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SPF China Observer
ホームへ第64回 2024/11/01
アジア版NATOについての一考察
2024年9月25日に石破茂氏が米ハドソン研究所に寄稿した文章「日本の外交政策の将来〜アジア版NATOの創設(The Future of Japan’s Foreign Policy 〜Establishing the Asian NATO)」[1]は同氏がその2日後に自民党総裁に選出され、更に同年10月1日に第102代内閣総理大臣に指名されたことから、世界的に注目を浴びるに至った。しかし、その反応の多くは反対[2]ないし現実性を問うもの[3]であった。
本稿においては、アジア版NATOについて、中長期的視点に立ってこれを捉え直し、改めてその意義について考えてみたい。
1.国際社会における権威主義の伸長
現下の国際情勢を鑑みるに、ロシアによるウクライナ侵略、中国による台湾および南シナ海における覇権行為、北朝鮮による核開発、中東情勢の不安定化とイスラエルの民主主義の後退など権威主義の伸長が国際秩序の不安定化を招いている状況が顕著となっている。これは、アメリカ自身が分断の危機に晒されていることからも明らかなようにリベラルな民主主義が世界的に弱体化し、後退していることの現れである。統計的にも今や世界において民主主義体制は権威主義体制によって人口においても国家の数においても既に凌駕されてしまっている[4]。
権威主義は、しばしば普遍的価値である自由や民主主義、人権の尊重を軽視ないし否定するとともに、自らと親和性のある権威主義体制の国家を支援し、欧米に対抗する新たな国際軸を形成する動きもある[5]。
最近のロシアによるウクライナ侵略は、国連安全保障理事会(安保理)常任理事国が明確に国連憲章に違反して行った行為であり、ましてや超大国ロシアが核兵器使用の脅しを行ったことは、国連による集団的安全保障、さらにはこれを主に担う安保理の機能に対する信頼が大きく損なわれたことを強く印象づけた。第二次世界大戦の惨禍を繰り返してはならないとの理念から構築された国際的な安全保障の枠組みは形骸化し、世界は現実的な力と力がものを言うジャングルの掟の支配する状況に後退してしまったと言ってももはや過言ではない。戦後80年を迎えようとする今、理想は現実の前に簡単に崩れ去ってしまった。
より明確に言葉を変えて言えば、残念なことではあるが、世界最大にして他を圧倒する軍事力・経済力を有する核保有国アメリカのもとに世界平和が保たれた「パックス・アメリカーナ」の時代は終わってしまったのである。権威主義が伸長し、民主主義が脅かされる中、実際に機能する民主主義防衛のための新たな国際的安全保障体制が必要となっている。
2.Hub and Spokes体制の課題
NATOはロシアのウクライナ侵略に際して、ロシアからの欧州への脅威に対する有効な抑止として十分に機能してきた。ロシアはウクライナに手を出しても、NATOのバルト三国には手を出さない。それこそがフィンランドやスウェーデンが伝統的な中立政策を破棄してでもNATO加盟を急いだ理由であろう。
他方、翻って、中国、北朝鮮、ロシアの脅威が益々増大するアジアにおいて機能している抑止のメカニズムは、日米同盟、韓米同盟などのアメリカとの二国間同盟関係のみである。アメリカはこれを「Hub and Spokes」と呼び、アメリカが中心となって友好国と同盟・準同盟の二国間関係を結び重層的な安定を図るという戦略をとっている。日本も日米同盟を基軸としつつ、豪、英、比など各国との間で「部隊間協力円滑化協定(RAA: Reciprocal Access Agreements)」を締結し、独、伊、仏との間では相互部隊派遣を実施し、各国との二国間のネットワークを強めている。また、最近では日本とEUとの間で海洋安全保障協力の強化などを盛り込んだ合意文書「安全保障・防衛パートナーシップ」が締結される運びとなったことも報じられている[6]。
このようにアメリカをハブとしたネットワークを基礎として各国がそれぞれ独自にネットワークを作り、重層的な構造としようとする考え方であるが、この体制はNATOの存在する欧州と比べた場合いくつかの問題点が存在する[7]。
第一にHub and Spokesの中心にあるアメリカがしっかりと機能するかとの根本的な問題がある。アメリカのアジア安全保障に対する関わり方は理論的には様々な形があり得る。例えば、それはアメリカの対中政策が、関与(engagement)によって国際社会に対して責任を負う存在(responsible stakeholder)へと中国をshape(形成)しようというものなのか、あるいは中国の軍事的拡張がアメリカ中心の国際秩序を脅かすものとして中国のリスクをhedge(回避)しようというものなのか、中国を「戦略的競争者(strategic competitor)」即ちopponent (相手)と考えるか、冷戦思考から中国をenemy(敵)と考えるかなどによってニュアンスを異にしうる。そしてこれはその時々の大統領の考え方によって大きく左右されかねないのである[8]。日本に直接関わるアジアの安全保障について日米間に安定した共通戦略はあるのか、アメリカが大国としての戦略によって独自に動くかつてのニクソン・ショックのような悪夢が再現することはないのかが真剣に問われるべきである。
第二に、Hub and Spokes の構成国の利益は複雑に錯綜しており、容易に一致を見ることはできず、常に分断の危機に晒されていることがある。例えば、台湾有事は日本有事であっても韓国にとってはどうであろうか。長期的利益と短期的利益が錯綜するなかで中国は「飴と鞭」を使って構成国の団結を揺るがそうとするであろうし、そのような介入は容易に成功するものと思われる。要するにHub and Spokesと言ってもそれは個別の安全保障利益の集合体にすぎず、見かけほどしっかりしたものではないことがある。
第三に、第二の点と表裏の関係にあるものとして、Hub and Spokesがその目的である強力な抑止の効果をもつためには構成国間の協調行動が確保され、一つの組織体であるかのように振る舞う必要があるが、構成国間の関係性は二国間関係にとどまっており、機動的な協調行動は難しい。例えば南シナ海における中国の狼藉に対して声明を出したり、協調制裁をしたりすることはたとえあり得てもそのプロセスは極度に困難であるに違いない。
3.アジア版NATOの必要性
まさにアジアにおいて各国の長期・中期・短期的利益が複雑に錯綜しており、容易に利益の一致が見られない現状こそが、アジア版NATOが現実的と見なされない理由であろう。欧州でのNATO成立の経緯は、第二次大戦後の冷戦対立の中でソ連の脅威に対峙するためアメリカを欧州の安全保障に引き込む必要からであったが、その後、復興し再軍備が認められた独を西側に引き留める意図があったとされる[9]。
アジアでは当面このような図式はないが、今後、中国の覇権国家としての性質がますます露わになっていくにつれて、またアメリカの国力が相対的に衰えてきたことをアメリカ自身が自覚するにつれて、地域の個別国家への侵害行為が積み重なるにつれ、またアメリカの国力が相対的に衰えてきたことをアメリカ自身が自覚し、孤立主義への復帰が懸念されるようになるにつれて、地域全体の問題として、アメリカを引き止め中国を抑止するためにアジア版NATOのような組織を切実に必要とするようになるという状況も十分に予見されるのである。
そして、現在の中国をどう見るかであるが、中国はその経済力が日本を大きく引き離し、アメリカに迫ろうかという時になって、「韜光養晦」(爪を隠して実力を蓄える)政策を切り替え、「有所作為」(即ち「やることはやる」)政策に転換した。軍備拡張のペースを速め、「戦狼外交」を推し進め、尖閣諸島をはじめとする東シナ海方面や南シナ海方面への軍事的威嚇を強め、また台湾への武力行使の意図をますます明確化してきた。また、「一帯一路」政策によりアジアと欧州を経済的に連結するとしつつ、その実「真珠の首飾り」に見られるように海外基地建設によるグローバルな軍事展開を図ってきている。上海協力機構(SCO)もBRICSもまた中露を中核とした政治的ブロックの形成であり、これらの一連の行為を全体として見る時に、中国は欧米中心の戦後国際秩序への対抗軸の形成を目指していると言わざるを得ない。
今後、残念なことではあるが、中国は勃興する新たな覇権国家として、自己の一方的利益に基づいて現状を変更することを試み、既存秩序に対する攻撃的姿勢を一層強めていくであろう。たとえ習近平が失脚して中国が民主化しても、このような状況は変わらないものと思われる[10]。今、漸く中国のリスクについての懸念をはっきりと認識しなければならない。
4.日本外交がリードすべきアジア版NATO創設
今後中国がこうした傾向を辿ることを抑止するためにはおそらく現状のHub and Spokesだけでは不十分であろう。軍事的安全保障の他にハイテク輸出管理やサプライチェーンの見直しなどを含む経済安全保障の考え方も含まれる必要があるが、この点も含め関係国がバラバラにではなく、一致して行動する必要があり、そのためには、中国を今世紀の最大の脅威とはっきり認識し、対中抑止という明確な目的をもつ国々が極めて強い絆で結ばれる必要がある。
当面考えられるのは集団安全保障条約を日米豪韓で結び、次いで第二段階として比、NZを加えていく。このためにわが国において憲法改正が必要なことはもとより前提であり、「普通の国」云々の議論よりもむしろ国際情勢の変化を踏まえた具体的な目的意識を持って憲法改正が行われるべきである。これは今後アメリカが孤立主義に傾くことを阻止し、アジアへのコミットメントを引き続き維持させるために機能する。従って、中国の脅威に直面し、核保有国アメリカのアジアへのコミットメントを最も切実に必要とする日本外交こそが中長期的展望をもって戦略的にこの外交をリードしていくべきである。
あるいはアジア太平洋に領土を持つ仏、英や北極海での中露の動きに懸念を有している加も関心を持つかもしれない。台湾は歓迎するであろう。その他の国々、例えばシンガポール、ベトナム、インドネシア、インドなどは当面相当慎重であることが見込まれる。
いずれにせよ、アジア版NATOの創設は対中抑止力を向上させ今後予見される中国の脅威からアジアの安全保障を確実に担保する上で大きな意義がある。中国が最も危惧し恐れているのは、実はこのような形で中国の野望を阻止するために関係国が合縦・団結することである。中国の恐れは日本へのNATO連絡事務所設置に反対し、マクロン仏大統領を通してこれを妨害した[11]ことにもはっきりと表れている。従って、日本が追求すべき政治外交目標として主体的に考え、課題として設定しておくことには重要な意味があると言える。一概に実現性がないものとして一蹴して良いものとは思われない。
5.新たな国際的安全保障体制へ
そして、アジア版NATOは欧州のNATOとの有機的連携を深めていくべきであり、将来的には両者の統合を目指すべきである。国連安保理の機能が大きく損なわれた中、こうして民主主義と自由を守る全世界をカバーする新たな国際的安全保障体制に発展させることができる。これがアジア版NATOを創設する最大の歴史的意義である。もとより多くの困難はあるが、アジア版NATOに関する提案は、単なる理想論ではなく、アジアのひいては世界の民主主義体制の安全保障を考える上での一つの重要なシナリオとして検討されるべきである。そして民主主義国がこのような検討をすること自体が権威主義体制の伸長に対するある種の抑止力を形成することになると考えられる。
1 Hudson Institute 2024 Sep.25(Hudson.org)
2 例えば中国国防部報道官(「排他的な軍事同盟やグループの構築をやめるよう日本に促す」)(2024.10.15北京発共同)など
3 例えばジョセフ・ナイ(「実現は不可能だろう」(2024.10.13ボストン発サンケイ)、渡部悦和「国内外の政治家は石破首相を見切った 世界に公表『アジア版NATO』の非現実さ 求められる集団的自衛権行使も『憲法改正』の記述なし」(2024.10.19付夕刊フジ)など。あるいは過去の歴史を踏まえたより総合的な考察として、永沢毅日経論説委員「米国も描いたアジア版NATO 石破茂首相構想に分断の壁」(2024.10.21付日本経済新聞)。
4 多数の報告があるが、例えば”The Global Expansion of Authoritarian Rule”(Freedom House ‘Freedom in the world 2022’)あるいは佐藤祐子「権威主義体制の台頭の時代―権威主義化のメカニズム」(早稲田大学高等研究所2024.7.22)
5 例えば、2024年10月22日から24日にかけてロシアで開催されたBRICS首脳会議おいて、中ロはグローバルサウスを取り込み欧米に対する新たな対抗軸の形成を試みたとされる(「BIRCS首脳会議、欧米への対抗軸明確に」(2024.10.23付読売新聞online)など)
6 「日本EU、11月に安保協力締結 中国念頭、初の戦略対話」(2024.10.18付共同)
7 藤末健三早稲田大学客員教授「アジア太平洋の安全保障は、アメリカ中心のままでいいのか?」(東洋経済online 2007.2.8)
8 アメリカ大統領選挙に際しての当面予想されるアジア版NATOへの反応としては、民主党は「時期尚早」、共和党は「反対」と見込まれる。(高濱賛「米国から見た日本の新首相:石破理論には賛同しつつアジア版NATOは時期尚早」)(2024.10.1付 J Bpress 596)
9 「アメリカ合衆国を引き込み、ロシア(ソ連)を締め出し、ドイツを抑え込む」(ヘイスティングス・イスメイ初代NATO事務総長)(Wikipedia)
10 例えば、エルブリッジ・A・コルビー「アジア・ファースト 新・アメリカの軍事戦略」(文春新書p110「中国が民主化したところで、おそらく今とほとんど同じような対外政策を行ってくる」、あるいはジョン・J・ミアシャイマー「大国政治の悲劇」(五月書房) p517「豊かになった中国は『現状維持国』ではなく、地域覇権を狙う『侵略的な国』になる…本当の理由は、どのような国家によっても自国の生き残りを最大限に確保するための最も良い方法が地域覇権国になることだ」
11 「NATOが日本に連絡事務所?フランスのマクロン大統領が反対を表明した理由は」(20237.14付東京新聞)及び「中国、NATO日本事務所に反発『歴史の教訓汲みとれ』(2023.5.12付サンケイ新聞)