ノイ・タムサティエン
2018.06.20
  • タイ深南部

タイ深南部紛争地帯における治安事件の容疑者の暮らし

 タイ深南部の紛争地域では、多くの若者が容疑者として服役し、刑期が終わって家に戻っても普段の生活に戻れず苦しい状況に追い込まれている。この記事は、そうした彼らが直面している問題の一部について現地インタビューをもとに紹介している。

 「治安事件の容疑者であるということに時効はないのです」ムスリム弁護士センター・ヤラー県事務所長であるA弁護士は、タイ国境南部三県で治安事件の容疑者になってしまうことの定義をこのように手短に語った。ここでは、容疑者になるということについては時効がないのみならず、そもそも容疑自体がどこから出てきたのかよく分からないのである。
 A弁護士をはじめとするムスリム弁護士センターは、長きに亘って様々な治安事件の訴訟における被告人の弁護に携わってきた。彼によると、これまで数多くの人が、「治安維持部隊が保持している容疑者の名簿から名前を削除する」ための助けを求めてきた。事の始まりは、彼らは治安事件に関して、軍隊から尋問のために呼び出しを受け、取調官に情報を提供した後、南部国境三県で施行されている特別法の1つである非常事態宣言に基づいて身柄拘束令状が出されている人物の名簿に自分の名前が載っているのを知るのである。治安維持部隊の役人たちが彼らに対する令状はすでに取り消されたと言っているにもかかわらずである。A弁護士によると、ムスリム弁護士センターはこのような令状に関する被害を被った陳情に来た多くの人たちを援助し、また治安維持の担当官たちも「逮捕状の取り消し」を約束するものの、こうした問題は繰り返し発生し続けている。

出頭命令状と逮捕状

 紛争地域でのテロ行為防止のために、治安部隊の軍人は地元住民と村落に常に目を光らせている。彼ら軍人たちは特定の人物を注視しており、何か治安事件が発生する度に、これらの人々が第一に取り調べのために呼び出されるのである。彼らがそのような目に遭うのは、一部には、他の治安事件に関りがあると疑われた容疑者が、取り調べの最中に彼らの名前を事件に関与があるものとして挙げたからである。
 タイ南部国境三県の紛争地帯で施行されている特別法により、治安維持部隊は何かテロ事件が起こった場合に、その事件に関する情報を得るために「容疑者」を拘束する権力を付与されている。例えば軍隊であれば、彼らは戒厳令により、確たる理由がなくても容疑者に対して、取り調べのために「出頭」を命じたり、または7日間を超えない範囲で身柄を拘束することが可能である。警察の場合は、取調のために容疑者の身柄を拘束する際に裁判所から発行される、非常事態宣言状と呼ばれる身柄拘束のための令状が必要となる。これは口頭で尋問をするために出されるものであり、何か犯罪が発生した際に、警察が犯人であると見なした者に対して出される逮捕状とは異なるものである。
 A弁護士の経験では、国家の安全を脅かす治安事件に関与があったとして、かなり多くの者が容疑者となり、彼らは、戒厳令で付与された権力に基づいて身柄を拘束されたうえで軍隊から口頭尋問されることになる。中には戒厳令で定められた拘束期間の7日間が経過したのちに釈放される者もいるが、それ以外の者は釈放されずに、今度は非常事態宣言で定められた権力に基づき、警察から取り調べのために身柄を拘束され続ける。前述のような「令状」が出されるというのは、この警察の非常事態宣言による身柄拘束のための令状に他ならない。この勅令に基づいて警察は容疑者を30日に亘って拘束することができる。多くの人にとって疑問なのは、なぜこうした一連の取り調べなどが終わった後でも容疑者に対する令状は出されたままなのかということである。
 A弁護士によると、法的には、容疑者の身柄が拘束された時点、または非常事態宣言の施行が停止された時点で令状は効果を失うのである。また、最高裁判所所長ソップチョークは、2011年6月1日に、南部国境三県で裁判に携わる公務員に対し、一年を過ぎて身柄の拘束に進展が見られない場合は、非常事態宣言に基づく令状を取り下げるよう勧告をしたが、「実際には役人たちは令状を取り下げません。まだシステム(治安維持部隊のデータベースの意味)の中に残っているのです。実際のところそうした令状はすでに時効になっているのですが、こうしたことについて住民は理解しておりません」。そのため、実際には自分に対する令状が時効になっているにもかかわらず、いまだに多くの人がこうした令状の拘束を免れようとして苦労しているのである。A弁護士によると、かつて、自分の身の潔白を政府の側から証明してほしいという訴えがあり、そのためには軍隊内の「大物」に話をつけて、多くの段階を経なければいけなかった。しかしながら、多くの人が、いまだこうした問題に悩まされており、裁判の段階になると、自分に対して令状が出されたままであることを知るのである。
 「こうした令状を取り下げてもらうために、住民の中には軍隊の帰郷プロジェクト(軍隊主導の治安事件に関わった者を逃走から帰京させようというプロジェクト)に参加しています。しかし、彼らは自分の家で暮らしており、どこかに行っていたわけでもありませんし、何か罪を犯して逮捕状が出ているわけでもないのです」。
 同様の問題は、裁判を経て、案件が棄却されるなり、あるいは有罪判決を受けて刑を終えた人に対しても起こっており、彼らに対する令状も出されたまま取り消しを受けていないのである。
 例えばサイマに対して起こった事例などのように。

タイとマレーシアの国境 (堀場明子撮影)

裁判を受け、刑を終え家に戻っても。。。

 平和のための女性運動市民グループは、紛争から被害を受けた女性の支援を10年以上に亘って続けてきているが、主な仕事は、彼女たちが苦しい経験を乗り越え、家族で暮らしていくための支援である。このグループは仏教徒、イスラム教徒を問わずに支援をしているが、最近になって出口の見えない問題に直面している。
 クチンルーパ村で発生した若い女性小学校教師であるチューリンがもう1人のタイ人の教師とともに、村民の女性により監禁され、その間に外部から侵入した者に殺害された事件では、その村出身の18人の女性が逮捕され裁判にかけられた。この事件は若い女性教師が殺害されたことで大きな衝撃を与えたが、大規模な報道がなされた事件自体に比べて事件に関わった女性たちの裁判については多くが報じられなかった。18人のうち何人かの件については棄却され、残りは刑罰が下された。サイマは裁判にかけられたうちの1人である。彼女は2006年6月18日に自首した。彼女を含めた5人の女性が、裁判所により、チューリンの他もう1名のタイ人教師の2人の女性教師を監禁し、人質として治安部隊との交渉に彼女たちを利用し、外部から侵入した者が彼女たちを殺害する幇助をしたとして懲役刑を受けた。人もまばらなクチンルーパの村で事件が過ぎ去り、5人も刑を終えて出所して、普段の生活に戻った。その後、サイマはマレーシアに行こうとしたが、パスポートを取得しようとすると、前科があるために取得できなかった。
 その後、必要書類をそろえ、裁判が終了し、刑期も満了したことが証明されて初めてパスポートを取得できたが、サイマは国境の入国管理で出国の許可を得られなかった。そのためにはいろいろな役所からの許可を得なければならなかった。カムヌンによると、最終的に、軍隊からクチンルーパ村に何人かの軍人が来てこの問題の解決を手助けしたそうである。
 「この軍人たちは治安維持部隊のデータベースにアクセスできる者で、彼らがチェックすると、裁判に関わった18人の女性たちの名前はまだデータベースに残っていたのです。彼らは裁判にかかったすべての人間の書類を持ってきてもらうと、彼らに関するデータを消去しました」。カムヌンによると、裁判にかかった18人すべての名前が除去されたので、彼らは安心したそうである。
 時が過ぎて、サイマが再び出国しようとした時、入国管理局で再び同じ問題が起きた。担当官が出国を許可しないのである。許可のためには書類をそろえて裁判から刑罰に至るまですべての過程を終えたことを証明せねばならなかった。カムヌンによると、今度は彼女たちがクチンルーパ村のある、ナラティワート県内のランゲ郡の警察署に連絡した。そこでは警察署長が2006年6月19日に、サイマに対していかなる礼状も出されていないことを証明する書類を出してくれたが、それもサイマが出国する助けにはならなった。彼女が必要としていたのは、裁判所が発行する、案件が終了したことを証明する書類であった。「入国管理局の担当官が言うには、令状を解除できるのは紛争地域の治安を担当している第4軍管区の司令官だけであるということでした」とカムヌンは説明するが、その令状が何なのかははっきりしなかった。
 サイマにとっては、このままだと、出国の度に入国管理官に身分を証明するための書類を持ち運ばねばならないことになる。しかしながら、誰であれ「普通の」生活をしたいものだ。そのため、彼らはサイマを帰郷プロジェクトに参加させることにした。この軍隊主導による計画は、反政府組織の協力者や支持者を対象としている。そのうちの多くが国外に在住しているので、彼らを呼び戻し、何も過ちを犯していない者については令状を取り下げようというものである。
 サイマは、自分に対する令状が取り下げられることを望んでこの帰郷プロジェクトに参加した。プロジェクトの担当官がバンコクの関係各庁に連絡をし、2017年12月には取調局長代理のパヤー警察中将からすべての必要な手続きが終了した旨を示す書類を受け取った。
 しかしながら、サイマには、スンガイ・コーロクのマレーシアとの国境でまたもや同じ問題が起きた。国境の入国管理官はサイマが裁判所から発行された、訴訟が終了したという証明書を持ってこない限り通行を認めなかったのだ。帰国する際にはさらに問題は深刻になっていた。彼女は留め置かれて、通行を許可されるまでに多くの関係者に連絡を取らねばならなかった。サイマは国内治安維持命令統括部(軍隊司令部)の担当官に会いに行った。そこで、担当官は、サイマの目の前でスンガイ・コーロクの入国管理官に電話をし、サイマに対してはもういかなる令状も出されていないことを告げた。
 「次にどうなるかは分かりません」とカムヌンは語る。この件に関しては彼女が事実を知るまで気が晴れない気がした。何か彼女たちの力が及ばないところで事が起きているようだった。軍隊や、南部国境県行政センターの担当官たちは確かに彼女たちの力になろうと本気で努力をしてくれた。サイマの事例は他の者にとっての前例となったようだった。そして、まだほかにも4人(サイマと同じように裁判で有罪判決を受け、刑期を終えて出所した女性)にとっても、自分たちに対してまだ「令状」が出されたままなのかは分からなかった。
 「私たちも、このような事例が他の事件についても起きているのか、またはこうしたことは治安事件のみについて起こるのかどうか知りたいのです」とカムヌンは言った。彼女と共に働いているものの1人は、誰かが訴訟を起こして、自分の身に対して出された令状を取り下げさせる事例になってほしいと語った。
 裁判を経た者たちは多くの事柄を考えなければならなかった。第一にはどのようにして社会復帰するのかということである。とりわけ、治安事件に関わった者は、村落の周囲で事件が起き続けているのでなおさらである。彼女たちが直面せねばならない問題は、自分自身や、村落住民の感情、それに「容疑者」として見られ続けられることである。
 「訴訟を経た人の中には、本当に事件に関わった人もいれば、そうでない人もいます」と、国境南部三県における人権問題に携わってきたクロス・カルチュラル財団の理事長であるポーンペンは自らの経験からこう語る。特に、「そうでない」人たちにとっては、とりわけ刑務所から出所した後は、容疑者となってしまったことが彼らの心に重くのしかかるのである。
 実際に事件に携わっていようがそうでなかろうが、彼らは皆社会に戻る時にこの問題に直面する。中には刑務所から出てきた後に問題なく家族や村落社会の中に戻って行くことができる者もいるが、多くの者は「生活をしていくのが難しい」と感じている。それは彼女たち自身がいることが、村落内に不安や猜疑心を引き起こしてしまうからである。中には、村落から立ち去るように同じ村の住民から「懇願」された者までいる。そのため、法の裁きを経た多くの者が、自分の出身の村ではなく他の場所で新たな生活を始めることになる。自分の村で暮らしている者は、自分の行動に変化が起きたと感じている。
 ポーンペンによると、彼らはおぞましい経験をしたために、心理的なサポートを受けたが、それがどの程度の助けになっているのかは本人にしか分からない。また、ポーンペンが出会ったケースの中には、全く家から出たがらない人もいるという。多くが数か月に亘って家から出ようとせず、そのうちの1人は2年間に亘り「全く社会と交わらずに」閉じこもっていた者もある。このような状況は、共に平和的に暮らしてく社会に参加することとは程遠いものである。しかし、いくつかのNGOを除いては、これらの実際に事件に携わっていようがいまいが、容疑者となった者、裁判にかかった者、また訴訟が棄却されたものを含め彼らを「救済」しようという者はいない。クロス・カルチュラル財団はこうした人々に、フォーラムなどの機会に自らの経験を語ってもらっている。ポーンペンはそうすることで彼らの救済の一助になると考えている。こうした人々は100人以上いるのである。
 以前からも、国の側から支援をしようという人はいた。例えば元ヤラー県副知事のクリスダーは、裁判を経た者200人ほどを集めて、彼らが社会から切り離された状況を乗り越えるための自助グループを立ち上げることを促した。以前は、情報提供者によると、以前は軍隊と比べて文民の公務員も力を持っていたので、これらのグループも、軍隊からそれほど「目を付けられる」こともなくやっていけたそうである。また、彼ら自身も担当官たちと良好な協力関係にあったために、このように政府の高官からの支援を受ければ「暮らしていけた」わけである。しかし、クーデター後の軍政下においては状況が変化した。出頭を命じられた者、裁判で案件が棄却された者、判決が下り刑罰を受けて刑期を終えた者、これらすべてがまた容疑者となっていったのである。
 「刑務所から出所しても治安維持部隊の担当官から目を付けられます。それはすべての人が分かっていることです」とポーンペンは語る。こうしたことの裏側にあるのは、治安担当官の側にデータベースがあり、そのデータベースには時効がないということである。

ノイ・タムサティエン

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