- フィリピン南部
バンサモロ和平合意―交渉の先に待ち受ける困難な実施
我々が政府との和平交渉の過程から学んだもっとも手痛い教訓は、合意を交渉することも難しいが、その実現はより困難だ、ということです。合意は紙に書かれたもので、それ自体では実現しません。実現するためには関係者がそのコミットメントと責任を果たすための確固たる行動と計画、そして政府の法的過程が伴わなければなりません。そのうえ、実に様々な意見、方法、そして動機をもつ関係者が絡んでいるのです。
バンサモロ枠組合意(FAB)とバンサモロ包括的合意(CAB)の二つの締結された合意は、モロの真の自立を実現するための政治的な文書ですが、法律の制定という国内政治の法的過程、すなわちバンサモロ基本法案(BBL)の議会通過なしには実現しません。この法的過程は政府が一義的に責任を負うものであり、MILFには直接的かつ公的な参加の余地がありません。このことは、のちに詳しく述べます。
まず、交渉について話しましょう。交渉は、その言葉の通り、簡単なものではありません。関係者の妥協を引きだすことは、たいていは、うまくいくものでありません。これでうまくいく、と自分が思っても、相手もそうだ、とは思ってくれません。交渉の内容が役所の規則の変更や雇用者の給与基準の調整に関わることなどの簡単なものではなく、政府とMILFの和平交渉における「バンサモロ問題」のようなバンサモロ(モロ民族)の歴史的不正義にかかわる問題であれば、なおさら難しいのです。この問題は、政治、軍事、宗教、社会、文化、経済すべての分野が複合的かつ複雑にからむ世紀の紛争なのです。
2014年3月27日にバンサモロ包括的合意(CAB)署名にいたるフィリピン政府とMILFの17年もの長く苦しい交渉の年月のあいだ、政府側は11人、MILF側は4人の交渉団長、そして5人のフィリピンの大統領が関わり、3つの大規模な交戦が起こりました。
たとえばその長く苦しい交渉を象徴する出来事として、「先祖伝来の領域に関する合意書(MOA-AD)」の不成立がありました。それは、2004年12月の交渉で初めて審議され、2008年7月27日に合意の形に達しました。政府とMILFはその最終文書を作成するまでに、3年8か月を費やしました。しかし、フィリピンの最高裁判所が違憲判決を出したため、その努力は報われませんでした。その結果、戦闘が起こり、100万の人々が避難を余儀なくされました。
我々の政府との交渉は、行き詰まり、撤回、取り消し、遅延、退席、対抗的口論、欠席、接近、裏交渉などなど、難しく厳しい過程を経てきました。交渉団のメンバー選びやファシリテーターの特性についても、関係者の自由裁量にはなりませんでした。さらに悪いこと、我々が交渉のテーブルについているときに、我々双方の軍隊がミンダナオ島の前線で交戦をし始めることもありました。1997年から、マカパガル・アロヨ政権期の2010年までのあいだ、停戦合意は遵守されるよりも破られるほうが多く、当然のことながら、そうした違反は、主にはフィリピン国軍とその連携組織、警察、準軍事組織によって引き起こされるのでした。
次に、ミンダナオ和平プロセスのより困難な局面、すなわち合意の実施についてお話しましょう。1997年にわれわれが和平交渉を開始してから、政府とMILFは100以上の合意文書や書類に署名をしてきました。そして、その結果に到達したのが、2012年のバンサモロ枠組合意(FAB)と2014年のバンサモロ包括的合意(CAB)でした。FABとCABは政治的文書であり、バンサモロの自治設立に関する限り、まさにFABとCABに述べられているように法的拘束力があるため、BBLは議会を通過するべきなのです。この法的なプロセスを遵守するのは政府の責任です。MILFは直接関与することはできません。
現在にいたるまで、BBLは、議員、なかでも反モロの議員の際限ない、また的外れの質疑のために議会において放置されています。うち数名は明らかにBBL成立のための議事進行を妨害しています。
政治的合意の実施、とりわけ法的過程における困難をさらにご説明しましょう。以下が法的過程のロードマップです。
1.2012年12月、アキノIII大統領が発令した行政命令により15名からなるバンサモロ移行委員会(BTC)が設置されました。その任務は、バンサモロの政体が準拠することになるBBLの策定です。
2.BBLは大統領府に提出されましたが、2か月後に法案原案の60パーセントが改定され、バンサモロ移行委員会に戻されました。しかし委員会では、大きく改定された箇所に関して合意を達成できず、問題の解決がMILFと政府の和平交渉団に諮られました。しかし、委員会と同じく、差異を埋め合わせることができませんでした。つづいて、官房長官と、バンサモロ移行委員長、MILF和平交渉団が議論を行いました。ダバオ市で2回、マニラで2回の計4回の会議の末、7か所を除くすべてにおいて問題を解決しました。それらはアキノ大統領とMILFのムラド議長との会談レベルに引き上げられ、彼らは2014年9月に問題を解決しました。
3.2014年9月10日に、マラカニャン宮殿においてアキノ大統領はBTCの委員長と政府高官とともに、BBLを上院と下院に提出しました。これは、BBL制定に向けた法的プロセスが開始されたことを意味しましたが、今日にいたるまで同法案は議会で審議されており、すぐに可決する希望はほとんどありません。11月から12月にかけては、第4回目の国会会期にあたり、2016年6月30日にアキノ大統領が去る前の最後の議会における審議となるでしょう。
4.仮にBBLが議会を通過し、大統領の署名によって法律として制定されたとしても、関連住民による住民投票により、承認される必要があります。承認されれば法律となりますが、承認されなければ法律は葬られます。
5.バンサモロ基本法が承認されれば、BTCは解散され、立法と行政の権限が付与されたバンサモロ移行局(BTA)が設立され、移行期間中の政府の役割を担います。同様に、ムスリム・ミンダナオ自治地域が廃止されます。
6.BTAは、バンサモロ政府の通常選挙が実施されれば、解散されます。
先述した通り、BBLには、不確定要素の暗雲がたれこめています。議会を通過するか、あるいは悪法が誕生するのか、我々には分かりません。オーランド・ケヴェド枢機卿のことばによれば、主な理由は、多数派クリスチャンのモロに対する恐怖、憎しみ、偏見、被害妄想によるもので、それは議員の大多数がもつものです。彼らはモロが力と資源を得ると、フィリピンから分離し、独立した国家を形成すると恐れているのです。
下院では、定足数の不足に苦しみ続けています。ときには、240人の議員のうち、12人か30人しか議会に現れません。上院では、数人の議員がたくさんの質問をしますが、それらのいくつかはとても基本的なものであり、むしろ質問しないほうがいいようなものです。
BBLが通過しなければ、それは、ミンダナオの武力紛争の政治的解決が止まったことを意味します。人々の、とりわけモロの不満が起こり、それがどのようなものにつながっていくのか、先が見通せません。
もちろん、政府とMILFの両者は平和の道を歩むことと、停戦が維持されることを望みます。しかし、法的過程は2016年7月1日に新大統領が就任してまもなくは始まらないでしょう。新大統領が、彼または彼女の前任者の政策を根本的に変える可能性もあります。
MILFの影響力と正統性も疑われることでしょう。正直にいいますと、MILFが政府との交渉開始を決定したときも、一致した合意が得られたわけではありませんでした。多くが政府を「敵」とみなし、信用できないと考えていたのです。いわゆる急進派、そしてMILFの敵がこの状況に乗じて政府が不誠実であること、そしてMILFがミンダナオの紛争解決の誤った方法を選択したことを糾弾することも予想できるでしょう。
ありがとうございます。みなさん、よい1日を!
MILF和平交渉団長/バンサモロ移行委員会議長
1972年マニュエル・ケソン大学修士課程修了。1972年にモロ民族解放戦線(MNLF)、1977年にモロイスラム解放戦線(MILF)に参加する。2003年からMILFの和平交渉団長として政府との交渉に携わり、武力紛争を終結させるロードマップを記した枠組合意(2012年)および包括的合意(2014年)の達成に尽力した。バンサモロ政府設立の礎となるバンサモロ基本法案を策定する委員会の議長を務める。交渉においていかに忍耐が必要であるか、その想いを「バンサモロにかんする枠組合意:その展望と課題」(P’s Pod ウェブサイトマガジン)に綴っている。現在、MILFの幹部として連日フィリピンの紙面に登場。Salah Jubairの名前で、The Long Road to Peace: Inside the GRP-MILF Peace Process, Bangsamoro: A Nation Under Endless Tyrannyなどの著作がある。