石川和雅(NPO法人オアシス理事)
2018.03.26
  • ミャンマー

21世紀ピンロン連邦和平会議の現状と今後の展望

1.はじめに

 2016年3月に発足した現・アウンサンスーチー政権にとって、国内和平の実現は最重要課題の一つである。1948年の独立以来続く政府と少数民族勢力との内戦は、国内各地の健全な経済成長を阻害し、また多くの死者や避難民を発生させている。前テインセイン政権下では全国停戦協定(以下NCA)の発効という画期的な展開があったが、全ての勢力が署名したわけではない。現政権は、前政権が着手した和平プロセスを継承し、さらに前進させることで、内戦の終結を究極の目標としている。

 本稿で扱う「21世紀ピンロン連邦和平会議」は、全ての当事者が参加する政治対話の場として、和平プロセス上で重要な位置付けが与えられている。2018年2月までに2回の会合が行われ、将来の連邦制をめぐり議論が続いている。会議の経過からは協議の困難さが窺えるが、唯一の正式な政治対話の場として、本会議の動向は今後も注目される。本稿では、会議の経過を振り返り、今後の展望について若干の指摘を行いたい。

2.テインセイン政権下の全土和平協定

 現在の和平プロセスは、基本的には前テインセイン政権下で発効したNCAに含まれるロードマップに基づき進められている。その内容は協定の第20条に規定されている。それによると、まずは「国民レベルの政治的協議の開催」に始まり、「連邦和平会議の開催」、そして、「連邦合意(Pyidaungsu Accord)の策定」と、その内容の「連邦議会での承認」を経て、実行段階へと進むこととされている。つまり、ロードマップ上における連邦和平会議は、将来の連邦国家の根幹となる「連邦合意」を形成する場となる。

 NCAには2015年10月に、国内の約20の武装勢力のうち8勢力が署名し、ロードマップが動き出した。テインセイン政権下では、任期満了間際の16年1月に第一回の連邦和平会議が行なわれたが、同会議が政治対話の場として本格的に機能し始めるのは、アウンサンスーチー政権発足後のことである。

3.第一回会合(2016年8~9月)

 アウンサンスーチー国家最高顧問が主導する現政権下では、連邦和平会議は「21世紀ピンロン連邦和平会議」と呼称されることとなり、NCAに未署名の武装勢力をも含めたすべての当事者が参加する対話の場として、再始動した。

 この名称は、独立以前の1947年に行われたピンロン会議にちなむものである。イギリスからの独立を控え、独立運動の指導者であったアウンサンと、シャン、チン、カチンなど各少数民族の代表が、独立後の連邦国家の枠組みについて、シャン州の町ピンロンで協議し、合意に至った会議である。アウンサンスーチーの実父であるアウンサンの故事にあやかる意味も込めての改称と見られる。

 連邦制をめぐる諸民族代表との協議の場という点では共通するが、一方では重大な相違点が指摘されている。現行の会議の前提となるNCAでは、基本原則において連邦制からの分離を認めていない。しかし、一部の勢力は、1947年のピンロン会議において、アウンサンが各民族州の将来的な分離独立権を認めたと認識しており、この相違点への不信感が示されている。

 装いを新たにした連邦和平会議の第一回会合は、2016年8月31日から9月3日までの4日間にわたり、首都ネーピードーで開催された。今次会合での最大の特色は、前述のとおり、NCA未署名勢力の参加が呼びかけられたことである。これにより、未署名勢力の連合体である統一民族連邦評議会(UNFC)、カチン独立機構(KIO)などの参加が実現した。しかし、それでも例外は残った。北部で闘争を続けるタアン民族解放軍(TNLA)、アラカン軍(AA),ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)の3勢力については、国軍が強く拒否し、参加を認められなかった。

 今次会合では、本格的な討議や決議を目指すことよりも、各当事者の自由な意見表明に重点が置かれた。合計70本以上のプレゼンテーションが行われ、ビルマ族中心の国家であることを含意する「ミャンマー」という国名の変更提案など、将来の連邦国家への様々な見解が示された。この模様はTV中継され、武装勢力側の見解が公共の場で開陳される画期的な機会となった。

 一方、距離間を明確に示す勢力もあった。武装勢力の中でも最大規模の兵力を有する東北部のワ州連合軍(UWSA)は、代表団を派遣していたが、会議における待遇を不服として途中退席しており、受け入れ体制への配慮が課題として残った。

 閉会に際して、今後6か月に1度の間隔で会議を継続開催することが合意された。

4.第二回会合(2017年5月)

 しかし第二回会合の開催は、その予定よりも遅れて2017年5月に実現した。当初は24日から28日までの5日間の予定だったが、会期中に議論が紛糾したため、29日まで延長された。

 第二回会合の最大の特色は、政治的ロードマップを前進させるため、「連邦合意」の議決を目指したことである。そのため、和平会議に先立つ事前段階として、国内6地区で「国民レベル政治協議」を開催し、政治、経済、社会、安全保障、土地・天然資源という5つの分野で、合計41項目の基本原則案をとりまとめた。第二回会合では、これら基本原則案の審議と議決が具体的な開催目標となった。

 第二の特色は、前回不参加の勢力を招聘したことだ。具体的には、前回は国軍の反対により参加を認められなかったTNLA、AA、MNDAAの3勢力の出席が実現した。また、NCA体制に代わる停戦協定案を求めているUWSAなども出席することとなった。この背景には、ミャンマーの和平進展への協力を表明している中国政府の仲介が作用したと言われている。各勢力の代表らはネーピードーへ直接移動せず、雲南省経由で来場した。

 このように和平プロセスの進展が目指される一方で、不信感や警戒感も強まった。出席を見送る勢力や、運営方針に難色を示す声明が出されるなどした。前回会合には出席したUNFCは、直前まで出席の決定を留保し、実際に構成勢力の一部は出席しなかった。さらに、ナガ族の勢力やシャン族の勢力は声明を発表し、和平会議での重要事項の議決に反対した。民族内での対話と合意形成が完了していない状況にも関わらず、将来の連邦制度の根幹にかかわる重要事項の議決に各民族の代表として参加させられることへの懸念を示したものである。

 会議の「行き過ぎ」に釘を刺したのは、少数民族勢力だけではなかった。24日の開会式では、ミンアウンフライン国軍司令官が演説を行い、議論の行き過ぎを戒めている。参加勢力の中には、連邦制の枠組みを超える自治権を要求する勢力があるとし、国民の利益を守る責務をもつ国軍としては、国民の利益に反しかねない過剰な要求に対して対処する必要がある旨を述べた。

 当事者間の摩擦は開会後も続いた。動向が注目されていた初参加の3勢力やUWSAを含む北部の7勢力は、開会式にこそ出席したが、二日目以降は出席せず、会期が終了する前に中国経由で自領に帰還してしまった。この間、これらの勢力はメディアに対して独自の和平協定案を配布し、さらに個別にアウンサンスーチー国家顧問と会談するなどしており、NCA体制から一定の距離をとる姿勢を明確にした。

 本題である「連邦合意」各事項の審議も紛糾した。最も議論が割れたのが、政治部門に含まれる「国土の不分離」の規定である。「連邦領土を構成する土地は、いかなる時においても、国家から分離してはならない」と定めた項目で、この表現をめぐって少数民族勢力からの反発が相次ぎ調整がつかず、会期延長の原因となった。また、「一体である国軍の設置」という規定についても、結論が出なかった。最終的に、今次会合でのこれら項目の議決は見送られた。

 しかし、他の事項についての議論は進展し、提出された41項目のうち37項目が決議され、これらは連邦合意の「第一部」として署名された。未決事項は第三回以降の会合で継続協議することとなった。しかし2017年12月に開催される予定だった第三回会合は、2018年2月現在に至るもまだ開催されていない。

5.今後の展望

 過去2回の会合の経過を踏まえる限り、今後の和平プロセスの焦点となるのは「国土の不分離」と将来の国軍組織に関する協議、言い換えれば各勢力の自治権を巡る問題となろう。特に北部のKIOやUWSAは、政府の手が及ばない広大な実行支配地を有している。これら既得権益の扱いが問題となるほか、すでに停戦合意している勢力にしても、将来的な中央政府との力関係は重大な論点となる。

 協議の進展は、政府内部における国軍と文民政権との関係性、そして中国の外交政策に左右される可能性が高い。

 ミャンマーの現在の法体制上、文民政権は国軍に対する完全な統率権を持たない。一方で国軍内部からは少数民族勢力の発言権拡大に対する警戒感が強く、軍事行動を辞さない構えを解いていない。今後の政権運営の内実が注目されるほか、現実問題としては国軍からの攻勢の可能性を意識しなければならない。

 また、各勢力は軒並み国境地帯に根拠地を有しており、隣接国との関係が情勢判断を左右すると考えらえる。特に、中国と接する北部の諸勢力に関しては、中国との関係が重要な要素である。内戦の歴史を振り返っても、中国の対ミャンマー政策が武装勢力の盛衰に影響を及ぼした経緯がある。逆に中国政府にとっては、各勢力への関与の程度をコントロールすることが、対ミャンマー外交の切り札ともなる。最大勢力であり、反NCA体制の中軸でもあるUWSAの動向は、今後の全土和平の動向を大きく左右するだろう。

 2018年2月現在、21世紀ピンロン連邦和平会議の第三回会合は、開催のメドがたっていない。しかし、NCA体制には進展が見られた。2月13日に、UNFCの構成勢力であった2つの勢力が、NCAに署名したのである。現政権下では、初のNCA署名となった。今回の署名決定がどのような判断に基づいてなされたものか、また、他の未署名勢力がこの動きをどう評価するのか。検討すべき課題は多い。

(2月12日の連邦記念日を祝う式典の大看板。連邦記念日は、1947年2月12日にピンロン合意が行われたことを記念する祝日。2018年2月、ヤンゴン市内にて筆者撮影)
KAZUO ISHIKAWA石川 和雅

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