トランプ外交の一年:最悪事態は回避できたが...

中山 俊宏
「アメリカ・ファースト」を掲げたトランプ外交と世界が向き合ってから一年。通常ならば、トランプ外交の輪郭が見えてきたと言いたいところだが、なかなかそうはいかない。昨年末、「国家安全保障戦略(NSS)」が発表され、年が明けて「国家防衛戦略(NDS)」が発表された。NSSでは、世界は競争的な状態にある(competitive world)という認識が示され、NDSでは、そういう世界に向き合うべくアメリカの国防態勢を建て直す旨が明記されている。両文書においては、中露を脅威としてとらえる点が際立っている。とりわけ中国の「覇権的野望」に関する懸念はかなりはっきりとしている。本来ならば、これらの外交安保関連重要文書を読み解いていけば、政権の基本的な考え方が見えてくるはずだ。しかし、そこで示されている方針が、どこまで大統領と共有されているのか、そのことすらも判然としない。NSSが発表された際、合わせて行われた大統領の演説は、NSSの内容と合致するものではなかった。
しかし、一年前を思い起こして見ると、最悪事態は回避されたようにもみえる。一昨年の大統領選挙を通じて見えてきたトランプ候補の外交安全保障に関する直観的認識は、おおよそ次の六つの点に集約できた。①不公平な通商でアメリカは損をしている、②同盟国はアメリカが提供する安全に寄生しタダ乗りしている、③外からの異質な存在の侵入を遮断しなければならない、④権威主義的なリーダーへの親近感、⑤もう無駄な介入はしない、つまり、押しつけ的に諸外国の事情には口を出さない、そして⑥多国間主義外交への徹底した不信感、があげられる。
これらがいわば「アメリカ・ファースト的な世界観」を構成しているパーツだ。これはもはやアメリカは抽象的な価値や規範、そして国際秩序を維持するために行動するのではなく、自国の利益と安全のために自分勝手に振る舞わせてもらうという「宣言」でもあった。それは、アメリカが国際政治において特殊な役割を担っているという信念の放棄であり、他の国と同様、アメリカも普通に振舞わせてもらうという「居直り」でもあった。少なくとも20世紀以降のアメリカ外交には、「ミッショナリー・デモクラシー(使命的民主主義)」に依拠した旋律が基層にあり、あのリアリストの権化、キッシンジャーをして、アメリカ外交の本流はウィルソン主義だと言わせしめたほどである。それゆえ、トランプ政権誕生が確定した後、いままで空気のように存在してきた「リベラル・インターナショナル・オーダー」の揺らぎがことさら認識されるようになった 1。皮肉にも、その脆弱性は、中国の台頭によってよりも、アメリカの「奇行」によってより強く認識されることとなった。日本も、トランプ政権のこの姿勢に強い不安を感じていたことは記憶に新しい。
ここ一年を振り返ってみると、TPP、パリ協定からの離脱、NATO諸国とのスレ違い、ロシアとの距離の取り方、そして何よりも大統領自身の不用意なツイートなど、不安を感じることは多々あった。しかし、全体としてみると、最悪ケースとして想定されたような国際秩序が音を立てて崩れていくような事態は回避できたようにも見える。
しかし、なぜそのような事態を回避できたのか。いくつかの考え方がありうる。その前に、まずほぼないのは、トランプ大統領自身が、最高司令官として経験を積み、アメリカ・ファースト的な世界観に軌道修正を施したという可能性だ。オバマ政権との対比で、力に依拠した外交(peace through strength)を指向している点を評価する声はあるが、大統領自身が最高司令官としてここ一年で成長したという論評はまず見かけることはない。
最悪事態を回避できたことの理由としてもっとも頻繁に指摘されるのは、政権内の「大人たち(grown ups)」の存在だ。この「大人たち」とは、マティス国防長官を筆頭に、ケリー首席補佐官、マクマスター安全保障担当大統領補佐官、そしてティラーソン国務長官のことだ2。日本では対北朝鮮制裁決議との関連で、ヘイリー国連常駐代表を評価する向きもあるが、イスラエルの首都移転、イランに対する強硬な姿勢など、むしろトランプ派だとの見方もある(なお、ヘイリーの国連大使ポストは閣僚級ポストである)。
マティスとケリーは四つ星の退役軍人、マクマスターは現役の軍人であり、当然、安全保障に関する知見を有している。外交安保に関して特に知見のない前任のプリーバスに代わって、ケリーが首席補佐官に任命されたことの意味は大きい。また、アメリカ・ファーストの言わば「請負人」であった、マイケル・フリンが安全保障担当大統領補佐官を早々と解任され、代わりにマクマスターが就任したことも重要だ。
ティラーソン国務長官については、国務省のキャリアの職員との関係が極めて悪い状態にあると伝えられていること(事実、キャリア外交官退任のニュースが絶えない)、そしてしばしばトランプ大統領本人から信用されていないとの噂が絶えず、早期退任説も飛び交っていて、「大人たち」の中では一番危うい存在だ。しかし、エクソンモービルのCEOをつとめた経験から、世界を地政学的に把握する感覚を有していることの意味は小さくないだろう。この四人が、トランプ政権の外交安全保障政策にアメリカ・ファースト的な要素がストレートに侵入してくるのを防いでいる、それゆえに最悪事態は回避されている、こういう見方をする人たちは少なくない。
つまり、妙な話だが、トランプ政権の対外政策が破綻していないのは、トランプ政権の外交安保チーム高官が、トランプ大統領と世界観を共有していないためということになる。たしかに人事権は大統領にあり、指名したのは大統領だから、これを大統領自身の功績とすることは不可能ではないが、少なくとも上記のような効果が大統領自身の意図するところだったと見なすにはかなりの飛躍が必要だろう。
またこの「大人たち」の存在に加えて、外交安保関連の人事、とりわけ国務省の高官人事が、ごく最近までほとんど動いていなかったという点も、トランプ外交がアメリカ・ファーストの方向に大きく舵を切れなかった理由のひとつとしてあげられる。つまり、ホワイトハウスがトランプ色を出そうとしても、それを各省庁レベルで政策に落とし込んでいく人材を送り込めていなかったということだ。昨年二月に日米共同声明が策定された際などは、米側が不在で、日本側が主導権を握ったと伝えられている。TPPやパリ協定などの、目立つ案件はたしかにアメリカ・ファースト的な思考のインパクトを免れえなかった。しかし、最前線にない案件については、意外にもこれまでの政策がそのまま続行しているという傾向がある。トランプ政権一年目のアジア政策は、むしろ継続性の方が目立つと評価することも不可能ではない(ここでもTPP離脱は除外する必要があるが)。空席のままの政治的任用ポストについては、キャリアの国務省職員が代行としてその穴を埋めているケースが多く、そうなると皮肉にも、これまでの政策が継続するということになる 3。つまり、トランプ政権が意外に穏当(=継続性がある)というのは、人事が全く滞っていたためだということになる。
大統領のスピーチという次元ならば、確かにアメリカ・ファースト的な要素が前面に出ることがある。昨年7月にポーランドで行われたトランプ大統領の演説などはその典型だ。この演説は、政権内、アメリカ・ファースト派によって起案されたものだ。それは、血とナショナリズムに依拠した異形の演説だった。
しかし、政策とアメリカ・ファースト的な世界観の間には、薄い膜が設けられており、TPPやパリ協定など例外はあったが、後者が無限定に侵入してくることはなかった。少なくとも1年目のトランプ外交はそうだったし、仮に、かなりぶれたとしても、最終的にはどうにか落ち着くところに落ち着くというような状況だった。アメリカのNATOへのコミットメントなどがその典型だ。共同防衛に懐疑的な見解をブリュッセルでは示しつつも、それを帰国後、事後的に確認するという具合だ。
問題は、この状態がいつまでもつかということだ。「大人たち」が四年間、ずっと留まれるという保証はない。少し早いが、ましてや再選ということにもなれば、ほぼ確実に人は入れ替わるだろう。マティスを除く他の三人については、大統領とのすれ違いや、なんらかの摩擦のニュースが絶えず聞こえてくる。共和党系の外交安保の専門家たちは、ことごとくトランプ政権と距離をおいており、仮に彼らが退任すると、「大人たち」の役割を引き継げる人材は決して豊富とはいえない。外交安保エスタブリッシュメントの面々の多くは、選挙中に公表された反トランプ書簡に名を連ねており、今のところ彼らが政権に参画する見込みはない。4そうなると、後から振り返ってみると、トランプ外交初年は、諸々の条件が作用して、風変わりではあったが、まだしもマシだったということになるかもしれない。
日本は、トランプ政権との関係ということでいえば、例外的に従来通りの約束、もしくはそれ以上の約束を取りつけている。それゆえ、トランプ政権は日本にとって、悪くないという見方がかなりある。トランプ政権に批判的なエリオット・コーエンは、トランプ政権にうまく対応した国として、日本とイスラエルをピンポイントであげている。5それは選挙後の日本政府の動きが素早かったこと、さらに北朝鮮の脅威というはっきりとした状況を共有していることが作用している。さらに安倍総理とトランプ大統領との間の相性という要素も無視できない。本当に相性が合うのか、それとも日本国総理として意識的にそれをやっているのかを問う意味はないだろう。
しかし、トランプ政権が中国とどのような関係を構築しようとしているのか、TPPの代わりに米国が目指すと主張している二国間の通商協定交渉がどのようなカタチをとるのか、トランプ政権二年目の日米関係は予断を許さない。過剰反応は禁物だが、仮にトランプ色が前面に出てきた場合、日本としてどういうオプションがあるのか、もしくはないのか。ここ一年で日本は、ある意味、トランプ政権にかなり慣れてしまっている。しかし、ある種の違和感を持ち続けることも重要ではないだろうか。日本にとってアメリカとの関係は誰が大統領だろうと良好でなければならない。それが出発点でもある。しかし、トランプ政権が日本にとってグッドニュースだと結論づけることはまだできない。
※ なお、本原稿はNHK視点・論点「トランプ外交と日本」(2018年1月24日放送)で用いた原稿を加筆修正したものである。
(了)
- 遠藤乾、大芝亮、中山俊宏、宮城大蔵、古城佳子「国際秩序は揺らいでいるのか」(『国際問題』No. 668、2018年1・2月合併号、1-18ページ)。
- ケリーが首席補佐官として、「大人たち」に加わる以前、マティス、マクマスター、ティラーソンの三人は、三人のイニシャルをとって「MMT」と評されていた。
- 年始に訪問したカンボジアでは、オバマ政権時代の人権や人道問題に依拠した政策が、なにごともなかったように継続していることを筆者自身が確認した。
- 反トランプ書簡は二種類ある。予備選の時のものと、本選に入ってからのものだ。共和党が候補を一本化した後に発せられた後者の方が、トランプチームからはより深刻なものと受け止められている。書簡は、以下で参照可能。‟A Letter From G.O.P. National Security Officials Opposing Donald Trump" The New York Times, August 8, 2016. [http://www.nytimes.com/interactive/2016/08/08/us/politics/national-security-letter-trump.html] (最終検索日:2018年1月23日)
- Eliot A. Cohen, "Trump's Lucky Year," Foreign Affairs, January 20, 2018. [https://www.foreignaffairs.com/articles/2018-01-20/trumps-lucky-year](最終検索日:2018年1月23日)