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[ワークショップ全文④] 「地域社会の多様性とムスリムコミュニティーに関するワークショップ」
~ミャンマーでの調査結果を事例に~」(2017年3月28日開催)【斎藤紋子氏報告3/4】

2000.04.01

もう一つは、反ムスリム運動になります。反ムスリム運動は、最近、おおっぴらに行われるようになってきています。軍政下ではこういうものがなかったかというと、そうではないのですが、やはり軍政下は言論統制など、いろいろな統制がありましたので、まれに暴動等はありましたが、そのまま軍に押さえられ、表面化しませんでした。2011年に政権が替わり民主化されて、ちょうど1年後ぐらいから、言論の自由、報道の自由、集会・結社の自由なども出てきた時期と重なって、2012年の6月にヤカイン州でヤカイン族仏教徒の女性を暴行したということで、ミャンマー政府はロヒンギャではなくベンガル人と言っていましたけれども、彼らとヤカイン族との間で暴動が起こります。当初は民族対立と言われましたが、宗教が違うということで、結果的に宗教も絡んでいて、最終的には、ヤカイン州にとどまらず、全国での反ムスリム運動に結びついているという形になっています。

ここでは「969運動」とか「マバタ」というのがキーワードになっていて、いろいろなところでも出てきます。969運動というのは、愛国運動なんですけれども、基本的には愛国というよりは仏教保護運動に近いものです。それをマバタという団体が引き継いでいるという形になっています。このマバタに属しているのは、急進的愛国者などとも言われる仏教僧侶とか在家信徒が中心になっています。僧侶の説法会でヘイトスピーチが行われたり、最近では、これまであまり関与することがなかったイスラーム関連の式典等に対する妨害なども行われています。

これについては、先ほど堀場さんからもありましたけれども、何年か前のタイム誌の表紙にこのように載ってしまったウィラトゥという僧侶が、組織のトップではないのですが、彼が先頭に立っていろいろなことをやっているように見えていて、彼を中心に反ムスリム運動が展開されていると見られることが多いです。

それから、右側の写真については、先ほどの僧侶の説法が入ったCDとかDVDを売っているところですけれど、ここにビルマ語の数字で969というふうに入っていて、同じような僧侶、同じような感じの説法、普通の仏教徒に対する説法プラス、少しヘイトスピーチ的なものが入っているとものが売られていたり、最終的にはタダで配ったりしています。これが喫茶店などで流されると、やはりムスリムの人たちはいたたまれない感じになります。

969というのは何かというと、ブッダの九徳、仏法の六徳、僧侶の九徳を表す数字です。ミャンマーとか、バングラデシュなどでも見られると思いますが、786という数字をイスラーム教徒はよく使います。これはイスラーム系商店などに掲げられていて、ここはイスラーム教徒がやっている店だと分かるようになっていますが、アラビア語で「慈愛あまねくアッラーの御名によって」というのを数字化したものと言われています。これに対抗したのかなというところもあって、969で最初のうちは統一していました。こういうステッカーを配ったりして、仏教徒は仏教徒のお店で買い物をしましょうというキャンペーン的なことも最初のうちはやっていました。

それだけではなく、例えば、説法会で3人僧侶がいて、最初の一人は普通の仏教のスピーチ、説法をするのだけれど、だんだんヘイトスピーチに変わっていくということがあると、仏教徒は、やはり正面切ってお坊さんに、「それはおかしいんじゃないか」と言うのははばかられるわけです。どうするかというと、やはりそういったのに賛成の仏教徒もいなくはないのですが、そういったことをあまり好まない仏教徒はそこから退席して、「私はそういうのは支持していません」というのを示すということを今までやってきていたということです。ムスリムのほうも、こういったCDやDVDばかり配られては困るということで、宗教間の平和を言う説法をする僧侶ですとか、「イスラーム教徒は敵ではなくて、ミャンマー国内ではみんなで助け合って暮らしていかなきゃいけないんだ」とか、「イスラーム教徒のみならず、ほかの宗教の人たちとも平和に暮らしていきましょう」というような考えの僧侶の説法を、イスラーム教徒が自ら自腹を切ってCDとかDVDにして、それを仏教徒に配るというような対抗もしていました。

そうは言っても、お坊さんの人数はもともとかなり多いですので、民族宗教保護法というのを成立させ、大勢のお坊さんや一般の在家信徒を集めて、ヤンゴンで一番大きい体育館を使った記念総会を開催しました。仏教徒のほうが、イスラーム教徒に対して脅威を感じているという割には、やはりムスリムにとっては、これだけたくさんの人たちが集まると、「自分たちの方が何かされるんじゃないか」というような不安に駆られるといった状況にあります。

やられたらやられっぱなしというのも、もちろんそうではなくて、やはり言論の自由はどちら側に対しても出ていますので、いろいろな理解を進めるための活動もできるようになっています。反ムスリム運動が活発化した当初は、「モスクに化学薬品や武器があるのではないか」とか、「良からぬ企てをしているのではないか」というような噂がかなり広まりました。仏教徒であまりよろしくない考えを持っている人たちが入ってきて何かされると困るので、モスクは基本的に鍵をかけてあるのですが、仏教徒の言い分としては、「パゴダなどは鍵なんかかけてないし、誰でも入ってきてもいいし、ウェルカムなのに、やはりモスクは鍵がかかっていると怪しい」と言うような人たちもいるので、モスクの見学会などが催されたりもしました。これについても、やはり行政各組織の許可を取って行うということで、新しい話では、昨年、Peace Cultivation Networkという団体が四大宗教の各宗教施設の平和友好視察会というのを開催しています。

このように、あまり人数が多くなってもまた目をつけられるので、30人ぐらいというふうにインタビューでは聞いたのですが、そのぐらいの数のイスラーム教徒、それからキリスト教徒、仏教徒などの代表を呼んで、さらに一般の参加者も募って見学会を行うということをやったそうです。

こんな感じで、それぞれあまり離れてない場所を選んで、教会に行って、この教会の歴史ですとか、そういった話を聞く。そこにはもちろんいろいろな人たちが参加しているわけですけれども、それからモスクに行って、このモスクの成り立ちですとか、ちょうど礼拝の時間に重なったので礼拝の様子を見てもらうとか、こういったこともしています。



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