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第58回 2024/08/02

中国の核戦略(その3)

浅野 亮(同志社大学法学部教授)

クロス・ドメイン下の中国の核戦略・核戦力とその将来

 公開されてきた数少ない研究成果を見ると、中国の研究者たちがアメリカの核戦力や核戦略、指揮統制通信などに非常に強い関心を持ってきたことがわかる。実際に中国軍は多くの場合アメリカをモデルとして核戦力や核戦略理論を構築してきたので、国防白書だけではわかりにくい中国の動向をかなりの確度で推定することができる。中国側が注目しているものとして、潜水艦発射核ミサイルによる相手の戦略ミサイルに対する攻撃、ステルス戦略爆撃機に搭載する精密誘導遠距離核ミサイルなど、それぞれかなり重要なトピックばかりだが、ここでその全容を扱うことはできないので、今は萌芽的な段階だが、影響がかなり広範囲にわたる事例をいくつか紹介するにとどめる。

 中国の専門家が目配りしているのは、アメリカの核戦力とともに、核をどのように作戦に組み込むか、である。たとえば、アメリカがロシア本土の近くに核搭載潜水艦を展開させ、ロシア側が米本土を弾道ミサイルで攻撃しようとした兆候が現れたなら、発射前にロシアの核ミサイルサイロを破壊するという態勢を、中国側はほぼ確実に自国とアメリカとの関係でも考えている。中国側がさらに注目したのは、ピンポイントに相手の中枢や軍事的要所を狙う戦術核による攻撃である。アメリカの公開された文書では、戦術核による攻撃対象に、相手国の最高指導者を含めている。中国の専門家は自国の最高指導者が攻撃対象となっていることに神経質になっているようである。人民戦争のような伝統的な戦い方では、最高指導者は奥地に隠れていて、攻撃されればすぐに逃げて安全を図ることができていたが、戦術核による攻撃を受ければ、安全な待避の可能性は以前よりも低くなると考えたのであろう。

 また、核戦略や核戦力ではずすことができないのは、AI(人工知能)の応用である。AIと核戦略の関係では、核バランスの戦略的安定性についての議論が比較的よく知られている。核の戦略的安定性とは、簡単に言えば、核兵器を持って睨み合う二つの国が簡単には核戦争を引き起こさないかどうか、の問題である。核戦争勃発の瀬戸際に立つと、政策決定者の恐怖は極限レベルとなるが、AIは恐怖と無縁である。しかも、相手が核ミサイルを撃とうとしているとの情報が得られてから反撃を始めるまでの時間は人間が決定を下すのとは桁違いにA Iの方が速い。

 したがって、AIに任せれば、相手がミサイル発射の準備をしているうちにそれを無力化できる可能性が高まる。しかし、最初に得られた情報が正しいかどうか、が大きな問題で、AIが誤認したまま反撃手段を取ると戦争になってしまうリスクがある、という議論が行われてきた。逆に、情報を人間が確認していると反撃が遅れて敗北してしまうという反論も起きた。AIがクロス・ドメインという条件のもとでの戦略的安定性については、「複合戦略穏定」という用語を使って、中国側でも研究されている。

 この核へのAIの応用は、アメリカ軍の専門用語を使えば、NC3(Nuclear Command, Control and Communications:核の指揮統制通信)にAIを使うということである。言うまでもなく、NC3は、前述のJADC2の指揮統制通信の一部を構成するので、NC3へのAIの応用は、JADC2のAI化の一部分ということでもある。言うのは簡単だが、この分野も技術進歩が非常に速く、一つのやり方でシステムを構築しているうちに、次の高いレベルのやり方でシステムの構築をやり直すことが繰り返されてきたと言われている。

 中国の研究者たちは、このようなNC3のAI化に強い関心を抱き、アメリカの資料を読んできた。また欧州各国もNC3のAI化に強い関心を持っていて、シンポジウムを開くと、中国人と思われる研究者も参加している。中国が欧州から技術情報を入手するには、良好な外交関係が必要となるので、ここに今まで以上に軍事と外交が協力しながら展開する余地が生まれる。

 NC3のA I化は世界的なトレンドとみなすことができる。しかし、高度化されていくNC3も、サイバー攻撃の格好の攻撃対象となることは間違いない。ここでもサイバー攻撃は、宇宙を舞台にしても展開される。

 すでに述べてきたように、宇宙は核と無縁ではいられないが、核爆発ではなく、原子力エネルギーの使い方という観点からもう少し詳しく見ておこう。人工衛星を原子力で動かせば運用の範囲や期間も改善でき、偵察や監視の効率も格段に上がる。また、人工衛星に核兵器を搭載していれば、相手の人工衛星や通信システムに対する物理的また電磁パルス攻撃に効果的に使える。しかし、サイバー攻撃によって、これらの宇宙の核兵器システムや人工衛星システムを撹乱することができる。

 すでにクロス・ドメインの融合や統合については触れたが、つまり、核、サイバー、電磁波と宇宙の少なくともこれら四つの分野は、四位一体と言ってもいいほど、クロス・ドメインでは深いレベルで融合を進めながら展開してきたし、これからもそれが続いていくことはほぼ確実である。さらには、脳とAIが融合して指揮統制通信が行われ、究極のクロス・ドメインの融合が進むと考えられる。そして、中国側はこれらの側面に非常に強い関心を抱いている。中国の研究者たちの多くは、当面、米中、そして欧州も地球と月の間を繋ぐ宇宙空間の安全保障に注力することになると見ているようである。

 もちろん、中国がこのような攻撃をすぐに行うと考えるのは短絡的すぎる。またどの国も十分な能力を備えていない。中国が近い将来その能力を持ったとしても、習近平という一人の人間が決定を下さない限り、それはないであろう。習近平の健康や心理状態はよくわからないので、これからの安全保障は、細い絹糸を綱渡りするような危ない状況とも言える。冷静な戦略という観点からは、中国自身もこのような攻撃にさらされることになるので、クロス・ドメインとその条件下の核戦争に対する防衛体制の整備が不可欠となるので、中国が戦争を始める可能性は低い。

 習近平の役割は別に論を立てて議論しなければならないが、習近平が強行するか、または彼の指導力が失われた状況下、中国がこのような防衛体制を整えないまま、強硬な姿勢を取り続け、エスカレーションを進める可能性は否定できない。歴史にトレンドがあるとしても個人の役割が無視できないように、平和と戦争の選択でも、けっきょくは個人の決定で運命が決まる。その個人についての事前情報は非常に大切である。

中国側の事情、日本の事情

 以下では、中国の核戦略や核戦力の理論ではなく、実際に業務を担当してきた部門と、その最近の状況について簡単に説明する。紙(またはパソコン画面)の上での議論と、実際に政策を進める現場とは大きく異なるからである。

ロケット軍最高幹部の粛清

 ここ最近の中国軍では、理屈や兵器体系のレベルだけではない要因も考慮しなければならない。中国の場合、2023年、ロケット軍の中枢が司令員や政治委員を含め、ほぼ根こそぎ粛清されたことが大きい。この粛清の理由は汚職とされるが、これが真相かどうか、疑いが残る。中国のロケット軍版のトハチェフスキー事件[1]と言ってもいいくらいの衝撃である。新しい司令員と政治委員はロケット軍とは関係のない海軍と空軍の軍人がそれぞれ就任した。粛清の結果、中国では、核戦略の担い手が不在となった可能性が高いと考えられている。理論も大事だが、実際の担当者が総入れ替え、理論は規範としても側面もあるが、その規範が受け継がれているか、がわからない。

 逆に、年長の幹部が突然いなくなったため、若手が柔軟な頭を持っているとすれば、彼らのフレッシュな構想が早く実現していくかもしれない。当面は習近平の言うことに唯々諾々と従うか、既存の政策マニュアル(ないとは思えないが)に頼る対応になるか、である。日本の安全保障の面からも、実際のミサイル配備の状況、学術的な交流や接触によってそこを少しでも明らかにすることが強く求められる。

統一戦線工作

 ここでは、核戦略や核戦力に関わる議論がこれまでほとんど扱ってこなかった問題を論じておく。それは、統一戦線工作である。統一戦線工作とは、簡単に言えば、中国共産党の外で味方を増やす政策のことで、相手の集団や組織に入り込むことも多いため、宣伝や諜報とも密接に関係してきたとされる。こういうやり方は、日本でもよく読まれてきた「孫子」も触れている。米中経済安全保障調査委員会の年次報告書(2023年11月)が統一戦線工作という項目を立てて報告したように、中国の軍事力は、軍事以外の間接的な手段と組み合わされない方が少なかった[2]。

 しかし、日本では、「孫子」に比べ、核戦略や核戦力をめぐる知識、また統一戦線工作に関する知識は広く共有されているとは言えない。均衡や抑止など、核についての理論の多くは、心理や認識に関わる性格が特に強いので、この状況は、偽情報なども使う相手国の世論やメディア・ネットに浸透する「影響力工作」に左右されやすい。中国の統一戦線工作は、西側がいう「影響力工作」であるということもできる。今では、サイバー空間を通して活動もでき、人民解放軍にはサイバー部隊もある。核をめぐって議論をすると核戦争を招くというイメージは、言霊を敬う日本人には受け入れやすい。「噂をすれば影がさす」で、悪いことを考えれば悪いことが起こってしまう、という考え方である。

日本周辺の情勢

 台湾、南シナ海・東シナ海や尖閣など日本が関わる問題も、具体的な展開を考える場合、核が関わるシナリオを避けることはできない。目を背けて他のことをひたすら話していても問題が消えてなくなることはない。たとえ核兵器の実際の使用がなくとも、戦争に関わる政策決定では核はほとんど常に考慮されてきた。ロシア・ウクライナ戦争も例外ではなく、戦場が簡単に拡大しなかった背景には、主要な政策決定者が経済だけでなく核戦争の回避も考慮したからと考えられている。そして、核は心理や認識が深く関わり、日本はこの分野の冷徹な分析が苦手であり、統一戦線工作が使われやすい舞台である。

 加えて、核戦争のイメージが国際的に拡散しただけで、日本通貨の円は大きく下落し、エネルギーや貿易も停滞し、シーレーンもマラッカ海峡以外のもっと時間と費用がかかるルートを使わなくてはならなくなる。しかし、そこも南太平洋には親中的な国があり、中国の影響力が強く、日本に圧力を加える可能性がある。

 日本経済は国際経済と深く結びついており、台湾海峡や南シナ海など経済ルートの敏感性や脆弱性は大きい。これは、中国が核や通常戦力を背景とする軍事的な脅しがエコノミック・ステートクラフト・経済安全保障と結びつく事例の一つでもあり、さらには前述の統一戦線工作などによる心理戦や浸透工作とも連動する。日本の継戦能力を測るには、このような総合的な考えが不可欠である。

 一方の中国は「一帯一路」のもとでシーレーン、エネルギーや財の輸送路の多角化を図ってきて、戦争のコストをできるだけ低くしようとしてきた。実際の戦争にならなくとも、この非対称性を中国側が使わないはずがない。ただ、中国側も警戒心は非常に強く、だからこそ経済利益に損失を与えても、反スパイ法などの強化を進めてきたのである。

 このように見ていくと、核戦略や核戦力をめぐる議論は、宇宙、サイバーや電磁との四位一体をさらに進めつつ、今までよりもさらに経済・技術安全保障と連動を強め、諜報・外交戦略、各国の政治事情や軍の問題とも絡む壮大なものになっていくと考えられる。このコラムで扱ったことも、寺の鐘を針でつついて音を出そうとしたようなものにすぎない。この分野の研究は止むことがない。

1 1937年に赤軍最高指導者であるトハチェフスキー元帥らがスターリンによって粛清された事件。のちに冤罪であることが判明し、1961年に名誉回復された。

2 “2023 Annual Report to Congress,” U.S.-CHINA ECONOMIC AND SECURITY REVIEW COMMISSION

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