海洋に関する情報発信

【Ocean Newsletter】バックナンバー

第176号(2007.12.05 発行)

国境を越えた陸面・海洋統合管理の必要性

総合地球環境学研究所 准教授◆白岩孝行

オホーツク海と親潮域の植物プランクトンの生育には
アムール川流域から輸送される溶存鉄が大きく貢献していることが次第にわかってきた。
一方で、溶存鉄を生み出すアムール川流域の陸面状態は、
中国とロシアの経済発展に伴い大きな変貌を遂げつつあり、
この変化は溶存鉄の流出に大きな影響を与え、
ひいてはこれらの海域の水産資源に影響する可能性がある。
国境を越えた陸と海の生態学的つながりを統合管理する方策を早急に検討する必要があろう。

魚つき林

わが国には、「豊かな森林をもつ流域は隣接する沿岸に良好な漁場をつくる」という経験知があり、このような森林を「魚つき林」と呼んで保護してきた歴史がある。その因果関係は十分解明されたとは言い難いものの、森林の水温・水質・水量の調節機能、栄養塩の供給機能、土砂制御機能などが河川の流れ込む沿岸域の環境を直接あるいは間接的に制御し、結果的に沿岸域の生態系を維持しているのであろう。

この「魚つき林」という考え方は、わが国ではさらなる発展を遂げた。1970年代後半、旧ソ連の二百海里規制によって北洋漁場での操業が大幅に制限された漁業者は、打開策のひとつとして沿岸漁業に目を向けた。しかし、本来もっとも豊かであるべき沿岸の生態系は、急速な高度経済成長の下で行われた大規模な陸面改変による影響で、すでにかつての豊かな状態を失いつつあった。これに奮起した漁業者は、自身が率先して陸面の環境を変えるべく植林運動を行った。これが、いわゆる「お魚殖やす植樹運動(柳沼武彦氏)」や「海は森の恋人(畠山重篤氏)」と呼ばれる植樹活動であった。この活動は指導者たちの積極的な啓発活動によって日本国中に広まり、現在の環境保全運動のひとつの先駆けとなった。

「巨大」魚つき林

生命が誕生し、進化を遂げた舞台は海洋であり、海洋は生命のゆりかごと言われる。それゆえ、多くの海洋学者には、海洋の生態系は陸域に依存せずに成り立っていると考えてきたフシがある。確かに、陸域から遠く離れた外洋の生態系を底辺で支える植物プランクトンは、栄養塩と太陽光に依存して光合成を行い、その栄養塩は海水中に存在する。

■図1 アムール川流域とオホーツク海・親潮域に見られる鉄を媒介とした生態学的つながり

一方、近年の分析技術の進展は、海水中の微量な金属の測定を可能にし、その過程で植物プランクトンの増殖を制限する「鉄制限仮説」なる考えを生み出した。ある海域においては、植物プランクトンが光合成の際に利用する微量な鉄の枯渇によって、栄養塩は十分あるものの、それ以上の増殖が制限されてしまうという現象が生じている。南極海や北部北太平洋域がこのような海域に相当する。

それでは、わが国が消費する水産資源の多くを依存しているオホーツク海や親潮域はどうであろうか。本ニュースレターNo.136で若土正暁氏によって報告されているように、近年、アムール川を通じて大陸から輸送される溶存鉄が、この地域の豊かな基礎生産を支えている可能性があることがわかってきた。事実、平成18年と19年にロシアの極東水文気象研究所とわれわれが共同で実施したオホーツク海における海洋観測の結果、アムール川の河口からオホーツク海、千島列島を経て親潮域へと輸送される鉄の実態が明らかとなってきた。輸送された鉄が植物プランクトンに取り込まれる過程についてはさらなる研究が必要ではあるが、大陸と外洋がたしかに鉄という物質を通じて、ひとつの生態システムとして繋がっていることが浮かび上がってきた。われわれは、日本古来の「魚つき林」にならい、外洋に対する大陸を"「巨大」魚つき林"と呼んでいる(図1)。

溶存鉄を作る陸面環境

■図2 アムール川流域の現在の土地利用状況

アムール川が大量の溶存鉄をオホーツク海に注ぎこむ原因は、その流域に広がる湿原にある。もともと地殻を構成する岩石中に含まれている鉄は、湿原のような還元的な環境で河川水や地下水に溶出する。アムール川のように流域に広大な湿原を有する河川は、それゆえ河川中の溶存鉄濃度が高くなる。アムール川の河川水中の溶存鉄濃度は、外洋のそれに比べて百万倍も高い。その大部分は、河口で海水と接することで大陸棚に懸濁粒子として沈降するが、オホーツク海で生じる熱塩循環によって、中層を通じて千島列島を越え親潮域に輸送される。

一方、自然豊かなアムール川流域も、その流域を占める中国とロシアの近年の急速な経済発展によって大きく変貌を遂げつつある(図2)。とりわけ、中国側の流域では、1980年以降の急速な湿原から水田への転換によって、流域の湿原は大幅に消失した。湿地を維持する上で重要な役割を担う森林は、非効率的な森林伐採あるいは森林火災によって劣化を示している。中国に比べてやや出遅れていたロシアも、原油価格の高騰に起因する好景気は、「極東・ザバイカルの経済・社会発展」と題した連邦プログラムを生み出し、2013年までの巨額の資本投下によって極東地域の大規模な開発を計画している。われわれの現地での継続的な調査によれば、これらの陸面の人為改変は、将来的な溶存鉄の減少につながり、それはオホーツク海と親潮域の海洋生態系に予想を超える変化をもたらす可能性がある。

陸と海の統合管理の必要性

アムール川流域とオホーツク海、そして親潮域という広大な領域に生態学的なつながりがあり、その恩恵によってわが国の水産資源の一部が維持されているとすれば、この「巨大」魚つき林と海洋生態系の監視・保全は、国家的な取り組みとして検討するに値する。しかしながら、アムール川流域を構成する国々は、ロシアであり、中国であり、そしてモンゴルである。当然のことながら、わが国がこれらの国々の政策に干渉することは不可能とは言えないまでも難しい。

このような国境を越える物質循環に関わる環境問題としては、国際河川の越境汚染問題があり、これについては多くの経験と知識が集積されている。しかし、ここで取り上げた溶存鉄の輸送は、汚染問題とは異なり、そもそもは上流域が下流域に利益をもたらす構図である。果たして、このような新たに認識された越境・陸海結合生態システムに対し、有効な保全策は見出せるのか。歴史的に世界の水産資源を有効利用してきたわが国が率先して取り組む課題として検討する意義があるのではなかろうか。(了)

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