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第28回 2020/05/03

新型コロナウイルス対策で私たちは歴史の教訓を生かせるのか〜ペスト流行期の東アジアを振り返りながら考える〜

阿古 智子(東京大学大学院総合文化研究科教授)

 2020年、新型コロナウイルスの感染拡大によって、世界は大きな混乱の渦に陥っている。誰もが感染し得るこの病気によって、私たちの生活は一変してしまった。私たちは、この状況をどのように捉え、今後の指針を見出すべきなのか。ヒントを得るために歴史を振り返ってみようと、永島剛・市川智生・飯島渉編『衛生と近代 ペスト流行にみる東アジアの統治・医療・社会』(法政大学出版局、2017年)を紐解いた。この本は、中国の開港都市(上海、天津)、外国人居住地が撤廃されたばかりの神戸、日本の植民地になったばかりの台湾、朝鮮、オランダ統治下のジャワなど、帝国主義に揺れ動く東アジアにおけるペストとの闘いを記している。

公衆衛生を巡って対立する「西洋」と「中国」

 同書によると、「鼠疫」、つまりペスト(腺ペスト)が歴史上初めて医学的に確認されたのは、1894年、香港においてであった。不介入主義を貫く英国統治下の香港では、ヨーロッパ系住民と中国系住民の居住区は分離していたが、中国系住民が増加する中、中国人コミュニティでもイギリス流の衛生行政の導入が検討された。ただ、当時の香港では、出生・死亡登録、人の移出入を網羅的に把握することは困難であり、中国系住民の多くは西洋医療にかかっていなかったため、医師を通じての病気の届出も期待できない状態だった。そのような中、香港政庁の医官ジェームズ・ローソンは、警察官の動員による患者発見、隔離、消毒の施行、東華医院(中国医療に基づく中国系住民のための篤志病院)への西洋医の関与などを提案した。

 第八代総督ジョン・ポープ=ヘネシーは立法評議会のメンバーに初めて中国人を任命した人物だが、その秘書、E. J. エイテルは広東語ができ、中国人の風習を尊重する医療を重視し、一方的に西洋式の衛生措置を強制することに批判的だったという。そのため、「汚物巡視官」(街を巡回し、住民に改善を促すスタッフ)の雇用を提案したエアーズ医官らと対立した。1882年にはイギリスからオズバード・チャドウィックが派遣され、『香港の衛生状態に関する報告書』が作成された。報告書は、不衛生状態を中国系住民たちの無知と無責任のせいだと決め付けるべきではないとし、都市環境全体の改善を図る必要性から、土壌乾燥法や水洗便所の導入に言及した。

 衛生行政においては、衛生委員会も重要な役割を果たしていた。それは、土木技官、植民地医官、人口登録局長、警察長官、衛生巡視官といった官僚メンバー、そして実業家、医学者、医師資格を持つ法律家、保険組合事務局長などによる非官僚メンバーから成り立っていたが、1888年に二人目が入るまで、中国人の委員は医師資格を持つ法律家のホー・カイ(何啓)一人だけだった。イギリスでは、住民自治と専門知を組み合わせる衛生行政を推進していたが、植民地下の香港でそれは実現しておらず、政策決定プロセスへの中国人代表の参加がほとんど認められていなかった。

デマや偏見が「他者」への差別や憎悪を増幅

 香港でペスト菌が発見されてから16年後の1910年、上海の共同租界北区(中国側行政地域との境界)でペストによると思われる死者が出た。住民たちは、感染の疑われる者がいた建物、家屋、その周辺から退去させられ、家屋は燻蒸し、屋内の家財や食器を運び出した後に消毒あるいは焼却するという強制措置が取られた。

 しかし、中国人は強制隔離や戸別訪問による検査など、専門化された近代医療の空間や手法に馴染めなかった。中国人女性たちは西洋人の男性医師や検査官を恐れ、子どもを連れて逃げまどった。「顔色の黄色い人(黄色人種)は衛生員に見つかると強制的に隔離される」「隔離病院では隔離された人の体を原料に薬を作っている」といったデマが広がる中、中国人たちは検査に訪れた衛生員や医師を取り囲み、検査を妨害するという事件が相次いで発生した。

 中国人社会からの反発を受けて、共同租界当局は、中国側代表との話し合いの場を設けた。公開で会議が開かれ、中国人のための隔離病院である中国公立医院が設立された。戸別訪問検査は中止され、感染が懸念される地域では、中国公立医院と衛生処の双方が推薦する中国人の女性医師が戸別訪問検査を行うことになった。

 当時の上海の新聞記事は、「ペスト検査を上流の中国人は理解しているが、下流の中国人は理解できずに恐れている」「愚民がデマに振り回されて騒動を起こしている」「中下等の人たちが恐れて騒ぎ、暴動を起こした」といった「上流―下流」「西洋人―中国人」といった対立軸を固定した見方を当たり前のように示していた。このような報道によって、偏見や差別が助長され、感染症への恐怖から、極度に「自己」を防衛する欲求が高まり、「他者」に対しては憎悪さえ生んでいたのだった。

100年前と現在との違い

 このように、ペスト流行期の香港と上海の状況を振り返ってみると、デマや差別の根っこには、医学や生活習慣の差異が生じさせた誤解、社会に元々根付いていた分断の構図が存在していることがわかる。こうした状況は、ペストの時代から100年以上経ち、ほとんどの地域で植民地統治が終わった現在も、あまり変わっていないのではないか。

 私たちはコロナ禍に怯え、苦しむ中で、国内外で科学や医学に関して、また統治や管理の方法を巡って論争している。そして、互いに疑いの目を向け合い、激しく対立している。西洋中心の帝国主義下で「下流」とされていた中国は、今やビッグデータを操る超大国になった。ウイルス発生源の特定をめぐる攻防、世界保健機関(WHO)を取り巻く政治的駆け引き、ワクチン開発に関する利害の衝突……。グローバル化が進む世界が一丸となってパンデミックに対抗するには、国家主義を乗り越え、重要な情報や専門知識を積極的に共有しなければならないというのに、どの国も国益を重視する姿勢に傾きがちだ。さらに、感染症をめぐって生じている多くの問題は、「西洋vs.非西洋」とか、「中国びいきvs.アンチ中国」といった二項対立の文脈からでは解けないものなのに、そこに焦点が集まりがちなのは何故なのか。

 100年前と現在を比べると、いったい何が異なっているのだろうか。当然、医学は大きく発展し、専門家の技術水準は大幅に上昇している。衛生環境も格段によくなっているはずだ。グローバル化が進み、国を越えた技術や情報の提供、資金面での協力など、さまざまな連携が加速している。それなのに、特に初期においてであるが、新型コロナウイルスを巡る国際協力のメカニズムはうまく機能しなかった。なぜだろうか。

 何よりもまず、重要な情報やデータが迅速に効率よく、共有されなかったのが大きな痛手になったということがあるだろう。既に多くのメディアが報じているように、中国の医師たちは1月初めには、原因不明の肺炎で死者が急増していると発信していた。彼らの警告が、すぐに中国全土に、そして世界各国に伝わっていたら、どれだけの人数の感染者の命が救われただろうか。

 また、世界で大きな力を持つ中国は非民主主義国家であり、さまざまな問題を引き起こしても独自の論理で動くため、民主主義国家との間のコミュニケーションには頻繁に不具合が生じてしまう。100年前の植民地統治下の社会においても、情報伝達のあり方に差が生じていた。例えば、上海では感染症に関する広報は主に英字紙で行われ、中国語の新聞『申報』などにはほとんど出ていなかったため、英語が読めない中国系住民には重要な情報が伝わらなかった。しかし、コミュニケーションのツールがこれほど多様な現在に至っても、コミュニケーションはうまくいっていないのだ。

 さらに、独自の文化や思想を前面に打ち出す権威主義国家である中国は、ある種「異質な」存在であるが、それゆえに、私たちが抱えている固定観念によって生じた問題もあると考えられる。例えば、武漢を中心に新型コロナウイルスの感染が急速に拡大し、毎日多くの人が亡くなっていた時、中国の外にいる私たちは、「これはいつか自分たちの身にも起こる可能性が高い」と武漢の状況を見ていただろうか。「中国は大変だね」と、「他人事」のように捉えてはいなかっただろうか。中国の人たちが、デリバリーの人に近寄らないようにして食べ物を受け取る姿、一人ずつのブースに区切ってあるレストランで食事をする様子を見て、「あそこまでやる必要はあるのだろうか」とは思わなかっただろうか。家から出ようとする隔離対象の人を自治会の人たちが強制的に追い返したり、警察が出動して街を封鎖したりしている状況を見て、笑っている人はいなかっただろうか。日本も欧米諸国も、「他人事」として中国の問題を捉えているうちに、感染症対策を準備する時間を逸してしまった。

 情報技術の発展によって増幅されている事象もあるだろう。差別やデマはいつの時代にもあるが、ソーシャルメディアによって、フェイクニュースも、理性を失った感情的な分析も、瞬時に地球の裏側まで届き、多くの人々に影響を与えていく。情報の正しさやデータの入手経路を検証する時間が十分に取れないまま、一面的なイメージが次々につくられていってしまう。複眼的な視野が必要な時に、単一的な見方が広まると、激しい差別に加担することにつながりかねないのだ。

 「国の論理」が何よりも優先されてしまっていることにも問題がある。グローバル化が進んでいる一方で、国家主義が台頭しており、人々は国家間の敵対心をより顕著に表現するようになっている。十分な科学的な根拠を示しもせず、「中国ウイルス」と連呼するトランプ大統領は、新型コロナウイルスと闘うために、積極的に中国と協力しようとするだろうか。習近平国家主席の訪日やオリンピックを控え、日本政府は新型コロナウイルスに関して重要な判断を先延ばしにしてしまったのではないか。

おわりに

 ペスト流行期の香港において、ヨーロッパ系と中国系のコミュニティの間にはさまざまなコミュニケーション上の問題が存在していた。だが、広東語ができ、中国人社会への理解が深い「カデット」*が仲介人となり、中国人エリート層が運営にあたる中国医療に基づく中国系住民のための東華医院のような病院が中間組織として一定の機能を果たしていた。上海でも、人口の大多数を占める中国系住民を巻き込んで公衆衛生の実効性を上げるために、住民の反発を招くような一方的な強制ではなく、さまざまな利害や意見を調整する手順を確保しようと検討が重ねられていった。国の論理を前に出すことで失うものが多い時には、民間の多様なチャネルを活性化させたらよい。情報や経験、専門的知識を効果的に共有できるように、丁寧かつ迅速に、コミュニケーションを行っていくのだ。そうすることにより、アイデアが次々に生まれ、重要な情報が伝達され、短い時間に多くの試行錯誤が行われ、研究開発が進み、新たな治療が試されていくだろう。

 ペストの時代、中国では反西洋感情が急速に高まっていった。華北で1900年に義和団事件が起こったのは、そうした流れの延長線上にある。新型コロナウイルスを巡る世界情勢においても、ていねいなコミュニケーションを心がけなければ、各地でさまざまな反発が生じ、騒動や衝突が引き起こされる可能性がある。また、繰り返しになるが、国家間の対立構造を乗り越える民間レベルの活力がより前面に出られるような環境づくりも重要であろう。

*カデット:1861年、イギリスの大学を卒業した若者に広東語をマスターさせ、中国人下級官吏や住民とのコミュニケーション能力を持つ者を育成する制度ができた。この制度で育成されたのがカデットである。

(脱稿日 2020年5月1日)

参考文献

永島剛・市川智生・飯島渉編『衛生と近代―ペスト流行にみる東アジアの統治・医療・社会』(法政大学出版局、2017年)

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