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オーシャンニューズレター

第301号(2013.02.20発行)

第301号(2013.02.20 発行)

水中文化遺産保護条約の意味するもの

[KEYWORDS] 国連海洋法条約/沿岸国管轄権/文化遺産保護
中京大学准教授、ケンブリッジ大学客員研究員◆小山佳枝

2009年に発効した水中文化遺産保護条約には、単に文化遺産保護という文脈にはとどまらない、海洋法秩序全体にとって注目すべき新たな規定が含まれている。その背景となるべき複雑な交渉過程を振り返り、条約内容を概観する。

議論の背景

■パリのユネスコ本部(写真:UNESCOウェブサイトより)

水中文化遺産保護のための国際制度が成立したのは比較的記憶に新しい。2001年にユネスコで採択された水中文化遺産保護条約(以下、ユネスコ条約)は、2009年に20カ国の批准をもって発効した。水中文化遺産として特に法的に問題となるのは、難破船、沈船およびそれに付随する物である。こうした物体に関して、内水や領海については多くの国が陸上と同様に保護する法令を定めるのに対し、それらを越える海域については同条約採択まで特に定まった国際ルールは存在しなかった。つまり、伝統的には「公海自由の原則」の適用を受けることとなり、国の管轄権を越える海域で発見された物体は無主物、遺失物として「発見者原則」の適用の下におかれていた。これまで悪質な海の宝探しがしばしば横行した背景には、こうした事情があったのである。
この問題に関する本格的な議論は、第三次国連海洋法会議の準備作業でのギリシャとトルコの提案に端を発する。それは、国家管轄権外の海底(深海底)にある考古学的歴史的物体は人類の共同財産であり、その起源を有する国に優先権があるとするものであった。同提案に基づき、ひとまず国連海洋法条約(以下、海洋法条約)149条が成立したが、これに推進力を得たギリシャは、同会議の最終段階になってさらに大陸棚と排他的経済水域における考古学的歴史的物体についても沿岸国の権利を認める提案を提出した。ところが、すでに困難な交渉を乗り越え繊細な利益均衡の上に成立した合意を再検討することに反対した諸国によって、ギリシャ提案は妥協を強いられることとなる。結果、いずれの国も海洋で発見された考古学的歴史的物体を保護する義務を有し協力するとした、きわめて一般的な規定303条が盛り込まれるにとどまったのである。

水中文化遺産保護条約と国連海洋法条約との関係

■2012年に沈没後100年を迎えユネスコ条約の保護対象となったタイタニック号。(出典:英国リヴァプール国立博物館ウェブサイト)

当初からユネスコ条約の主要な目的は、以上のような海洋法条約の貧弱かつ曖昧な規定を補充することにより、すべての水域にある考古学的歴史的物体の保護を強化することと商業的利用を禁止することであった。ところが、こうした目的を達成しようとするユネスコ条約交渉には、海洋法条約との整合性をいかに確保するかという難題が待ち受けていた。これに対しユネスコ条約は、海洋法条約における海域ごとに規制区分を設けることで解決しようとした。ここでいま一度想起すべきは、そもそも海洋法条約交渉時の最大の課題は、海洋利用国の「海洋の自由」という利益と沿岸国の「海洋の管理・支配」という利益のバランスをいかに図るかという点である。結果として沿岸国管轄権が徐々に拡大され公海部分が減少したことは、伝統的な海洋自由を重んじる多くの海洋利用大国に深い失望感をもたらした。こうした構図は、ユネスコ条約の交渉過程においても変わりはない。一部の沿岸国は、考古学的歴史的物体に対して陸からの保存および管理、すなわち沿岸国管轄権を大陸棚や排他的経済水域まで拡大することを目指したのに対して、米国をはじめとする他の海洋利用国はこれに猛烈に反対した。ユネスコ条約では第3条において、いかなる規定も「国連海洋法条約を含む国際法の下での」国家の権利・義務を害するものではなく、「国連海洋法条約の文脈に沿って且これと両立するように」解釈適用されなければならないと明記はしたものの、実際には海洋法条約にない新たな規定が設けられている。これにより、海洋法条約からの逸脱を懸念してユネスコ条約の採択に反対・棄権した国は、賛成87カ国に対して19カ国にものぼった。

海域ごとの保護制度

ユネスコ条約の交渉過程で最も難航したのは、大陸棚と排他的経済水域においてどこまで沿岸国管轄権を認めるかという点である。1994年に国際法協会(ILA)が作成した草案によれば、文化遺産に関する活動を規制する「文化遺産水域」(cultural heritage zone)を設定する条項が挿入されていたが、海洋法条約を逸脱した沿岸国管轄権の拡大につながるとして主要な海洋国はこれに強硬に反対した。結果的に、旗国主義に基づく管轄権を基礎とした体制が採用されることとなったが、ユネスコ条約第10条によれば、沿岸国は自国の排他的経済水域または大陸棚に水中文化遺産が存在する場合、これに関する活動を禁止したり許可したりする権利を有する。また、原則として沿岸国は「調整国」(coordinating State)として、当該文化遺産に文化的、考古学的、歴史的関連を有するすべての国との協議を調整しなければならず、その結果得られる合意に基づいて保護措置を実施しなければならない。ここでは、沿岸国は協議調整、許可の発給など、海洋法条約を超える一定の強い権限を与えられているようにも見える。また深海底においても、上記に似た「調整国」による協議制度が採用される。深海底の場合の「調整国」とは、ユネスコ事務局長が当該遺産について関連性を持ちかつ関心を示す国すべてを招請したのち指名することとなっている。また協議のための会合には、国際海底機構の事務局長も参加することとなっており、ユネスコと国際海底機構との協力関係が明記される。

水中文化遺産の保護を国際協力の推進に

現在、ユネスコ条約の締約国は41カ国(2012年12月現在)にまで達しているものの、日本を含め主要な先進国は批准していない。その理由としては前述の通り、海洋法条約に記載のない沿岸国管轄権の具体化、詳細化があげられる。文化遺産の保護という目的それ自体は意義深く、また推進されるべきものである点に多くの国が賛同する一方で、この条約の有する海洋法秩序全体に対する潜在的影響力を考慮すると、批准を躊躇せざるを得ない状況がある。海洋資源開発に関して高い技術力を有する海洋利用国が最も危惧するのは、沿岸国管轄権の内容の具体化および詳細化はもちろんのこと、特に国家管轄権外の海域における生物多様性の保全といった問題をめぐる国際ルールについて、同条約が一定の道標を示す可能性である。その意味において、あくまで衡平を求める途上国と自由な開発を熱望する大国との間で、同条約をめぐる評価は今後も一層対立する可能性がある。また近隣諸国の動きとして特に中国では、ユネスコ条約には未批准であるものの、2011年に水中文化遺産の盗掘の防止および周辺海域の海洋環境保護の必要性の認識が政府によって改めて示された。これにより国家海洋局と文物局との連携の下、2015年までに南海水中文化遺産基地と南沙事務所の設立計画が遂行中であり、そこには水中文化遺産保護を通じた海洋権益の保護という狙いもある。
日本においては、同条約の持つ意味とその影響力を念頭に置きつつ改めて議論を深める必要がある。そして水中文化遺産の保護を、上述のような諸国の相対する利害関係という座標軸を超越した、むしろ国際協力を推進するための原動力となすべく主導的立場を取ることを期待したい。(了)

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