ソリマンM. サントス・ジュニア
2013.04.15
  • フィリピン南部

ミンダナオ和平プロセスにおけるイスラム外交の役割

〔本稿は大阪大学大学院国際公共政策研究科ならびに笹川平和財団による雑誌『P’s Pod』に寄せた英文原稿を要約したものである。原文〕

 本稿は、南部フィリピンのイスラム教徒ミンダナオ地区における「バンサモロ問題を解決する」ためのフィリピン政府(比政府)とモロ・イスラム解放戦線(Moro Islamic Liberation Front: MILF)との和平交渉において、ムスリム組織、とりわけマレーシアおよびイスラム協力機構(Organization of Islamic Cooperation: OIC)の果たす仲裁あるいは円滑化の役割について論じたものである。比政府とモロ民族解放戦線(Moro National Liberation Front: MNLF)による1996年の最終和平協定(1996 Final Peace Agreement: FPA)の実施も含めた、より広義のミンダナオ和平プロセスにおいてもOICによる仲裁があり、現在重大な局面にあるMILFとの和平交渉との間に相関関係が浮上してきている。ここではムスリム組織の役割に絞って論じるが、ミンダナオ和平プロセスにおいてはより広範なイスラム外交が停戦監視や人道的支援、復興事業、社会経済開発に貢献していることを見失ってはならない。また、本稿では現アキノ政権下の、比較的最近の2010〜2013年の期間を中心に論じる。

比政府・MILF和平交渉における仲裁役であるムスリム組織のうち、本稿で取り上げるのは以下の通りである。第三者ファシリテーターとしてのマレーシア;現在はオブザーバーの立場にあるOIC;国際コンタクトグループ(International Contact Group: ICG)のメンバーとしてのサウジアラビア、トルコ、およびインドネシアに拠点を置くNGOムハマディア(Muhammadiyah);MNLFおよびMILFとの和平交渉において、従来からいくつかの役割を果たしてきたリビアとインドネシア(インドネシアは主にMNLF との和平交渉においてのみその役割を果たした)。我々は交渉や仲介の当事者ではないので、こうしたムスリム組織の役割に関して限られた見解しか持ち得ないが、幸いにもそうした交渉プロセス内部に、その正体は明かすことはできないものの、いくつかの特別な情報源を持っている。その他の情報は、当事者が公式に発表した文書や、優れたメディア報道、特にオンライン・ニュースサイトMindaNewsのキャロリンO. アギラスによる記事などある。これらのムスリム組織の仲裁役としての活躍と影響力を踏まえた上で、最後に和平プロセスの状況認識を踏まえた提案を述べたいと思う。

比政府・MILF和平交渉におけるムスリム組織は、より広範にわたる多数の国々による関与のほんの一部に過ぎない。これははっきりと認識しておくべきことである。関与している諸外国の数は、フィリピンにおける過去の和平交渉の中でももっとも多く、今後も増え続けるかもしれない。国際社会の関与は、アメリカ合衆国、国連、世界銀行、赤十字国際委員会(International Committee of the Red Cross: ICRC)その他の国際団体 1 などにより、さまざまなタイミングとレベルで行われてきた。また、「国家と国際NGOが協力しあう世界発のハイブリッドな仲介サポート組織」とされるICGには英国、日本、アジア財団、人道対話センター(Centre for Humanitarian Dialogue: HDC)およびコンシリエーション・リソーシーズ(Conciliation Resources: C-R)が参加している。国際監視団(International Monitoring Team: IMT)には、団長であり主にスタッフを提供しているマレーシアの他に、ブルネイ(ムスリム国家)、ノルウェーおよびEUがいる。これらすべてが「複雑さを増す和平支援構造」 2の一部であり、さらにそれぞれが各地に構成組織を持っている。紛争の仲裁の国際化は、紛争自体の国際化よりもはるかに進んでいる。

イスラム外交

本稿において「イスラム外交」とは、ミンダナオ和平プロセスにおけるムスリム組織による仲裁的役割を指す。OICによる、1972年以来続いている比政府とMNLFの紛争の仲裁は、イスラム外交の原理の文脈に当てはめることができる 3。キヤサ(kiyasa、イスラム外交)およびスィファラ(sifarah、平和的解決)は、いすれもイスラム教の国際関係論、国際法であるスィヤル(siyar)の一部である。スィヤルの解釈は、古典主義的イスラム教の対外関係の枠組みであるジハード(しばしば「聖戦」と訳されて誤解されている)から徐々に離れつつあるが、OICはすでに別のスィヤルの現代的解釈と、平行して比政府・MNLF紛争の仲裁には国連型の平和的解決手段を採用している 4

 インドネシアが1993年に、いわゆる「南部フィリピンにおけるムスリムに係る紛争問題」に関する交渉を仲介するようになったのは、1992年から行われていた、第3回目の比政府・MNLF 和平交渉の最中である。インドネシアの外交はイスラム的ではなくむしろアジア的、より厳密に言えば東南アジア諸国連合(ASEAN)指向の外交である。当時の駐比インドネシア大使は、ムスリム的アプローチについて述べたとき、「ムスリム的な部分だけでなく、アプローチが大切である」と強調し、インドネシアのアプローチは「サウジやリビアによるアプローチとは異なる」 5 とした。フィデル・V・ラモス元フィリピン大統領がその著書で、この第3ラウンドの交渉について言及している中で、「ムシャワラ(Musjawarah、協議)とムファカット(Mufakat、合意)については、ASEAN的アプローチがもっとも生産的であることが実証された」 6 としている。

 また、「イスラム外交」という表現には、武力闘争と和平交渉という闘いの形態に加えて、MNLFとMILFが関与している闘いの形態を意味することがある。それは武力闘争または和平交渉、あるいはその両方ために政治的、物質的支援を集めるために、OICとイスラム諸国や諸団体との国際的な連帯への取り組みを指している。MNLFにとっては、OICを舞台としたそれが主たる闘いの形態であった時期もあった。それは、OICがMNLFを和平交渉に引き入れたからである。MILFについてはそうした経緯は一度もなく、1997年以来、和平交渉こそが闘いの主たる形態であった。ただし、彼らが武力闘争に必要な軍事力を十分に備えていたことも挙げられる。MILFが国際外交に引き入れられたのは、2001年に和平交渉を通してであり、それもOICではなく近隣のムスリム国、マレーシアによってである。

マレーシア

マレーシアは比政府・MNLF 和平交渉の第三者ファシリテーターであり、国際的関与としてはもっとも重要な立場である。ホストとしての役割の他に、マレーシアのファシリテーション活動には以下の機能がある:当事者間の仲介役を務めること; 〔気持ちが〕伝わりやすい環境、開催地、施設を提供すること;「レフリー」として交渉に同席し、公約や合意事項に立ち会うこと; 当事者間を行き来して、意見の相違を調整すること;会談を 管理すること;実際に合意された内容の詳細を含めた議事録を作成すること。当事者の交渉団や、ICGなどの近しいオブザーバーなどによれば、マレーシアはこの12年間、この役割を大筋において効果的かつ効率的に首尾よく果たしてきたと言う。主要な当事者たちがマレー系の文化と気質を共通していたことが、マレーシアによるファシリテーションを順調に進めた要因であることは間違いないが、その安定した役割は乱高下するミンダナオ和平プロセスにおいて唯一、揺るがないものといえる。 7

 2012年10月に締結された「バンサモロに関する合意の枠組み(Framework Agreement on the Bangsamoro: FAB)、以下「FAB」は、調印式にフィリピンのベニグノ・アキノ3世大統領とマレーシアのナジブ・ラザク首相の両名も臨席し、画期的な新生面を開くこととなった。その成功の立役者として、一連の交渉におけるマレーシアのファシリテーターとしての立場は確固たるものとなった。しかし、アキノ政権発足後の数ヶ月(厳密に言うと、それに先立つアロヨ政権末期の数年間に始まる)の間、比政府は当時のマレーシア人ファシリテーターであったオスマン・アブド・ラザク(Datuk Othman Bin Abd Razak)がMILFの肩を持っていると見なし、不快感を表明していた。この問題で交渉が行き詰まっている間、比政府の一部とフィリピン人のオピニオンメーカーらの間で、マレーシア自体をすげ替えて、より「誠実な仲介役」としてインドネシア推す動きがあった。

 この問題は、2011年4月に行われた第21回公式予備的協議に先立ち、オスマンに代わる新たなマレーシア人ファシリテーターとしてアブ・ガファル・モハメド(Tengku Dato Ab Ghafar bin Tengku Mohamed)を就任させたことで解決を見た。(比政府でない)関係筋によれば、問題の本質は比政府にとってオスマンとアブ・ガファルのどちらが好ましいかということではなく、プロセスを前進させるためにMILFが断固主張した、マレーシアのような第三者ファシリテーターの必要性を比政府が受け入れるかどうかであったと言う。この点において、マレーシアは「誠実な仲介役」であることを自ら証明し、比政府も態度を変えた。しかし、マレーシア側ファシリテーション・チームは首相が所轄する調査部から派遣されており、実情はその中の諜報部であったことから、このこともアキノ大統領下の比政府和平交渉団を当初悩ませていた。ファシリテーションは外務省が扱うべきだと考えていたからである。しかし、現在の比政府交渉団はこの疑念を払拭し、受け入れることを学んだ。

 めずらしくマレーシアのメディアの取材を受けたアブ・ガファル・モハメドは、「完璧な折衝役、冷静、柔らかな語り口、目立たないよう後方に控えている。慎重であることこそ、和平交渉を成功させるカギだと示しているようだ」と表された。彼は、ファシリテーションと交渉について、以下の洞察を述べた。 8    

「我々がしたことは原則に合意することで、詳細は彼らが話し合います。原則を提示したら、話し合いには関与しません。私は彼らのために話し合いの道筋を開いてあげました。また、彼らの気持ちをほぐす必要がありました。みんなでソファに座って、コーヒーを飲みながらおしゃべりをするだけの時もありました。その3時間のセッションでは、ざっと要点に触れるだけにしました。メモすら取りませんでした。親近感を持つことが目的でもあったのです…いいえ、最後通告を突きつけたことはありません。比政府にもMILFにもそれぞれの立場があり、私にも私の立場がありました。だれも『ああしろ、こうしろ』などと言えません。交渉には多くの妥協と理解が必要です。私は問題解決者の役割を演じたのです。」

「大切なのは辛抱強さ、持久力、そして話を聞こうとする姿勢です。重要なことを成し遂げようとしていました。ボディランゲージやニュアンスを理解することが重要でしたし、いちばん大変だったのは、連邦制のような体制から来ている私たちは大統領制とその組織や専門用語を理解しなければならないことでした。」

2011年4月から2012年4月までずっと、彼らの気持ちをくつろがせて、比政府とMILFそれぞれの交渉者の信頼を得られるよう常に努力していました。彼らの信頼を勝ち取ること、それが重要でした。」 

「私自身、交渉について公に発言することができないので、話をしないようにしていました。両者の感情を乱すわけにはいきません。継続中の交渉の最中にファシリテーターが話すのは不適切です。だからメディアとも極力話をしなかったのです。」

「これは、バンサモロの強い願望によって押し進められてきました。昨年交渉を始めたとき、両者はアプローチを変えてきました。人々との間の約束、相談、意見の提唱、意見の一致が増えました。みんなが関わりを持ち、その一体感がプロセスを強いものにしていきました。要するに、一つのバスケットの中にすべてをアレンジするような作業だったのです。」

マレーシアの役割は現実にはファシリテーションから仲裁に近い形に変わっていった、とする見方が大勢である。すなわち、解決策を考案し促進すること、当事者間の緊張を和らげること、交渉が進みやすい雰囲気を作ること、有効な情報伝達路となること、当事者らにさまざまな提案をすることなどである。 9

2012年10月15日にフィリピン大統領官邸で開かれた調印記念式で、マレーシアのナジブ首相はスピーチの中で、マレーシアはフィリピンの和平に向けてのパートナーとして支援を行う準備があり、「フィリピン国民の皆さん、この協定を成功させるために、私たちは 皆さんを支持します…この協定が新たな穏健時代の幕開けとなることを願っています」と述べた。フィリピンとマレーシア両国による共同声明には、ナジブ首相の訪問が二国間関係において「重大なマイルストーン」であり、「両国間のより深くて固い結びつきが新たな段階に入ったことを告げるもの」であると記されている。 

ところが、FAB後、2013年上四半期までにマレーシアによる第三者ファシリテーターとしての役割について二つの問題が浮上してきている。まず、FABとマレーシアの役割に対して早くからもっとも強く反対を表明したのが、MNLF議長ヌル・ミスアリだということである。彼はOICの仲介による1976年のトリポリ協定と1996年の比政府とMNLFによる最終和平協定を署名した張本人である。これらの協定で、すでにイスラム教徒ミンダナオ自治区(Autonomous Region in Muslim Mindanao: ARMM)について定められているが、アキノ大統領はこれを「失敗に終わった実験」とし、このFABによってバンサモロと呼ばれる新たな自治政府に引き継ぐと宣言した。

次に、いわゆる「サバ州問題」の再燃である。キラム家率いるスールー王国の末裔の「王国軍」の武装集団が、サバ州にある小さな村を占拠したことに端を発した対峙と武装対立が原因である。フィリピン、マレーシア両国の関係への影響が懸念される一方、比政府・MILF和平交渉において、仲介役としてのマレーシアに対する疑念が再浮上し、現在マレーシアはサルタンの、ひいてはフィリピンの「サバに対する主張」を無視したとして非難されている。FABへのミスアリの反対と、スールー列島の部族と連帯している政治家らの和平プロセスへの懐疑的な態度 10とともに、「サバに対する主張」に関する展開は、特にMILFからは「平和を阻止する者たち」の問題の一端と見なされている。これらはFAB(及びその後に続くと期待される「包括合意」)の持続性について疑問を投げかける。そバンサモロの有権者が大きく分かれるからだ。「西部戦線は異状なし」というわけには必ずしもいかないようだ。

イスラム社会の協力を取り付ける

このようなバンサモロの分裂、特にMILFとミスアリ率いるMNLFとの分断を背景として考えると、比政府とMILFの和平交渉におけるOICの比較的小さい「オブザーバー」という役割が注記に値してくる。2012年3月21日に閉会した第26回の予備的協議において、当事者たちは「オブザーバーとして同席する」というOIC事務局の要請を承認した。このことは、MILFとミスアリ率いるMNLFとの仲介、ひいてはそれぞれが比政府と結んでいる和平合意の仲介を行う影響力を持っているのはOICだけであるという観点から、重要性が帯びてくる。ミンダナオ研究の歴史学者で元比政府側和平交渉人であったルディ・ロディル教授は、OICは「MNLFとMILFの間の橋渡し役として最適」 11であるとコメントした。この点においては、OICはかねてよりMILFよりもMNLFをよく掌握しており、一方でMILFよりもMNLFのほうがOIC、特に肝心な事務局に対して大きな影響力を持っていることはよく知られている。現在、これまでにないほど「バンサモロの統一を達成し永続的な平和を確保するための新しい闘争〔または目標〕がモロの革命グループの間に生まれてきた」 12。これがモロ前線における実行可能、存続可能な包括的和平合意を目指す上で大きな責務となりつつあり、もしOICがMNLF・MILFの結束(合併ではなく)だけでも達成できれば、それは甚大な貢献になるだろう。

比政府・MILF和平交渉においてオブザーバー権限を与えられたのは、OIC本体でも、比政府・MNLF和平プロセスを担当しているOICの「南部フィラリピンのための平和委員会」(Peace Committee for Southern Philippines: PCSP)でもなく、OIC事務局であることも着目すべきである。このオブザーバー権限の隠された重要性は、「南部フィリピンにおけるムスリム問題」に関するOICの視野を広げられることと、MNLFとMILFのどちらのほうがバンサモロの人々を正当に代表することができるについての見識を得られることだ。また、OICが和平協定達成に向け多数介在する国際的な保証人らの中で、さらに大きな影響力を入手できることもある。       

ところが、OIC-OSGが比政府・MILF和平交渉にオブザーバーとして参入して以来、2012年4月から2013年2月までの間にクアラランプールで開かれた10回の予備的協議のうち、出席したのはわずか1回だけである。情報筋によると、これらの協議に定期的に参加するための人材が不足しているらしい。

画期的なFAB以降これまでのところ、OICはFABを1996年最終和平協定とつなげる、または調和させることを主な活動としている。これに対するMILFの反応は一様ではない。MILFは、FABまたはその後の「包括合意」によって、1996年最終和平協定もまとめ併せて完全に実施できるとする一方で、それぞれの枠組みは相容れないので、できないだろうとも言っている。

OICの発言は、和平交渉のオブザーバーとしてではなく、年1回のOIC外相級会議の中の「南部フィリピンにおけるムスリム問題」の決議を通じて聞かれたものである。去る2012年11月(FAB後)にジブチで開催された第39回外相級会議において採択された最新の決議No. 2/39-MMは、本件に関するOICの最新の会談内容が示されていて特に有益である。中にはかなりMNLF寄りに歪められた見解もあり、詳しく引用する価値がある。第1項から第4項は、OICが1996年最終和平協定に対して今でも重きを置いていることを示している。最終和平協定はOICの「子供」だから、これは理解できる。次の第5項では、比政府がMNLFに対して特定の柔軟な譲歩をするよう、強く要請している。比政府に対して「MNLFが要請している新たな国民投票の実施を主導する」ことなども含む、最終和平協定の運用と自治区域の拡大に関するMNLFの要請に関連したものばかりである。

5.未解決になっている大きな難題、すなわち自治区域の面積、移行の方法または移行期間の調整および戦略鉱物の共通定義等が進展するよう柔軟に対応するよう、また人々に自治区域に加入する意志があるかどうかを問うために、中立的な監督の下でMNLFが要請している新たな国民投票の実施を主導するよう比政府に要求する(下線は著者による)。

第6項では、組織的な調整を行うべきとのOICの提案をMILFが受け入れたことが記されていることが興味深い。MNLFはまだこれを受け入れていない。

6.バンサモロの人々のために平和と発展を実現するために協同して調整と活動を続けるためのMNLF・MILF両首脳による第2回調整会議を2011年12月に開催したことに対する事務局の努力を讃え、提案されているバンサモロ・コーディネーションフォーラム(Bangsamoro Coordination Forum: BCF)構築に向けての対話の継続を求め、次のセッションで進捗報告を提示するよう事務局長に要請する。MILF・MNLF間の組織的かつ秩序ある調整を可能にするための提案をMILFが受け入れたことを賞賛し、MNLFには早急に提案を受け入れるよう強く要請する(下線は著者による)。

BCFは、MNLFとMILFを結束させる仕組みを模索するさまざまな試みにおける、最新のものに過ぎない。比政府とMILFの交渉初期段階では、比政府側の一部は、MNLF・MILF結束の取り組みを「実際には平行線の交渉」 13であると見ていた。最新のOIC外相級会議決議において第7項ではじめてFABが取り上げられ、過去の和平協定と同じ運命を辿らないよう希望を表明するとしている。

7.2012年10月15日の比政府とMILFの間のFABの締結を歓迎するとともに、それが誠意をもって実行され、MILFとの間で締結されたもののフィリピンの憲法裁判所の命令によって施行されなかった覚書や、MNLFとの間で締結されたが今もって完全に施行されないままの1976年および1996年の和平協定などのように、撤回された前身の協定とは異なる運命を辿ることに対する希望を表明するものとする(下線あり)。

第8項は、比政府・MILF和平交渉における「第三者ファシリテーターとしてのマレーシア政府の役割を賞賛」し、FABの調印式に、とりわけOICイフサンオール事務局長が参列したことを述べている。第9項と10項は多くを物語っている。FABを、1996年最終和平協定と、1976年トリポリ協定との関係において正しく位置づけようと努力している。

9.FABを1976年和平協定と結びつけて、この協定で定め1996年最終和平協定で再確認した自治区域の領域に従うことで、向上させることをすべての当事者に呼びかける。
 

10.比政府・MILF間のFABの結果起こりえる衝突を阻止し、1996年最終和平協定を残してFABに連結させ、MNLF・MILF・比政府の間でこれら2つの協定、すなわちMILFとの合意とMNLFとの協定の実施を監督するような仕組みを開発するようために、早期に改めて3者会談を開催するよう事務局長に要請する。

OICはFABを1996年最終和平協定(「残して」おかなければならないもの)と、1976年トリポリ協定よりも劣るとし、これらの協定に従って「向上させる」必要があると捉えているようである。OICが仲介した和平協定を優位とする根拠は、「定められている自治区の領域」が、FABでは核となる地域が5州3都市6自治体であるのに対して、14州9都市としている点である。しかし、この「14州9都市」はミスアリの夢物語である。なぜならば、その大部分がすでにキリスト教徒が大多数を占める地域で、幾度にわたる住民投票で一貫してムスリム自治区への加入に反対票を投じ続けている。その点でFABの方が現実的である。既存のイスラム教徒ミンダナオ自治区の統治下ではないが、近接するムスリムが多数派を占める地域だけの包含を目指しているからである。MNLFとOICが「14州9都市」にこだわり過ぎていることで、権力や富の共有という自治区の本質的な部分に影を投げかけている。この点では、FABとその後の包括合意の方に「向上する」余地が明らかにある。

FABの方が1996年最終和平協定よりも良い自治区を提供できそうであり、「比政府・MILF間のFABの結果起こりえる衝突を阻止し」、なおかつバンサモロの人々にとって良いにもかかわらず、OICが「1996年最終和平協定を残す」ことを目指しているというのはやや奇妙なことである。一方で、OICが要求している「MNLF・MILF・比政府の間でこれら2つの協定の…実施を監督するような仕組みを開発する」ことは、2つつの協定だけでなく2つのモロ解放戦線を意図的に関連づけるために、近い将来必要となるかもしれない。しかし、マレーシアに対するMNLFの敵意を考えると、MNLF・MILF間の軸とMNLF・MILF・比政府間の軸を仲裁できるのは、事実上OICをおいて他にいない。懸念すべきはMILFの半公式の見解で、OICが提案しているMNLF・MILF・比政府の機構は、「バンサモロに関する合意の枠組みによって得られたものをかえって込み入らせる不必要な機構」 14であるとしている。これにはMILFの前衛主義、あるいは排他的の底意が含まれており、統一された平和なバンサモロ選挙区の構築にとっては逆効果でしかない。

最後に、第11項は、ジブチ決議に関してMILFが強調しているしているものである。

11.2つの解放戦線の間の調整を円滑に進めるために、モロ・イスラム解放戦線(MILF)の代表者に対して、ホスト国と調整を行いながら閣僚級会議にゲストとしての参加を呼びかけることを事務局長に要請する(下線は著者による)。

MILFのウェブサイトLuwaranに「思い起こせば、これまでMILFが受けたOICの会議への出席の招待はすべて、MNLF代表団の一員としてであり、OICの中では『オブザーバーの立場』であった。しかし、この新しい立場によって、MILFはMNLFとは別に招待を受けることができる」 15(下線は著者)とある。MILFがMNLF代表団の一員として初めてこの種の会議に出席したのは、2000年にクアラランプールで開催されたOICの第27回外相級会議であり、比政府が初めてゲストとして出席したのもこの会議であった 16。したがってMILFは、2000年以来(特に比政府から仕掛けられた「全面戦争」の後で)OICの中で、(特に2012年FABの後)長い道のりを辿り大きな成長を遂げたのである。

その他のムスリム組織

マレーシアと OICという主力選手に次いで、補欠選手や脇役キャストが存在する。サウジアラビア、トルコ、ICGの一員としてインドネシアのNGOムハマディア、そしてリビアとインドネシアである。ICGに与えられた機能は「既存のファシリテーション機構および和平プロセスの構造を補完するもの」であり、以下を含む。

1.ファシリテーターの同意を得て当事者により招待があったとき、直接交渉に出席し、経過を見守ること。

2.当事者やファシリテーターと協力して、控えめを旨として、訪問を行い、意見を交換し、助言を行うこと。

3.  当事者を支援するために、具体的な問題に関して著名な専門家、リソースパーソンやグループの支援を探しだすこと。

4.重要な問題を合意されたアジェンダに従って解決することを支援するため、当事者からの要請を受けてさまざまなレベルで会合を行うこと。 17

上記のすべてがすでに行われており、ICGは一連の交渉において大いに役立っている。当然ながら、ICGのメンバーの参加と貢献の程度には差がある。また、本稿の情報は、然るべき情報筋から得たものであるが、限りがある。

サウジアラビア:サウジアラビアの参加は非常に限定的で、象徴的といえる。在マニラの使節団はICGの会議に一度も参加したことがなく、在クアラランプールの使節団は時々和平会議に代表を送っても、ほんの短時間、数時間出席するだけである。

トルコ:在マニラのトルコの使節団は人材不足だが、何度かICGの会議には出席している。在クアラランプールの使節団はほとんどすべての和平会議に代表を送っており、時には3〜5日間に及ぶ全日程滞在することもある。2013年2月にカイロで開かれたOICの第12回イスラム・サミット会議の閣僚級準備会談では、トルコのアフメット・ダーヴトオール外務大臣がFABを歓迎し、マレーシアの功績を讃え、未決となっているフィリピンからのオブザーバー申請を支持した。 

ムハマディア:ムハマディアは、「イスラム勢力としてのムハマディアの使命とアイデンティティと合致している」 18としてICGへの参加要請を受け入れた。ICGの一員として非常に熱心に取り組んでおり、一度として和平会議を欠席したことはない。ンダナオ和平プロセスに対する社会意識の向上と政治的な支持の獲得のために、インドネシアにおいて多数の活動を展開してきた。インドネシアで開催された平和イベントにMILF、比政府、ICGを招待し、MILFとMNLFの橋渡し役も何度か務めている。人間開発の分野における専門知識を活かしてどのように貢献するのが一番適切かを検証するために、ミンダナオへの視察訪問も行っている。国際協力を行う正式なマンデートがないことが最大の足かせになっており、そのために人的、資金的に限界がある。      

リビア:リビアは、かつては比政府・MILF和平交渉の第三者ファシリテーター(マレーシア)の補佐役のような立場にあったが、2011年10月のカダフィ政権崩壊とともにすべてが止まってしまった。リビアが会議に戻るという噂もあるが、かつての役割は取り戻せそうにない。リビアの役割すなわちガダフィとさえいえるほどに、これまでは彼の個人的なプロジェクトとして位置づけられていた。今のリビアには他に優先すべき事項があり、またその役割を果たすのにもふさわしくない。いずれにせよ、今後はあまりファシリテーションの必要もないかもしれない。

インドネシア:インドネシアは比政府・MILF和平交渉での存在感を高めようとしてきたが、比政府・MNLF和平プロセスと、別名「ジャカルタ協定」としても知られる1996年最終和平協定での役割が妨げとなっているとする見方もある。インドネシアのスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領は、2011年にアキノ大統領が公式訪問した際に、比政府・MILF 間の停戦を監視する国際監視団に参加する意向を表明した。インドネシアの意図は「アチェにおけるフィリピンによる平和維持支援に報いること」であるが、まだ比政府に対して公式な提案を行っていない 19。インドネシアがOICのPCPSの議長国であることを考えると、もっと重要な役割を担う可能性はある。PCPSの構成メンバーではあと少なくとも5カ国が、程度の差はあるが、比政府・MILF和平交渉に関わっている。PCPSに参加した年代順にサウジアラビア(PCPS副議長)、リビア、マレーシア、ブルネイそしてトルコである 20

ASEAN:ムスリム組織ではないがASEANという要因についても触れておく必要がある。ASEAN加盟国10カ国中、イスラム教の国は3カ国だけである。ブルネイ、インドネシア、マレーシアおよびフィリピンで構成される東ASEANブロック(頭文字を取ってBIMP、うち3カ国がイスラム教の国)がミンダナオ和平の等式を構成しているのは興味深い。あるアナリストによれば、ASEANにとってのFABの意味合いは:「FABの調印により、経済学者らは東ASEAN成長地域(BIMPと一致する)は更なる社会経済的協力を得ようと一層努力するであろうと予測している。マニラ政府とMILFは今後パートナーとして、フィリピン国民のためだけでなくASEAN地域のために契約を履行していくことができるという新たな段階を示唆している。」 21

クアラランプールで開催された、きわめて重要な1974年の第5回外相級会議の場で、リビアとパキスタンが非加盟国におけるイスラム少数派を代表してOICの介入を提唱したことを受けて、比政府に対しMNLFとの交渉を求めることとの均衡を図るために「フィリピンの国家主権と領土の保全に関する枠組み」を強く要求したのはインドネシアとマレーシアであった 22。インドネシアとマレーシアは新生ASEANを通じて自身の地域的な安定に対応し始めていた「東南アジアにおいて(アラブ諸国を含む)他国の干渉をなんとしても食い止めたいと思っていた」 23のであり、そのことはこの2つのイスラム教国家にとっては、OICよりやイスラム社会の団結よりもはるかに価値が高かったのである 24 。

 2011年にアスタナで開かれた第38回OIC外相級会議において、インドネシアのマルティM. ナタレガワ外務大臣は「インドネシアはOICに対して、フィリピンにオブザーバー権限を与えるよう、引き続き強く要求する。このことは、OICがイスラム教少数派を国民に持つ非加盟国とどのように関わり協力するかを示すからである」(下線は著者)と述べた。MILFのFABとMNLFの1996年最終和平協定に代表される、2本のレールをまとめていくために、将来何らかの形の比政府・MILF・MNLF機構が必要になった場合、マレーシアやOIC事務局よりもインドネシアの方が仲裁者として広く受け入れられるようになるかもしれない。2001年にマレーシアが第三者ファシリテーターとして比政府・MILF 和平交渉に参入する前は、もう少しでインドネシアがその役割を担うところであった。アブドゥルラフマン・ワヒド大統領が、面識のあったサラマト・ハシムMILF議長の同意を得て、大統領自身が仲裁すると申し出たのである。当時のジョセフ・エストラーダ大統領が、2000年にMILFに対して「全面戦争」を仕掛け 25、交渉を断ち切ったためにそれが阻止された。

 

いくつかの提言

予期せぬ状況にならない限り、比政府・MILF 和平交渉は非常に近い将来、付属文書を具体化した包括合意に至るであろう。これはFABによって示されたロードマップでいちばん簡単な作業かもしれない。次の大きなステップは、すでに顔ぶれも決まっている移行委員会(Transitional Committee; TC)によるバンサモロ基本法(Bangsamoro Basic Law; BBL)の起草である。しかし、TCに「MNLFメンバーはいない」。比政府およびMILFのいずれからの指名に対しても「MNLFはメンバーを推薦しないこととした」 26からである。これは大きな懸念事項であり、警鐘をならすべき事態である。なぜなら、BBLにおいてバンサモロのステークホルダーが敵対的に分断されていては、その実効性も存続もあり得ない。現状は、和平協定に基づいてバンサモロに新たな自治政府を設置するための有機的な法律の草案作りが進んでいる段階だが、(自治区の核となる領域の南西部の群島の半分を支持基盤に持つ)バンサモロの重要なステークホルダーであるMNLFは、これに参加していないばかりか、反対している状態だ。これはバンサモロの自治制の取り決めを法律として「定着させる」前に解決するべき事態である。ところが、FABと1996年最終和平協定の2本のレールを最終的にまとめていく作業については、FABのロードマップには明確に示されていない。MILFとMNLFの結束をリトマス試験とした、バンサモロの結束は、バンサモロの問題解決の一端としてではなく、それ自体が和平プロセスのゴールとして扱われてしかるべきである。 27

これは、2つの和平協定をまとめるということだけでなく、MILFとMNLFの関係を整理することにもつながる。新たに任命されたTCはこれに対応することはできない。MNLFが不在なだけでなく、仮にTCにMNLFの見解を理解している者がいても、そもそもこの取りまとめ作業はTCの仕事ではないからである。この取りまとめは、主に2つの和平協定をまとめる比政府・MILF・MNLFのメカニズムと、モロ内(「モロ・モロ間」)の関係をまとめるMNLF・MILF結束のメカニズムにしかできない。そして、どちらのメカニズムにおいても、恐らく必要となる仲裁はOICが担わなければならないようにみえる。マレーシアの仲裁はあり得ない。MNLFはマレーシアに対して反感を持っており、現在のサバ州の膠着状態でいっそう関係が悪化しているからである。ここで比政府、MILF、MNLFにもっとも受け入れられやすいように思われるOICメンバー(しかもそのPCPS議長国)仲裁者として、インドネシアが入ってくる余地がある。インドネシアは、MNLFの影響力がうかがわれるOIC事務局よりも広く受け入れられるであろう。OICはすでにBCFを提案しており、MILFはこれを承諾、MNLFはまだ未承諾である。この他に、2つのモロ解放戦線はOICの仲裁なしに、自分たちだけで対話と交渉を持つことができるはずである。また、MNLF・MILF結束に向けた、バンサモロ市民社会によるモロ内の取り組みも同様に重要である 28

2000年に、あるフィリピン人政治学者が「比政府、MNLF、MILFを含む新たな和平協定」につながる三つ巴の「比政府—MNLF・MILF和平プロセス」の必要性について書いている 29。また別のフィリピン系アメリカ人研究者が2004年に、バンサモロ独立に関する比政府・MNLF・MILF委員会を設立することで、委員会内部にMNLF・MILF作業グループを置き、既存のイスラム教徒ミンダナオ自治区を見直し、主にどのような変更が必要かを検討することを提案している 30。つまり、OICによる、2012年の「MNLF、MILFおよび比政府との間にメカニズムを構築して2つの協定の実施を監督する」という提案は新しいものではなかった。これに対するMILFが「非必要なメカニズム」と言ったことは、得たものとロードマップにある制限時間を考えると理解できる。だが、MNLF問題(とあえて言う)を解決しない限り、得たものも無に帰すかもしれないのも事実である。問題が大きくなる前に、移行の早いこの時期に対応した方がいい問題である。この緊急の課題にも独自のロードマップを作るべきであり、当然FABのロードマップと連動させるべきであり、作業進行中であっていい。バンサモロの自治のための組織や機構があるならば、バンサモロの結束のための組織や機構もあるべきである。 

イスラム外交というよりも、厳密に言えばOIC主導のムスリム組織仲裁者は、和平プロセスのために必要なバンサモロの結束の実現を支援するという重要な役割を持っている。だが、彼ら自身、得られる限りの助け(または後押し)を必要としている。とりわけ、日本や国際NGOといったICGの非ムスリム組織は、移行にあたってMILFとMNLFの結束問題を解決するというきわめて緊急性を要する課題に対して、どのような貢献ができるかを検討すべきである。イスラム外交もさることながら、この問題を解決できる通常の国際外交もあるのだ。比政府・MILF和平交渉の仲裁者および当事者たちは、より一層の外交努力をもって仲裁と交渉における平和の取り組みを強化させるべきである。

Notes:

[1]See Chapter 3 on “Multiple International Involvements” in Soliman M. Santos, Jr., Dynamics and Directions of the GRP-MILF Peace Negotiations (Davao City: Alternate Forum for Research in Mindanao, Inc., 2005) 86-108.

[2]Kristian Herbolzheimer and Emma Leslie, “Persevering for peace,” Philippine Daily Inquirer, October 10, 2012, p. A13.

[3]See esp. Julkipli M. Wadi, Islamic Diplomacy: A Case Study of the OIC and the Pacific Settlement of the Bangsamoro Question (1972-1992) (M.A. Islamic Studies thesis, Institute of Islamic Studies, University of the Philippines, 1993).

[4]See Chapter 3 on “Islamic Conference Mediation of the Philippines-Muslims Dispute” in Soliman M. Santos, Jr., The Moro Islamic Challenge: Constitutional Rethinking for the Mindanao Peace Process (Quezon City: University of the Philippines Press, 2001, 2nd Printing 2009) 55-93.

[5]Author’s interview with Amb. Abu Hartono, Indonesian Ambassador to the Philippines (Makati City, 22 December 1998).

[6]Fidel V. Ramos, Break Not The Peace: The Story of the GRP-MNLF Peace Negotiations 1992-1996 (Philippines: Friends of Steady Eddie, 1996).

[7]See Soliman M. Santos, Jr., Malaysia’s Role in the Peace Negotiations Between the Philippine Government and the Moro Islamic Liberation Front (Penang: Southeast Asian Conflict Studies Network, Peace and Conflict Research Report Number 2 , 2003).

[8]Farrah Naz Karim, “SUNDAY INTERVIEW: Quiet envoy helps seal peace deal,” New Straits Times (Kuala Lumpur), October 21, 2012.

[9]J.G. Merrills, International Dispute Settlement (Cambridge: Cambridge University Press, 2nd ed., 1993) 34-5, 41.

[10]See International Crisis Group, The Philippines: Local Politics in the Sulu Archipelago and the Peace Process, Asia Report No. 225, 15 May 2012.

[11]Carolyn O. Arguillas, “OIC to sit as observer in GPH-MILF peace talks,” MindaNews (www.mindanews.com), 22 March 2012.

[12]Ryan D. Rosauro, “New peace goal: Bangsamoro unity,” Philippine Daily Inquirer, January 13, 2013, p. A13.

[13]Author’s interview with Sec. Norberto B. Gonzales, Presidential Adviser on Special Concerns, Office of the President of the Philippines, on 6 June 2002 in Manila.

[14]“OIC to invite MILF as ‘guest’ in future meetings,” Luwaran (MILF website www.luwaran.com), November 21, 2012.

[15]Ibid.

[16]Carolyn O. Arguillas, “OIC to sit as observer in GPH-MILF peace talks,” MindaNews (www.mindanews.com), 22 March 2012; and Salah Jubair, The Long Road to Peace: Inside the GRP-MILF Peace Process (Cotabato City: Institute of Bangsamoro Studies, 2007) 34.

[17]Framework Agreement on the Formation of the International Contact Group for the GRP-MILF Peace Process, 15 September 2009, Kuala Lumpur, in Government Peace Negotiating Panel, Breakthrough: Critical Documents of the GRP-MILF Peace Talks (1997-2010) (Quezon City: Central Book Supply, Inc., 2010) 110.

[18]Prof. Dr. M. Din Syamsuddin, President of Muhammadiyah, letter of acceptance of invitation to the ICG, 30 November 2009, in GRP-MILF Peace Process: Compilation of Signed Agreements & other related Documents (1997-2010) (MILF Peace Panel and The Asia Foundation, 2010) 325.

[19]Bong C. Sarmiento, “Indonesia wants to join foreign truce monitors,” MindaNews (www.mindanews.com), 13 March 2011.

[20]Edd K. Usman, “Indonesia still peace panel chair,” Manila Bulletin, March 10, 2012.

[21]Ava Patricia C. Avila, “The Bangsamoro Framework Agreement: Implications for ASEAN,” RSIS Commentary No. 195/2012 dated 19 October 2012. RSIS is the S. Rajaratnam School of International Studies at Nanyang Technological University, Singapore.

[22]James P. Piscatori, International Relations of the Asian-Muslim States (1986) 9-10; and Nehemia Levtzion, International Islamic Solidarity and its Limitations (1979) 45-46.

[23]Levtzion 31.

[24]Aside from Piscatori 13 on the Malaysia-Indonesia-ASEAN factor in the GRP-MNLF-OIC equation, see also Michael Antolik, ASEAN and the Diplomacy of Accommodation (1990) 69-83.

[25]As noted in Datu Michael O. Mastura, Bangsamoro Quest: The Birth of the Moro Islamic Liberation Front (Penang: Southeast Asian Conflict Studies Network [SEACSN] and Research and Education for Peace [REP-USM], 2012) footnote 78, p. 175.

[26]See TJ Burgonio, “Bangsamoro transition panel formed,” Philippine Daily Inquirer, February 26, 2013, p. A2. There is, however, a TC member Fatmawati Salapuddin who is a MNLF member but does not represent it in the TC. Surprisingly, not even a representative from the MILF-friendly, Cotabato-based Sema faction of the MNLF was designated either by the GPH or the MILF for TC `membership.

[27]To draw from the title of the article of Ryan D. Rosauro, “New peace goal: Bangsamoro unity,” Philippine Daily Inquirer, January 13, 2013, p. A13.

[28]See e.g. Consortium of Bangsamoro Civil Society, “A Proposal to Enhance Bangsamoro Solidarity” (Adopted 26 April 2009 during the Bangsamoro Solidarity Summit and Validation Workshop, Hotel Camila, Pagadian City.

[29]Nathan Gilbert Quimpo, “Three-cornered Diplomatic Battle in Kuala Lumpur,” Philippine Daily Inquirer, June 25, 2000.

[30]Dr. Astrid S. Tuminez, “Ancestral Domain: Territory, Governance, Culture and the Quest for Bangsamoro Self-Determination” (Paper prepared for the Philippine Facilitation Project, U.S. Institute of Peace, Washington, D.C., November 2004).

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SOLIMAN M. SANTOS, JR.ソリマンM. サントス・ジュニア

ソリマンM. サントス・ジュニア(SOLIMAN M. SANTOS, JR.)、A.B. History cum laude (UP), LL.B. (UNC), LL.M. (Melb)、フィリピン国人権法および国際人権法弁護士であり法制コンサルタント・法学者、平和擁護者であり特にミンダナオ和平プロセスに関する研究・執筆を行っている。本稿に引用したものも含め著作多数。現在、マニラ南東のビコル地区カマリネススール州にあるナブア・バト第9巡回法廷の裁判長、およびバラタン市裁判所の裁判長代理を務めている。

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