上杉勇司 (元独立警察委員会日本政府代表委員、早稲田大学教授)
2017.07.02
  • フィリピン南部

バンサモロ地域警察の創設に向けて——独立警察委員会提言内容の解説

はじめに

 40年以上におよぶ分離独立闘争を続けていたモロ・イスラム解放戦線(Moro Islamic Liberation Front: MILF)が、2014年3月27日にフィリピン政府との間に包括的和平合意を結んだ。この和平合意により、2016年に実施予定の選挙を通じてバンサモロ(自治)政府が樹立される。

 私が国際委員として参加した独立警察委員会(Independent Commission on Policing: ICP)は、バンサモロ政府樹立後の同地域の治安維持を担う警察機構はどうあるべきかについて検討を重ね、提言書をミンダナオ和平交渉団へと提出した。その提言書が公開されたことを受けて、本稿では提言内容を解説する。とりわけ、「正常化」とよばれるバンサモロ地域の治安上の取り決めとの関連で、提言内容のポイントを整理していく。ちなみに、正常化とは、和平合意を受けて、武力闘争を続けてきたMILFが武器を置き、フィリピン国軍が掌握している法執行機能をバンサモロ政府へと移行させることである。 

1.ICP提言書の概要

 ICP提言書は152頁あり、108項目の提言が盛り込まれた。13章からなる提言書の骨子は以下のとおり。第1章はICPの任務と概要、第2章は利害関係者に対して実施した対話の概要、第3章は法的枠組み、第4章は説明責任に関する理論的考察、第5章はバンサモロ地域公安委員会の創設を通じた説明責任の確保、第6章は運営管理・組織体制、第7章は人権、第8章は教育・訓練、第9章は精神的気風、価値観、シンボルについて、第10章は戦略的な広報、第11章は履行、第12章は移行(履行ロードマップ)、第13章は提言一覧で、本文の他に8篇の付属書が収められている。現行の警察機構では不十分であり、抜本的な改革が必要であるとの前提に基づき提言は検討された。よって提言内容は多岐にわたるとともに、詳細な改革案が提示されている。

 7名のICP委員のうち、MILF代表の委員と私以外の委員は、すべて警察官経験者であった。そのためICP内での提言策定過程では技術論が重視される傾向にあった。例えば第6章の運営管理・組織体制に関しては、33項目にも及ぶ細かな提言がなされている。私は治安部門改革や平和構築の専門的見地から、第11〜12章が焦点を当てた履行や移行期の課題(過渡期的対応や架橋的措置)を議論するとともに、日本の協力を念頭に第8章の教育・訓練に関して、どのような措置が適切であるか検討した。

 私も含めすべての委員が最も重要であると考えた点は、第4〜5章における説明責任の問題である。よって、ICP提言では説明責任をいかに確保すべきであるとしたのかを中心に解説していく。その前に、ICP提言では、どのような警察機構像を提示したのかを簡単に説明しておこう。 

Image: Wikimedia commons
2.バンサモロ地域警察の特徴

 まずは余談から。ICP内の議論は、各委員の立場の違いから紛糾することがよくあった。その最も象徴的な一例は、新警察の名称を決める際に現れた。最終草案において、ICPは新警察の名称をバンサモロ地域警察(Bangsamoro Regional Police)と記していた。しかし、ICPの最終委員会において、108の提案項目すべてに合意が形成されるかに見えたその瞬間、鬼門が現れた。ICPのフィリピン政府代表とMILF代表は、名称から「地域(Regional)」を取り外すべきか否かで二つに割れた。現行憲法に照らし合わせ新警察がフィリピン国家警察の一部であることを強調するのであれば、「地域」を付すべきであり、現行制度との違いを明確にするという枠組み合意の方針に則れば、「地域」を外すべきである。ICPが提案する新警察は明らかに国家警察機構の一部であり、同時に提言に盛り込まれた改革案の多くは現状維持を認めるものではないことは明らかであった。結局、最終的に合意に至らず、ICPとしては新警察の呼称としてバンサモロ地域警察を提言するが、その提言はICP委員の総意ではない旨の但し書きを付すことになった。本稿では、提言書にならいバンサモロ地域警察と呼ぶ。

 バンサモロ地域警察の特徴は、地域に根ざした警察活動と社会秩序維持(公安)機能を重視している点だ。また、人権とシャリア(イスラム)法に対する配慮と理解の必要性もあわせて唱えている。バンサモロ地域警察は、正常化の取り組みの中核に位置づけられている。すなわち、バンサモロ地域警察には、武器を置いたMILFのバンサモロ・イスラム軍(Bangsamoro Islamic Armed Forces: BIAF)の兵士らが包摂される。この前提、つまり元兵士の受け皿としての警察という観点も忘れることなく提言を検討した。この点は、警察機構を二本立てとした点に反映されている。

 つまり、国家警察の基準を満たすことができる「警察官」(法執行担当)と別の基準で採用される「コミュニティ保安官(Community Safety Officer)」(秩序維持担当)を併設することを提言した。長期にわたり武力闘争に関わってきたBIAF兵士は、例えば大卒といった警察官の任用基準を満たすことが難しい。かといってBIAF兵士たちの尽力に報いる措置をとらず、不遇な晩年を送らせることは、千里の野に虎を放つようなものである。そこで、コミュニティ保安官を設置して、これをBIAF兵士らの受け皿とすることを考えた。さらに、第8章(91項)で提案した架橋的訓練プログラムを通じて、能力向上や資格獲得の機会を提供し、BIAF兵士らが警察官へ任官される道も残している。

 なお、コミュニティ保安官の制度は、基準を満たせない現役警察官の受け皿にすることもできる。手厚い「再教育」プログラムへの参加を適性検査から漏れた現役警察官にも認め、本人の努力次第では正規の警察官への「復帰」の道も閉ざさぬようにしたらよい。そして、BIAF兵士に対する架橋的訓練や現役警察官の「再教育」プログラムに対して、日本は平和構築の観点から支援を傾注して欲しい。喫緊の課題として、フィリピン国家警察官のなかから架橋的訓練・再教育プログラムを担当する師範(Master Trainer)を選抜育成することをICPは提案している。日本のフィリピン支援の一環として取り組まれてきた、国家警察の能力強化支援の延長線上に師範育成を位置づけられないだろうか。 

3.バンサモロ地域公安委員会を通じた説明責任の確保

 バンサモロ地域警察は、現行の警察機構を反面教師としている。地域住民への聞き取り調査の結果、住民は現行警察を信頼していないことが分かった。現行警察はなぜ住民の信頼を勝ち得ていないのか。ICPでは、その理由を探り、現行警察の住民に対する説明責任が欠落していることが最大の課題であるとの結論に至った。新警察は地域住民から信頼される機能的で中立的な警察でなくてはならない。地方政治家による不当な介入が警察の中立性を確保する上での深刻な障害となるという理解に基づき、警察と政治家の非合法の関係を断つ切り札としてバンサモロ地域公安委員会(Bangsamoro Regional Police Board: BRPB)の創設を提案した。同公安委員会がバンサモロ地域警察を監督し、警察の住民に対する説明責任を担保する。提言書では実に28項目を割いて同公安委員会の規定を細かく定めている。

 この提言が実行に移されれば、癒着の温床となっていた市長等の行政区長が持つ警察官の任命権に対し、メスを入れることになる。提言では、バンサモロ地域警察本部長(Regional Director)および副本部長(Deputy Regional Director)、州警察本部長(Provincial Director)、警察署長(Chief of Police)の任命権は、バンサモロ地域公安委員会が持ち、これら警察組織の要職に就いた者がバンサモロ地域警察官の任命権や配属権を持つとした。

 また、警察官が特定の政治家の私兵と化すことを防ぐために、バンサモロ地域公安委員会には、日々の警察活動への介入を認めていない。ゆえに、この提言が抵抗勢力の反発を最も招きかねない。既得権益を握る政治家の介入によってバンサモロ地域公安委員会が骨抜きにされてしまった場合、バンサモロ地域警察は住民の信頼を勝ち得ることは難しくなってしまうだろう。

 ここで地域住民の信頼の観点から、ICP提言書には含まれていない問題を提起したい。MILFは住民の信頼を勝ち得ていると主張する。特に警察が機能不全に陥っているなか、地域住民に対して秩序維持を提供してきたのは、曲がりなりにもMILFである。だとすれば、すでに住民の信頼を得ている人々に、バンサモロ地域警察の中核を担ってもらうことが、バンサモロ地域警察が機能的で中立的な警察になる近道になるだろう。

 もちろん、先進国が想定する現代的な警察の基準を満たしていないかもしれない。また、治安部門改革の定石である警察官と軍隊を明確に分ける思想、あるいは有能な兵士が必ずしも警察官に必要な素養を身につけているとは限らないという考え方に反する動きでもある。しかし、腐敗した警察を刷新し、新しいイメージを住民が抱くためには、すでに信頼を勝ち得ている人々が警察官を担うほうが得策なのかもしれない。

おわりに

 今回、ICPの活動を通じて、バンサモロの住民の声を聞く機会を得た。その多くは、地域のリーダー、知識人、経営者あるいはBIAFの司令官たちであった。必ずしも草の根の人々の声ではないかもしれない。私は当初、説明責任や人権といった我々外国人にとって心地よい響きのする、開明的な概念を提言の中心に据えることを躊躇していたが、彼らの主張に耳を傾けるうちに意見が変わった。彼らは警察に対して説明責任や人権擁護を本当に期待しているということが実感できたのだ。うわべだけの修辞句ではなく、心の底から信頼にたる警察組織が生まれることを待ちわびているのだと感じた。

 バンサモロ地域警察が、地域住民の期待に応えるためには、ICPが示した提言が確実に履行に移されることが必要だ。本来であればICPは108の提言項目の優先順位を提示すべきであった。だが、半年という限られた任期内に優先順位について協議し合意を得ることは叶わなかった。そのなかで、私のささやかな貢献としては、移行に関する第12章において、優先的に着手すべき提言を再録することを主張したことであろう。そのなかでもコミュニティ保安官制度の整備や師範育成に関する提言の実現に向けて、日本の惜しみない協力が求められている。(脱稿2014年7月2日)

YUJI UESUGI上杉勇司

(元独立警察委員会日本政府代表委員、早稲田大学教授)

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