上杉勇司 (元独立警察委員会日本政府代表委員、早稲田大学教授)
2014.06.15
  • フィリピン南部

独立警察委員会の提言策定過程と平和構築の課題

はじめに

  イスラム教徒が多く居住するフィリピンのミンダナオ島とスールー諸島では、約40年にわたりイスラム系勢力がフィリピンからの分離独立を目指し武力闘争を展開してきた。フィリピン政府はイスラム系勢力との和平交渉に取り組み、1996年にはモロ民族解放戦線(Moro National Liberation Front: MNLF)との間に最終和平合意を結び、ヌル・ミスワリMNLF議長が「モスレム・ミンダナオ自治地域(Autonomous Region in Muslim Mindanao: ARMM)」の知事に就任した。しかし、これを不服とするモロイスラム解放戦線(Moro Islamic Liberation Front: MILF)は、あくまでも独立を追求して武力闘争を続けていた。そのMILFが、2014年3月27日にフィリピン政府との間に包括的和平合意を結び、ミンダナオ和平の気運が高まっている。今回の和平合意によれば、約2年間の移行準備期間の後、これから実施予定の住民投票によって該当地区のバンサモロへの帰属が確定され、2016年の選挙を通じてバンサモロ政府が樹立される。

  この動きのなかで、バンサモロ政府樹立後の同地域の治安維持を誰がどのようにして担うのかが懸案事項としてあがっていた。そこで、フィリピン政府とMILFは、国際社会の支援を受けて「独立警察委員会(Independent Commission on Policing: ICP)」を設置し、バンサモロ新警察はどうあるべきかについて提言を取りまとめることを委託した。私を含む3名の外国人委員と4名のフィリピン人委員から構成されたICPは、約半年間の活動を経て、2014年4月14日にミンダナオ和平交渉団に提言書を提出した。提言内容は、現時点では公表されておらず、公表に関する判断は和平交渉団に委ねられている。そのため、私がここで提言の具体的な内容を明らかにすることは避けるべきであろう。以下では、ICPが提言を取りまとめる上で重視した原則、ICP内での合意を形成する上で問題となった力学、提言が具体化される過程で浮上することが予見される課題について私見を述べることに留めたい。

1. ICPが重視した原則

  まず、ICPが貫いた原則について次の相矛盾する二点に絞って説明する。第一点目の原則は、「現状は甘受できない」というものだ。すなわち、フィリピン政府とMNLFとの間で結ばれた1996年の最終和平合意の延長線上にあるARMM管轄下の警察は、バンサモロ住民の期待に十分に応えるものではないという現状認識にICPの諸提言は立脚している。MNLFがフィリピン政府との和平合意に踏み切った後も独立闘争を続けたMILFにとってみれば、現状を肯定することは、これまでの活動の大義を失うことになりかねない。

  同時に、MILFの独立解放闘争を担ってきたバンサモロ・イスラム軍(Bangsamoro Islamic Armed Forces: BIAF)の将兵らが、機能的で中立的な警察へと転身するには時間がかかるといった現実もICPは忘れることはできなかった。すなわち、文民組織としての性格を保持し、バンサモロが内包する多様なコミュニティ構成員から信頼される警察を作ることが、ICPの尊重した第二の原則であった。ここで新警察の特徴を文民組織とした背景には、軍事組織であるBIAFが横滑り的にバンサモロ新警察に鞍替えすることを認めないという思考がはたらいていた。

  第一原則に従えば現状を変える必要があり、第二原則に忠実であれば変革は一朝一夕には成就しない。このような矛盾のなかで、ICPは新しい警察のあるべき姿を議論し、バンサモロのコミュニティや人々に奉仕する警察が新編され十分に機能するまでの移行期には、MILFと中央政府が共同で治安と秩序の維持にあたる必要があると主張した。

Image: Wikimedia commons

2. ICP内の力学

  ICPのフィリピン人委員は、フィリピン政府が指名した2名の国家警察関係者とMILFが指名した2名の委員(うち、1名は元国家警察警視長経験者を含む)から構成されていた。ICPは独立委員会であり、委員は各々の出自の立場を離れ一人の専門家の立場で委員会に参加した。

  しかしながら、バンサモロ新警察に関して、国家組織としての統一性を重視する立場とバンサモロの独自性を追求する立場が、ICP内の議論では必然的にせめぎあうこととなった。その争点は、どこまで中央政府の権限をバンサモロに委譲するのか、に集約できる。権限委譲によりバンサモロ住民に近いところで意思決定がなされることは望ましいが、権限委譲が行き過ぎ、統一国家としての一体性を欠くものであると判断されれば、国会の承認を得られない。

  この相反する力学が作用することで、ICP内の議論が紛糾することもあった。その場合には、合意形成の拠り所として現行憲法の枠内で議論するという方針と『枠組み合意』(Framework of Agreement on the Bangsamoro: FAB)を遵守するという方針を用いて、合意点を探った。そして、譲ることができない最低ラインとして「現状維持は認めない」という大前提を再確認することがしばしばあった。すなわちICPが最終的に重視した第三の指針は、何がバンサモロの人々にとって望ましいことなのか、という視点であったといえよう。

  ただし、ICPの限られた任期と人材では、バンサモロの人々の意向を推し量るには限界があった。ICPは、地方政治家、MILF/BIAF、原住民(IP)、宗教指導者、市民団体(CSO)、フィリピン国家警察(PNP)、フィリピン国軍(AFP)等へのアンケート調査、聞き取り調査、コミュニティ対話などの機会を設け、延べ400人あまりの人々の声に耳を傾けてきた。しかし、多様な意見が交錯するなかで、誰がバンサモロ住民を代表するのかについて、ICP内で統一見解を共有できていたとはいいがたい。

3. ICP提言により予見される課題

  最大の課題として何度もICPの議論の俎上に載ったのは、警察と政治家の癒着の問題である。バンサモロ新警察が十分にその任務を遂行するためには、バンサモロ住民の信頼を勝ち得なくてはならない。そのためには、新警察の地域住民に対する説明責任を高めなくてはいけないとICPは考えた。つまり、警察と政治家の非合法の関係を絶つことが最優先課題である、というのがICPの共通認識であった。

  もちろん、民主的な選挙を経て合法的に選出された政治家たちは、代議制民主主義の制度上は、有権者である住民の代表である。住民から選出された市長や議員は、住民を代表して警察を監督する権利と義務がある。しかし、現実には、選挙制度の問題などがあり、選出された政治家たちが私利私欲の追求のために警察を私物化している事例が後を絶たない。この問題を根本的に解決するためには、小手先の警察改革のみでは不十分で、政治制度や選挙改革にまでメスを入れないといけない。しかし、そうなるとICPの任務や権限を超えるため、本当に重要な改革を提案することはできなかった。

  第二の懸案事項は、既存のARMM管轄内の警官をどうするのか、という点だ。「現状は甘受できない」という大前提、コミュニティ構成員から信頼される警察にするといった基本方針に鑑みて、約6,500名いるARMM内のイスラム系現役警官を新警察に自動的に再雇用することは考えにくい。なぜならば、ARMM内のイスラム系現役警官の多くは縁故採用や非合法的な採用を経て警官となっており、警官に求められる基準に満たしていないとされるからだ。基準を満たせない現役警官の処遇を誤れば、すなわち、不適格者として解雇すれば、彼らは治安不安定要因になりかねない。和平を望まない勢力や犯罪集団に加わり、治安を乱しかねない。平和構築の専門家として、私はこの懸念をICP内で何度か指摘した。

  しかし、BIAFをいかにプロフェッショナルな文民警察に移行させるのかという観点での手厚い「再教育」プログラムは検討されたが、現役警官の再教育については十分な検討がなされたとはいいがたい。

  第三点目は、移行期という脆弱な時期に、いかにしてバンサモロの治安を維持するのかという課題である。新しい時代の到来を住民が納得できるように、迅速かつ効果的に治安の改善が実現されなければならない。バンサモロには、引き続きMILF以外の反政府勢力、和平に反旗を翻している勢力、犯罪組織、身代金請求拉致団、テロ組織など、治安の不安定要因は存在する。しかし、新警察が独り立ちして域内の治安維持と法執行を担うには、時間がかかる。そこで、移行期の治安維持には、MILF/BIAF、フィリピン国軍、フィリピン国家警察が共同で対処するとした。しかし、各組織がどのように連携することで効果的に治安維持と法執行を実現するのか、バンサモロ新警察とどのように役割分担を行い、任務の引き継ぎをしていくのか、など課題は山積している。

  さらに、治安維持と法執行の観点から、「リド(Rido)」と呼ばれる氏族間の紛争に新警察がどのように対応していくべきなのか、検討しなくてはならない。リドの問題は根が深く、シャリア(イスラム)法の適用との関係でも、課題が生じてくるだろう。既存の公的司法に対する住民の信頼がなく、公的司法へのアクセスも不十分な現状では、慣習的な司法措置が果たす役割は依然として大きい。人間の安全保障の観点から「法の支配」を実現するためには、警察改革だけでは不十分で、司法改革も併せて取り組まなくてはならない。私は、治安部門改革の専門家として、この点を何度か強調した。だが、司法改革に触れることは、ICPの任務と権限を越えることであり、また警察改革に絞ったとしても網羅的・包括的に検討する時間的余裕がなかったこともあり、ICPの提言と司法改革とのリンクは十分に検討されることはなかった。

MILF combatants celebrate of the signing of the Peace Agreement. Photo: Meg Kagawa

まとめ

 フィリピン政府とMILFは「現状は甘受できない」という点で共通の基盤に立っており、和平に向けた変化を求める気運は確かに存在する。今般のICPによる提言は、その流れに棹をさすものである。バンサモロの人々の人間の安全保障の確保を重要な上位目標に掲げて、ICPはバンサモロ新警察のあるべき姿を提言した。バンサモロの人々が恐怖からの自由を享受するために、バンサモロ新警察は重要な役割を担う。ICPの提言は、コミュニティに根ざした警察像の理想的な骨格を示したに過ぎない。それに息を吹き込むためには、フィリピン政府とMILFは共通の責任をもって提言の履行を進め、変化・改革の流れが停滞しないようにすることが大切だ。同時に、提言が具体化される過程で多くの課題が生じることも予想される。本稿で提示した三つの課題は、いずれも警察機構の改革をしたところで、根本的に解決されることはない。政治、ガバナンス、司法を含む平和構築の包括的な取り組みのなかに位置づけられることで、はじめて効果的に対応できる性質の問題である。つまり、ICP提言を超えた変革が平和構築には必要なのである。(脱稿、2014年6月15日)

YUJI UESUGI上杉勇司

(元独立警察委員会日本政府代表委員、早稲田大学教授)

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