの服を着せられた3名を斬首する映像が配信される[19]
  • 2016年9月、ダバオ市のナイトマーケット爆破。のちに「マウテ・グループ」が逮捕される。
  • 2016年11月、在マニラ米大使館付近で即席起爆装置(IED)発見。「マウテ・グループ」のメンバーが逮捕される。
  • 2016年11月、「マウテ・グループ」がブティグ町を占拠し、ISの旗を掲げる。
  • 2017年1月、AKPのリーダーが国軍との衝突によりサランガニ州で殺される[20]

 以上のように「ジハード主義」のグローバルな展開を理解するためには、その背景にアフガニスタン、イラク、シリアに対する大国の介入があったことも、あわせて踏まえておく必要がある。テロ行為は残虐であり免責されるべきではないが、介入もまた多くの犠牲者を出してきており、後者が正義の名のもとに免責されていることは、改めて問い直す必要がある。

 ミンダナオ島に移ったマルワンは、2015年1月25日に発生した「ママサパノ事件」によって殺された。ママサパノ町に潜伏していたマルワンら2名を確保する作戦が、MILFに事前通告されていなかったため、同町周囲に拠点をおくBIFFとMILFが国家警察特殊部隊を攻撃し、交戦に発展した。国家警察特殊部隊44名、MILF17名、一般市民7名が犠牲となった。「ママサパノ事件」はフィリピン政府とMILFとの和平交渉への逆風となり、アキノIII政権とMILFは和平を成立させることができなくなった。

功を奏しない対テロ掃討作戦―親族ネットワークによって提供される保護

 フィリピン政府はアメリカの軍事支援を受けながら、対テロ掃討作戦を行ってきた。しかしそれらは、功を奏してきたように思われない。

 その一つの要因として首謀者が親族ネットワークを通じてコミュニティの一員となっていることをあげることができよう。例えば、マルワンには3人のフィリピン人の妻がいて、妻の親族関係を通じて、アブサヤフ、MNLF、MILF、ラジャ・スレイマン運動とつながっていると報じられている[21]。MNLFとアブサヤフのコミュニティのメンバーは親族関係でつながっているし、MILFとBIFFのコミュニティのメンバーしかりである。

 掃討作戦を行う場合には、地方政府の役割が鍵となるが、地方政府の構成員もまた周囲に展開する武装集団と同じコミュニティに生活している。必ずしも武装集団を支持していなくとも、物理的な脅威が存在する環境にある。国軍や警察など外部からの介入は一時的だ。介入後、国軍や警察が周囲の武装集団から保護してくれるという保障はない。このような状況では、地方政府は全面的に当局に協力することができない、というジレンマにおかれる場合もある。

「テロ」という脅威をめぐるポリティクス

 フィリピンにおける「ジハード主義」の影響は、2011年以降に確認されるようになった。しかし、アキノIII政権期では、国軍も警察もフィリピンにおけるISの存在を否定してきた。ドゥテルテ大統領も就任当初は、アブサヤフは通常の犯罪集団ではなく、ミンダナオの絶望的な状況が彼らを追いやっていると理解を示し、対話の可能性があることを示唆した[22]。しかし、ダバオ市ナイトマーケット爆破事件の後は、アブサヤフ掃討のために国軍兵士8,000人をスル島に増派し、戒厳令布告後には、マウテ・グループはISの一部であると認めた[23]。これに伴い、アブサヤフは公式に犯罪集団から「ジハード主義」の一翼を担う「テロ集団」に「格上げ」されることとなった[24]。大統領はテロリストの資金源はISよりも麻薬であると、その手法が批判される「麻薬撲滅戦争」の正当性を強調するともうかがえる発言もしている[25]

 しかし、ドゥテルテの鉄拳をしても、「テロリスト」を掃討することは難しいであろう。先に示した通り、彼らは親族関係を通じてコミュニティに入り込んでいる。追跡は困難を極めるうえに、民間人を巻き込むため、空爆は犠牲を伴う。加えて、国民国家の形成過程を不正義の歴史として経験してきたフィリピン南部においては、それに対抗する勢力への支持が集まりやすい。既存の国家の枠組みを肯定する立場のMILFやMNLFと、否定する立場の「ジハード主義」のあいだには、目的やそれを達成する手段に大きな違いがあることに十分留意する必要がある。一方で、それらに新人民軍(New People’s Army: NPA)[26]も加え、彼らは皆、フィリピン政府と対峙して闘っている。45年以上にもわたる紛争により、フィリピン南部のムスリム居住地域は全国でもっとも貧しい。民族解放の名のもとに戦ってきたMNLFとMILFの幹部は年老い、南部の状況が解決しないことに不満を抱く若者が台頭している。戒厳令布告のニュースに際し、フィリピンのムスリムの知人の一人は、戒厳令がないときでさえ、フィリピンのムスリムに対する人権侵害が横行しているのだから、特段状況に変化はない、というメッセージをFacebookに投稿した。

 初のミンダナオ島選出のドゥテルテ大統領は、選挙戦において「モロに対する歴史的不正義を正す(to correct the historical injustice committed against the Moro people)」と公言した。祖母がマラナオ人であるというドゥテルテ大統領には、実際、多くのフィリピンのクリスチャン政治家がもつムスリムに対する偏見を感じない。フィリピン南部のムスリムの闘争は、まさに歴史的不正義を正すことを目的としてきた。

 戒厳令下の作戦においては、MNLFのミスアリ派が支援を表明し[27]、MILFは避難民のルートを確保する安全ゾーンを政府と協力して確保することを約束した[28]。今回の事件を奇貨として、対立関係に発展したMILFとMNLFミスアリ派を結び付け、和平プロセスを立て直すことはできるのだろうか。仮に戒厳令布告によりイスニロン・ハピロンを確保することができたとして、残る「ジハード主義」の影響を受けたグループを取り締まることはできるのだろうか。政治手腕が試されている。

(2017年6月4日掲載)


[1] 本記事は、ウェブサイトで公開されている情報をもとに執筆されている。いわゆる「テロリスト」や「反乱軍」に関する情報は、直接的な取材による入手が困難なため、メディアによって内容が異なることが多い。それゆえに、本記事を執筆するにあたっては、主に次の3つのメディアの情報に依拠したことをあらかじめ断っておく。

  1. RapplerのCEOであるMaria A Ressa氏による記事。Ressa氏は長年にわたってフィリピンにおけるテロの取材を行っている。
  2. Mindanewsの記事。ダバオに本社をもつ本メディアは、ミンダナオ島で起こっている事件の直接取材による記事を発行することが多い。
  3. International Crisis Groupのレポート。

[2] ”How a military raid triggered Marawi attacks,” Rappler. 2017年5月29日.
http://www.rappler.com/newsbreak/in-depth/171245

[3] “TIMELINE: Marawi clashes prompt martial law in all of Mindanao,” Rappler. 2017年5月24日.
http://www.rappler.com/nation/170744

[4] フィリピンのムスリムのなかでは最大の武装集団。1977年(正式には1984年)にハシム・サラマト(Hashim Salamat)を議長として、MNLFから分派した。基本的に武力ではなく政治を手段とする闘争に戦略を切り替え、1997年からフィリピン政府と南部に自治政府を設立するための対話と和平交渉を重ねてきている。

[5] 1970年前後にヌル・ミスアリ(Nur Misuari)を議長にして結成された。設立当初は独立を求めて戦っていたが、1976年以降は自治権を確立する方向でフィリピン政府と和平交渉を行ってきた。MNLFからはMILFを含め、いくつもの集団が分派してきている。現在MNLFは大きく初代議長のミスアリ派と、ムスリミン・セマ(Muslimin Sema)派に分かれている。

[6] アジア発、アメリカ行の米国旅客機11機を同時に爆破する計画。前年、マニラ発セブ経由成田行きのフィリピン航空484便機内において、座席下に設置された爆発物が爆発し、日本人1人が死亡した事件は、ボジンカ計画のテストであることが発覚した。

[7] “Terror threat against Pope Francis in the PH,” Rappler. 2015年1月17日.
http://www.rappler.com/rappler-blogs/maria-ressa/81143

[8] “US smart bombs used in Sulu attack,” Rappler. 2012年3月26日.
http://www.rappler.com/nation/2910

[9]  ”How 2 JI terrorists survived bomb attack,” Rappler. 2012年3月21日.
http://www.rappler.com/nation/2765

[10]  ラジャ・スレイマン運動は主にムスリムに改宗したキリスト教徒で構成される。ラジャ・スレイマン運動は、アブサヤフと共謀して2004年にスーパーフェリーを爆破し、2005年にバレンタインデー同時爆破事件を起こした団体である。表記に関しては、Rajah Suleiman MovementやRajah Solaiman Movementなどさまざまに報じられている。

[11]  ”EXCLUSIVE: YouTube, Facebook link Filipino terrorists to al-Qaeda,” Rappler. 2012年9月11日.
http://www.rappler.com/nation/12217

[12]  ”Al-Qaeda’s black flag seized in ASG camp,” Rappler. 2012年9月26日.
http://www.rappler.com/nation/13051

[13]  2010年にMILFのコマンダーがMILFから分派して形成したグループ。

[14]  ”BIFF Joins ISIS,” Mindanews. 2014年8月28日.
http://www.mindanews.com/photo-of-the-day/2014/08/biff-joins-isis

[15] ”Senior Abu Sayyaf leader swears oath to ISIS,” Rappler. 2014年8月4日.
http://www.rappler.com/nation/65199

[16] ”The Philippines: Renewing Prospects for Peace in Mindanao,” International Crisis Group. 2016年7月6日.
https://d2071andvip0wj.cloudfront.net/281-the-philippines-renewing-prospects-for-peace-in-mindanao.pdf

[17] AKPは2015年ごろよりISに忠誠を誓い、2015年にマニラで開催されたAPECサミットを攻撃すると脅した。

[18]  ”ISIS to declare a province in Mindanao?” Rappler. 2016年1月10日.
http://www.rappler.com/nation/118553

[19] ”Filipino millennial joins ISIS in Syria,” Rappler. 2017年1月27日.
http://www.rappler.com/newsbreak/in-depth/159609

[20] Ibid.

[21] ”EXCLUSIVE: Marwan’s ties that bind: Aljebir Adzhar aka Embel,” Rappler. 2015年2月2日.http://www.rappler.com/newsbreak/in-depth/82669; “EXCLUSIVE: Marwan’s ties that bind: From family to global terrorism,” Rappler. 2015年2月8日.http://www.rappler.com/newsbreak/in-depth/83258; “EXCLUSIVE: Marwan’s ties that bind: Ren-Ren Dongon,” Rappler. 2015年2月4日.http://www.rappler.com/newsbreak/in-depth/82889

[22] ”Duterte: Abu Sayyaf members are not criminals,” Rappler. 2016年7月9日.
http://www.rappler.com/nation/139125

[23] ”AFP chief says Maute Group acknowledged by Islamic State,” Philippine Daily Inquirer. 2017年5月26日.
http://newsinfo.inquirer.net/900020

[24] 一方、戒厳令布告後もフィリピンにはISはいない、と国軍報道官が改めて述べるなど見方が一致しない面もある。”After Marawi attack, Army insists PH still safe from ISIS,” ABS-CBN News. 2017年5月24日.
http://news.abs-cbn.com/video/news/05/24/17/after-marawi-attack-army-insists-ph-still-safe-from-isis

[25] ”Duterte claims drug money funding terrorism in Mindanao,” Philippine Star. 2017年5月31日.
http://www.philstar.com/headlines/2017/05/31/1705434/duterte-claims-drug-money-funding-terrorism-mindanao

[26] フィリピン共産党の軍事部門。

[27] ”5,000 MNLF fighters to help AFP,” Philippine Star. 2017年5月30日.
http://m.philstar.com/314191/show/bd9ae43333cafc8ebb377adbb3e72be0

[28] ”GPH-MILF Set Up Joint Peace Corridor,” Luwaran. 2017年6月3日.
https://www.luwaran.com/news/article/875

MASAKO ISHII石井 正子

立教大学

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