長田 紀之 (アジア経済研究所 研究員)
2023.04.17
  • 長田 紀之
  • ミャンマー

ミャンマーの内戦はクーデタでどう変わったか

※本記事における見解は筆者個人のものであり、Asia Peacebuilding Initiatives:APBIの公式見解ではありません。

1. はじめに

ミャンマーでは独立以来,70年以上にわたって内戦が続いてきたが,2021年2月1日に起きた国軍によるクーデタのあと,その様相に大きな変化が生じた。従来は,中央政府および国軍と,それに対して反乱を起こした複数の少数民族武装組織との対立が基本的な構図であり,主な戦場は,国家の周縁に位置して少数民族が多く居住する諸州の山地帯,特に東部から北東部にかけてのシャン州およびカチン州や,南東部のタイ国境域であった(2018~2020年には西部ラカイン州でも激しい内戦が展開した)。

しかしクーデタ後は,国軍に反対する数多の市民武装組織が叢生し,並行政府を象徴的な中心として一大軍事勢力を形成した。これらの新興武装組織の構成員が主に多数派のビルマ(バマー)民族であり,活動地域も国土中央の平野部に集中していることが,クーデタ後の内戦の新規性を際立たせた。

2.従来の内戦

クーデタ前に活動していたおもな反体制武装組織はおよそ20あり,その大部分は特定の少数民族の自治や権利向上を理念として掲げる組織だった(表1)。1948年の独立直後に始まったミャンマーの内戦は,マジョリティであるビルマ民族中心の国民国家建設のあり方に対するマイノリティからの異議申し立てと,冷戦下のイデオロギー対立が絡んで展開し,1960年代には軍を政治の表舞台に立たせることになった。1988年の大規模な民主化運動を契機として代替わりした軍事政権は,おりしもの冷戦の終焉という国際情勢を背景に,個別の武装勢力との停戦が進め,内戦は下火になった。

しかし,2000年代末には,2008年憲法の新体制下で諸武装組織を傘下に編入しようと目論む国軍に対し,諸武装組織が反発を強め,内戦が一部地域で再燃した。2011年に同憲法のもとで民政移管が実現し,退役将校が中枢を占めるテインセイン政権が発足すると,従来の各組織との個別交渉から一斉停戦の模索へと路線転換がなされ,2015年の「全国停戦協定」署名に至った。

 

しかし,この全国停戦協定は「全国」と銘打たれてはいたものの,それに署名した組織は当初8組織に限られた。さらに,それらの署名組織のうち強力なものは2つだけであった。カイン州を拠点とするミャンマー最古の少数民族武装組織であるカレン民族同盟(KNU,軍事部門はカレン民族解放軍[KNLA])と,シャン州南部を拠点とするシャン州復興評議会(RCSS,軍事部門はシャン州軍-南[SSA-S])である。そのほかの弱小組織も含めて,署名組織はおもに南東部のタイ国境域を拠点としていた。

これに対して,北東部の中国国境域に割拠する特に強大な複数の武装組織は全国停戦協定への署名に応じなかった。その背景には,当時,シャン州北東部コーカン地方のミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)が,友軍であるアラカン軍(AA)およびタアン民族解放軍(TNLA)とともに国軍と激しい戦闘を繰り広げていたことがある。政府および国軍がこれら3組織を一斉停戦の交渉相手に含めなかったため,それに反対する北東部の諸組織が全国停戦協定に署名しなかったのである。こうした態度をとった組織には,全武装組織中で最大勢力を誇るとされるワ州連合軍(UWSA)のほか,それに隣接するモンラー地域を統治する民族民主同盟軍(NDAA),シャン州北部を拠点とするシャン州進歩党(SSPP,軍事部門はシャン州軍-北[SSA-N]),カチン州に拠点を置くカチン独立機構(KIO,軍事部門はカチン独立軍[KIA])があった。このように,政府側の全国停戦協定締結に向けた働きかけに対し,諸武装組織間で反応が分かれたため,本格的な全国停戦は実現せず,各地で戦闘が散発する状況が継続した。

約半世紀ぶりの自由で公正な選挙によって2016年に成立したアウンサンスーチー政権は,内戦の収束を最優先事項と位置づけ,前政権の基本路線を継承して,非署名組織に全国停戦協定への署名を働きかけるとともに,署名組織,政府,国軍などの対話の場として「21世紀のパンロン」会議と銘打つ和平会議を数回開催した。しかし,芳しい成果は得られず,内戦の状況はむしろ悪化した。2008年憲法によって自律性を保障される国軍と,選挙によって選ばれたアウンサンスーチー率いる文民政府との足並みがそろわず,権力闘争で両者の関係が悪化の一途をたどったことも和平プロセスの停滞につながった。新たに署名した組織は比較的弱小な2組織に留まり,署名組織との政治的な議論にもほとんど進展がみられなかった。前段落で名前を挙げた7つの強力な非署名組織は,盟主的な存在であるUWSAのイニシアティブのもと,2017年に新たな組織連合である「連邦政治交渉協議委員会」(FPNCC)を結成して,政府路線とは異なるかたちでの和平プロセスを求めた。

また,アウンサンスーチー政権期には,西部のラカイン州の情勢が極端に不安定化した。2017年には,同州西端のムスリム人口の権利擁護を掲げる新しい武装組織アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)が国境ポストを襲撃したことを契機として,国軍による苛烈な掃討作戦が展開され,短期間に70万人ものロヒンギャ難民がバングラデシュ側に流出するという未曽有の事態に至った。さらに2018年末から約2年間にわたって,今度はAAと国軍とのあいだで激しい武力紛争が続いた。AAは2009年にKIOの援助のもとに設立された比較的新しい組織であり,北部カチン州の翡翠鉱山へのラカイン人出稼ぎ労働者をリクルート対象として, KIO,MNDAA,TNLAなどとともにミャンマー北部・北東部を拠点に活動してきた。

しかし,2015年以降は西部のラカイン州や隣接するチン州南部にも活動範囲を拡げ,地元住民の支持を得つつ勢力を扶植した。これが国軍とのあいだの緊張を高め,激しい紛争に結びついたのである。2年間の激戦ののち,2020年11月の総選挙直後に突如,両者のあいだに事実上の停戦が成立した。クーデタ敢行を念頭に置いていた国軍が,ことを起こす前に厳しい戦いを強いられていた西部の戦線を閉じておこうとしたのかもしれない。

3.クーデタ後の変化

2021年2月1日未明,ミンアウンフライン総司令官率いる国軍がクーデタを実行した。2020年11月総選挙の結果,アウンサンスーチー率いる国民民主連盟政権が次の5年間も続くことが決まっていたなかで,国軍は大規模な選挙不正があったと主張して政権要人を拘束し,国家非常事態宣言のもとで権力を奪取したのである。まもなく,クーデタに反対するデモや,国軍への非協力姿勢を示す職務放棄運動(市民的不服従運動)といった,一般国民による反クーデタ抗議運動が全国的な広がりをみせた。しかし,非暴力の手段を採る運動を国軍は剥き出しの暴力によって弾圧し,多数の死者や拘束者が出た。次第に大規模デモは影を潜め,代わりに,一部の抗議者は武器を手に取り始めた。こうして,ミャンマーで長く続く内戦に新しい局面が生じていくことになる。

では,クーデタ後の内戦の新しさとは何か。ここでは3点挙げたい。第一に,内戦が全般的にエスカレートし,その中心となる舞台が地理的にシフトしたことである。表2はアメリカのNPOが集計した世界的な紛争データベースに基づいて,2021~2022年にミャンマーで起きた武力衝突の回数を四半期ごと,管区域・州別に集計したものである。これをみると,クーデタ後の内戦が2021年の第4四半期から2022年にかけて全国的にエスカレートしたことが分かる。とりわけ,ザガイン管区域での発生回数が突出している。隣接するマグウェー管区域北部,マンダレー管区域西部,チン州北部を含めて,国土の真ん中に位置する中央乾燥平原から北西部のインド国境域にかけての地域は,従来は目立った武力衝突が起きてこなかったが,クーデタ後の内戦の最大の焦点となった。

第二に,それまでのものとは性格が異なる武装組織が登場した。中央乾燥平原での武力衝突のほとんどは,国軍と,クーデタ後ににわかに勃興した数百にも及ぶ市民武装組織とのあいだで生じた。これらの市民武装組織は,主に多数派のビルマ民族の若者たちで構成され,その活動地域も多数派の多い平野部が中心だという点で,従来の少数民族武装組織とは違った。彼ら/彼女らの多くは,クーデタ前まではまったく戦闘経験を有さず,クーデタ後の非暴力抗議運動が軍によって弾圧されたのちに,国境付近にある反クーデタの旗幟鮮明な少数民族武装組織の支配地域に一時的に身を寄せ,そこではじめて軍事訓練と武器の供与を受けた。個々の組織の規模は小さいが,数百もの組織が存在し,合計兵力は数万人に達すると考えられる。

この人員規模は,40万人近い将兵を擁する国軍には遠く及ばないものの,既存の少数民族武装組織のなかでも最大規模のものに匹敵する。これらの市民武装組織は当初は貧弱な装備しかもたなかったが,クラウドファンディングなどを通じて相当額の資金調達に成功し,高性能の武器も備えつつある。各組織はそれぞれ自発的に動き,ときには互いに(あるいは味方となる少数民族武装組織と)協調して,ゲリラ戦を仕掛けることで国軍に大きな損耗を与えてきた。

これらの市民武装組織にみられる著しい分散性と自律性は特記に値する。全国的な反クーデタ抗議運動のなかから,2021年4月までに軍政に対抗する並行政府が樹立され,二重政府状態が現出した。国民民主連盟を核とする多勢力の集合体であるこの並行政府は,組織としての実体が弱く,オンライン上の象徴的な存在であったが,同年5月には各地に生まれつつあった市民武装組織を「人民防衛隊(PDF)」の名のもとにまとめ上げ,自らの指揮下に置こうとした。新しい市民武装組織の一部は,これに応えてPDFへの帰属を名目的に受け入れはしたものの,実態としては,各組織の自律性が強く残った。ただし,象徴や参照点として並行政府が一定の影響力を有していることもたしかであり,表2で2021年の第4四半期以降,武力衝突の回数が急増したことは,同年9月7日に並行政府が国軍に対する防衛戦開始を宣言したことと関係している。

第三に,クーデタを契機として過去10年間の停戦和平プロセスは水泡に帰し,各少数民族武装組織の立場にも変化が生まれた。国軍の軍政と並行政府との対立は,それぞれが少数民族武装組織を懐柔し,味方にしようと動いたため,これらの組織の政治的・軍事的な重要性を高めることになった。こうした状況下で各組織はそれぞれ異なる対応をとった。クーデタを非難し,明示的に抗議運動の側に与した組織は,KNU,KIO,カレンニー民族進歩党(KNPP),チン民族戦線(CNF)の4つであった。南東部のKNUと北部のKIOは国内最大規模の武装勢力であり,国軍の弾圧を逃れた人々を自領に匿い,軍事訓練を施すとともに,自らも軍の拠点を攻撃して勢力圏を拡大した。東部のカヤー州と北西部のチン州にそれぞれ拠点を置くKNPPとCNFは弱小だが,新興の地元民兵組織と連携して軍と戦っている。全国停戦協定の署名組織であるKNUとCNFが,本格的に国軍と戦端を開いたことで同協定は有名無実化した。

上記4組織以外の少数民族武装組織は,中央の政争に対して曖昧な態度を取り,保身を図ったり,国軍が手薄になった隙に乗じて勢力を伸張させたりした。諸勢力が入り乱れるシャン州では,内戦が国軍と反クーデタ勢力の対立という単純な構図を取っていない。州東部で盤石な自治を行う最大勢力のUWSAは,NDAA,MNDAA,TNLA,SSPPなど他の全国停戦協定非署名組織と関係を強化することで,ライバルの勢いを削ごうとしている。TNLAとSSPPは,UWSAの仲介と後ろ盾を得て共闘し,2015年の全国停戦協定署名以来,州南部から北部へ進出していたRCSSを押し戻した。こうした状況がRCSSに国軍とのさらなる接近を促している。国軍から各組織への停戦の呼びかけに対しては,RCSSに加え,UWSA,NDAA,SSPPがこれを受け入れて国軍との一定の関係を維持する。他方で,TNLAは並行政府に共感を示して国軍への攻撃を繰り返し,やはりUWSAから武器供与を受けるMNDAAは,失地回復を図って国軍と激しく交戦している。

西部のラカイン州および隣接するチン州南部では,2020年11月に国軍とAAのあいだで非公式の停戦が成立してからクーデタを経て2022年半ばまで,緊張関係をはらみながらも相対的な平和が保たれた。しかし,停戦中にAAが自領の実効支配をよりたしかなものにしていくと,2022年5月ごろから国軍が部隊増強を進め,AAも国軍の交渉の呼びかけを拒絶したことで関係が決裂し,8月には本格的な戦闘が再開された(表2参照)。約4カ月間の交戦の後,同年11月にはふたたび非公式の停戦が成立した。

 

4.今後の見通し

軍政は,クーデタから2年経過した2023年2月1日,国家非常事態宣言の期間をさらに6カ月延長すると発表した。6カ月の期間延長を「通常は」2回まで可能とする憲法規定を柔軟に解釈し,内戦継続を理由に3回目の延長をしたものである。軍政が2023年8月までに実施すると主張してきた総選挙も延期される見込みが高く,なし崩し的に軍政が長期化する可能性もある。反クーデタ勢力の側では,並行政府が軍事面での組織統合および指揮系統整備を試みてはいるが,各市民武装組織の自律性は依然として強く,一筋縄ではいかないだろう。

総じてみれば,国軍と反クーデタ勢力のどちらかがもう一方を殲滅するという状況には至りそうもなく,両者のあいだには中立的ないしは日和見的な諸勢力が多数存在し,そのそれぞれが自らの勢力を伸張させる機会をうかがっている。表2が示唆するように武力衝突の数こそ減少傾向にはあるが,内戦は予断を許さない状況が続くだろう。

 
NORIYUKI OSADA 長田 紀之 (アジア経済研究所 研究員)

アジア経済研究所 研究員

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