バングラデシュBANGLADESH
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2018.08.10
杉江 あい バングラデシュバングラデシュのロヒンギャ難民キャンプ―2018年1~2月の現地調査より
田中志歩(香川大学教育学研究科学校教育専攻修士課程) 大河川が運ぶ土砂で造られたデルタ地帯のバングラデシュの中で、チッタゴン丘陵地帯は、バングラデシュ東南部に位置し、アラカン山脈につながるバ
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2018.03.26
日下部 尚徳 バングラデシュバングラデシュからみたロヒンギャ難民問題:その背景と難民キャンプの現状
2017年8月の「アラカン・ロヒンギャ救世軍」(ARSA)を名乗る武装勢力によるミャンマー警察・軍関連施設の襲撃のあと、70万人ものロヒンギャが国境を越えてバングラデシュ側に避難した。現地報道によると、それまでにバングラデシュにいた人びとと合わせて、計111万のロヒンギャが、難民となってバングラデシュ国内で生活を送っている。
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2018.03.20
下澤 嶽 バングラデシュバングラデシュ、チッタゴン丘陵の最近の政治動向
チッタゴン丘陵は、バングラデシュ南東部に位置するなだらかな丘陵地帯である。古くから、モンゴロイド系の民族がここで焼畑農業を営み暮らしてきた。現在11の民族、約60万人がここで暮らしている。宗教は仏教徒が一番多いが、ヒンドゥ教徒、キリスト教徒もいる。
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2017.03.24
渡部清花 バングラデシュジュマの内部組織
バングラデシュ独立後のチッタゴン丘陵では、平野部からベンガル人を連れてくる入植政策と大勢の軍を配備し、軍事キャンプを建設する政策が推し進められた。ジュマ側は政府の入植政策に反対し、自決権を求め、1972年に政治組織であるチッタゴン丘陵民族統一党(PCJSS)を設立し、1973年には武装部門であるシャンティ・バヒニ(平和軍)が結成され、ゲリラ化して抵抗を始めた。
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2017.03.24
渡部清花 バングラデシュジュマの人びとの暮らしと文化
チッタゴン丘陵では平野部からベンガル人を連れてくる入植政策と、軍基地を建設し、推定1万人〜3万人の軍を配備した政策が引き金となり、20年にわたって先住民族の人々との紛争が勃発した。彼らは、ベンガル語で「焼き畑をする人」という意味の「ジュマ」を自らの総称として使用している