アブドゥラ・カムリアン
2016.01.13
  • フィリピン南部

フィリピン南部の和平プロセス―課題と展望

私の発表は、元モロ反乱兵士として若いフィリピン人ムスリム(Muslim Filipinos)の組織化を手助けした私の個人的な経験をお話しすることにもなります。1960年代後半に、政府に対するフィリピン人ムスリムの不安が劇的に大きくなり、モロの正義と平等を当局に要求する集団的な行動が起こりました。当時、フィリピン人ムスリムは、自分たちの国において政府が彼らを二級市民扱いしていると感じていました。

これが、個人的な偏見ではないことは、私自身の政府の役人としての経験からもいえることです。紛争が最も激化していたなか、フィリピン人ムスリムの不満を懐柔するためのプログラムが政府によって実施されました。

モロは、幾度も軍事的な残虐行為に処されることを余儀なくされました。彼らの先祖伝来の土地は、政府の入植政策の名のもと、疑わしい方法によって奪われました。そのために引き起こされた反乱は、国民の一体性と国家統一を引き裂きましたが、それも鎮められました。

入植戦略と反乱鎮圧

政府はかつて、貧しく不満を抱えて反乱を起こしていたルソン島の人々を、モロ、すなわちフィリピン人ムスリムが住んでいたミンダナオの広大な土地に入植させる戦略を立てました。ラモン・マグサイサイ大統領の時代、ルソン島中部やビサヤ地方の農園の農業労働者が政府の支援を得てミンダナオに送り出されました。

入植当初は、入植民と原住民は調和をたもって生活していました。しかし、入植民は耕作地の土地の所有権を申請し始めました。数年後、彼らはそれぞれの土地の所有者になったのです。

一方、原住民のモロは、土地所有の重要性を知らなかったものですから、土地の所有権を得ることもありませんでした。ただし、彼らの耕作地が歴史の記録に残る以前から彼らの土地であったという主張はありました。彼にとって、彼らの先祖伝来の領域であるという事実こそが土地の所有を意味したのです。

それだけではありません。ローンや抵当など、モロがこれまで知らなった方法によって原住民モロの土地は入植民のものになっていきました。そして、貸し手に対する借り手の落ち度により、担保にいれた財産が失われたのです。

多くの人が経験する典型的な話

以前、銀行に勤めていた友人がいっていたことを思い出しました。彼はいかに銀行の簡単な手続きが大きな過ちになるかを話してくれました。友人によると、銀行が貸出業務をしているというので、原住民モロが土地を担保に融資を受けました。返済期限が来たため、銀行は期日までに返済をしてください、さもないと抵当に入れた財産を差し押さえますよ、といいました。

つまり、銀行側と借り手のあいだの問題が解決にいたらないまま、財産は差し押さえられてしまったのです。法律で定められた1年間の償還期間の後、銀行は差し押さえた財産の所有権を確立しました。

借り手側は強く異議を唱えました。銀行は土地の地権を得てそれを保有することはできても、土地そのものまでは手に入れることはできない、と彼は主張しました。土地を譲り渡す気はないし、奪おうものなら守り抜く、といいました。その土地は彼の祖先が歴史の記録が残る遥か昔から管理所有していたもので、誰もそれを奪うことも、管理、所有することもできないのだと主張しました。

このようなことが起こるからこそ、金融機関は銀行業務開設先としても、投資先としても、ムスリム・ミンダナオ、とりわけ紛争影響地域を重視しないのでしょう。金融機関や投資家のあいだでは、原住民モロが居住する地域は投資の墓場だと考えられています。

差別されているという感情

今日、原住民モロに対する差別感情は明らかです。一人の若いモロの青年の話をしましょう。彼はメトロマニラのある大学で学位をとったあと、政府の役場での仕事を探し始めました。履歴書を提出し、所定の採用試験を受けました。彼は、大変いい成績で合格したと告げられました。

ところが、履歴書や書類を審査する過程で、採用する側がアラブ人のような応募者の名前に気が付きました。応募者がモロであると気がついたのです。採用側はしまった、と思い、人事部に応募者を不採用にする理由と、その旨を伝えるよう言い渡しました。理由は明らかです。管理部の決断はムスリム・ミンダナオの原住民モロに対する偏見とステレオタイプにもとづいていたのです。

フィリピン人ムスリムは差別と暴力の苦しみにあえいできました。それを象徴するのが悪名高きジャビダ虐殺で、西ミンダナオ出身の若いムスリムが1967年に軍事訓練に駆り出された後、歴史的なコレヒドール島で訓練者によって虐殺されました。

武装集団の台頭

ジャビダ事件が、いわゆる「ミンダナオ紛争」と呼ばれるものの引き金になったことは、周知の通りです。その後、原住民モロ、つまりフィリピン人ムスリムの権利を守るためにムスリムの団体が組織されました。そのなかには、故アフマド・ドモカオ・アロント上院議員が創設したアンサール・エル=イスラム、故スルタン・アリ・ディマポロ知事が組織したイスラム最高評議会(Supreme Council for Islamic Affairs: SCIAP)、故サリパダ・ペンダトゥン上院議員が率いたフィリピン・ムスリム協会、故アブドゥル・ジャッバール・マミンタル・タマノ上院議員が創設したフィリピン・ムスリム弁護士同盟や、他にもたくさんの組織が含まれます。

しかし、なんといっても政府の権力と軍事力を突き動かしたのは、故ウドトグ・マタラム コタバト知事が組織したミンダナオ独立運動(MIM)でした。ミンダナオ独立運動(MIM)は、分離主義を打ち出したため、フィリピンから分離したいと願うモロのグループを掻き立てました。モロのあいだには、自分たちの祖先が外国の侵略から守った愛する国の国民であるという感情が芽生えず、疎外感が大きくなっていたのです。

やがて、ムスリムの専門家や学生リーダーたちがモロ民族解放戦線(MNLF)を組織しました。しかし、戦略や方法の違いから、一部のMNLFの指導者と部下がMNLFから分派しモロイスラム解放戦線(MILF)を結成しました。新しいグループの指導者は故ウスタジ・ハシム・サラマトでした。それ以来、今日まで、MILFはフィリピンにおける最大のムスリム解放戦線の一つです。

現在の和平プロセス―20年間の交渉の成果

これらの背景を踏まえたうえで、フィリピン政府とMILFが推進してきた和平プロセスはおよそ20年にわたる交渉の成果であるということを強調したいと思います。多くの苦難の末に開始され、成し遂げられたことなのです。過去には、両者の和平交渉団のあいだの議論が緊迫し、交渉が行き詰ることもありました。

上院と下院の本会議でペンディングになっているバンサモロ基本法案(BBL)の言語や用語は、関係者の強い想いと願いを注意深く反映し、入念に練られたものなのです。

しかし、上院と下院における審議は思わぬ障害に見舞われています。マレーシア人の国際テロリストのズルキフリ・ビン・ヒル(Julkifli Bin Hir)、またの名マルワンを逮捕する警察の捜査により、44人の国家警察特殊部隊が惨殺されたママサパノ事件が起こりました。事件は、高まりを見せていたBBLに対する支持に否定的な影響を与えました。一部のセクターは、それをアキノ政権を攻撃するための機会にするなど、政治的に利用しました。

不幸な事件に対する大統領府の対処の仕方により、世論調査やソーシャルメディアでは大統領の支持率が激減しました。すぐに犠牲者の家族や機会主義者の感情が静まると、支持率は次第に回復していきました。今では事件前よりも大きな支持率を得ています。

和平プロセスに伴う課題

話が横道にそれないために、和平プロセスの課題について触れさせてください。どのセクターに絡む問題解決においてもそうですが、異議申し立てを打ち立て、交渉の過程を台無しにする特定の団体がいます。そのような団体は邪魔する方法をみつけ、和平プロセスの提唱者や主な関係者の不和をあおります。

和平プロセスを提唱者し、積極的に推進する人たちは、平和的努力は特定の団体やセクターのみを利するものではないことを、すべての関連する人々に強調して伝える必要があります。平和的努力が包括的であること、だからこそ、追い求め、実施するのだ、ということをわかってもらう必要があります。一部のセクターが平和の恩恵から排除されるという前提のもとでは推進することができないのです。

BBLが承認され、批准されることは、国のためであり、また関連するすべての人のためであると理解してもらうことが大切です。BBLの承認とその実施は、バンサモロやそれを支持する原住民ルマドを含む他のセクターの人々の独立につながるわけではありません。

とりわけ、和平プロセスにおいては、以下が具体的な課題事項です。

1) BBLの承認への反応にみられるように、和平プロセスに反対する人々の誤解を解くことの困難性

2)本来ならば即BBL承認によって和平プロセスを支持するべき一部の政府の役人の、不誠実とはいわないまでも、役職に縛られた躊躇

3) BBLに盛り込まれたことが、フィリピン人の調和と相互理解を高めるものであること、それゆえにBBLが平和を実現するために有効であることを、一般の人々に理解してもらうこと

4)和平プロセスにおいてBBLの承認と批准を実現することが、政府がフィリピン人ムスリムの行政サービスや発展に寄与してこなかった過去の過ちを埋め合わせる機会になること、そして政府がバンサモロに対して犯してきた不正義を正す機会になること

5)BBLの実現を目指す和平プロセスが包括的であり、法律制定過程において異議を唱えたものでさえ、その承認と批准、実施から恩恵や利益を得ること

6)BBLによる和平プロセスが、フィリピンと世界、とりわけイスラム協力機構の加盟国や他のムスリムの国際組織との結びつきを強めること

和平プロセスの展望

フィリピン政府がバンサモロとともに推進する和平プロセスは、ムスリム・ミンダナオの治安改善に大きく貢献してきました。バンサモロ枠組合意(FAB)およびバンサモロ包括的合意(CAB)が署名される以前は、ミンダナオのなかでも紛争の影響が及んだコミュニティは、暴力やその他の残虐行為によって苦しめられてきました。

別の言い方をすれば、政府とMILFの停戦合意が守られているということなのです。もちろん、時々、国軍とMILFとの戦闘が例外的に起こることもあります。しかし、合意された停戦メカニズムにより、暴力的衝突は鎮められ、平常に戻されます。

先祖伝来の領域に対する合意書(MOA-AD)の違憲性とその影響

それゆえに、最高裁判所が先祖伝来の領域に対する合意書に違憲判決を下したことにより、北ラナオ州、マギンダナオ州、北コタバト州で激しい戦闘が展開された不幸な出来事を除いては、ミンダナオでの暴力発生は最小限に留められてきました。いわゆる紛争影響地域と呼ばれる地域でしばしば暴力的対立が起きていたことは、過去の出来事となったのです。

今日では、国軍とバンサモロの勢力との間で暴力事件が勃発することは少なくなりました。戦争と暴力が文明社会で起きないとは、本当のことなのです。とどのつまり、戦争には勝者などいないのです。

FABとCABの署名後、BBLの承認と批准に対する熱い支持が集まりました。しかし、ママサパノ事件がバンサモロに対するかつてのバイアスと偏見を呼び起こしました。

根拠がないにもかかわらず、バンサモロに対する激しい非難が起こりました。それまで支持を表明していた政治家でさえ、事件に対する様々な捜索が結論を出す前に、突然支持をとりやめました。

このような状況にもかかわらず、我々は、BBLに描かれた和平プロセスが人々、とりわけバンサモロやムスリム・ミンダナオの人々に承認され、受け入れられることを信じています。

最後に、私を招待してくださり、ムスリム・ミンダナオの和平プロセスの課題と展望についてお話をさせてくださる機会をくださり、ありがとうございました。

アブドゥラ・カムリアン(MILF和平交渉団メンバー/バンサモロ移行委員会委員/フィリピンイスラム福祉社会会長)

アブドゥラ・カムリアン氏/Mr. Abdulla Camlian 
MILF和平交渉団メンバー/バンサモロ移行委員会委員/フィリピンイスラム福祉社会長
1965年カイロ軍事アカデミー卒業。1970年代からモロの解放運動を指導する。一方で、南部フィリピン開発庁役員、ムスリム関係所(現ムスリム・フィリピン国家委員会)副所長などの政府の要職も歴任。政府とモロの人びとをつなぎ、モロのコミュニティの平和と開発を促進する活動に携わってきた。2010年からMILF和平交渉団のメンバーを務める。

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