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平成23年3月海の健康診断 大村湾モデル平成22年度「海の健康診断」を活用した大村湾の環境評価に関する調査研究報 告 書海洋政策研究財団(財団法人 シップ・アンド・オーシャン財団)長 崎 県ごあいさつ本報告書は、ボートレースの交付金による日本財団の平成22年度助成事業「海の健康診断」を活用した海域環境評価に関する調査研究の一環として実施した「海の健康診断」を活用した大村湾の環境評価に関する調査研究の成果をとりまとめたものです。我が国は、経済的な豊かさと引き替えに多くの海洋の自然を失い、そこから生産される多くの恵みを失いました。高度経済成長期に公害問題が表面化して以降、「公害対策基本法」や「水質汚濁防止法」等の法令が整備され、沿岸海域への排水を量的、質的に規制し、水質を「きれい」に維持するための基準を設けるとともに、関係自治体による「公共用水域水質測定」や「浅海定線調査」等の水質モニタリングが開始されました。これにより水質悪化を食い止め、一部の湾では改善が見られるなど一定の効果は見られましたが、今日でも豊かな海を取り戻すまでには至っていません。その原因の一つには、環境評価や改善のポイントが公害の防止や監視などによる水質改善にあり、沿岸域の海の恵みを生み出している海の営みを総合的に評価するという視点が欠落していたことがあげられると思います。昨今、第3次生物多様性国家戦略や海洋基本計画などで生物多様性の確保の必要性が唱われていますが、生物の多様性が確保されるためには、対象海域の生態系や物質循環が健全であること、すなわち海の営みが健全であることが不可欠です。海洋政策研究財団では、この海の営みを検査し、定量的に評価する「海の健康診断」の手法研究を平成12年より全国に先駆けて実施して参りました。これまでに「海の健康診断マスタープラン・ガイドライン」をまとめたのをはじめ、平成16年度、18年度、20年度には全国の閉鎖性海湾を対象にして「海の健康診断」一次検査・診断を実施し、個々の閉鎖性海域の環境の現状を診断カルテとしてとりまとめ、日本の沿岸海域で起きている環境変化の傾向や課題を社会に周知するとともに、豊かな海を取り戻すために必要な沿岸域の環境管理について、「海の健康診断」の活用を視野に入れた提言書を関係大臣に提出いたしました。このたび、これまでの全国の閉鎖性海湾を対象とした全国一律の「海の健康診断」の実施に向けた研究とは視点を変えて、対象海湾を絞り、その環境特性や管理の実情に合わせて「海の健康診断」をより精緻に適用する研究を行うこととし、対象海湾を公募したところ、長崎県から大村湾で実施したい旨ご応募頂いたことから、2ヶ年計画で長崎県と共同で「海の健康診断」大村湾モデルの研究並びに同湾の環境改善に向けた処方箋の作成を行うことといたしました。本書の内容は、2年間の研究成果をとりまとめたものです。本報告書が大村湾の環境保全、改善に日夜尽力されている長崎県や同海域に関心を持つ方々などの活動にお役に立てれば幸いです。最後に、本事業の実施及び本報告書の取りまとめにあたりましては、長崎大学中田英昭教授を委員長とする「海の健康診断」を活用した大村湾の環境評価に関する調査研究委員会の委員の皆様の熱心なご審議、ご指導、また関係者のご協力に対しまして衷心より厚くお礼申し上げます。平成23年3月海 洋 政 策 研 究 財 団会 長 秋 山 昌 廣「海の健康診断」を活用した大村湾の環境評価に関する調査研究委員会 委員名簿(順不同、敬称略)委員長 中田英昭 長崎大学水産学部 教授委 員 松田 治 広島大学名誉教授委 員 中田喜三郎 東海大学海洋学部 教授委 員 鈴木輝明 名城大学大学院総合学術研究科 特任教授委 員 笠井亮秀 京都大学農学研究科 准教授委 員 山口仁士 長崎県環境保健研究センター 研究部長委 員 平野慶二 長崎県総合水産試験場 漁場環境科長海洋政策研究財団担当常務理事 寺島紘士企画グループ グループ長代理 大川 光総務グループ 総務チーム 藤川恵一朗政策研究グループ 研究員 眞岩 一幸※長崎県担当科学技術振興局科学技術振興課 係長 赤澤貴光※平成21 年度担当目 次1. はじめに ....................................................................................................................... 12. 健康な海とは .............................................................................................................. 23. 大村湾の特性と価値 .................................................................................................. 33.1 閉鎖的な地形で水の出入りが少ない大村湾 .................................................... 33.2 浅場が少ない大村湾 ............................................................................................ 43.3 生物の生息・成育場として重要な大村湾 ........................................................ 53.4 漁業者を支える大村湾 ........................................................................................ 54. 大村湾の健康を診断する .......................................................................................... 64.1 健康診断の流れ .................................................................................................... 64.2 一次検査による診断結果 .................................................................................... 84.3 再検査による診断結果 ...................................................................................... 121) 再検査の結果 ................................................................................................. 122) 再検査における所見 ..................................................................................... 184.4 精密検査による診断結果 .................................................................................. 191) 経年的な環境情報の整理 ............................................................................. 202) 環境情報の経年変化の相互関連性の検討 ................................................. 253) 精密検査の所見 ............................................................................................. 345. 治療の方針 ................................................................................................................ 356. 処方箋 ........................................................................................................................ 366.1 処方箋リスト ...................................................................................................... 366.2 具体的な処方箋の実施イメージ ...................................................................... 407. 今後の展望と課題 .................................................................................................... 431) 処方箋の精度向上(良好な栄養バランスの検証) ................................. 432) 処方箋実施後の経過や効果の検証 ............................................................. 443) 今後の大村湾における取り組み体制の構築 ............................................. 468. 参考資料 .................................................................................................................... 4811. はじめに海は生きています。海は、流れや潮汐が川や外海から流れこんだ栄養を輸送し、生物がそれを取り入れ成長し増えていく、生きている場所です。また、海は私達に様々な恵みをもたらしてくれる場所です。食卓にのる魚、海藻、アサリなどの貝類、エビやタコなどは海が生み出してくれた貴重な食料資源です。しかし、私達人間の活動などによって、海の状態は変わってしまいました。「昔に比べて魚が獲れなくなった」と嘆いている漁業者の姿を全国津々浦々でよくみます。海が不健康である証拠ではないでしょうか。私達、人間の体の健康は定期的な健康診断や医者の治療によって支えられていますが、海はどうでしょうか。これまで海の健康をみるために行われてきた水質検査は、人の検査で言えば血液検査にあたりますが、本当にそれだけで海の健康が診断できるでしょうか?海の元気さを診断する手法が「海の健康診断」です。「海の健康診断」は、海の健康を「生態系の安定性」「物質循環の円滑さ」という2つの視点から、診断し、“予防”と“不健康の原因究明”に取り組むために考え出されました。図 1.1 海における栄養の流れのイメージ海は生きています。海の元気さを診断する手法として考え出されたのが「海の健康診断」です。干潟 藻場日射生産(光合成)魚類漁獲生物の死骸や栄養塩の沈降堆積栄養塩の溶出植物プランクトン日射底生生物底生生物 バクテリア消費酸素の供給栄養食物連鎖酸素の消費食卓へ分解動物プランクトン- 1 -22. 健康な海とは沿岸の海は、干潟や藻場などの多様な地形があり、豊かな栄養から生物が生まれる貴重な場所です。水産を代表とする産業や交通・文化の拠点としても重要な場となっており、近年、人々の暮らしと密接に関わるその姿は「里海」とも呼ばれています。沿岸の海で生まれる豊かな生物は海の生物資源の大部分を支えており、生物の食物連鎖によって、栄養は太く滑らかに海を循環します。沿岸の健康を大きく左右する要素として生物の存在は重要であり、「海の健康診断」では「生物が多様で多く生息している海」を健康な海と考えています。これまで日本の海では、生物が減少する原因が富栄養化にあると考え、栄養を減らして水をきれいにすることに主眼をおいてきました。近年、陸域における排水処理によって、流入する栄養を減らす対策が進んでいますが、それで健康な海が戻ってきたでしょうか?海の特性や履歴がそれぞれ異なるように、その原因も違うはずです。健康な海を取り戻すためにどうすればよいのか。栄養を制限する対策だけではなく、海の営みを総合的な視野でとらえたバランスの良い対策が必要です。図 2.1 健康な海のイメージ森・川・外海:潤沢な栄養栄養が太く滑らかに循環健康な海の姿海多様な生息空間・生息環境多様で豊富な生物生産健康な海とは「多様で豊富な生物が生息していることによって、栄養が太く滑らかに循環する海」です。- 2 -33. 大村湾の特性と価値3.1 閉鎖的な地形で水の出入りが少ない大村湾大村湾は、湾の大きさに比べて湾口が非常に狭い「閉鎖性海域」であり、外海から切り離された湖のように静穏な海です(表 3.1)。昔は盆地だったことから、お盆のような地形になっており、一度河川等から入ってきた水は外海へ出ていきにくい特性をもっています。表 3.1 大村湾の基本諸元項 目 諸 元湾内沿岸線長 360km面積 320km2最大水深 54m平均水深 14.8m容積 約4.9km3閉鎖度指標 130(参考)12.89(有明海及び島原湾)、1.78(東京湾)湾口針尾瀬戸 幅 約200m(水深約40m)早岐瀬戸 幅 20m 水深約2m以下出典)長崎県資料注)閉鎖度指標とは・・・「湾の水深や湾口幅、面積といった情報を用いて算出した数値であり、この数値が高いと、海水交換が悪く富栄養化のおそれがあることを示します。水質汚濁防止法では、この指標が1以上である海域等を排水規制対象としています。」大村湾は、閉鎖的で浅場が少ない海ですが、静穏で豊かな生物生産力をもっており、長崎県の漁業の基礎を支える重要な役割を担っています。- 3 -43.2 浅場が少ない大村湾大村湾は、浅場(水深5m程度より浅い場所)が少ない海(図 3.1)であり、陸域から流入する栄養は浅場で十分に吸収されずに、水深の深い場所へ沈降しやすい海です。一方で、浅場は、高い生物生産能力や稚魚等を成育する場所であり、現存している浅場は大村湾の中で貴重な空間です。図 3.1 大村湾の水深水深5m以浅- 4 -53.3 生物の生息・成育場として重要な大村湾大村湾は、陸域から流入する栄養の総量は大きくないものの、閉鎖的な地形であるため、流入した栄養が長く湾内に留まりやすい海です。生物はその栄養を十分に取り込んで成長することから、大村湾では、真珠養殖やナマコ等の漁業が盛んに行われてきました。さらに、このような条件は魚類等の生物の産卵・成育場として好適でもあり、大村湾は外海で漁獲される魚介類の産卵場としても機能しています。3.4 漁業者を支える大村湾長崎県は、変化に富んだ海岸線をもち、多くの半島や岬、湾、入江が存在する海岸の総延長が非常に長い県(総延長4,203km)です。周辺海域は対馬暖流などの水系や島嶼、天然の曽根に恵まれ、好漁場が多く(図 3.2)、水産業は長崎県の経済を支える重要な産業です。出典)長崎漁業協同組合連合会HP(http://www.jf-et.ne.jp/nsgyoren/fish_map/index.html)図 3.2 長崎県の海の幸マップ一方、長崎県の漁業者は高齢化し、漁村の活力が低下しています。今後、漁業の活性化を図るためには、新たに漁業者を確保すると同時に、漁業者の減少を食い止めることが必要です。長崎県では、多様な海の環境を活かして、内湾から沖合まで多種多様な漁業が営まれていますが、特に大村湾は内湾の静穏域で高齢化した漁業者が漁業を継続できる場として、貴重な場所になっています。漁業を続けてもらうことは、長崎県の漁業を支えるだけでなく、大村湾から一定の栄養を定期的に取り出す役割を担っています。- 5 -64. 大村湾の健康を診断する4.1 健康診断の流れ「海の健康診断」は、私達が職場等で受けている定期健康診断と同じように、「一次検査」と、一次検査で不健康の疑いがある場合に実施する精密検査にあたる「二次検査」から構成されています(図 4.1)。「一次検査」は公共性の高い誰でもが入手可能な情報を用いて、簡便に評価できる手法を採用しています。一次検査において不健康の疑いがある海湾は二次検査に進みます。「二次検査」は、地元のデータを用いて海の環境に精通している人が実施できる“専門性が求められる検査”です。二次検査は、一次診断の結果を検証する「再検査」と不健康の原因を究明する「精密検査」の二段階から構成されています。これらの検査結果から「二次診断」として不健康の程度(病状)とその原因を特定します。一次検査簡便な検査二次検査詳細な検査一次検査定期的健康チェック再検査一診断の検証一次診断処方箋(メニュー)地理気象海象社会歴史管理基本情報検査海の健康診断精密検査不健康の原因究明不健康の疑い不健康確定原因不確定原因確定健康二次診断健康健康:継続的定期診断調査・研究治療改善・改良図 4.1 海の健康診断の構成大村湾の一次検査及び再検査では、海底付近に貧酸素水塊が発生しやすい海であり、生物組成、生息空間、堆積・分解の3つについて不健康と診断されました。また、精密検査の結果、主に自然の浅海域が減少したことによって、生物が減少し、漁業を通しての栄養の取出し量が減少し、湾内の栄養過多を助長する不健康のスパイラルに陥っていることがわかりました。- 6 -7不健康の原因究明<患者>(海)のニーズ>健康・不健康を判断<対応メニュー>「簡単に海の健康状態を確かめられないの?」<一次検査>誰でも手に入るデータによる簡易健康チェック不健康の疑いあり「簡単な検査だったけど、本当に不健康なの?」二次検査<再検査>地元の詳しいデータによる一次検査結果チェック不健康と判断「何が原因で不健康になっているの?」<精密検査>上記データの総合解析による不健康の原因究明原因が判明「どうすれば治るの?」<処方箋の作成>それぞれの海の特性を踏まえた処方箋の作成図 4.2 海の健康診断の検査の流れ- 7 -84.2 一次検査による診断結果一次検査では、簡便な手法を用いて、健康・不健康を診断します。検査項目は「生態系の安定性」の指標となる項目と「物質循環の円滑さ」の指標となる項目で構成されています。「生態系の安定性」については“生物組成”、“生息空間”及び“生息環境”に関する6つの検査、「物質循環の円滑さ」については、“基礎生産”、“負荷・海水交換”、“堆積・分解”及び“除去(漁獲)”に関する7つの検査を行います。一次検査の検査方法と検査基準を表 4.1 に示します。- 8 -9表 4.1(1) 一次検査の検査方法と検査基準(生態系の安定性)視点 検査項目必要な資料及び調査検査内容検査基準良好(A) 要注意(B) 要精検(C)前処理 スタンダード値検査値 結果生態系の安定性生物組成漁獲生物の分類群別組成の変化農林水産統計年報による魚種別漁獲量最近20年間の最多漁獲量の分類群を抽出し、検査対象とする。20年間の漁獲割合の平均をFRs、漁獲量の平均をFCsとする。最近3年間の漁獲量割合の平均をFRt、漁獲量の平均をFCtとする。FR、FCを求める。FR=FRt/FRsFC=FCt/FCs0.8≦FR≦1.2かつ0.7≦FC≦1.30.8≦FR≦1.2かつFC<0.7または1.3