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論考 2019/02/07

「弾劾(Impeachment)」について語り始めたアメリカ

中山 俊宏(慶應義塾大学総合政策学部教授/ ウィルソン・センタージャパンフェロー)

 今年に入ってからくらいだろうか、一時よりも「I-word」を耳にすることが多くなった。「I-word」とは「impeachment(弾劾)」のことだ。昨年の中間選挙で、民主党はあえてこの政治的に危険な領域には飛び込まず、医療保険の問題など具体的な問題を提起することに徹した。この判断の背景には、1990年代後半に共和党がクリントン大統領弾劾をめぐって勢いづき、そのことが逆にクリントンにとって追い風になってしまったことがあげられる。「クリントン vs. ギングリッチ弾劾劇」からちょうど20年、現在の民主党指導部は、いずれもこの騒乱を間近で見ている世代だ。

 部分的にはそれが功を奏し、少なくとも下院においては、民主党は歴史的勝利をおさめた。しかし、下院における大勝の後も、民主指導部は弾劾を語ることにはかなり消極的で、あえてそれを封印した。たしかにテレビをつければ、投資家で環境保護活動家のトム・スタイヤーが行なっている弾劾キャンペーン(Need to Impeach1)のコマーシャルを目にする。下院でも、民主党指導部からエンドースはされていないものの、弾劾に向けた動きはある。こうした動きが、日常化していること自体がすでに異常な事態ではあるが、それでも弾劾するよりは、「vote out2(選挙で負かす)」する方がいいという声の方がいまだに強いのも事実だろう。

 そこにはいくつかの計算がある。まずは、すでに指摘した90年代の記憶だ。大統領の全体的な支持率は低迷しているが、共和党の中では安定した支持を得ている。それを弾劾によって活気づかせたくないという考えだ。このままの状態で、民主党が弾劾の方向に舵を切れば、アメリカを分断しようとしているという誹りを免れえない。共和党の中で、トランプ大統領への支持が本格的にゆらぎ始めれば話は別だが、このままの状態で弾劾の方向にすすんでいけば、(あくまで比喩的な意味でだが)アメリカは事実上「シビル・ウォー」に突入していく。

 第2点目としては、すでに大統領を「vote out」するプロセスである大統領選挙が実質的に始まっている中で、弾劾をいわゆる前面に押し出すことの危険性である。弾劾をめぐる喧騒に2020年の大統領選挙に出馬する民主党の候補たちを巻き込むことは賢くはないという判断だ。弾劾に向けたプロセスが始まれば、候補者たちがそうした動きと距離をおくということは難しくなる。それは民主党に不利に作用する可能性が高い。

 さらに、一番有力な議論としては、とりあえずはモラー報告が完成するのを待とうという立場だ。仮に弾劾をめぐる議論が本格化していくならば、それはモラー報告でそうすることの根拠がはっきりと示されていなければならず、そのためにも特別検察官の捜査に対する政治的な介入をなんとしても防がなければならないという立場に帰着する。

 他にも弾劾に向けて踏み出すべきではない、という論拠は色々ある。仮に下院が訴追したとしても、上院がそれを決定することは現段階では想定できず、政治的なスタンドプレーとみなされてしまうことは必至だという立場だ。現実的に起きえないとわかっていながら、それをはじめるのか。これは、昨年の中間選挙でせっかく手にした政治的資本の無駄遣いどころか、有権者から見放される危険性さえある。

 さらに、これは議論が飛躍するが、もし仮に大統領が弾劾されれば、ペンス副大統領ということになる。トランプ大統領がイデオロギー的にまったくの空洞だとすると、ペンス副大統領はその対極にある。ペンス副大統領は、アメリカの政治家の中では、確信犯的にもっとも保守的な政治家の一人だろう。アメリカの左派の間でのペンス副大統領に対する不信感は、場合によっては、トランプ大統領に対する不信感よりも強い。

 リベラルなベースが活気づく民主党にとって、それがより好ましい状況なのか、むしろ、問題はあっても、イデオロギー的にはほぼ空洞なトランプ大統領の方がいいのではないか。こうした議論が積み重なって、「弾劾」よりは、より具体的な問題に取り組もう、それが新たに下院議長に就任したナンシー・ペローシの判断だ。無論、それが制度としてある以上、弾劾の可能性そのものを否定することはないが、その方向に動かしていく政治的な意思はいまのところ民主党指導部にはない。

 こうした状況を前提にしつつも、「弾劾」をめぐる「空気」が変わり始めていることもたしかだろう。話題を呼んでいるアトランティック誌2019年3月号に掲載されたヨニ・アップルバウムの長文論考「ドナルド・トランプを弾劾せよ(Impeach Donald Trump)3」もひとつの兆候だ。アップルバウムの論考は、弾劾という仕組みが、アメリカの政治的枠組みの中に制定された経緯を想起すれば、それを起動するかどうかにあたっては、例えば上院が下院の判断を受け入れるかどうかという「政治的計算」はすべきではなく、もし弾劾に相当する「Treason, Bribery, or other high Crimes and Misdemeanors」などがあった場合には、そのプロセスを起動すべきだという議論だ。

 こうした論考が、トランプ政権には一貫して批判的な姿勢を取りつつも、穏健中道派(「トランプ派」か、そうでないか、という二極分化的な状況の中で、この「穏健中道派」というラベルがどのような意味をもつかということについては、ここでは踏み込まない)の立場を堅持するアトランティック誌の巻頭に掲載されたことの象徴的な意味合いは大きいだろう。これはなにも弾劾の方向にアメリカが動き出していくということではない。次の大統領を選出するプロセスが始まっていく中で、場合によっては弾劾されても仕方ない大統領を再選出することの意味を問おう、という動きが本格化しているという状況だろう。それはいわば、大統領選挙が行われる背景画像をしっかりと設定しておこうという動きだ。

 現実的に考えると、弾劾の主体となる議会の信頼度はとにかく低い。ここ10年は「大いに信頼する」と「かなり信頼する」を合わせても一貫してわずか10%前後4だ。たしかに下院議長になってからのペローシが事あるごとに大統領にリマインドしているように、立法府は「co-equal branch of government」ではあるが、ここまで支持率が低い立法府が、国民が選んだ大統領を弾劾することに果たして正当性はあるのか、という感覚的な疑問が湧いてこないわけではない。

 にもかかわらず、そうした問題はありつつも、「I-word」がアメリカ政治の表面すれすれのところで徘徊し始めている。少なくとも弾劾についての意見を聞くことは、もはや普通のことになった。トランプ政権が発足して以来のエントロピーはさらに増大している。

(了)

1Need to Impeach, <https://www.needtoimpeach.com/>, accessed on February 6, 2019.

2 Robert Redford, "Robert Redford: We must defend our democracy -- and not by impeachment", The Washington Post, January 14, 2019,<https://www.washingtonpost.com/opinions/our-democracy-is-in-crisis-we-must-focus-on-2020--not-impeachment/2019/01/24/b51f1268-1ff6-11e9-9145-3f74070bbdb9_story.html?noredirect=on&utm_term=.2c1551a78af8>, accessed on February 6, 2019.

3 Yoni Appelbaum, "Impeach Donald Trump", The Atlantic, March 2019,<https://www.theatlantic.com/magazine/archive/2019/03/impeachment-trump/580468/>, accessed on February 6, 2019.

4 "Confidence in Institutions", Gallup,<https://news.gallup.com/poll/1597/confidence-institutions.aspx>, accessed on February 6, 2019.

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