2020.12.11
H-1B ヴィザをめぐる米国政治

相沢 伸広
インドネシア/タイ政治、都市化と政治、東南アジア華僑等が専門
京都大学大学院アジアアフリカ地域研究研究科にて博士号取得
米国の H-1B ヴィザ制度をめぐって政治的駆け引きが活発化している。H-1B ヴィザは、専門家、熟練労働者、そして米国の大学を卒業した留学生を対象として、米国内での就業からグリーンカード取得への道筋を作る中心的な就業ヴィザである。2019年度に新たに13万4千人を受け入れ、GAFAをはじめ多くのデジタル産業・テック企業はこのヴィザ制度を通じてインド人、中国人のエンジニアを中心に雇用を進めた1。テック企業を中心とする制度推進派は、起業家の3分の1が移民第一世代であることなどを引き合いにして、この制度が米国のイノベーションと雇用に欠くことのできない役割を果たしてきた点を訴え、反対派は、この制度が米国人の雇用を阻害し、その上外国人の賃金上昇の障壁になり、テック企業を不当に利していると糾弾する。
私が住む北部ヴァージニア州には、ダレス・コリドーと呼ばれる先端防衛産業、サイバー通信企業が多く立地し、エンジニアとして働くインド系外国人が多く居住している。我々外国人が米国の選挙を語る際には、彼らの米国での就業の道筋を定めたH-1Bヴィザの行方が話題に上らないことはない。8月に書いたエッセイ2で私は、トランプ政権のH-1Bヴィザの緊急凍結措置が企業の立場からは危惧されていたほどのインパクトはなかった、と述べた。しかしその後、大統領選挙直前の10月から政権移行期の12月現在にかけて、トランプ政権はレガシー作りに躍起となり、反対活動を行うテック企業らも政策の押し戻しのために必死のロビー活動を展開している。
H-1B ヴィザをめぐるトランプ政権の方針は 4 年間にわたって一貫していた。H-1Bヴィザ制度は米国人の雇用機会を圧迫しているとし、その廃止を2016年の選挙キャンペーン以来繰り返し主張してきた。一般的にトランプ政権の移民政策といえば、ムスリム入国禁止政策や中南米からの移民を主たる対象とするDACAの廃止などに注目が集まっていたが、一方でミラー特別補佐官らを中心に、細かくそして、幾度となくH-1Bヴィザの厳格化が図られた。2017年4月のBuy and Hire American キャンペーンではH-1Bヴィザ改革が議題にあがり、労働省や国土安全保障省が作成した「メモ」を根拠に2019年にかけて雇用主―使用者関係認定の厳格化を行った。その結果、ITコンサル大手 Cognizant などの人材派遣会社による申請を却下するなど、発給要件を漸次的に絞った。2020年のコロナ禍はこの政策方針の追い風となり、2020年6月には「一時的な措置」としながらも大統領行政指導(Executive Order)という形で、コロナ禍によって失業した「米国人の雇用を守る」ために「緊急事態である」として、新規のH-1Bヴィザの発行を全面的に停止した3。
しかし、そのまま「一時的措置」を「恒久的な全面廃止」にすることによって、トランプ政権の公約実現、レガシー作りに入ろうとしたその矢先の10月1日に、この行政指導が違法であるとの判決を受けた。全米製造業組合らが大統領行政指導の差し止めを求めた訴えに対して、大統領が主張した「緊急性」は認められない、という判決であった4。
するとすかさず10月8日に、トランプ政権はH-1Bヴィザに関連して労働省および国土安全保障省から、要件厳格化規則としてそれぞれ暫定最終規則(IFR:Interim Final Rule)を発表した5。労働省が設定したIFRでは、ヴィザ発給要件として新たな標準給与水準が定められ、同等の米国人労働者の給与水準とどちらかより高額な給与を支払う必要があるとした。トランプ政権はこれによって、不当に賃金水準を抑えられている外国人の就労環境を改善するとその目的を説明したが、実質的に外国人労働力の価格競争力を削ぐことに目的があることは明白であった。
多くのH-1Bヴィザ就労者を求めるテック企業にとって、IFRは当該外国人賃金の約30-50%の上昇を意味していた。そのため、この措置は米国企業への打撃となるだけでなく、他国への求人流出に つながるとして、かえって米国経済にとってマイナスの影響があるとし、企業らは反対の声を挙げた。
DHS(国土安全保障省)のIFRにおいては、外国人を雇用する際の基準として定められた職種に対する「専門業務職(specialty occupation)」のマッチングについて、「専門業務職」の規定解釈を大幅に厳格化した。大学の専攻分野と応募職種の間に厳密な一致があることを求め、一例を挙げれば「エンジニア」は専門性が広範かつ曖昧であるとしてヴィザ申請は却下されることなった。加えて、たとえば、ソフトウェアの品質管理やウェブプログラミングの人材を求めても、大学での学位がコンピュータ・サイエンス専攻であると、分析よりはコーディング能力を問われる職種である以上、厳密には専門性と職種が対応していないとして、H-1B支給を拒否するより広い解釈権をDHS に与えることになった。専門性と職種が対応していることの挙証責任も申請者の側に置かれたことから、事実上ほとんどの申請について何らかのミスマッチを理由にヴィザ発給を停止できることとなる。この他にも、第三者機関(高度人材派遣会社など)によるヴィザ申請に対してはこれまでの3年ではなく1年の発給しか認めないなど、H-1B制度の実質的な廃止措置となっていた。また、それほど大きな影響力をもつ二つのIFRであったにもかかわらず、パブリックヒアリングの機会も制限された。
こうした措置に対し、主としてインド系のテック企業が共同で立ち上げたNPOのIT Serve Allianceらが原告となりIFRを違法として訴えた。北カリフォルニア連邦地裁のホワイト判事は 12月に原告の訴えを認め、コロナ禍による雇用危機は、最終規則を制定する上で通常の行政手続きをバイパスする理由としては不適切であるとして、暫定最終規則を行政手続法(Administrative Procedure Act)に反し違法と判断したため、予定されていた12月7日からの適用は見送られることとなった。
すると、諦めないトランプ政権は、12月3日にFacebook社をH-1Bヴィザ乱用のかどで提訴した6。Facebook社は2,600件の求人に際し、米国人が応募するために必要な広告や配慮を怠り、グリーンカード所得に向けて同社が保証人となって支援している外国人を優先的に雇用しており、更に外国人雇用の際当該業務に相応しいアメリカ人がいない事を確認しておらず、違反であると断じた。原告となった司法省のEric S. Dreiband市民権部門検事副総長は、「我々(政府)の明確なメッセージは、会社が違法な形で米国人より非移民滞在者(一般就労ビザの滞在者)を優先的に雇用することがあれば、司法省としては正しい裁きを下すのみ」と述べた。
バイデン次期政権はこうしたトランプ政権下における移民政策の「全て」を覆すと訴えた。バイデン陣営は選挙公約でH-1Bヴィザの拡充を公約に掲げ、外国高度人材を積極的に迎え入れることが国内経済の振興、および米国の競争力を維持する上で必要不可欠であるという立場を明確にし、テック企業もトランプ政権で実施された様々な厳格化措置、基準の撤廃を急ぐことを求めている。もっとも、果たしてバイデン次期大統領が語るように今後H-1Bヴィザの改革がうまくいくかと言えば、そう簡単にはいかないだろうと懐疑的な見方も根強い。
その理由は、世論と議会にある。世論として注意すべき点としては、コロナ禍を受けたH-1Bヴィザの厳格化に対して、65%の国民が賛成しているという4月の世論調査結果である7。民主党支持者の49%もその時点で移民規制に賛成しており、コロナ禍が収束を見せていない現在においては、その意見が大きく変わっているとは考えにくいという点がある。また議会については、共和党が多数を占める下院の反対だけでなく、民主党内の合意形成も簡単ではない。民主党のダービン上院院内幹事はかつてH-1Bヴィザの拡充に反対を表明し、民主党のシューマー院内総務もH-1Bヴィザの拡充に賛成した際には労働組合に突き上げられた過去がある8。したがって簡単にバイデン陣営の公約に賛成することはできないと思われる。H-1Bヴィザをめぐるスタンスが、必ずしも共和党と民主党の対立軸と一致しておらず、H-1Bヴィザ外国人を多く雇用するGAFAをはじめとするテック系企業に対する独占禁止法や税制等をめぐる政治的な圧力の存在ゆえに、巨大テック企業を利する合意形成を行うのは相当な政治資源を使わなければならない状況となってしまった。
以上簡単に2020年のH-1Bヴィザをめぐる政治をまとめたが、この事案はアジアにとっても対岸の火事として看過するわけにはいかない「ポリティクス」の現れである。少なくとも三点、その根拠を申し上げられる。
第一に、移民政策は政府にとってテック企業に対する政治的武器になることが再確認されたということにある。これまで、両者の間の緊張関係は、主としてデジタル税制、独占禁止法、そしてコンテンツの法的責任を免責する通信品位法第230条の3点に焦点が当てられてきた。しかし今回連邦政府は、移民政策、とりわけH-1Bヴィザの発給要件の制定がテック企業に対する政治的武器になることをはっきりと確認した。テック企業と政府の関係をどう規定するかは全世界的な課題だけに、米国でその規定要因としてはっきりと移民政策が出てきた以上、日本を含めた各国のデジタルトランスフォーメーション政策と、出入国管理政策のリンケージが高まることは必至な趨勢となるだろう。
第二に、H-1Bヴィザは米国とインドの二国間関係に大きな影響を与えることとなる。H-1Bヴィザの発給対象者を国籍別でみるとインド人が 70%を占め、大半がテック系企業のエンジニアであるという偏りがみられる。短期農業従事者の H-2A ヴィザや短期非農業従事者の H-2B ヴィザの 70%以上をメキシコ人移民が占めるのとほぼ同様の偏りがある9。つまり、事実上インドからテック系人材を米国に派遣する制度であるといえる。この人材の往来の厚みは対中戦略に左右されない二国間の紐帯となっている。したがって、米国のH-1Bヴィザの動向についてのインドの注目は高く、制度の禁止・拡充の変化がインド人の対米関心を大きく左右する。その意味でH-1B政策はインド政策でもあり、クアッド(QUAD)や東南アジアをはじめとした米印関係の影響をうける国・地域にとっては、H-1B政策は地政学的政策でもあるといえる。
第三に、東南アジアとの関係である。11月にオンラインで開かれたASEAN―米国サミット(トランプ大統領欠席、オブライエンNSC 議長出席)で、米国は東南アジア各国との最大の協力項目として人材育成を提唱した10。重点としては東南アジアにおいて人材育成をすすめる支援ではあるが、一方で人材育成を訴えながら、他方米国においてH−1Bヴィザの発給を厳格化するというのは、人材育成を通じた外交メッセージの効果を相殺しかねない。例えば、インド、中国の上位二か国に数の面で大きな差はあるものの、フィリピン人はH-1Bヴィザ受給者の第3位グループに位置する。さらに、増加し続けているベトナム人留学生がますます米国内での就業を望むようになれば、H-1Bヴィザを申請する東南アジア人材割合は上昇することが予想され、そうした趨勢を考えれば、H-1Bヴィザを通じて米国社会が東南アジアに開かれていると示すことが効果的な外交的アピールになる。
以上を踏まえて誤解を恐れずに米国の移民政策を単純化するならば、H-2Aヴィザが米国の農業の帰趨を握っているとしたら、H-1Bヴィザはデジタル産業の帰趨を握っている。H-2A、H-2Bヴィザが事実上の中米カリブ海政策だとするならば、H-1B ヴィザは米国とアジア社会の関係を規定するアジア政策そのものである。そう考えるとH-1Bヴィザをめぐる政治は、トランプ政権対バイデン政権といった短期的な政局の問題ではなく、より長期の米国のアジア政策とデジタルトランスフォーメーションの両方の行方を占う政治であるといえる。
- “Characteristics of H-1B Specialty Occupation Workers“, USCIS, March 5, 2020.<https://www.uscis.gov/sites/default/files/document/reports/Characteristics_of_Specialty_Occupation_Workers_H-1B_Fiscal_Year_2019.pdf>(2020年12月9日参照)
- 相沢伸広「脅威かヒーローか?-コロナ禍と米国の外国人労働者」 笹川平和財団 2020年8月28日 <https://www.spf.org/jpus-insights/views-from-inside-america/20200828.html> (2020年12月9日参照)
- “Proclamation Suspending Entry of Aliens Who Present a Risk to the U.S. Labor Market Following the Coronavirus Outbreak” The White House <https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/proclamation-suspending-entry-aliens-present-risk-u-s-labor-market-following-coronavirus-outbreak/>(2020年12月9日参照)
- “2020-07-21-Complaint-for-Declaratory-Injunctive-Relief “ The National Association of Manufacturers, July 21, 2020. <https://www.nam.org/wp-content/uploads/2020/07/2020-07-21-Complaint-for-Declaratory-Injunctive-Relief.pdf>(2020年12月9日参照)
- 労働省の暫定最終規則については即日発効、国土安全保障省については2か月間のパブリックコメント募集期間を設けた。
- “Tony Romm and Abigail Hauslohner “ DOJ sues Facebook, alleging it improperly hired foreign workers and discriminated against Americans”, The Washington Post, December 3, 2020. <https://www.washingtonpost.com/technology/2020/12/03/facebook-doj-immigration-lawsuit/>(2020年12月9日参照)
- “Washington Post-University of Maryland poll, April 21-26, 2020.” The Washington Post, <https://context-cdn.washingtonpost.com/notes/prod/default/documents/37ccb851-364b-46bc-84b4-cb0881048b16/note/4e0ffc52-c13f-4e24-b130-df958898f518.%23page=1>(2020年12月9日参照)
- Jennifer Martinez “Unions rip Schumer’s deal on H-1B visas” The Hill, May 22, 2013. <https://thehill.com/homenews/senate/301209-unions-rip-schumers-deal-on-visas>(2020年12月9日参照)
- ”Characteristics of H-2B Nonagricultural Temporary Workers Fiscal Year 2019 Report to Congress” U.S. Department of Homeland Security, April 29, 2020. <https://cis.org/sites/default/files/2020-10/FY_2019_H-2B_Characteristics_Report_Signed_Dated_4.29.20.pdf> (2020年12月9日参照)
- “Joint Statement on Human Capital Development at the 8th ASEAN-U.S. Summit” ASEAN, November 25, 2020. <https://asean.org/storage/2020/11/25-Final-Joint-Statement-on-Human-Capital-Development-at-the-8th-ASEAN-US-Summit.pdf>(2020年12月9日参照)
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