事業紹介

2016年
事業

アジアのイスラム:実像と課題

事業概要

本事業では、日本のアジア・イスラム研究者と連携し、南アジア・東南アジア域内のムスリムコミュニティーとその多様性に焦点を当て、国家の枠組みを超えた視点から域内の現状や課題を調査・研究します。この調査・研究の成果を国内で広く発信することで、イスラム教・ムスリムへの幅広い理解やアジアの多様なコミュニティーとの共存を促進し、地域の安定化へ向けて果たすべき役割を検討することを目的としています。

事業実施者 笹川平和財団 年数 2年継続事業の1年目(1/2)
形態 自主助成委託その他 事業費 15,000,000円
[サマリー] 緊急セミナー「『バングラデシュ・ダッカ襲撃事件』を受けて」①(2016年7月14日開催)

【日下部尚徳氏 講演】
バングラデシュの政治と国内の不安定化

バングラデシュにおいて複数ある政党のうち、3つの主要な政党としてアワミ連盟(AL)、バングラデシュ民族主義党(BNP)、イスラム協会(JI)を取り上げる。現与党のALは、パキスタンの分離独立後、東パキスタンにおいて結成された。同党のリーダーとして認知されているシェイク・ムジブル・ラーマンはバングラデシュがパキスタンから独立した際に指導的な役割を担ったのち、初代首相に就任した。しかし、次第に強権的性格を強めた結果、1975年の青年将校による軍事クーデターによって家族数十人と共に暗殺された。現首相のシェイク・ハシナ(同党総裁)はムジブル・ラーマンの長女である。ムジブル・ラーマン暗殺事件の後、クーデターを起こして事態を収集したジアウル・ラーマンが、そのまま政権を担うこととなり、この政権の受け皿として、現在の最大野党であるBNPが1978年に設立された。ジアウル・ラーマンもその後軍内部の対立からクーデターにより暗殺され、その後、妻のカレダ・ジアが党首となり、過去2回(1991-96、2001-06)首相を経験している。JIの前身Jamaat-e-Islamiはイギリス植民地時代に結成され、その後バングラデシュがパキスタンから独立した際に現在のJI (Bangladesh Jamaat-e-Islami)として再結党された。イスラム教義に基づく国づくりをめざしており、農村部を中心に強い支持基盤を持っている。過去にはALともBNPとも連立政権を組んだことがあり、現在はBNPと共闘関係にある。



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バングラデシュでは,制度上は民主主義体制がとられているものの、実際には、選挙実施に際して具体的な政策が議論されるような機会は少なく、時に有権者へ現金が配られることもあるなど、運用上の課題が多い。議会において政策に関する意見の衝突があった場合には、野党は議会ボイコットや全国ストライキ、街頭デモといった形で対抗することがあるのに加え、それらは時に先鋭化し、野党側の一部が暴徒化することで国内情勢が悪化することもある。さらに、ALは、2008年の選挙で大勝を収めた後、政党に所属する政治家ではない人物で組閣された内閣が選挙管理を行うことを定めた「非政党選挙管理内閣制度」を、2011年6月の第15次憲法改正によって廃止した。このため、2014年の総選挙を野党がボイコットし、ALが3分の2以上の議席を獲得し、現在に至っている。その後、2015年1月に野党が計画した再選挙を求める集会の実施許可が下りず、また、ジアBNP総裁が事実上軟禁状態に置かれ、関連団体に関する資金横領の容疑で逮捕状も出されたことから、野党は反発を強めた。さらに、ALは、2008年の総選挙で公約として掲げた戦争犯罪法廷の設置を2010年に実現し、1971年のバングラデシュ独立戦争においてパキスタン軍に協力した者や、独立支持者・ヒンドゥー教徒等を虐殺した者を対象とした裁判を実施した。これにより、JIのニザミ党首を含むJI幹部4名とBNP幹部1名の死刑が執行されたが、対象がJIとBNPの指導部に限定されていることから、この法廷設置の狙いは野党側の政治力を削ぐことにあるとして、イスラム主義政党とその支持者らによる抵抗運動が激化している。この結果、JI支持者や学生組織のメンバーが全国で治安部隊と衝突し、300名以上が死亡する事態となった。ALは、暴動を主導したとして2013年8月にJIを非合法化し、選挙資格をはく奪した。JI幹部に対する判決をめぐり、JI幹部に対して死刑を求める「シャハバーグ運動」が市民の間で起こり、イスラム主義層に対する反発が顕在化する場面もみられた。ALは当初、運動との距離を置いていたが、次第に同調する姿勢をみせるようになり、同党の幹部も集会で演説を行うようになった。JIはこの運動に対して「無神論者」が反イスラム的言動を行っているとして、メディアを通じて攻勢に出た。同党と関係の深いイスラム主義団体が中心となり大規模な抗議活動も行なわれ、一部で暴動に発展した。



近年の襲撃・暴力事件、イスラム主義過激組織の関わり

このようなバングラデシュ国内の不安定な情勢の中、「非政党選挙管理内閣制度」の廃止や国際犯罪法廷の設置などの動きと共に、様々な事件が起きるようになった。2013年1月から過激なイスラム思想を批判していたブロガーや、彼らの著作を発行する出版社の関係者が「無神論者」として襲撃、殺害される事件が頻発した。2013年から2015年の間に発生した、ブロガー4名の殺害事件に関して、「インド亜大陸のアルカイーダ」が犯行声明を出している。また、外国人をターゲットにした襲撃事件も連続して発生しており、2015年には外国人をターゲットにした襲撃事件が3件発生し、日本人1名とイタリア人2名が死傷した。一連の外国人襲撃事件に関しては、過激派組織「イスラム国」(IS)が犯行声明を出している。さらに、宗教マイノリティに対する事件も2015年後半から頻発している。いくつか事例を挙げると、同年10月ダッカのシーア派宗教施設の爆破事件(1人死亡、100人以上負傷)、11月ボグラのシーア派モスク無差別発砲事件(1人死亡、3人負傷)、12月ラジシャヒのアフマディア教団モスク自爆事件(1人死亡、3人負傷/国内初めての自爆テロ事件)、2016年7月ヒンドゥー教寺院の襲撃事件などが継続して発生している。

このように2013年以降、反イスラム的であるとされる人びと、グループがターゲットとなる事件が多発しており、2015年からはISのものと思われる犯行声明が一部で出されている。バングラデシュ政府は、これらの事件を国内のイスラム武装主義勢力、もしくは野党関係者による犯行と主張し、ISの拠点があることを一貫して否定している。その理由としては、政府のISへの対応が遅れているという印象を国際社会に与えることで投資や援助が減少することを避けたいという思惑に加え、野党関係者による犯行とすることで野党批判の材料としたいという意向があると考えられる。実際には、2015年5月と10月にISへの勧誘容疑で複数の逮捕者が出ており、バングラデシュ国内でISおよびその関連組織の関係者が活動している可能性は否定できないが、ISの拠点や、国内の武装主義勢力とISの直接的な関わり(資金や武器の流入、明確な指示経路等)はこれまで確認されていない。



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ホーリー・アーティサン・ベーカリー襲撃事件

今回、ダッカで発生した襲撃事件は、バングラデシュの歴史上初めて発生した、外国人の非イスラム教徒を対象とした大規模な無差別殺害事件であった。ラマダン中最後の金曜日の夜という、イスラム教徒にとっては非常に大切な時間に、警備が不十分で外国人が多く集まる場所を狙った犯行だと考えられる。犯人は、ISの思想に共感した若者グループであると考えられており、そのうち一部は、事件が発生したグルシャン地区(高級住宅街)に土地勘のある富裕層の出身であった。国内の武装主義勢力、もしくはISによる直接的な関与があったのかは、現在のところ不明であるが、この事件で使われた武器は国内でも調達できるものであった。また、先述したとおり、与野党の対立が発端となり、国内のイスラム主義層の間で不満が高まり、過激思想の影響が高まる素地はあったといえる。また、今回日本人が犠牲となってしまった背景のひとつには、2014年のハシナ首相訪日に際し、日本が今後4・5年間を目途に総額最大6,000億円の支援を約束したことで、対バングラデシュODA事業が増加し、開発コンサルタントなど援助関係者のバングラデシュへの駐在や出張が増えていることが挙げられる。現地日本大使館やJICAは、事前に危機管理情報を流し、警戒態勢をとっていたが、対象となる日本人が増加すれば、それを全てに徹底することは難しくなる。また日系企業の進出も、2015年1月時点で約220社となり、4年前と比べて4倍以上に増加した。このように、バングラデシュに滞在する日本人が増加する一方で、未だ警備の手厚い滞在場所が少なく、日本人がこのような事件に巻き込まれる可能性が高まっていたことにも留意すべきである。今回の事件は、バングラデシュ国内の政治的混乱や治安の悪化に加え、在バングラデシュの日本人も増加する中で起きてしまった不幸な事件であったといえよう。

[サマリー] 緊急セミナー「『バングラデシュ・ダッカ襲撃事件』を受けて」②(2016年7月14日開催)

【保坂修司氏 コメント】

バングラデシュとIS

今回の事件について考える上で、バングラデシュ国内の状況を縦軸として扱うならば、ISの動向を横軸として扱うことが大切である。ここでは、IS側が見るバングラデシュについて簡単に説明する。2014年ISが成立した直後から、バングラデシュでは様々なジハード主義組織がISを支持し、ベンガル地域においてその隊列に関わったという言い方がされている。2015年10月には、ISのリーダーであるバグダーディーがサウジアラビアを批判する声明の中で、バングラデシュの同胞にも支援を呼びかけていることから、早い時点からISはバングラデシュも活動地域の対象として見ていたことが分かる。ISが発行する英文機関誌「ダービク」には2014年12月の時点でバングラデシュに関する言及があり、それ以降、ハシナ首相に対する批判や、バングラデシュにおけるジハード主義運動について、シリアで殉教したバングラデシュ人やカリフ国家のベンガル人兵士などが紹介され、(信憑性は確実ではないが)継続的にバングラデシュに関する記事が掲載されている。さらに、ISの中にバングラデシュ人が加わっているということは、注目すべき点である。また、「ダービク」はベンガル語版も発行されており、バングラデシュ人がISの思想やイデオロギーに接する機会があったことが分かる。また、これまでに出されたISの声明の中には、ベンガル語のものも確認されており、組織の中枢にベンガル語話者が存在していると考えられる。



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今回のダッカ襲撃事件の前、5月にISの報道官アドナーニーが声明を出し、ラマダン中に事件を起こすよう支持者に呼びかけていた。ダッカ襲撃事件発生の直後は「ISの特攻隊が、バングラデシュのダッカにある外国人がよく利用するレストランを襲撃した」とアァマーク通信を通じて声明が出された。また、「ベンガルのカリフ国の騎士たちへ」というタイトルでビデオが発表され、シリアでISの戦闘員となっているバングラデシュ人と思われる人物が登場し、今回の事件を称賛した。事件発生直後、ISの戦果報告を掲載する週報「ナヴァ誌」の中で、今回の事件についても触れられている。ただし、この事件に関して報道しているISに関連するメディアには、「日本」という言葉が一度も出てきていないのは注目すべき点である。ISは、それほど大きな関心を日本に寄せていないと考えられる。ラマダン中の戦果報告の中にも、「日本人」という言葉は出てきておらず、殺害した「十字軍」285名もしくは「仏教徒」1名の中に日本人が含まれていると思われる。したがって、ISは日本人を「十字軍」のメンバーとして認識しており、日本が標的になるということがあれば、必ずこのロジックで押し通されると考えている。



[サマリー] 緊急セミナー「『バングラデシュ・ダッカ襲撃事件』を受けて」③(2016年7月14日開催)

【座談会】

日下部氏、保坂氏の発表の後、笹川汎アジア基金室長の堀場明子を進行役に座談会を開催した。



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まず、ヨーロッパで発生しているテロ事件では、社会からの疎外感や被差別意識、貧困、格差への不満を持つ移民の2世や3世がIS等の過激思想に感化されることが多いと言われている一方で、90%以上がイスラム教徒であるバングラデシュのような国で過激思想に影響を受けるのはどのような層なのか、という問いかけに対し、日下部氏は、まず、バングラデシュの過激派を語るにあたっては、イスラム教の教義がカリキュラムの中心となっているマドラサ(教育機関)の存在は無視できないが、今回のダッカ襲撃事件の犯人にはマドラサ出身者は含まれていないとした上で、(今回の犯人の)富裕層の出身の若者は、インターネットへのアクセスや留学経験も持ち、バングラデシュの外の社会でイスラム教徒が異教徒からどのように見られているのかを知ることができたことが背景にあったと説明した。その上で、SNS等の発達により、自分と同じ考えを持つ人とのみの交流が可能になり、多感な若者が過激思想に影響を受ける余地があったのではないかとも述べた。保坂氏は、アラブ世界ではジハード主義運動はエリート層の運動であると認識されており、イラク戦争以降、徐々に貧困層の若者にも広まるようになっているものの、貧困層が関わりを持つことは元々珍しかったと説明した。また、「希望格差」とも呼ばれる不満というものは、貧困層だけではくエリート層も持っており、自らの置かれた立場に不満を持つ一部の若者にとって、居心地のよい場所を提供しているのがISやアルカイーダのような組織ではないかと感じている。このため、「貧困」だけでテロ事件やジハード主義運動を語ることは、難しいとも述べた。さらに、よく語られるインターネットの影響について、厳しい検閲制度が存在する中東諸国では、通常、一般市民は過激思想が含まれているページにはアクセスできないことから、IS等のページになんとか努力してアクセスする前に、既にイデオロギー的に過激化している可能性があることも併せて考える必要があるのではないか、とコメントした。



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今回の襲撃事件も同様だが、テロ事件が発生すると「ISが関与」という表現で伝えられていることが多いが、複雑な事情が絡んでいる中で「ISの関与」という言葉をどのように理解すべきなのか、という問いかけに対し、保坂氏は「ISの犯行」と言われているフロリダ・オーランドのナイトクラブ襲撃事件の事例を挙げ、犯人が犯行の直前や途中でISへの忠誠を誓ったとされていることを例に挙げながら、実際はほとんどISとの関連がないにも関わらず、自らの犯行をISと関連付けることによって、メディアに大々的に取り上げられることによって社会へ与えるインパクトが大きくなるなど、何かしらのメリットを感じていることは確かであると答えた。

今回の衝撃的な事件が与えたイスラム教やバングラデシュに対するイメージを踏まえ、今後、一方的でネガティブな偏見を避けると同時に日本人が海外で活動する際に身を守るためには、どのような情報分析や発信が必要かという問いかけに対して、日下部氏は、今回の事件では、大使館やJICAなど、関係機関はやるべきことは全てやっていただろうというのが自らの認識であるとした上で、ISやバングラデシュ等個々の問題ではなく、複雑な社会情勢や国際的な過激思想の広まりなど様々な背景が絡み合うなかで、今回の事件が起きてしまったと理解することが必要だと答えた。また、社会的な混乱や治安情勢について、日本国内、海外現地での情報収集や発信の重要性はもちろん、現地の習慣、文化を尊重する姿勢が中長期的な緊張の緩和へつながるのではないか、と付け加えた。保坂氏も、まずISなりの攻撃対象―つまり、イスラム世界の中の反イスラム的なもの、非イスラム的なものを極力避けること、また、現地でしか分からない情報がある一方で、現地の中に長期にいるからこそ見えなくなってしまう情報もあることを念頭に置くことが必要であり、地域研究者の育成や連携に加え、日本国内の分析も含め、様々な情報をすり合わせて状況を冷静に理解し、自らを情報で武装することがますます重要になってくるだろうと述べた。

バングラデシュにおける外国企業による経済活動への影響については、日下部は今回の事件をきっかけに即時撤退や進出取りやめを決めた企業はなく、バングラデシュ政府もそれを見越し、今回の事件については徹底的な調査と安全対策をしたと発表するはずであるとした上で、それが正しい情報かどうか注視する必要があると答えた。また、政府がより一層取締りを強める中、むしろ、地下活動的なテロが継続していくであろう事態については危惧していると付け加えた。

最後に、日下部氏は、今回の事件を受けて、外国からの投資や支援が減少することは、バングラデシュにとってダメージとなるだけでなく、今回のテロは効果があったと示すことにも繋がりかねないため、これまでも友好な関係を築いてきた日本とバングラデシュは、今回の事件の調査も含めて、引き続き連携していくことが大切であると述べた。 保坂氏は、今回の事件を受けて、メディアでは「親日国のバングデシュでなぜ日本人が犠牲になったのか?」というテーマで語られることが多いが、中東諸国も非常に親日的な国であり、そのような場所でも日本人がテロの犠牲になっていることを認識すべきで、「親日」や「反日」という枠組みでテロを語ることはできないと述べた。   (了)


緊急セミナー動画





現地調査報告

2016年度「アジアのイスラム:実像と課題」事業では、日本国内の若手アジア地域研究者に協力を得て、南アジア・東南アジアの8か国を対象に都市や街に着目した現地調査を実施し、その歴史的・地理的背景から見える地域社会の多様性とムスリムコミュニティーをとりまく現状について、地域横断的に情報収集・分析を進めてきました。その中で、様々な民族・宗教・文化が共存する地域社会の現状や、主権国家の枠組みの「辺境」に位置し、周縁化する人々や、歴史的な繋がりから国境を越えて形成されたコミュニティーの存在も明らかになりました。このページでは、現地調査に協力いただいた研究者の方に綴っていただいた調査出張の報告をご紹介しています。ムスリムコミュニティーを通じて、アジアが持つ豊かな多様性や寛容さ、民主化や経済発展の流れにより移り変わる人々の生活や新たな課題が垣間見えます。

(汎ア基金事業室 研究員・林 茉里子)




現地調査報告①「ミャンマー連邦共和国現地調査報告」

調査実施者:上智大学アジア文化研究所 客員研究所員 斎藤紋子
実施期間:第1回2016年8月29日~9月4日/第2回2017年1月21日~29日


第一回目:

ヤンゴン市のみでの調査を実施した。話を聞かせてもらったのは11人で、そのうちの一人は以前からの調査協力者である。今回の調査でもアポイント取得含め、数回以外は同行してもらった。軍政下からの変遷も含め継続して聞き取り調査を行っているが、第一回目、第二回目ともに、調査時に特に話題となっていたものをいくつか報告したい。

1.調査の時期、ムスリムらの間で大きな話題となっていたのは、NVCと呼ばれる新しい身分証明書をめぐる問題であった。NVCはIdentity Card for National Verificationのことである。これまでは、身分証明書を持たない(国籍がはっきりしないがミャンマー国内に暮らしている)人々に「臨時身分証明書」が発行されていた。これは臨時であるにもかかわらず期限を設けておらず、長い人では20年以上臨時の身分のままであった。新憲法草案に対する国民投票や民主化に向けた総選挙などの際には、臨時身分証明書にもかかわらず投票可能であったなど、民主化とともに様々な問題が指摘され始め、2015年5月末までに証明書返却を政府が決定した。NVCはこの臨時身分証明書を返却した人たちに対して発行した「国籍未審査者向けの身分証明書」である。現実問題として、臨時身分証明書を持っていたのはヤカイン州に暮らすムスリム(自称ロヒンギャ、ミャンマー国内ではロヒンギャを土着民族と認めないため、ベンガル人とされる)が86%以上で、NVCは彼らに対して発行されるということだったのだが、いつの間にかNVCは今後身分証明書を申請するムスリム(通常、身分証明書は10歳で最初の申請、18歳で正規の証明書発行)全体に対して発行されるという話が広まっていた。NVCはミャンマー国籍の審査に関わるため、これまで長期にわたって国籍を持って暮らしていたムスリムらは、自分たちの子供や孫が国籍を失うのではないかと非常に困惑していた。


2.テインセイン大統領からティンチョー大統領(アウンサンスーチー国家顧問)に政権が移行した前後での変化については特に語られることはなかった。ただ、政権に任命された文化宗教大臣(テインセイン政権で与党だったUSDP出身)が、就任間もなく、ムスリムに対して事実と違う発言をしたのは非常に残念だったとのことであった。また、ヤンゴン管区域首席大臣が、反ムスリム運動を展開するマバタ(民族宗教保護団体という僧伽組織)は必要ないと明言したことは、ムスリムにとっても久しぶりに良いニュースとなったという人が多かった。

3.国勢調査の宗教別統計発表がようやくなされ、全人口に対するイスラーム教徒の割合はこれまでとほぼ変わらず(1983年3.9%、2014年4.3%)であった。ムスリム人口が増えている、仏教が呑み込まれると騒がれていたが、この数字が本当であればもっと早くに発表しても問題なかったのではないか、とのことであった。これまで30年ほど国勢調査も行われておらず、また1983年のムスリム人口も実際より少ないと言われていたので、今回の4.3%というのが本当だと思うか、と聞くと、政府発表で国連機関も調査協力しているのだから多少違っても本当だろう、現状はこの数字なら問題も起こらず良かったのでは、という人がいた一方、どう考えても違う、管区域・州レベルまでの宗教別人口しか明らかにせずそれ以下の行政区は公表しないということでおそらく調整されているのだろう、との意見も少なくなかった。



第二回目:
ヤンゴン市およびマンダレー市で聞き取り調査等を実施した。話を聞かせてもらったのはヤンゴン市5人、マンダレー市14人である。マンダレー市は3年ぶりの訪問であった。

1.これまではイスラーム関連の行事にほとんど関わることもなく関心を寄せることもなかった一般の仏教徒や僧侶の一部が、モハメッド生誕記念日などの行事開催にあたって、開催地区の行政組織や会場提供者に抗議文を送ったり脅迫したりということが2017年1月初めにヤンゴン市、ピィ市など数か所で見られた。実際に開催中止に追い込まれたものもある。1月8日、ヤンゴン市内のYMCAホールで開催のモハメッド生誕記念式典で、当日招待を受けていなかった仏教徒や僧侶が会場を訪れ、トラブル回避もあって30分程度で終了となった件は新聞でも報道された。ただし、この後、ちょうど調査でヤンゴンに入った1月21日に、ヤンゴン市で開催されたイスラーム評議会主催のイスラーム評議会初代会長ガーズィー生誕100周年記念式典、翌日22日ヤンゴン市内で開催されたモハメッド生誕記念式典は、同様に抗議文や脅迫があったものの大きな騒ぎにならず無事開催されたとのことであった。1月初めのものも含め、これら式典ではムスリムコミュニティの関係者のみならず、政府関係者やイスラーム以外の団体などからの招待客もおり閉鎖的なものではないが、反ムスリム運動が形を少しずつ変えつつ継続していることがわかる出来事であった。 なお、マンダレーにおいてもモハメッド生誕記念式典は延期しているとのことであった。

2.第一回目の出張時に話題になっていたNVCの件は、政府見解も明らかにされないまま不安が継続していた。1月21日に労働・移民・人口省の大臣がアウンサンスーチー国家顧問の指示でNVCの件をムスリムと話し合う場を設けたとのことであった。ムスリムの抱える不安を聞いてもらい、すでに身分証明書を正規に発行してもらっている場合はNVC発行対象にはならない、親が身分証明書を持っているのに子供にNVC発行はおかしい、といった意見を受け止めてもらえた、という出席者の話を聞いて、喜んでいるムスリムが多かった。88世代オープンソサエティ(1988年民主化運動を中心となって率いていた学生指導者らが運営する組織)からミャエー氏(ムスリム)も参加していたので、話だけ聞いて終わりにはならないだろうという期待もあったようだ。しかし、「話し合いの場はあったし、国家顧問の指示だとも言っていたが、このあと省として、あるいは国としてなにか正式な発表があるかどうかの方が重要だ」と冷静に見ているムスリムもいた。なお、この報告書を書いている3月中旬においても、このNVCに関する政府関連の発表は特になされていない。

3.以前からの調査で、マンダレー市のほうがヤンゴン市よりも反ムスリム運動の緊張度がやや低いということであった。前述のマバタという団体のなかで著名な僧侶はマンダレーの僧院に所属しているのだが、それでも、マンダレーの人たちによれば「王朝時代からずっと住んできたから、近隣の人たちを知らないわけではない」ということで緊張はそれほど高まらないとのことであった。個別に話を聞くといろいろであるが、全体的に政治に関心のある人たちも少なく、マンダレーで反ムスリム運動が、ということではなく地方での反ムスリム運動などの影響がマンダレーで出ることはあるという。また、数年にわたって反ムスリム運動が継続していると、ムスリムが怪しい、危ない、という意識がどこからともなく芽生えるといい、私立学校を経営しているあるムスリムは、「ムスリムが経営するような学校に子供を通学させるな」という嫌がらせを受けて一時期生徒が減ったという。

​以上の報告に書ききれなかった分もたくさんあるが、そちらは書籍にまわしたい。最後になったが、時期を二回に分けて調査に行かせてくださった笹川平和財団に深く感謝申し上げる。




女性の金曜礼拝(ヤンゴン市)
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下校後に遊ぶムスリムの子供たち。緑色のズボンに白いシャツは制服。(ヤンゴン市)
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現地調査報告②「フィリピン南部タウイタウイ州現地調査報告」

調査実施者:香川めぐみ
実施期間:2016年8月15日~29日

I. 出張日と訪問先
渡航日:2017年8月15日~8月28日(マニラ、ザンボアンガ経由でタウイタウイ)

調査先:タウイタウイ州内:タウイタウイ島、ボンガオ島、シタンガイ島、シモノ島等(安全確保のため、各島々への移動は、最速スピードボートを使用、ボンガオ市~シタンガイ島まで1時間半、ボンガオ市~シモノ島まで20分)

調査対象者:ミンダナオ州立大学タウイタウイ校の教職員、サマ民族研究専門家、タウイタウイ州知事、タウイタウイ州政府職員、各島の町長、村長、長老、イマム、牧師、商店主、越境交易商人、漁師(近海漁業、海藻農園)、造船業者、住民、大学生、小中学校教員、タウイタウイ州内で展開するNGO職員、フィリピン国家警察、フィリピン国軍、フィリピン沿岸警備隊、モロ民族解放戦線(政治部、軍事部)、モロ・イスラーム解放戦線(政治部、軍事部)など、180名ほど

調査対象の言語民族(タウイタウイ在住者):
ムスリム:サマ族、サマディラオ族、タウスグ族、ジャママプン族、中華系
クリスチャン:ビサヤ族、タガログ族、セブアノ族、イロンゴ族

*安全な調査を実施するため、州知事、市長、町長、村長、ミンダナオ州立大学タウイタウイ校学長をはじめ、フィリピン国家警察、フィリピン沿岸警備隊、フィリピン国軍、各町や大学の警備隊、モロ民族解放戦線、モロ・イスラーム解放戦線の治安部隊からも支援を受けた。ここに厚く御礼申し上げます。


II. 調査結果の概要
1.多元的な統治体制
大多数の方は、伝統的な水上生活スタイルを保ちながら、海にかかわる仕事で生計を立てている。タウイタウイは、隣州スールーで栄えたスールー王国(タウスグ族が覇者)の影響下にあった。しかし、タウイタウイの統治までには深くかかわっておらず、伝統的には、サマ・コミュニティ内の問題は、サマ族のイマムが調停をするのが習わしだった。しかし、当地で1970年代から武力闘争を続けるムスリム民族独立運動に対する中央政府の宥和策として、民族独立運動指導者に当地方行政機関における権限を付与したことから、外部者(スールー州のタウスグ族)が地元政治にかかわり、武装化の増大、中央政府に依存したガバナンスへと変容した。世襲制による伝統的な統治、近代国家政府と反政府武装勢力をハイブリッドさせた統治と、当地は多元的で複雑な統治体制である。

2
.ムスリム民族間のテンションと共存
タウイタウイにも民族間の社会的階層がある。タウイタウイ内の共通語は、歴史的なスールー諸島の覇者でタウイタウイ内ではマイノリティのタウスグ族の母国語「タウスグ語」である。一方、タウイタウイのマジョリティであり、歴史的にも「臨機応変に対応するサマ族」は、タウスグ族と臨機応変に対応し、共存している。サマ族にも冷遇される傾向にある漂流民「サマディラオ族(バジャオ)」は、マレーシア領サバ州からフィリピン領中部ビサヤ地域までの広域で生活するものの、タウイタウイでの定住率が一番高い。イスラームに改宗することで、タウイタウイでの社会的地位と安全を確保しつつある。実情は、高床式海上家に定住し、サマ族のような生活様式に移行しても、土着宗教の色が濃い。

3
.おおらかなイスラーム
タウイタウイのイスラームは、フィリピン・ムスリムが多く住む他のフィリピン南部ミンダナオ本島よりおおらかだ。イスラームのマスジィとキリスト教会が隣合わせで建設されていたり、ムスリムがクリスチャンのミサや教会での冠婚葬祭にも同席したりしていた。サマディラオ族の神秘的な風習(踊りにより蛇を取り除くなど)だけでなく、サマ族の中にも、黒魔術、験担ぎなど、土着文化とイスラームの共存がみられた。このおおらかさが、宗教や民族の相違を超越し、「平和を愛するタウイタウイ民」という愛称と共存を支えていた。

4.地域貿易の復活への努力
タウイタウイは、伝統的に、インドネシア領スラベシ、カリマンタン、マレーシア領サバ州との間で、地域貿易(バータートレード)が活発なエリアである。しかし、このエアリアは、フィリピンに在住する身代金誘拐・テログループ「アブ・サヤフ・グループ」の「漁場」となり、マレーシア領サバ州では、武装したフィリピン人による奇襲・強盗の海賊行為も多発している。そのため、2016年4月より、マレーシア政府は、フィリピンとの本海域の国境を封鎖し、違法活動の警備・取り締まりを強化させている。さらに、地域貿易には、タウイタウイ産の木製貿易船がほとんど使用されていたが、ASEANの取り決めにより、メタル製貿易船だけの入港が許可されている。そのため、地元の人々による通常の交易活動は縮小されている。流通時間の短さやハラール食品という経済的・宗教的な利点から、食品を含め日常品のほとんどをマレーシア製に頼る地元経済に、大きな打撃を与えている。ミンダナオ本土経由で品物は入荷されているが、物価は2倍から4倍になっており、日常生活にも大きく影響していた。中央政府頼みの問題解決では、持続性がないとし、三国の地元商工会議所が旗振りとなり、民間主導の地域貿易の復活に奮闘していた。外国政府の支援に頼る傾向にあるミンダナオ本土に比べ、自活精神が強く、今後の経済発展に期待できそうである。

III. 所感
それぞれの島の地理的特徴を活かした経済活動がみられた。大木が生え深い森林があるタウイタウイ島では造船業が、狭い陸地に森はないが穏やかな遠浅が広がるシタンガイ島などでは海藻農園が、外国籍大型タンカーも往来する流れが激しい海域に隣接するシブツ島では海上流通業と船舶ドッグが、国境を接するシタンガイ島では海上交易関係業者のオアシス・ショッピングセンターとなっている。それぞれが「海にかかわる生活」に欠かせない役割を担っており、経済的共存関係がみられた。
一方、夫々の島で、夫々の島に関する「怪しいご当地伝説」が聞かれた。「島内で迷うよう、また、同じ海域を彷徨ように黒魔術を使う」、「島外者の食事に毒をもる」など、島への上陸を懸念させるものが多かった。実際、レストランがない島への移動前に、「毒を盛られると下痢をして荒波を超える船旅では大変になるから」と、シタンガイ町長にお心遣いを頂き、おいしい食事をごちそうになった。次に目指す島で「断食」をするつもりでいた地元の同行者が食事にありつけたと大喜びしていたのが印象に残っている。同民族内でも、各島の「ご当地伝説」は存在し、原理的なイスラームには沿わないものも、各島の文化的な要素として語られていた。このような土着の風習は、伝説の内容に相違はあるものの、フィリピン南部に住む他のムスリム民族(他のスールー諸島、ミンダナオ本土ともに)にもみられる。
交易と共に伝播したイスラームは、タウイタウイの人々の生活に色濃く残っている。タウイタウイは、フィリピンの最南端「遠い・遠い所(タウイタウイ)」越境地にあり、半世紀も続く紛争影響地域である。テロや身代金強奪グループの「狩り場」でもある。しかし、この地政学的劣勢に嘆きつつも、タウイタウイの民には活力がある。なぜか。本調査で出会った人々はこう話してくれた。「私たちの目の前に広がるエメラルドの海は、アラブ伝道師が辿ったウンマへつながる。そして、(インドネシア・マレーシア・フィリピン間の)地域交易への道を拓く、フィリピンのもう一つの正玄関です」。多元的で複雑な統治体制下にありながら、おおらかなイスラームと豊かな海を通じた交易が、タウイタウイに住む人々を「平和を愛するタウイタウイ民」として、それぞれが共存できる生活を支えていた。



海の道路と海上の家々@シタンガイ島
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周りに島も見えない海の真ん中にある遠浅に存在する水上の村
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コミュニティ内の共有広場
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ブンガオピーク(丘)にあるアラブ宣教師の墓
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右にマスジィ、左に教会が見える@ブンガオ市
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