新着記事NEW ARTICLES

  • ドゥテルテ大統領、戒厳令布告の背景

    2017.06.06

    石井 正子フィリピン南部
    ドゥテルテ大統領、戒厳令布告の背景

    2017年5月23日午後11時30分(フィリピン時間)、ロシア滞在中のドゥテルテ大統領はミンダナオ島とスル諸島に戒厳令を布告した。大統領はプーチン大統領との会談予定を前倒しして滞在期間を短縮し、帰国した。6月に予定していた日本訪問も中止した。


  • 北アイルランド和平プロセスの今

    2017.05.18

    松野明久平和構築全般
    北アイルランド和平プロセスの今

     1998年4月10日、北アイルランド紛争を終わらせる和平協定が締結された。一般にはベルファスト協定と呼ばれるが、その日が復活祭前の聖金曜日(Good Friday)であったことから聖金曜日協定とも呼ばれている。これによって、イギリスとの連合維持を望むプロテスタント系住民とアイルランド共和国との統一を望むカトリック系住民の対立から発展した武力紛争は終わった。


  • ジュマの内部組織

    2017.03.24

    渡部清花バングラデシュ
    ジュマの内部組織

    バングラデシュ独立後のチッタゴン丘陵では、平野部からベンガル人を連れてくる入植政策と大勢の軍を配備し、軍事キャンプを建設する政策が推し進められた。ジュマ側は政府の入植政策に反対し、自決権を求め、1972年に政治組織であるチッタゴン丘陵民族統一党(PCJSS)を設立し、1973年には武装部門であるシャンティ・バヒニ(平和軍)が結成され、ゲリラ化して抵抗を始めた。


  • ジュマの人びとの暮らしと文化

    2017.03.24

    渡部清花バングラデシュ
    ジュマの人びとの暮らしと文化

    チッタゴン丘陵では平野部からベンガル人を連れてくる入植政策と、軍基地を建設し、推定1万人〜3万人の軍を配備した政策が引き金となり、20年にわたって先住民族の人々との紛争が勃発した。彼らは、ベンガル語で「焼き畑をする人」という意味の「ジュマ」を自らの総称として使用している


  • 民族の「年代記」と「聖域」、そして「未来」:タイ深南部を訪ねて考えたこと

    2017.02.23

    星野 俊也タイ深南部
    民族の「年代記」と「聖域」、そして「未来」:タイ深南部を訪ねて考えたこと

    歴史とは、「現在と過去との間の尽きることのない対話(an unending dialogue between the present and the past)」と論じたのは英国の歴史学者E.H.カーである。この立場は、歴史を客観的な実証のプロセスから解放し、主観性を免れえない過去の人々の記憶や記録と、たとえ歴史学者であったとしてもやはり特定の主観性を免れえない現在の我々とが対話をし、その相互関係のなかから深い洞察や理解を得ようとするものである。