Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第328号(2014.04.05発行)

第328号(2014.04.05 発行)

編集後記

ニューズレター編集代表(総合地球環境学研究所名誉教授)◆秋道智彌

この春の2014年3月18日午前3時10分ころ、浦賀水道でパナマ船籍の貨物船と韓国船籍の貨物船が衝突し、死者、行方不明者9名を出す事故があった。本号で水産大学校の松本浩文氏はこうした船舶の事故にさいして、AIS(船舶自動識別装置)のもつ意義にふれ、今後の日本におけるその有効利用について提言されている。海上におけるコリジョン(衝突)は瞬時に起こるものではない。それだけに船舶の相互認知に果たすAIS装備の意義は非常に大きい。今後、関係省庁などによる利用拡大の検討が必要だろう。船舶の衝突は船同士だけではない。海で船が遊泳中のクジラとぶつかることがある。本誌でも対馬海峡で多発するクジラと船との衝突を扱ったことがある。(139号「頻発するクジラと船の衝突」217号「鯨類と超高速船の衝突回避に向けて」
◆先にふれた浦賀水道に、黒船に乗った米国のペリー提督があらわれたのはいまから160年ほど前の1853(嘉永6)年のことである。ペリーが日本に開国を求めたわけは日本周辺で活動する捕鯨船の補給基地がほしかったからだ。翌年の1854年3月に江戸幕府と米国との間で日米和親条約が締結された。これに引きつづいて、東インド中国艦隊を率いるスターリングとともに来日した音吉が日英和親条約の締結に尽くしたことを音吉顕彰会会長の齋藤宏一氏が語っておられる。音吉が当時、日本人としてはきわめてまれな国際感覚を持った人であったことを知ることができる。世界を周った音吉にくらべて、漂流の挙句、捕鯨船で旅をしたジョン万次郎がこれまで注目されてきたが、音吉の再評価に注目度が集まるだろう。
◆黒船の来航で社会不安が高まっていた当時、安政東海地震、安政南海地震、安政江戸地震が相次いで起こった。これらは安政三大地震とよばれる。日本中が自然の脅威にもさらされていたわけで、日本はやがて幕末をむかえる。音吉はシンガポールで1867年に息を引き取っている。
◆安政地震から156年後の2011年3月11日に東日本大災害が発生し、それから3年になる。わたしは先だって岩手県大槌町の慰霊祭に出席した。津波で破壊されたまちは復興を目指しているとはいえ、目に見える形での変化はあまりない。わずか、さら地に盛り土のマウンドがいくつもあったことが以前とは異なった印象をあたえた。人間社会とともに津波の影響をもろに受けた沿岸生態系の変化について、東北大学大学院教授でマリンサイエンス復興支援室室長の原素之氏は、復興のための研究が自己目的化するのではなく、水産業や養殖業の復興に直結するためのものであるべきとして、研究者と漁業者との連携の強化と、情報の共有を謳っておられる。この姿勢と努力はもっと大きな環として広がってもよいと思うがいかがなものか。3つの記事に通底するのが海での災禍である。広い海で起こる人災、天災をめぐる人間の営みとドラマを見るおもいだ。(秋道)

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