2025.8.29
- 大場 翠
- ミャンマー
第2次トランプ政権の大統領令がミャンマー難民キャンプに与える影響(後編):トゥーサーが過ごした数年間を振り返って

2025年3月5日に、メーラ難民キャンプにてKaren Refugee Committee(KRC)が主催した50周年記念式典の様子。
最初の難民がカレン州からタイに到着してから50年を迎える節目として開催された。
※本記事は全2部作です。第1回目『第2次トランプ政権の大統領令がミャンマー難民キャンプに与える影響(前編):米国への第三国定住を中心に』はこちら。
※本稿は2025年8月上旬時点の情報をもとに執筆されたもので、2025年8月29日に公開されました。
※本記事における見解は筆者個人のものであり、Asia Peacebuilding Initiatives:APBIの公式見解ではありません。
後編では、筆者の10年来の友人であり、現在もキャンプで暮らしているトゥーサー(仮名)が、米国への第三国定住の可能性に翻弄された数年間を振り返りたい。
キャンプ内ではこれまで、タイ政府とUNHCRによるキャンプ住民の登録や確認作業が行われてきた。詳細は後述するが、トゥーサーはこれらのいずれにも参加していない。よって、彼は「登録を受けた難民」ではなく、キャンプ難民の代表とはいいがたいかもしれない。ただし、一人のキャンプ住民が、時の政策にいかに振り回されたかを示す事例としては十分な存在である。
トゥーサーは30代の男性で、ミャンマー・カレン州A郡の出身である。10歳まで出身村で暮らしたが、州内の内戦の影響で学校にも安心して通えなくなった。当時、戦闘は落ち着いていたものの、彼の村の人々が国軍兵士の存在に怯える状況は続いていた。
先にヌポ難民キャンプに逃れていた兄を追ってトゥーサーもキャンプで暮らすようになり、キャンプ内の学校で9年間学んだ後[9]、2013年にカレン州に戻った。
2015年、カレン州でトゥーサーと出会った。筆者は彼のバイクの後ろに乗り、カレン州国境地域のでこぼこ道を走るのが好きだった。飄々としながらも繊細さを隠し持つトゥーサーの内面が彼の安全運転によく表れているようで微笑ましかったし、いつも嬉しかった。月日が経つにつれ、彼のバイクの後ろから見える景色は、カレン州からタイ側の国境地域へと移り変わっていった。
2016年に撮影したトゥーサー。ミャンマー・カレン州A郡にて。クーデター後に戦闘が続くこの場所で、彼とまた同じ景色を見られる日は訪れるだろうか。
2017年、トゥーサーはヌポ難民キャンプで知り合ったポポ(仮名)と再会して結婚した。ポポは2007年からキャンプで暮らしており、出産を予定していたため、トゥーサーは結婚を機に再びキャンプの住民となった。彼らはキャンプを拠点とするつもりはなく、2020年にはカレン州に戻る計画を立てた。しかし、新型コロナの感染拡大によってキャンプ外への移動が厳重に制限され、国境も閉鎖された。
1年後の2021年2月、ミャンマーでクーデターが発生し、戻る予定だったカレン州のポポの出身村の治安が悪化したことでさらに身動きが取れなくなった。クーデター後にはカレン州でもデモ活動が行われるなか、トゥーサーからは「自分はキャンプから出られない」「なにもできない」というメッセージが届いた。
2021年12月、9つの難民キャンプのうち最大のメーラキャンプでタイ当局に対する抗議活動が起きた[10]。きっかけは、タイ当局の関係者が4人のキャンプ難民を叱責し、バイクを押収したうえ返却を拒んだこととされる。その後、4人はタイ当局に拘束され、暴行を受けたとの報告もある。
他のキャンプ難民も加わり抗議者は数百人に膨れ上がった。彼らはキャンプのセキュリティゲートを破壊し、抑圧されていた怒りやフラストレーションが爆発するかのように抗議は暴動や放火へと発展した。これに対し、タイの治安部隊は発砲で応じた。
1年後の2021年2月、ミャンマーでクーデターが発生し、戻る予定だったカレン州のポポの出身村の治安が悪化したことでさらに身動きが取れなくなった。クーデター後にはカレン州でもデモ活動が行われるなか、トゥーサーからは「自分はキャンプから出られない」「なにもできない」というメッセージが届いた。
2021年12月、9つの難民キャンプのうち最大のメーラキャンプでタイ当局に対する抗議活動が起きた[10]。きっかけは、タイ当局の関係者が4人のキャンプ難民を叱責し、バイクを押収したうえ返却を拒んだこととされる。その後、4人はタイ当局に拘束され、暴行を受けたとの報告もある。
他のキャンプ難民も加わり抗議者は数百人に膨れ上がった。彼らはキャンプのセキュリティゲートを破壊し、抑圧されていた怒りやフラストレーションが爆発するかのように抗議は暴動や放火へと発展した。これに対し、タイの治安部隊は発砲で応じた。

2021年12月の抗議活動翌日のキャンプ内の様子。Facebookの投稿から引用
キャンプで同居していたポポの祖母は、炎に強いトラウマを抱えていた。抗議活動の炎は、かつてカレン州の内戦で目にした戦火や焼き討ちの記憶を蘇らせ、祖母はキャンプでの暮らしを拒むようになった。そして、コロナ禍が明けた2022年、トゥーサーたちはキャンプの住居を明け渡し、祖母と子どもの教育のためにタイのターク県メーソート郡へ移り住んだ。
当初、トゥーサーたちはメーソート郡に長く暮らす予定だった。住まいを借りて、当時6歳の子どもをタイの公立小学校に入学させた[11]。しかし、ほどなくして、キャンプから米国への第三国定住が再開されるニュースが飛び込んできた。
ポポは米国行きを切望した。そして、米国への定住に必須とされるキャンプ内での確認作業(Verification Exercise)に参加するため、キャンプに戻りたいと考えた。一方、トゥーサーはなぜ自分たちはこんなにも動き回らなくてはならないのかと憤り、その時期は夫婦喧嘩が絶えなかったという。
トゥーサーとポポはいずれもタイ社会では非正規滞在者であり、タイ当局の取り締まりを恐れて、日々の移動や生活に不安を抱えていた。2022年に筆者がメーソート郡でトゥーサーと再会した際には、彼の家からバイクで3分離れた茶屋で待ち合わせて、そこから急いで彼の家へ向かった。
少なくとも当時は、そのわずかな距離の移動すらも、トゥーサーにとっては不安を感じるものだった。よりよい将来の可能性を渡米に見出そうとして、それをなんとか掴もうとキャンプに戻りたがったポポの意向も理解できる。
結局メーソート郡での暮らしを約1年で終えて、2023年にトゥーサーたちはキャンプに戻った。彼らは2022年にキャンプの住居を明け渡したことを今でも悔いている。というのも、キャンプの新しい家の建設には約6万タイバーツ(当時のレートで約24万円)かかったそうだ。
キャンプに戻ったからといって、明るい将来が約束されていたわけではなかった。むしろ、家族そろって渡米できるのかどうかは不透明で、それがトゥーサーにとって最大の懸念だった。
ポポは、無事に米国への第三国定住のための初めのステップとなる確認作業(Verification Exercise)に参加した。これは、特定の集団に対してキャンプ内で実施される期限付きの確認作業である。関連する保護プログラムの設計のために必要なデータとなる、個人の登録記録の検証・更新が行われるほか、必要に応じて追加情報が収集される。
過去にキャンプ内で実施された主な人口調査、登録、確認作業(Verification Exercise)の概要は、表1の通りである。
当初、トゥーサーたちはメーソート郡に長く暮らす予定だった。住まいを借りて、当時6歳の子どもをタイの公立小学校に入学させた[11]。しかし、ほどなくして、キャンプから米国への第三国定住が再開されるニュースが飛び込んできた。
ポポは米国行きを切望した。そして、米国への定住に必須とされるキャンプ内での確認作業(Verification Exercise)に参加するため、キャンプに戻りたいと考えた。一方、トゥーサーはなぜ自分たちはこんなにも動き回らなくてはならないのかと憤り、その時期は夫婦喧嘩が絶えなかったという。
トゥーサーとポポはいずれもタイ社会では非正規滞在者であり、タイ当局の取り締まりを恐れて、日々の移動や生活に不安を抱えていた。2022年に筆者がメーソート郡でトゥーサーと再会した際には、彼の家からバイクで3分離れた茶屋で待ち合わせて、そこから急いで彼の家へ向かった。
少なくとも当時は、そのわずかな距離の移動すらも、トゥーサーにとっては不安を感じるものだった。よりよい将来の可能性を渡米に見出そうとして、それをなんとか掴もうとキャンプに戻りたがったポポの意向も理解できる。
結局メーソート郡での暮らしを約1年で終えて、2023年にトゥーサーたちはキャンプに戻った。彼らは2022年にキャンプの住居を明け渡したことを今でも悔いている。というのも、キャンプの新しい家の建設には約6万タイバーツ(当時のレートで約24万円)かかったそうだ。
キャンプに戻ったからといって、明るい将来が約束されていたわけではなかった。むしろ、家族そろって渡米できるのかどうかは不透明で、それがトゥーサーにとって最大の懸念だった。
ポポは、無事に米国への第三国定住のための初めのステップとなる確認作業(Verification Exercise)に参加した。これは、特定の集団に対してキャンプ内で実施される期限付きの確認作業である。関連する保護プログラムの設計のために必要なデータとなる、個人の登録記録の検証・更新が行われるほか、必要に応じて追加情報が収集される。
過去にキャンプ内で実施された主な人口調査、登録、確認作業(Verification Exercise)の概要は、表1の通りである。
表1:キャンプ内で実施された主な人口調査、登録、確認作業(Verification Exercise)の概要。関連資料および聞き取りを基に筆者作成
No. | 実施年 | 内容 | 実施者 |
1. | 1999年 | <キャンプ人口調査> 対象:キャンプ内に滞在していた人々
|
タイ内務省・UNHCR合同 |
2. | 2004-5年 | <「難民」登録の実施> 対象:ミャンマーの紛争から逃れたミャンマー避難民
目的:第三国定住プログラム開始のための準備
|
タイ内務省・UNHCR合同 |
3. | 2015年 | <確認作業(Verification Exercise)> 対象:2.で登録を受けた者に加えて、2014年末までにキャンプ内に滞在していた人々
目的:帰還プログラム開始のための準備
|
タイ内務省・UNHCR合同 |
4. | 2019-20年 | <キャンプ人口調査> 対象者:3.の該当者
目的:タイ政府のデータベースへのデータ入力作業のため
|
タイ内務省 |
5. | 2023年 | <確認作業(Verification Exercise)> 対象:3.もしくは4.の該当者
目的:米国の第三国定住プログラム再開のための準備
|
タイ内務省・UNHCR合同 |
2023年の米国の第三国定住プログラム再開準備のための確認作業(表中5)は、2015年(表中3)もしくは2019-20年(表中4)に参加した者のみが対象とされた。ポポと、その子どもは条件を満たすと判断されたものの、トゥーサーは過去のいずれにも参加していなかったため対象外となった。
先にポポと子どもが渡米し、将来的にトゥーサーが彼らを追う可能性に期待を抱きながらも、家族の未来は極めて不透明だった。子どもは大の「パパっ子」で、父親のいない生活は想像するのも難しかった。
トゥーサーは2015年の確認作業が行われることを当時知っていたものの、ミャンマーに平和が訪れたと思い、参加の必要はないと考えた。2019-20年の人口調査時にはキャンプで暮らしていたが、2015年の確認作業に参加していなかったため対象外とされた。
それまで、トゥーサーにとってのキャンプでの暮らしは、内戦の影響でカレン州の出身村では得られなかった教育の機会や、出産を控えたポポのそばにいるための一つの手段だったといえる。そのため、彼の実生活においては、過去の登録や確認作業はさほど意味を持たなかった。
しかし、(米国への第三国定住の再開が決定した後の結果として)確認作業の対象者としての条件を満たすポポを妻とし、子を持つ父親になった後に米国への定住の機会が訪れたことにより、それは一変して重要なものとなった。
米国への第三国定住プログラムの再開は、結局、トランプ氏による大統領令の発出によって全面的に白紙となった。トゥーサー、そして彼の家族が葛藤を抱えながら試行錯誤を重ねて過ごした数年間は、あまりにもあっけなく幕を閉じた。なお、トゥーサーたちが2022年にキャンプを離れるきっかけとなったポポの祖母は、2024年、キャンプ内で亡くなった。
先にポポと子どもが渡米し、将来的にトゥーサーが彼らを追う可能性に期待を抱きながらも、家族の未来は極めて不透明だった。子どもは大の「パパっ子」で、父親のいない生活は想像するのも難しかった。
トゥーサーは2015年の確認作業が行われることを当時知っていたものの、ミャンマーに平和が訪れたと思い、参加の必要はないと考えた。2019-20年の人口調査時にはキャンプで暮らしていたが、2015年の確認作業に参加していなかったため対象外とされた。
それまで、トゥーサーにとってのキャンプでの暮らしは、内戦の影響でカレン州の出身村では得られなかった教育の機会や、出産を控えたポポのそばにいるための一つの手段だったといえる。そのため、彼の実生活においては、過去の登録や確認作業はさほど意味を持たなかった。
しかし、(米国への第三国定住の再開が決定した後の結果として)確認作業の対象者としての条件を満たすポポを妻とし、子を持つ父親になった後に米国への定住の機会が訪れたことにより、それは一変して重要なものとなった。
米国への第三国定住プログラムの再開は、結局、トランプ氏による大統領令の発出によって全面的に白紙となった。トゥーサー、そして彼の家族が葛藤を抱えながら試行錯誤を重ねて過ごした数年間は、あまりにもあっけなく幕を閉じた。なお、トゥーサーたちが2022年にキャンプを離れるきっかけとなったポポの祖母は、2024年、キャンプ内で亡くなった。
[9]キャンプ内には保育所、小中高校、(日本の大学にあたる)高等教育機関がある。卒業資格はタイとミャンマーのどちらでも正式に認められないが、これらは国際援助を受けており、ミャンマー国内の教育機関よりも教育内容や施設が充実している場合がある。トゥーサーのように、教育の機会や、質の高い教育を求めてミャンマー側の国境地域からキャンプ内の学校に通うケースは珍しくない。
[10] 例えば、Karen Information Center (KIC), “မယ်လဒုက္ခသည်စခန်းတွင် ဆန္ဒပြမှုနှင့် ရုန်းရင်းဆန်ခတ်ဖြစ်ပွားနေ”[https://kicnews.org/2021/12/မယ္လဒုကၡသည္စခန္းတြင္-ဆႏ]や、Bangkok Post, “Rangers guarding Mae La refugee camp following riot”[https://www.bangkokpost.com/thailand/general/2232351/rangers-guarding-mae-la-refugee-camp-following-riot]を参照。
[11]タイでは制度上、移民や無国籍の子どもにも(日本の高校にあたる)中等教育までの教育機会が保障されている。しかし実際には、入学時に出生証明書やタイ人からの推薦状を求められることが多く、これが障壁となる。教育の機会を知らなかったり、非正規滞在の発覚を恐れて、子どもを入学させられない親もいる。さらに、言葉の壁、いじめや差別といった問題に加え、通学費や制服代、寮費などの間接的な費用が支払えず、たとえ入学できても就学を続けられないケースが少なくない。
おわりに
本稿では、前後編を通じて、第2次トランプ政権の大統領令がミャンマー難民キャンプに与える影響を、米国への第三国定住に焦点をあてながら明らかにした。
2025年8月上旬の執筆時点において、キャンプから米国への第三国定住プログラムの見通しは厳しいといわざるを得ない。米国による他国からの難民受け入れも限定的であり、キャンプ難民の定住再開の兆しは見られない。このままプログラムが事実上中止される可能性は高い。
大統領令により米国への定住が白紙となり、多くのキャンプ難民の唯一の希望が断たれた。さらに、米政府の資金提供も打ち切られ、医療や食料などの基本サービスが停止または大幅に削減された。前編で述べたように、ミャンマーの民政移管後も支援は減少し、キャンプ内の閉塞感が強まり、自殺率は急増した。しかし、今回の支援削減は、それをはるかに上回る規模である。
今後の展開を見守るうえで重要なのは、タイ政府が難民のキャンプ外での就労を認めるかどうかである。国際援助に頼らざるを得ない状況が続く限り、短期的な資金補填だけでは問題の根本解決にはならない。キャンプ外で合法的に収入を得て生活を安定させることは、多くの当事者にとって長年の願いでもある。
もちろん、キャンプで暮らす人々は、彼らを取り巻く情勢や制度に翻弄されるだけの存在ではない。彼らは、むしろそれらを戦略的に利用することもあれば、トゥーサーがそうであったように、キャンプという場が人生におけるその時々の一つの手段であることも珍しくはない。
それでもなお、第2次トランプ政権の大統領令が突きつけたのは、難民の人々や家族の人生が、時の政策によって、いともたやすく左右される現実だろう。
2025年8月上旬の執筆時点において、キャンプから米国への第三国定住プログラムの見通しは厳しいといわざるを得ない。米国による他国からの難民受け入れも限定的であり、キャンプ難民の定住再開の兆しは見られない。このままプログラムが事実上中止される可能性は高い。
大統領令により米国への定住が白紙となり、多くのキャンプ難民の唯一の希望が断たれた。さらに、米政府の資金提供も打ち切られ、医療や食料などの基本サービスが停止または大幅に削減された。前編で述べたように、ミャンマーの民政移管後も支援は減少し、キャンプ内の閉塞感が強まり、自殺率は急増した。しかし、今回の支援削減は、それをはるかに上回る規模である。
今後の展開を見守るうえで重要なのは、タイ政府が難民のキャンプ外での就労を認めるかどうかである。国際援助に頼らざるを得ない状況が続く限り、短期的な資金補填だけでは問題の根本解決にはならない。キャンプ外で合法的に収入を得て生活を安定させることは、多くの当事者にとって長年の願いでもある。
もちろん、キャンプで暮らす人々は、彼らを取り巻く情勢や制度に翻弄されるだけの存在ではない。彼らは、むしろそれらを戦略的に利用することもあれば、トゥーサーがそうであったように、キャンプという場が人生におけるその時々の一つの手段であることも珍しくはない。
それでもなお、第2次トランプ政権の大統領令が突きつけたのは、難民の人々や家族の人生が、時の政策によって、いともたやすく左右される現実だろう。
大場翠 MIDORI OBA
(東京外国語大学大学院博士後期課程)
(東京外国語大学大学院博士後期課程)
謝辞
本稿の内容の一部は、第11回若手難民研究者奨励賞と京都大学東南アジア地域研究研究所GCRの助成およびJST次世代研究者挑戦的研究プログラムJPMJSP2185の支援を受けて実施した研究の調査で得られた知見に基づく。ここに記して感謝申し上げます。
参考文献
大場翠(2025)「作られた村への「帰還」に対する難民当事者たちの意味づけ—ミャンマー・カレン州レイケイコー村を事例として」『難民研究ジャーナル』14号、121-135頁.
久保忠行(2014)『難民の人類学―タイ・ビルマ国境のカレンニー難民の移動と定住』清水弘文堂書房.
直井里予(2025)『うつる人びと―映像で語るカレン難民の少年との日々』晃洋書房.
久保忠行(2014)『難民の人類学―タイ・ビルマ国境のカレンニー難民の移動と定住』清水弘文堂書房.
直井里予(2025)『うつる人びと―映像で語るカレン難民の少年との日々』晃洋書房.

MIDORI OBA
大場 翠
東京外国語大学大学院博士後期課程