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- 平和構築全般
印パ交戦、ラダック騒擾、デリー爆発事件:2025年のカシミール紛争
※本記事における見解は筆者個人のものであり、Asia Peacebuilding Initiatives:APBIの公式見解ではありません。
パレスチナ、ウクライナの紛争が袋小路に陥る中、昨年(2025年)5月に南アジアの二大国であるインドとパキスタンが短期交戦した事実は、国際社会の不安を否応なしに深めた。両国交戦のきっかけは4月末にインド側カシミールで起きたテロ事件(パキスタンからの越境ゲリラによるインド人観光客虐殺事件)であり、その意味ではこの交戦も長年続くカシミール紛争の一環だった。11月にはインドの首都デリーで自動車爆発事件が発生し、その背景にカシミール人グループによる爆弾テロ計画が存在していたことが明らかになったため、再びカシミールをめぐる緊張が高まった。9月のラダック騒擾は、カシミールの自治問題を別の角度から照射した。本稿では、2025年に起きた一連の事件を中心に、印パおよびカシミールの「今」を可能な限り読み解いてみたい。
4月:パハルガーム事件
2025年4月22日の昼過ぎにカシミール渓谷東部山中の観光地パハルガームで起きたテロ事件では、犯行グループ3名が対象をヒンドゥー教徒成人男性に限定したうえで26名のインド人観光客を殺害した[i]。直後に出された犯行声明は「抵抗戦線」(The Resistance Front、略称TRF)名義になっており、これは1990年代後半からカシミールで活動しているゲリラ団体「ラシュカレ・タイバー」(Lashkar-e-Taiba、「純正なる軍隊」の意、略称LeT)の支部もしくは別名義とされる団体である。LeTはとくに、170名以上が犠牲になった悪名高いムンバイー・テロ事件(2008年)を起こしたことで知られる。
ここ数年、インド当局の徹底的な締め付けによりカシミール地元のゲリラが激減する中、カシミールでは「抵抗戦線」を始めとするパキスタンからの越境ゲリラによる、ヒンドゥー教徒弱者(カシミールに出稼ぎに来た貧しい労働者、カシミールのヒンドゥー教徒マイノリティであるカシミーリー・パンディットなど)を狙った悪質なテロ事件が続いていた。また、厳戒態勢のカシミール渓谷で活動しにくくなった越境ゲリラが、南部ジャンムー地方[ii] 周縁部の森林地帯を活動拠点とするようになったのも近年の特徴であり、ジャンムー地方北東部の森林の延長上に位置するパハルガームが越境ゲリラに狙われたのはある意味当然だった。「抵抗戦線」はのちに事件への関与を否定する声明を出したが、近過去の一連のこうしたいきさつを考慮すると、この事件は最初の声明通り「抵抗戦線」による犯行と考えるのが自然である。
[i] 犠牲者26名(全員成人男性)のうち1名は観光客を守ろうとしてゲリラに立ち向かい殺害された地元のカシミール人ムスリム観光業者だったが、残り25名は観光客であり、1名のキリスト教徒を除く24名がヒンドゥー教徒だったと思われる。ネパール人ヒンドゥー教徒の観光客1名以外の犠牲者は全員インド国籍者だった。
[ii] ここで言う「ジャンムー地方」はJammu districtではなく、より広域のJammu regionを指す。とくに2024年はジャンムー・リージョンの中でも、それまでゲリラ活動とほとんど縁がなかったカトゥアーやリアーシーといった地区(ディストリクト)の森林地帯でゲリラ関係事件が増え、パハルガームと隣接するキシュトワール地区からドーダ地区にかけての森林地帯(山間部)でも引き続きゲリラ活動が見られた。例えば次の記事を参照。Press Trust of India (PTI), “Terror attacks rocked 8 of 10 Jammu districts in 2024; 18 security personnel, 13 terrorists among 44 killed“, Deccan Herald, November 11, 2024. URL: https://www.deccanherald.com/india/jammu-and-kashmir/terror-attacks-rocked-8-of-10-jammu-districts-in-2024-13-terrorists-among-44-killed-3271127(最終閲覧2026年1月12日)
テロ事件が起きたパハルガームのバイサラン高原(写真出典:ウィキペディアコモンズ URL:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mini_Switzerland_of_india_photo.jpg)
1947年の分離独立当初から宿敵関係にあるインドとパキスタンの間には、通常の軍備において大きな格差がある。兵員・兵器いずれにおいてもインドがパキスタンの倍近くを保有しているのである。しかし両国とも核保有国であり、核弾頭の保有数は拮抗している。このため、通常の戦争でインドに勝てないパキスタンは、核の抑止力によって印パ間に通常戦争は起き得ないと踏み、1980年代以降は主に非公式の「代理戦争」「低強度紛争」「越境テロ」によってインドへの攻撃を仕掛けてきた。インドでモーディー政権が成立して以降は、パキスタンからの越境ゲリラがカシミール西部(ウリのインド軍基地)をテロ攻撃し、これを受けてインドがパキスタンに越境空爆した事件(2016年9月)、カシミール南部プルワーマーでインド治安部隊車両が自爆テロ攻撃に遭い(実行犯はカシミール人)、これを受けてインドがパキスタンに越境空爆した事件(2019年2月)が起きていた。
また、ムスリム国であるパキスタンは、住民がムスリム主体のカシミールについて、本来パキスタンのものなのにインドに不当に奪われているという怨念を抱えている。このため、インド側カシミールで不満が高まるや、パキスタンはこれをカシミール奪回のチャンスと見なし、もれなく介入してきた。詳述は避けるが、1965年の第二次印パ戦争も、1989年以降のカシミールにおける反インドゲリラ闘争も、インド側カシミール内部の不満の高まりを受けてパキスタンが介入した事例である。そして2025年4月のパハルガーム事件は、2019年8月にインド政府がジャンムー・カシミール州を二分割したうえで連邦直轄領に格下げし、その後もカシミールの自治と政治的自由を剥奪し続けていることへの不満がカシミール内部で高まっている状況に乗じて、パキスタンのゲリラが起こしたものだった。「抵抗戦線」の当初の犯行声明は、2019年以降のインド側ジャンムー・カシミールにおける恣意的な政策(カシミール外のインド人へのカシミールにおける戸籍取得権・土地所有権の開放など)により、カシミールのヒンドゥー化が推し進められていると主張し、これをもってヒンドゥー教徒観光客へのテロ行為を正当化した。インド現政権による「カシミールのヒンドゥー化」への不安は、インド側カシミールの人々が現実に抱えているものである。インド現政権(BJPのモーディー政権)による2019年のジャンムー・カシミール地位変更政策自体がそもそも、「ムスリムのカシミール」の自治権など許さない、というBJPのヒンドゥー至上主義的信念を実行に移したものだった。
しかし後述のように、パハルガーム事件後のカシミール社会は一丸となってテロ反対・暴力撲滅を叫ぶに至った。これまで反インドゲリラを支持してきたカシミール社会のこの変化は、この事件をめぐる最大の特徴だったと言えるかもしれない。
5月:インド・パキスタン短期交戦
ここ数年、ジャンムー・カシミール連邦直轄地を「インドの安全な観光地」としてブランド化し、売り出すことに熱心だったインドのモーディー政権は、(少なくとも表向きは)このテロ行為に激怒した。インド政府はパハルガーム事件の翌日(23日)にはパキスタン官僚のインドからの退去、過去にパキスタン国籍者に発行されたインドヴィザのキャンセルなどのほか、1960年に締結されたインダス河水利協定(Indus Waters Treaty)の即時停止(暫定的保留)を宣言した。後者は潜在的には、インダス河の水源を握るインドが水流をせき止め、パキスタンの主要な穀倉地帯に人工的な旱魃をもたらす可能性を意味し、インド側の怒りの大きさを示していた。続いて印パ両国は互いに対する貿易停止、空域閉鎖などの措置を取り、国境・管理ラインで小競り合い(砲撃の応酬)を繰り返した。
5月7日未明、インドがパキスタン領内「イスラーム過激派組織の拠点9か所をミサイルなどで限定的に攻撃」し(インド側発表による)、両国の交戦が始まった。両国とも無人機(ドローン)、ミサイル砲撃などにより相手国を攻撃し、主な交戦地域は両国のジャンムー・カシミール(インド側ジャンムー・カシミール連邦直轄地、パキスタン側アーザード・ジャンムー・カシミール州)だったが、両国のパンジャーブ州およびインドのラージャスターン州の一部でも交戦が行われた。
インドのモーディー政権は、この対パキスタン軍事作戦を「シンドゥール作戦」と命名した。「シンドゥール」はヒンドゥー教徒の既婚女性が髪の分け目に塗る赤い塗料のことで、この作戦がパハルガーム事件で夫を亡くしたヒンドゥー教徒女性たちの悲しみへの報復であることを意味する、明確にヒンドゥー的な作戦名だった。パハルガーム事件直前の4月16日には、パキスタン軍トップのアーシム・ムニール将軍が在外パキスタン人向け講演会でパキスタンのイスラーム性と優越性を強調し、自国を「ヒンドゥー」から峻別する発言を行って物議を醸していたが、印パ双方の国家トップが宗教感情に訴えてナショナリズムと印パ対立を煽っている状況だった。
5月10日の夜、米トランプ大統領が、アメリカの仲介により印パが即時停戦に合意したとソーシャルメディアに投稿し、印パ間の停戦成立が公になった。(インドはのちにアメリカによる仲介を否定し、停戦はあくまでも印パ二国間交渉によるものと主張。)約4日間の交戦の結果、人的被害はパキスタン側が死者51名(うち市民40名)、インド側が死者25名と発表された(数値は報道によって異なる)。この他、負傷者および家屋損壊などについても双方にかなりの被害があった。交戦中、パキスタン軍の戦闘機(中国製「殲10」)がインド軍の戦闘機(フランス製「ラファール」)を少なくとも1機撃墜したことが世界中で話題になった。
停戦後には印パ両国がいずれも自国の勝利をアピールし、いずれの国民も戦勝ムードに沸いた。米フォーリン・ポリシー誌編集長のラヴィ・アグラワールは、印パ交戦が続いている最中に書いた論説で次のように指摘した。「どちらの政府もしきりに偽情報を流す。成果を誇張し、損害は否定・隠蔽する。国民の愛国心を鼓舞する両国のメディアは、そんな偽情報の上塗りをするばかり。こうしてメディアの生態系が閉鎖的で内向きなものになれば、現実がどうあれ一方的な勝利宣言で幕引きを図ることも可能になる。」(「印パ本格戦争の回避策は」、『ニューズウィーク日本版』2025年5月20日号、35ページ)現実はアグラワールの指摘通りに推移した。
事態の終息後に振り返って眺めれば、印パ両国とも、自国の有権者向けに勝利をアピールできればそれで良く、毎度カシミールを両国対立のダシにするものの、カシミール紛争の根本的な解決や印パ間の本格戦争を望んでいるわけではないように見える。なにしろカシミール紛争が存在する限り、印パ両国の政権は経済悪化などで支持率が低下しても、カシミールを持ち出すことで愛国心を煽り、いわゆる「国民統合」を強化し政権運営を安定化させることができるのだから。そして大枠では、上述の2016年9月、2019年2月の場合と同様、2025年4~5月の場合も、越境テロ事件を受けてインドがパキスタンに越境空爆を行い、本格戦争になる手前で攻撃をやめ、勝利宣言を行って終わるというパターンが繰り返された。ただし今回の攻撃は以前より大規模化し、パキスタン側からも本格的な応戦があった点が大きく異なっていた。事態は限りなく「本格戦争」に近づき、カシミールをダシにした「国民統合」の代価は危険なほど高く付くようになったと言えそうだ。
9月:カシミール自治問題の鏡としてのラダック騒擾
ラダックは2019年8月のインド国会の決定によりジャンムー・カシミール州から切り離され、「ジャンムー・カシミール連邦直轄地」とは別個の「ラダック連邦直轄地」となった。ラダックはチベット仏教徒主体の東部レー地区とシーア派ムスリム主体の西部カールギル地区に大別されるが(民族的にはいずれもチベット系)、とくに前者の仏教徒の間では以前から独立の連邦直轄地となることが政治的悲願となっており、突然の連邦直轄地化はラダックの首都レーで歓呼の声で迎えられた。
旧ジャンムー・カシミール藩王国の領土はインド、パキスタン、中国によって事実上分割され、実効支配されている。青い部分がインドが実効支配するジャンムー・カシミール連邦直轄地およびラダック連邦直轄地。ラダックは面積は広大だが、人口は約30万人で、ジャンムー・カシミールの2%ほどに過ぎない。(ウィキペディアコモンズの下図から筆者作成)
ところが、少なくとも名目上は地方議会が設置されることになったジャンムー・カシミール連邦直轄地と異なり、ラダック連邦直轄地には地方議会が設置されなかった。2019年以前のラダックでは、選挙で選ばれた地元の評議員で構成されたラダック自治開発評議会(Ladakh Autonomous Hill Development Council、略称LAHDC)を通じて民意を政策に反映させることができたが、いまやインド中央政府からの上意下達のみで政策が決定されるようになり、民意は反映されなくなった。2020年5月にはラダック北東部の中国との国境地域で印中の国境紛争が発生し、セキュリティ上の懸念からインド中央政府はラダックを直接管理する必要を以前に増して感じるようになった。こうした中、ラダック北部のチャンタン高原(広義のチャンタン高原の西端)において地元民の遊牧を事実上不可能にするソーラーパネル(太陽光電池)巨大プロジェクトが浮上し、またラダック村社会における伝統的な行政担当者である村長(長老)の年齢に上限を設けて本来の長老を排除する政策が実施されるに至り、ラダックの人々は抗議の声をあげ始めた。[iii]
ラダックにおける抗議の声はやがて、インド憲法第6付則(Sixth Schedule、北東インドの特定部族地域に一定の自治権を付与する規程)のラダックへの適用(ラダックの人々の大半は指定部族カテゴリーに入る)、および(または)ラダック連邦直轄地の州への格上げという二つの要求に集約されるようになった。この抗議活動のリーダー役を務めたのがソーナム・ワンチュク(Sonam Wangchuk、1966~)だった。ワンチュクはラダック独自の教育システムを追求するNGO活動や環境保護活動などにより2018年のマグサイサイ賞を受賞した有名人で、インドではボリウッドの大ヒット映画『きっと、うまくいく』(3 Idiots)の主人公のモデルとして広く知られる人物である。また、以前はレー地区のリーダーと対立しがちだったカールギル地区のリーダーたち(シーア派ムスリム)もワンチュクらに合流し、抗議活動は全ラダック化した。レーにおける2024年3月のハンストと抗議集会の模様は、その規模の大きさにより広く報道され、インド中で知られるようになった。2025年夏にはワンチュクのNGOの活動資格が制限され、事実上の弾圧が強まる中、9月10日にレーで再びハンスト抗議が開始された。
[iii] 2019年以降のラダック住民の困難の要点については、ラダック政界要人の一人で、現在はレー最高組織(Apex Body, Leh)共同代表としてソーナム・ワンチュクらと共に抗議活動を率いるツェリン・ドルジェー・ラクルークのインタビュー記事を参照。Deeptiman Tiwary, “We used to curse Article 370... But it protected us... now Ladakh opened up for entire India: Leh apex body co-chairman”, Indian Express, September 28, 2025. URL: https://indianexpress.com/article/political-pulse/we-used-to-curse-article-370-but-it-protected-us-now-ladakh-opened-up-for-entire-india-leh-apex-body-co-chairman-10276192/(最終閲覧2026年1月12日)
ソーナム・ワンチュク(写真出典:ウィキペディアコモンズ
URL:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sonam_Wangchuk,_2017_(cropped).jpg)
9月24日、高齢のハンスト参加者2名が栄養失調により倒れ、病院に搬送されたことをきっかけに、怒った若者たちがレーのLAHDCオフィスほかに投石などによる抗議/攻撃を開始した。ラダック警察およびインド治安部隊は発砲によりこれに対処し、ラダック人の市民4名(インド軍の退役兵士1名を含む)が死亡、90名近い負傷者を出した。混乱の中でレーのBJP本部も攻撃の対象となり放火された。ラダック自治要求の開始を告げた1989年のアジテーション期以来政治的暴力とは無縁であり続けたラダックが、当局の弾圧により犠牲者を出した瞬間だった。
2日後の26日には暴動扇動容疑によりワンチュクが逮捕・投獄された。その後のラダックは不穏な静寂に包まれたが、政治的解決の糸口は見つからないままである。11月末になると、ラダックにおける一定規模以上の開発プロジェクトの決定権が連邦直轄地政府から中央政府に移管され、そもそも中央の傀儡でしかない現在のラダック地方政府が持つ限定的な権限さえ削減され始めた。現在(26年1月初頭)に至るまで、インド中央政府側からラダックに対する対話・和解の姿勢は見られない。
* * *
ソーナム・ワンチュクは抗議集会の演説において、しばしば「バーラトマーター・キー・ジェイ!」(「母なるインド万歳!」。インドを女神に見立てて賛美する、ヒンドゥー教的な要素を持つスローガン)などのインド愛国的なスローガンを連呼し、ラダックの聴衆も応えてこれを力強く連呼する。これはカシミールのムスリムにとっては違和感のためできない行為である。その限りで「仏教徒のラダック」は「ヒンドゥーのインド」と親和性を持ち、だからこそ「ムスリムのカシミール」とは異なり、ラダックはヒンドゥー中心のインド中央政権から愛され、ゆくゆくは自治権を得ることも可能であるに違いない、と楽観的に考えるラダック人が多かったものと思われる。9月24日のレーの騒乱が武力で弾圧され、ワンチュクが逮捕・投獄された際には、インド全国でワンチュク釈放とラダックとの融和を求める市民の声が上がった。インド各地で自然に湧き起こったラダックへの同情は、やはりカシミールをめぐっては見られない性質のものだった。
にもかかわらず、ラダックは非情に弾圧され、その自治権は否定され続けている。
他方、ジャンムー・カシミール連邦直轄地では、延期に延期を繰り返したあげく、2024年秋に約10年振りとなる地方議会選挙がようやく実施され、カシミールの最有力地方政党ナショナル・コンフェレンス(略称NC)を中心とする連邦直轄地政府が同年10月に発足した[iv]。ところが、この地方政権発足後も、それまでの連邦直轄地行政のトップである知事(正確には“Lieutenant Governor”なので「副知事」、以下LG)が引き続き主要な権限を維持し続け、ジャンムー・カシミール連邦直轄地は「二重行政」の難題を抱えることになった。連邦直轄地行政に携わる官僚の任命・罷免権はすべてLGが保持しているため、実質的な行政権はその後も、選挙で選ばれた連邦直轄地首相ではなく、中央政府が任命し中央政府の指令で動くLGが握っていると言える。地方議会の設置が認められているジャンムー・カシミールも、実際にはラダック同様、自治権を奪われたままであることになる。NC主体のジャンムー・カシミール地方政権は、発足当初からジャンムー・カシミールの州ステイタスへの復帰を求めていたが、連邦直轄地のままでは行政が立ち行かない現実に直面し、州ステイタス復帰要求を強めている。州ステイタスに復帰すれば、行政の主体は州首相とその州政府に一本化されるからである。
なお、同連邦直轄地南部ジャンムーの住民はヒンドゥー教徒主体であり、近年の選挙でジャンムーは常に強固なBJP支持基盤となってきた。が、そのジャンムー社会で権力を握るラージプート層(いわゆるクシャトリヤ階層)でさえ、今はジャンムー・カシミールの州ステイタス復帰を求めているのが現状である[v]。その背景には、基本的に経済効率を追求するBJP中央政権(およびその主導下のLG行政)が、効率化の観点から政治・経済の諸機能をカシミールの首都スリーナガルに集中させてきた事情がある。以前は藩王国時代の慣行に則り、夏期はカシミールのスリーナガル、冬期はジャンムー(ジャンムー・リージョンの中心であるジャンムーの町)を州都とする季節遷都が行われていたが、2019年以降は連邦直轄地の首都がスリーナガルに固定された。2025年初夏に開通したデリー・スリーナガル直通列車も、ジャンムーの地位低下に大きく寄与した。結果的に、カシミールの観光地やヒンドゥー教徒の一大巡礼地ヴァイシュノー・デーヴィー(ジャンムーの北方カトラーにある同名女神の聖地)を目指す観光客が列車で目的地に直行するためジャンムーの町を経由しなくなり、冬季の遷都(官僚階層の季節的集団流入)によるジャンムー市場の賑わいも失われ[vi]、土地所有権などのインド人外部者への開放によりインド大企業の進出が可能になったため地元経済の主軸である商業活動は苦境に陥り、ジャンムーの経済は危機的な状況にある。BJP中央政権はジャンムーにおける得票を当然視し、その利害を無視していると言わざるを得ない。このため、ジャンムーのヒンドゥー教徒でさえ、ジャンムー・カシミールが州として自治権を持っていた過去のほうがマシだった、と感じるようになった。
このように、旧ジャンムー・カシミール州を構成していたカシミール、ジャンムー、ラダックの三地域すべてが、インド中央政権主導下の現状を拒否し、三者三様に自治を求めているのが現在の状況である。なお三地域に共通する最大の不満要因の一つは、2019年以降、公務員の公募がほぼストップしていることである。これは一定の学歴を持つ若者たちの多くが就職できずにいることを意味する。
2019年のインド政府によるカシミールの自治権剥奪が、ヒンドゥー至上主義政権による「ムスリムのカシミール」抑圧政策であるのは間違いない。しかし問題はそこにとどまらず、ラダックの事例は、セキュリティ(国家安全保障)上などの理由により重要性を持つ地域に関しては、中央政府による管理・コントロールを徹底強化し自治(民主主義)を認めない性格をインド現政権が持っていることを明確に示している。そして、あたかも鏡像のようにカシミールそっくりの弾圧に直面している現在のラダックの有り様は、カシミールにおける抑圧の理由が「ムスリム性」だけではないことを物語っている。
ラダックで投石行為などに及んだ若者の多くは、スマホのネット情報を通じてネパールやバングラデシュの「Z世代」の影響を受けていたと思われる。しかし、「Z世代」の抗議行動が許されるのは、あくまでも抗議する若者たちが当該国家のマジョリティ・コミュニティに属し、基本的に権力から愛される存在である場合のみであるという現実を、ラダックの若者たちは今、痛感しているに違いない。
(ちなみに、チベット亡命政府のトップでありチベット仏教界の立役者であるダライ・ラマ14世は25年7月から一ヶ月ほどラダックに滞在したが、中国との対抗上インド政府の支援を必要とする彼は、ラダックの自治権問題については言及していない。)
[iv] ジャンムー・カシミールでは、2014年末の州議会選挙の結果、2015年3月にPDP-BJP連立州政権が成立したが、2018年6月にBJPが連立を解消して州政権が崩壊し、州知事統治が開始された。これが半年後の2018年12月に自動的にインド大統領統治に切り替わり、2019年8月のインド国会決定に至った。したがってジャンムー・カシミールは、2018年6月から2024年10月までの6年強の期間にわたって民選の地方政府を持たず、インド中央政府の恣意的な指揮下に置かれたことになる。
[v] ジャンムーのラージプート団体の要求については次の記事を参照。“Statehood Demand Marks Maharaja Hari Singh’s Birth Anniversary Celebrations in Jammu”, Daily Excelsior, September 23, 2025. URL: https://www.dailyexcelsior.com/statehood-demand-marks-maharaja-hari-singhs-birth-anniversary-celebrations-in-jammu/(最終閲覧2026年1月12日)。なおDaily Excelsiorはジャンムー発行英字紙の中で最大部数を誇る地方紙。
[vi] スリーナガル・ジャンムー間の季節的遷都に関しては、2024年の地方議会選挙により発足したNC主体のジャンムー・カシミール地方政権が翌年から復活させた。
11月:デリーの自動車爆発事件
11月10日午後6時52分頃、インドの首都デリー北部のオールドデリーにあるラール・キラー(赤い城)遺跡の入口付近の大通りで、走行中だが信号で一時停止していた乗用車(ヒュンダイi20)が突如爆発し、自動車を運転していた人物を含め、その周辺にいた15名が亡くなり、20名以上が重軽傷を負う惨事となった。テロ事件の可能性があったため、首都デリーは即座に厳戒態勢に入った。
オールドデリー中心部チャーンドニー・チョウク(月の横丁)の市場。画面奥に小さく見えるピンク色の建物がムガル時代の遺跡ラール・キラー(赤い城)であり、写っている城壁の下部に入口が位置する。自動車爆発は、このラール・キラー入口と手前の市場の間を走る大通りで起きた。この写真は約10年前に撮影されたものだが、オールドデリーの賑わいは今も変わらない。(写真出典:ウィキペディアコモンズ URL:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Chandni_Chowk_Road_-_Delhi_2014-05-13_3507.JPG)
その後の当局の捜査により、この自動車を運転していたのは当時デリー郊外の医科カレッジに勤務していた20代もしくは30代の若いカシミール人医師ウマルであり、爆発したのは車に積載された大量の硝酸アンモニウムであることが判明した。4月のパハルガーム事件以降、インド当局はカシミールにおける反インド活動の取り締まりを強化していたが、その過程で北インド(デリー、ハリヤーナー州、ウッタル・プラデーシュ州)で活動するカシミール人グループによるテロ計画が明らかになり、自動車爆発の数日前にはこのグループに所属するウマルの仲間たちが逮捕され、彼らが所持していた銃器や硝酸アンモニウム(爆弾の原材料)が押収されていた。このとき押収された大量の硝酸アンモニウムは、当該グループの検挙を指揮したジャンムー・カシミール警察がその後カシミールの首都スリーナガルに移管したが、今度はこれを保管・調査していたスリーナガル南部のナウガーム警察署で11月15日の夜に爆発が起き、警官数名を含む9名が死亡、30名以上が重軽傷を負う惨事となった。このナウガームの爆発は明らかに、押収物件(硝酸アンモニウム)の調査中に起きた事故だった。
カシミール人医師ウマルとその一味が組織的なテロを計画し、これが事前に明るみに出たため、11月10日のウマルが爆弾の原材料を車に積んだままデリーを逃走中だったのは間違いない。ただし、10日の自動車爆発自体は、おそらくナウガーム同様の事故(誤爆)であり、自爆テロではなかった可能性が高い。爆発が起きたオールドデリーはデリーの中でも有名なムスリム集住地区の一つであり、爆発で亡くなった犠牲者の中には、たまたまその場に居合わせたカシミール人ムスリムの出稼ぎ労働者が1名混じっていたくらいである。このような場所で、カシミールにおけるムスリム抑圧への反発からテロを目論む人物が自爆行為に及ぶとは考えにくい。また、この爆発の原因が硝酸アンモニウムから作られた簡易爆弾(Improvised Explosive Device、略称IED。殺傷力を高めるため鉄片類が仕込まれることが多い)ではなく、爆弾として仕立てられる前の硝酸アンモニウムであり、このため爆発の規模のわりに小規模な犠牲で済んだことも報道[vii]により知られている。インド内外の各種メディアには、これが自爆テロ事件だったとする言説が溢れたが、12日の夜に発表されたインド政府の声明[viii]は「自動車爆発を通じて反国家勢力により犯されたテロ行為」という微妙な言い回しを用いており、自動車爆発自体が自爆テロだったと明言することは避けている。
いずれにせよ、数名のカシミール人自身のイニシアティブによりインド大都市圏におけるテロ計画が進行していた事実は、インド政府だけでなく、カシミール社会にも大きなショックを与えた。
[vii] Bismee Taskin and Snehesh Alex Philip, “Red Fort blast: A ‘panicked’ doctor & the unravelling of a post-Op Sindoor plan to serial-bomb Delhi”, The Print, November 11, 2025. URL: https://theprint.in/india/red-fort-blast-a-panicked-doctor-the-unravelling-of-a-post-op-sindoor-plan-to-serial-bomb-delhi/2781851/(最終閲覧2026年1月12日)
[viii] Press Information Bureau, “Cabinet passes resolution on Explosion near Red Fort in Delhi”, November 12, 2025. URL: https://www.pib.gov.in/PressReleseDetail.aspx?PRID=2189384®=3&lang=1(最終閲覧2026年1月12日)
カシミール社会における、より大きな変化の波
前述のように、近年のカシミールでは主にパキスタンからの越境ゲリラによるヒンドゥー教徒弱者を標的にしたテロが多発し、カシミールの人々はこれに心を痛め、人心がゲリラ活動から離れていた。その背景には、より大きな流れとして、カシミールにおける反インドゲリラ活動を長年支えていた「殉教文化」とでも呼ぶべきローカルな文化的土壌が姿を消した事情があった。
1980年代末以降のカシミール渓谷では、カシミールのインドからの独立もしくはパキスタンへの併合を求めて闘うカシミール人ゲリラがインド治安部隊によって殺害されると、地元ぐるみで盛大な葬儀が行われるのが常だった。一大地方集会と化した葬儀会場では、カシミール分離主義の政治リーダーたちが亡くなったゲリラをイスラームの殉教者として讃え、反インド・イデオロギーを訴える熱烈な演説を行った。人々が熱狂的に「自由」(アーザーディー)を求めるスローガンを連呼する中、近親者や近隣住民の死と宗教的熱狂が入り混じった強烈な感情の渦に包まれて、若者たちが銃を取り、再びゲリラが誕生するという循環がそこには存在した。
しかし、カシミールでも衛星放送などのメディア環境が整うにつれて、「イスラームの国」パキスタンへの憧れや過大評価が崩れ(これはカシミールでもパキスタンの衛星ニュース放送が視聴できるようになり、人々がパキスタンの現実の姿に触れた結果だった)、カシミール分離主義リーダーたちもロングインタビューなどを通じて「普通の人間」ぶりを露呈し、そのカリスマ性が徐々に薄れて行った。2021年9月にはカシミール分離主義の屋台骨であり最大のカリスマだったサイード・アリー・シャー・ギーラーニー(1929~2021)が老衰で死去し、BJP政権による2019年以降の徹底した分離主義弾圧がこれを追い打ちして、上述のローカルな「殉教文化」によるゲリラ再生産プロセスにようやく歯止めがかかった。2019年以降のインド中央政権による徹底したカシミール反政府勢力への弾圧は人権侵害や民主主義冒涜などのネガティブな要素で満ちているが、カシミールの若者たちを儀礼的なゲリラ再生産プロセスと死の循環から力ずくで引き離したことは、そのポジティブな最大の成果の一つだった(異論も多いと思うが、少なくとも近年の筆者の目にはそう映っていた)。
2019年以降のカシミールで、政治的・経済的な決定権を徹底して奪われる状況の中、それでも人々は、暴力と無縁の日常生活を取り戻すための営みに邁進した。BJP中央政権の独断によるカシミール経済成長のための数々のプロジェクトも、一定の成果はもたらしていたと思われる。少なくともインド国内からの観光客はかつてない規模で押し寄せるようになり、カシミールのホテル・観光業者たちは殺到する予約を捌くため休む暇もなくなった。経済が上り調子のインド大都市圏の生活・教育水準は向上し続け、カシミール中産階級の子弟の間でも、インド大都市圏でカレッジ以降の高等教育を受けるのが一般化して行った。
そんな中で起きたのがパハルガーム事件だった。
2025年4月、パハルガームに限らず、観光シーズンが始まったばかりのカシミールの観光地はどこもインド人観光客で賑わっていた。それが、事件の影響で一夜にして観光客の姿が消えただけでなく(事件直後のカシミールではインド人観光客のカシミール脱出ラッシュが起き、航空便が増発されたほどだった)、向こう一年の観光シーズンを通じて客足が途絶えることが確定したようなものだった。しかし、そんな経済的損失は二の次だった。事件直後のカシミールの人々(とくに都市部の中産階級)は、インド各地の大都市圏で就学中の娘や息子たちが、ヒンドゥー教徒を狙い撃ちにしたテロ事件への報復として反カシミール人・反ムスリムの暴動の標的となることを何よりも怖れた。彼らにできるのは、カシミール人も一般のインド人同様にパハルガームの観光客たちの非業の死に憤り、悲しみに暮れていることを示してインド世論をなだめる努力だけだった。それでなくとも、社会の荒廃のみをもたらす政治的暴力にカシミールの人々は疲弊し切っていた。地元ゲリラの間には、地元経済を守るため観光地と観光客は襲わないという暗黙の了解が存在したが、越境ゲリラによるパハルガームのテロは長年のこうした慣行を無視してもいた。そんな諸要素が折り重なり、パハルガーム事件後のカシミール社会は一丸となってテロ反対、暴力反対を訴え続けた。
これまで反インドゲリラを支持してきたはずのカシミールの人々のこの大きな変化とその姿は、インド内外の人々に深い感銘を与えた。筆者を含め、多くの人々がカシミール紛争の草の根における風向きの変化をそこに見て取った。
以上が、11月のデリー自動車爆発事件に至る前史である。医師を始めとするカシミール社会の上澄みのエリートたちが徒党を組み、インド大都市圏におけるテロ計画を秘密裏に進めていた事実を知って、4月にテロ反対を訴え続けたカシミールの人々が無力感に襲われたことは容易に想像できる。
ウマルはなぜテロ計画に手を染めたのか:カシミールの現在地と今後の行方
カシミール社会が根本的な変化を遂げつつあるように見える中、デリーの自動車爆発で死亡したカシミール人医師ウマルは、なぜテロ計画に手を染めるようになったのだろうか。そしてそのことは、何を意味するのだろうか。
1.前置き:ジョーシーのコメント(「テロリスト」という他者認識の危険性について)
一時期インドのメディアに氾濫したデリー自動車爆発事件をめぐる多くのコメントの中で、とくに筆者の目を引いたのが、長年カシミールを取材してきたマノージ・ジョーシーのコメントだった(Manoj Joshi, “The Long Cable: Welcome Back to the Kashmir Treadmill, Mr Modi”, The India Cable, November 18, 2025)。
当時のインドの大多数のコメントは、ごく少数のテロリストがカシミール人を代表しているわけではない、だから一部のカシミール人がテロ事件を起こしたからといってカシミール人全体を非難・差別するのは誤っている、と訴えていた。こうしたコメントの善意に疑いがない反面、そこでは「反インド活動家=テロリスト=悪(=じつは少数派で地元でも人気がない)」という不動の構図も暗黙のうちに強調されていた。
これに対し、ジョーシーは世界各地の紛争の例を引きつつ、武力弾圧によって紛争が解決した例はほとんど存在せず、紛争解決において対話が決定的に重要である点を強調していた。曰く、カシミールの武闘派異議提唱者を「テロリスト」(=絶対悪)と定義してしまうと、対話が成立しなくなる。かつてカシミールの反インドゲリラは「ミリタント」と呼ばれており、「ミリタント」はインド政府との対話の相手であり得た。インド現政権はカシミールの異議提唱者を十把ひとからげに「テロリスト」と見なし、これを徹底的に抹殺・排除しようとしている。これは現在のイスラエルのやり方と同じで、これを続けると、パレスチナでガザの学校、病院など社会のあらゆる構成部分が潜在的なハマス同盟者=テロリストと見なされ、ガザ社会全体が破壊されている状況をカシミールにももたらしてしまう。
1990年代末に初めてカシミールに関する著書を上梓した頃のジョーシーがどちらかと言えばインド当局寄りの見方をするジャーナリストだっただけに、このコメントは強い印象を残した。そして、カシミールから聞こえてくる異論や不満を「テロリスト」の名の下にすべて抹殺しようとする姿勢は、じつはカシミール社会全体を破壊する結果につながるのであり、紛争解決のためには対話が不可欠であるという指摘は、きわめて重要である。
2.テロ事件後のインド当局とインド社会の対応
ジョーシーが示唆するように、BJP政権下のインド当局は、とくにパハルガーム事件以降、カシミール社会に対して過剰なまでの監視・統制および事実上の弾圧を続けてきた。
パハルガーム事件の2日後には、実行犯の一人および協力者の自宅と見なされたカシミール南部の家屋2軒がインド合同部隊(インド軍、各種のインド治安部隊、ジャンムー・カシミール警察の合同部隊)によって爆破された。続く数日の間に、犯行協力者の自宅と見なされた合計10軒近く(上記2軒を含む)のカシミール人家屋が、事実上インド合同部隊によって爆破・破壊された[ix]。インド合同部隊は少しでも反インド活動との関係が疑われるカシミール人を手当たり次第に拘束し、ジャンムー・カシミール警察高官の発言によれば、5月4日までの2週間弱で90名以上のカシミール人が治安維持法(Public Safety Act)により告発され、約2800名が反インド活動の容疑で拘留された[x]。この過程で、反インド活動とは無関係と思われるカシミール人市民が当局により殺害・埋葬された疑いが濃い事案も発生した[xi]。とくに宗教政党イスラーム党(ジャマーアテ・イスラーミー。同党はこの時点ですでに活動禁止処分を受けていた)の元関係者が弾圧の対象になり、8月下旬には同党の傘下組織がカシミールで経営していた200余りの学校が接収され、無理やり公立学校と合併させられた。
テロ犯と見なされた人物の自宅爆破は、デリー自動車爆発事件についても行われた。家族とのDNA照合によってデリー爆発事件の自動車運転手がウマルであることが確定するや、11月13日夜にウマルの自宅とされるカシミール南部プルワーマーの家屋がインド合同部隊によって爆破された。事前に通告したうえでの爆破なので犠牲者は出ないものの、こうした家屋は犯人というより犯人の家族・親族(犯行とは無関係と思われる)の自宅であり、その爆破は極端な報復行為の印象を免れない。パハルガーム事件後に続いてデリー爆発事件後もカシミールでインド当局による家屋爆破が繰り返されたため、インド法曹関係者はこうした家屋破壊行為の違法性について声をあげ始めた[xii]。
デリー爆発事件翌日のカシミールでは、首都スリーナガルだけでも、反インド活動に関係すると見なされた150軒以上の家宅で強制捜査が行われたと報道された[xiii]。イスラーム党の元関係者も事件翌日から再びカシミール全域で強制捜査や身柄拘束の対象となり、カシミール南部のクルガーム地区だけでも約500名の同党元関係者が尋問された[xiv]。
カシミールにおけるインド当局のこうした姿勢と連動しているのが、インド各地の地方政府や地方社会の偏見を含んだ反応である。
パハルガームのテロ事件では、ヒンドゥー教徒の男性観光客に混じってカシミール人ムスリムの観光業者が1名、観光客を守ろうと試みて犠牲になっていたため、事件後の反カシミール人・反ムスリムのバックラッシュが比較的少なかった。それでも事件直後、インド各地でカシミール人学生がヒンドゥー教徒の学生団体や大家によって学生寮やアパートから立ち退きを強いられ、学生たちがカシミールへの帰路の空港で夜を明かしたことなどが報道された。
デリーの自動車爆発事件の場合、爆発そのものがテロ行為だったかどうかはともかく、少なくとも爆発の遠因がカシミール人グループによるインド社会へのテロ攻撃計画にあることは明白だった。このためインド各地でカシミール人への偏見モードにスイッチが入った。パハルガーム事件後同様のカシミール出身者に対するインド各地での立ち退き要求や強制的な所持品検査などの事例は、一々ニュースにはならなかったものの、ソーシャルメディアには多くの被害事例がビデオやメッセージで寄せられた。
デリーの南西に位置するグルグラーム(旧称グルガーオン)では11月12日、地元警察が住民の安全のため「ジャンムー・カシミール出身者および外国人」の滞在者リストを作成して提出するよう住宅街やホテルに命令し、逆に住民側から、警察によるこうした命令は偏見を助長するだけで安全性の向上をもたらさないと指摘される始末だった。ジャンムー・カシミール地方政権を担うNCは憂慮を表明し、グルグラーム警察にこの命令の即時撤回を求めた。
11月17日には、北東インド・アッサム州の鉄道駅で、アルナーチャル・プラデーシュ州での雇用が決まっていたため移動中だったジャンムー・カシミール出身の労働者集団(44名)がジャンムー・カシミール出身者であるというだけで地元住民から「疑わしい」「パキスタンから来たのではないか」などと通報され、警察による身元確認が行われるという事件が発生した。
同様の事例で報道されなかったケースは無数にあると思われる。こうした「カシミール人」(「ジャンムー・カシミール出身者」も同義)の異化・他者化と偏見は、インド内政問題としてのカシミール紛争を存続させている大きな要因となっており、無視できない問題である。
[ix] Shabir Ibn Yusuf, “Massive manhunt in Anantnag, 175 detained”, Greater Kashmir, April 27, 2025. URL: https://www.greaterkashmir.com/front-page-2/massive-manhunt-in-anantnag-175-detained/(最終閲覧2025年11月30日);GK Web Desk, “Pahalgam attack: House of active militant destroyed in north Kashmir’s Bandipora”, Greater Kashmir, April 27, 2025. URL: https://www.greaterkashmir.com/kashmir/pahalgam-attack-house-of-active-militant-destroyed-in-north-kashmirs-bandipora/(最終閲覧2025年11月30日)『グレーターカシミール』紙は1990年代後半以降のカシミールで最大発行部数を誇る日刊紙(英字紙)。カシミール渓谷では1990年代半ば、日刊紙の主流がウルドゥー語紙から英字紙に移行した。
[x] Shabir Ibn Yusuf, “Pahalgam attack fallout: 90 booked under PSA, 2800 detained”, Greater Kashmir, May 4, 2025. URL: https://www.greaterkashmir.com/kashmir/pahalgam-attack-fallout-90-booked-under-psa-2800-detained/(最終閲覧2025年12月1日)。カシミール渓谷の人口は7百万人強(95%以上がムスリム、うちシーア派が約1割で残りはスンニー派)で、日本で言えば愛知県や埼玉県の人口と同規模である。2週間弱の期間で愛知県下の2800人の若者が県警により拘束され、町から姿を消す事態を考えてみれば、カシミールで起きた事態の性格が想像しやすくなるだろうか。
[xi] Jehangir Ali, “‘He Was Our Only Breadwinner’: Family of Bandipora Man Killed in ‘Encounter’ Seeks Probe”, The Wire, May 1, 2025. URL: https://thewire.in/rights/he-was-our-only-breadwinner-family-of-bandipora-man-killed-in-encounter-seeks-probe(最終閲覧2025年12月1日)The Wireは現在のインドを代表する独立系ニュースサイト。なお、カシミールでは今日までに地元メディアが完膚なきまでに弾圧されており、カシミール地元の人権活動団体や独立系メディアはすべて姿を消し、多くのジャーナリストが廃業して現在に至っている。このため、この記事のような人権侵害事案は今日、地元メディアを通じて報道されることはほぼなく、The Wireのようなインド中央の独立系メディア(の、しばしばカシミール人特派員による記事)によってのみ報道される。
[xii] Aswathy Madhukumar, “Pulwama Demolition Defies Supreme Court Order and Principles of Criminal Justice”, The Wire, November 15, 2025. URL: https://thewire.in/rights/pulwama-demolition-defies-supreme-court-order-and-principles-of-criminal-justice(最終閲覧2025年12月5日)
[xiii] GK Web Desk, “Srinagar Police raid over 150 residences of terrorist associates linked to banned organisations”, Greater Kashmir, November 12, 2025. URL: https://www.greaterkashmir.com/kashmir/srinagar-police-raid-over-150-residences-of-terrorist-associates-linked-to-banned-organisations/(最終閲覧2025年12月5日)
[xiv] Shabir Ibn Yusuf, “Massive raids across Kashmir”, Greater Kashmir, November 13, 2025. URL: https://www.greaterkashmir.com/front-page-2/massive-raids-across-kashmir/(最終閲覧2025年12月5日)
3.カシミールのイスラーム党をめぐる捉え方のずれ
デリーで自動車爆発を招いたウマル医師と、彼と共同で北インドにおけるテロ計画を推し進めていたカシミール人医師数名が、もし「テロリスト=絶対悪」ではなく対話可能な「人間」なのだとしたら、彼らがテロを目論むほど思いつめ、憎悪を抱く原因となった状況はどんなものだったのか――あるいは、どんなものだったと想像することが可能だろうか。
最初に、上記のインド当局(=現在のインド中央BJP政権)の姿勢に顕著に見られる、イスラーム党(ジャマーアテ・イスラーミー)への敵視について考えてみたい。
インド当局がイスラーム党を敵視する理由は簡単に想像が付く。イスラーム党はもともとジャーナリストだったマウドゥーディー(Abul A'la Maududi、1903~79)が1941年に創設した宗教政治団体で、マウドゥーディーは神が主権を有する「イスラーム国家」論の提唱で一般に知られる人物である。ここから「イスラーム党=危険なイスラーム政治」のイメージが生まれる。次に、1990年代初頭のカシミールでパキスタンの支援の下、最大のゲリラ団体として台頭し、1990年代末以降はカシミール地元ゲリラ最大の団体として2010年代後半まで君臨したヒズブル・ムジャーヒディーン(略称HM)は、カシミールのイスラーム党を母体とするゲリラ団体である。そして前述のカシミール分離主義最大のカリスマ的リーダー、サイード・アリー・シャー・ギーラーニーはもともとイスラーム党の重鎮である。ここまで条件が揃っていれば、ある意味、インド当局から敵視されないほうがおかしいとも言える。
他方、イスラーム党は印パ分離独立に伴い、インド、パキスタン、ジャンムー・カシミールそれぞれのイスラーム党という三つの団体に分裂した過去を持つ。それ以降、この三者は基本的に別個の団体としてそれぞれの道を歩んだ。党の創始者マウドゥーディーは印パ独立後パキスタンに移住し、パキスタンのイスラーム党のトップとなり、晩年にはズィア・ウル・ハク軍事政権のイスラーム政治にも加担した。その限りでパキスタンのイスラーム党は、ちょうどインドにおけるRSS(BJPの母団体)に相当するような、パキスタンにおける宗教的マジョリティーの右派政治を代表する団体の一つである。これに対し、インドのイスラーム党は、マウドゥーディーのイスラーム国家論のイメージのため危険視され続け、その傘下からのちに急進的な学生団体SIMIが分離・成立したためさらに危険視されてしまっているが、じつは1960年代までにインド憲法とインドのセキュラリズム(多宗教共存主義)を受け入れた、穏健な基本姿勢を持つ団体である[xv]。穏健路線を取らなければ、独立後のインドにおけるムスリム・マイノリティの団体として生き残れなかったのも事実だろう。そしてジャンムー・カシミールのイスラーム党は、基本的にカシミール地方部の知識階層を形成している団体である。
根強い聖者信仰の伝統を持つカシミールでは、20世紀前半までに正統イスラーム(大まかに言ってコーランに基づくイスラーム理解)が普及したのはスリーナガル都市部のみであり、スリーナガルの知識階層は主に金曜モスク(ジャーミア・マスジド)の聖職者ミールワーイズの団体と教義に帰属していた。そして20世紀半ば以降、スリーナガル以外のカシミール地方部に正統イスラーム意識を浸透させ、その知識階層の基盤となったのがイスラーム党だった[xvi]。大ざっぱに、カシミール地方部の学校(世俗教育の一般的な学校)の先生はみなイスラーム党員というイメージである。カシミールにおけるイスラーム党の活動はイスラームに関する常識的知識の普及に終始しており、このためその傘下の学校における教育は、ウラマーの下のマドラサと比較すれば、全面的に世俗的と言って良い内容を持っている。(筆者は実際にそれらの学校を見学したことがあるので知っているが、日本の公立小学校の「道徳」レベルでイスラームの授業が存在するほかは他の公立・私立学校と何ら変わりないカリキュラムを持つ学校である。)また、例えば筆者はカシミールにおけるイスラーム各派の近現代史に関心を持っているが、カシミールで中立的な立場から近現代カシミールにおけるイスラーム各派の俯瞰的な歴史を平易なウルドゥー語(カシミール人にとって、とくにイスラーム関連では最も一般的な読み書き言語)で書いている著者は、そのほとんどがイスラーム党員である。カシミールのイスラーム党とは、そのような広い常識的な知識伝統の総体を意味している。前述のカリスマ的分離主義リーダーのギーラーニーにしても、イスラームに関する著作がほとんどない一方、イクバールの詩に関して浩瀚な著作を有するような、多分に世俗的な人物である。宗教イデオローグというよりは、単に政治的不正に異議を唱えている知識人と言ったほうが実情に近い。したがって、日本の例でたとえるなら、インド当局によるカシミールのイスラーム党敵視とは、日本赤軍のメンバーがみな日本の大学で学んだ過去を持っているからという理由で、日本の大学と大学生全体を危険視するようなものである。
ここまで書けば、インド当局が事あるごとにカシミールの(元)イスラーム党員を弾圧する行為がいかにピント外れであるか、お分かりいただけるのではないだろうか。前述のジョーシーの指摘を借りて言えば、インド当局によるカシミールのイスラーム党員弾圧とは、イスラエルがハマス敵視のためガザ社会全体を攻撃する行為と瓜二つなのである。
[xv] 等閑視されがちな独立後インドのイスラーム党の歴史については、パイオニア的研究書であるIrfan Ahmad, Islamism and Democracy in India: The Transformation of Jamaat-e-Islami (Ranikhet: Permanent Black/Princeton University Press, 2010)を参照。
[xvi] カシミールのイスラーム党もマウドゥーディーのイスラーム理解を基本的に奉じているわけだが、マウドゥーディーの思想はウラマー(イスラーム学者)の知識体系への批判を原点とし、その観点からより包括的なイスラーム体系を目指しているため、そのイスラーム理解は、とくに法学派を限定しない、ある意味非常に大衆的・現代的で分かりやすいものとなっている。若い頃にジャーナリストとして同時代の欧米思想も熱心に吸収したマウドゥーディーの考え方は、彼のイスラーム国家論が非常に「分かりやすく危険」な点にもうかがえるように、近代的な「国家」概念や「政治」の捉え方など、大枠では同時代の欧米と共通する思想基盤の上に成立している。カシミールのイスラーム党はさらにその要点のみを単純化したかたちで受け取っているため、カシミールのイスラーム党のイスラーム理解は凡庸なまでに常識的なものとなっている。
4.南カシミールの情況から
カシミールでイスラーム党がゲリラ活動の基盤となった事実は、単にカシミール地方部の社会全体がゲリラ活動を支持したことを意味しているに過ぎない。そして、こうした傾向がとくに顕著なのが、南カシミール(カシミール渓谷南部)の場合である。デリーの自動車爆発事件を起こしたウマル医師とそのテロ計画共謀者たちはみな南カシミールの出身であり、一時期ともに南カシミールの中心都市アナントナーグの医科カレッジに勤務していた過去を持つ。
南カシミールはイスラーム党の地盤となってきたのみならず、1990年代末にパキスタンの指揮下から離れ、インド政府とも独自に交渉するようになったカシミール最大のゲリラ団体HMもまた、南カシミールを最大の地盤の一つとしてきた。2010年代半ばの新世代ゲリラのイコンだったHMのブルハーン・ワーニー(パキスタンとは無関係に活動し、武器は地元の治安部隊などから奪って調達した)も南カシミールを中心に活動し、父は南カシミールのイスラーム党員だった。また、カシミール渓谷で古参地方政党NCと競合し、よりカシミール中心的な傾向を持つ地方政党PDP(Jammu and Kashmir People’s Democratic Party)も南カシミールを地盤とする。PDPは南カシミールのイスラーム党やHMとは歴史的にゆるやかに連携してきたと見られている。また、NCと比べてより直截なBJP批判を行うことでも知られる。
こうした事情のため、南カシミールを敵視していると思われるインド現政権は、2024年春のインド下院選をカシミールで実施するにあたって大掛かりな選挙区再編を行い、とくに南カシミールの政治力を弱めるため、南カシミールのアナントナーグ選挙区と、アナントナーグからはるか西方に高峰を挟んで位置するジャンムー・リージョン北西部のラジョウリー・プーンチ選挙区を無理やり接続して一つの「アナントナーグ・ラジョウリー」選挙区とするという曲芸的操作を行った。カシミールとは異なる言語・文化を持ち、ヒンドゥー教徒の比率もそれなりに高いラジョウリー・プーンチを何とかBJPの傘下に丸め込み、これをもって南カシミールの政治力(この選挙の場合はPDP党首メフブーバ・ムフティーの得票)を抑えようという算段だったと思われる。(選挙結果はBJPの意向と無関係に、ラジョウリー・プーンチ独自の宗教的権威であるNCのムスリム候補の大勝で終わった。)
カシミール社会が暴力(反インドゲリラ活動)を拒否する方向に傾きつつある現在、インド中央政権にとっての至上命題は、このチャンスを生かし、カシミールの人心を掴んで平和と紛争終結をもたらすことである。長期的な視点に立てば、カシミール紛争を終結させてパキスタンとの融和を図り、南アジア全体の社会・経済をステップアップさせることが、世界の大国としてのインドの繁栄と安定に大きくつながるはずである。
ここ数年のカシミールでは、例えばカシミールの主要作物であるリンゴの生産・流通において、仕分けやパッキングの機械化など、効率化とシステム・アップデートが急ピッチで進められている[xvii]。この変革のプロセスには、BJP主導のLG行政による尽力と、カシミール地元社会の努力の両方がかかわっていると思われる。
こうした変革の背景には、これまでのカシミールが「自治」の名の下に域外との競争を免除されているのを良いことに、システム・アップデートを怠り、経済・社会が停滞してきた事情がある。カシミールの地元政党NCとPDPは大枠ではこうした停滞した過去のカシミールにおける既得権益を代表する勢力であり、必ずしもカシミール社会から積極的に支持されているわけではない。BJPがカシミールにおける経済・社会の改革の波とうまく共振することができれば、ムスリムのカシミールをBJPの強固な支持基盤とすることも夢ではないはずである。実際にBJP幹部およびこれに従って動いている有能なインド官僚の多くは、この方向での成功を目指してカシミール変革の努力を続けてきたものと思われる。
だが、上で言及したインド中央政権による過剰なカシミール社会への締め付け・弾圧や、南カシミールに対する偏見と敵意に満ちた態度を見ていると、果たしてBJP主導のカシミール改革がうまく行くだろうかと不安を覚えずにはいられない。リンゴの生産・流通をめぐる改革プロセスの詳細は知られず、報道もほとんどない。南カシミールはリンゴ生産の中心地の一つでもある。南カシミールにおける有力なリンゴ生産者とイスラーム党有力者は、かなりの度合いで重なっているはずである。もしLG行政が南カシミールの有力なリンゴ生産者たち(=イスラーム党有力者たち)を、偏見と敵意によって改革プロセスから排除するとしたら、そこには必ず構造的で深い憎悪が生まれる。政治的自由の不在と徹底的な監視・統制に縛られる状況の中、沈黙の中で膨れ上がった憎悪は、やがて多くの人々をウマルのような行動に走らせるに違いない。
考えてみると、過去にインド大都市圏で起きたテロ事件の多くがパキスタンからの越境ゲリラによるものだった反面、カシミール人(インド側に位置するカシミール渓谷の住民)がインド大都市圏で大掛かりなテロ事件を計画したり実行したりした例はこれまで存在しなかった[xviii]。ウマルらカシミール人医師グループは、パキスタン側エージェントと多少のやり取りは行っていたようだが、爆発物の扱いの未熟さなどから、そのテロ計画は素人集団が自発的に始めたものだったことが伺える。新たな憎悪と怒りが、新たなかたちの暴力を生み出しつつある可能性がそこにはある。
[xvii] リンゴの生産・流通をめぐる改革については、Masood Hussain, “Apple in Cold Chain”, Kashmir Life, October 14, 2023. URL: https://kashmirlife.net/apple-in-cold-chain-vol-15-issue-28-329313/(最終閲覧2025年12月6日)を参照。カシミール農業大学がLG行政と連携して進めていると思われる農業改革については、Ibtisam Fayaz Khan, “Kashmir: The Future Agriculture”, Kashmir Life, March 5, 2025. URL: https://kashmirlife.net/kashmir-the-future-agriculture-vol-16-issue-49-384115/(最終閲覧2025年12月6日)を参照。
[xviii] この点はフリージャーナリスト廣瀬和司氏の指摘・リマインドによる。
5.結語に代えて
デリーの自動車爆発で死亡したウマル医師がなぜテロ計画に手を染めるに至ったのか、その理由は現状では知る由もない。しかし、カシミール社会がいったん過去のゲリラ再生産プロセスから脱却した後、何らかの全く新しい条件の下でウマルのような若いカシミール人エリートのテロ志向を生んだ(もしくは追い詰められたあげくテロ選択に至った)のだとしたら、これは深く憂慮すべき事態である。それは新たな暴力の波の前兆かもしれないからである。
対パキスタン、対中国のセキュリティの重要性は言うまでもない。他方、カシミールやラダックの社会安定とそのための一定の自治権付与も欠かすことはできない。国民の安定した生活なくして何のためのセキュリティだろうか。そしてカシミールやラダックの人々もまた、大切なインド国民の一部であるはずである。
対岸のパキスタンでは、民選の中央政権が(一大ポピュリストであるイムラーン・カーンの脅威から身を守るために)わざわざ軍トップのムニール将軍に軍の全権と終身免罪権を付与し、自ら民主的システムの破壊に乗り出すという奇妙な事態となっている。日本ではあまり報道されていないようだが、世界第5位の人口規模を誇る国での民主主義の機能不全は国際社会を不安に陥れ、11月28日には国連人権委のトップがパキスタンで司法の独立性と法の支配がないがしろにされていることへの憂慮を表明したほどである。インド中央政権のヒンドゥー至上主義的な偏りも大きな不安材料だが、パキスタンの政治と社会はそれ以上に病んでいるように見える。
現在のカシミールは様々な意味で岐路に立っており、インド中央政権を始めとするステークホルダーには慎重な舵取りが求められる。(終)
中央大学・政策文化総合研究所 客員研究員







