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現地調査報告②「フィリピン南部タウイタウイ州現地調査報告」

2017.04.20

調査実施者:香川めぐみ
実施期間:2016年8月15日~29日

I. 出張日と訪問先
渡航日:2017年8月15日~8月28日(マニラ、ザンボアンガ経由でタウイタウイ)

調査先:タウイタウイ州内:タウイタウイ島、ボンガオ島、シタンガイ島、シモノ島等(安全確保のため、各島々への移動は、最速スピードボートを使用、ボンガオ市~シタンガイ島まで1時間半、ボンガオ市~シモノ島まで20分)

調査対象者:ミンダナオ州立大学タウイタウイ校の教職員、サマ民族研究専門家、タウイタウイ州知事、タウイタウイ州政府職員、各島の町長、村長、長老、イマム、牧師、商店主、越境交易商人、漁師(近海漁業、海藻農園)、造船業者、住民、大学生、小中学校教員、タウイタウイ州内で展開するNGO職員、フィリピン国家警察、フィリピン国軍、フィリピン沿岸警備隊、モロ民族解放戦線(政治部、軍事部)、モロ・イスラーム解放戦線(政治部、軍事部)など、180名ほど

調査対象の言語民族(タウイタウイ在住者):
ムスリム:サマ族、サマディラオ族、タウスグ族、ジャママプン族、中華系
クリスチャン:ビサヤ族、タガログ族、セブアノ族、イロンゴ族

*安全な調査を実施するため、州知事、市長、町長、村長、ミンダナオ州立大学タウイタウイ校学長をはじめ、フィリピン国家警察、フィリピン沿岸警備隊、フィリピン国軍、各町や大学の警備隊、モロ民族解放戦線、モロ・イスラーム解放戦線の治安部隊からも支援を受けた。ここに厚く御礼申し上げます。


II. 調査結果の概要
1.多元的な統治体制
大多数の方は、伝統的な水上生活スタイルを保ちながら、海にかかわる仕事で生計を立てている。タウイタウイは、隣州スールーで栄えたスールー王国(タウスグ族が覇者)の影響下にあった。しかし、タウイタウイの統治までには深くかかわっておらず、伝統的には、サマ・コミュニティ内の問題は、サマ族のイマムが調停をするのが習わしだった。しかし、当地で1970年代から武力闘争を続けるムスリム民族独立運動に対する中央政府の宥和策として、民族独立運動指導者に当地方行政機関における権限を付与したことから、外部者(スールー州のタウスグ族)が地元政治にかかわり、武装化の増大、中央政府に依存したガバナンスへと変容した。世襲制による伝統的な統治、近代国家政府と反政府武装勢力をハイブリッドさせた統治と、当地は多元的で複雑な統治体制である。

2
.ムスリム民族間のテンションと共存
タウイタウイにも民族間の社会的階層がある。タウイタウイ内の共通語は、歴史的なスールー諸島の覇者でタウイタウイ内ではマイノリティのタウスグ族の母国語「タウスグ語」である。一方、タウイタウイのマジョリティであり、歴史的にも「臨機応変に対応するサマ族」は、タウスグ族と臨機応変に対応し、共存している。サマ族にも冷遇される傾向にある漂流民「サマディラオ族(バジャオ)」は、マレーシア領サバ州からフィリピン領中部ビサヤ地域までの広域で生活するものの、タウイタウイでの定住率が一番高い。イスラームに改宗することで、タウイタウイでの社会的地位と安全を確保しつつある。実情は、高床式海上家に定住し、サマ族のような生活様式に移行しても、土着宗教の色が濃い。

3
.おおらかなイスラーム
タウイタウイのイスラームは、フィリピン・ムスリムが多く住む他のフィリピン南部ミンダナオ本島よりおおらかだ。イスラームのマスジィとキリスト教会が隣合わせで建設されていたり、ムスリムがクリスチャンのミサや教会での冠婚葬祭にも同席したりしていた。サマディラオ族の神秘的な風習(踊りにより蛇を取り除くなど)だけでなく、サマ族の中にも、黒魔術、験担ぎなど、土着文化とイスラームの共存がみられた。このおおらかさが、宗教や民族の相違を超越し、「平和を愛するタウイタウイ民」という愛称と共存を支えていた。

4.地域貿易の復活への努力
タウイタウイは、伝統的に、インドネシア領スラベシ、カリマンタン、マレーシア領サバ州との間で、地域貿易(バータートレード)が活発なエリアである。しかし、このエアリアは、フィリピンに在住する身代金誘拐・テログループ「アブ・サヤフ・グループ」の「漁場」となり、マレーシア領サバ州では、武装したフィリピン人による奇襲・強盗の海賊行為も多発している。そのため、2016年4月より、マレーシア政府は、フィリピンとの本海域の国境を封鎖し、違法活動の警備・取り締まりを強化させている。さらに、地域貿易には、タウイタウイ産の木製貿易船がほとんど使用されていたが、ASEANの取り決めにより、メタル製貿易船だけの入港が許可されている。そのため、地元の人々による通常の交易活動は縮小されている。流通時間の短さやハラール食品という経済的・宗教的な利点から、食品を含め日常品のほとんどをマレーシア製に頼る地元経済に、大きな打撃を与えている。ミンダナオ本土経由で品物は入荷されているが、物価は2倍から4倍になっており、日常生活にも大きく影響していた。中央政府頼みの問題解決では、持続性がないとし、三国の地元商工会議所が旗振りとなり、民間主導の地域貿易の復活に奮闘していた。外国政府の支援に頼る傾向にあるミンダナオ本土に比べ、自活精神が強く、今後の経済発展に期待できそうである。

III. 所感
それぞれの島の地理的特徴を活かした経済活動がみられた。大木が生え深い森林があるタウイタウイ島では造船業が、狭い陸地に森はないが穏やかな遠浅が広がるシタンガイ島などでは海藻農園が、外国籍大型タンカーも往来する流れが激しい海域に隣接するシブツ島では海上流通業と船舶ドッグが、国境を接するシタンガイ島では海上交易関係業者のオアシス・ショッピングセンターとなっている。それぞれが「海にかかわる生活」に欠かせない役割を担っており、経済的共存関係がみられた。
一方、夫々の島で、夫々の島に関する「怪しいご当地伝説」が聞かれた。「島内で迷うよう、また、同じ海域を彷徨ように黒魔術を使う」、「島外者の食事に毒をもる」など、島への上陸を懸念させるものが多かった。実際、レストランがない島への移動前に、「毒を盛られると下痢をして荒波を超える船旅では大変になるから」と、シタンガイ町長にお心遣いを頂き、おいしい食事をごちそうになった。次に目指す島で「断食」をするつもりでいた地元の同行者が食事にありつけたと大喜びしていたのが印象に残っている。同民族内でも、各島の「ご当地伝説」は存在し、原理的なイスラームには沿わないものも、各島の文化的な要素として語られていた。このような土着の風習は、伝説の内容に相違はあるものの、フィリピン南部に住む他のムスリム民族(他のスールー諸島、ミンダナオ本土ともに)にもみられる。
交易と共に伝播したイスラームは、タウイタウイの人々の生活に色濃く残っている。タウイタウイは、フィリピンの最南端「遠い・遠い所(タウイタウイ)」越境地にあり、半世紀も続く紛争影響地域である。テロや身代金強奪グループの「狩り場」でもある。しかし、この地政学的劣勢に嘆きつつも、タウイタウイの民には活力がある。なぜか。本調査で出会った人々はこう話してくれた。「私たちの目の前に広がるエメラルドの海は、アラブ伝道師が辿ったウンマへつながる。そして、(インドネシア・マレーシア・フィリピン間の)地域交易への道を拓く、フィリピンのもう一つの正玄関です」。多元的で複雑な統治体制下にありながら、おおらかなイスラームと豊かな海を通じた交易が、タウイタウイに住む人々を「平和を愛するタウイタウイ民」として、それぞれが共存できる生活を支えていた。



海の道路と海上の家々@シタンガイ島
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周りに島も見えない海の真ん中にある遠浅に存在する水上の村
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コミュニティ内の共有広場
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ブンガオピーク(丘)にあるアラブ宣教師の墓
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右にマスジィ、左に教会が見える@ブンガオ市
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