- フィリピン南部
フィリピン南部:40 年以上の武力闘争の出口

フィリピンは人口の9割がキリスト教徒の国であるが、主に南部に400~500万人ほどのイスラム教徒(ムスリム)が生活している。そのフィリピン南部では、過去40年以上にわたり、武力紛争が展開されてきた。1970年前後、政治的な権利をうばわれ、経済的にも貧困化したことに不満をつよめた南部の住民が、ムスリムを中心にモロ民族解放戦線(Moro National Liberation Front: MNLF)を結成し、フィリピンから独立する武力闘争を開始した。以来、今日まで解決をみないこの問題は、「モロ問題」「ムスリム問題」「ミンダナオ問題」などとよばれてきた。これに対して、ムスリムの学者らは「クリスチャン問題」である、と反論した 1。日本では、「ミンダナオ紛争」などといわれることが多い。
しかし私は、あえて「フィリピン南部の問題」や「フィリピン南部の紛争」といういい方をしたい。理由はいくつかある。まず、フィリピン南部には、主にミンダナオ島、スル諸島、パラワン島がふくまれるが、それぞれの地域事情は異なっている。とりわけミンダナオ島とスル諸島では歴史や紛争の要因が異なり、それらを「ミンダナオ」とみなすことはできない。つぎに、1976年12月23日にリビアの首都で、MNLFとフィリピン政府が「トリポリ協定(1976 Tripoli Agreement)」に署名をしてから、ムスリム系反政府勢力は、その要求を「独立」からフィリピン主権国家内での「自治」に変えてきた。フィリピン南部の問題は、南部がフィリピン主権国家の一部になる過程で発生し、そして、その一部にどのように位置づけ直すかが、問われているのである。
その後、フィリピン政府とMNLFはトリポリ協定の履行をめぐって武力紛争を再発させたが、1996年9月2日に最終和平合意に署名した。しかし、新たな自治政府を設立する手つづきなどについて折り合いがつかず、今日まで両者は1996年最終和平合意(1996 Final Peace Agreement 2)の実施について協議をつづけている。
一方、MNLFから分派し、政府軍とのあいだで武力衝突と和平交渉を繰り返してきたのがモロイスラム解放戦線(Moro Islamic Liberation Front:MILF)であった。そして、1997年からのフィリピン政府との度重なる和平交渉のすえ、ようやくたどりついたのが、2012年10月15日に両者が署名した最終和平へむけた「枠組合意 3」であった。枠組合意では、2016年に「バンサモロ政府(Bangsamoro Government)」をという自治政府を設立すべく、ロードマップが示された(表1)。
過去40年以上にわたるフィリピン南部の紛争の死者数は12万人以上といわれている 4。またこの紛争は、数百万の避難民を生んでいる。その結果、ムスリムが生活する地域は全国で最も貧しくなっている 5。多くの一般住民の悲しみを想うと、枠組合意が予定通りに履行され、南部に恒久的な平和が訪れることを願ってやまない。しかし、両者が最終的な「包括的合意(Comprehensive Agreement)」にいたるまでには、これからいくつもの山を越える必要がある。

まず、枠組合意では、「政府間関係の原則を盛り込んだ権力分有(power sharing which includes the principles on intergovernmental relations)」、「富の分有(wealth sharing)」、「正常化(normalization)」、「暫定的な手段と措置(transitional arrangements and modalities)」にかんする4つの付属文書を作成し、枠組合意とあわせて包括的合意をむすぶことが計画された。当初、これらの付属文書は枠組合意からまもなく作成され、年内に包括的合意に署名される見通しすら報じられた 6。しかし、2013年2月27日に、ようやく「暫定的な手段と措置」に関する付属文書が作成された。残りの3つの付属文書については、継続協議中である。
また、「バンサモロ基本法(Bangsamoro Basic Law)」の草案を作成する「暫定委員会(Transition Commission)」 15 名の委員が2013年2月25日にそろい、発表された。フィリピン政府側が7名、MILF側が8名の人選を行った。委員長は、MILF側の和平交渉団の代表を長年つとめてきたMohagher Iqbal氏がつとめることとなった。枠組合意が発表された当初、フィリピン政府側は委員にMNLFミスアリ派 7をふくむ可能性にも言及していた 8。しかし結局、MNLFミスアリ派を代弁できるメンバーは選ばれなかった。
フィリピン南部の紛争には、さまざまな人びとや集団が関係している。MILF、MNLF以外にも多くの反政府武装集団や自警団などが存在する。南部の人口数でいえば、キリスト教徒の移民とその子孫や、イスラム教に改宗しなかった先住民ルマド(Lumad)がムスリムを上回る。ミンダナオ島とスル諸島との地域差は、2013年3月に「スル王国軍」という集団がマレーシアサバ州東海岸ラハダトゥを占拠した事件において、スル王国のスルタンを名乗るジャマルル・キラム3世が、主にミンダナオ島を拠点とするMILFとフィリピン政府との和平交渉への不満を表明したことによって、一層明らかになった 9。このような多様な関係者のあいだで合意形成ができるかが、紛争解決のカギとなる。
フィリピン南部の紛争と和平プロセスに対し、国際社会は様ざまな支援をしてきた。日本は、2006年7月に「我が国のミンダナオ和平プロセスに対するより積極的な貢献」を決定した。以来、本格的に同地域に対する平和構築支援を行っている。その支援全体は、「J-BIRD: Japan-Bangsamoro Initiative for Reconstruction and Development」と名づけられている。J-BIRDでは、停戦監視と人道支援を行う「国際監視団(International Monitoring Team:IMT)」に日本人の開発専門家を派遣している。
日本人専門家のIMT派遣は、「国連が介在していない」「イスラム諸国による」の和平の枠組への関与という点で、画期的であるといわれている。日本政府の平和構築支援は、国連や欧米諸国が足並みをそろえる国際社会が決定した枠組で展開されることが多い。しかし、フィリピン南部にかんしては、1970年代前後に紛争が発生して以来、フィリピン政府とムスリム系反政府勢力との和平仲介をしてきたのは、リビアやマレーシア、インドネシアなどのイスラム協力機構(Organization of Islamic Cooperation: OIC) 10諸国であった。
フィリピン南部に恒久的な平和が訪れるかどうかは、これからが正念場である。日本をはじめとする国際社会はOIC諸国と協力しながら、フィリピン南部の複雑な紛争要因に対する理解を深め、多様な関係者をどのようにつなぐことができるか、という視点をもちあわせることが重要であるように思えてならない。
2013年2月28日

[1]Soliman, Santos, The Moro Islamic Challenge: Constitutional Rethinking for the Mindanao Peace Process. University of the Philippine Press, 2001, pp.39-54.
[2]正式名称は1996 Peace Agreement with the Moro National Liberation Front。 一般的には1996 Final Peace Agreement といわれる。
[3]正式名称はFramework Agreement on the Bangsamoro。
[4]しかし、1990年代半ばにもフィリピン南部の紛争による死者数は12万人と報じられていた。過去20年のあいだに多くの犠牲者がでていることをかんがみると、体系的に統計がとられていないとみられる。
[5]UNDP(国連開発計画)が算出する「人間開発指数(Human Development Index: HDI)」によると、ムスリムが大多数をしめるムスリム・ミンダナオ自治地域(Autonomous Region in Muslim Mindanao)の5州は最下位から10位以内に位置づけられる。Human Development Network, Philippine Human Development Report. Human Development Network, 2005, p103.
[6]Geronimo, Gian C. Leonen: Bangsamoro Agreement Annexes Likely to be Done by End-2012. GMA News. October 23, 2012.
[7]2001年4月、MNLF中央委員会のメンバーが集まり、1996年最終和平合意後に実績をあげていないヌル・ミスアリ初代議長への不信任を表明した。MNLF幹部15名が中心となり「15エグゼクティブ・カウンシル(Executive Council of 15: EC15)」とよばれる「反ミスアリ派」を結成した。
[8]Ubac, Michael Lim. Misuari, MNLF Leaders to be Offered Seats in Transition Body for Peace. Philippine Daily Inquirer. October 10, 2012.
[9]GMA News, Sabah standoff a result of peace pact with MILF, Sulu sultan claims. GMA News, Feb. 18, 2013.
[10]2011年6月にイスラム諸国会議機構(Organization of the Islamic Conference)がイスラム協力機構(Organization of Islamic Cooperation)に改称された。

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(大阪大学大学院人間科学研究科)