基金について

太平洋島嶼国会議

第2セッション 各国の社会・経済開発の現状並びに今後の展望

新旧を包含した開発による伝統、文化、社会制度の保護

カミセセ・マラ首相閣下

今から8年前の1980年3月、ハワイのイースト・ウエスト・センターにおいて太平洋島嶼国指導者たちが、本日ここにあるような、会議を開催いたしました。これは「太平洋諸島会議 Pacific Island Conference」と呼ばれ、「開発-パシフィック・ウェイ」をメインテーマとしておりました。文化、習慣、伝統といった太平洋諸島各国の社会機構全体を犠牲にすることなく、いかに開発を適合させて行けるかということが、当時の私どもの共通の関心事項でした。
5年後の1985年8月、第2回太平洋諸島会議が、クック諸島ラロトンガにおいて開催されました。テーマは「開発と変化」でありました。私どもの暮らしを貨幣経済へ移行させるということは、必然的に外国の技術や開発モデルを適用あるいは応用することであるという事実を、この会議の席上で全員が認識いたしました。また、近代化とそれによる変化が各国の社会において社会・文化制度に及ぼす破壊的、弱化的影響を常に歓迎、期待しているわけではないという点でも、合意が見られました。
それでは、伝統的な生活様式の本質を維持しながら、開発を促進、継続していくためには、どうしたら良いのでしょうか?この根本的な問題は、私ども太平洋諸国指導者が今も直面している最大の開発課題であります。太平洋島嶼国は、広大な太平洋の中心に位置するという地理的に有利な孤立状態にあり、これは私どもにとっては安心な点であります。しかし同時に、私どもはまぎれもない相互依存の世界の一員であり、また通信や輸送の技術的進歩により、私どもの国民や社会が他の国々と容易に、直接接触することができる世界に属してもいるわけです。 それゆえ域内の各国はすべて、かつてないほど時代の傾向や影響を受け、伝統的な価値観や慣習は計り知れないほどの圧力を受けています。植民地時代の、そしてキリスト教の遺産として、また自由な選択の結果として、各国は個人主義の栄光とともに西洋文明の平等主義の気風を尊重しております。しかしこれではまだ不十分であるかのように西洋の友人たちは、邪魔されない、抑制のない、束縛されない個人の権利と自由を堅持していく以外に容認できる行動規範は存在しないと、とりわけ報道機関や労働組合を通じて常に私どもに語りかけ、また焚き付けてくるのであります。

私どもは自由な選択によって西洋の民主主義を選び、国家の政治的独立または自治を確保しました。
しかし国家の政治的運命を担うようになって、ひとつのことに気付きました。私どもが法律制度や行政に組み込み、制度化した西洋の倫理や価値観は、伝統的な太平洋島嶼国社会の本質を害するような累積的影響を実質的に及ぼしているということであります。西洋社会は何にもまして、個人の束縛されない権利と自由を尊重しますが、日本と同様に伝統的な太平洋島嶼国社会においても、親族や社会的階級制度に対する従順や忠実、地域社会全体の統一や調和を最優先とすることが、価値観の核となっているのであります。
同時に、私どもが受け継いだ西洋中心の教育制度が、将来予想される国民の発達性と目標に深い所で影響を与えております。現在我が国の国民は、都市に住む者も、町に住む者も、農村または離島に住む者も、概して皆一様に、保健、教育サービス、住居の改善、きれいな水の供給、電気、そしてとりわけ安定した確実な収入源を切望しております。当然のことながら、人々は賃金または給料が得られる仕事を求めて、都会や町へ絶えず流れ込んでいます。
しかもこの傾向は、若い学校卒業者に限りません。自活の重要性と、商業的農業生産による収入増加の道を熱心に説かれ、換金作物への完全な転換を果たした農民は、しばしば作物が売れ残ってしまうという状態に陥っています。大きなハリケーンなどに襲われた場合などには、すぐ助けとなるような代替作物がありません。
このこともまた、一定の収入を求めて都会へ流れ込む人々を増大させています。すなわちこれら全部の要素、個人の権利の強調、期待度の増加、ホワイトカラーや賃金雇用を奨励するような教育制度、都会化増大の悪傾向などが、親族や階級的社会構造に基づいた集団的忠実性の喪失や拡散につながっているのであります。さらに、本質的に個人的な目標の追及が増加するのに伴い、賃金、労働、雇用の特殊性に基づいた、特に労働組合を通したグループ連合の傾向が見られるようになってきました。域内のすべての国家にとって、雇用機会の増加を図ることが、開発における急務となっていることは、間違いありません。
それゆえに、私どもはどうしても、継続的な経済成長のための確実な条件を提供してゆかねばならないのであります。このためには、経済の生産部門における外国からの投資を増進させていくことが絶対不可欠であり、また新しい技術や技能を導入し、多くの旅行者を呼び込まなくてはなりません。このような開発は、一定の満足できる割合で経済成長を持続させるために必要とされる輸出収入を刺激して増加させる手段として、私どもが望んでいる唯一の方法であります。
しかし同時に、外国による経済支配や世界市場の変化、ひいては非友好的な海外の労働組合の干渉の脅威に、身をさらしすぎるための危険性が生じます。我が国では、製造業や観光業またその他のサービス産業において賃金や給料による雇用の機会が増加すると、若者の都会への流入が急増し、その結果都会での失業が増加し、スラム化が進み、少年非行、犯罪、麻薬中毒が増加し、さらには糖尿病、高血圧、心臓血管の疾患など現代病がはびこるなど、多方面への影響が見られています。このように、太平洋島嶼国は皆、面積も人口も小さなものですが、開発への必要性と問題は複雑であります。どの社会も、外の世界と完全に切り離され得るほどの余裕はないということは、もちろん承知しています。事実、我が国の経済が生き残り、力を付けていくためには、世界経済とのつながり、特に日本を含むすべての環太平洋諸国との関係を常に強化、推進することが肝要であります。
しかし、南太平洋諸国のために、私どもの伝統、文化、社会制度を守ろうとするならば、近代化と開放経済の維持による開発は、現在及び将釆の要求に応えるため、新旧に相互に折り合いをつけたものでなければなりません。完璧に国家の運命を管理することは困難でも、将来の進路に影響を与えるためには、この方法しかありません。太平洋島嶼国の生活様式と調和した経済開発の促進を願うとき、私はここ日本の経験から学べることがたくさんあると考えます。
そしてこれが、本会議の成果として着手されます研修訪問による交流を通してのひとつの協力関係となることを、期待するものであります。
例えば、私どもは日本の皆様が西洋の議会民主主義の原則を取入れながら、伝統的な生活様式の肝要な部分である、意志決定の際の合意制度を維持しているやり方を賞賛するものであります。現在日本は、世界でも一流の活力溢れる経済国であり、最上の工業社会であります。これは、慎重な選択と西洋の技術への同化、そして教育と人的資源開発へ投資を集中したことによって、達成されたものです。
しかも国民は、独自性への鋭い感覚、また勤勉、しつけ、礼儀正しさ、互いの尊敬、親族の強いきずな、地域社会の統一や調和及び国家全体の利益への忠実性など、伝統的な社会的価値観への深い認識を持ち続けています。私ども太平洋諸国と日本との間に、研修訪問やそれに伴う教育及び人的資源開発プログラムヘの日本からの援助が開始されれば、おそらく南太平洋諸国間の文化交流や協力への後援に対しても、日本からの積極的な援助が期待されるでありましょう。
実際、歴史的な観点から見ても、これが私ども島嶼国間のあるべき将来の関係でありました。そして南太平洋芸術祭における伝統のポリネシア工芸のような地域的主導力は域内の国民同士の文化的なきずなやつながりを回復し、強化する集団的な努力の一端であります。このように、習慣、伝統、社会的価値観、豊かな文化遺産などにおける優れた部分を残していくことを共通の問題として相互に補完しあっていけば、対外投資、技術革新、観光事業を通して国家経済の近代化を積極的に促進しながら、それと同時に伝統的な太平洋風生活様式の維持のために助けあっていくことができるのであります。最後に、本会議がその主導力の一環として、地方や離島からの人口の流出を食い止め、増加する都市化の悪影響を改善するための開発計画の実施に対し、太平洋島嶼国への援助を提供してくださるよう、希望するものであります。
開発を促進し、その利益を地方や離島へも拡大していくためのプログラムに対する援助としては、国家青少年計画、域内の海運、航空輸送、遠距離通信などの施設改善、農業調査及び市場設備の改善、伝統的な漁業法の適用及び維持を目的とする調査を含む海洋資源の開発、淡水養殖や海中養殖など新しい集団海洋農場への新しいアプローチ、重要な海洋食物資源の急速な枯渇を防止するための保護制度、海底鉱物資源及び海洋エネルギーの可能性の確認と開発などに対する援助が考えられます。終わりに当たり、笹川氏の水訓の一部を引用したいと思います。「大洋を充し、発しては蒸気となり、雲となり、雨となり、雪と変じ、霞と化してもその性を失わざるは水なり。」これこそが正しく、太平洋島嶼各国が望んでいる開発の姿なのであります。
開発による変化と近代化を歓迎する一方で、伝統的なパシフィック・ウェイとしての暮しぶりの良さを維持していきたいというのが、私どもの熱烈な願いであります。



自活とその存続可能な新生地域社会の開発

イエレミア・T・タバイ大統領

我が国において、私どもが手掛けている開発戦略と開発の展望に関し、こうして皆様に私の考えを申し述べる機会を持てましたことは、嬉しい限りであります。最初に、私どもにとって開発が意味するものは、生活様式の改善以上のものであります。目的は、着実に自活できる、そしてそれが確実に存続可能な地域社会の維持であります。この点において私どもは、私どもの尊厳と自尊心を持続したいと考えております。南太平洋諸国、特に我が国のような小島嶼国の将来の展望について、しばしば悲観的な見解が示されますが、私どもはそうは考えません。同僚諸兄は、強い意志と決心があれば国民のための資源と調和した成功を達成することができるという私の信念に、きっと共鳴してくださると思います。現在の状況に至った歴史について、若干お話いたします。75年間、キリバスは英国の管理下にありました。1979年に政治的独立を果たしましたが、これは我が国にとって大いに喜ばしい、幸せな出来事でありました。しかしこれはまた、未来について考えねばならない時でした。
その未来は、同じ独立の日、我が国の主要な収入源であるリン酸塩を失ったため、特に課題を抱えたものとなったのでありました。植民地時代、リン酸塩は我が国の主要な輸出品であり、政府の歳入に大きな割合を占めていました。1979年にこれを失い、立て直しの必要が生じました。植民地政府が別の収入源の開発に失敗したため、事態は一向に改善されませんでした。
政府は、緊急かつ現実的な対策を要求されました。その現状を査定するために開発された対策は、私どもの伝統文化を組み入れたものでした。
その選択は現在でも独立独歩ものであります。それは我が国の限られた資源の開発ばかりでなく、予算及び金融政策の緊縮に関与しています。これは我が国のように政府予算が国家経済を支配するような小国にとっては、特に重要なものであります。この点において私どもが、多少、皆様の先を行っているということは、嬉しい限りであります。
3年前、我が国は自主的に英国からの予算援助の協定を打ち切りました。協定の終了期限までまだ1年残されていましたが、私どもは全力を尽くすことを誓いました。協定の打ち切りは、この私どもの決意が反映されたものです。協定の打ち切りは、政府支出の堅縮を意味しました。これは容易なことではありませんが、この道を進むという決定を実行する以外に、選択肢はないと信じたのでありました。私どもの開発は当然のことながら、経済の生産部門、すなわち自活の道が得られる分野に集中されなければなりません。これには多くの分野が含まれますが、私どもが期待するのは海洋資源の開発であります。私どもは広大な専管経済水域を所有しており、この水域を回流してくる魚群を利用する水産業を発達させるのは、当然のことであります。この目的のために国営水産会社が設立されました。この分野で、漁船や貯蔵設備、装置や技術の面における日本からの援助に、大いに感謝しております。また開発のほかに、収益を増加させる手段として、他の国々との漁業協定も導入しています。
現在のところ、この度の名誉ある主催国であります日本、そして韓国や米国などと協定を結んでおります。これらの協定は純粋に商業的なものであります。協定相手国からの漁船に私どもの専管経済水域での漁業を許可する見返りに、双方に納得のいく金額の支払いを求めるわけです。これらの協定による収入は、政府の歳入に大きく貢献しております。私どもは、政府だけでは国民が要求しているような進歩の達成は不可能であることに気付いております。開発には、すべての人々の協力と参加が必要であります。このことを心に留めながら、政府は民間部門の開発を積極的に奨励しており、最初の成果が促進されつつあります。
この分野における開発をさらに進めるため、できるだけの援助をするというのが、政府の考えであります。また、これに関連して、国家としての私どもの開発に積極的に貢献しようとする力を、政府は歓迎しております。特に、私どもの開発計画に参加する外国投資家を奨励しておりますが、この計画は我が国への投資を決めた者すべてが、「公平な扱い」を受けるよう計画されております。

今回の日本への訪問が、将来の投資を考えていらしゃる日本の方々の利益になれば、幸いであります。特に有望な地域は、ホノルルのワイキキビーチから飛行機でおよそ2時間ほどで行けるライン諸島及びフェニックス諸島であります。すでに政府は漁業開発と観光業を促進するための対策に着手しております。
道程は遙かなものであります。しかし、これなど、対外投資には最適の分野ではないでしょうか。このことは、日本のコンサルタント会社による最近の調査により、確認されております。我が国が、宇宙基地の候補として考えておりますのも、この地域であります。私は、特に土地の面積と、赤道に近い点が適しているという助言を受けております。これも将来へ向かうひとつの道であり、もしこれが実現すれば、いろいろと困難を内在する我が国の経済は大きな恩恵を受けることとなり、やがては多方面に良い結果が生じるであろうと、私には思われます。 これらの開発を促進するために、私どもが声を大にして申し上げたい問題は、基本的な社会基盤の不備であります。これは、多くの南太平洋諸国共通の問題であると思われます。この分野が改善されれば、他の選択肢を追及する能力においても、かなり大きな成果が得られることでありましょう。ここで触れておきたいもう一つの分野は、私どもの伝統的な生活様式についてであります。
今まで述べてきたような開発計画がすべて計画され、実施されているかたわら、この分野も決して忘れてはいないということを、簡単に申し上げたいと存じます。事実、政府はこれに注目しております。国民の大部分が昔ながらの生活を守っておりますので、この暮しをより良く、楽にすることが重要であります。私どもはこの政策も、独立独歩であろうとする目的と一つであると考えております。
この目的は、援助に対する私どもの態度を決定する重要な要素であります。開発の分野においては、外国の援助は必要なものであり、独立以来多くの友好国から、もちろん日本もその中に含まれますが、援助を受けてきたことを、感謝しております。この場をお借りして、それらの国々すべてに謝意を表します。しかしひとつ重要な事は、私どもは援助を経済的独立を促進するための手段であると考えており、従って援助の必要性はやがては縮小していくということであります。このため、とりわけお互いを理解し、尊敬しようという意識的な努力が、援助国、被援助国双方に要求されるであろうというのが、私の考えであります。
それによって、目的はさらに達成されるでありましょう。このような集まりは、相互の理解を発展させるひとつの方法となります。従いまして、私どもがキリバスで実施している開発などについての見解を、こうして皆様に発表する機会を与えて下さった笹川平和財団に、もう一度謝意を表明いたします。



変遷と再建の時代-経済開発5ヵ年計画の第1段階

ジョン・H・ハグレルガム大統領

経済開発に関しては、ミクロネシア連邦は第1次開発5ヵ年計画の3年目に入ったところであります。この計画は、変遷と再建の時代として設計されております。信託統治地域からの移行であり、経済の再建であります。
このため主に強調されていることは、将来の成長に必要な国民の教育と訓練及び道路、下水道、空港、船渠、上水道、遠距離通信、電力の建設であります。結果は完全とは言えませんが、順調に進んでおります。
これらの開発は、日本政府からの寛大な援助によって促進されていることも、ここで付け加えておきたいと思います。
私どもは将来のために、惜しみ無くこれらの分野に資金を注いでいく所存であります。建設を続行していく一方で、私どもは経済開発にふさわしい環境の創造に適った社会基盤施設を活用しております。我が国は、自然にとっても、人工的にも、多くの機会を提供しております。自然の恵としては、広大な珊瑚礁、豊かな漁業資源、農業に適した大地、美しい景観などが挙げられます。
現在までのところでは、100万平方マイル以上にも及ぶ我が国の漁業専管経済水域内での漁業資源は、有望この上なしであります。従いまして我が国ではこの分野の開発を最優先とし、日本のように開発のための専門知識と能力を有する国を求めております。現在外国の漁船団は、年間500万から700万米ドルを、我が国の水域内で操業するための入漁料として支払っております。しかし、私どもは雇用も必要としております。従いまして、外国漁船団の基地として我が国の島々をさらに利用してもらうことに、関心が高まっております。
日本漁船団が昨春、ボンベイにおける試験的なまぐろの積み換えに成功したことは、その好例であります。土地に限りはありますが、商業的農業の開発も可能であります。
私どもは太平洋・アジアの開発途上国に注目し、農業開発を推進するに当たって成功している作物や農業法を見極めるのに、役立てようと考えております。緊密な協力によって、我々は共に成長することができると信じるものであります。
ミクロネシア連邦は、経済成長の大部分を観光業に依存しており、およそ600ほどの島々からなる我が国は、比較的香港、韓国、日本に近いことを利点としております。従いまして、現在太平洋の他の地域へ流れている多くの観光客の目を、我が国へ向けたいと願っております。太平洋域内でも小国でありますので、観光施設が不十分なところがあります。観光業を援助するため、アジア及び太平洋の先進国とパートナーあるいはジョイント・ベンチャーとなって協力し、世界の旅行者の夢を適えるようなリゾート地を開発したいと考えております。主要な天然資源に加えて、多くの人工資源も提供することができます。
すなわち、ミクロネシア連邦から米国へ向かう輸入品に対する特別関税処置であります。創造的なビジネスマンにとっては、米国へ免税で品物を送り込める機会を獲得できるチャンスであります。この特別な市場窓口は、米国との自由連合協定によるものであります。我が国は、国民の雇用を確保し、投資家の利益を生み出すため、製造業の専門知識を持った外国企業と共に働く機会を楽しみに待っております。以上が我が国の優先事項であるということを述べて、この演説を終わりにしたいと思います。ミクロネシア連邦は、友情と相互協力の精神をもって、人々の威厳のある生活を築くために、ここにおられるすべての皆様と共に働きたいと願っております。



社会・経済開発-パプア・ニューギニア及び太平洋島嶼国の当面する諸問題

ミカエル・T・ソマレ外務大臣

パプア・ニューギニアは、面積464、842平方キロ・メートルで、その85%をニューギニア島の東半分と600ほどの島が占めています。国土の85%は耕作に適さず、97%が慣習的な土地保有制度により所有されています。居住地域は分散しており、人間や物の移動を困難にしています。全人口の85%に当たる350万人が地方の住民であります。残りの15%の人々が63の都市部に居住しており、それぞれの人口はほとんどが1万人に届きません。全人口は、西暦2000年までには480万人に達すると見込まれています。
現在、人口の42%が18歳以下で占められています。もちろん大部分の人々が、昔ながらの農業や漁業に従事しています。700種類の異なる言語に伴い、文化の種類も様々で、交流を一層困難にしています。道路設備が統一されていないため輸送費用が割高で、普通、空輸に頼っています。
1975年の独立以来、教育、保健を初めとする基本的サービスは改善されてきていますが、多くの地域がいまだに手付かずの状態で残されています。
人口の大部分がいまだに、基本的サービスを満足に受けることができないでいます。例えば78%が正式の西洋式教育を受けていません。政治は、英国式議会制度による中央政府と、地方委員会や地域機関による村によって支えられている19の自治州からなっています。資源については、貴重な銅、原油、ガスが埋蔵されているほか、豊富な森林、漁業資源にも恵まれています。
パプア・ニューギニアはまた、コーヒー、ココア、ゴム、コプラ、パーム油などを輸出用に生産しています。世界銀行によれば,我が国の1人当りの所得はおよそ520キナで、約609米ドルであります。
しかしこれを地域的区分で見ますと、各州の人口79%の所得が平均以下となっています。パプア・ニューギニアの現在の経済状態は、落ち着いており、将来の見通しは明るいというのが、一般的見解であります。今年5月に開かれた世界銀行と主要再建国によるパプア・ニューギニアの第1回債権国会議で、パプア・ニューギニアの経済管理、特に財政並びに経常収支の赤字減少、借入政策の採用、低インフレ率、そして、より組織的な開発支出計画及び、公共支出を一般管理費からはずし不可欠なインフラ生産部門へ移す政策に見られる最近の方策などが評価されています。しかしパプア・ニューギニア政府は、我が国のGDP成長率がかなり低く、最高人口増加率の2.3%をはるかに下回っていることを承知しています。主要な成長要素は、銅や金の鉱業部門であり、その他の重要な投資部門は、コーヒー、コプラ、ココア、パーム油などの農業部門であります。これらの作物は、1986年のパプア・ニューギニアの輸出総額9億7、860万キナのうちの40%、3億2、000万キナを占めています。これらの生産数のほぼ3分の2を小作農家が占め、残りを大農園や商業的農園が占めています。
木材は、金、コプラ、コーヒーに続き第4位を占める重要な輸出産業であり、大きな可能性を秘めています。漁業、特にカツオ(skipjack tuna)は、まだ手付かずで残されています。企業による漁業も、村を基地とした近海漁業も有望であります。輸出用の農業開発もかなり進展していますが、これらの作物の国際市場が不安定でありますので、推測に頼るほかありません。
我が国は、農業の可能性が比較的有望であるにもかかわらず、皮肉なことに、相当量の食物を輸入に頼っており、1986年度は1億6、500万キナで輸入総額のおよそ19%でありました。このうち390万キナは、151、419トンの米の輸入に支払われました。我が国は米を栽培することができると、私どもは考えていますが、いまだにこれを輸入する必要があるとのことであります。その他の主要な輸入食物は魚の缶詰で、23、707トン、2、390万キナであります。タロイモ、ヤムイモ、サツマイモなどの輸入作物を含む食物生産は、これまでの農業開発では無視されてきました。
国際的な専門知識の利用が限定されていることと、熱帯食物生産への関心の方が強いことが、その理由であります。森林資源も、綿密な管理を必要とするものです。現在の開発方針には復元ということがふくまれておらず、これらの資源を枯渇させる危険があります。パプア・ニューギニアの環境へ及ぼす潜在的な危険性についても、調査が実施されています。現在、これらの資源への将来の投資は、投資家たちによる国際的な為替相場操作により妨害されています。
同じことは、漁業についても言えます。また、漁業やその他の資源が、保護も含め適切に管理されることを確認する必要があります。しばしば、資源の長期的な保護や成育力よりも、投資に対する早い見返りが目標とされがちであり、これは民間部門に見られる傾向であります。近海、及び村を基地とした漁業は、残念なことにあまり開発が進んでいません。国民のおよそ3分の1が食物源並びに収入源として魚に頼っていますので、現在このタイプの漁業を開発するための戦略準備のため、研究が実施されております。
先に申し上げましたように、パプア・ニューギニアは1986年度に2、390万キナの魚の缶詰を輸入しております。このことは、国内需要に見合うように適合させていけば、我が国の漁業は国内での発展能力を十分に持っているということを、明白に示しております。このように、楽観的な経済的見通しにもかかわらず、パプア・ニューギニア人の大多数はいまだに、鉱物及び石油ブームの本流の外にあるのであります。
国民を開発過程の中にどのように積極的に組み入れていくかということは、難題ではありますが、やりがいのある仕事でもあります。以上、パプア・ニューギニアにおける一般的な状況について、簡単に述べさせていただきました。最初に我が国の社会開発の展望は、経済的な見通しほど明るくはないということを申し上げていなければ、ご出席の皆様の誤解を招いたでありましょう。教育や保健などの社会開発は進展しているとはいうものの、まだやるべきことがたくさん残されていることを、政府は知っています。これらの難しさは、経済開発と密接に結び付いています。例えば、毎年44、000人の若者が労働力として増加していますが、経済はこれらの若者に十分な雇用を提供できるほど急速には成長していません。他方では、教育制度の多くは一般教育用に計画されており、就職や技術修得を目的としたものはほとんどありません。
人口の増加も加えれば、技術を持った人間に対する需要に見合うような教育制度の実施には、相当な資金が必要とされます。いずれにしましても、教育への現在の投資の利益が得られるのは、10年後であります。また地方では、多くの人々が労働集約的なあるいは農業的な労働に関心を示さないということも、事実であります。多くの人々が都市部を求めて村を離れたがっています。州から州へ、地方から都市部への人口の移動もまた、サービスの実施を困難にし、新たな問題を作り出しています。我が国には居住地域が分散しているという問題があります。
栄養不良などの保健及び社会問題が、これらの分散居住地域に広がっているのであります。最近は暴力犯罪もはびこり始めました。これは、外国の投資や専門知識の招致能力にとって、深刻な問題となっています。保健サービスは一般に満足のいく水準に達していますが、これは都市部に限られます。人口の大部分は、最も近い保健センターまで2時間以上もかけなければなりません。
疾病に関しては、いまだにマラリアが最も死亡率の高い病気です。サービスの増加を考えるとき、関心は人口管理へ向けられます。しかしどのような人口政策も、国民の伝統的文化的な価値観と対立することでしょう。最後に、経済学者たちによって呈示されている楽観的な外観に反して、私どもは将来の開発に困難を抱えております。私はこの演説の中で、パプア・ニューギニアの社会・経済開発における現状と将来の展望を洞察してまいりました。他の太平洋諸国も、規模こそ違え、同様の状況に直面なさっていることと存じます。開会の演説で申し上げましたように、急速な変化には様々な問題が付きものであります。過去における日本や今世紀の中国とは異なり、太平洋島嶼国は門を閉じるべき状況にはありません。
現在の諸問題を処理しつつ、急速な新しい変化に適合していかねばなりません。日本は、西洋の工業世界で主要な役割を演じております。そして、域内における私どもの開発努力を援助するだけの力を有しています。それゆえに、最近の竹下首相の発言には、勇気付けられるものがありました。ここに引用させていただきます。「日本は、世界に占めるその重要な立場を認識し、地球的規模で大きな役割を演じ、責任を引き受けていかねばなりません。また、政治、経済、文化、その他の領域でより大きな貢献を果たすことは、特に重要であります。」この国際的な言明を胸に、本会議は、この言明を日本と太平洋島嶼国の間の実際的な協力プログラムへと転換させていく可能な手段や方法について、考慮していかねばなりません。日本政府に私どもの病院、道路、水力電気、農業プロジェクトを援助する用意があることを、ここで発表できますことは、まことに嬉しい限りであります。たとえパプア・ニューギニアやその他の太平洋島嶼国の将来に困難が山積していても、日本からの頼りになる、貴重な資金援助をもとにして、長期的な方策に目を向けていかねばなりません。



教育・訓練を重点とした開発政策、援助の有効活用並びに、経済基盤委員会

エゼキエル・アレプア首相

ソロモン諸島における社会・経済的制約並びに展望に関する概観を、簡単ではありますが、こうして皆様の前で発表する機会を与えていただきましたことを、感謝いたします。
ご清聴いただけますれば、幸いであります。まず最初に、ソロモン諸島の経済は人口の80%を占める自給自足経済部門と総生産高の80%に達する貨幣経済部門とからなっております。貨幣経済部門は、コプラ、ココア、パーム油、また商業的漁業、木材伐採搬出業、サービス産業よりなり、一方自給自足部門は、主に自家消費のための食物栽培と漁業よりなっています。2つの部門は、主に農産物における企業活動への地方人口の漸進的な流入を通してつながっております。独立以来10年間の我が国の経済成長を支えてきたものは、商業的漁業と木材伐採搬出業であり、これが経済に現金収入と外貨収入を提供していました。
これら2つの部門は今後もより重要な役割を期待されています。それにもかかわらず現政府は、経済基盤の多様化を奨励中で、小規模自作農業計画の推進を図ることで農業部門を活発に援助しております。このようにソロモン諸島は、経済基盤を小数の大規模な商業的農業経営者に支配されていた経済構造から、ソロモン諸島の大部分の住民が国家の経済開発に十分に参加できるようなものへ転換させようと努力しております。
国家が直面している大きな開発問題や制約は、ソロモン諸島の人口増加率が1年につき3.5%と非常に高いことで、これは、18年ごとに絶えず人口が2倍になることを意味します。さらに独立以来、実際の年平均経済成長率はずっと人口増加率を下回っていると見られ、その結果実質1人当りの所得の低下と生活水準の悪化を招いています。急速な人口増加により、現在国家が直面している最大の困難は、教育や保健のような基本的社会サービスを提供しながら、どのように満足のいく所得水準と雇用機会を維持していくかということであります。
また、我が国は植民地時代から、道路、港、空港、上水道、エネルギー、島内通信など、不十分なインフラストラクチャーを引き継いできております。従いまして、現在我が国が直面している開発問題には、いかに経済成長を促進するかということばかりではなく、いかに十分な社会サービスと必要なインフラストラクチャーを提供するかという問題も含まれているのであります。経済開発の面では、国家の経済基盤の強化と多様化は重要な目標であります。
この目標を実現するため、我が国は大規模な天然資源の開発に力を注ぐ一方、民間部門が小規模自作農生産並びに商業、工業、観光業の分野で積極的な役割を果たすよう奨励しています。実際、これらの分野では多くの新プロジェクトが最近認められており、その中には、小規模自作農復興計画、共同農場復興計画、パーム油開発、そしてもちろん特別プロジェクトであるコロンバンカラ商業森林事業、すなわち大規模な堅木再林計画も含まれています。
漁業部門においては、新造船の購入、魚の缶詰製造施設の拡大などが、予定されている開発であります。これは大洋漁業とソロモン諸島政府との合弁事業であります。鉱業部門においては、大規模な鉱業開発の兆しがありますが、小規模自作農食料穀物生産、観光業、小規模工業の分野の方が、明らかに多くの関心を必要としています。社会サービスにおいては、教育と保健が過去10年間により多くの財政援助を受けています。
小学校並びに中学校開発は、世界銀行からの借款、オーストラリアの二国間援助協定により、ずっと援助を受けています。海外奨学金は、英国、EC、オーストラリア、ニュージランドから提供されています。同様に、我が国の保健サービスも、EC、世界保健機構、日本政府、その他の二国間援助によって維持されています。しかし社会サービスにおける大きな問題は、そのようなサービスの提供にかかる循環的費用の増加であります。
それでも、教育と訓練は、我が国の最優先事項であります。公共並びに民間部門における人材開発が、ECの資金による人材開発プロジェクトにより、進展中であります。
保健の分野においては、1986~89保健開発計画の中で、地方保健サービスと初期医療に重点が置かれており、また、我が国のために首都のホニアラに国立病院を建設する趣旨の協定を中国との間にすでに締結しております。日本政府からの援助により、マラリア研究所プロジェクトも完成しております。このような病院や施設の存在によって、国内の保健普及制度の改善が可能となるはずであります。現在我が国が最も必要としているのは、インフラストラクチャー開発であり、この分野における計画立案や優先事項の設定のために、多くの努力が費やされています。
道路、新港設備などの大規模なインフラストラクチャーがいくつか認められつつあります。また、経済自体がその資金から十分な収益をあげていない一方で、国家の循環的費用も増加させるようなプロジェクトに、貴重な援助資金を不必要に使用しないために、慎重な開発がなされています。
ソロモン諸島が開発計画立案において経験した大きな問題は、まず第一に、国家、部門、地域の各レベルにおいて計画立案能力が不十分なことであります。また、第二に、熟練した人材の不足、第三に、政府内で、要となる重要な人員が頻繁に入れ代わる、第四に、慣習的な土地保有制度のために生じる問題、などがそうであります。しかしこれらの制約は、ソロモン諸島特有のものではないのであり、我が国はこれらの問題が経済に与える悪影響を最小限に食い止めるため、非常な努力をはらっております。
というのも、そのような努力を続けていかなければ、経済成長の達成は困難となるからであります。以上のような問題や制約を抱えながら、ソロモン諸島政府の開発全体の目的は、収益のあがる事業へより多くの資金を配分すること、そして経済活動を活発にするような資金源やインフラストラクチャーの整備、それと同時に社会サービスや政府サービスのための支出を安定させることであります。
こうして我が国には、農業、林業、漁業、鉱業などの分野における天然資源開発の促進と、そして商業的産業が成長できるような好ましいビジネス環境の創造への援助を推進することに専心しておる次第であります。援助金とソフト・ローンの有効利用が、ソロモン諸島のもうひとつの目的であります。この目的を達成するため、我が国は援助金を十分な成果が得られる特定の分野に利用する政策を採用するかたわら、基礎開発の必要性にも応えています。
このことは援助提供者が、これまでのように薄く広く多くの分野に援助を提供するのではなく、相互に合意された部門に集約されることを意味します。新しい方策においては、援助提供者は、特定の年数の間、相互に合意を得た部門への資金援助の最低50%を提供することが必要とされますが、他方では、そのパーセンテージは目的に応じて交渉されます。この新しいやり方により、援助管理制度が整理され、寛大な援助提供者に少しでも喜んでいただけたら幸いであります。我が国が追及している第三の目標は、経済基盤を拡大し、もし必要ならばこれを新しい方向に向けることであります。現在のところ、ソロモン諸島は食料と工業製品を輸入に頼りすぎています。例えば、1984年から87年の間に食料品の輸入は平均年率26%、工業製品は23%の増加を示しています。これは我が国にとっては、衝撃でした。
その結果、地方を基盤とした自活プログラムが開発されつつあり、農業生産計画、特に食料作物の生産が推進されることになっています。同時に小規模工業、地方での原料加工、補助的な漁業へも、より多くの関心が集まるでありましょう。経済基盤の改善という目的において、ソロモン諸島は、長期的な経済プロジェクトと短期並びに中期プロジェクトのバランスをとる必要性も忘れてはいません。再植林プロジェクトはたいてい長期プロジェクトと見なされ、農業プロジェクトは中期として考えられる傾向にあります。
短期収益プロジェクトとしてソロモン諸島が積極的に奨励しているものは、民間部門製造業、観光業及びその関連産業、食物加工、製材などであります。比較的安定した政治状況にある国は、これらの分野において絶えず本物の投資家を求めています。もちろんそのような相互の利益となる投資においては、その国のインフラストラクチャー開発が水準に達していなければなりません。これがソロモン諸島にとって最大の関心事項であるのは事実であり、それについて大きな努力が払われています。国会議事堂、国立総合病院、国立競技場、国立刑務所、国際空港などのような国家プロジェクトは、経済成長に直接の関連はありませんが、国家の自尊心、福祉には必要であり、我が国も建設を進めたい考えであります。
実際これらの残余優先プロジェクトは、今年10月にジュネーブで開かれる、国連開発支援ラウンド・テーブル会合に、ソロモン諸島の提案のひとつとして提出される予定です。ソロモン諸島におけるもうひとつの優先分野で、おそらく最も重要な問題は、人的資源の開発であります。必要不可欠な多くの分野における熟練人員の質的向上を図るために、必要なことがたくさんあります。特に専門、技術、化学、経営の分野があてはまります。
1986年末に実施した国勢調査では、人口の57・8%が19歳以下で占められていました。教育の現場では、小学校、中学校からの中退者の率が高く、また学校の数に限りがあり、高価であるために、進学する若者の割合はごくわずかであります。しかし、ECのプロジェクトのおかげをもち、このような状況の改善を計るための実質的な主導権がとられています。
国家にとって教育・訓練の行き届いた人的資源は必要不可欠であるため、人材開発は関係当局によって引き続き密接に見守られています。中期開発プロジェクトに関し、重要な趣旨についてここでひとつふたつ触れたいと思います。小規模自作農業が新しく強調され重点が置かれていることは、食料生産における自給自足を我が国が推進していることの表れであります。
収益の上がる事業に重点を置き、対外投資のために地方の環境を改善し、商業開発にとって柔軟性に富み現実的な誘因を推進するために、国家的な目標の見直しがされています。7つの州政府と町議会が、1988年から1992年にかけての開発5ヵ年計画を完成しました。このような州提案による事業が国家計画に組入れられれば、強力に統制された開発計画の後遺症で、何年間にもわたって不均斉であった国家計画機構が、全体的に改善されるであろうというのが、その趣旨でありました。
しかし、これは変わってきています。逆の方策が役立ちそうな開発計画において、全体論的な方策が追及されています。実際のところ、我が国のような後進国では、開発のあらゆる面において、やらなければならないことが山積みしています。
困難は大きいのですが、未来は厳しくも、明るくもありません。そして喜ばしいことに、我が国の政府は、一般的な経済基盤、特に地方経済の強化に資するであろう、認定済みの事業を、順位をつけて表にし、準備し、実施する分野においては、現在はずっと良い状況にあります。私どもは、貿易における相互協力、投資、友人たちから提供される援助などをもって、ただ進んで行くのみであります。
以上、我が国の問題を友人として皆様と分かち合ってまいりました。そして、このようなきずなを保持し、強化することが我々の目的なのであります。



環太平洋経済の密接な相互依存による島嶼国の開発

ツゥポウトア皇太子

このように重大で複雑な問題についての考察を試みるとき、私は決って、私たちが経済的な相互依存の世界に住んでいるという事実を思い出します。強大な経済力のある国の経済が不安定に陥るとそれはごく短期間に弱い国へ反映し、波及していきますが、反対に力のある経済国が回復していくときは、それが弱い国へ達するまでにはより長い時間が必要です。
我が国も、多くの近隣島嶼国と同様、人口増加、失業、輸出収入の減少、高まる期待などの深刻な問題に直面しております。これら多くの不均衡は外国の経済援助によってしばらくの間は軽減されています。
私は、日本が南太平洋に対する最も重要な援助提供国であることを喜ばしく思っております。さらに日本企業は太平洋の投資に非常に熱心であり、これが確実に大きな将来を約束するものとして、そこここで語られています。私見ですが、このことは日本の経営、市場開拓技術、生産技術における名声が、世界のあちらこちらにも鳴り響いていることを示すものでありましょう。第2次世界大戦をさかのぼること100年前、南太平洋の大部分を支配していた超大国は、保護貿易によって世界の経済的な安定を維持しようと試みました。
これは、ときとしてその植民地の生産品に対する完全な人工市場の創造につながりました。その結果、大部分の国が制度の中に閉じ込められ、支配国の経済とは切っても切れない関係になったのでした。しかし、地理的には数千マイルも離れたところに位置していたのです。小さな太平洋諸国の願いは、南太平洋におけるより大きな近隣諸国のものと同様に、大国の利益の前に屈服したのでした。25年後、南太平洋諸国は1つずつ政治的な独立を獲得していきました。彼らが受け継いだのは、ひとつの産品による経済と、科学教育を無視した教育制度でした。
しかし、1960年代及び70年代のアジア経済の台頭によって、それが特定の設計から生じたものかどうか、それが同じ企業の海外支社への実際的な協力政策の一環として出てきたものかどうか、などに無関係な傾向を見分けることが可能になりました。それは、太平洋の小島嶼国へ希望を提供するばかりでなく、環太平洋経済の相互依存の親密性をも示すものでありました。
ひとつの製品のコストが高価になりすぎると、その産業に助成金を提供するというのが、世界で普通に見られる解決法であります。しかし、環太平洋諸国では多くの場合、そのような製品は、域内の隣国でもっと安価に生産されているのです。それぞれの国が様々な発達段階にあるためであります。日本がその頂点に立っており、南太平洋島嶼国はそれとは正反対の位置にいます。そのような多様性を見出し得る経済グループは、ほかにありません。赤道の南に位置する新たな経済ブロックを設立することなく、環太平洋の既存の、躍動的経済システムに入る道を、私どもが捜そうとするのは理論的なことであります。しかし、いずれにしましても経済的な現実を純粋に政治的な希望に適合させようとすることは、大きな間違いであります。市場というのは思想的な闘争の場ではないからであります。実際、環太平洋は3つの軍事大国がその海岸線の所有を主張できる世界でも唯一の場所であります。20世紀の残された12年間に、この3つの軍事・経済大国がこのような価値ある投機への参加を招待され、現在の環太平洋の特色である平和で友好的な関係が支持され、相互の繁栄が推進されることを願うものであります。



世界で2番目に小さい発展途上国向け援助信託基金-政治、文化を損なわない経済援助

トマシ・プアプア首相

まず最初に申し上げたいことは、トゥヴァルは1978年10月1日に英国から独立しているということであります。我が国は世界でも2番目に小さな発展途上国であり、面積はおよそ26平方キロ、人口はおよそ1万人であります。また世界経済の面でも、最も近い先進国からの距離の点でも、最も遠い国であります。さらに、発展途上国の中でも最も分散している国で、南北600キロにわたる130万平方キロの大洋の中に浮かぶ9つの環礁からなっています。
トゥヴァルの経済は、基本的に自給自足経済であり、大部分の国民が海や限られた土地から取れるものに大きく依存しています。土壌はやせており、全般的にざらざらした珊瑚でおおわれていますので、生存のための製品はココヤシからできるココナツやその他のココナツ製品、バナナ、魚、根菜に限られます。利用できる土地が26平方キロに限られているため、生産品がわずかで、従って人口の増加を制限することが優先事項であります。
自給自足部門は、輸入品やサービスへの需要とともに、貨幣経済によって補足され、雇用と収入獲得の可能性を創造する必要が生じるところまで拡大しております。トゥヴァルにおいては、有給雇用が政府によって厳しく限定されており労働力のおよそ40%であります。これまでは、切手販売によって満足のいく収入をあげてきましたが、最近は世界的な需要の低下により悪影響を受けております。
コプラによる収入は、当てにならないことが分かりました。手工芸品は人気がありますがその収益は比較的小さなものです。漁業は部分的に商業化されており、またいくつかのビルも、民間部門によるサービス産業もあります。
トゥヴァルのような共同社会において最も高価値を生み出してくれる共同組合は、小売業や第1次産業部門におけるココナツやその他の生産においてうまく根をおろしています。養鶏業が商業ベースで本島のフナフティやその他の島々にも若干導入されており、同様に養豚の改善にも努力が払われています。海外雇用、特にナウルや船員として外国船にのっている人々からの送金は改善され、トゥヴァルの貨幣経済成長の主要な刺激剤となっています。もちろんナウルの雇用がそう遠くない将来に減少し、船員の雇用数に変動が多くなってきていることには大きな関心が寄せられています。その他の主要な外貨獲得手段としては、漁業免許があり、我が国は日本、韓国、中国とそのような取り決めを持っています。
最近締結された米国との地域漁業協定により、トゥヴァルは既存の協定にメンバーとして参加できる利益を得られることとなりました。この協定による見返りは、それだけを独自に取り上げるとしてもかなり大きなものが期待できます。代替資源や他へ利用できるような予算資源もないことが、我が国の立場を弱いものとし、経済的独立を抑制しています。トゥヴァルの経済力は域内における関係から発するもののようであります。オーストラリアやニュージーランドなどの国々から提供されている貿易、開発援助によるつながりも、その一部であります。また、近隣諸国との共通の利益を利用することによって、漁業協定の交渉においては有利な立場に立つことができます。
ACPの太平洋グループのメンバーとして、我が国はEECともより強力な関係を持つことができます。トゥヴァルが、資本開発計画を維持するために外からの援助を必要とし続けることは避けられないことであり、その多くが収入貯蓄の可能性を生み出すことを目的としている一方で、保健、教育、輸送、通信サービスの改善のためにやらなければならないことが、まだ多く残されています。
これらの援助は、最初は以前からの友好国である英国、オーストラリア、ニュージーランドから提供され、その後EEC、国連、日本、カナダ、西ドイツ、米国からの援助が来るようになりました。トゥヴァルが経済開発を真に達成することを大きく阻んでいるものは、年間の歳出と歳入を合わせることが、不可能なことであります。政府が歳入を増加させるための方法は限られています。所得税と関税は政府予算に欠かせないものですが、その供給源はわずかなもので、貨幣経済に関与している人口は20%に過ぎません。切手販売や漁業免許から歳入を増やす努力がなされていますが、どちらも変動的なものであることが分かっています。
歳入を増加させる手段を発見するためにあらゆる方法が試みられましたが、独立以後、歳入と歳出のバランスを取るための外国からの援助が続けられています。1978年から1987年の間は英国から予算援助が提供されました。
しかし、必然的に政府機構への監視を伴うような、この種の援助は、独立国同士の適切な開係とは言えません。そのため、両国の間で段階的に廃止することが合意されました。この決定により代替案の開発が急務となり、トゥヴァル信託基金が生まれました。オーストラリア、ニュージーランド、英国、日本、韓国、トゥヴァル各国の協定による2、700万豪ドルの基金が、国際協定により、1987年6月に設立されました。これは、長期にわたりその実施価値を維持しながら、その収入を、トゥヴァル政府が予算不足を埋め合せるために利用することを目的としています。信託基金は、トゥヴァル独立以後最も重要なプロジェクトであり、これによりわずかながら財政的独立の真似事を果たし、その経済の全体的な管理へより多くの発言ができるようになりました。
他の歳入手段の代わりとなるようには計画されていませんが、地域的に増加が期待できる収入と、政府が国民に十分なサービスを提供するために必要とされる歳入の間のクッションの役割を果しています。
信託基金への寄付を提供している各国は、そうすることによって、開発プログラムやプロジェクトが満足のいくように実施、維持されるという大きな保証が得られます。基金が設立されてちょうど1年ほどになりますが、すでに財政管理者が以前ほど内省的ではなくなってしまいました。
より建設的に増加している歳入利用の方を強調して、予算のバランスを取るやり方は、そう難しいものではありません。政府サービスをより効果的に実施し、サービスを縮小するよりもコストを安価に抑えることの方にもっと関心を向けるべきなのです。真の資源は、人間と海からの産物だけという小さな島国として、トゥヴァルは難しい将来に直面しており、長期的に生き残っていくためには寛大な他の国々に頼っていかなければなりません。我が国や後に続く国々の問題は、外からの経済援助の必要性と自国本来の政治的文化的な姿の維持との間に、適切なバランスがとれるよう努力することであります。



国家開発における保健、教育、職業訓練、地域活動の役割

セシー・J・レーゲンバヌ文部大臣

再びこの席上で、ヴァヌアツの経済・社会開発の現状と将来の展望について、本会議の皆様に発表できる機会を与えられ、喜びに堪えません。この演説におきましては、ヴァヌアツの経済開発の現在と将来の傾向に関連した事実や問題点を、皆様と共有していきたいと考えております。
ヴァヌアツに広がっている経済的状況や問題について、日本の皆様の理解を深めるような情報を提供し、ヴァヌアツの経済・社会開発の将来の展望に関連した目標のいくつかを、皆様と共有できれば、幸いであります。ヴァヌアツは、新しい独立国で、80の島々からなり、人口は145、000人であります(1985年)。南太平洋でも人口密度は低いほうであります。
比較的良く発達している商業部門がありますが、これは2つの都市部に限られており、人口の80%はいまだに地方に住み、大部分が自給自足と小規模自作農業に従事するものとの混合体制であります。ニー・ヴァヌアツ、ヴァヌアツの国民はそう呼ばれているのでありますが、その1人当り所得は、約450米ドルであります。経済は2元的性質のもので、近代的で、外国人移住者が管理し、都市部を基盤としている部門と、伝統的な地方を基盤としている部門が共存しています。近代的部門に従事しているのは人口のわずか20%ですが、国内総生産に占める割合は65%に昇っています。近代的部門は、政府部門、観光業、製造業、貿易、金融サービスよりなっています。我が国の主要輸出品はコプラで、総輸出の70%を占めています。
その他の輸出品は、牛肉、ココア、コーヒー、木材であります。輸出のおよそ70%がヨーロッパ向けであり、主にオランダ、ベルギー、フランスへ送られています。一方では、25%が、主に牛肉ですが、日本へ送られています。輸入はオーストラリア、ニュージーランド、フィジーからが主ですが、日本、ニューカレドニア、香港からも多少入ってきています。金額は輸入の方が輸出よりも50%高いため、ヴァヌアツは継続的な対外貿易赤字を抱えています。この赤字は、観光業、無償供与の形による開発援助、贈与的なローンからの収入により一部補われていますが、ある程度の外国からの投資によって、赤字の残りの大部分が埋め合わされています。
外国からの投資は、我が国が、国際銀行、会計事務所、信託会社よりなる金融センターを伴う税制優遇国であり、ヴァヌアツ籍の会社や船舶に必要なサービスを提供していることにより支えられています。所得税、源泉課税、資本利子税、さらには為替管理もないことが、企業にとって魅力となっています。企業の種類によっては、決算報告の提出や受益所有権を発表する必要もありません。
金融センターは、雇用の確保に役立つほか、外貨の重要な収入源であります。ヴァヌアツのように小さな島国であるために周期的に生じる経済的な問題は、外の出来事の影響を非常に受けやすいということであります。経済に重要な影響を与える外の出来事とは、商品の輸出価格、外国からの援助のレベル、自然災害などです。輸出品は主にコプラですので、この商品ひとつの価値が輸出総額に大きな影響を与えます。
投資開発の資金として、外国からの援助は非常に重要であります。投資の90%以上が、補助金または贈与的なローンと言う形で海外の提供者から用意された資金によって実施されています。外からの援助が落ち込むことは、予定された開発プログラムの実施に、大きな影響を与えます。提供者の援助計画の変更は、我が国の経済開発に莫大な影響を与えることになるでしょう。自然災害もまた、予想のつかないものであります。ヴァヌアツは頻繁にサイクロンに見舞われます。すべてが破壊的なものではありませんが、たいていは広範囲な被害を受け、回復に数年かかります。
今年の初めも、アン、ボラ、ドゥヴィの各サイクロンによって、建物、農産物に被害を受けましたが、昨年のサイクロン・ウマによる被害の復旧作業もまだ終了していません。再建プロジェクトは順調に進んでいますが、サイクロンにより我が国の限りある資金と人的資源は周期的に重荷を背負わされています。熟練した人的資源の利用が限られていることは、我が国の経済開発にとって最も大きな障害のひとつです。経済の近代的部門は、いまだに外国人移住者の労働に大きく頼っています。専門、技術分野の30%が、外国人移住者です。
経済の現地化は政府の最優先事項のひとつですが、熟練労働者の獲得という問題の解決までには、まだしばらく時間がかかるでしょう。教育制度による成果は小さく、教育にこれ以上の投資をするためには、熟練した人的資源を十分に獲得できるという保証が必要です。
我が国の開発能力は、これらの障害の緩和に大幅に頼っています。もし、外の出来事に大きく影響されることがなければ、経済開発の将来の展望は確実であります。農業部門は将来が約束されています。現在利用されているのは全耕地の半分足らずであり、このことは農業、林業の生産の拡大が大いに望めることを意味します。コプラ、野菜、牛肉の小規模自作農生産が増加しているのは、主に地方で現金の必要性が増しているためであります。しかし、農園部門はここしばらく不景気であります。この部門における投資、主に外国からの投資でありますが、これは土地紛争が障害となっています。しかし、一旦、土地所有問題が解決すれば、成長が期待されます。農園部門への投資は増加が始まったばかりであります。
大規模な商業的農園部門への合弁事業の設立は順調であり推進されています。政府は、海外投資家、コーヒー、ココアの伝統的な所有者、家畜企業家などの、合弁事業のパートナーとなっています。政府は、調査プログラム、サービスの拡大、ローンの提供、助成金支給による機械の供給、その他によって、農業部門を支援しており、これにより農産物の多様化と質の改善を求めています。林業部門においては、大規模な商業的林業計画が、いくつかの大きな島において開発されています。
これにより、木材や木製品の輸出から外貨収入源としての可能性が生まれ、再生できるエネルギー源の供給が拡大されます。その他、入手可能で経済的に開発できるエネルギー源としては水と地熱があります。
これで、輸入エネルギー源への依存度が縮小されます。我が国の広大な専管経済水域により、漁業は大きな可能性を秘めています。しかし、商業的な深海漁業は、まぐろ価格の低下と旧式な漁業技術による悪影響を受けています。近代技術を利用している外国の会社への漁業権販売は、有利な協定を結ぶことができれば、政府の重要な歳入源となり得るものであります。商業的沿岸漁業は急速に成長しており、国内における鮮魚の供給が増大して、地方の人々の栄養状態や収入の向上を可能にしています。小規模漁業は、政府により広範囲に支援されています。政府による支援増加及び沿岸漁業の生産高増加の余地は、まだ残されています。
この分野の多くの計画が進行中であります。製造業は小規模なものに限られています。この部門における大きな障害は、国内の市場が非常に小さいこと、熟練した人員がいないこと、資本が不足していること、輸出市場に遠いことなどです。製造業は主に、基本的消費財の分野における輸入代替に向けられています。経済の多様化のためには、この部門における一層の開発が必要とされます。
政府は、特に地方の資源や国内及び輸出市場を持っている製品を利用する産業への外国から投資参加を奨励しています。観光業は、雇用源、政府及び外貨の収入源としてますます重要なものになっています。外貨収入においては、コプラに続いて第2位を占めています。しかし観光客の数は、為替相場の変動、サイクロン、航空輸送能力など、外部の影響を受けやすいものであります。
ホテルの拡大計画は順調に進んでおり、ポートビラの飛行場は、まもなく大型の飛行機が乗り入れられるように改善される予定であります。空港施設の拡大計画もあり、援助の提供が受けられる事業計画が求められています。観光業の宣伝は、特に日本、ヨーロッパ、米国など観光客の新しい市場に向けられています。
おかげで、すでにヴァヌアツ観光客の半分以上を占めているオーストラリア市場にこれ以上頼らずに済みそうです。これまでに述べられていないその他の重要な部門は輸送と通信です。特に島国で、人口が分散しているため、これらの部門は経済の開発にとって重大な役割を担っており、これによって国家の全地域の経済的統合が可能になるのであります。この部門の開発には、相当の資本投資が必要であり政府の手には余るものです。
国際的な開発協力機関による援助が不可欠であります。本年の全体的な経済成長率は、3%と見込まれています。1989年の目標は3.5%です。
この目標を達成するためには、外国の援助と民間の投資が重要な役割を担うことになるでありましょう。都市部の労働者ばかりでなく、人口の80%を占めている地方の人々の、国の経済開発への参加も確実となるような慎重な開発計画が必要とされるでしょう。これによって、生活水準の向上と平和及び政治的安定の維持をますます強く望んでいる国民の要求に見合うような状況が作り出されると思われます。開発の社会面について発表したいと存じます。
過去150年間にわたりヴァヌアツに起こった社会的、経済的、政治的発達は、ヴァヌアツの人々に利益と困難の両面をもたらしました。肯定的な面では、この開発によりニー・ヴァヌアツがより広範囲に保健、教育といった基本的なサービスを利用できるようになりました。また、国家経済に参加するニー・ヴァヌアツが漸次的に増加してきていること、70年にわたる英国とフランスの共同植民地支配の後、1980年に独立を果たしたこともそれに含まれます。ヴァヌアツの社会開発には、広範囲な問題点が含まれており、これらは述べられるだけでなく、理解、評価されなければなりません。というのも、これらがヴァヌアツの将来の開発傾向を決定することになるからです。
我が国の開発計画者が頭を悩ませている問題点のひとつは、急速な人口増加であり、これにより、基本的なサービス設備と労働市場に対する需要が一層増加することであります。国内の80ほどの島々に住んでいるすべてのニー・ヴァヌアツが、効果的かつ均等に保健と教育を獲得できる手段を提供し、また、若者を含めた男女が開発に十分に参加することを確実なものにしなければなりません。
社会開発が直面している最大の困難は、植民地時代から受け継いだ不均衡な経済構造に関係がありますが、これは狭い経済基盤と広範囲で比較的良く発達した保健・教育サービス制度が共存しているものです。生産部門において重大な改善がなされており、これには、先に概要を述べた1987年から1991年の第2次国家開発計画の中でも重点が置かれていますが、経済基盤が非常に小さいため、増加する社会サービスの需要を容易に支援することができません。このような障害にもかかわらず、社会開発はヴァヌアツの開発の中で重要な役割を演じています。
保健・教育部門が国家予算の40%を占めているという事実が、政府の関心の高さを如実に物語っています。後者に関してはまた、行政上、計画立案上の要件により、国家開発委員会に提出されるプロジェクトはすべて、社会的そして財政的、経済的基準により評価されることが支持されています。現在の社会開発の問題点について、さらに具体的にお話したいと思います。

【保健】
ヴァヌアツの保健サービスは、具体的な健康管理を提供する多数の地方診療所、中間医療を提供する少数の地方保健センターと地方及び地区の病院、ヴァヌアツの2つの町ポートビラとルガンビルにあり、保健サービスの全領域を提供する国内で2つだけの総合病院、これらを含む様々な教育を通して、中央政府が大々的に提供しています。
さらに地方自治委員会、地方共同体、種々の施設が地域の救護所という形で基本的な救急サービスを提供していますが、その管理やスタッフは保健省の権限外にあります。さらに、小さな民間部門がポートビラとルガンビルの都市人口の要求を大幅に満たしています。ヴァヌアツにおける主要な公共の保健問題は皮膚感染症とマラリアです。数年前に実施された国民栄養調査では、5歳以下の子供の4人に1人が標準以下の体重でした。
このような状況になったのは大部分が、国内の多くの地方において住居、上水道、衛生設備、栄養が不十分であることが原因であろうと思われます。これらの問題を改善するために、保健省は総合的な初期の健康管理プログラムに乗り出しました。最優先事項のひとつは、妊婦、母親と子供に対する特別管理の質と適用範囲の改善です。活動には、看護スタッフの現職教育、診療所及び保健センターへの装置の提供、子供を6大伝染病に免疫にするための免疫拡大計画などが含まれています。効果的な保健サービスの分配に関して、保健省は、例えば計画立案と管理、人員と施設などのようないくつかの厳しい問題を経験しています。これまで詳細な国家保健計画や戦略が欠けていたために意志決定が妨害されてきた一方で、保健省の最大かつ緊急の関心事は人員と施設であります。
ニー・ヴァヌアツに高級の専門スタッフが欠けているため、外国人移住者の専門家に大きく頼っている状態であります。専門スタッフを地方に引き付け、引き留めておくことも、住居が不十分で労働条件が貧しいために深刻な問題となっています。
診療所や地方の保健センターは、満足な労働条件に戻すために大掛かりな整備を必要としています。これは、ヴァヌアツの保健サービス向上の願いを適えるために第2次国家開発計画の期間中の予算の拡大が必要とされている保健省にとって大きな問題であります。

【教育と労働力】
独立以来の保健部門における制度的開発と同様に、教育対策も現在の政府の責任のひとつであります。
我が国の教育は、英語とフランス語による2つの教育制度の統一を目指して、過去8年の間に、大いに前進してきました。両方の制度において、現在小学校は6年、中学校は4年、高等学校は3年となっています。共通のカリキュラムは中学校レベルに導入されており、共通の初等カリキュラムの開発に向けて進んでいるところであります。
小学校の教師は現在同じ施設内で教育されています。小学校教師の現職教育は、共通言語のビスラマ語を介して統一されています。地域の教育委員はそれぞれの地方自治地域ごとに任命され、地域の管理と両制度への専門的支援に責任を持ちます。教育部門が直面している主要な問題は、中・高等教育の利用が限られていること、教育の質の改善の必要性であります。
1986年の予測では、6歳のニー・ヴァヌアツの子供たち100人の中で、小学校を終了するのは51人、中学校に進学する予定の子供は13人、高等教育を受ける予定の子供はたった2人であるというものでした。中等レベルの卒業者がこの状態では、ニー・ヴァヌアツの労働力を向上させ、管理職、技術職のポストの現地化を促進させるためには不十分であります。
教育の質の改善の必要性は、ヴァヌアツ教育制度の多くの研究において言われていることです。教師の質を向上させるため、近い将来この分野でより重要な役割を演じることになる地域教育事務所とともに、政府は教師の現職教育と専門分野での支援に力をいれています。教育学の助言者よりなるこれらの委員は、各教師を援助し、教育コースを組織し教材の適時分配をする立場にあります。教育の質を改善し、より多くのニー・ヴアヌアツの子供たちが教育を受けられるようにするために、政府は次のような野心的なプログラムに乗りだしました。
すなわち、小学校への就学率の引き上げ、中等教育が受けられる可能性の拡大、教育機会をより均等に国内に分配する、管理職並びに技術職ポスト及び中学教師の現地化を促進するために高等教育の卒業生を増加させる、教育プロジェクトを計画、実施、観察、評価する教育管理の能力の改善、などがそれであります。

【社会福祉と地域開発社会】
福祉及び地域開発問題に関する政府の全体的な戦略は、社会開発省によって調整されます。同省の活動並びにプログラムは大部分が、女性と青年者の組織の強化と地方の訓練生プロジェクトの組織化に関するものです。
人的資源の開発促進を目的としている国家開発と足並みを揃えた社会開発省の女性問題部門は、プロジェクトの調整や実施に責任を負い、女性生活及び指導力技術の改善や、国家開発への女性の十分かつ活発な参加を促進することが目標です。これまで同局が重点を置いてきた分野は次のようなものでした。
すなわち、初等教育は完了したが中等教育に進学できないか、または雇用先を見つけることができない少女や若い女性のための社会的かつ実際的な技術訓練を提供すること、そして、地方の小さな事業の組織や栄養コースを援助する女性のための小さなビジネス・ワークショップがそれであります。
同省はまた、種々の女性利益集団への援助も提供しています。以上の、そしてその他の活動も特に女性を目標としております。ヴァヌアツ女性委員会との親密な協力によって成果をあげています。この委員会は、1960年代から、国中に存在している女性団体の統一と調整のために尽力しています。
女性のためのプロジェクトや活動はまた、地方自治、保健、農業、地質学、鉱業、地方上水道などの各省におけるプログラムにおいても統合されています。様々な国際機関並びに多くの国の政府以外の組織から寛大な援助を受けているにもかかわらず、女性問題局は深刻な予算及び人員の障害に直面しています。
xしかし援助の継続により、第2次国家開発計画の期間中に組織化、計画立案、訓練の提供、地域開発への継続的援助などの分野における同局の制度的能力の強化と拡大が期待されています。

【青年】
社会開発省はこれまで、女性のための活動及び教育プログラム組織のほかに、教会や地域グループのような組織や大規模なコースを調整し、若い学校中退者たちが地域社会において役立つ、満足な役割を果たせるように援助してきました。毎年、中等教育に進学することができない小学校中退者を多く出していることを考えると、若いニー・ヴァヌアツのための地方教育プログラムの準備は、最も重要なものです。
16歳に達する若者3、200人の雇用に対する門の狭さをもってすると、増加する若者たちは正式な労働市場での雇用を見付けることができないということになります。若者たちの大部分にとって、雇用獲得の見通しは、農業や自家営業のような伝統的な活動にあるというわけです。
社会開発省は、若者の大規模な失業を避け、若い男女の収入の道を援助するため、数年にわたり様々な地方教育コースを提供してきています。これらの開催は、全部または一部が政府の手によるもので、資金は教育センターあるいは政府以外の組織から出ています。コースは次のような分野に焦点が置かれています。
一部を挙げますと、木工品並びに家具製作、建築技術、基礎工学、基礎予算管理及び簿記、家計及び家政などです。これまでのところ、これらのコースの大部分が家庭向けのものであり、期間が3ヵ月から1年であることを考えると、この教育活動を利用する若い男女の数は限られています。
1982年から1986年の間に、このような教育コースに登録した若者の数はわずかに、2、000人でした。先に述べましたように、毎年16歳に達する男女がおよそ3、200人でありますから、若者たち特にその中でも大勢を占めている地方のニー・ヴァヌアツのために、広範囲かつ統合的なプログラムを提供することは一層困難な問題であります。

【結論】
これまで述べてまいりましたことで明白なように、社会開発問題は範囲があまりにも広く、ひとつの省や局だけでは全責任は負いかねます。
一方、収入の不均衡を縮小し、かつ都市及び地方どちらにおいても基本サービスが利用できるような地方開発プログラムを促進し、また女性や若者たちが開発に十分に参加できるような素地をつくるための教育プログラムへ大幅な援助を提供することは、政府の政策であります。
ヴァヌアツの社会福祉の開発は、政府機関、政府以外の組織、教会、地域社会、家族のひとりひとりなど、開発に関りのある人々すべてが責任を分かち合うべきであります。この演説の目的は、我が国の社会開発の現状並びに将来の展望を皆様に説明することでした。しかし私が強調したいのは、社会開発と経済開発の間にある複雑かつ難解な関係を認識することの重要性であります。というのも、健康で教育のある国民の、男女、若者すべてが平等かつ十分に参加しなければ、我が国の国家開発の全目的を達成することはできないからであります。



進行中の中長期計画、しかし当面の開発援助こそが喫緊事

ツゥイラエパ・サイレレ大蔵大臣

れまでの演説者の方々により雄弁に語られておりました、小さな島の経済開発を抑圧している種々の問題は、我が国、西サモアにも等しく当てはまります。
1962年の独立以来、我が国はわずか1、030平方マイルの小国であります。青く、美しく、澄んだ海洋に恵まれていますが、ほとんど魚はいません。
もちろん鮫もいませんので、全く安全に海水浴ができます。ここにお集まりの皆様をご招待いたしますので、ぜひ我が国の珊瑚礁で泳いでみてください。我が国はずっと、ひとつの作物ココナツに依存してきています。世界市場でのココナツ製品の価格が低下すると、我が国は問題に直面します。そしてここ2年半、これらの商品の価格は低迷を続けています。我が国の主要な外貨の稼ぎ手は、観光業や海外送金であります。実際、農産物の輸出よりも、観光や海外送金の収入の方が4倍も多くなっています。それゆえに1970年代より貿易赤字に苦しんでいます。我が国はLDCでありますが、何よりもこの事実がすべてを雄弁に物語っています。我が国の国際収支は、黒字を保っています。外貨準備高は、輸出の6ヵ月分であります。
これが達成されるためには、海外送金が流入を続け、かつ観光業による収益がなくてはなりません。1984年設立の中央銀行による厳しい管理で、1987年の国内総生産は実質で1%伸びました。しかし、1986年はほんの0.5%の伸びだったのです。1962年に独立を勝ち取って以来、経済開発は長期及び中期計画によって進められています。
まもなく1988年から1990年を期間とする第6次開発計画に入るところであり、目標とする実質の成長率を2から2.5%と見込んでいます。しかし、もちろん必要なのは資本融資であります。大蔵大臣として、私が本会議にやってまいりました意味は、簡単に申し上げれば、国民の生活水準を改善したいということであります。
我が国も、その他すべての国々と同様に、十分な上水道、地方の電化、若者たちへのより良い教育、より良い保健サービス、十分な雇用機会など、実用的なサービスを提供しなければなりません。これらの問題についてはすでにマラ首相が触れておられますので、これ以上長々と論ずる必要はないでしょう。
日本は、さらなる資本融資の提供、民間投資の推進、観光業の開発、各島嶼国経済の開発においてあらゆる面で必要とされる技術援助などを通して、私ども開発途上国に種々の援助を提供できる立場におられます。日本はすでにそれに取りかかっています。しかし、もしこの会議の精神をさらに意味深いものにするのであれば、もう少し具体的な援助が緊急に必要とされるでありましょう。
少しの遅れも、開発のためにはなりません。さて、最後にある経済学者のこの言葉を引用することが、私にはふさわしいように思われます。「そのような長期間では、我々は皆死んでしまう。」



豊かな国民資質による高価値輸出特産品の開発

ププケ・ロバチ首相

日本のことわざにこのようなものがあります。「辛抱する木に金が成る」。
文字通りの意味は、忍耐の木にお金が成るということで、すなわち、忍耐によって成功するという意味です。何をするにしても、成功するには忍耐は不可欠な要素であると思われます。でありますからこのことわざは、現在日本が、世界の主要経済大国として成功の頂点に上がってきた、その開発努力の重要な要素を、実際に表しているのではないでしょうか。日本の成功は一晩で出来たものではありません。また、過去の40年間だけで勝ち取ったものでもないのであります。
忍耐は、容易に取得されるような気質ではありません。何世代にもわたって、受け継がれ、育まれてきたのであります。クック諸島において、特にここ最近実現された社会・経済開発のわずかな成果は、一部の国民の忍耐の賜物であります。
クック諸島と日本に共通するものはほんの少しであります。国民は家族の強いきずなで結ばれ、文化的遺産を誇りとしています。国土は太平洋の巨大な広がりの中に小さな島々が点在しているもので、天然資源には恵まれていません。日本とクック諸島の共通点はここまでです。
日本はずっと昔に天然資源の不足に克つ手段を見付けていますが、クック諸島はまだです。日本の輸出は輸入をはるかに上回っていますが、クック諸島はその正反対というのが現実です。西洋世界がそれを認識するずっと以前に、日本は先進国の仲間入りをしていました。クック諸島は、少なくとも経済的な意味ではいまだに発展途上国から抜け出せずにいます。日本がメガ級ならば、クック諸島はマイクロ級であります。日本での皆様の話題は、数100万の人々と数10億という円についてですが、クック諸島では数100人と数100ドルです。
日本とクック諸島の対照的な部分を挙げればきりがありません。これまでリストアップしてきたのは、両国の相違がいかに莫大なものであるか強調したかったからでありますが、クック諸島がカヌーならば日本はマンモスタンカーであります。 他の太平洋島嶼国と同様に、我が国も自由市場と民間企業概念を推進しております。しかし我が国の民間企業が漸次設立されてきて、これまで政府が行っていた役割を果たすようになってきたのは、ここ15年間のことであります。自由市場概念が国中どこででも完全に実現していると言えるようになるまでには、まだ長い道程がかかります。今年の始めに完了した、クック諸島の独自のマクロ経済学的評価は、最後をこのように締めくくっています。
「…1976年から1985年の9年間の経済成長は年率4.5%であった。しかし初期の成長は低く、1976年から1982年では年に1.5%ほどであった。これは1982年から1985年の3年間の、年11%の成長率によって補われる。」
我が国が社会・経済開発において世界の他の国々に追い付いていこうとするならば、この11%の成長率を維持していきたいと、政府は考えています。日本とクック諸島の間の相違は莫大なものでありますから、私どもは日本の努力と張り合うことを希望したり、それを目標にすることなどはできません。
しかし私どもは、観光客や金融部門の貢献に成長を大幅に頼っており、これはどちらも外からの圧力を非常に受けやすいものでありますので、我が国の経済的な成長を維持することがますます困難になってきたことに気付いております。我が国の最大の開発パートナーでありますニュージーランドは、国内の圧力によってこの2年間、クック諸島への援助の上限を定めるようになりました。
従いまして、現在の経済成長率を維持するために、我が国は、特に離島におけるインフラストラクチャー開発の継続並びに民間投資に対する開発援助を緊急に必要としておる次第であります。私どもの希望は、輸出用に価値の高い特産品を開発することであります。18、000人の少ない人口では、大量生産においては他の大きな太平洋島嶼国との競争に勝つことものぞめません。
私どもの希望を知った上で、我が国の国民を特定の分野の専門家と成らしめる教育並びに訓練へ投資していただくことが肝要なのであります。現在のところ私どもには、必要とされる資金の準備がありません。
この段階で、私は再び、このスピーチの最初に述べたような日本とクック諸島の比較を試みたいと思います。日本のように、我が国の主要かつほとんど唯一と言っていいほどの、将来に対する資源は、資質豊かな国民であります。それゆえに、資金の多くを人的資源の開発に注ぎ込んでまいりました。しかしここ数年の我が国の経済の急成長により、今日及び明日の困難を克服するのに必要な、熟練した人員の不足がクローズアップされてきています。
熟練人員の開発ペースを促進しなければなりません。必要な人員と資金を開発に投入できなければ、足踏み状態のままでいる多くの他の国々の仲間入りをしなければなりません。立ち止まるということは、前進している他の国々に遅れをとり後に残されるということです。
昨年の初めまで、日本とクック諸島の間には、政府レベルでの本当の二国間の対話はありませんでした。両国の政府の関係を親密にしたのは、お互いに共通しているある特色のおかげでした。日本は時折、台風に襲われます。南太平洋においても、私どもは時折、サイクロンに襲われます。両国を近付けたのは、クック諸島が30年ぶりという大型のサイクロンに見舞われたことでした。サイクロン・サリーのおかげで、日本が自発的にサイクロン被害の復旧のために、多くはありませんでしたが暖かい寄付を提供してくれたのでした。我が国の政府は、日本政府とのより重要な開発の主導力を求めたい考えです。両国がより親密になるためには、日本は次のサイクロンを待ったりはしないだろうと、私どもはひそかに期待しております。私どもがカヌー経済からモーターボート経済、日本をマンモスタンカー経済とするならば私どもが我が国のために希望するのはこれくらいでありますが、これを達成しようとするならば、頼らねばならないのは特に日本のような国々であります。
少なくともモーターボートのように、これは笹川平和財団にとりましては特になじみの深いものでありましょうが、クック諸島は現在の経済・社会開発のペースを維持できると考えます。忍耐と、適切な技術の適用と、特殊技術の修得並びに開発と、日本のような先進パートナーとの協力とをもって、私どもの努力はそれぞれに報われることでありましょう。私は、議長の先の発言と全く同意見であります。
多くの点において太平洋島嶼国の問題は似通っているかもしれませんが、解決方法は同じでは有り得ません。パプア・ニューギニアやフィジーのような大きな島嶼国は、小さいものよりも資源に恵まれています。小さな国々の中でさえも、それぞれの資源には大きな相違があります。クック諸島、トゥヴァルのような、最も小さい国々は、比較的資源に恵まれ、裕福なソロモン諸島、ヴァヌアツ、西サモアなどの国々よりも、開発への対応はより革新的でなければなりません。
日本のように、クック諸島のような国々の開発のパートナーになるかもしれない国に提供できるひとつの慰めは、私どもは、希望する開発を達成するために数10億ドルも必要としないということです。数億も要りません。わずか数100万あれば、国民の将来を確保するために必要とされる、現在進行中の開発のための確かな基盤を固めることができるのであります。

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