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第25回 2020/04/07

コロナウイルス感染拡大を巡る米中政治戦と国際秩序への影響

小原 凡司(笹川平和財団上席研究員)

はじめに

 新型コロナウイルス感染拡大が、国際秩序にも影響を及ぼし始めている。中国は、新型コロナウイルス感染拡大に関する米国による中国非難に激しく反発し、自らが同ウイルスの発生源であることを強固に否定している。そしてその一方で、困難に陥っている国々に支援の手を差し伸べ、そうした行為を自画自賛して自らが世界の救世主であるかのように主張している。新型肺炎が蔓延して困難に陥っている国々が、中国の支援に感謝することは間違いない。それらの支援は、そうした国々に対する中国の影響力になり得る。新型コロナウイルス感染拡大の状況は、国際社会における支持を拡大する機会を中国に与えているとも言える。
 一方で、新型コロナウイルス感染拡大は、各国国民の生命を脅かすばかりでなく、世界経済を支えてきたサプライチェーンを寸断し、各国経済に深刻なダメージを与えている。国際社会は、再び中国に救いを求めるかも知れない。経済力はパワーの源泉であり、またパワーそのものにもなり得る。中国にとって、経済的影響力を背景に他国の支持を得る好機となる可能性もある。しかし、中国が新型コロナウイルスの発生源であることを理由に、国際社会の中で中国に責任を求める風潮が高まれば、中国は道義的な圧力も受けることになる。それでは、中国の影響力は限定的になってしまう。
 さらに、中国は積極的な経済刺激策をとること自体に否定的となる可能性もある。2008年秋のリーマンショック後、中国は4兆元(約57兆円(当時))の経済刺激策を採り「世界を救った」とされたが、その政策は中国の地方政府や国有企業の債務を急増させ、不動産バブル等の後遺症をもたらした。習近平総書記は財政再建と経済構造改革に乗り出したが、米中貿易摩擦の激化等によって経済成長は減速し続け、2019年3月の全国人民代表大会(全人代)における李克強総理の政府活動報告で示されたように、再び投資による経済刺激策を採らざるを得なくなっている。中国としても、当面の危機を脱出する必要があるとは言え、中長期的にこれ以上の経済的ダメージがもたらされるリスクの累積は避けたいと考えるのは当然である。
 中国は米国の非難を躱して各国に対する影響力を高めたいと考えている。だが、中国の思惑は複雑であり、米中双方の行動は、両国関係に相互作用を起こして緊張を高めるだけでなく、国際社会にも複雑な影響を及ぼしている。本稿では、新型コロナウイルス感染拡大に関する中国の対外発信を含む対外政策を分析し、それらが米中政治戦にどのような展開をもたらすのか、そして国際秩序にどのような影響を及ぼそうとしているのかを考察する。

中国の対米姿勢

 2020年3月4日に新華社インターネット版が報じた記事は、米国の批判に対する中国の不満および国際社会からの孤立を恐れて米国に責任を転嫁しようとする中国の意図の発現であると言えるだろう。当該記事は、米国フロリダ州が、カリフォルニア州およびワシントン州に続いて緊急事態宣言を出したことを受け、米国における新型肺炎感染拡大の状況を根拠に、米国が新型肺炎感染者数を故意に低く見せているのではないかとし、米国の数値に対して世界が疑念を抱いているとしている[1]。
 この記事は、中国が武漢における新型肺炎感染拡大に関する情報を隠蔽し、そのことが新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大を許したと批判されていることには触れず、米国こそ情報を隠蔽してコロナウイルス感染拡大の元凶となっていると主張しているのである。
 その上で同記事は、「もし、中国が中国から米国への旅行を実質的に禁じたとしたら、米国の経済は大打撃を受けるだろう」とする。さらに、「もし、この時期に中国が米国に報復し、米国に対する旅行禁止を宣言する以外に、医療品の戦略的管理を行って米国に対する輸出を禁止したならば、米国は新型コロナウイルスの大海の中に沈むだろう」と主張した。それだけではない。「米国が輸入する90%以上の薬品は中国に関係している。この時期に中国が国内の需要を満足して輸出を禁止するだけで、米国は新型肺炎蔓延の地獄に落ちるだろう」と脅迫まがいの言葉を並べたのだ。その上で、米国が中国を非難したことを挙げて、「これまでの種々の過ちについて米国は中国に対して謝罪すべきである」と要求し、一方で、「新型コロナウイルスの発生源は必ずしも中国ではなく、なおのこと中国には謝罪する理由などない」とまで述べ、中国には新型肺炎蔓延の責任は一切ないと主張した。
 この主張は、欧米諸国で反感を買った[2]。実際、3月末の時点での新型肺炎感染による死者数では、イタリアの約12,400人、スペインの約8,400人についで、米国の約3,800人、フランスの約3,500人と続く[3]。いずれも中国の約3,300人を上回り、各国は深刻な事態に陥っているのだ。苦境にある国に対して、「自分が薬の輸出を止めたら、おまえは肺炎の地獄に落ちる」と言われ、「謝罪しろ」と迫られたら、欧米各国が反感を持つのは当然であるとも言える。
 一方で、中国が、脅迫まがいの表現を用いてまで米国を非難し、自国の責任を回避しようとするのは、それほどまでに米国の中国批判に不満をもっているためだと考えられる。またそれは、中国が危機感を募らせていることの裏返しでもある。その上、中国が発表している死者数にも疑問が呈されている。3月31日、中国湖北省武漢市が、新型コロナウイルス感染による死者が累計で2,548になったと発表したが、この数字は、実際の遺骨の多さに比べて極端に少ないとされるのだ[4]。感染拡大当初、能力不足によってウイルス検査を受けられなかった「疑い例」の死者数が全体数から除外されているとされる。米国情報部門もホワイトハウスに対して同様の内容の報告書を提出したという[5]。それが正しいとすれば、中国は、米国の批判等によって国際社会から孤立することを恐れ、データを操作して感染者および死者数等を抑制し、一方で声高に米国を非難し自らを正当化しているとも考えられる。

米中メディア戦

 中国は、メディアを積極的に用い、国際社会に対して自らの正当性を主張している。一方の米国も、トランプ大統領が「中国ウイルス」といった表現を用いて中国をけん制するが、それは、意識しているにしろ無意識にしろ、国際社会における中国に対する支持が広がるのを米国が恐れていることの現れであると考えられる。
 しかし、米国が主張するまでもなく、中国の情報操作の痕跡は隠しきれていないようだ。中国指導部は、遅くとも2019年末には、武漢における新型肺炎蔓延の状況を認識し、その深刻さも理解していたと考えられる。武漢に所在する中国人民解放軍海軍工程大学警備通信勤務中隊が2020年1月2日に文書を発出し、新型肺炎を理由にして実質的に大学を封鎖していたのである[6]。
 海軍工程大学警備通信勤務中隊が発出した『関於実施防控不明原因肺炎、厳控外来人員進校的通知(原因不明の肺炎を厳格に防止・管理し、外部の人員の大学への進入を厳格に管理する)』という文書には、「国家衛生健康委員会が武漢に専門家を派遣して業務を指導している」と記されている。海軍工程大学が封鎖されたことも、国家衛生健康委員会が専門家を武漢に派遣していたことも、中国共産党が、1月2日以前に、武漢における新型肺炎拡大の深刻さを認識していたことを示唆するものである。中国が積極的に新型コロナウイルスの抑え込みを図る姿勢を示し始める以前から、中国指導部が新型肺炎に関する状況を把握していたということだ。
 中国指導部が新型コロナウイルスを抑え込む姿勢を誇示し始めたのは、2020年1月下旬頃からである。例として、同年2月2日に人民解放軍に引き渡された、武漢市の「火神山医院」が挙げられる。同医院の建設工事は春節の大型連休を返上して24時間態勢で行われ、工期10日ほどの「超突貫工事」だった。病床数は約1,000で、翌3日に開院し、患者の受け入れを開始した。人民解放軍への引き渡しは、中国中央電視台などが報じている。また、この建設過程を記録した映像は、SNSで発信され、多くの人が閲覧したという[7]。
 しかし、中国指導部の情報公開は遅きに失した感がある。中国国内で、新型コロナウイルスによる肺炎の感染が拡大する中国で、政府に対して言論の自由を求める動きが広がったのだ。2020年2月12日までに、肺炎のまん延は「言論の自由の圧殺が招いた『人災』だ」と李克強首相らに訴える書簡に360人以上の大学教授や弁護士らが賛同した[8]。同書簡は、2019年末に新型肺炎に警鐘を鳴らしたために警察に処分され、自らも新型肺炎に感染した李文亮医師の死去を受けて公表されたものである。同書簡は「人民の知る権利の剥奪」によって感染が拡大したとし、李医師を処分したことに対する当局者の謝罪や自由な言論活動の実現を求めた。また、同書簡は共産党序列2、3位の李首相、栗戦書全国人民代表大会常務委員長と「全国の同胞」に宛てられていた。賛同者に、北京大学および清華大学の教授、人権派弁護士らが名を連ねている。この書簡に先立ち、別の清華大学の教授も、新型肺炎をめぐる指導部の対応を厳しく批判し、言論の自由を要求する文書を発表している。
 中国共産党が恐れるのは権威を失うことであり、国内で中国指導部に対する批判を許容することはない。しかし、中国共産党が恐れる批判は、中国国内のものだけではない。中国は、国際社会からの批判、さらには批判による国際社会からの孤立を恐れている。中国には、1989年の天安門事件以降に国際社会から孤立し、さらに国内で保守派の台頭を背景に統制経済を復活させる動きが強まったこともあり、経済成長が停滞したという経験がある。そのため、新型コロナウイルスに関する米国の批判を中国は許容できない。米国の批判に中国が強烈に反発し、反対に米国を批判する状況は、メディア戦とも言える様相を呈している。
 米国務省は2020年2月18日、新華社などメディア5社を「中国の外交機関」と認定した[9]。認定対象には、新華社のほかに、中国国営の外国語放送CGTN、中国共産党系の英字紙チャイナ・デイリーが含まれている。これら認定対象となった中国メディアには、米国内の各国大使館や総領事館同様、現地採用を含む従業員の基本情報や新規雇用と解雇、資産に関する報告が義務付けられる。
 中国は、すぐさま報復行動に出た。同年2月19日、中国は、「中国はアジアの病人」という論説記事の見出しが人種差別主義的であるという理由で、ウォール・ストリート・ジャーナルの記者3人を追放した[10]。新型コロナウイルス感染拡大は、習近平総書記が国内向けに誇示してきた、中華民族の偉大な復興を達成する共産党の能力に対する国民の信頼に打撃を与える、政治的な大問題であるとも言える。
 同年3月2日、トランプ政権はこの中国の措置に対抗するかのように、米国が中国共産党の「宣伝組織」とみなした新華社など5つの報道機関の米国内の記者数に上限制を取り入れると発表した[11]。現状の計160人を100人にするよう求めたのである。この措置は同月13日から適用された。中国は直ちにこれに反応した。翌3日、米国内の中国報道機関に所属する記者などの数に米政府が上限を設けたことについて、中国は、偽善的と批判し、対抗措置の可能性も示唆したのである[12]。
 中国外務省の趙立堅報道官は同年3月3日の定例記者会見で「冷戦時代の考え方とイデオロギー的偏見」に基づいて米国は中国人記者の数を制限したとし、「米国は米国内の中国報道機関に対し政治的弾圧を行っている」と述べた。さらに同氏は、「われわれはさらなる対応を行う権利を保持する」と述べている。そして実際、同月18日、中国は米主要3紙の米国人記者の記者証を取り消すと発表した[13]。中国外務省が、ウォール・ストリート・ジャーナル、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストに勤務するすべての米国人に対して、2020年末が期限となっている記者証を10日以内に返還するよう要求したのである。
 ポンペオ国務長官は、「われわれには報道の自由があると誰もが知っているが、中国国内ではそうした自由がない」と述べ、米国の措置で影響を受けるのは独立したメディアではなく「中国のプロパガンダ機関」に雇われた人だとした。ポンペオ国務長官はまた、「中国で本当に何が起こっているのかについて知る能力」を世界から奪おうとしていると指摘した。米国は、新型コロナウイルス感染拡大によって各国が危機に陥ろうとしている際に、中国が情報を隠蔽し、あるいは操作し、正しい情報を伝えていないと批判したのである。
 米中のメディアに関する報復合戦で不利に立たされると考える中国は、他国に中国を支持させようとしている。例えば、同月22日、イランのイスラム革命最高指導者ハメネイ師が、新型コロナウイルス感染が世界規模で拡大を続ける中、米国がイランに支援を申し入れたことについて、米国自身がウイルス製造者とされる強い不審が存在することを理由に拒否したのである[14]。これは、「米軍が武漢市に新型コロナウイルスを持ち込んだ可能性がある」とする中国の主張に歩調を合わせたものだと言える。中国の政策を支持する国々は、本来、反米的であることもあるが、中国の経済的影響力にも配慮していると考えられる。しかし、新型コロナウイルスは、中国の経済力にも影響を及ぼしている。

中国経済への影響

 中国中央電視台によれば、中国共産党は2020年3月27日に開催した会議において、新型コロナウイルス感染拡大で急減速する経済を下支えするため、財政赤字の増大を容認して積極的な財政出動をすることを決定した。同会議は、「中国の経済発展が新たな挑戦に直面している」と危機感を示し、「財政政策をさらに積極的にし、財政赤字率を適度に高める」としたのである[15]。
 新型コロナウイルス感染拡大の影響は、習近平総書記の権威に様々なダメージを与えている。習近平総書記は、中国国内でも、情報の隠ぺいが感染拡大の原因であると批判されている。中国共産党にとって、国内に不満がたまるのが最も警戒すべき事態である。新型肺炎の蔓延だけでも中国国内に不満が溜まっていると考えられるが、最も不満が溜まるのは経済状況が悪化することだと考えられる。生活が悪化したと感じれば、国民の不満は限界を超え、社会が不安定化する可能性もある。
 習近平総書記が遂行しようとする財政再建および経済構造改革は、特に既得権益層に大きな痛みをもたらすだろう。権威主義国家の既得権益層とは、主として統治者とその関係者である。そうした権力者たちを抑え込むために、習近平総書記はより強力な権力を得ようとしてきたとも言える。新型コロナウイルス感染拡大による経済的ダメージをカバーするために「財政政策をさらに積極的にする」ことは、習近平総書記が求める経済政策に逆行し、習近平総書記自身の権威を低下させかねない。新型コロナウイルス感染拡大の状況は、中国国内のパワーバランスにも影響を与え、中国の経済発展に影響を与える可能性もあるのである。
 実際に中国経済状況は悪化している。英国メディアによれば、中国の2月の公式な製造業購買担当者指数(PMI)はわずか35.7%であり、14.3%の急激な低下で、これまでに記録された最低水準となった。この指数が50%未満になると、製造業が景気後退に突入したことを意味している。この数値が発表されると、中国のニュースに「急落」、「史上最悪」といった文字が躍った。その後に公表されたサービス業PMIの数値はさらに悪かった。
 1月から2月にかけての公式データは、工業、消費、投資の減少がすべて2桁を超えたことを示している。一定規模以上の工業の付加価値は前年比13.5%減少、社会消費財の小売売上高は前年比20.5%減少、固定資産投資は前年比24.5%減少したのである。これら3つのデータは記録し始めて以来最低の値である。エコノミック・インテリジェンス・ユニット(EIU)はBBCに対して、中国の今年第1四半期のGDPは前年比7%縮小し、通年のGDP成長率は5.4%から2.1%へと大幅に下落するだろうと述べた。その上で、将来の中国経済の回復は、V字型ではなく、U字型になる可能性が高いとした[16]。
 清華大学国家金融研究院院長は、「中国の一人当たりGDPは1万元を超えたばかりで、中国は今年から高所得国の段階に向かい始めたばかりである」とし、中国が中所得国の罠を克服できるかどうかの重要な時期に、新型コロナウイルス感染拡大という状況が発生したとしている。新型コロナウイルス感染拡大が、中国の継続した経済発展を阻害するものになりかねないという危機感を示したものだと言える。中国は、鄧小平氏が改革開放政策を採り始めて以来、生産年齢人口の増加という人口ボーナスを利用し、大規模で低付加価値の製造業を発展させ、さらに大量のインフラ建設を行なって急速な経済成長を支えてきた。しかし、その「垂れた果実」はすでに摘み取られているのだ。
 一方で習近平指導部は、新型コロナウイルスの中国経済に対する影響は限定的であり、中国経済に問題はないと主張する。習近平総書記は、「新型肺炎流行の防止、制御および経済社会発展業務の統合推進に関する会議」において、「新型肺炎の流行が経済および社会に大きな打撃を与えることは不可避である。このような時期にあってこそ、全面的、弁証的、長期的な視野を持って我が国の発展を見なければならず、信念をより強くし堅固にしなければならない。総合的に見れば、我が国経済の長期的に発展する基盤に変化はなく、新型肺炎流行の衝撃は短期的なもので、全体的には制御可能である。我々が圧力を動力に変えて危機をチャンスにし、生産および生活の秩序を回復し、「六穏」措置を強化し、政策調節能力を増強しさえすれば、我が国発展の巨大な潜在力と強大な運動エネルギーを解放することができ、今年の経済社会発展目標を実現することができる」と述べている[17]。「六穏」とは、安定した雇用、金融、貿易、外国投資、投資、期待を指す。中国は、中国経済は大海であり、暴風雨は小さな池をひっくり返すことはできるが、大海をひっくり返すことはできないと言うのだ[18]。
 中国が、ことさらに、新型コロナウイルスは中国経済の発展に大きな影響を及ぼさないと主張するのは、すでに中国経済に負の影響を及ぼしていることに対する危機感の表れであるとも言える。習近平総書記自身、新型コロナウイルス感染拡大の状況が中国経済に及ぼす悪影響を否定していない。中国経済が、短期的にではあるにしろ、新型コロナウイルス感染拡大によって停滞することは避けられず、そのため中国は、長期にわたって後遺症を残しかねない。リーマンショック後に世界経済を救ったような経済刺激策を採ることには慎重であると考えられる。
 そうした状況下にあっても、中国は国際社会からの孤立を避けるために、経済その他の影響力を行使して、自らに対する支持の拡大を図らねばならない。自国の経済に過度の悪影響を及ぼさず他国に対して影響力を行使するために、中国は、自らが制御できる範囲の経済的支援および医療支援を行い、積極的な対外発信を通じてそれらイメージを強調し、影響力を最大化しようとしている。

中国のヒロイズム

 中国は国内向けに、習近平総書記を新型肺炎を抑え込んだ英雄とし、対外的には中国を新型肺炎蔓延に苦しむ国々の救世主として、それらのイメージを積極的に発信している。中国共産党に対する国内外の支持を得るためである。
 2020年3月10日、新華社は、新型肺炎流行に抵抗し反撃を加える重大な時期に、習近平総書記が湖北省武漢市を訪れて肺炎流行予防制御業務を視察したと報じた[19]。習近平総書記は、武漢で新型肺炎対策に従事してきた湖北省および武漢市の党組織、党員、医療従事者等の奮闘を称賛し、主導的に新型肺炎との闘争に身を投じて重大な貢献をなし犠牲を出したとして、武漢人民を英雄と称えた。その上で、新型肺炎流行の拡大は基本的に抑制されており、予防および制御の状況は徐々に改善されているとした。
 同記事は、習近平総書記が湖北省及び武漢市の党員および人民を称賛したとしながら、習近平総書記が先頭に立って新型肺炎との闘争の指揮を執っていることを強調している。習近平総書記が、火神山医院関係者や肺炎患者と親しく交流し、武漢市で肺炎対策に当たる軍や党員たちを慰問し、街へ出て商店主に親しく状況を尋ね、住宅街を回って住民の様子を視察する様子を撮影した写真が掲載されているのだ。米国メディアなどは、こうした動向について、中国政府が習近平総書記を英雄として扱っていると報じている[20]。
 新華社によれば、2020年3月29日、習近平国家総書記が、浙江省寧波市の港湾施設および工場団地の操業再開状況を視察した。習近平総書記の寧波視察は前述の武漢市視察に続くものである。中国共産党が新型コロナウイルス封じ込めたと強調し、国内の経済活動再開を後押しする狙いがあるとされる。中国中央電視台は、習近平総書記がマスクなしで寧波舟山港の埠頭を歩く映像をインターネットに流し、習近平総書記が国内の新型肺炎の流行を抑え込んだというイメージを拡散しようとした。また、視察した工場団地は海外向け自動車部品メーカーが集積する場所であり、新型コロナウイルス感染拡大の影響で混乱する国際的サプライチェーンに対する貢献も強調したかったと見られる[21]。
 こうした報道は、国内向けには、習近平氏が新型肺炎を抑え込んだ英雄であると主張し、対外的には、中国が世界経済の危機を救う救世主であるというイメージを拡散しようとする、習近平指導部の戦略的発信の一形態であると言える。中国の戦略的発信が功を奏すれば、米国がまだ新型肺炎の拡大に苦しめられている中、実態を伴わなくとも、中国の経済的影響力はさらに増大する。中国は、経済的影響力を背景に、経済的、医療的に困難に直面している国々に対して自らを支持するよう働きかけ、結果として中国ブロック形成を促し、国際秩序にも変化をもたらす可能性があるのである。
 中国が国際社会に対して、自国こそが新型コロナウイルス感染の危機から各国を救う救世主であると強調し、自国に対する支持を得ようとする意図が明らかであっても、中国が危機に直面した各国に支援の手を差し伸べていることは事実であり、それら国々が中国の支援に感謝することは間違いない。さらに、自動車業界等も、そのサプライチェーンは中国にも大きく依存していることから、中国における生産が正常化しなければ、日本や欧米の自動車産業等にも悪影響を及ぼすことになる。新型コロナウイルス感染拡大は、国際社会側にも、中国の経済的影響力を再認識させ、その影響力拡大を受け入れる条件を整えようとしているのだとも言える。

おわりに-米中政治戦の激化とグローバルなリーダー交代の可能性

 トランプ政権が中国に対する批判を強めるのは、国際社会における中国の影響力が増していることを実感し、これに警戒感を高めているからだろう。一方の中国は、米国の対中非難に各国が同調し、自らの責任を問われて国際社会から孤立する状況を容認することはできない。そのため中国は、経済的影響力を背景に各国に対して自らを支持するよう求め、結果として中国ブロックを形成する動きをとっているようにも見える。米国政府を取材したメディアの記者によれば、米国は、中国のブロック形成の動きに対して怒りさえ見せている。
 米中の批判合戦は相互作用を起こしており、両国はエスカレーションラダーを上っていると言える。さらに、新型コロナウイルス感染の世界的拡大(パンデミック)は、米中両国の危機感を煽り、両国は相互に批判を加速させている。米中の批判合戦は国際社会を巻き込んで展開されており、パンデミックは、米中両国のみならず、国際社会にとっても平穏をかき乱す事態を招いている。
 これまで述べてきたように、米中両国はメディア合戦あるいは批判合戦を展開していると言えるが、これは単なる表層の事象に過ぎない。米中の言葉による攻防の背後で、より根本的な変化が起こっている。2020年3月11日、トランプ大統領がイタリアを含む欧州26カ国からの米国入国を制限すると発表した直後の16日、習近平総書記はイタリアのコンテ首相と電話で会談し、中国から医療チームを追加で派遣する考えを伝えた。中国は、イランとセルビアにも援助を送っている[22]。
 これは、米国と中国の国際社会への対応のコントラストを暴露した象徴的な事象である。さらにこれは、米中の言葉の戦争の舞台裏で繰り広げられる情報戦の表出でもある。米国が国内の新型コロナウイルス対策に追われている間に、中国は危機に陥っている国々に支援を行ったのである。パンデミックは、全ての国の政治システムに、かつてないほどのストレステストを課している。こうした状況下で、誰が先に支援したのかは極めて重要である。米国が遅れて軍の医療チームをイタリアに送ったとしても、中国の優位が変わることはない。
 新型コロナウイルスのパンデミックは、米中新冷戦とも言える構造が固定化するかに見える時期に生起した。米国と中国が、経済的には市場を分割しようとし、軍事的には核兵器等の軍拡競争を行ってアジア太平洋地域における潜在的な戦争に備え、価値観やイデオロギーでも対立している中で、パンデミックが起こったのである。中国は、すでに国際社会において一定の影響力を保持しているが、この危機に乗じて、その影響力を増大させようと企図している。米国はさらに警戒感を高め、米中政治戦はより烈度を高めることになる。
 しかし現在、新型コロナウイルスとの戦いには中国が不可欠である。中国が保有する医療データと経験は、現在、新型コロナウイルス感染拡大の危機に直面する各国にとって不可欠であり、さらに、中国は多くの医療機器やマスク、防護服等の一大生産拠点である。中国は、こうした状況をよく理解して、その影響力を拡大しているように見えるが、米国の失策が中国の後押しをしている側面もある。
 米国の有識者によれば、米国のリーダーシップの正統性は、米国の国内統治、グローバルな公共財の提供、国際的な危機対応を終結し調整する能力および意図、という3要素によって担保されている。新型コロナウイルスのパンデミックは、米国のリーダーシップの3要素全てをテストし、これまでのところ、トランプ政権はこれらのテストに失敗している。トランプ政権は、中国における新型コロナウイルス感染拡大の状況を、民主主義という政治システムの優位を示し、「アメリカファースト」を進める好機と見做したが、現在、危機に陥っているのは米国であり、そのグローバルなリーダーとしての地位である。この間隙を縫って、中国はグローバルなリーダーが不在である真空を埋めるように迅速に行動した。中国は、パンデミック対応のグローバルなリーダーとしての地位を確立する可能性があるのだ。
 米国が再び中国に対して優位を占めるために、中国に対してより熾烈な政治戦をしかけるだろう。すでに米国の対中政治戦は、中国の政治体制を否定する段階に入っている。問題は米国の同盟国が、どの程度米国と歩調を合わせられるかである。日本だけでなく、欧州諸国も、中国の権威主義的政治体制と実力による現状変更には警戒感を示しつつも、経済的に中国との関係を完全に断つことはできず、中国との間で過度の軍事的緊張を有したいとは考えていない。
 新型コロナウイルスの発生源が中国であり、その情報統制が感染拡大を促したのだとしても、中国のイメージ戦略と戦略的発信は部分的に功を奏し始め、中国を支持する国々も出始めている。さらに、現実的に、中国は新型コロナウイルスとの戦いにおいて、必須のパワーとなっている。しかし、今後、中国がグローバルなリーダーとなるためには、中国自身の経済状況が課題になるだろう。新型コロナウイルスが打ち負かされた後、国際社会は、中国に対して、打撃を受けた世界経済の再生を支援することを期待するだろう。
 中国は、現段階で、国際社会にその期待を持たせることに成功している。しかし、実際に大規模な経済刺激策を打てるかどうかは未知数である。もし、リーマンショック後のように経済刺激策を採ったとしたら、将来の中国経済の発展に悪影響を及ぼす可能性もあるからだ。中国の経済が悪化すれば、中国共産党がその権威を維持するために、国内の言論統制等を強化するとともに、ナショナリズムに頼る傾向が強まると考えられる。そうした状況が生起したら、米国の同盟国は中国に対する警戒感を強め、再び米国との協力関係強化に動く可能性もある。
 新型コロナウイルスのパンデミックは、グローバルなリーダー交代の可能性を、各国に認識させる効果を生んだ。米国と中国の間でリーダーの交代が起こるか否かについては、多くの要素があって、未だに確定していない。今後、日本や欧州等の国々が、米中の大国間ゲームに将来を委ねることをよしとせず、協力して自らの国益を追求しようと動き始めるならば、国際社会の構図はより複雑になるだろう。パンデミックは、より熾烈な米中政治戦をもたらしつつあるが、その結果、米中の2大ブロックができるのか、米中間でグローバルなリーダーの交代が起こるのか、米中以外の国々の持つ影響力が増しつつあると言える。

(脱稿日 2020年4月6日)

1 「理直気壮、世界応該感謝中国」『新華社』2020年3月10日、http://www.xinhuanet.com/2020-03/04/c_1125660473.htm、(2020年3月29日最終確認)

2 ‟US and China in war of words as Beijing threatens to halt supply of medicine amid coronavirus crisis”Independent, March 13 2020, https://www.independent.co.uk/news/world/americas/us-politics/coronavirus-china-us-drugs-trump-rubio-china-virus-xinhua-hell-epidemic-a9400811.html、(2020年4月1日最終確認) ‟China Threatens to Throw America 'Into the Mighty Sea of the Coronavirus.'”The National Interest, March 8, 2020, https://nationalinterest.org/feature/china-threatens-throw-america-mighty-sea-coronavirus-130877、(2020年4月1日最終確認)など

3 「米国の死者、20万人の可能性 全世界で4万人超―新型コロナ」『時事通信』2020年4月1日、https://www.jiji.com/jc/article?k=2020040100173&g=int、(2020年4月1日最終確認)

4 「武漢の発表死者数に疑念 「疑い例」除外、大量の骨つぼ―中国」『時事通信』2020年4月1日、https://www.jiji.com/jc/article?k=2020033101092&g=int、(2020年4月2日最終確認)

5 ‟China Concealed Extent of Virus Outbreak, U.S. Intelligence Says”Bloomberg, April 2, 2020, https://www.bloomberg.com/news/articles/2020-04-01/china-concealed-extent-of-virus-outbreak-u-s-intelligence-says、(2020年4月2日最終確認)

6 「詭! 武漢肺炎春節才知道? 中共元旦隔天就封閉武漢海軍工程大學」『呷新聞』2020年2月16日、https://www.eatnews.net/article-1/20200216-2、(2020年3月8日最終確認)

7 「武漢の新型肺炎病院、10日で完成 東京ドームの約半分」『朝日新聞DIGITAL』2020年2月2日、https://www.asahi.com/articles/ASN227TTJN22UHBI01G.html?ref=newspicks、(2020年2月3日最終確認)

8 「「言論の自由」要求拡大 知識人約400人が公開書簡―中国」『時事通信』2020年2月12日、https://www.jiji.com/jc/article?k=2020021200925&g=int、(2020年2月15日最終確認)

9 「報道5社を「中国の宣伝機関」認定 雇用・資産の報告義務付け―米」『時事通信』2020年2月19日、https://www.jiji.com/jc/article?k=2020021900216&g=int、(2020年4月5日最終確認)

10 「【社説】WSJ記者の中国からの追放」『The Wall Street Journal』2020年2月20日、https://jp.wsj.com/articles/SB12291155354026644516304586214012645649994、(2020年3月29日最終確認)

11 「米、中国メディア5社の記者数に上限 新華社など対象」『日本経済新聞』2020年3月3日、https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56305120T00C20A3000000/、(2020年3月14日最終確認)

12 「中国、米による記者数制限は「政治的弾圧」」『The Wall Street Journal』2020年3月3日、https://jp.wsj.com/articles/SB10976518252322334863904586238961916973904?mod=article_inline、(2020年4月5日最終確認)

13 「中国が米主要3紙の記者証取り消し、メディア巡る対立激化 WSJ、NYタイムズ、ワシントン・ポスト」『The Wall Street Journal』2020年3月18日、https://jp.wsj.com/articles/SB12548039923725744097504586267593189969086、(2020年4月5日最終確認)

14 「視点;イラン最高指導者の指摘 米による新型肺炎ウイルス製造疑惑」『ParsToday』2020年3月23日、https://parstoday.com/ja/news/iran-i60080、(2020年3月29日最終確認)

15 「中国、財政赤字の増大容認 新型コロナで危機感表明」『共同通信』2020年3月27日、https://this.kiji.is/616262469085938785?c=113147194022725109、(2020年3月28日最終確認)

16 「肺炎疫情是否会阻碍中国跨越中等収入陥穽」『BBC中文』2020年3月20日、https://www.bbc.com/zhongwen/simp/chinese-news-51958430、(2020年3月29日最終確認)

17 「習近平:在統籌推進新冠肺炎疫情防控和経済社会発展工作部署会議上的講話」『中華人民共和国中央人民政府』2020年2月24日、http://www.gov.cn/xinwen/2020-02/24/content_5482502.htm、(2020年4月5日最終確認)

18 「新冠肺炎疫情掀不翻中国経済這片大海——経済学家談如何全面、弁証、長遠地看看待我国経済発展」『中国共産党新聞網』2020年3月10日、http://theory.people.com.cn/n1/2020/0310/c40531-31624558.html、(2020年3月29日最終確認)

19 「習近平在湖北省考察新冠肺炎疫情防控工作」『新華社』2020年3月10日、http://www.xinhuanet.com/politics/leaders/2020-03/10/c_1125692140.htm、(2020年3月29日最終確認)

20 ‟Beijing Portrays President Xi Jinping as Hero of Coronavirus Fight”The Wall Street Journal, March 8, 2020, https://www.wsj.com/articles/beijing-portrays-president-as-hero-of-coronavirus-fight-11583678054、(2020年3月29日最終確認)

21 「中国主席が地方視察 経済活動再開を後押し―新型コロナ」『時事通信』2020年3月29日、https://www.jiji.com/jc/article?k=2020032900305&g=int、(2020年3月30日最終確認)

22 ‟Coronavirus: US-China battle behind the scenes”BBC, March 24, 2020, https://www.bbc.com/news/world-52008453?intlink_from_url=https://www.bbc.com/news/topics/cywd23g0qnmt/china-economy&link_location=live-reporting-correspondent、(2020年3月29日最終確認)

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