バングラデシュBANGLADESH

  • バングラデシュからみたロヒンギャ難民問題:その背景と難民キャンプの現状

    2018.03.26

    日下部 尚徳バングラデシュ
    バングラデシュからみたロヒンギャ難民問題:その背景と難民キャンプの現状

    2017年8月の「アラカン・ロヒンギャ救世軍」(ARSA)を名乗る武装勢力によるミャンマー警察・軍関連施設の襲撃のあと、70万人ものロヒンギャが国境を越えてバングラデシュ側に避難した。現地報道によると、それまでにバングラデシュにいた人びとと合わせて、計111万のロヒンギャが、難民となってバングラデシュ国内で生活を送っている。


  • バングラデシュ、チッタゴン丘陵の最近の政治動向

    2018.03.20

    下澤 嶽バングラデシュ
    バングラデシュ、チッタゴン丘陵の最近の政治動向

     チッタゴン丘陵は、バングラデシュ南東部に位置するなだらかな丘陵地帯である。古くから、モンゴロイド系の民族がここで焼畑農業を営み暮らしてきた。現在11の民族、約60万人がここで暮らしている。宗教は仏教徒が一番多いが、ヒンドゥ教徒、キリスト教徒もいる。


  • ジュマの内部組織

    2017.03.24

    渡部清花バングラデシュ
    ジュマの内部組織

    バングラデシュ独立後のチッタゴン丘陵では、平野部からベンガル人を連れてくる入植政策と大勢の軍を配備し、軍事キャンプを建設する政策が推し進められた。ジュマ側は政府の入植政策に反対し、自決権を求め、1972年に政治組織であるチッタゴン丘陵民族統一党(PCJSS)を設立し、1973年には武装部門であるシャンティ・バヒニ(平和軍)が結成され、ゲリラ化して抵抗を始めた。


  • ジュマの人びとの暮らしと文化

    2017.03.24

    渡部清花バングラデシュ
    ジュマの人びとの暮らしと文化

    チッタゴン丘陵では平野部からベンガル人を連れてくる入植政策と、軍基地を建設し、推定1万人〜3万人の軍を配備した政策が引き金となり、20年にわたって先住民族の人々との紛争が勃発した。彼らは、ベンガル語で「焼き畑をする人」という意味の「ジュマ」を自らの総称として使用している


  • チッタゴン丘陵における紛争の経緯

    2016.12.07

    日下部 尚徳バングラデシュ
    チッタゴン丘陵における紛争の経緯

    日下部 尚徳 (東京外国語大学特任講師) ○チッタゴン丘陵における紛争の経緯 バングラデシュ南東部に位置するチッタゴン丘陵(Chittagong Hill Tracts:CHT)は、国土の約10%を占めるバングラデシ