Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第460号(2019.10.05発行)

海洋pH観測のセンサー開発と海洋酸性化研究への応用

[KEYWORDS]海洋現場計測/ハイブリッドpHセンサー/XPRIZE
(国研)海洋研究開発機構研究プラットフォーム運用開発部門技術研究員◆中野善之

水素イオン濃度指数(pH)は酸性、アルカリ性の性質を示す化学指標である。
海水の性質からそのpHを正確に測定することは難しい。筆者らは新しいコンセプトのpHセンサーを開発し、2013年から開催されたpHセンサーの国際コンペティションへ参加して3位に入賞した。
開発したpHセンサーは北極から南極まで海洋酸性化の研究推進に貢献中である。

Wendy Schmidt Ocean Health XPRIZEへの挑戦

図1 同じ条件で測定できるよう、決勝に参加した5チームのpHセンサーを搭載した採水器(HpHSは中央下部の赤枠内)。採水器は様々な深さの海水を採取することができ、その海水を精密に測定した値とセンサーの値を比較する。(写真提供:XPRIZE財団)

XPRIZE財団はコンペティション(以下、コンペ)を通じて技術革新を促し、世界共通の課題を解決しようとする米国で設立された非営利組織で、2019年には海底探査技術を競う「Shell Ocean Discovery XPRIZE」において日本財団が支援した「GEBCO-NF Alumni Team」が1位、日本から参加した「Team KUROSHIO」が2位を獲得し話題となった。このコンペに先立ち、XPRIZE財団は2013年よりpHセンサーの性能向上、センサーがより広く普及することによる海洋酸性化の研究推進を目指して、賞金総額200万ドルの海洋pHセンサーコンペ「Wendy Schmidt Ocean Health XPRIZE」を開催した。値の正確さと価格の低さや扱いやすさに与えられる2つの賞があり、それぞれ1位と2位にのみ75万ドルと25万ドルの賞金が与えられる。コンペはフェーズ1から4まで、それぞれの条件を上位でクリアしたセンサーのみが次のフェーズへ進むことができる勝ち抜き制となっている。
コンペには世界中の企業や大学から77チームがフェーズ1の書類審査にエントリーした。筆者らは後述するとおりハイブリッドpHセンサー(HpHS)を新たに開発し、チーム名も「HpHS」として2014年の6月から参加した。フェーズ1からフェーズ3までの競技、審査を行った結果、チーム「HpHS」は5チームのみにしぼられた決勝戦に相当するフェーズ4に進出した。フェーズ4の観測試験は2015年5月にハワイ沖で行われ、われわれのほか、イギリス、アメリカ、ノルウェーのチーム(海洋における大手のセンサーメーカーが複数含まれる)が水深0mから3,000mまでの鉛直観測を行った(図1)。
最終審査は観測試験での観測値の正確さ(審査側が定める標準値からの誤差の小ささ)、繰り返し性(複数回計測時の値のバラつきの少なさ)等に加え、フェーズ2、3で審査された長期安定性や扱いやすさを踏まえて総合的に行われ、「値の正確さ」部門(Accuracy Prize)において「HpHS」は3位を獲得した。

ハイブリッドpHセンサー(HpHS)開発の経緯

海洋における現場型のセンサーは1年以上外洋に係留されたり、水中グライダー等の無人機に搭載されたりして数カ月以上の観測を行うため、省電力、小型で高い安定性が求められる。次項で詳しく述べるpH測定法の中で比色法は精度が良く、長期的に安定している利点があるが、測定にはポンプやバルブを使用するため使用電力が増え、試薬も必要で取扱いが煩雑になるという欠点がある。一方、ガラス電極を用いる方法は応答が早く、手軽に測定できて消費電力が少ないという利点があるが、長期の観測では測定値が実際の値から離れていくドリフトという現象が起こる欠点がある。筆者らはWendy Schmidt Ocean Health XPRIZEへ参加するにあたり、これら既存のpHセンサーの欠点を克服するべく新たなpHセンサーを開発することとした。
筆者らは参加までの4カ月間で既存のガラス電極センサーと現場型比色pHセンサーを一体化させ、それぞれの欠点を補いながら長所を活かすHpHSを開発した(図2)。HpHSは普段は省電力なガラス電極法で高頻度に測定し、その測定値を数回~数十回に一度、正確で安定な比色法で現場補正することによって、消費電力を抑えながらも長期間、安定したpH測定を可能とした。

■図2 HpHS構成図

海水のpHと測定法

酸性とアルカリ性を表す水素イオン濃度指数(pH : potential hydrogen)は、一般にもよく知られた溶液の性質を示す化学指標である。pHとは簡単にいえば水素イオン濃度を示す値で、pHが7の中性よりも水素イオン濃度が高いほどpHの値が小さくなって酸性とされ、水素イオン濃度が低いほどpHの値が高くなってアルカリ性とされる。海水のpHは生物活動や物理化学的な平衡状態を支配する因子として重要であるが、近年はこの『Ocean Newsletter』でも何度か取り上げられた海洋酸性化問題に関連して、より注目されるようになってきた。
海水のpHは表面から海の底までで7.3~8.2と弱アルカリ性の狭い範囲内で変動するため、その変化を捉えるには少なくとも0.01より高い精度で正確に測定する必要がある。しかし、海水のpHを精度よく正確に測定することは難しく今まで様々な研究が積み重ねられてきた結果、現在ではガラス電極法、pH指示薬を用いた比色法、半導体電極を用いた方法が主に使われている。ガラス電極は最も一般的なpH測定方法で、海水を測定する際には電極に色々と工夫を加え、較正※1用のpH標準液は海水専用のものが用いられている。比色法はpHが変わると色が変わる溶液(pH指示薬)を少量海水に加え、その色の変化を機械を通して見ることで測定できる。半導体電極は主に医療用に水素イオン濃度を計測する目的で開発されたイオン感応性電界効果型トランジスタ(ISFET : Ion Sensitive Field Effect Transistor)をpH電極として用いている。これらの測定法は近年の技術革新によって現場型のpHセンサーとしても用いられるようになってきたが、上述したようにそれぞれ長所と短所が存在するのが現状である。

海洋酸性化研究へのセンサー適用、今後の展開

(国研)海洋研究開発機構では現在、西部北太平洋亜寒帯域の時系列観測点Station K2(北緯47度、東経160度)において海洋酸性化研究のための定点観測を実施しており、HpHSは2015年から毎年係留観測を実施して精度の高い高頻度のpHデータを得ることに成功している。2016年には海洋酸性化の進行が世界で最も早い可能性がある北極域でも1年間係留された他、2019年には南極底層水の生成過程解明を目指して南極沿岸に2台が1年間の予定で係留された。
筆者らはXPRIZEで他のチームより劣っていた扱いやすさを大幅に改善した次世代型のHpHSを開発中で2019年度中には完成予定である。改良型のHpHSは海洋酸性化研究だけでなく、二酸化炭素の回収・貯留(CCS)における海底での二酸化炭素漏洩モニタリングや、日本近海の海底資源開発に伴う環境影響評価への活用も見込んでおり、さまざまなフィールドで高精度なpHデータを取得し、海洋研究に貢献していくであろう。(了)

  1. ※1較正:測定器の狂いを基準を用いて正すこと。

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